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2000年10月29日

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 ◆今週の記事

◆森首相久々のヒット!
 
  「ノーベル失言賞」の有力候補と騒がれながら(笑)、このところ鳴りをひそめて日本中の失言ファンをやきもきさせていた森喜朗首相が久々のヒットを放ってくれた。これほど国民の期待(?)に応えていろいろやってくれる首相というのも貴重な存在かも知れない。

 久々のヒットは10月20日、韓国訪問中の森首相がブレア・イギリス首相と会談しているときに放たれた。北朝鮮の、いわゆる「日本人拉致問題」に関して、97年11月に森さん(当時は自民党総務会長)が団長として北朝鮮に赴いて交渉に当たった際に「行方不明者ということでいいから、北京やパリやバンコクにいたという方法もあるのではないか」と北朝鮮側に提案したことがあったと、森首相自らブレア首相にうち明けたのだ。これがこのあと公式にマスコミに流されてしまったために、大騒ぎに発展してしまったのである。この「失言」はいつの間にやら「第三国発言」などとネーミングされ、この春に誰かさんが発した発言とよく似た名称になってしまった(笑)。

 ところで僕自身はこの発言の内容についてはそれほど批判的ではない。正直なところ「そう言う方法もあるよな」という感想をまず抱いた。実は似たようなことは僕も以前考えたことがある。だって、拉致された人が北朝鮮国内にいるとして、あの北朝鮮が「はい、実は拉致していました」などとあっさり認めて帰還させてくれるなど、とても考えられるものではない。「行方不明者」として探し出してきて、「あれ、いつの間にこんなところに」なんて形で決着するのが落としどころになるんじゃないかと思ったものだ。もちろんその後あれこれと責任追及の動きなどが出てはくるだろうが、日本側としてはまず自国民の保護が至上命題なわけで、「名を捨てて実を取る」という形の決着は必ずしも下手な外交作戦ではない。むしろ変に「名」にこだわって数々の外交的失敗をやってきた日本にしてはえらく現実的なアイデアだったと思う(森さんが思いついたわけではないのだろうが)。もちろん「誘拐犯の罪は追及しないのか」という批判はあろうが、「実」を取ってからでも「名」を取ることはできますからね。 
 で、こうした日本側の要請に応える形で実際に「行方不明者」という形で北朝鮮側が国内を「捜索」したことはある。結局「いませんでした」と予想通りの解答が帰ってきたが。しかし、この「捜索」は「第三国発見方式」ではなかったわけで、日本側は今でも一縷の望みを託してこの「方式」案を捨てていないと言われる。

 もうすでにさんざんマスコミ等で言われているが、今回の「失言」でもっとも責められている点はその提案そのものではなく、それを一国の首相として他国の首相に軽々しくうち明けた上、それをアッサリとマスコミに流してしまった点にある。もちろんブレアさんに個人的に「そう言う話がある」とうち明けること自体は構わないと思うのだが、それを「極秘事項」として双方で扱うことを厳密にすべきだった。森さんはこの点でかなり軽々しくこの話題を口にしたんじゃないかと思われる。だからこそそれがそのまま「会談の内容」としてマスコミに発表されてしまった。
 森さんは「過去の話」のつもりだったのかもしれない。しかし「第三国発見」は前述のように依然として有効性のある解決策だったのだ。しかしもちろん極秘の、いわば「反則技」であり、公にしてしまったらそれまでである。二度とこの方法が使えなくなる可能性が高い。一部の人からは「拉致された人達の生命にも関わる」との指摘もある。あ、ついでに言えば北京とパリとバンコクに失礼との意見もある(笑)。「神の国」もそうだったが、森さんはその場その場のノリで深く考えずに物を口にする悪い癖があるな。

