ところで東京のホテルの前で21日夜(日本の国会では「加藤の乱鎮圧」で大騒ぎしていた頃)に記者会見に応じたフジモリさんだったが、その後フッツリと消息を絶ってしまった。「失踪」「帰国?」「アメリカへ?」「まさか暗殺?」などなど勝手な憶測が乱れ飛んだが、25日になって彼は再び姿を現した。「知人宅」にいたというのだが、この知人というのが曾野綾子さんという意外なビッグネームで驚かされた。作家にして「日本財団(旧日本船舶振興会)」の会長。最近では「教育改革国民会議」で「奉仕活動義務化」をやたらにブチ上げている張本人でもあらせられる。日本財団がペルーにあれこれ援助を送っていた関係でつながりがあったというのだが…
この曾野さん邸でフジモリ前大統領は記者会見を行い(曾野さんは姿を見せず、フジモリさんの義弟で先日辞任した駐日大使アリトミ氏が同席)、自らの功績を列挙して自分への非難・攻撃に対して身の潔白を訴えた。じゃあなんで辞任表明をしたのかについては「いろいろと要因があるが、明らかに出来ないこともある。外国で辞任表明をしたのは遺憾だ」とのこと。帰国しないことについては「私はテロや麻薬問題を扱ったので身の危険がある」ことを示唆していたようだ。「モンテシノス氏を信頼しすぎたのが失敗だった」とも言っているようである。
この会見でも表明していたが、フジモリさんは「日本での長期滞在」を望んでいる。実はこのあたり、ややこしい状況が存在する。フジモリさんが仮に不正蓄財その他の罪でペルー政府から捜査を受けたり告発されたりした場合、日本政府としては建前上彼をかばうことはできない。もちろんかばったって良いんだけど、その場合はペルーとの関係悪化もあり得る(まったくの余談ながら、第二次大戦時、両国は「戦争状態」になった過去もあったりする)。
しかし一方で、フジモリさんが「日本国籍を持つ」という可能性もあるようなのだ。ペルーでは「国籍生地主義」をとっていてフジモリさんはペルー生まれだからペルー国籍を有する。ところがなんでもフジモリさんの両親が出生届と共に「国籍留保届」を日本側に出していれば、彼は「日本国籍」も持つことになるのだそうだ。そして実際フジモリさんの出生届が両親からペルーの日本領事館に提出された事実は確認されているという。日本の外務省は「国籍留保届」については「プライベートなことなので答えられない」としていて、どうも含みを持たせているようにも受け取れる。
フジモリさんについては以前にも大統領選の際に政敵側から「ペルー生まれじゃないのでは?」という「疑惑」を欠かけられたこともあったように記憶している。ご両親がペルーに来る途中で生まれたので「ペルー生まれ」ではなく「ペルー国籍も本来は持たない」と攻撃されたことがあったはず。なんかここに来てこの辺の話も再燃したりするのかも知れない。
個人的にはこの人、あまり「日本」と密着した行動をとらないでいただいた方が両国のためのような気がするんですけどねぇ…
そんな黄氏だが、今年4月に電撃的に「南北首脳会談」実現が発表されたあと、すっかり動静を聞かなくなってしまった。歴史的な南北首脳会談で大騒ぎしている最中にも彼のコメントは少なくとも日本のマスコミではいっさい流れていなかったように思う。そしたら、ここに来てついに我慢ならずに黄さん、声明を発表したのである。
いわく「私は韓国当局によって言論の自由などが制限されている」という声明だったのだ。あんまり姿を見せないから、そんなこっちゃないかと噂はされていたんですけどね。なんでも先日の11月16日に韓国の国家情報院から「政治家・マスコミとの接触や講演・出版などの活動を禁止する」と言われてついにブチ切れたようなのだ。国家情報院はこうした指示を出したことは認めつつ、「北朝鮮からの報復を避けるためにお奨めした」と表現している。この件で野党側が国家情報院長の辞任を要求する騒ぎにもなっているそうな。こうした「亡命者差別」は黄氏に限らず結構あるようで、「自由を求めて命がけで亡命したのに、今度はこっちで自由を奪われるとは」と言った反発が亡命者達からは発せられているという。まぁ韓国だって十数年前までは自由にモノが言えない空気があった国なんですがね(全くの余談であるが、「ブラックジャック」の一話「パク船長」って韓国がモデルの話ですからね。北朝鮮と思ってる人もいそうなので一言)。
