ニュースな
2000年12月19日

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ


 ◆今週の記事

◆バラク対ネタニヤフ・難解な大決闘

 久々の傑作ともいうべきゴジラ新作の公開を祝して怪獣映画調のタイトルで統一してみましょうかね(笑)。元ネタ知らない方には何がなにやらということになりましょうが。分からない人はご自分で調べて下さいね(笑)。

 現地時間の12月9日夜、イスラエルバラク首相がいきなり辞任を表明した。このところ政党連立が崩壊して内閣ポストのほとんどを一人で兼ねたり、野党リクードのシャロン党首の「聖地訪問」から始まったパレスチナ住民との長期衝突など、頭が痛くなる事態が続いていたので、ついに政権を放り出したか、と思ったら、なかなかどうして、この辞任はかなり大胆な「カケ」だったのだ。バラクさん、辞任はするものの「もう一回改めて私を選んでくれ」と国民に呼びかけたわけなのだ。「暴力を減らし、和平交渉のチャンスへ向けて進み続ける必要がある。イスラエルを平和と安全へと導くため国民の信を再び問う決意をした」とはバラク首相の声明である。元はと言えば前職のネタニヤフ氏が右派・強硬派でせっかく進んでいたパレスチナ和平が停滞しかけたため、和平推進派が「反ネタニヤフ」で大連立を組んでバラク政権を誕生させたのだった。ところがここにきてパレスチナとの和平が停滞どころか逆行しかけており、バラク政権そのものも分裂してしまいバラク首相本人への風当たりも強い。ここで改めて国民の審判を問うて、自分の立場を強めておきたい。もちろん敗れたときはそれまでと腹をくくったワケなのだ。

 しかし単純に「正々堂々の大バクチ」とばかりは言えないところもある。バラクさんが最大の強敵と考えているのは当然ながら前首相である強硬派のネタニヤフさんだ。昨年の選挙に敗れて政界引退を表明していたネタニヤフ氏であるが、バラク政権がこんな状況になっちゃってから激しく政府の対パレスチナ政策を批判し、国民の一部からの熱烈な支持を集めつつあるという。現に世論調査ではバラク首相を20ポイントも上まわっているとも言われ、「シャロンよりはネタニヤフが怖い」というのがバラクさん側の本音のようだ。
 ところでイスラエルは1996年から首相公選制となっているが、首相候補は国会議員でなければならない。そう、ネタニヤフさんは現在国会議員ではなく、このまま首相選挙が実施された場合彼は選挙に立候補することすらできないのだ。バラクさんの突然の辞任は「敵の大将が現れない内に勝負をしちまおう」という作戦に他ならない。

 一方のネタニヤフ氏側もやる気満々。立候補はこの時点では不可能であったものの、宗教政党シャスから「非国会議員でも首相選挙に立候補できるようにする法案」がこの13日に国会に提出されており(なんと俗称は「ネタニヤフ法案」などと呼ばれていた!)、これからの推移によっては首相戦に打って出られる可能性がでてきたのだ。
 で、それと相前後して12日、野党リクードの中央委員会でネタニヤフ氏はとうとう正式に政界復帰を宣言した。まずリクード内での党首選挙に立候補し、これで現在の党首(にしてそもそものトラブルの発端である)シャロン氏に取って代わり、首相選挙に打って出るというシナリオだ。今週の19日にもリクードの党首選がシャロンvsネタニヤフで行われることになるわけだが、この集会でシャロン党首は「私が首相になったら労働党(与党)と非常事態内閣を成立させ、ネタニヤフ氏を外相、バラク氏を国防相に配置したい」とのかなり思い切った事を表明して自分への支持を求めたが、バラク氏を入閣させるという部分で会場のブーイングを浴びていたという。

 ネタニヤフ氏が明確に政界復帰かつ政権奪回を表明したことで、立場が苦しくなったバラクさん…と思いきや案外そうでもないらしい。ネタニヤフ氏が露骨に「パレスチナに譲歩しすぎたからこんなことになったんだ」などと発言していることに和平派が警戒を強め、見放しかけたバラク首相の元で再結束しようとする動きもあるという。

 ここ数年間のイスラエル政界は和平と強硬との間を激しく揺れ動いてきた。それだけ国民の意見も二分、あるいは大きく揺れ動いているのだろう。順番からいくと今度は強硬派の政権になっちゃうかな…パレスチナ人との衝突が相変わらず継続している状況だし。