 発言に対する反応の大きさに驚いたか、この辺から森首相、そして相棒である中川忠直官房長官の迷走が始まった。まず当時この訪朝団の副団長で、類似の発言をしていた中山正暉氏がスケープゴートにされた。23日にこの「第三国発見」発言は「中山氏の私的な発言」と官房長官が発表したのだ。これを聞いた中山氏は「江戸時代みたいに腹を切らせる気か」と激怒し首相官邸に乗り込んで猛抗議を行った。いろいろと話を総合すると、当時中山氏は「理想としたら、日本で気が付いたら、家でテレビを見ていたら、そこにいたという形がいいんじゃないか。場所は中米でもアフリカでも、どこでもいいんだ」と言ったらしい(当時同行した田英夫氏が朝日新聞に証言)。しかも個人的発言ではなく、「団全体としての発言」のつもりだったようだ。それにしても家でテレビを見ていたらそこにいた…ってのもなんだか漫画みたいな話である(笑)。なお、中山氏は「具体的な国名は挙げていない」としている。この辺は田氏と森さんとどちらの記憶違いなのだろうか(発見場所の微妙な違いが面白いところだ)
 中山氏の猛抗議に、首相サイドは突然「申し訳なかった。あれは団としての発言だった」と認めてしまい、よけい泥沼にはまることになった。野党からは当然のごとく猛攻撃され(「非拘束」の件で大喧嘩の直後だけに)、自民党内、とくに非主流派や若手からも首相の「資格」を問う声があがった。しかし、どうにかこうにか切り抜ける…かに見えた。しかし今度は別の所に落とし穴が待っていたのであった。

 この大騒ぎのさなかに中川官房長官自身の「疑惑」が急浮上してきたのだ。新潮社の写真週刊誌「フォーカス」が先々週ぐらいから中川官房長官と右翼の会合写真や、「愛人?」と思われる女性が中川氏の自宅内にいる写真を載せ、激しく中川氏のスキャンダルを書き立てはじめた。当初「記憶にない」というおなじみの政治用語で切り抜けようと図った中川さんだったが、新潮社が「中川氏が愛人に警察の捜査情報を漏らしている電話」の録音テープなるものの公開に踏み切った。これがTVで流された途端、強気だった中川さんは一転して辞任を表明というあっけない結末となった。ご本人いわく「おぼろげにそんな話をした記憶もある」…この手の話にしては珍しくその会話を自分の物として認めてしまったのだった。会話の中身が中身だけに深く突っ込まれる前に辞任してしまったように見えなくもない。
 この一連の「疑惑」報道が流れてきた経路にはいろいろと謎めいた部分があるし、どこかの筋からの陰謀めいたものを感じなくもない。しかしやはりそうした「弱み」を握られていること自体「わきが甘い」と言われても仕方ないだろうなぁ。

影武者の末路 森さんは中川さんを「弟のように思っている」と言っていたそうだが、ホントにクローンみたいに体を構成する部品が瓜二つなお二人だった。官房長官の後任は一転して細目の福田康夫氏(森派)。あの自称「昭和の黄門」福田赳夫元首相のご長男である。こういう当たり障りの無さそうな人が選ばれたことで騒動はひとまず幕を引くかと思ったら、そうでもなかった。自民党の「影の実力者」とさんざん言われている野中広務幹事長がこの人事にかみついたのである。
 どうも当初官房長官の後任に、森さんは自分の派閥の会長で自民党議員にしては世間の人気もある「変人」(笑)・小泉純一郎氏を考えていたようだ。しかし小泉さんは断り(一部の噂だが、森さんとの「心中」を恐れたと言われる)、同じ派閥の福田さんを推薦した。これに対し最大派閥である橋本派の野中さんは自派閥の尾身孝次議員を後任に推していたようで、「小泉氏が私の影響力を恐れて一方的に決めた」と怒り狂っているのだ。森首相に「私を選ぶか、小泉氏を選ぶかだ」とまで迫ったそうで(ひょえー)、本当に怒り心頭らしいのである。まったくこのところの野中さんは何やら怒ってばかりいらっしゃるな。自民若手議員から「森辞めろ」コールが出てきたらやっぱり激怒していたし。その割にコロッと態度を変えるところもあって油断できないあたり、このマキャベリスト政治家の食えぬ所なのだが。

