ニュースな
2000年9月24日

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 ◆今週の記事

◆おおっ、「弾丸列車計画」!
 
 オリンピックの大騒ぎの中で影が薄くなってしまっているが、韓国の金大中大統領が22日から日本を訪問している。あの歴史的な南北首脳会談後初めての訪日ということもあって影が薄いながらもそれなりに注目は集めていて、今国会で議論となる「永住外国人地方参政権」の件やら「日韓IT協力」とかあれこれと大統領の発言がマスコミで紹介されている。その中で僕が「おっ」と目にとめたのが産経新聞のソウル支局発の記事だ。見出しは「日韓トンネル提唱検討 金大統領」というもので、金大中大統領が訪日の際に「日本と韓国をつなぐ「日韓海底トンネル建設」の構想を日本側に提唱することを検討している。韓国政府筋がこのほど明らかにしたもので、最近、起工式が行われた韓国と北朝鮮をつなぐ南北鉄道の復元工事に関連し韓国政府内部で議論されている」(以上、産経記事から引用)といった内容が書かれていた。これ以外の報道でも訪日直前の記者会見で「日韓間の海底トンネルが開通されるのは望ましい」と金大統領が述べたことが報じられていた。非常に面白い話で、それを見た時点で「史点」ネタに決定したのだが、その後の報道を見る限り金大統領はこの件について日本では一言も発さないまま24日に帰国の途についてしまった。

 僕は昔からあれこれといろんなものに首を突っ込んでマニア化してしまうところがあり、「鉄道」についても結構マニアの領域に達している方だと思う。そんなわけで「鉄道」と「歴史」を結びつけた「鉄道史」というジャンルにも時折思い出したように首を突っ込んできた。だからこの産経新聞の記事を見たとき「おおっ、弾丸列車計画!」とはしゃいでしまったりしていたわけだ(笑)。
 話は戦前にさかのぼる。 1939年(昭和14)に当時の鉄道省が「弾丸列車計画」なるものを発表した。この計画、東海道・山陽本線に沿う形の新路線をつくり、そこに最高時速150qの高速列車を走らせ、東京〜下関間を9時間で結んでしまおうというものだった。しかも将来的には長崎県呼子から壱岐、対馬を経て釜山に至る海底トンネルを掘り、「東京発北京行き直通列車」を走らせようという壮大無比な構想までが含まれていたのだ。現時点でもこの話を聞いたら「ムチャな」と思っちゃうところだが、当時はちょうど本州と九州を結ぶ海底トンネル「関門トンネル」の工事が進行中で、技術的にも多少自信をもっていたところだったのだろう。それと、当時はまさに日中戦争が泥沼化している最中で、大陸への軍事輸送が急増し、輸送手段の増強が求められるという、社会的な背景もこの計画の後押しをしたに違いない。
 この計画は翌1940年の帝国議会で承認され、15年間の継続予算がつけられた。そして日本各地で用地買収・測量が実施され、対馬・朝鮮海峡の海底ルートについても地質調査が進められていった。この海底トンネルについて以前どこかで読んだか耳にした話なのだが、一つの構想として、海底をそのまんま掘るのではなくチューブ状のトンネルをそのまま海底に沈めて繋いでいこうというものがあったような気がする。面白い話なんだけど、ご想像のとおりこの計画自体が太平洋戦争突入とその後の戦局の悪化によりご破算となってしまっている。ただし、この計画の日本国内部分はのちに東海道・山陽新幹線として1964年に実現することとなる。

 さてこの日韓海底トンネル計画が「再浮上」するのは1981年。ソウルで「第十回科学の統一に関する会議」とかいうものが開かれ、ここで「平和のための国際ハイウェイ構想」なるものが出てきて、その中で日韓トンネルの実現が提唱されたのだ。この会議の創設者の名は文鮮明氏という。そう、あの霊感商法やら合同結婚式などで時々話題になる宗教団体「統一協会」の教祖様だ。なんでこの教団が日韓海底トンネルなんかに首を突っ込んだのかよく分からないのだが、かなり本気だったようで実際に地質調査や用地買収も行っていたという。まぁ日本を「韓国に奉仕するイブ国家」とか位置づけている教義があるらしいから、その辺の思惑もあったのかも知れない。
  90年代になって当時の盧泰愚大統領がこのトンネル計画に言及したり、日本の竹下登海部俊樹羽田孜といった首相たちもこの計画に積極姿勢を見せていたりしていたのだそうで(僕自身は耳にした覚えはないが)、それなりに脈々とこの構想は現実味を持って語られ続けてはいたのだ。そして金大中大統領による対日政策や対北朝鮮政策の影響もあって、半島の南北を結ぶ京義線の「復活」とセットになってまたまた浮上してきたということであるようだ(ついでながら京義線ってのも日露戦争ごろに日本が建設したもんなんだよな)

