思いがけなかったのはこのハワイ沖の悲劇が、日本の政権を揺るがす…というかほぼ止めを刺す事態を引き起こしてしまったことだ。
さんざん各マスコミでやってるから僕がクダクダ書くことは避けたいが、要するにこの事件の一報が入ったとき、我らが森喜朗首相は神奈川県の名門ゴルフ場でプレイ中だった。まぁこれは不可抗力というものだから仕方がない。しかし一報が入った後も二時間ほどプレイを続けていたことが判明し一斉に首相に対する非難の嵐が巻き起こることになった。ここでまだ黙って神妙にしていればそう大事にならずとも済んだような気もするが、なぜかこの人はマスコミに対して「弁明」というか「反論」を雄弁にしてしまい、かえってドツボにはまってしまうという特性がある。そこで例によって「失言」をやらかしてしまい、ほぼ全マスコミを敵に回す結果になってしまった。
さらに追い打ちをかけたのがこの時プレイしていたゴルフ場の会員権の問題だった。この会員権を森さんが知人から無償で譲渡される形になっていたことをマスコミがスクープし、これでほぼ与党内でも「森はもうダメだ」という声が大きく挙がるようになった。この会員権の一件だけど、そのゴルフ場をたまたま「森番」の記者が取材して発覚したのか、それとも「森おろし」をしたい勢力が意図的に情報を流したのか、ちょいと気になるところではある。この一件が「失言」や「ミス」のようなやや感覚的に反発を招くものではなく、法的に問題のあって「致命傷」につながるものであっただけに。
かくして僕がこの文章を書いている時点での各種世論調査では、森内閣支持率は最高でも10%前後、最低ではなんと5.4%なんて数字が出ている。これでもリクルート事件の時の竹下登内閣末期には及ばないようだが(各種数字の違いはあるが、竹下内閣は最低5%を切っていたはず)もはや「政権」とは呼びがたい状態になっていると言っていい。「森おろし」の声は連立与党の公明党からやたら声高に上がっていて、「内閣不信任案が出たとき、最初から反対と決めているわけではない」なんて去年の加藤紘一氏のような発言まで出して自民党に揺さぶりをかけている。このまんま参院選突入したら森さんと心中になる、それはかなわんという気持ちが露骨に出てますな。自民党内でも事情は大して変わらず、おおむね「森退陣」という線で党内がまとまりつつあるように見える(亀井静香氏は相変わらず名前と似合わず吠えているが…)。すでに野中広務、小泉純一郎、高村正彦、はたまた扇千景といった名前が「ポスト森」候補として取り沙汰されているが、いずれも決定打には乏しい。しかも現状では参院選までの暫定なのは明らかだし引き受けたくない人も多いだろう。
それと、もちろん森さん本人が「辞める」と言わない限り「退陣」は無い。本人は依然としてやる気満々の発言をしており、案外がんばっちゃうかもしれないんだよね。過去にも事例があるのだが周囲が「辞めろ」と迫っても本人がウンと言わない限り、首相というのは簡単に辞めさせられるものではない。
ところで話は事故を起こしたアメリカ海軍に飛ぶ。
今度の事件で少しずつ明らかになってきて日本人、そしてアメリカでも結構大きな問題とされたのが、この原子力潜水艦に民間人が見学ツアーのようにして乗り込んでおり、しかも操縦にまで携わっていたという事実だ。もちろんこれは日常的に行われていることで必ずしもこの事が直接事故に結びついたわけではなさそうなんだけど、やはりどこか艦内の気分が物見遊山的でルーズになっていたんじゃないかという想像は誰もがするはず。そしてまたそこに海軍の活動に対して市民の理解を深めてもらおうという海軍側の涙ぐましい(?)事情があるまでが浮かんでくるようだ。もちろん隠密活動をしているよりはずっと健全なことなんだけど、それだけ「軍」の存在意義が冷戦期より薄れているということも言えるかも知れない。
そして日米のマスコミが連日この衝突事故について騒ぎ続けていた2月16日(日本時間だと17日未明)。
