こうした殉教者を「聖人」に列することは別段珍しいことではない。日本ではご存じのように豊臣政権から江戸時代にかけて激しい「キリシタン弾圧」が行われ、大量の殉教者=聖人を出している。一方の中国ではだいたい日本と同時期にカトリックの布教が始まったが、日本と比較するとかなり自由に布教が行われていて、布教への弾圧もかなり遅いものだった。そうなったのは布教を行うイエズス会の対中国宣教師達が方便として中国文化(とくに儒教)との融合・妥協を図ったからだが、この布教法がバチカンに批判される「典礼問題」が起こってようやくカトリックの布教禁止が命じられることになった。それでも日本での徹底した大弾圧に比べればずいぶん緩やかなもので、18世紀ぐらいまでのヨーロッパ人にとって中国のイメージは日本のそれに比べれば相当に良いものとなっていたと言われる。
ただ、20世紀の始めに起こった「義和団事件」の時には状況はかなり異なってきていた。アヘン戦争以来、欧米や日本といった列強に食い物にされつつあった当時の中国では激しい排外運動が起こり、その究極の形が武装宗教結社である「義和団」だった。こうした集団がキリスト教徒を「欧米の手先」と見なすのは必然というものだろう。また実際、ヨーロッパ列強の植民地獲得において宣教師がその露払いをつとめてきた部分があることは否定できない。自国の宣教師が殺されたとかいった事件をきっかけに、「布教の自由を維持する」との名目で出兵・占領してしまうというパターンはしばしば行われていた(まるでヤクザの抗争における「鉄砲玉」である)。その意味でも中国政府がこの「列聖」に批判の目を向けるのも理解できないわけではない。「義和団」は現在の中国では「反帝国主義の民衆闘争」として高く評価されているしね。
しかし実のところ、こんどの騒動はたぶんに政治的な駆け引きでしょうね。今年最初の「史点」で書いたことがあるのだが、昨年あたりからバチカンと中国の関係はギクシャクしていた。バチカンと中国双方が国交正常化を模索している一方で(バチカンは台湾とは国交を持っている)、中国側が国内の宗教団体は政府の管理下に置きたいという強い意志を示しているからだ。今年の年頭にもバチカンと中国(正確には中国のカトリック団体「天主教愛国会」だが、まぁ中国政府と一緒に扱って良いだろう)が新司教を中国側が一方的に任命した件でモメており、今度のバチカンの「列聖」は中国側に対する「逆襲」とみなせる。だってその「列聖」の儀式を中国の建国記念日「国慶節」の日にぶつけてくるんだもの。明らかに意図的としか思えないわけで、中国政府がカチンと来たのは、むしろこの辺なんだろう。
ところでこの「国慶節」めがけて行動を起こした宗教団体が他にもあった。そう、あの忘れた頃にやってくる法輪功である!国慶節の日に天安門広場で数百人の信者が座り込みの抗議行動を行って一斉に逮捕されたそうで。いやー、なんだかんだ言ってもまだまだ底力を見せてますな、この集団は。どっちかというと義和団に似た存在にも思えますけどね。
流血騒ぎの発端は9月28日、イスラエルの右派政党「リクード」のシャロン党首が、エルサレム旧市街の中のイスラム教の聖地「ハラム・シャリーフ」(「高貴なる聖域」とか「神殿の丘」とか訳されている)に足を踏み入れたことだった。この地域はユダヤ教の聖地「嘆きの壁」のすぐ上に位置しており、ユダヤ教とにとっても「聖地」と主張される地域だ。このデリケートな地域に右派政党の党首が百人からのガードマンを引き連れて乗り込んできたんだから、イスラム教徒であるパレスチナ人住民がどう反応するかは明らかだった。もちろんシャロン党首は百も承知でやったことだろう。どこにでもこの手の「挑発行為」が好きな政治家というのはいるものだ。この手の人達には和平交渉なんて悪夢でしかないんだろうな。
で、事態はまんまとその思惑にはまって大騒動になってしまった。パレスチナ人がこの「訪問」に反発して騒ぎ出し、警察、ひいてはイスラエル治安部隊と衝突。イスラエル治安部隊が実弾を発射して「鎮圧」をはかったために、とうとう死傷者も出る流血の事態に進展し、数日の内にイスラエルとその周辺各地に騒動は飛び火し死者の数も増加。中でもガザ地区でパレスチナ人親子が銃弾を浴びて少年が死亡する瞬間の映像は世界に流れて衝撃を与えることとなった。僕がこうやって書いている時点で双方(と言ってもほとんどパレスチナ人やアラブ人だが)で50人ほどの死者が出ている。
当然ながらこの騒ぎはイスラエル・パレスチナ国内にとどまる性格のものではない。周辺のアラブ諸国、イスラム諸国ではイスラエルに反発するデモが起こっているし、これまで中東和平の仲介役を務めてきたアメリカにとってもこの騒動は頭の痛い問題となった。それでなくてもギクシャク状態が続いている和平交渉、とくに最大の問題点となっているエルサレムの帰属問題に、この事件は現場で直接火をつける形になってしまっている(シャロン党首はまさにそれが狙いだったわけで)。
