ニュースな
2000年11月5日

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 ◆今週の記事

◆反乱、反乱!
 
 「ペルーのラスプーチン」ことモンテシノス元国家情報局顧問が、「亡命」していたパナマからまさかの帰国を果たしてしまい、ペルーが大揺れになっていることは先週書いたとおり。帰国したモンテシノス氏はラジオ番組に出演して発言を行ったりしているが、依然としてその所在は不明のままだ。フジモリ大統領は自ら陣頭指揮をとってモンテシノス氏の「逮捕」に全力をあげている様子だが、なぜか未だに捕まったというニュースが入らない。しかもフジモリ政権が遅ればせながらモンテシノス氏の「逮捕状」をとったと発表したら法務省が「それはウチの管轄であり、そんなことは認めていない」と声明し、政府内部でも混乱を来している様子がうかがえる。軍内部のモンテシノス派による「クーデター」の噂もチラホラ聞こえてくるが、これについてはフジモリ大統領がモンテシノス派の司令官を急遽更迭したことで一応の危険は回避したようだ。もちろんモンテシノス氏の行方が分からない以上、これからどうなるかは分からないが…。

 などと思っていたところへ、ついに「反乱」が発生したとの一報が入った。10月29日、ペルー南部の鉱山の町トケバラというところで、兵士たちが「反フジモリ」を旗印に反乱を起こしたのだ。もっとも「反フジモリ」であると同時に「反モンテシノス」でもあったようで、「この二人がペルー混乱の元凶だ」と非難し、この二人の責任を問うための「反乱」という性格のものだった。しかも「反乱軍」は中堅の将校に率いられたわずか約50人の兵士達。司令官や鉱山労働者を人質にとって行動を起こしたが、国軍で他に呼応する者もなく、あっさり孤立化して翌日にはほとんどの兵士が投降してしまった。とりあえず反フジモリの軍内部の動きはこの程度で済んでしまうようだ。

 ところでその数日後、ペルーから離れたところでもやはり小規模な「反乱」が起きていた。ひところ今年の「史点」をにぎわせた南国の島国・フィジーが久々に登場である。8月1日に「国会占拠事件」騒動の黒幕・ジョージ=スペイト氏逮捕の記事を載っけてからですな。
 11月2日、フィジーの首都スバ郊外にある軍司令部の兵舎を、軍の特殊部隊隊員約30名が襲撃した。兵舎にいた兵士達と銃撃戦となり、襲われた側が二名の死者、10名の負傷者を出し、特殊部隊員らは生き残った兵士達を人質に兵舎を占拠した。これと同時に同じ特殊部隊員らがバイニマラマ軍司令官自宅周辺を襲撃し死傷者を出していた。バイニマラマ司令官といえば、5月に発生した「国会占拠事件」の収拾を図るために一時的に大統領から政権を委譲された(あるいは奪い取った)人物だ。特殊部隊側はこの人物の身柄の拘束を図ったようだが、バイニマラマ司令官はまんまと脱出に成功している。

 そのころになってくるとこの「反乱軍」の正体がだいたい判明してきた。スペイト氏寄りと言われる国軍内部の「対革命戦争部隊」という何やら不思議な名前の特殊部隊を中心とする連中だったのだ。この反乱はあの国会占拠事件の首謀者として8月初めにドンデン返しで逮捕されたスペイト氏の釈放を要求するための行動だったと思われる。
 しかしせいぜい数十名で起こした反乱、二日の深夜にはほぼ「鎮圧」されてしまうことになった。未確認ながら反乱軍のうち少なくとも5人が死亡、鎮圧した国軍側も3名の死者を出したという。「国会占拠事件」の騒動発生から最多の犠牲者を出すことになってしまったのだ。
  そもそもこの騒動はインド系住民とフィジー系住民の対立に端を発していたっけ。8月に「これで丸く収まると良いんですけどねぇ」とここで書いているのだが、同じ言葉を今回も繰り返すことになっちゃったようだ。
 



◆嵐を呼ぶ台湾政界
 
   今年の春に民進党の陳水扁総統が誕生し、半世紀以上続いた国民党政権が倒れるという大変革があった台湾。しかし当初から少数与党である陳政権の前途多難は予測されていた。ここに来て陳総統は最大のピンチを迎えている。下手するとまた総統選ということになっちゃうのかもしれない。

 そもそもこの「危機」のキッカケは「第四原子力発電所」の建設中止を陳総統が決定したことにあった。民進党といえば「台湾独立」を綱領に掲げていることで良く知られるが、ヨーロッパ流の環境保護政策の傾向も強いようで、以前から「脱原発」の姿勢をとっていたらしい。少し前からこの台湾の「第四の原発」建設の中止計画が政治問題化しつつあることは耳に入っていたのだが、ここに来て陳総統が「建設中止」を明確に打ち出したことで、この問題は一気に台湾政界のみならず経済界も巻き込む大騒動に発展しちまったのである。
 経済界は当然がらエネルギー供給源として新原発を求めているわけだが、それだけでなく建設に絡んだ利権の構造がやはりあるようで、原発建設中止には強く反対している。実は日本の大企業もいくつかこの原発建設には関わっており、あんまり他人事ではないところもある。