 …と、ここまで書いた時点でひとまずの結果が飛び込んできた。「ネタニヤフ出馬断念」とのニュースである。
 やる気満々だったはずなのに、なぜなのか。実はネタニヤフ氏は国会を解散して国会議員選挙と首相公選に同時に出馬するとの意向だったのだ。「仮に首相選挙に非国会議員が出られるようになったとしても、国会がこのままの状態であるならば首相になっても意味がない」とネタニヤフ氏は明言していた。ところがイスラエル国会は解散を否決(どこの国の国会議員も好きこのんで解散したいわけではないらしい)。これを受けてネタニヤフ氏は出馬そのものを断念してしまった。
 せっかく怪獣映画っぽくて語呂の良いタイトルだったのになぁ…「バラク対シャロン」にタイトル変更です(笑)。
 



◆イリエスクの逆襲・大統領最終決戦
 
   お次は東欧はルーマニアの決戦である。
 ルーマニアって日本人がもっとも馴染みのない国の一つで、その昔「ロシアと東欧を考える」という総合科目を大学の教養部でとっていた際、ルーマニア担当の先生(日本人だが、ルーマニア人と結婚してあっちにも親戚がいた)が「毎年話のタネに困るところで」と言っていたものだ。しかしこの授業を受けていた1989年に一連の「東欧革命」が勃発。ルーマニアはその最後に独裁者チャウシェスクの「処刑」を含む劇的な「革命」が起こったことで強烈に世界中にその国名を印象づけることなった。おかげでネタに困るどころか実に生々しい「革命」の様子を聞くことが出来た思い出がある。

 さて時は移ろい、東欧革命からしばらくたって落ち着きを取り戻したのか、東欧各国では旧共産党勢力が政権に返り咲くケースが続発している。一時政権を追われたものの、その後の拙速な市場経済導入による混乱があるのも事実で、国民の間に再び社会主義体制への揺れ返しが起こっているということだろう。その一方で排他的な民族主義が台頭してくるのも共通して見られる現象だ。先頃行われたルーマニアの大統領選挙は見事にこのパターンの代表が激突する形となった。

 12月10日にルーマニア大統領選の決選投票が行われたが、決戦に残ったのは社会民主党(旧共産党)党首で元大統領でもあるイリエスク候補(70)と、「極右」政党・大ルーマニア党の党首トゥードル候補(51)の二人。イリエスク候補の支持基盤は高齢者層と貧困層で、トゥードル候補の支持者は若年層に多いという。
 トゥードル候補は「大ルーマニア」なんてまさに民族主義バリバリの名前の政党を率いていて、排他的な言動が多く、例によってユダヤ人差別発言をしていたことでユダヤ団体を中心に激しい非難も浴びていた(こういう手合いに若年層が支持をしたりするのもあちこちで見られる現象ですな)。もっともトゥードルさん、選挙になってからは「若い頃はそんなことも主張したけどもうユダヤ人攻撃はしない」と差別者イメージ払拭に躍起になっていたという。そしてイリエスク・トゥードル両候補ともに将来のEU加盟に向けて積極的な姿勢を示すことでは一致している。

 フタを開けてみればイリエスク候補が66%、トゥードル候補が33%という大差の得票率で「イリエスク大統領復活」が決定した。決選投票の前の第一回投票では両者の差はわずか8ポイントだったそうだが、さすがに「極右」が実際に大統領になるかも、となると警戒感も強まったようだ。
 イリエスク新(と言うのも変だが)大統領は勝利宣言で、「透明性のある民営化などにより、経済再建に全力を挙げる」と述べたという。イリエスクさんはチャウシェスク処刑後のルーマニア暫定政権、そして新ルーマニアの初代大統領を二期務めたという経歴の持ち主だが、市場経済への移行が思うように進められず96年の大統領選に落選。しかし彼の後を引き継いだ政権が無理な市場経済化を押し進めたため経済・政治共に大混乱に陥ってしまい、現在のルーマニアの生活水準は東欧革命前の半分程度にまで落ちていると言われる。その失望感が「旧政権」と「極右」の両極による大統領決戦に現れたという次第だ。
 ともかく「復活」したイリエスク大統領であるが、まず経済を復興させないとEU入りどころではない(EUだって「お荷物」を増やしたくはないだろうし)。これから大変な舵取りをしていかなければならないわけで、復活を喜んでばかりもいられないところだ。