 このドタバタの最中、参議院の比例代表選挙の方式に「非拘束名簿方式」が導入されることが国会で可決された。参院の時点ではごり押しの与党に野党のボイコットとなかなか賑やかだったが、衆議院ではさしたる騒動もなしに通過してしまった。まぁ多数決で勝負が決まる以上、通ることは最初から目に見えていたのだが。
 この「非拘束名簿方式」というやつ、有名人が候補に立つと、その名前で集めた票がそのままその候補の所属する政党に流れるという仕掛けになっており、「票の横流し」などの批判があることはご承知の通り。僕などはむしろ来年の参院選にどういうお方が自民党に「客寄せ」候補として担ぎ出されるのか、楽しみにしている(^^)。早くも何人か噂はされてますけどねぇ…今の自民党じゃタレントさんが迷惑するだけじゃないのかな。
 



◆米朝小咄集

 米朝、米朝ってホントに最近の国際ニュースはどこかの寄席と化したかのようである(笑)。

 アメリカのオルブライト国務長官がついに平壌に降り立った。朝鮮戦争以来、「敵国」であり続けた両国が、一挙に和解に転じたわけだ。それにしてもついこの間までお互いにクソミソに言っていたのがウソみたいな話である。まぁ世の中変わるときは一気に変わってしまうものだ。とくにここ10年そういうのをやたらに見てきたなぁ。
 北朝鮮のこのところの積極外交には舌を巻く他はない。今までやってた「鎖国」体制はなんだったんだ、と思うほどだ。イギリス、ドイツ、スペインが相次いで国交樹立を表明し、フランスも慎重姿勢ではあるものの近い内の国交樹立は間違いなさそう。旧西側諸国の大親分であるアメリカがとうとう外交のトップを送り込んだことで、北朝鮮の「開国」は一気に完成の域に達してしまった(あくまで「外交」のレベルだけど)。つい先日に「身体検査騒動」があって一気に冷え込んだとか言われた米朝関係だが、そんなことすっかり忘れたようなオルブライトさんへの大歓迎ぶりだった。北朝鮮の名物・大マスゲームも披露してましたね。もっともワシントン・ポスト紙みたいに「独裁者と一緒にマスゲームをみるとは!」とかみついたマスコミもあるにはあったようだ。

 金正日総書記は金大中大統領との南北首脳会談の時並みに直接顔を出して大サービス。オルブライトさんをして「頭の回転の速い人物」と言わしめていたから、またまたやたらとしゃべりまくったのだろう(早口というのは頭の回転が速い人とも言われる…もちろん例外もあるが)。この両者の会談では「テロ支援国家」指定からの除外、ミサイルだか人工衛星だかの問題、そして日本人拉致疑惑問題などが話し合われたという(こういうあたりはアメリカの方がストレートに言えるよな)。オルブライトさんのコメントを見る限り、金正日総書記はかなり真剣にこれらの問題について議論をおこなったようだ。
 ところで面白かったのは会談後の夕食会における二人の個人的なやりとり。オルブライト長官が「いつでも私に電話して下さい」と金総書記に声をかけると、金さん、「あなたのEメールアドレスを教えて」とやり返したという(笑)。二人して米朝落語じゃなくて漫才をやってるみたいである。ところで北朝鮮のインターネットは海外に接続できないと聞いているのだが、やはり金さんだけは接続できるのか?
 金さんだけ、といえば同行していたCNNの記者の前で「CNN見てますよ」と言って記者を喜ばせていたそうな(天下のアメリカ人もこの手の話では単純に喜ぶな)。他にもノーベル平和賞を受賞した金大中大統領に触れ、「あの人は死刑判決を受けるなど劇的な人生を送っている。映画にするとよいのではないか」とコメントしたそうな。良く知られているように金正日さんは稀代の映画マニア。金大中さん当人も「あの人は映画好きだから…」と苦笑していたそうである。いっそ北朝鮮で金大中大統領の伝記映画を製作するってのはどうですかね(以前「光州事件」の映画を製作したことはあるらしい)。まぁどうやらノーベル平和賞で無視された件のご機嫌は直っておられるようである。
 
   しかし良い話ばかりでもない。この訪朝団に同行した女性記者が、あの北朝鮮のシンボルとも言える金日成の巨大銅像の前で、あの右手を挙げたポーズをマネして記念撮影をしようとしたら、北朝鮮側の案内人に「ストップ!」と止められたという。アメリカ人らしい気軽なシャレのつもりだったのだろうが、北朝鮮の国民にしてみればまさにあれは国のシンボルであり、聖地とも言える。そこで軽率な行動をしたとは言えるでしょうね。ま、このあたりはまだまだ完全に自由とはいかないようで。

