ニュースな
2000年8月6日

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 ◆今週の記事

◆バラク首相、一人12役!
 
 バラクさん、とはイスラエルの首相。この方が内憂外患、今やなにかと大変なのである。イスラエルっていういろんな意味で特殊な国のリーダーをつとめるというのは冗談じゃなく胃が痛くなる立場だと思う。全体の流れとしては和平ムードに向かっていると思える中東ではあるが、イスラエル=ユダヤ人側にも周辺のイスラム諸国側にも和平に反発する勢力がいて、和平の流れは紆余曲折といったところだ。イスラエルの首相と言えばラビンさんという人がいたが、中東和平を推進したためにノーベル平和賞をもらう一方でユダヤ教徒過激派に暗殺されるという運命をたどってしまった。その後もイスラエルでは和平派と強硬派で国論が二分され、政権があっちこっちと交代してきた。現在のバラク政権は強硬派をおさえこむべく、和平派と中道派の諸政党がとりあえず細かい意見の違いはおいといて大連立を組んでつくりあげたものだ。連立の仲間を集めるため、この政権は閣僚ポストを何と23個も設置して(最大でも閣僚数は24人となっている)「ポストあげるからこの指止まれ」をやったそうで。
 そういう経緯があるため、この政権、なにかというと閣内対立が起きて「連立離脱騒動」が跡を絶たない(最近の日本も同じだが)。昨年の「史点」でも採り上げたが、ユダヤ教徒の「安息日」に資材輸送をしなきゃならない事態になって、連立に参加している宗教政党「シャス」などが猛反発したこともあった。さらにこのところイスラエルはレバノン南部から撤退したり、先日アメリカの仲介で行われていたパレスチナ側との交渉でかなりの譲歩を示そうとしたり(それでも結局譲れない線が双方にあり、ひとまず「破談」になったが)、どうもイスラエル国民からすれば「だらしがない」と言われかねない事態が続いている(もちろん、有意義である部分も多いのだが)。そのせいなのかもしれないが、新大統領はどちらかといえば強硬派の人がなってしまった。こうした情勢に、連立を組んでくれていた諸政党の離脱が相次いでいる。

 前々から連立離脱をチラつかせていた宗教政党の「シャス」が本当に連立を離脱したため、シャスから任命されていた労働相・厚生相・宗教相・国家基盤相(と、出ていたんだけどどういうものかはよく分からない。ポスト増やしに使われたんだろうな)が辞任。さらに「国家宗教党」の連立離脱により住宅相が辞任。そして旧ソ連からのユダヤ人移民で形成されている政党「イスラエル・バアリヤー」から出ていた内務相がやはり連立離脱のために辞任してしまった。
しかも同じ派閥 さらに面白いことに(面白がっちゃいけませんが)、先述の「シャス」の連立離脱をなんとかひきとめようと、同じく連立を組みながらこれと仲の悪かった左派政党「メレツ」に所属する閣僚、教育相・通産省・農業相が辞職に追い込まれた。そこまでしても結局「シャス」の離脱をくい止められなかったわけだが(^^; )。
 おまけに運輸相がなんとセクハラで起訴されるという事態になり、これまた辞任。中東和平会談の失敗を受けてか、8月2日に外相までが辞職してしまった。運輸相のポストについては同じ政党出身の観光相が兼任することになったが、ここまで登場した各閣僚ポストについては、なんとバラク首相本人が一括して引き受けることになってしまったのだ。バラク首相はもともと国防相のポストも兼任しており、合計11の閣僚ポストを首相自身が兼ねてしまうというとんでもない事態になっちまったのである。
 並べて書いてみるとその凄さが分かる。バラク首相外相国防相労働相厚生相宗教相国家基盤相住宅相内務相教育相通産相農業相!他にやれる人がいないということなのか。全閣僚の半分近くを一人でやっちゃうことになる。なんかヘンな「独裁」(笑)。もちろん暫定的な措置だとは思うけど…そうじゃなかったら政権自体が短時日に崩壊しちゃいますな。
 



◆ナポレオンの故郷の地は…
 
  ナポレオン、といえば言うまでもなく19世紀にフランスの皇帝になってヨーロッパの大半を一時支配した、文句無しの超大物歴史的英雄であるが、彼は少年時代に入っていた軍の幼年学校でフランス語がまともに出来ずに同級生や先生からイジメを受けていたというエピソードを持っていたりする。
 フランス軍人になろうというのになぜフランス語ができなかったのか?彼が生まれ育ったのはフランス本土ではなく地中海に浮かんでいるコルシカ島という島だ。世界地図で確認してもらえばわかるが、このコルシカという島、どう見てもフランス領になるには無理がある(笑)。どちらかといえばイタリア領になるほうが自然な位置に浮かんでいる島だ。実はナポレオンが「フランス国民」となったのは実にギリギリのことで、コルシカ島はナポレオンが生まれる前年の1768年までイタリアのジェノバ共和国の領土だったのだ。
 また、そうした政治上のことだけでなく、言語も「コルシカ語」という独自の言語をもち、島という地理的条件もあって地域主義の傾向が強く独立心が旺盛だと言われる(このあたり、マフィアを生んだシチリア島なんかと雰囲気が似ているのかも)。日本における沖縄の存在をもっと過激にした感じかも。そんなわけでフランスからの独立を要求する動きが連綿と続いており(彼らにしてみれば当然ナポレオンは「コルシカの生んだ英雄」だ)、長年にわたり紛争が絶えなかったと言われる。

