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2000年11月12日

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 ◆今週の記事

◆「革命の闘士」の帰国
 
 「日本赤軍の幹部・重信房子を大阪府内で逮捕」

 こんなニュース速報が、アメリカ大統領選の行方を報じるTVの画面に映された。緊迫する大統領選の開票状況をフッ飛ばすほど日本ではインパクトのあるニュースと言えた。そして僕自身も、「おおっ!!」と大きな衝撃を受けたものだ。その衝撃度ってのはちょいと個人的な理由も絡んでいる。実を言えば、僕と重信房子容疑者とは、個人的にいささか縁があったのである。

 などと書くと、「こいつはサヨク闘士か!」などと騒ぐ人が出そうだが(笑)、もちろんそんなことではない。僕にとって重信容疑者は「知り合いの知り合い」ぐらいの関係なのだ。まぁ向こうはこっちのことなど知らんだろうが(笑)。ただ、僕がもし彼女の前で本名を名乗ったら「あっ」というぐらいは言ってくれるかも知れないな。彼女の記憶力の問題もあるが(しかも海外で長らく「闘争生活」を送っていたわけだし)、こちとらの本名の姓はかなり珍しいものなので、たぶん記憶の片隅ぐらいにはあるんじゃないかと思う。先ほど「知り合いの知り合い」と書いたが、彼女と僕のの間に立つ「知り合い」とは他でもない、それは僕の両親なのである。
 などと書くと、「こいつの親はサヨク闘士か!」などと騒ぐ人が出そうだが(笑)、もちろんこれまた的外れである。単に「大学で同じクラスにいました」ということなのだ。なーんだ、と拍子抜けした方も多いかも知れないが、両親ともに重信容疑者のことをよく記憶していて、昔から「イヤな女だった」などと聞かされていたものだ(^^; )。クラス中の男性に過激派活動への勧誘をしていたそうで(当時のことだから大学には女性が少なかったことを考慮しよう)、僕の父も声ぐらいはかけられている。僕の母はそれもあって個人的に重信さんに良い感情を持っていなかったようで、彼女のことが報道され写真が出るたびに「いつまでも若いときの写真ばかり出して!」などと妙な怒りの声を上げていたものだ(爆)。この点については今度の逮捕でかなり溜飲を下げている様子である。
 ちなみに…重信房子容疑者が在籍していたのは明治大学文学部史学地理学科(ただし夜間部)。日本史専攻だったそうだ。ついでながら僕の父はこの学科で東洋史、母は日本史を専攻しており、そして僕自身はここを受験はしたものの見事に落ちている(笑)。まぁとにかくそんなわけで結構「重信房子」という名前には個人的に馴染みがあったわけですな。

 重信容疑者と僕の両親が大学にいた時代というのは学生運動が最後の盛り上がりを見せていた頃だと言える。当時の雰囲気は「デモに参加しないものは学生にあらず」というものだった。親から聞いた話だが「革命がまもなく起こる」と真顔でいう普通の若者も少なくなかったという。しかし僕の親も学生運動に参加はしながらも結構冷めていたようで、ぼちぼち学生運動自体が尻すぼみの傾向を見せていたわけだ。重信房子自身はこの時期に極左の過激派「赤軍派」に参加し、その幹部となっていく。この赤軍派の一部は国内での武装闘争に走り、あの「あさま山荘事件」へと凄惨な道を突き進んでいったが(「よど号」を乗っ取って北朝鮮へ行ったのもいたな)、重信らは1971年に「日本赤軍(JRA)」を結成して海外に拠点を求めていずれ日本で革命を起こすという路線をとった。そして中東のパレスチナ解放運動と結びついて数々のテロ事件を起こして行くわけだ。

 この日本赤軍の事情については今年の三月にも「史点」ネタにしているのでくどい繰り返しは避けたい。80年代までは世界各地で大暴れした日本赤軍だったが、90年代に入ると東西冷戦の終結、中東和平の進展(まぁちょいとこのところドタバタもやってはいるが)により、彼らは「アラブの英雄」から一転して厄介者扱いされ始めていた。そして新たな活動拠点を求めてウロウロしているうちに南米やネパールなどであいついで幹部が逮捕され、中東で服役していた数名も日本へ送還…というのが現在の状況というわけだ。そして今回、その最大の大物とも言える重信房子幹部がとっつかまった。しかも大阪で、とは日本中誰もがビックリしたに違いない。
 報道などによると、どうもここ数年、彼女は日本にも数回出入りし(偽造パスポートで。意外に簡単なものらしい)、北京にも行って、北朝鮮にいる「よど号グループ」とも接触を図ろうとしていたという(このグループも送還される可能性が高まってきてるな)。まぁどっちにしても行き場が無くなって追いつめられ、結局自国に帰ってくるしか無かったということなんだろう。