アメリカとイギリスの戦闘機24機がいきなりイラクの首都バグダッド近郊を空爆した。標的はイラク軍の防空・指揮・統制関連5施設で、長距離偵察レーダーなどが爆撃されたという。イラクには湾岸戦争後、アメリカ・イギリス両国によって勝手に「飛行禁止空域」が国土の南北に設定され、英米両軍によるこの地域での小規模空爆活動は日常的なことであるらしいのだが、今回の空爆はこの空域から明らかに外れていた。そこでブッシュ大統領が直々に許可を出して攻撃を実行に移したという。
いきなりの爆撃の理由について、英米両国は「今年に入ってからイラク軍が飛行禁止空域で監視飛行している我が軍機に対空砲やレーダー照射を行う頻度が増しており、自衛的措置として実行した」と説明している。それなら一言警告してからやっても良いような気がするが。そもそも「飛行禁止空域」だって英米が勝手に決めたことでイラクはおろか国連だって認めていないものなんだけど。この空爆の結果、イラク側の発表によればだが子供を含む死傷者が出たという。空爆実行後にブッシュ大統領は「フセイン大統領が大量破壊兵器を開発すれば「適切な措置」をとる」と明言し、ブレア英首相は「サダム・フセインがもたらす破壊と苦しみ、死を防ぐために、今後もあらゆる必要な措置をとり続ける」と述べたそうな。たまたま新聞で見かけたが、マハティール・マレーシア首相は「人を殺しておいて何が人道だ」とか言っていたっけ。ロシア・中国・フランスといった常任理事国、そして当然ながら中東のアラブ諸国も今回の英米の唐突な行動には反発を強めており、「親米」とされる国でもむしろイラクに同情的だ。「今回の空爆でいちばん得をしたのはイラクのフセインじゃないか」なんて冗談とも言えない声も聞かれる。
で、話をつなげると、どうも(特に日本人には)この唐突な空爆が潜水艦の事故の一件と表裏一体になっているように感じられてしまう。もちろん空爆計画自体はその前からあっただろうし、発足したばかりのブッシュ新政権の中東政策の強硬方針を示す景気づけの初仕事(なにしろ副大統領と国務長官は湾岸戦争の指揮官だもんね)という部分もかなりあるだろう。でもやっぱりこのタイミング(ブッシュ大統領が許可を出したのは15日)で目立つ空爆を実行したのは潜水艦の事故に対して「軍の威信回復」と「政権への批判そらし」という計算が働いていたようにしか見えないんだよなぁ。実際アメリカではこの空爆を76%が支持しているそうだし(__; )。クリントン前大統領の不倫スキャンダル騒ぎの時にも図ったようなタイミングで空爆が行われた故事があるだけにあながち「うがった見方」とも言えないと思う。なんというかイラクはアメリカの「ストレス解消」用に重宝されているような…
…ともあれ、僕が現在確実に思っていることは…この夏公開予定のハリウッド大作「パールハーバー」の日本での興業成績にこの事件がいささか影響を与えるだろうな、という妙なものだ(苦笑)。とか言っていたら、日本テレビが「金曜ロードショー」でのアメリカ製「GODZILLA」の放映を中止したりしている。
2月12日、タイの最北であり隣国ミャンマーと国境を接するチェンライ県でタイ・ミャンマー両国軍隊による武力衝突が発生していたことがタイ当局から公表された。なんでも9日夕方にミャンマー軍約200人が越境してタイ軍基地内に侵入したため、これにタイ軍が応戦し追い払った。戦闘は11日朝にも起こり、ミャンマー軍が放った砲弾が近くの町の寺院や住居を破壊し、このため民間人の死者が二人も出てしまったという。13日まで戦闘は続いてなんとか収まったが、タイ側で9人、ミャンマ−側で14名の兵士が命を落としたという。
さてまるで戦争でも起きたかのような事態であるが、ミャンマー側は町への砲撃については「自分達ではなく反政府勢力『シャン州軍』がやったこと」とし、また越境しちゃった軍の行動についても「『シャン州軍』を攻撃するためのもので、事前にタイにも知らせた」としている。この『シャン州軍』というのは「少数民族反政府組織」と記事に出ていたから、例のカレン族とかあのあたりの組織なのかも知れない。タイ・ミャンマーの国境地帯でこうした少数民族の活動があるのは確かなのだが、それにしてもミャンマー側の弁解はかなり苦しいものとしか受け取れない。
