かつてシルクロード上のオアシス交易都市であり、仏教が盛んだったバーミヤンにはあの玄奘三蔵も立ち寄っていてそこにある巨大な石の大仏のことを旅行記に書き記しているという。この大仏を含む仏教遺跡・美術品の多くがこのたび大ピンチに陥っているのだ。
現在このバーミヤンはアフガニスタン領で、いまこのアフガニスタンはあのイスラム原理主義集団「タリバーン」がほぼ全土を制圧しつつある。このタリバーン、たびたび「史点」ネタにとり上げられるような妙なというか極端なイスラム原理主義政策をとることで良く知られている。例えば昨年には「男はムハンマドのように豊かなヒゲをたくわえよ」ってな布告が出ていたし、昨年の干ばつの時も「不信心者がいるから神罰が下ったのだ!」とか騒いでいたっけ。つい先日も売春婦として逮捕された女性数名が競技場で公開で絞首刑に処されたりしていた。こっちから見ているとかなり無茶なことをしているようなのだが、ソ連軍撤退後の内戦で彼らが勝利者となり全土を制圧できたのは一つには彼らの異常なまでの厳格さに理由があったようである。実際ほかの武装勢力に比べて軍紀がしっかりしていたってのは確からしい。
「神罰」の一件で昨年その名を「史点」に登場させていたのがタリバーンの最高指導者モハマド=オマル師。彼が2月26日に聖職者と最高裁の決定によるものとして「神はただ一つであり、これらの彫像が崇拝されるのは誤りである。破壊によって現在も未来も崇拝されぬようにせよ」との布告を出した。ここでいう「彫像」とは主としてアフガニスタンの各地に存在する仏像のことだ。とくにそれが石窟寺院遺跡のあるバーミヤン付近に集中している。そこで最大のターゲットであり世界中の注目を集めるのが例の巨大石仏というわけだ。
実は彼らが仏像破壊を言い出したのは今回が初めてではない。1997年にも同様の「仏像破壊指令」が出されこの時は世界中の非難もあってひとまず撤回したが、1998年には爆撃機で大仏の一つに砲弾をブチ込んだりしている。内戦の過程でもタリバーンの兵士らにより各地で仏像破壊が行われていたようだ。
良く知られていることだがイスラム教は「偶像崇拝」を厳重に禁じている。「旧約聖書」にも偶像崇拝を禁じる話がイロイロと出てくるから、たぶんユダヤ教の影響なんじゃないかと思うのだが。ユダヤ教を引き継いだキリスト教も当初原則としては偶像を使用しなかったが、布教に便利ということもあって(人間、形があるものの方がとっつきやすいですからね)いつの間にやらマリアとか十字架のキリストの像を平気で造るようになっていった。世界史でもおなじみの「聖像禁止令」なんてのが東方正教会から出されたこともあるが、この正教会も結局イコンとか偶像を作るようになっていってしまった。仏教だって当初は像を造ったりはしなかったようだが(別に禁じてもいなかったみたいだけど)、他文化に普及していく過程で仏像製作とそれらへの崇拝が行われるようになった。そう考えるとイスラム教は偶像崇拝をあれだけ厳格に禁じながらよくまああんなに信者を増やしたものだとは思う。
イスラム教の創始者ムハンマドの生涯を描いた「ザ・メッセージ」という映画を見たことがある。この映画、中東イスラム諸国がオイルダラーを出し合って製作した映画だそうでなかなかに勉強になるのだが、伝記映画にも関わらずムハンマド本人はいっさい画面中に登場しない。これも「偶像崇拝」される可能性があるからってことなのだろう。だから表現上かなり無理が生じているのは否めないんだけど…(アンソニー=クインがカメラに向かって一人芝居してますな)。映画のラスト、ムハンマドは戦争に勝利しメッカを奪還、そのままカーバ神殿に向かう。そしてそこに安置されている数多くの神の像を次々と杖で倒して破壊していくのだ(もちろんムハンマドは映らず、杖だけが画面中に映っている)。
そんな故事があるもんだからイスラム教はその拡大の過程で確かに他宗教の偶像を破壊してきた歴史がある。しかしそれが絶対にそうかというとそうでもない(なんだかよくわからん文だな)。イスラム教徒は当然偶像を崇拝してはならないが、別に偶像を崇拝している宗教の信者にまでそれを押し付けようと言うことでもないのだ(イスラム教というのは存外他宗教に寛容なのがウリなのだ)。それにイスラム教国になった国々でも国内にあるすでに「歴史的遺物」となった以前の宗教の偶像をいちいち破壊しているほどヒマではない。それに今となってはそうした「偶像」が観光資源になるケースだってある。
実際、今回のタリバーンの行動にはイスラム諸国もかなり批判を強めている。エジプトにいるスンナ派法学者の最高権威の一人ナスル・ファリード・ワセル師はマスコミのインタビューに対して「仏像は単に歴史を示すものであり、イスラム教徒の信仰に悪影響はない」と至極まっとうな意見を述べている。また54カ国が加盟しているイスラム諸国会議機構(OIC)の教育科学文化機関はタリバーンの破壊活動を非難し、加盟国に中止させるための圧力をかけることを呼びかけている。タリバーンとは関係が深い隣国パキスタンも自重を呼びかけているそうだが…。
