…っと、前フリはスイスの話だったが、実は本題はもう一つの「永世中立国」であるオーストリアのことなのだ。オーストリアといえばちょうど一年前の「史点」にもあるようにハイダー氏(現在は党首の地位は降りている)率いる極右政党・自由党が政権参画したことが騒ぎを呼んでいた。当初EU諸国はこの自由党の政権参加を警戒し、経済・外交制裁など様々な圧力を加えていたが(先日もハイダー氏イタリア訪問はちょっとした騒ぎになっていた)、現在のところ「ほとぼりがさめた」ということなのか、一頃ほどの激しい反発は見受けられなくなったような気がする(もちろん自由党側も警戒されるような言動は控えているようだが)。オーストリア国内でも自由党に対する批判運動があるのは確かだが、オーストリア国民の大多数の意見かというと決してそうでもない。
大騒ぎされた自由党の陰になって、こちらから見ていると目立たない観のあったシュッセル首相率いる国民党だが、支持率も着実に伸びて今やそれ以前に政権を担ってきた左派政党・社会民主党に並ぶ勢いがあるという。これに勢いを得たらしく、1月末にオーストリア政府は「国家安全保障ドクトリン」なるものを閣議決定した。そこには「永世中立は現代の欧州では意味を持たない」「国土や国民を守る最善の方法は、欧州諸国との包括的で平等な統合」といった文言が記され、オーストリアがこれまで堅持してきた「永世中立国」という看板を下ろし、西ヨーロッパ・アメリカの軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)にも参加しようという姿勢を示したのだ(元ネタは「読売新聞」記事から)。これがキッカケでオーストリアでは永世中立放棄の是非をめぐる議論が巻き起こっているという。
オーストリアが「永世中立国」となったのにはスイスとはまた違った歴史的経緯がある。第二次大戦期、オーストリアはナチス・ドイツに併合され、敗戦後はアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の四カ国によって分割占領・管理された。この時期を描いた名作が映画「第三の男」ですな。映画の中でオーソン=ウェルズが「スイスの長い平和が何を生んだ…?鳩時計さ」なんてセリフを言いますっけね…っと、やや脱線。このパターンだと下手すると東西ベルリンの二の舞の恐れもあったのだが、とりあえず共和国政府は単独のものが作られ、1955年5月に「オーストリア国家条約」が占領四カ国によって結ばれ、占領軍は全て撤退し完全独立が達成された。この時にオーストリアが選択した…というか選択させられたのが「永世中立国」という姿勢をとることだった。時は東西冷戦の真っ最中であり、ドイツのような分断の悲劇を避けるための方策でもあっただろう。
その後、オーストリアでは先述の社会民主党が長期左派政権を維持し続けたため、「永世中立」は時々議論を呼びながらも堅持されてきた。しかしここに来て極右も含む保守系政権はついにその「聖域」に踏み込んだわけだ。なんとなく日本の憲法9条論議を連想させるところである。
政府の発表した「ドクトリン」は「永世中立は現代では無意味」という主張をしているわけだが、国民の多くはまだまだ「永世中立放棄」には及び腰といったところであるらしい。また、NATO加盟には77%もが反対しているとの世論調査もあるそうだ。このへんは一昨年のNATOのユーゴ空爆の影響もあるような気がするけど。
1月にとうとう大統領の地位を追われてしまったフィリピンのエストラーダ大統領であるが、依然として「俺が大統領だ!」と言い張っているという。マラカニアン宮殿を追われたときも泥酔してそんなこと口走っていたのは聞いていたが、どうもシラフになった今でもそのつもりであるらしい。いやはや、ここまで来ると何というか…
