ニュースな
2001年1月10日

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ


 ◆今週の記事

◆新年明けまして…
 
 新年明けましておめでとうございます。今年も「史点」を宜しくお願いいたしますm(__)m。あと一ヶ月もするとこのコーナー、三年目に突入ですよ。我ながら驚いてたりして。

 当たり前だが世界中でこの時期は「新年ネタ」が出そろう。やはり新年と言うことであれこれ今年に向けての抱負だとか世紀の節目ということで懸案の決着を着けようといった動きが目立つ。まぁその大半は正月気分が抜けると忘れ去られてしまうようなものが多いんだけど。

 2001年1月1日を期して、「国共内戦」以来初めて台湾と中国大陸間の直接交流が行われることになった。中国・台湾のニュース用語では両者間の直接交流を「通航」「通商」「通信」の三つをまとめた「三通」と呼ぶのだが、今回の交流開放は台湾の離島である金門・媽祖両島と大陸の間だけに限られ、台湾本土からの直接の往来は相変わらず認められていないため「小三通」などと呼ばれている。地図を見ていただければ分かるが金門島・媽祖島って台湾の「離島」とは言ってもほとんど大陸の目と鼻の先にある島なのだ。ここは蒋介石毛沢東に敗れて台湾に逃れる際、いずれ大陸反攻を行うための拠点として軍勢を残しておいた要地で、海軍をロクに持たない共産党軍は目と鼻の先にありながらこれを奪取できなかったという経緯がある。ついでながらここは明代の倭寇の襲撃地の一つでもあり、倭寇と戦った名将・兪大猷の最初の勤務地でもあるんだよな、この島。
 国共内戦以来半世紀、歴史的な直接交流開始…には違いないのだが、さんざん報道も伝えているように「直接交流」なんてのはとっくの昔に始まっていた。だいたい地理的に見てもあんな場所にあって「交流」が無いことの方が不自然だ。わたくしお得意の密貿易が当然のように行われており、今回の「小三通」開始は実態を追認したものに過ぎない。それに近ごろは台湾企業の大陸進出も盛んで両者の経済面での交流は拡大の一途をたどっており、「小三通」なんて両国の経済関係にとっては実のところ大した問題ではないのだ。たぶんに政治的なイベントとみるべきで、いずれ本物の「三通」が実現するまでのステップに過ぎないと言う見方もできる。
 新年の祝辞で台湾の陳水扁総統は、「経済貿易と文化の統合から始めて徐々に信頼を確立し、両岸の永久平和と政治統合の新たな枠組みを共同で追求しよう」と国民と中国政府に向けて呼びかけた。ご存じのように陳水扁総統率いる民進党は「台湾独立」を綱領に掲げる政党だが、実際に政権をとってしまうとそうはいかないというのが現実のようで、「独立」主張はかなりトーンダウンしている。そしてついに総統自身の口から「政治統合」という言葉が飛び出すことになったわけだ。もちろん「統合」とは「統一」を避けた苦心の言葉とも言えるが、経済と文化から始めていずれ政治へ、というやり方はかなり現実的な考え方とも言える。ちなみに政権を奪われた国民党の連戦主席は「連邦」ならぬ「邦連制」という、なんだか朝鮮半島統一プロセスみたいな主張をしていて、これには大陸側からも関心が持たれているようだ。一部には「第三次国共合作」なんて凄い言葉もささやかれ始めているそうな(笑)。ま、とにかくこの辺も今年の注目ですね。オリンピックのこともあるし。

 さて話は打って変わってノルウェーに移る。
 2000年の大晦日の朝、ノルウェー国鉄が運行する急行や長距離列車の一部が発車できないというトラブルが突然発生して関係者を驚かせた。原因は列車運行を管理するコンピュータの誤作動だった。そう、もはやほとんどの人が忘れかけていた「2000年問題」が今頃になって発生したのである!まぁ当初から「危険日」の一つとは言われていたそうだが。

 なお、それと繋がるような繋がらないようなという話であるが(笑)、昨年父の跡を継いで「即位」したばかりのシリアアサド大統領(35)が、イギリスの大学でコンピュータ専攻だったシリア人女性とめでたく結婚したことが2日に報じられている。