 逮捕され、新幹線で東京へ送られる重信容疑者は、テレビや野次馬に向かって、まるで芸能人みたいに振る舞っているように見えた。その口から出るセリフも「残念だけど」「戦う」「がんばる」とか、ほとんどファン向けの挨拶みたいだった(追いかけるTVリポーターも「重信さーん、何か一言!」とか言ってたっけな)。強がりなのか、それともいまだ時代錯誤の中にあるのか。どっちにしてももの凄く老けたことだけはよく分かる。僕の両親もTVに映る彼女の顔をマジマジと見て「街ですれ違ってもわからないよなぁ」と感慨深げであった。

 以上、なんだか偉く個人的な視点からの「史点」記事でございました。



◆旧石器捏造騒動余波
 
 先週の朝に飛び込んできたこのニュース、前回の「史点」ネタにいきなり採り上げられたわけだが、そこでの予想通り日を追うごとにその余波は広がってきている。この一週間、さまざまなマスコミでこの話題が延々ととり上げられたし、僕も行く先々でこの話題をいろんな人と話していた(史学科ということもありますので)。単に考古学業界にはとどまらない大スキャンダルとして世界的にも話題になったようだ。まぁこの人の一連の「発見」自体が人類全体に関わるものが多かったせいもあるのだが…。

 この一週間の騒ぎで、僕が前回「史点」でこの話題を書いたときよりこの問題について多くの知識を得ることができた。そこでまず知ったのは以前からあの藤村新一氏の神がかり的な「発見」に強い疑念を持ち、批判をしていた人はそれなりにはいたということだ。インターネットでそれらを掲示していた人もいる。これらの人々の発覚以前からの批判を見聞きした限り、自分でも「あと知恵」とは思いつつ「そりゃーいくらなんでもあやしいわな」と思うばかりだった。藤村氏の過去の一連の「大発見」とそれにまつわる「神話」の数々も聞けば聞くほど怪しさがつきまとってくる。刊行が開始されたばかりの講談社「日本の歴史」シリーズの第一巻「縄文の生活誌」の冒頭にいきなりこの藤村氏の「神業」が発揮されている描写があるが、これとても今となってははなはだ怪しげな場面と受け止めるしかないだろう。
 次々と起こる「奇跡的な発見」も今となってみれば充分に怪しいものだが、発見される石器自体についても以前から技術的に前期旧石器にしては高度すぎるなど疑問があがってはいた。しかもそれが50万、60万、70万とドンドン古い年代へとさかのぼった地層から発見されるようになると、「まるでオーパーツだ」という声まで出ていたのだ。
 しかしやはりそれが「大きな声」にならなかったことは事実として認めねばならないだろう。これについては学界、そして発見を期待するマスコミや自治体、社会全体がそうした声になかなか耳を貸さなかったことを反省しなければならない(僕だってあと一歩で「史点」ネタにするところだった)。今後これを教訓として慎重な発掘・研究体制ができるのであればこれはこれで喜ばしいことと言って良いだろう。まずはこの人が関わっていた発掘全体の再調査でしょうね。大変だろうけど。

 さて、この一件は全世界にも大事件として広がったわけだが、近いところからは予想通りの反応が出てきた。内心これを恐れてはいたんだよなぁ。
 お隣韓国ではマスコミでこの事件を大きく取り上げ、「日本人は自国の歴史の古くすること自尊心を満足させようとしている。それがこの事件の背景にある」と、大ざっぱに言えばそういう論調でやっているそうだ。中には最近の日本国内の一部に見える右傾化、とくに歴史教科書改造運動の問題と絡めて、そうした動きがこの事件を引き起こしたとまで断言する論調もあるという。僕もこういう反応をするだろうなぁとは予想はしていたが…まぁお隣さんのチョンボというのは自尊心を満足させるものですし(笑)。
 藤村さんの「捏造」自体は個人プレーの域を出るものではないだろう。ただ、その結果「歴史が古くなる」ことでその方面の方々も含めて日本人が妙に喜んだというのは事実だ。もっとも、これは別に日本人に限った特殊な現象ではないですしね。