1月31日に開かれた自らの政党「フィリピン大衆党」の大会に出席して「マラカニアン宮殿を去ると言ったが、大統領を辞任したわけではない。私が選挙で選ばれた真の大統領だ。新政権は法的に必要な手続きを経ておらず、アロヨ氏は大統領代行にすぎない」と演説したのだそうな(笑)。うーん、確かにアロヨさんが選挙を経ていないのは確かで、その意味ではエストラーダさんがちゃんとした選挙の洗礼を受けていると言えばその通り。しかしなんで自分が宮殿を追われるハメになったのか分かってないんと違うかな。5月に行われる中間選挙には妻も息子(正妻の子と愛人の子の両方だそうな)も出馬するそうで、本人もけっこうマジであるらしい。貧民層を中心に相変わらず熱狂的なエストラーダ支持者もいるそうだし、ちょっと風向きが変われば可能性は無くもない(あの一種の「ノリ」のような「革命」を見ているとそう思う)。アロヨ大統領側も当然警戒しており、この大会の前日に「政権に悪影響を及ぼす敵に忠告する。私はあなたたちをつぶす」とTV演説をしていたという。
昨年末にフジモリ前大統領が日本に「亡命」しちゃったペルーでは、そのフジモリさんに追われた形になっている前々大統領、アラン=ガルシア氏が亡命先のコロンビアから8年ぶりにペルーに帰国した。それまで出ていた逮捕命令が18日に時効として取り消されたためで、帰国したガルシア氏を数千人の支持者が歓迎したという。当然ながら狙いは四月に行われる予定の大統領選への出馬だ。現時点では昨年フジモリさんと大統領選を争ったトレド氏が支持率トップを走っているそうだが、もしかするとガルシア氏にも目がありそうだとのこと。
ちなみにフジモリ氏だって今なおペルー政界への復帰を画策し続けていると言われており、今年は無理だとしてもいずれ風向きが変わればガルシア氏同様、大統領選出馬・返り咲きの可能性はある。それにしてもおんなじようなことを繰り返してる気もしますな。
インドネシアでも大統領が受難中。同国のワヒド大統領が元側近の政治資金流用疑惑などによって、2月1日に国会から問責決議を突きつけられた。ワヒド大統領側は「これはスハルト一派の陰謀だ!」という主張でかわそうとし、また「私の支持者15万人が議事堂を焼き討ちにするだろう」などという脅し文句も吐いたため、議会側が反発し「弾劾」の可能性も出てきている。
登場以来ワヒド大統領の姿勢をわりと評価する事が多かった僕だが、この金絡みの疑惑は「だらしがない」事であるのは確か。なにやらフィリピンみたいな状況になってきてかなり政権にとっては危険だなとは思う。ジャカルタの騒ぎの様子を見ている限り、「ワヒド退陣」を求める群衆がいる一方で、支持を叫ぶ勢力も結構いて事態はそう単純では無さそうだが。先日の「味の素騒動」もスハルト政権時代の残存勢力との政争が背景にあったと言われているし、表面に見えないところであれこれと暗闘があるんだろうな。もし「ワヒド退陣」ということになるとスカルノの娘であるメガワティ副大統領に大統領の椅子が回ってくることになりそうだが…あれ?なんかこれもフィリピンとソックリだな。
南米チリの独裁者だったピノチェト元大統領が、とうとう「殺人罪」「誘拐罪」の容疑で起訴された。一昨年に入院先のイギリスで逮捕・拘束されて、すったもんだの議論の末に帰国となったが、その後も訴追に至るかどうかでずいぶん話が揺れ動いていた(昨年末にいったん起訴されたが最高裁が手続き上の不備があるとして無効にしていた)。先日、ピノチェト氏に対する精神鑑定が行われて(なにしろ高齢なので)、その結果を受けて改めて起訴に踏み切ったというわけ。
「殺人・誘拐」の疑いを直接的にかけられているのは軍政下の1973年に起きた「死のキャラバン事件」に関するもの。左翼活動家など民間人70数名が殺害・行方不明となったとされる事件で(ついでながら他にも似たような事件がいっぱいある)、ピノチェト氏がこの事件を共謀した、というよりは指示したとして訴えられているわけだ。とにかくこの人については存命のうちにいろいろ決着をつけて置いた方がよい。