「史点」ではほとんど無視する形になってしまっていたが、おりしもタイでは政界で大きな変動が起こっていた。新党「愛国党」を旗揚げした資産家のタクシン氏が選挙で勝利して政権交代を実現し(もっともこのタクシン氏、資産隠し疑惑があって、有罪になると公民権停止なんだよね)、就任したばかりだったのだ(正式には18日に国王の前で宣誓式をしてから)。そのまさにその日に軍事衝突が起こったことにタイ側では「ミャンマーの軍事政権がタイ新政権がどんな反応をするのか試してみたんじゃないか?」との憶測が広がっているらしい。まぁたぶんそんなところだろう。過去にもいろいろとあった両国だし。それにしてもこんな「実験」で殺される兵士もたまったもんじゃないよなぁ。双方とも仏教国だろうに。日露戦争の時トルストイは日本を「殺人を禁止している仏教徒の国」と呼んでいたとか…って脱線してますね(^^; )。
ミャンマーという国は長期にわたって軍事独裁政権が続いている。それに反対して民主化を叫ぶアウンサン=スーチー女史がいることでも世界的に良く知られている。今回の越境騒動にもこの国のこうした政治体制の影ががちらついている。最近は軍事政権側もひと頃よりは軟化しようとしているらしいが…
そんな折り、2月19日にこのミャンマー軍事政権においてナンバー4とも言われる重要人物がやや謎めいた事故死を遂げていた。この日に建設中の橋梁を視察していた高官達の乗るヘリが墜落し、この「ナンバー4」であるティン=ウ第二書記ほか数名の幹部が死亡した。このティン=ウ第二書記は保守派の大物と見られていて、最近のミャンマー軍政内での柔軟派・保守派の対立の情勢においてこの人物の死が微妙な影響を与えそうだとのこと。
しかしどうも元ネタの新聞記事などから見る限り、この「事故死」は周囲からかなり疑惑の目で見られてしまっているようだ。なにせこの人は1996年に爆弾テロの標的として狙われ、さらに翌97年に自宅に小包爆弾を送りつけられ長女を死なせているというのだ(なぜかこの小包爆弾は日本から発送されているそうな)。もちろんだからといって今回の事故が実は暗殺だったと断定することはできないが、ミャンマーという国の現状がこの人物の不幸続きににじみ出ているような気もしますね。
UNEPがこうした発表を行った背景には、やはり最近急速に進みつつある「グローバリゼーション」=「世界一体化」への、とくにアジア・アフリカ諸国に根強い警戒意識があるようだ。実際「グローバリゼーション」と言ったって実質的には世界の「欧米化」という性格が強いことは否めないわけで、非欧米地域がそれまで保ってきた独特の文化もまた絶滅しかねない状況が現出してきている。この報告でも単純に「言語絶滅」の危機を訴えるだけでなく、欧米型近代文化・生活様式の世界的な浸透によって伝統文化が希薄になってきていると警告することに重点が置かれているようにも感じる。日本でもこの手の「伝統文化重視」論が出ることもあるが、日本なんかは割とヒョイヒョイと文化を乗り換えてしまう気軽さもあって(日本の歴史を振り返れば分かるがとにかくよそから来たものにアッサリと染まる傾向がある)現在世界各地で吹き出している「反グローバリゼーション」ほどの切実感は感じないけどね。
もちろん実際には言語の絶滅はグローバリゼーション進行以前から起こっていた。人間がいつから言語を使用していたかは「歴史」の守備範囲を超えかねない領域だけど、少なくとも数万年という「言語史」の中で多くの言語が現れては消えていったはずだ。人類が「歴史」を残すようになってからの数千年の間にも多くの言語が現れ消えていったはず。また時代の流れと共に言語自体も変化していくことは言うまでもない。日本においても古代の言語はかなり失われてしまっているし(それでも世界的に見れば変化の少ない言語のようだが)、各地の方言も独立の言語とみなせばかなり失われつつある(だから保存活動をしている人もいる)。またアイヌ語にいたっては事実上話し言葉としては絶滅状態と言っちゃって良いと思う。琉球語もそれに近くなってきているかも知れない。そういえば以前「史点」で「満州語絶滅危機」をとりあげたこともありましたな。