 この事態に民進党以外の二大野党、つまりもともと一つの「国民党」から総統選挙前に分裂していた「国民党(連戦主席)「親民党(宋楚瑜主席)の二つが旧怨を棚上げして手を組み始めた。国民党内の内省人(台湾出身者)と外省人(蒋介石とともに来た大陸出身者)の対立から分裂したとも言われるこの二党だが、この分裂が陳水扁さんに「漁夫の利」をもたらして総統当選に導いた経緯がある。それを反省してかどうか、とりあえずこの二党は「反陳総統」で一致し接近を図りつつあるようだ。分裂した経緯はともかく、もと政権党ということもあって今なお経済界との結びつきは強く(それがあまりに強すぎて金権体質を生んだから批判票が民進党にいったわけだが)、やっぱり原発推進の姿勢をとるんでしょうね。

 かくして「反陳」で連携を組んだ二野党、国会では当然がら圧倒的多数派ということになる(ほかにもう一つ野党がある)。それを最大限に利用して来年度の予算審議を「無期延期」にする決議をして事実上のボイコットに追い込むなど、陳政権にほとんど嫌がらせとも思える圧迫をかけ始めた。おまけに陳総統本人を「罷免」するという究極の作戦にまで乗り出し始めているとのこと。
 総統の罷免は、まず国会議員の3分の2以上の賛成を得て発議し、住民投票(というか要するに国民投票である)で過半数の賛成を得れば実現してしまう。日本の憲法改正の手続きと似てますね。ただしいまだに「住民投票」なるものをやったことはなく(だいたい民主的総統選びが実現したのだってつい最近の話だ)、法整備がなされていないので、それらの整備も同時進行で進めようということらしい。

 下手すると陳総統、就任一年も経たない内にまさかの「罷免」という事態も起こりうるのだ。少なくとも数の上では国会内での罷免決議は充分に可能な情勢だ。11月3日にも罷免案を国会に出す予定だったが、ちょうど来た台風で被害があったためにひとまずの延期となっている。まぁそれにしても手段を選んでいないと言うか何と言うか。陳政権側は、国民党時代の軍艦購入をめぐる汚職事件の調査を進めて旧国民党勢力の「金権腐敗」を国民に訴えることで反撃しているようだが…。いちおう国内の環境団体・反核団体などは陳水扁総統に味方して必死の支援運動を行っているとのこと。
 台湾、といえば大陸中国との関係ばかりが何かと話題になるが、自らの内部にもかなりの不安定要素を抱えているわけですなぁ。これもしばらく注目ですね。



◆モナコ大公激怒す
 
  モナコ公国、という小国がヨーロッパはフランスの体内にある。よく言う例えだが、日本なら江戸時代の大名家とその藩がそのまま残っちゃっているようなものだ。もっとも「藩」といっても面積は1.95平方キロ。あのバチカン市国に次ぐ二番目に小さい国である。バチカン市国は「国」というより大寺院の境内みたいなもんだから、モナコ公国の方がなまじまともな「国」であるぶん、その小ささが際だつ。それでも人口3万人はいるというから、日本の首都圏近郊の小都市みたいなもんなのかな。
 モナコの経済はほとんど観光業で成り立っている。F1などのレースがこの国の市街地(といっても領土はほぼその市街地だけなのだろうが)をそのままコースにして行われることでも有名だ。F1のPCゲームなどで僕もこの町をしょっちゅう走っている(笑)。町の公道をそのままコースにしているから、ここで走るともうムチャクチャに激突しまくりである(^^; )。

 さて、この国の元首は「王」ではなく「大公」と呼ばれる。現在のモナコ大公はレーニエ3世というお方で、1949年に即位して現在に至る。そう、あの一時代を築いたハリウッド女優グレース=ケリーを大公妃に迎えたことでも有名だ(ただしこの大公妃はいささか謎めいた事故死を遂げてしまった)。このレーニエ3世が先日、フランス政府に対し激怒の表明をして、フランス側を慌てさせているのだ。
 レーニエ大公が激怒したのは、さきごろフランス政府がヨーロッパ中の闇ガネの浄化、いわゆる「マネーロンダリング」の恰好の標的となっているとしてモナコの金融界を名指ししたことにあった。この事自体はモナコという国の特殊な事情も考えると十分ありえることだと僕も思うのだけれど、名指しされた国の元首としては激怒するのも無理はないところ。レーニエ大公、怒りの余り「フランスとの関係を見直すかもしれん」などとのたまいだしたのだ。