 この長年にわたる「コルシカ問題」の解決を目指して、昨年末からフランス政府とコルシカ議会の間で交渉が続いていた。そして政府が出した原案に対して7月28日にコルシカ議会がこれを受け入れることを可決し、その結果コルシカ島には大幅な自治権が与えられることが確実となったのだ。各種報道によるとフランス政府側の示した原案の柱は「一部の分野に制限した法律の部分修正権など行政権の大幅な移譲」「現行の2県体制を1県に統合」「コルシカ語教育の推進」の三点であったという。言語問題がシッカリと入っているあたりはヨーロッパの独立騒動には共通しているところですな。
 もちろん「独立」を認めるわけではない。フランス共和国の枠内での大幅な自治権を与えようということであるわけだ。ヨーロッパではあちこちでこうした細かい地域の独立運動があるわけだけど、最近の傾向として「大幅に自治権を認める」という解決がみられるような。その一方で国家レベルではEUのように統合の方向も見せてますけどね。この両方のベクトルがうまくバランスをとっていけるのかどうか、今後のヨーロッパの課題だろう。



◆エリザベス皇太后の一世紀
 
 日本の皇太后のことも二回にわたってとりあげたことだし、これも採り上げざるをえないでしょう。ただしこちらは今なお健在というネタだから凄い。パレードなど見る限り、ホントにまだまだピンピンしているお婆ちゃんである。もう曾孫が18なんですけどね〜。

 現在のイギリス国王は、ご存じエリザベス2世(1世はもちろんあの名高い15〜16世紀の女王です)。その母親がエリザベス皇太后であるわけで、一昔前の言い方に従うなら「国母」というやつである。やっぱり「クイーン・マザー」とか呼ばれてるらしい。親しみを込めて「マム」なんて呼ぶ人もいるようだけど。まぁとにかくこの人が8月4日の誕生日で満100歳にめでたく到達した。つまり1900年=19世紀最後の年の生まれであり、20世紀をまるごと生き抜いたことになる。あと一息で21世紀に到達し、3世紀をまたいで生きることになってしまう。同世代で生きている歴史上の人物はたびたび当欄でもネタにしている張学良(ちょっと年下)宋美齢(ちょっと年上)の両氏ですな。
 
 それにしてもこの人も先日亡くなった日本の香淳皇后と同様、個人的にこれといったことをしたわけではないが、生きた時代が激動ということもあってアレコレとエピソードがある。
 そもそもこのエリザベスさんはもともと「国母」はおろか「王妃」にすらなる予定の人ではなかった。この人の夫は先代のイギリス国王・ジョージ6世であるが、この人自体が本来国王になるはずではなかったのだ。先々代の国王はジョージ6世の義兄のエドワード8世という人だが、この人、人妻であるアメリカ人女性シンプソン夫人といわゆる「王冠をかけた恋」というメロドラマを引き起こし、離婚したシンプソン夫人と結婚するために1936年、王位をポイと捨ててしまった(イギリス国教会では国王が離婚歴のある女性と結婚することを認めなかったため)。そこでエリザベスさんの夫だったアルバート王子が「ジョージ6世」として急遽即位することになったのだ。聞くところによるとジョージ6世はやや言語障害があったそうで、王妃となったエリザベスさんは夫をよく助けて公務をこなしていたという。

 そして第二次世界大戦が始まる。ロンドンはナチス・ドイツのV2ロケットによる空襲にさらされ、政府は王妃やその子供達に田舎への疎開をすすめたが、この時エリザベス王妃は「子どもたちは私なしで行けないし、私は国王を置いては行けない。そして、国王は決して逃げないでしょう」と答えたという。この名セリフはイギリス国民を鼓舞し、あのヒトラーをして「ヨーロッパで最も危険な女性」と言わしめることになった。