 ところで前述のように北朝鮮は「テロ支援国家」扱いをやめてくれるようアメリカ側に要請している。アメリカ側はその条件として、1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」の犯人である元赤軍派のメンバー(もちろん全員日本人である)を北朝鮮国内から追放することを要求している。これがどうなるか日本人としても注目どころだったのだが、どうやら流れは「国外追放」に向かいつつあるように感じられる。いちおう現時点でも北朝鮮側は彼らの国外追放を否定しているが、その妻子たちの日本への帰国手続きの開始を求める動きがあるという。「大事の前の小事」扱いされる可能性は大きいだろう。

 ところでボチボチ「米朝」に続いて「日朝」の交渉が中国で始まるのだが、ついさきほど見た報道によると、北朝鮮側の大使が「日本は混乱しているが、我々は混乱していない」とコメントしたそうである。はぁ。



◆あの男が帰ってきた…
 
 10月23日、あの男が一ヶ月ぶりにペルーに帰ってきた。そう、あの「ペルーのラスプーチン」ことウラジミロ・モンテシノス元国家情報局顧問その人である。ペルーの騒動の発端となった「影の実力者」その人が帰って来ちゃったのである!さあ大変!(←ひそかに喜んでる?)

 9月24日付「史点」で書いたように、一ヶ月前にモンテシノス氏は混乱するペルーを逃れて(というか恐らく体よく追い出されて)パナマへと向かった。パナマはこれまでアメリカの保護国みたいなところだったから、何かと亡命者の受け入れ先として重宝されていたわけだが、政権も変わって風向きが変わったのか、結局パナマはモンテシノス氏の受け入れを「拒否」した。モンテシノスさん、やむなくエクアドルに向かった…と思ったら、そこを経由してペルーへと戻ってきてしまったのだ。
 当然ながらこの問題の人物の帰国に野党側、そして米州機構も非難の声を上げた。政権内でも清廉で知られた副大統領が抗議して辞職してしまう。普通に考えればフジモリ大統領がこの帰国になんらかの関与をしているとしか思えないもんな。一部の報道ではあるが、エクアドルにいる段階でフジモリ大統領が「帰ってくるな」と言ったのにモンテシノス氏が強引に帰国を希望したとか、帰国した直後のモンテシノス氏にフジモリ大統領自ら空港に面会に行ったとの情報も出ている。しかし、いちおうフジモリ政権はこの帰国にはノータッチであるという態度を示した。
 ところが、ところが。当のモンテシノス氏がラジオに生出演してしまい、「この帰国にはフジモリ大統領とパナマ駐在ペルー大使のはからいがあった」と暴露してしまったのだ。しかも帰国の際に使用した小型飛行機も大統領と大使が提供したものだったとしている。また、モンテシノス氏は帰国の理由を「パナマでは殺される可能性があったからであって、別に国を不安定化させたり民主主義を脅かそうというわけではない」と説明しているという。なんだか「ゴルゴ13」の世界である。

 この発言でフジモリ大統領への「疑念」と「批判」が一気に高まった。それに慌てたのかどうか…25日にフジモリ大統領はついに「モンテシノス逮捕」の決断を下した。しかしこの時点でモンテシノス氏は行方をくらましており、フジモリ大統領自ら陣頭指揮のもとでの捕縛大作戦にも関わらず、この文を書いている29日の段階でもまだモンテシノス氏の身柄は拘束されていない。どこまで本気でやってるのか分からないんだけど、少なくともフジモリさんが陣頭指揮をしている様子がやたらにTVに映るあたり、「政治的演出」と言われても仕方のない大捕物と言えるだろう。
 この大捕物と同時進行で軍部の大整理が進行している。以前にも書いたように、モンテシノス氏は軍部にもかなりの影響力を持っており、先日のパナマへの亡命騒動の折りにも「クーデター」の危険性がかなり指摘されていた。今回はその時以上に危険な状況であると言え、フジモリ大統領は早急に「モンテシノス派」といわれる幹部軍人の退役を命じ、軍と国家警察に「禁足令」を発している。ついさきほどネットで見た情報によると陸海空三軍の司令官が一度に解任されたという。一歩間違えればかなり危険な状態であることがひしひしと感じられる。フジモリさんもそう思っているからこそ驚くほど手早く動きまわっているのだろうが…ほんと、一寸先は闇である。
 



◆大統領はギャンブル漬け?