◆ブッシュの息子・G消滅作戦
 
 ようやく決まりましたね。下手すると年越しかと思ってましたよ。今年の「史点」総集編(予定)にこのネタの決着が書けるかどうか心配してました。終わってみれば一時の「誤報」どおり、ブッシュアメリカ合衆国新大統領の誕生であります。アダムズ以来の親子二代大統領。そして100年以上ぶりの得票数で負けていながら選挙人数で勝っちゃった逆転現象の大統領(笑)。

 この一ヶ月、すったもんだの展開にはあえて触れまい。僕も様子を見続けたまま「史点」ネタには採り上げてこなかった。いつ「決着」が書けるかと様子を見ていたわけなんだけど、二転三転、思いの外ギリギリまで長引いてくれたものだ。これを「大混乱」と言っている人も多いが、むしろ僕などはアメリカってまだまだしっかりしてるよなぁ、と妙な感想を抱いていた。むろん選挙の方法に笑っちゃう程のアバウトさといい加減さと不統一があることは確かだが、それを法廷闘争も含めてトコトンまで検証しようと言う態度がある(少なくとも態度はね)ことには逆に感心していたぐらいだ。法廷にも民主・共和の党派色があることも面白い点だったが、「対立軸が分かりやすい」という印象も受ける。また、これだけの対立抗争があるように見えて、さすがに「内戦」なんかにはならないあたり、アメリカは平和だなぁと思っちゃうわけだ。この「史点」であちこちの国の選挙の凄まじい話を書いてきましたしね。アメリカ合衆国は現在のところそう深刻な対立構図が無いってことなんだろうし、アメリカ国民の大半も実はどっちが勝っても大して変わらないと思っているんじゃ無かろうか。
 聞くところによると有権者の約半数が棄権。そして投票された票のうち過半数がゴアさんに投票したわけで(疑問票を除いても30万票以上の差がついている)、「ブッシュさんを大統領に」と考えた人は全体の4分の1以下しかいなかったことになる。しかもこのすったもんだを展開したわけで、ブッシュ新大統領の正統性が問われかねない事態なのだが、CNNなどの世論調査ではブッシュ大統領の正統性を80%が「認める」と答えているという。決まっちゃえばそれでいいや、ってな感覚らしい。その一方で「もしもう一回選挙をやったら?」という質問には過半数が「ゴアさんに入れる」と答えているそうで…「同情票」もあるとは思うけど、なんか結構いい加減(笑)。ちなみに選挙制度を改革すべきと答えた人もかなり多かったが、それでも「全国で制度を統一すべし」と答えた人は6割程度にとどまったようだ。

 ようやく次期大統領の椅子が決まって、ブッシュ・ジュニア政権は組閣人事に乗り出した。当初から噂はされていたが湾岸戦争の指揮官だったパウエル元統合参謀本部長が外相にあたる国務長官に就任。さっそく民主党の外交政策とは違う面を見せようと「中・露は仮想敵国ではないものの戦略的パートナーではなく戦略的競争相手」とブチ上げた(ついでにイラクのフセイン政権は3年と保つまいとか言ったらしい)。元軍人の外交トップだけに妙な方向に突っ走らなきゃ良いんだけどね。もっともクリントン政権も発足当初は「ブッシュ父」の対中外交政策を「軟弱」と批判して出てきた前例もあり、新政権発足当初はそれなりに強気の姿勢を見せる必要があるということもあるだろう。副大統領のチェイニー氏は元国防長官でこれまた湾岸戦争時の指導者の一人。「チェイニー=パウエルコンビ復活」などとささやく声もある。ブッシュさんがお父さんソックリということもあり、何やらタイムスリップ起こしたような錯覚も感じますな。
 ブッシュ・ジュニア個人の政治的能力については選挙前からあれこれ疑問の声が上がっていたが、このチェイニーさんが副大統領に就くことでこれをカバーできるとまで言われているという。実際、ブッシュ新大統領はチェイニー次期副大統領に外交・安全保障面でかなりの権限を与えちゃうつもりだそうで「史上最強の副大統領」なんて陰口もあり、はたまた「実質的にはチェイニー政権」などと民主党筋では言っているそうな(笑)。
 さて、これから四年間、どんなネタを提供してくれるのか、変な意味で楽しみでもある。なんかブッシュさんってそういう空気がある人なんだよね。