 戦後、1952年にジョージ6世が死去。娘のエリザベス2世が即位し、母親のエリザベスさんは皇太后となった。その後はこれといってこの人自身に激動はないのであるが、昔ながらの王族の気質を持つお方のようで格式を重んじて豪華なパーティーに明け暮れており、大好きのはジンと競馬(笑)。その浪費ぶりにはとやかく批判もあるのだそうだが、ものともしないで浪費をお続けになっているとのこと。その奔放な浪費っぷりが、逆に「昔ながらの王族」というプラスイメージでとらえられて国民の人気を得ているところもあるらしい。こういうお方だから一昨年事故死したダイアナ元皇太子妃(別の意味で庶民の人気を得た人だからなぁ)を毛嫌いし「責任感の薄い愚かなひと」と非難していたとも報じられている。その代わり孫であるチャールズ皇太子のことは溺愛しているそうで、そういえば誕生日のパレードもずっと一緒にいましたっけね。

 それにしてもイギリス王室って歴代あれこれとネタに事欠かないよなぁ。
 


◆神罰じゃあ〜!!
 
 ちかごろアフガニスタンといえばタリバーン。イスラム原理主義を標榜する勢力で、ソ連軍撤退後のアフガニスタンの群雄割拠を勝ち抜いて政権の座についてしまっている。まだ全土を完全に制圧しているわけではないが、もはやアフガニスタンの支配政権となっていることは疑いない。彼らが政権をとったために、徹底したイスラム原理主義の政策が施行されてるようになり、女性が肌を出すことを禁じられたり(ソ連スタイルが一時導入されたため多少自由化していたらしい)国内の仏像遺跡を破壊している(イスラムからいえば偶像崇拝は当然禁止だ)などの報道が聞こえてきている。まぁその一方で昨年末に起きたインド機のハイジャック事件にも見えたようにいい加減国際社会から孤立するのは避けようと言う現実的行動も見せるようにはなってきている。アメリカが「反米テロの首謀者」と目の敵にしているオサマ=ビン=ラディン氏もアフガニスタンから追い出されたという話もあるし。
 その一方で先月だったか、短パンでやってきたパキスタンのサッカー選手を「戒律に背く」とかいうことで(なぜかは知らんが)丸刈りにしちゃうという「事件」もあたっけ…いや、これについてもタリバーン政権はパキスタン側に謝罪していたな(笑)。

 ところで読売新聞3日付ニューデリー発の記事によると、いまアフガニスタンでは30年ぶりという大干ばつが起こっているのだそうだ。国土の東部の一部を除いてほぼ全域が干ばつに見舞われており、試算によれば穀物生産は昨年の約半分程度しか見込めないとのこと。これまた試算であるが、このままだと全国民の15〜20%にあたる300万から400万人が餓死の危機にさらされることになるという。
 この国家的危機に関して、タリバーン政権の最高指導者ムハマド=オマル師が先月31日に声明を出したが、これが凄い。その中には「多くの国民は礼拝を怠り、なかには国にもイスラムの制度にも感謝せず、不当な不満と不必要な偏見、警戒心を募らせている者がいる」という部分があったのだ。そしてさらに「(そうした行為は)神に対する罪であり、干ばつは数年にわたって続く可能性がある」と述べたという(読売の記事の訳そのまま)。要するに「我々に感謝せず文句ばかり言って不信心な奴が多いから、神が怒って罰をくだしているのだ!」と言ったわけである。しかも悔い改めなければその神罰が続くぞ、という脅し付きだ。
 この発言はイロイロと読みとれるところが多いが、やはり注目すべきは政権に対する不平・不満がやはりかなり存在していることが知られるという点だろう。一度はヨーロッパ流の自由スタイルが(といってもソ連経由だが)流れ込んだ国である。その反動でイスラム原理主義が勢力をのばしたのだろうが、今度はその原理主義の徹底ぶりに嫌気がさしてきていることも確かなのだろう。
 それにしても中国あたりの伝統的発想だと「政治が悪いから天災が起こる」ってことになるんだけどね(笑)。タリバーンは自分が神の教えの正統だと自認しているから「国民が悪いから神罰がくだった」って発想になるのだろうが…。もちろん本気で言ってるわけではないだろう。そうとでも言わなきゃならないほど状況が厳しくなってきているということか。ホントに「神罰」が数年も続いちゃったら、「罰」は遠からず自分達に降りかかって来ちゃうだろうし…。

 元ネタにしたその「読売」の記事によると、このタリバーン、実は麻薬・アヘンの原料であるケシの栽培を行って資金源にしていた。その生産量は世界最大であるという。この前のモン族の話もそうだったが、どうもこの手の軍事勢力には麻薬関係との関わりがどこかしら出てくることが多い。先月28日にタリバーン政権は国内のケシ栽培の全面禁止を打ち出したのだが、早くもその翌日に政権幹部が「ケシ栽培農家が全滅して飢饉になってしまう。ケシ栽培禁止と引き替えに資金援助を!」と国際的に呼びかけたのだそうな。それだけ資金的にも切迫した状況というわけですな。
 


2000/8/7記

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