もっとも、この事件で和平交渉が完全に行き詰まる、あるいはご破算になると考えている人は案外少ないようだ。現にアメリカなどによる事態収拾の動きが始まっていて、イスラエル・パレスチナ双方の指導者とも「和平実現」という方向ではすでに同意していることは間違いない(だいたいご破算になったら双方にとって損なだけだ)。確かにエルサレムの帰属問題はお互いに譲れない一線があって揺れまくっているが、逆に言えば「完全なる解決」なんてそもそもできっこないので、棚上げというか未処理のままの部分として残すんじゃないかと思われる。なんでも「エルサレムは『神』に帰属するってことにしたら」っていう名案(迷案?)も一部で出ちゃっているそうで(基本的に一神教の神様はみんな同一という考え方もあるし)。まさに「神のみぞ知る」ってとこですか。
確かに現在の世界で7年の任期を持つ最高権力者というのは珍しいと思う。最低でもアメリカ大統領の任期の二倍近い期間大統領をやっているわけで、そういえば第二次大戦後のフランスの大統領って数えるほどしかいなかったようにも思う。僕の世代だとシラクさんの前のミッテランさん(故人)が延々と大統領をやっていたという印象がある(もっともドイツのコール前首相はもっと長かったが)。日本みたいに一人の首相の担当期間が短すぎてやりたいことの何分の一もやれないのもどうかと思うが、最低でも7年間同じ最高権力者をいただいているというのも、ちとうっとうしいものがあるだろう(7年って確か戦後日本の最長政権・佐藤栄作首相の就任期間と同じでは)。
現在のフランスの政治制度は、第二次大戦後にド=ゴールによって1958年に作られた「第五共和制」と呼ばれるものだ。フランスの近代史はフランス革命(1789〜)で王政を廃止したあとの「第一共和制」、その中から台頭したナポレオンによる「第一帝政」(1804〜)、ナポレオン没落後のブルボン朝復活、それが七月革命(1830)で倒されてオルレアン朝の王制となり、それがまた二月革命(1848)で倒されて「第二共和制」、ナポレオンの甥であるナポレオン3世による「第二帝政」(1852〜)、これが普仏戦争(1870)で潰されて「第三共和制」の時代となり(全くの余談だがアルセーヌ=ルパンの時代はまさにこれにあたる)、さらに第二次大戦で一時ナチス・ドイツに占領され、その後にできた「第四共和制」、そしてクーデタの結果政権を握ったド=ゴールによる「第五共和制」、といった具合に推移してきた。ホントに世界史を学ぶ学生を悩ませるややこしい展開を通過して今日に至るのである。
最後に登場し、現在も続いている「第五共和制」の特徴は大統領に強い権限を持たせていることにある、とよく言われる。大統領、というのはアメリカのように国民の投票で選ばれその国の最高権力者にして国家元首となるケースもあるが、世界の国々では大統領という地位が単なる形式的な国家元首に過ぎず、議会から選ばれる首相に実権を持たせているケースも多い。ド=ゴールは本来形式的元首だった大統領を強力な最高権力者に仕立て上げたのだが、7年という長い任期もそれを意図してのことだったのだろう。しかし、フランスには議会から選ばれる首相もちゃんと存在していて、その役割も無視できないものとなっている。
またさらにややこしいことに、この大統領と首相の政治的立場が異なるケースが多く、権力構造に一貫性が無い状態(新聞で見たが、コアビタシオン(保革共存)とか言うらしい)になってしまっているという。現在の大統領シラクさんは保守系の政治家だが首相のジョスパンさんは革新系(社会党)の政治家である。そういえば、シラクさんが以前首相だったときの大統領・ミッテランさんも社会党だった。アメリカでも大統領と議会の多数派が異なる政党になっちゃってるケースがあるが、あれと同じような国民のバランス感覚の結果かも知れない。
で、それと今度の大統領任期短縮がどう絡むのかというと、そもそもこうした保革共存の状態が出来るのは大統領の任期が長すぎるからだという意見があるらしい。そこでむしろ大統領の任期を短縮し、議会の勢力地図と連動させることで大統領の権力強化を図ろうという狙いがあるのだそうだ。そううまくいくのかどうか疑問も感じるが。
それにしても自国の最高権力者の任期に関する憲法改正だというのに、棄権率69%というのは凄いですねぇ。あんまり政治には関心がないのかな、ここの国民も。石油の値段とか身近な話題になると国を挙げてのデモ騒動になったりするんですがね。