定番で「2001年」より 一方で同じ中東のイラクの名物男・サダム=フセイン大統領には「重病説」「死亡説」が年末年始にかけて流れていた。結局本人がテレビ出演して噂を払拭した形だが、ちょっと具合が悪くなるぐらいのことはあったかもしれない。ひょっとしてPS2をやりすぎて徹夜していたとか…(笑)。

 やはり中東の懸案であるイスラエルパレスチナの話はまだまだ混迷の中。正月早々からアメリカのクリントン大統領が最後の仕事とばかり和平仲介案を提示している。イスラエル・パレスチナ双方とも和平したいのが本音であるが、強硬派もまたそれぞれにいて気勢を上げており、和平をブチ壊すべく正月早々から爆弾テロをやってる連中もいる。これも今年中にはなんとか解決に向かって欲しいものだが…

 アメリカ・シアトルでは謎の石版(モノリス)が野っぱらに突如出現。絶対誰かやると思った(笑)。余りにも予想された事態だったためか、それほど騒ぎは尾を引きませんでした。

 なお、昨年「史点」最多出場記録を達成した我らが森喜朗首相は毎年恒例の「首相伊勢神宮初詣」をしたものの(これって靖国ほど騒ぎにならないけどよく考えると変な習慣だよな)「突き指」のため恒例の揮毫は代理人に。初閣議には杖をついて登場。なんでも腰を痛めたので治療のために水泳をしたら突き指をしてしまったそうなのだが…わたしゃてっきり「インパク」見ててクリックしすぎたのかと思いましたよ(笑)。それにしても新年早々からネタを提供してくれる方ではあります。
 



◆「バルカン症候群」?
 
 EU諸国を中心に、新年早々から騒ぎが大きくなってきた観のあるのが、この「バルカン症候群」問題。最近ドンパチの多かったバルカン半島、とくにボスニア・ヘルツェゴビナやコソボといった地域に展開したNATO(北大西洋条約機構)軍の兵士達が、帰還後に白血病やガンにかかるケースがいくつか報じられているのだ。
 騒ぎの口火を切ったのはイタリアからだった。イタリア各紙が1月4日に伝えたところによれば、バルカンから帰還したイタリア兵士に白血病にかかる者が相次ぎ、すでに6人が死亡しているという。イタリア国防省は専門家による調査委員会を設置し、アマート首相もNATOに公式な説明を求めている。
 同じ日のうちにフランス国防省もバルカン帰還兵のうち4人が現在白血病で入院中であることを発表した。ポルトガルやベルギーでも同様のケースが報告されており、すっかり「バルカン症候群」という名称も定着してしまった観がある。

 さて、この「バルカン症候群」なるものの正体は何なのか?現時点でかなり疑われているのが、この戦争で使用された「劣化ウラン弾」の存在だ。この兵器はその名の通り弾頭に劣化ウラン(ウランの濃縮過程で出る廃材が材料だそうな)を詰め込んでおり、目標にブチ当たると高熱を発するため最新式の戦車なども楽々と貫通してしまう能力を持っている。しかしその一方で当初からウランによる放射線の影響が心配されていた(しかしその弾をブチ込まれる戦車兵の方はもっと地獄だよな)。湾岸戦争(1991)でも米軍の帰還兵達の間で原因不明の病気が多く発生し「湾岸戦争症候群」と呼ばれ劣化ウラン弾との関係が疑われたが、アメリカ国防総省は調査の末「因果関係は確認できない」という姿勢を示している。
 NATOが発表しているところによれば、米軍はボスニアで1万発、コソボでは3万1000発もの劣化ウラン弾をばらまいていたという。国連の機関が昨年コソボで調査したところ、調べた11ヶ所中の8ヶ所で通常より高い放射線を観測できたとも伝えられている。