この件に敏感に反応したのが、黄氏亡命時に大統領だった金永三前大統領だ。ただいまなぜか日本で入院中なのだそうだが、かねて金大中大統領の対北政策を批判し、ノーベル平和賞受賞にも激怒したお方。黄氏の声明に呼応して金大中大統領を「ウソつき」呼ばわりし、黄氏には「いつでも自宅に訪ねてきて欲しい」と伝えたそうである。
アフリカ南部にモザンビークという国がある。僕もつい先程世界地図を開いて位置を確認したぐらいで、まったくこの国に関する知識はない。この国で誠に奇々怪々な事件が起こったのである。
モザンビークの北部モンテプエズにある刑務所で、拘置されている未決の囚人83人が11月21日の夜のうちにいっぺんに死んでしまったのである。政府の発表によるとうち一人だけは自然死で残りの82人の死因が不明であるという。もっとも不明ながらも「死因は暴力によるものではなく、刑務所内の過密状態による窒息・食中毒・水不足が考えられる」とモクンビ首相が述べており、南アフリカの研究者も含む特別調査団をつくって原因調査に当たらせるという。
ここまででもかなり不可解な話なのだが、これに同国の政治対立が絡んできて話はややこしくなる。この国にはモザンビーク解放戦線(FRELIMO)とモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)という二つの大政党がある。その勇ましい名前から察するに植民地状態からの独立運動を展開していた当時以来の組織なのであろうが(ちなみに旧宗主国はポルトガルである)、1975年にモザンビークが独立した後、歴史のパターンよろしくこの両者は内戦状態に突入した(隣国の旧ローデシアとか南アフリカの影響もあった)。両者の和平が成立したのはなんと1992年のこと。しかしその後も総選挙ではたびたびトラブルを起こしていたという。
昨年の12月に総選挙が行われ、「FRELIMO」が議会の過半数を制して与党となったのだが、今月に入ってから「RENAMO」側が「選挙に不正があった」として大抗議運動を展開していたという。その際に衝突で41人もの死者が出て、大量のRENAMO支持者が刑務所にぶち込まれていたのだった。そう、そして今度の謎の大量死はまさにこうした状況下で刑務所がRENAMO支持者で満杯になっているところに発生したのだ。
もちろん真相は現時点では不明であるが、RENAMO側にしてみれば「FRELIMOによる虐殺」を想像するのは無理もないところ。RENAMOの党首はハッキリと「この事件はFRELIMOの仕業」と断言。当然ながらFRELIMO側は否定しているが、双方の対立は下手すると内戦再開になりかねない危険な要素を含んでいる。
こんなの見てると、フロリダ州のドタバタはえらく平和な話なんだとよく分かりますねぇ。
まぁそんな次第で、この紫香楽宮に一時的にせよ日本の「首都」があったことになる。しかしなにぶんほんの一時期のことであるし、フラフラと落ち着きのない情勢下でのことであるから、本格的な遺跡などはないんじゃないかと言われていたようだ。しかし11月22日に発掘にあたっている信楽町と滋賀県の教育委員会が発表したところによると、同町の「宮町遺跡」で全長95メートル、幅12メートルもある大規模な建物の跡が発見され、そこから1q南の地点にある「新宮神社遺跡」からは約9メートルの橋の跡が発見された。
大規模な建物は天皇が国政を行う「朝堂院」の一部ではないかと考えられ、橋の方は都の中央大通り(例の碁盤目状の都市図を思い起こされたい)である「朱雀路」に架かっていたものではないかと推測されている。
で、この発見が何を意味するのかというと、これまで一時的に聖武天皇が居住していた「田舎の離宮」程度のものとも考えられていた「紫香楽宮」が、存外大がかりな都市計画に基づいた「首都」であった可能性が強くなってきたということなのだ。最近のこうした古代の建築物などが存外バカに出来ない規模や技術を持っていたことが明らかになるケースが多いが(出雲大社の件などもそうだ)、「都市計画」という部分でも一時的な都でさえもけっこうしっかりとやっていたということになるらしい。
それにしても、例の事件以後、発掘現場を見る目がつい厳しくなっちゃうよなぁ…。