僕などはどちらかというと世界中が同じ言語を話すようになっちゃうのが理想的と考えている人間なので、あまり「言語の絶滅」に対して危機意識はわいてこない。学術的に保存・研究するということの大切さは分かるつもりだけど、言語は本来人間間のコミュニケーションの手段であるわけで、世界中の距離が縮んで人類全体の関係が密接化している今日では意志疎通のためにも言語が「一体化」の方向へ向かってしまうのもやむをえないと思うところ。余談だがアシモフが描くはるか未来の「銀河帝国」世界では英語で言語が統一されてしまっている(方言はあるみたいだけど)。そのことが物語の後半、忘れられた人類の発祥地探しに絡んできたりもする。
まぁこのUNEPの報告もむやみに言語を保存しようと言ってるわけではなく、それらの固有言語が持っていた自然に対する知識などが失われるというところにポイントを置いているわけだが。
さて、そんな枕から本題に。
ネルソン=マンデラと言えばもはや世界史の教科書にも載るような現代史を代表する人物となっている。言うまでもなく、南アフリカで長く続いた人種隔離政策「アパルトヘイト」への抵抗運動を指導し、何度も逮捕・投獄されても志を曲げす、最終的にアパルトヘイト撤廃を実現し、とうとう南アフリカ初の黒人大統領にまでなってしまった人物だ。まぁ大統領になってからもいろいろと大変だったようだが、ともかく激動の20世紀の歴史の中でひときわ輝く存在であるには違いない。
で、そのマンデラ氏は1964年に「国家反逆罪」の容疑で自らの指導する「アフリカ民族会議(ANC)」の幹部らとともに裁判にかけられた。結局これで終身刑を言い渡されるわけなんだけど、この判決が出る直前にマンデラ氏は最後の意見陳述を行う機会を与えられた。ここでマンデラ氏が行った演説は三時間の長きに及び、アパルトヘイトの不当性と自分達の活動の正統性を訴えている。その最後には「全ての人々が調和し平等な機会を持つ、自由で民主的な社会という理想、その理想のためなら私は死んでも良い」という名文句で締めくくられている。この裁判とこの演説が世界中で反響を呼び、南アフリカの歴史のターニングポイントになったと言われているそうな。マンデラ氏の釈放ははるか後の1990年のことになるんですけどね。
ところでこの演説は裁判の証拠品とするためだったのか、しっかり録音されていた。しかしこの録音、ちょいと変わったものでなされている。「ディクタベルト」という40年代から60年代にかけて口述記録などに使用されていた録音テープの一種だったのだ。今や再生する機械は世界でもほとんどない。しかもこの名演説については南アフリカの白人政権が闇から闇へ葬ろうとしていたこともあって南アフリカ放送協会の倉庫の奥底に保管されていつしか存在を忘れ去られてしまっていた。ようやく発見された「歴史的演説」の録音だったが、再生する方法が無いという困った事態になってしまった。
すると世界を探せばなんとか道が開けるもので、イギリスの「英国図書館(BlitishLibrarly)」にこの「ディクタベルト」の再生装置が残っていたのである。南アフリカからの協力要請を受けて英国図書館が録音を再生、「歴史的演説」を蘇らせることに成功したのであった。
なお、この歴史的演説は英国図書館のwebサイトで聞くことが出来る。もちろん3時間もの演説をネットで聞くのはちょいと現状では無理というもので、あくまで一部を聞かせてくれるだけだ。
「リアルプレイヤー」などストリーミングメディアを再生する環境をお持ちの方は「英国図書館(http://www.bl.uk/)へアクセスしよう。その中で検索をかけたりして調べると見つかる。英語だらけで探すのがうっとうしいというものぐさな方には音声ファイルへの直リンク(http://www.bl.uk/information/pr2001/mandela3.ram)を。かなりクセのある英語を話すマンデラさんの名演説を聞くことが出来ます。しかしまぁこれもネット時代の凄さだなぁと僕などは思ってしまうのでありました。