 EU各国ではこうした「状況証拠」から劣化ウラン弾が「バルカン症候群」の原因であるとして非難し、イタリアなどではアメリカに劣化ウラン弾の使用中止を要請したりしているが、NATO及びアメリカ軍の反応はかなり冷たい。EUの騒ぎを受けて4日に記者会見したアメリカ国防総省の報道官は「『症候群』と劣化ウラン弾との直接的な関連は認められない」とし、イタリアの使用中止要請に対しても「現段階では使用中止を見当する理由はない」と完全に突っぱねてしまった。しかもサダム=フセインミロシェビッチという二人のアメリカの敵が協調して『反劣化ウランキャンペーン』を展開しているのだ」などと言い出す始末。劣化ウランと白血病の因果関係は確かにまだまだ確認しきれないところがあるのだが(WHOは否定的な見解を出していたが…)、こういう妙な否定の仕方をしているのをみると、かえってアメリカは知っててやってるんと違うかって疑いが濃くなってしまいますな。
 この件について産経新聞の記事では面白い「裏事情」を紹介していた。アメリカが劣化ウラン弾の使用にこだわるのは、その貫通能力もさることながら、ウランの代替物として使えるのがタングステンしかないことにある、と書いていたのだ。ウランを使えないとなるとタングステンを使うことになるが、タングステンの主要産出国が中国であるため、切り替えを渋っているというのだ。なるほど、と思うところもある。

 騒ぎが大きくなってきた8日になるとドイツから大きな報道があった。ドイツ紙ベルリナーモルゲンポストがスクープしたNATOの「内部文書」によると、1999年7月の段階でNATO幹部は劣化ウラン弾に「毒性」があることを指摘しており、それによる汚染を除去する計画はNATOにはない、などとも書いてあったという。ドイツ軍兵士はNATOの一員としてボスニアやコソボに出かけているが、一応帰国後に6万人の兵士中から抽出した120人の健康診断により異常はないと報告されていた。しかしこの文書でかなり早い段階で劣化ウラン弾の危険性を認識していながら「派兵」を行ったことが判明したわけで、国民の批判が高まっているという。

 こう書いている9日にもNATOの大使級理事会が開かれ、「バルカン症候群」に対する正式な対応が検討されるらしいが、どうなることやら。



◆天安門事件秘史
 
 「天安門事件」って名が付く事件は中国現代史において二つあるのだが、現在ではだいたい問答無用で1989年6月4日のそれを指す。もう10年以上たっちゃったんだよなぁ…この事件から。今の中国を見ているとなんだかウソみたいな話にも感じられる。1989年というのはとにかく世界史的大ゴトがやたらに起きた年だが(平成元年でもあるしね)、6月4日にこれが起きたとき、これで中国は当分「鎖国状態」しかも「混乱状態」に陥って改革もストップし発展は相当遅れるものと大半の人が思ったはずだ。その直後に東欧の民主化革命、ソ連の崩壊という展開もあって中国共産党政権は長くは持つまいと言う見方が多かったようにも思う。そう考えるとあれからわずか10年ぐらいしか経ってないという事にちょっと驚かされるところもある。あの事件がいったい何だったのか、まだまだ実態を正確に認識しきれないところがあるようだ。

 アメリカの外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」は最新号に、「中国内の改革派の代理人」が持ち出したとされる天安門事件についての「内部文書」なるものを掲載した。そこには天安門事件前後における中国共産党の議事録、電話の通話内容の記録などが克明に記され、当時の最高実力者トウ小平趙紫陽(当時総書記)といった共産党幹部の生々しいやりとりが記されているという。
 この「天安門事件」は1989年の4月15日に改革派リーダーで一時トウ小平の後継者とされたこともある胡耀邦元総書記が死去したことに端を発する。胡耀邦の死を悼む学生達が天安門広場に集まり、ハンストを行ったり自由の女神像を建てたりして共産党政府に民主化を要求し始め、たまたま当時ペレストロイカを進めていたソ連のゴルバチョフが訪中したこともあって学生運動が一気に全国で盛り上がった。この事態に共産党政府は4月26日、「人民日報」で学生らの動きを「動乱」と呼称し、「鎮圧」をちらつかせ始める。

 今回掲載された「文書」によれば(セリフ訳文は朝日新聞に載ったものを参考にした)、5月17日にトウ小平の自宅で開かれた会議で、改革派の趙紫陽総書記はこの「動乱」という呼称を改め、学生達との対話を進めるよう主張。そして「平和的解決を実現して外国からの対中投資を強化したい」とした。これに強硬派の李鵬首相(当時。そういや今ごろインド訪問してるな)そして楊尚昆国家主席(当時)らが「これでもまだ「動乱」ではないというのか」と反発、そしてトウ小平も「君の発言が学生運動を悪化させたのだ。我々だって社会主義の民主化はしたい。しかし急いではいけない。私は人民解放軍を動員し北京に戒厳令を布く決断をした」と「鎮圧」を指示した。趙紫陽が「この決定を遂行するのは私には困難だ…できそうにない」と答えると、トウ小平は「少数派は多数派に譲るべきだ!」と短く、しかし強く言い放ったそうである。かくしてトウ小平の後継者となっていたはずの趙紫陽は失脚し、上海にいた江沢民に「後継者」の座がいきなり回ってくることになる。