 21世紀のいつか、「東京発北京行き特急列車」も夢じゃないかも知れません。ただし、そんな鉄道の存在意義がその時まであるのだろうかと思うところもあるんですが。リニアモーターカーだとしてもねぇ…



◆MI6本部爆破!
 
 なぜかスパイネタ好きの私に「書け!」と言ってるようなもんですな。この事件の一報を聞いたときにまずそう思ってしまったものだ。
 9月20日午後10時前、ロンドンの中枢にあるイギリスの対外情報収集機関「MI6」の本部で二度にわたる爆発が起きた。被害は本部ビルの8階の窓ガラスが割れたという程度だったが、その後の調査で本部から数百メートル先から発射されたロシア製の携帯用対戦車ミサイルによる犯行と断定された(いやー、恐るべきケータイである)

 被害程度はともかく、なにせ場所が場所だ。「MI6」はイギリスの海外情報を集める諜報機関で(国内情報は「MI5」が担当していて以前新聞に求人広告を出して話題になった)、ご存じ「007」ことジェームズ=ボンド氏の職場である。この「007」シリーズのマニアはこの一報を聞いたとき別の意味でギョッとしたに違いない。「007」シリーズ最新作「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(世界全部でももの足りない…ってとこらしい)の冒頭で、やはりMI6本部が爆破されるシーンがあったのだ。このシリーズ、長く続いているがMI6の本部に何かをされるというシーンは初めてで、非常に目新しいものだった。ついでながら本作は上司の「M」自身がピンチにさらされたり、第2作からのレギュラーで秘密兵器の開発者「Q」が引退をほのめかすセリフを吐き、実際に演じる俳優が公開直後に事故死するといった、いろんな意味で「007」シリーズの節目となる作品だ(さらに付け加えると、ボンドガールも異例の…ゴニョゴニョ)

 フィクションだらけの映画の世界はその辺にしておく(笑)。実際のMI6が何をしているかはともかく、こんなところをわざわざ小型ミサイルで攻撃するなんて、たぶんにデモンストレーション要素の強いテロ活動だと言えるだろう。その後これといった「犯行声明」もないようだが、警察では北アイルランド紛争に絡んだテロ活動との見方を強めている。まぁこれまでもロンドンで何かテロがあった場合、たいてい北アイルランド問題が絡んでいましたからね。そう思うのは無理もないところ。
 警察が「犯人」と考えているのは「真のIRA」という組織。「IRA」こと「アイルランド共和軍」は北アイルランドのイギリスからの分離を主張するカトリック系武装組織で、長年北アイルランドのプロテスタント系やイギリスを相手にテロ活動を中心に戦ってきた連中だ。しかしこのところIRAはプロテスタント系住民と和解する方向を見せ始めている(そうは言ってもしょっちゅうギクシャクしているのは「史点」でも以前書いたとおり)。そんななか、IRA内の過激派(どこでもこういう一派というのはいるものだ)が分離して「真のIRA」を名乗り、テロ活動を活発化させているようなのだ。今年に入ってから5月にロンドン市内のテムズ川の橋で爆発事件があり、7月にロンドン市内の地下鉄構内で爆発物が発見されたりとテロ事件が続いており、どうもこれらがこの「真のIRA」による犯行らしいのだ。いずれも大量に人を殺すようなテロではなく、「人目をひく」ことに重点を置いているところも今度の事件と共通していると警察はみているとのこと。

 ところで現在ジェームズ=ボンド氏を演じているピアース=ブロスナンはアイルランド出身なんだよなぁ。



◆ペルー騒動その後
 
 前回書いたペルーフジモリ大統領の「辞任表明」の件だが、その後もあれこれと動きがあった。やはり焦点はフジモリ大統領…ではなく、モンテシノス国家情報局顧問の行方だった。