 「大統領」つながり、ということで。今度はフィリピンの大統領のお話。
 フィリピンの現在の大統領はエストラダさんという。元映画スターで先の大統領選で庶民人気を背景に圧倒的優勢で大統領に当選した、いわばタレント大統領である(その支持率は一時80%に達したという)。しかし僕などは就任直後からどうもこの人には「品」というものが感じられないな、と思っていたものである。そしたらここに来て、出るわ、出るわ、スキャンダルネタが。

 そもそものキッカケは違法である「フエテンとばく」の上納金約4億ペソを大統領らが献金として受け取っていたと、南イロコス州のルイス=シンソン知事が暴露したことだった。実はこのシンソン知事自身が「フエテンとばく」の元締めなんだそうで(笑)、事情はかなり複雑というか、分け入っても分け入っても深い闇(笑)。シンソン知事はこの暴露の理由を「大統領が国が財政赤字にも関わらず公営とばくを拡大しているため、ギャンブルの元締めである自身の実入りが少なくなる恐れがあり、大統領に直言したが受け入れてもらえなかったから」とハッキリ言っており、この騒動の背景にギャンブルをめぐ利害対立があることを認めている。正直者というか何というか(^^; )。大統領側もシンソン知事の不正を暴き立てて対抗しているが、相手も「確信犯」である以上、負けてはいないようだ。

 この「疑惑」をうけてフィリピンの議会では大統領に対する弾劾審議が始まり、かつての「革命」の英雄・コラソン=アキノ元大統領らも「愛国心の示し方には辞職という方法もある」などとエストラダ大統領の辞任を要求しはじめた。野党幹部なんて早くも「マルコス政権を倒した精神が息づいていることを示せ」とブチ上げているそうな(実際かなりの規模の民衆デモが行われていた)。エストラダ大統領はTV演説で涙ながらに無実を訴えたりしたのだが…疑惑はこれだけにとどまらなかった。
 23日にはエストラダ大統領がマニラの高級住宅街に約24億円相当の土地と豪邸を隠し持っていたことが暴露された。また始末の悪いことにこれら隠し資産の豪邸は大統領の友人の企業経営者らの名義になっているのだが、実際に住んでいるのは大統領の愛人達(複数形である)だった。しかもどうもこれらの物件、その「フエテンとばく」の上納金で購入されたもののようなのだ。もうグチャグチャである。
 さらにエストラダ大統領邸での深夜マージャンとばくの疑惑も持ち上がっている。いや、個人的に友人達とマージャンとばくにふけっていること自体はそう大した罪とも思わないが、その額が半端ではない。正確なところは忘れたが、どうも億、兆といったまさに国家予算級の額が一晩にやりとりされていたようで、参加者に破産者が出てきてため中止に追い込まれた(笑)などと言う恐ろしい話なのである。エストラダさん、自分が勝つまでは絶対にやめないんだそうで…(汗)。
 このスキャンダルのおかげでフィリピンの政界だけでなく経済にも影響が出始めているという。通貨ペソは年末に向けて外国からの出稼ぎ送金で上昇する傾向があるはずなのに、どんどん価値が下がって今年の最安値をつけてしまったという。あんなマージャンじゃ、国家規模の通貨危機が起こりそうな気は確かにするが(笑)。

 この事態に「大統領選の繰り上げ実施」というアイデアも上がってきており、どうもエストラダさんも乗り気の様子を示しているという。今なお元スター俳優として庶民の人気があるから、また再選されるという自信もあるようだ。
 ところで一方、不気味な話も入ってきている。騒動の発端となったルイス=シンソン知事の長男リチャード氏(35)が21日から行方不明になっているというのである!シンソン知事は「告発をやめなければ息子を殺す」という脅迫電話を受けたと明らかにしており、かなり怖い展開になりつつある。さて、どういうことになるんでしょう…。