 6月2日の会議では李鵬らが「断固として動乱鎮圧」を提案。トウ小平も「同感だ。軍は一掃作戦を開始し、市民らに広場を離れるよう説得する。広場を離れないなら、彼らの責任だ」と「鎮圧」を支持した。かくして3日から4日にかけての「天安門掃討」が実行されることになった。「鎮圧」後の6日にトウ小平は党の長老に「もし我々が断固たる行動に出なかったら内戦になっていたろう」と語ったと、この「文書」は伝えている。

 紹介されているところを大雑把にまとめるとこんな感じになる。アメリカなどではそれなりに大きな話題となっているようだが、僕には正直なところ新鮮味は余り無かった。というか、自分でタイトルに「秘史」とかつけていながらヌケヌケと言うが(笑)、細かいセリフはともかくとしてこの文書の内容に目新しい事実は何もない。つい先日読んだ江沢民・李登輝関係の本にもこうした「暗闘」はだいたい同様に描かれていた。後に江沢民が「楊尚昆は天安門事件関係の録音記録を持っている」などと言って攻撃したこともあり、この文書が本物だとするとどうもその辺から流れ出した資料である可能性が高いような気がする。もっとも、一部にはこの文書に香港や台湾で使われ北京首脳部が使いそうにもない表現があるという指摘もあり、亡命している民主化運動家が「自作」した可能性も捨てきれないが。なお、当然の如く中国政府はこの文書を「デッチ上げ」と主張している。

 この「文書」が本物かどうかはともかくとして、いくつか「天安門事件」の性格について考えさせられる内容を含んでいるな、とは僕も感じた。趙紫陽の発言の中に「平和的解決」を図りたい理由として「外国からの投資促進」が挙げられている点などは、さすがは改革・開放のリーダーで「第三の波」愛読者でIT時代への対応まで主張していた趙氏だな、と思ったし、トウ小平の発言中の「我々だって社会主義の民主化はしたい。しかし急いではいけない」というくだりなどは、その後の中国の展開を考えると非常に意味深なものがある。「我々が断固たる行動に出なかったら内戦になっていた」という発言だってあながち妄想ではないように思う。文革後の「四人組」打倒のキッカケとなった「第一次天安門事件」の実例も考えあわせると、民主化を求める学生達の思惑とは別に、当時の共産党内部の保守派・改革派の激しいせめぎ合いの中で「第二次天安門事件」があったのだと考えるべきだろう。

 ついでながら今度の「文書」流出についても、中国内の改革派が保守系に揺さぶりをかけるためにやった「作戦」だという観測も出ていて、否定できないところもあるんだよな。



◆「味の素」トンだ騒動
 
 日本ではそれほど大きなニュースにされていないような気もするが、日本企業が外国で大変なトラブルに見舞われてしまい、東南アジアではかなり大きなニュースとなっているようだ。とりあえず「沈静化」の方向ではあるんだけど。

   正月明け早々の1月4日、インドネシアの保健・社会福祉省は「味の素インドネシア」に対し、同社の化学調味料の回収を命じた。この件で僕などは初めて知ったのだが、「味の素」ってインドネシアなど東南アジア各国でかなり普及していたんですねぇ。なんでも「味の素」の日本での売り上げは頭打ちで(その昔「頭が良くなる成分が入っている」とか言って売りまくったこともあったそうだが)、そのぶん海外で新市場を切り開こうとかなり前(1969年)から東南アジアなどに進出していたのだそうで。インドネシアじゃ「アジノモト」ってのが日本の代名詞になるほど良く知られた存在になっているという(もっとも侮蔑的意味を込める場合もあるとのうわさも聞く)
 さて、「味の素」回収命令の原因だが、これが宗教的な問題に絡んでいたから騒ぎが大きくなった。すなわち、「味の素」の製造過程で豚から抽出した酵素が触媒に使われていることが問題とされたのだ。インドネシアは国民の8割以上がイスラム教徒という、人口だけで見れば世界最大のイスラム国。そして良く知られているようにイスラム教徒は豚肉を食べることを戒律で固く禁じている(ユダヤ教にもそんなのがあったような気がする)。豚肉を食べないのはヒンズー教徒の牛に対する神聖視などとは大いに異なって、純粋に豚を「穢れた生き物」とみなす発想に基づいている。だから今回の「味の素」事件にはイスラム教徒達は戦慄し、大きな反応を示したのだ。