熱烈仏教国タイなどはタリバーンの行為を激しく非難し、仏像などを引き取りたいと申し出ているそうな。他にも世界の美術館などから同様の声明が出ているようだ(日本でも平山郁夫さんとかがやっぱり声明出しましたね)。
そんな非難はどこ吹く風、ということか、タリバーンは結局仏像への「攻撃」を実行中のようだ。バーミヤンの大仏には戦車砲持ち出して攻撃をかけているそうな。「仏罰」があたるぞ、ホント(聞く耳もたんだろうけど)。
もちろん物事には大抵ウラというか口に出さない事情が潜んでいると考えた方が良い。巷間言われているのはテロ支援などを理由に国連から経済制裁を受けているタリバーンが仏像を人質に制裁解除を要求している、という見方だ。あるいは単に注目を集めようとしているというところだろう。タリバーンの駐パキスタン大使も「国連は飢えで死にそうなアフガニスタンの民よりも、彫像の方に興味がある」と皮肉を言っていたという。タリバーンも政権を取ったら少しは大人しくなるかという気配を一時はみせていたんだけど経済的に苦しくなって逆に強硬策が幅を利かすようになったらしい。
27日の声明でオマル師は「破壊するのはただの石に過ぎない」と述べたという。だったらただの石にムキになるなよ、と言いたい。
3月1日、日本の中近東文化センターの調査隊(川床睦夫隊長)がカイロで記者会見を行った。それによればシナイ半島南西部の岩壁に7世紀から11世紀にかけて聖地メッカなどへの巡礼のためにこの地を訪れた旅行者達が書いた碑文群が見つかったというのだ。その岩壁は港湾都市として栄えたトゥール近郊のナークース山。この山の岩壁に幅400m、高さ30mにわたって1680個もの巡礼者の名前やその人の信仰告白などが記されていたそうである。1680個…全部数えたのか(^^; )。それも約400年にわたる歴史の中での1680名だ。数多くの巡礼者の中ではほんの一握りなんだろうけどね。
注目されたのが「ザキールはアッラーを信頼する。年35年」と書かれた信仰告白の碑文。ザキールとはこの文を書き付けた人物の名前だ。この文は最古のアラビア文字「クーファ書体」で書かれており、かなり古いものであることは明白なのだが、そこに「35年」という年号が書かれているところがさらに注目点だ。
「35年」とは普通に考えればイスラム暦(ヒジュラ暦)の「35年」ということになる。これまた世界史の授業でおなじみの話であろうが、イスラム教徒は預言者ムハンマドがメッカを追われて教団を率いて近くの都市メディナに移住したことを「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、この年をイスラム教の記念すべき第一歩として「イスラム暦元年」と定めている。これが西暦では622年7月16日に当たる(イスラム暦は昔の日本同様太陰暦なのでピッタリとあてはまるわけではない)。このあとムハンマドは十年後の西暦630年(つまりだいたいイスラム暦10年)にメッカを征服しその2年後にはこの世を去っている。で、その碑文が本当の事を書いているとするとイスラム暦35年(西暦だと655から656)というのはムハンマドの死からまだ20数年がたった程度という、まさにイスラム教の誕生間もない時期の巡礼者がこれを書いたということになるのだ。大変貴重な文献資料の発見と言っていい。
このザキールさんの書いた「クーファ書体」による文字としてはエジプトのアスワン墓碑にあるイスラム暦「31年」というがあり、これが確認される限りの最古のものだそうだ。今回の発見はそれに迫るものということだ。この文字だけでなく、400年分のさまざまな人々のアラビア文字が書かれているわけで、これらがアラビア文字やイスラム教徒巡礼の歴史を探る重大なてがかりになると期待されている。
それにしてもちょっと想像しちゃったんだけど、この1680もの名前とか信仰告白の文字群って何かに似てるよなぁ…そう、あれだ。観光地なんかに置いてある、訪問記念に旅行者たちがイロイロと書き付ける寄せ書きノートだ。ノートとかならまだしも建物とか岩とかに勝手に名前を書いたり彫りつけてたりしていく連中もいますよね。ちょっとあのノリを僕は感じてしまった(笑)。
実は朱印船時代にカンボジアのアンコールワットを「祇園精舎」と勘違いして「巡礼」する日本人達がいたんだよね。そしてやっぱりアンコールワットに落書きを残してきている(笑)。まぁなんとなくそんなことを連想しちゃったのでありました。