 中国でも一部で似たようなからかい半分というか皮肉を込めたというかそういう報道がなされていたようだ。韓国みたいに日本に直接的に支配された過去があるところとはまた温度差はあるようだが。その一方、中国自身の「古い歴史」を強調することになる発表が同時期になされた。
 だいたい世界史の授業で習う中国最古の王朝は「殷(商)」になっていると思う。これとても20世紀に入ってから実在が証明された王朝なのだが、『史記』などによるとこの殷のさらに前に「夏」という王朝があったことが記されていて、これが文献上の中国最古の王朝とされている。殷も存在した以上、夏も実在のものと考えるのは自然ではあるが、ここ数年中国はこれら古代王朝の年代を確定する専門家チーム(各分野から200人以上を集めたそうな)を作って研究を進めていたのだ。そして11月9日にその成果が発表された。
 それによれば「夏」王朝の成立は紀元前2070年ごろ。これが前1600年頃に殷に滅ぼされ、その殷は前1046年に周に滅ぼされたと「確定」された。「確定」の根拠は甲骨文字の研究、発掘物の放射線測定、古代史料に記された日蝕・月食などの天体現象の検証などだという。まぁ実際そう無茶な年代ではないのだが(少なくともお隣の半島の「檀君紀元」に比べれば)、どうやって「夏」成立時期を10年単位で確定できたのかは疑問もある。その後の王朝と比較して「夏」「殷」が異様に長い王朝になっているところも気にはなるんだけど。 



◆世界の政策あれこれ
 
 ちょいとこぼれ話集的に。
 
 あの中国でもご多分にもれず「IT革命」とやらが進行している、元の人口が多いせいもあるが、もうとっくにインターネット人口が日本のそれを越しているとの話しも聞く。先日NHKの番組で見たが、都市部ではパソコンがバカ売れ状態。広東の深センなど経済特区ではなまじもともとのインフラが整備されてないことも幸いしてか光ファイバーの設置が急ピッチで進められ、日本なんかよりネット環境がいいところもあるようだ。中国人らしい「一発勝負」のベンチャー企業も出てきてあれこれとデジタルビジネス、ネットビジネスを展開し始めてもいる。
 …とまぁ明るい展望のある話が昨今の中国のIT業界にはあるわけだが(つい数年間にある著名な国際エコノミスト某氏は「中国はインターネットに繋げないから早晩没落する!」などと書いていたものだ)、もちろんあの国で全てがオープンになるわけがない。やはり依然として思想関係の取り締まりは強いと言わざるを得ない。インターネットというやつはさまざまな情報の流れがオープンになってしまう仕掛けだから、中国の共産党政府としては困ってしまうところがあるのも事実で、最近あれこれとネットに規制をかける動きが伝えられてくる。
 11月6日、中国政府はインターネット上でニュースを掲載するウェブサイトに対する管理を強化する法令を施行した。この法令で管理されるサイトって僕がやってるこの「史点」みたいなのも入っちゃうのだろうなぁ(笑)。要するにこの法令により中国のニュースサイトは政府が公認したニュースしか事実上流せなくなり、独自の報道ができなくなる。政府や党を批判する情報を載せることが先月御法度になったばかりで、それを徹底させるために施行したんだろうな。もちろん海外にあるサイトは取り締まれないわけで、無駄と言えば無駄なのだが。もっともそうした海外サイトへのリンクを禁止したり、プロバイダに接続できないよう処置させたりしてるんだろうけど。まぁこれについては一時的な動きにとどまらざるをえないでしょうね。

 その中国からもう一つ。
 なんと中国政府があの「一人っ子政策」を見直すことを表明した。この政策については耳にしたことのある人は多いと思うが、1980年から始まった産児制限政策だ。なにせ中国は当時でも十億を越える人口を抱えており、これがドンドン子供を産んでしまったらいずれ食糧生産はこれに追いつかなくなる恐れがあるということで「子どもは一人まで」という制限を国民に強いたわけだ。もちろん生んじゃってもいいのだが、その場合は税金がかけられるという仕掛け。また少数民族は例外とされ、農村部では大目に見られているというの実態らしい。
 ただこの政策はいくつか新たな問題も生んだ。「一人っ子」状態を維持するために二人目以後の子どもを戸籍に載せなかったり捨て子にするといった現象が起きて、戸籍外の人口が1億ぐらいいるんじゃないかと言われている(いまちょうど中国版国勢調査をやっていてこの問題がやはり浮かび上がっている)。そうした子ども達は当然教育も受けておらず、そのまま浮浪児となってしまったりするという。また子どもを欲しがる農村部の要求で子どもの誘拐や人身売買が起こるという暗部をも生み出している。
 徹底されている都市部は都市部で、両親、そのまた両親である祖父母からの愛情が一人の子どもに集中することで子どもがわがままになり「小皇帝」などと呼ばれるという話しも聞く。そういえば一時「難民」に偽装して密出獄した中国人が「政治亡命」を申請する際には必ずこの「一人っ子政策に反対だった」などと言っていたものだ(笑)。
 今度の「見直し」は「2010年に2人まで産むことを認める」というもの。いちおう理由は「産児制限の効果が出てきたから」ということらしいのだが、さて。