 何のことかというと、「モナコ公国」という国は地理上のことだけではなく、政治的にもフランスの体内に含まれる形をとっているのだ。1918年(要するに第一次大戦終了後かな)に「フランス・モナコ条約」なるものが締結され、それ以来両国の密接な関係が決められている。まずモナコ大公の地位はフランス政府の承認を得た者でなければならず、また「お世継ぎ」がいなくなった時点でフランスへの併合が運命付けられている。外交、国防は完全にフランスが代行することになっており、内政でも公務員や各種顧問がフランスから送り込まれる。公用語も通貨もフランスと完全に一緒。郵便切手だけは独自に発行(これは収入になりますからな)。とまぁ、とにかく完全に「フランスの一部」と言われても仕方のない国であるわけだ。それでも1993年に国連にも独自に加盟しているレッキとした独立国なのだ。

 モナコ大公は「フランス政府がウチをあまりいじめるようなら、送り込んできている公務員などには帰っていただいても良い」などと言い出しているそうな。もちろんそれほど本気の発言ではないのだろうが、フランス政府はそれなりに慌てて大公のなだめにかかっているらしい。
 



◆魔が差した…?

 「史点」にしては珍しく速報性の高いネタである。まぁちょうどもう一つインパクトのあるネタがないなぁ、などと思っていたら今朝いきなりこのニュースを知ったわけだ。

 宮城県築館町(ちなみに…筆者の「先祖代々の地」はここから非常に近いのです)の上高森遺跡で60万年前の「原人段階の住居跡」が見つかり、これが先日騒がれた「秩父原人」の住居跡を抜いて「日本最古(と同時に世界最古)の住居跡」と発表されたのは先々週のことだった。実は前回の「史点」ネタの有力候補の一つとなっていたのだが、何となく外していた。別に予感があったわけではもちろん無い。たぶんイラスト描くのに手間をとられて、こいつを取り上げる気が失せただけなのだ(笑)。
 ただ、「あと知恵」と思われることを覚悟で言うが、この「住居発見」の報道時に「一緒に穴から出てきた石器」の映像がTVに映ったとき、僕は「はて?」と疑問を感じてはいたのだ。むろん、僕は史学科とはいえ考古学の専門知識はまるでなく(子どもの時に野尻湖発掘は行ったんですが)、見た瞬間に石器の鑑定などできるわけはない。ただ、「石器が綺麗すぎる」とは思ったのだ。そして「掘り出してから洗ってそこに報道向けに再現してみせたんだろう」と解釈していた。いや、もちろんあの映像はその通りなのだと思うが、それにしても今思えばやはり綺麗すぎたのだ。
 そんなことをチラとは思っていたから、今朝のニュースを聞いたとき「ああ…なるほど」と意外に素直に受け止めることができた。

 11月5日、早朝から記者会見が行われ、民間団体「東北旧石器文化研究所」の副理事長でこの調査団の団長を務めていた人物が、これらの石器を自分で埋めて「発見」を捏造したことを告白した。なんでこんな朝っぱらから、と思ったら、今朝の朝刊で毎日新聞がスクープしたのだった。なんでもこの人物が石器を埋める場面を収録したビデオ映像を入手したそうな。とすると、調査団内ですでに「疑惑」があったということなのだろう。実際この人、この前に発掘した北海道の旧石器時代の遺跡でも「石器発見の捏造」をしていたことを認めている。いちおう本人はこの二件のみの捏造を認めているわけだが、それ以外のこの人の業績全体に不信の目が向けられることは避けられないだろう。なんでもこの人は「神の手」などと異名をとるほど多くの発見をしていたと報じられているが、その「神の手」の異名は実は全く別の意味であった憶測も呼ばざるを得ない。それと、捏造工作をする際に発掘現場に自分で穴を掘って埋め、その後足で踏み固めたなんてのを聞くと、どうも発掘に対する日ごろの姿勢自体にかなり乱暴なところがあったのではないかという気がしちゃいますね、僕などには。

 会見でこの人は「何かすごい発見をしなければならないというプレッシャーを強く感じていた。この2、3カ月は特につらくて、魔がさしてしまった」と白状していた。わからないではない。やはり先日の「秩父原人」の一件がプレッシャーとなっていたようなのだ。「住居跡」で最古を抜き去っただけでは飽きたらず、「何かモノが出ないか」と思う余り、「発見」を作り上げてしまったというのだ。学者(いちおうこの方はアマチュアであるが)でも功名心というものはある。文書資料を相手にしている僕などにはもともと不可能であるが(倭寇自身が書いた史料とか捏造したい気分には時折かられるけどね(笑))、一見しただけでは何ともいえない事が多い考古学の世界では「魔が差す」ことは往々にしてありそうな気もする。まして前期旧石器時代なんて余りにも古い話となると…。捏造とはちょっと異なるが、現代人の落書きを「洞窟壁画」として発表しちゃったという故事もあるんだよね。

 とりあえず現時点ではこの人が関わった石器のみが問題とされているが、僕などは正直なところ「住居跡」など、近ごろの「大発見」そのものに再検討を加える必要を強く感じる。旧石器時代の考古学界も今度の事件に強い衝撃を受けているようで(といってもまだ一日経ってないので波紋の広がりはこれからだろうが)、現在の遺跡発掘の在り方に対する見直しを迫られることになるだろう。とりあえず第三者に現場を調べさせるシステムの必要は強く感じますね。


2000/11/5記

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