「MI6」といえばイギリスの対外諜報機関。ご存じ「007」ことジェームズ=ボンド氏もここに勤務している。もちろんあんな映画みたいなことはやってないだろうし、数々のトンデモ秘密兵器の開発を地下室でやっているなんてこともないだろう。しかし、なにせやっていることはスパイ活動。ハタから見ていると笑っちゃうような「大作戦」を展開することが多いのも事実なのだ。「007」の作者イアン=フレミングもやはり諜報部員だった過去があるが、これまたかなりの奇想天外な作戦アイデアを思いついてはボツを食らうお人であったと言われている(MI6ネタを書くときはいっつも同じ枕から入るな、と長期の「史点」読者は思うでしょうな)。
この「MI6」に所属していた元諜報部員が、インターネットでMI6の機密暴露を行い話題になったことがある(「史点」でも99年5月16日付でとり上げた)。その名をリチャード=トムリンソンといい、1991年から1995年までMI6に所属していた。聞くところに拠るとMI6にもリストラの嵐が吹き荒れこの人をクビにしたのだが、彼は逆恨みしてMI6の内幕暴露本の執筆・出版に乗り出したが、イギリス政府はこれを「公務員の守秘義務違反」として差し止め、結局トムリンソン氏は国外へ逃亡。本人の語るところによればそれこそスパイ小説さながらの追いかけっこが展開されたが、99年にアメリカからインターネットで内幕暴露情報を発信。MI6はロシアなどにいる情報部員の安全を守るため大急ぎで帰国させたと言われている。
そのトムリンソン氏の名前が久々にマスコミに登場した。とうとう念願の暴露本「ビッグ・ブリーチ(掟破り)」を出版したのである。しかも「旧敵国」であるロシアから(笑)。なんでも本の中身は主にMI6のロシア工作の数々を暴いており、MI6が多額の費用と人員を投入して結局空振りに終わった多くのトンデモ大作戦が書かれているという。ぜひ読んでみたいんだけど、日本で翻訳でるかなぁ(笑)。なんでもロシア国内の協力者をつり上げるために架空の通信社を設立して結局無駄に終わったなんて話も出ているそうだ。CIAも似たような話がいろいろとあったな。
トムリンソン氏本人は姿を未だに見せておらず、モスクワでの出版記念の会見も代理人が行っている(本人とは携帯電話で連絡を取っているという)。なんでもトムリンソン氏自身はイタリア中部のリミニにイギリス当局の監視付きで住んでいると言っているそうで。
さて本題は地震の中で聞こえてきた話題の一つ。
今回大地震が襲ったグジャラート州というところ、インド亜大陸西部がインド洋にちょいと突き出したところに位置している。この位置をTVの地図で見て僕がすぐに思い出したのが「ドーラビーラ遺跡」のことだった。これもまた以前「史点」で取り上げたことがあるのだが、インダス文明の遺跡ですでに良く知られているモヘンジョ=ダロ、ハラッパに匹敵する、あるいはそれ以上に貴重な遺跡とも言われている。この遺跡のことが騒がれるようになったのは比較的最近のことで、インド文明の源流であるインダス文明の代表的遺跡をパキスタンにとられている形のインドが近年調査を進めて世界遺産に申請するなどして大きく持ち上げるようになってきた。それが今回の大地震のあったグジャラート州にあるので、僕はちょいと不謹慎ながらこの遺跡の状態がどうなったのか気にはなっていたのだ。
そしたらインドの新聞が大々的にこの遺跡についてのニュースを報じ始めた。インディアン・エキスプレス紙が1面トップで報じたところによると、ドーラビーラ遺跡は今回の地震でビクともせず、無傷であったという。「遺跡は無事で、城壁内の城塞や町にもまったく被害がない」とやたらに強調しているそうな(訳文は「朝日新聞」による)。発掘調査員のための小屋や近くの村の建物などが軒並み倒壊した中で「築5000年」の遺跡が無事だったことは驚異だという報じ方であるらしい。
ま、もともと遺跡そのものは廃墟になっているわけで、それがどれほど「無事」なのか分かりませんが(笑)。良く地震の起こる地方だそうだから5000年前も地震対策をしていたかもしれないし、今日まで残った城壁などは「たまたま上手くできていた」から残っているってことなのかもしれない(そういうネタがいしいひさいちの4コマにあったな)。地震で落ち込んだ人々の心に「我々の祖先は凄かった!」と思うことで勇気づけられるってことなんでしょうね。