 もう一つはアフガニスタン。
 たびたび「史点」に登場するこの国だが、その登場の理由はたいていイスラム原理主義を掲げる支配勢力「タリバーン」の出す政策にある。アフガン内戦を勝ち抜いてすっかり「天下」を取っちゃったこの勢力、実にイスラム原理主義的な政策を打ち出すのだが、今度は「男は預言者ムハンマドのようにヒゲをたくわえよ」という命令を徹底させることにしたとのこと。「政府はヒゲを短くしたり剃った者は相手にしない」とのことなので、チョビヒゲではどうも駄目らしい(^^; )。ここほどではないものの、イスラム圏では基本的に男はヒゲを生やしていないと大人扱いされないそうだ(もっとも東南アジアとか見てると地域差はあるようだ)。以前ラジオであのエジプト考古学の吉村作治さんが言ってたけど、ホントにヒゲを生やしていないと現地の作業員はバカにして命令を聞いてくれないそうで(^^;)。その一方ヒゲを生やしてると日本では迫害されると言ってたなぁ(笑)。
 



◆アメリカのいちばん長い日

  まぁとにかく大変な選挙になっちまったもんである。40年ぶりの大接戦(ニクソンvsケネディ以来)とは言われていたが、こんなハチャメチャな事態になると、誰が予想したであろうか。この歴史的大騒ぎについてはさんざん報道もされていることだし、これまた「個人的史点」からこの騒動の展開を追ってみよう。ちなみに文中に出てくる時刻は日本時間で統一してある。一部記憶があいまいで時間がいい加減なところもあるかも知れないが、ご容赦願いたい。

2000年11月8日(水曜日)
AM8:00にやっと起床。この日の仕事は夜からしかないのでこんな時間に起きてくる。ニュースをつけるとアメリカ大統領選の投票風景などが映し出されている。クリントン一家が投票している光景も出ていた。もちろん注目はクリントン夫人ヒラリーさんが上院議員に当選できるかどうかだ。

 遅い朝食を食い、AM9:00から前日にNHK−BSで放映していた映画「ピサロ将軍」のビデオを鑑賞。約二時間の映画で、途中でいったん止めて米大統領選の開票速報を見る。どうやらフロリダ州をゴアが落としたらしい。アメリカの大統領選挙は州ごとに勝負を決めて、その州ごとに設定されている「選挙人」を「総取り」できる(一部州で例外有り)というややこしいシステムになっている。ややこしいながらもおかげで大統領選挙は一種の「国盗り物語」の様相を呈して面白さが倍増してしまう(笑)。また国内にいくつもの時差を設けているため、早めに報道される東部の情勢が西部の終盤の投票に影響を与えるという仕掛けになっている。
 このフロリダ州は選挙前から激戦区として注目の的だった。ブッシュ候補の弟さんが州知事をつとめているのだが、民主党もそれだけに力を入れており、事前の両者の支持率は拮抗していると言われていた。このフロリダ州を制すれば選挙人が25人も転がり込むこともあって、開票序盤の注目州といえた。日本時間の午前中に「フロリダ州をゴアが取った」との報道がなされて「こりゃあゴア優勢かな」と僕は感じた。

 前日TVで聞いていたところでは、「ブッシュが勝つなら正午、ゴアが勝つなら午後1時」と確定時間を予想していた。11時頃から日本の民放各局もいっせいに大統領選速報番組となる。しかし正午になってもいっこうに勝利速報は出ない。それどころか、「重信房子、大阪で逮捕」とのテロップが大統領選速報の画面に映し出され、各報道番組は大慌てでこちらにも対応しなければならなくなった(ついでながらこの日は渦中のKSD元社長が逮捕されるという普通だったらトップもののニュースもあった)。僕自身もこの件で感慨にふけっていたのは上の記事の通り。

 お昼のニュースは情勢がなかなか読めない大統領選挙の情報。その一方で「ヒラリーさん当確」のニュースも伝えられる。勝利演説をする妻の姿にクリントン大統領が涙ぐんでいるシーンが印象的。そうこうしているうちに「フロリダのゴア当確は取り消す」との報道がアメリカから伝えられ、日本の報道機関も「ドンデン返しだ!」と大騒動。この時点で「ブッシュ優勢」の報道をする局と「ゴア優勢」の報道をする局と姿勢がまちまちになってきた。そんな光景を眺めながら冷凍ピザを焼いて昼飯をすます。