◆なぜかエジプトネタ三題
 
 中東のはなしとなると、今なおパレスチナで流血騒動が続き、なかなか沈静化しないわけですが…現時点ではもう触れるのもやんなっちゃうぐらいだし、これといって劇的な展開も見えてこない。そんなわけで中東の太古のロマンに現実逃避してしまおう(^^; )。今週は妙にエジプト古代にまつわる発見報道が多かった。
 
 まず、アメリカのチームが調査していた今から5000年前の墳墓群から、「木造船」の遺構が発見された。この木造船は全長23メートル、幅2メートル、深さ75pという規模のもので、どうやらレバノン杉を素材にしたものであったらしい。墓からなんで木造船が出てくるのか、というとこれはレッキとした副葬品であったようなのだ。エジプトのファラオが死後、来世に旅立つために「太陽の船」に乗るという信仰があったが、どうもこの船はその「太陽の船」なのではないかと見られているという。これまでに見つかったエジプト最古の船は4500年ほど前のもので、5世紀もさかのぼる発見だったわけだ。
 調査チームによるとこの発見は二つのことを同時に意味しているという。一つは「太陽の船」という概念がエジプトの初期王朝時代から存在していたことの証明。そしてもう一つはこうした船が当時すでに存在していて、当然埋葬品としてではなく実際に交易に使用されていたという可能性が高くなったことだ。輸入木材が使われていることでも分かるが、エジプト人達もかなり早期から広い範囲に交易活動を展開していたようなんだよね。

 さて、続いては確かにエジプトネタなんだけど、なぜか舞台はパキスタン。
 パキスタンの警察当局が10月26日、故売商グループが絡む殺人事件の捜査過程で押収した女性のミイラを公開した。このミイラ、黄金の装飾品を身につけており、ミイラの様式からの判断で、どうやら2600年ほど前のエジプトでミイラ化されたものであるらしい。しかもこのミイラには古代ペルシャの文字が書かれていた。専門家の推測では、紀元前600年頃にエジプトの王女がペルシャに嫁ぎ、そこで亡くなってエジプトに遺体を送ってミイラ化し(エジプト人の強い来世信仰からいえば確かにやりそうだ)、ペルシャに送り返されたのではないかという。ほんと、いろいろと想像力を膨らませてしまう発見である。ちなみにこのミイラのお値段は1億円はくだらないと言われる(最後に生臭くしてすいません)

 同じ26日。今度はドイツはベルリン博物館が一つのパピルス文書を公開した。紀元前33年に書かれたとみられる文書で、「ローマの軍人カニディウスに便宜を図り、大量の麦やワインの輸出入などに関する免税措置を与える」という内容が書かれていた。そして注目されたのはこの文書の右下にギリシャ語で「そのようにはからえ」という文が書いてあったことだ。この内容、時期、そして「そのようにはからえ」などとサインできる人物とは…そう、当時のエジプト女王、クレオパトラに違いないというのだ!ほんとかどうかはまだ議論があるだろうが、クレオパトラの「直筆」だとすると…いやほんと、歴史のロマンであります(笑)。
 歴史上もっとも有名な女性であるクレオパトラについては解説の必要はないだろう。この時期、クレオパトラはカエサル暗殺ののち、その後継者を目指すアントニウスとくっついていた。そしてそのアントニウスのライバルとしてカエサルの養子でありやはりカエサルの後継者を自認していたオクタヴィアヌスとの対立が高まりつつあった頃だ。この文書の内容は、そんな情勢の中でそのカニディウス将軍を自分達の味方に付けようと画策したものではないかと推測されている。この2年後、紀元前31年にあのアクティウムの海戦が行われ、アントニウスとクレオパトラの連合軍はオクタヴィアヌス軍に大敗。二人とも破滅の道を歩むことになる。オクタヴィアヌスはもちろんローマ帝国初代皇帝・アウグストゥスとなる人物だ。

 こうした歴史上の個人が残した文書を読むときの面白さは、それを書いた時点では書いた本人はもちろんその後の自分の運命を知らず、我々はそれを知って読んでいるところだろう。「史点」のテーマでもあるのだが、「歴史」は現在進行形。僕などがこうして毎週のようにあーだこーだと書き飛ばしていることも、数百年ぐらいたったら存外面白い歴史ドラマの一部になっているのかもれない。


2000/10/29記

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