9月24日、ユーゴスラヴィア連邦の大統領と連邦議会の選挙が行われた。しかし「連邦」とは言うものの、民族対立と内戦で分離独立が相次ぎ、現在のところ構成国はセルビアとモンテネグロの両共和国のみ。しかもその一つであるモンテネグロはこのところすっかりセルビアから離れる姿勢を見せており、今回の選挙でも政権自らが選挙へのボイコットを国民に呼びかけたため、モンテネグロ国内での投票率は25%〜27%にとどまったとみられている(しかしフランスの国民投票とさして違いが無いような気も)。まぁ実質的にこの選挙はセルビア共和国の選挙であると言っちゃっていいだろう。
注目点はやはりセルビアを民族主義で引っ張ってきたミロシェビッチ大統領(「史点」最多登場キャラのような気がする)の政権が存続するか否かというところだろう。このミロシェビッチ大統領に挑むのは、野党連合が押し立てるコシュトゥニツァ・セルビア民主党党首(舌噛みそうな名前である)。この選挙、投票前の予測から野党側にかなり有利ではと思われていたのだが、同時に「ミロシェビッチ政権側が不正工作、あるいは強攻策をやるのでは」という観測も流れていた。この手の独裁的な政権下においてはよくあることではある。
で、選挙が実施されて、選挙管理委員会による公式集計の発表がされてもいない25日の内に、野党側は独自の集計に基づいて早々と「全面的な勝利」宣言を行った。一方ミロシェビッチ政権側も負けじと勝利宣言をやっていたが、このパターンってフィリピンのマルコス政権崩壊時にもあったっけなぁ、などと思いだしてしまったものだ。
今度の選挙で目に付いたのはNATO諸国のミロシェビッチ政権への攻撃と野党側へのあからさまな支持表明。まぁつい一年前に「ナチスの再来」とばかりに空爆をした相手だから無理もないと言えば言えるが、それにしてももし「ミロシェビッチ大統領が当選」なんて結果が出ようもんなら「それは不正選挙だ」と言ってまた空爆しかねない感じがあった。実際この選挙の直後にアドリア海でアメリカ軍がクロアチア軍と合同演習を行い、セルビアの情勢に目を光らせていた。そして公式発表を待たずにEU各国は野党側の勝利を確認する声明を出し、ミロシェビッチ大統領を退陣に追い込む意志を露骨に示していた。「政権交代さえ起これば経済封鎖を解いてあげます」なんてユーゴ国民に呼びかけたりしていたそうだが、それはいくらなんでもやり過ぎってもんなのでは、と感じちゃいますがねー。もちろんミロシェビッチ大統領がロクでも無いことをしているとは思うんだけど。
で、外野内野であれこれ騒いでいるうちに、26日になって選管による公式の集計が発表された。結果はコシュトニツァ候補が48%、ミロシェビッチ現大統領が40%の得票をしたというものだったが、どちらも過半数に届いていないということで「決選投票」を行う旨が伝えられた。野党側は「勝利」したわけだが、決戦投票がリターンマッチというか「敗者復活戦」になることを警戒、この結果に猛反発を示した。そしてミロシェビッチ大統領の即時退陣を要求すべく、国民にゼネストを呼びかけたのだ。かくして週明けの10月2日から、ユーゴ全土でのゼネストが実行に移された。
ゼネストってのはその昔日本でも占領時期にやろうとしてGHQに潰されたことがあるが、要するに全国のあらゆる職場で労働を放棄し、社会活動を麻痺させる究極の政治的ストライキである。これに呼応して各地の会社・工場・炭鉱・映画館・学校、はては道路までが閉鎖され、混乱が始まっている。もっともこの辺はいろいろと情報が流れていて、必ずしも全国民がゼネストに応じているわけでもなく野党側に不満を持つ人々もいるようだし、一方のミロシェビッチ支持側である軍や政府系マスコミにも亀裂が生じているとの話も出ている。
このゼネストによる退陣要求に対してミロシェビッチ大統領は「野党連合はNATOなど外国勢力の陰謀に加担している」とTVで演説、「野党が政権を握ればユーゴは崩壊、外国勢力の手に落ちる」とまで言って国民に「警告」を発していた。
とにかく現時点ではそんなところである。予断を許さない情勢であるが、正直なところNATO諸国はあまり深く首を突っ込まないで眺めていて欲しいな、と思うところ。
堅苦しい話が続いているので、ラストにくだけた話題でも(笑)。
時事通信が28日に流したネタだが、19世紀のセルビアにタラビッチ兄弟という予言者がいたという。別名「セルビアのノストラダムス」だそうな(笑)。この二人が口述した予言の中に「コシュトニジという男がセルビアを治め、国は栄え、豊かになる」というのがあって、これが例の舌噛みそうな野党連合の候補・コシュトニツァ氏が大統領になることを予言していたのではと話題になっているという。これだけならまぁ明るい予言なのだが、「その男が指導者になる前に強大な敵が立ちはだかり、流血の惨事が起きる」との予言もおまけでついており、なんだか出来過ぎていて怖い(^^;
)。その記事によるとセルビア民衆は予言好きで、この兄弟の予言が去年のNATOによる空爆も予言していたと騒ぎになっていたのだそうな。