 味の素側も言っているように厳密に言えば最終的な商品に豚肉が含まれているわけではなく、豚から出た物質がイスラム教徒の口に入るわけでも何でもない。しかし「豚」に対する拒絶反応はそうした理屈を通り越したところにあるようで、とにかく製造過程に「豚」に関わるものがあったという、そのことだけでも犯罪に等しい行為と認識されるようだ。
 インドネシアでは多くの食品に、それがイスラムの教義に適応しているかどうかを示す「ハラル」という認証マークが入っていて、イスラム教徒が安心して食品を購入できるようになっている。「ハラル」の判断を下すのは政府機関ではなくイスラム指導者団体「ウラマ評議会」だ。「味の素」もやはり「ハラル」の認証をちゃんとうけていたのであるが、昨年九月の検査で製造過程に触媒として豚から抽出した酵素が使われていることが指摘され、問題となった。「最終的な商品に豚の成分が含まれているわけではないから良いんじゃない」との意見もあるにはあったが、結局11月にウラマ評議会は味の素インドネシアに自主回収を勧告。しかし味の素側はこれに応じず、豚ではなく大豆から抽出する酵素に切り替えることで対応しようとしたようだ(このへん、、報道により錯綜していて正確は期せない)。そしてとうとう正月明けに全品回収・「味の素インドネシア」の社長らの逮捕という事態に至ってしまったわけだ。まぁ「味の素」がそれほど酷いことをしたとも思えないんだけど、対応において事態を甘く見ていた節は感じますね。
 騒ぎはその後やはりイスラム教徒の多いマレーシアにも飛び火しているようだが、とりあえず9日、同国のワヒド大統領はたまたま訪問中だった高村正彦法務大臣との会談の中で、「製品に豚の成分は入っていないと報告を受けている。イスラム教徒が口にしてもよいと考えている」と明言した。単に大統領と言うだけではなくイスラム団体の指導者という立場でもあるワヒドさんの発言だけに重みがある。まぁ日本から来たお客にリップサービスという部分も無くはなかっただろうが。昨年の日本での「雪印騒動」程度のダメージで終わる様子かな。

 ところで、この一件で思い出した「ボツネタ」がある。
 昨年12月、中国は山東省で、イスラム教徒(回族)と漢族の衝突事件が起こっていて、少なくとも数人の死者が出ていたらしいのだ。「らしい」というのはこの事件について詳しい報道をしたのが香港の人権団体のみだったからなんだけど、その後何も言わずに中国政府が山東省長を更迭したりしているので、結構大きな衝突があったのは事実のようだ。なんでもあれこれ住民同士の対立があった挙げ句、漢族の肉屋が「イスラム教徒用の豚肉」という看板を出して挑発し、衝突に至ったとのことである。
 中国には一度しか行ってないし食品をいちいち確認したこともないんだけど、インスタントラーメンにちゃんと「イスラム教徒でも食べられます」という表示(つまり「ハラル」ですな)が出ていたのをみたことはある。中国にはウイグルみたいに住民のほとんどがイスラム、という地域もあるが、それだけでなく結構全国的にイスラム教徒がいるんだな、と思わせる事件でしたね。

 日本でも一時イラン人がやたらに来たときに、刑務所で豚肉を出しちゃったり、行き倒れのイラン人の遺体を火葬にしちゃったりして問題になったことがある。日本人ってとくにイスラム教徒との関わりは歴史的に薄かったから(あのザビエルも日本に来てその事を喜んでいる)悪意がなくても彼らにとってトンでもないことをしてしまうことはままある。今度の騒動の原因がそうだとばかりは言えないが、違う文化を相手にするとき一歩間違えると大変なことになる、ということは肝に銘じておくにこしたことはないでしょうな。
 


2001/1/10記

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