 結論から言ってしまうと、モンテシノス氏はペルーからパナマへ「亡命」してしまった。この結論が出るまでの情報のドタバタがなかなか面白かった。前回書いたように一時「モンテシノス氏逮捕」という情報も流れていた。ところが9月23日になってペルー政府がモンテシノス氏の亡命を受け入れてくれるよう、パナマ政府に打診していたことが明らかになる。パナマという国はその政治的位置の特殊性もあってこれまでにもしばしば周辺各国の権力者の「亡命先」にされてきた歴史があり、これもそれをふまえたものだったのだろう。しかしパナマ政府はこの要請を「権威主義、不正、腐敗は国際的に反対されている」として拒否の姿勢を示した。またこれと相前後してブラジルにも同様の打診があり、やはりブラジル政府もモンテシノス氏受け入れを拒否しているとの報道がパナマ側からなされた。
 そして9月24日、その日の未明にモンテシノス氏がリマの軍空港から飛行機で亡命したことが、ペルーのTV局によって報じられた。しっかりその飛行機の飛び立つ映像も流したという。この報道の中ではモンテシノス氏はとりあえずパナマに行くが、そこを経由してモロッコ(なんで?)へ亡命するのではないかと推測されていたそうな。
 ところが結局パナマ政府が一転してモンテシノス受け入れを表明してしまい、モンテシノス氏はそのままパナマに入ることとなった。この急な方針変更の背景には南北アメリカ大陸の諸国により構成されている米州機構(OAU)からの要請というか圧力がパナマ政府にかかったものであるらしい。ついでに言ってしまえば、アメリカ大陸の親分であるアメリカ合衆国がパナマに受け入れを指示した気配が濃厚だ。それにしてもこうして書いていると、モンテシノスという人物、まるで過去に何度か見た「没落する独裁者」の趣がありますな。とても「大統領の側近」という肩書きで片づけられるタマじゃない。

 実際このモンテシノス氏についてアメリカの一部メディアでは「ペルーのラスプーチン」なんて異名が奉られているそうだ。ラスプーチンについては前にも書いたことがあるので詳細は省くが、帝政ロシア末期にニコライ2世夫妻に取り入って「影の権力者」となった人物で、そこらへんのイメージがモンテシノス氏にダブるんだろう。
 とにかくその後流れてくる情報を見れば見るほど、この人物の怪しさは増していく。今度の騒動のキッカケになった、国会議員の買収場面を撮ったビデオであるが、どうもあれ、モンテシノス氏本人が部下に指示して撮らせたもののようなのだ。確かにあの映像はその買収された国会議員にとっても致命的なものであり、今後それを材料にしてその議員を操っていこうという腹もあったのだろう。それが自分を追いつめることになっちゃったわけだけど。いやいや、案外もっと深いところで「陰謀」を進めていたような気もする。分かりませんよねぇ。
 このパナマへの亡命も完全な「超法規的措置」だ。野党や国民から非難されるのは承知の上で、フジモリ政権は彼を「亡命」させてしまった。フジモリ政権にとってもこの人が逮捕され裁判にかけられるという事態は避けたかったということなのだろうが(それだけ様々なヤバイ情報を握ってるんだろうねぇ)、ひょっとするとモンテシノス氏本人が主導権を握って「亡命させろ」と言ったのかもしれない。

 モンテシノス氏がパナマに亡命した直後、フジモリ大統領はアメリカ合衆国に飛び、クリントン大統領らに面会した。これまでフジモリ政権の強硬なやり方を批判してきたアメリカと、いきなり直談判して「和解」のポーズをみせたのだ。どっちにしてもフジモリ大統領は来年にも辞任する予定だが、その時に平和的に政権交代を実現するようアメリカは強く求めていた。
 そして、フジモリ大統領はとんぼ返りの大急ぎでペルーに戻った。その理由がまた凄い。モンテシノス氏復権を図る軍の一部にクーデターの動きがあるというのだ!「噂」よりは現実味のある話で、実際に軍人から話をもちかけられた議員などもいたらしい。とりあえず現時点ではクーデターは起きていないが、不穏な情勢には変わりないようだ。もしほんとにそんな事態になったら、ペルーは大変なことになっちゃう可能性が高い。アメリカも介入するだろうし…。

 ところで思うことなんだけど、こんな物凄い「大物」、モンテシノス氏について日本ではほとんど報道が無かったような気がする。前回も書いたが僕も5月の選挙でチラリと名前が出たのを見て初めて知ったぐらいだ(しかもあっさり忘れていた)。フジモリ政権のやり方に対し特にアメリカが批判的なのは知っていたけど、これほどの「暗部」を抱えているとは思わなかった。どーも一つには日本での報道が「フジモリ寄り」だったことに原因があるように思えるんだけど…