 そして午後に突入。僕はPCであれこれ作業をしながらTVやネットで開票速報をうかがう。「どっちが勝っても午後1時」との予想は完全に外れていった。日本時間の昼頃には仕事が終わるはずだったNHKの速報番組のキャスター達も「超過勤務」で眠そうな目をしている。時折はさまれるアメリカのTVのキャスターたちも「もう帰りたいですねぇ」などと言っている(笑)。
 午後4時頃、「フロリダ州はブッシュ勝利」の情報が飛び込んでくる。ここでほぼケリがついたとばかり、アメリカのマスコミが「ブッシ勝利!」の当確情報を流した。日本の各局も「ブッシュ新大統領誕生」と報道を開始、ブッシュ候補の半生をつづった映像を繰り返し流し始めた。やれやれ、勝負がついたか。やはりフロリダが台風の目だったな、などと思いつつ僕は午後5時過ぎに「史劇的伝言板」に「ブッシュ勝利」の速報を書き込んだ。

 ところが、ところが。その約1時間後の夕方のニュースでは一転、「フロリダ州でのブッシュ勝利は取り消す」との報道が。「わははははは、いい加減にしろよー!」などと大笑いしながら混沌とした情勢をうかがう。すぐにも伝言板に訂正を書き込もうとしたが、あわてずに確定を待つことにする。結局ブッシュになるだろうしという読みもあった。
 しかし一向に勝負は決まらない。PM7:00過ぎ、父親が帰宅し、「どっちが勝った〜?」などと開口一番に聞く。「いや、まだ決まってない。それより重信が捕まったぞ」などとどっちかと言えば我が家はその話でもちきりとなった。
 PM7:30、仕事のために近所の塾まで車を飛ばす。車内でラジオニュースを聞くが、進展無し。仕事が終わったらもう結論は出ているだろうと思いつつ、仕事場である教室へ。なんと理科と社会をいっぺんにやる授業で、理科は「仕事とエネルギー」で社会は「三権分立・流通・家計」。スケジュールの事情とはいえ、こんな話をいっぺんに詰め込まれる生徒も気の毒である(笑)。三権分立ネタでは生徒と森首相の命運の話にもなる(この時期、自民党の加藤紘一氏が蠢動を開始していた。週末になると一気に「打倒森内閣」を鮮明にし大騒ぎとなる)

 仕事が終わり、車を飛ばして帰宅。PM10:00、早速「ニュースステーション」を観てみると大混乱の米大統領選の状況が詳しく伝えられていた。この時点で早くもフロリダ州パームビーチ郡の微妙な情勢が報じられていた(問題のわかりにくい投票用紙の件などは翌日に表面化してくる)。PM11:00からは「筑紫哲也のニュース23」にハシゴ。筑紫さんが現地リポートで苦笑している。まさに前代未聞の歴史的事態であることを実感する。その後ネットに入り、自分で先の速報の訂正を「史劇的伝言板」に書き込む。ネット世界でも各地で大騒ぎとなっていた。主にアメリカと中国のサイトをチェックしてみる。
 その後情報はないかと深夜1:00ぐらいまで粘ってみるが、報われず。諦めて寝る。

 かくして「アメリカのいちばん長い日」は終わったのであった…って違うだろ(^^; )。
 その後のパームビーチ郡の投票用紙の問題やら投票集計の意外にズサンな実態などが明らかになってきて、この文を書いている今もなお、次期大統領は確定していない。それにしてもたまたま大接戦になったからこうした問題が吹き出してきたのであって、今までも結構アバウトな大統領選をやってたんじゃなかろうかと思ってしまうところ。
 ロシアとかインドなどから「ウチの方が民主的」とか「選挙監視団送りましょうか」などと言われてしまい、すっかり民主主義の総本山・アメリカ合衆国の威信も地に落ちてしまったかのような騒ぎである。まぁなんとなく「ざまぁみやがれ」と思ってる人は世界的に少なくなさそう。僕などもなんかホッとしたようなところもある(^^; )。もちろんアメリカ国民にとっては笑い事ではないのだろうが、なんとなく笑っちゃう展開ではある。
 正直なところこれといって重大な争点があったわけでもないし、「どっちが勝ってもそう変わるまい」と思ってる国々も多い。そんな中でのこの歴史的大珍事勃発。なんというかブッシュ・ジュニアって笑っちゃうような事態を良く引き起こしてくれるよなぁ、などと思っちゃうところ。
 さて、来週この「史点」更新時までにケリはついているのであろうか。まさに真相は「ヤブの中」です、ハイ。


2000/11/13記

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