◆オール欧州大進撃
 
   …なんかもうタイトルの付け方に無理が生じてきたな(^^; )。

 EUこと「ヨーロッパ連合」は20世紀後半から開始された壮大な実験であるとも言える。西ヨーロッパ各国はEEC→EC→EUと拡大・統合を続けてきたが、東西冷戦の終結により東ヨーロッパ諸国も将来的にEUに加盟していく方向が定まりつつある。うまくいけば戦争と対立の絶え間ない歴史を繰り広げてきたヨーロッパ全体がついに統合された「ヨーロッパ合衆国」が成立する可能性も夢ではない。もちろんそう簡単に事が運ぶわけもなく、しょっちゅうすったもんだしているのが現状であるわけだが。

 7日から11日までの5日間、ニースでEUの各国首脳を集めた会議が開かれ、延々と激しい論議が続けられていた。最終目標は将来のEUの拡大に備えてEUの機構を大きく改造する「ニース条約」の締結だった。この条約で決められる重要なテーマは「全会一致でなく多数決で決められる事柄を増やす」「多数決では各国の持ち票に人口比を反映させる」「欧州委員の数が増えすぎないように構成を変更する」「一部加盟国による先行統合を促進する」という4点だった。そして想像通り最後までモメにモメたのが二番目の「各国の持ち票に人口比を反映させる」という問題だったのだ。

 EUに加盟している国は西ヨーロッパを中心にしているわけだが、実にさまざまな国がこれに加わっている。もともとはベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)という西ヨーロッパの一角を占める小国グループが経済的協力体制をとりはじめたことが「欧州統合」のキッカケとなったわけなのだが、その後フランス、西ドイツそしてイギリスなど大国が加わってきて、EUとなってしまった今日ではどうしても大国の意向が幅を利かせるようになってきている。中でも東西統一を果たしたドイツは8300万人というEU内最大の人口を抱えており、EU全体の中でも22%にものぼる人口を擁している。しかも経済的にもリーダーシップをとれる国であり、このドイツの存在の肥大化にEU内部でも不安視する声が当然出てきている。とくにここまでEUを引っ張ってきたと自認もしているフランスなどは内心穏やかでないところがあるはず。なにせ歴史的にも何度もやりあった相手である。もちろんそういう対立・競争を解消するための「欧州統合」なんだけど。

 将来的に一つの「国」を目指すのであれば、それまでの一国ごとに平等に票を振り分けるのではなく人口比を反映させるべき、というのは自然な流れではある。アメリカの大統領選挙だって州ごとの選挙人の割り振りはだいたい人口比に拠ってるしね。ただ依然としてEUは諸国の寄り合い所帯でのあるわけで、「大国優先」と「小国軽視」の傾向が出てくることに、とくに「小国」の側が警戒するのも無理のないところだ。また過去の経緯などもあるから、ドイツが多くの票を獲得し自分達より発言力が増すことへの本能的とも言える英・仏の警戒心も無視できない。そんなこんなで会議は紛糾し、一時はニース条約そのものも流れかけた。

 とりあえずフランスのシラク大統領がドイツ側に基本案を提示し、いちおうそれでまとめられることとなった。結局、EU全体の342票のうちイギリス・ドイツ・フランス・イタリアの「4大国」は29票で横並びとされ、人口比を元にドイツにより多くの票の割り当てるというドイツ自身の主張は退けられた(ちなみに最少の国は持ち票3票だそうだが、どこの国なのかな)。ただしその代わりドイツが主張していた「ポーランドに新加盟国中最大の27票を割り当てる」「多数決の際、賛成国の合計人口が62%を上まわった時でも可決する」という提案はそのまま盛り込まれた。ポーランドの件はよく分からないんだけど、後者はEU内の人口比が高いドイツにとってはかなり有利な条項と言えるだろう。でもやっぱり会議終了後もその「成立要件」の解釈を巡って意見の食い違いが出てギクシャクしているという。

 …タイトルと違ってちっとも足並みが揃わない話になっちゃったな。


2000/12/20記

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