◆「反体制作家」の大絶賛
 
 で、ペルーのラスプーチンの次は、ラスプーチンの親戚とも噂のある(笑)ロシアのプーチン大統領の話だ。
 前職のエリツィン氏からタナボタ式にロシアの最高権力者の地位についてしまったこの人物だが、先日の沖縄サミットでそこそこの手腕を発揮し、未知数だった能力にもそこそこの評価がついた…かと思うと、原子力潜水艦クルスクの沈没事故で責任回避ともとれる見苦しい態度を示し、ガクンと評価を下げてしまったりしている。

 このプーチン大統領について、ある有名人がこのたび「絶賛」としか言いようのない最大限の評価を与えていたことが明らかになった。ソ連時代にソ連を批判する小説「収容所群島」などでノーベル賞を受賞した「反体制作家」ソルジェニーツィン氏(81)である(元ネタは朝日新聞の記事)
 9月20日にソルジェニーツィン氏の自宅をプーチン大統領が訪問、三時間にわたってロシアの政策や将来のことなどについて話し合ったのだが、キッカケはソルジェニーツィン氏がプーチン大統領にあてた政策提言の手紙であったらしい。なんでもソルジェニーツィン氏はエリツィン大統領の推進した急速な市場経済導入に対して「一部の者を豊かにするだけ」と批判し、その改善をプーチン大統領に要望したのだそうな。それに応えてプーチンさん自ら自宅ご訪問とあいなったわけ。
 翌日のTVインタビューで、ソルジェニーツィン氏はプーチン大統領を絶賛。「彼は前任者から任された仕事がとてつもなく困難であることを十分理解している」「極めて用意周到で慎重に物事を決める」「生きた知恵とすばやい判断力を持つ」「権力への執着も全くない」などなど(ちなみに全部朝日新聞の訳を引用。他のマスコミだとちょっと違った表現もあった)。ちょっとしたお世辞セリフなら誰でも口にするものだが、70年代にソ連を批判して国外追放になり、ゴルバチョフ時代に名誉回復して帰国してからもゴルバチョフ、エリツィン両大統領にも歯に衣着せぬ批判を行ってきた「反骨の人」の口からこうした大絶賛の言葉が出てくると言うのは…(汗)。それもこの時期に、って気もしなくはない。大統領おんみずからのご訪問に舞い上がってしまったのでは無かろうか(^^; )。

 そんな一方で、この9月あたまにロシア公共テレビの人気キャスター・セルゲイ=ドレンコ氏の政治番組が突然の放送休止に追い込まれた。この番組、政治批判を娯楽化したこれまでにない(まぁそりゃないだろうな)スタイルで人気を得ていたが、このところプーチン批判の色合いを強め、クルスク沈没事故でもかなりの「口撃」を行っていたという(もっともこのドレンコ氏のパトロンが反プーチンの政商という事情もあるようだが)。ドレンコ氏は記者会見でこの放送休止が「プーチン大統領の指示によるもの」であったことを暴露し、「クレムリンは全TV局を管理下に置く言論弾圧に乗り出した」と警告を発した。
 これと呼応するように、18日にロシアの「メディア王」と呼ばれる「メディア・モスト」のグシンスキー会長がラジオ番組に出演してある暴露を行った。グシンスキー氏は自身の「メディア・モスト」の持ち株を最近政府系天然ガス会社に売却・譲渡したのだが、その契約は「政府による脅迫の結果」であったと発言したのだ。この「メディア・モスト」も反クレムリンの急先鋒とも言える存在だった。会長のグシンスキー氏は6月に資産詐取の疑いで身柄を検察庁に拘束され、7月20日に持ち株をその天然ガス会社への売却を認めることと引き替えに解放されたのだという。グシンスキー氏は「メディア統制を狙った国家によるゆすりだ」と政府を非難している。

 これ以外にもチェチェン紛争の報道がかなり政府の圧力で歪められているという話しも聞く。どうもこのあたりはソ連時代の言論統制のクセがまだ抜けきっていないんじゃ無かろうか…だいたいプーチンさんって元KGBだしねぇ…かなり気になるところだ。
 ソルジェニーツィンさん、よーく人物とその政策をみてから発言して下さいよね。
 


2000/9/24記

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