そんな大作家シェークスピアであるが、このたびとんだ「疑惑」が浮上している。南アフリカ共和国のトランスバース物館の研究チームが同国の科学専門誌に発表したもので、シェークスピアの、少なくともその周辺に「麻薬」の存在があったはずだと結論付けたのだ。この研究の中心となったのは古生物学者のサカリー博士だが、彼らはシェークスピアの生家の周辺で見つかり今は博物館に保管されているパイプ(煙草吸うアレね、念の為。博物館がわざわざ保存してるってことはやはりシェークスピアが使ったのではという期待があるからだろう)の破片24点を分析したのだ。そしてそのうち2点からコカインの残留物が検出され、他の破片からも大麻やらナツメグやら樟脳やらを原料にした幻覚性のある薬物が残留していたというのだ。
もちろんこのサカリー博士も言っているのだが、これはあくまでシェークスピアの生家のの近所から出てきたパイプに過ぎず、これで即「シェークスピアはヤク中だった!」などと騒げるわけではない。しかしサカリー博士はこれが17世紀のパイプであると確信しており、少なくともシェークスピアが生きた場所・時代のすぐ近くに麻薬があったことは確かだとしている。ま、話のタネとしてシェークスピアを絡める面白さはありますね。
大麻は当時イギリスで紙などの原料になっていたので入手しやすかったが(なお、半世紀ほど前の日本の農村でも大麻は繊維材料としてごく当たり前に栽培されていた)、コカインとなると19世紀以降だろうと考えられていた。19世紀と言えばあのシャーロック=ホームズもコカインやってるんですよねぇ。アヘン窟にも出入りしてたな、ってあれは捜査のためだったんだろうけど…いや怪しい(爆)。まぁそれはともかくこの点でも博士はこの発見が「麻薬史」の上でも重大な発見だと主張しているわけだ。シェークスピアが薬物による幻覚作用を知っていたのではないかという主張は以前からあるにはあったらしい。そんなところからこんな調査をやったのかもしれない。
なお、パイプの保管元であるシェークスピア生地の博物館側はやはり面白くはないようで「シェークスピアが実は天才ではなかったと言いたがる人も多いが、麻薬の力を借りていたという証拠はどこにもない」と、今回の発表に真っ向から反論している。
先日オーストリアの「永世中立放棄論」の話題をがあったが、その隣国で一方の「永世中立国の雄」であるスイスで3月4日にこの問題に関わる国民投票が行われていた。ずばり「スイスがEU(ヨーロッパ連合)への加盟交渉をただちに始めるべきか否か」を問う国民投票である。なんでもEU加盟推進派の市民団体が10万人以上の署名を集めて要請したことをうけての国民投票だという。
スイスの国是・永世中立については何度もとり上げてきたし有名なところでもあるのでくどい説明は省く。とにかく未だに国連にも加盟していないほどで徹底した「中立」を維持している国だ。その代わり国際会議などでは都合良い場所として重宝がられているし金融業や観光業などでも国際的な認知度は高いなかなか得をしている国だ(ゴルゴ13すら殺しの代金はスイス銀行に振り込ませている)。そういうこともあってかスイス国民にはこの「永世中立」の国是を守ろうという強い意志があるようだ。もちろんその一方でこの市民団体のように戦争などが絡まない平和的な国際関係には参加するべきだという意見も出てきてはいるらしい。政府レベルでも国連加盟は近いうちの目標として掲げているのだがこれも国民投票などにかけてみるとやはり反対多数で否決されたりもしている。
スイスを取り巻く国は全てEUに加盟している。そこで経済的な必要からスイスは昨年EUとの一括通商協定を結び、人や物資の往来の自由化など推進、これについてはスイス国民も投票で3分の2以上の多数の賛成で承認した。しかしそこを一歩進めて「EU加盟」となると反発が強くなるものであるらしい。今回の国民投票は10万人以上の署名を集めての実施だが、政府自体は大急ぎのEU加盟には反対を表明していた。政府としては通商協定による経済状況の進展をみてから考えよう、だいたい国連加盟の方が先だろう、という意見であるわけだ。
3月4日に行われた国民投票では予想通り、「すぐにEU加盟交渉」案は圧倒的反対多数で否決された。賛成票は全体の3分の1にも満たなかったと見られる。この結果を受けて「2010年までのEU加盟は不可能」との見方が広がっているという。
しかもフタを開けてみて思いの外国民の反対が根強いことが明白となった。スイスという国はドイツ語を話す地域とフランス語を話す地域、はたまたイタリア語を話す地域などがあるモザイクみたいな「連邦国家」なのであるが(それでいてちょうど長野県ぐらいの面積に長野県の半分ぐらいの人口だとか聞いたことがある。連邦と言っても市町村の集まりにかなり近いような…)、一般にドイツ語地域ではEU加盟への反対が根強く、フランス語を話す地域ではEU加盟に前向きな傾向が強いと言われている(このあたりはEUにおけるフランスの地位を示しているようで面白い)。ところが今回の国民投票ではドイツ語圏各州が「否決」という結果を出したのは当然として、フランス語圏のジュネーブ州などでも「否決」という結果が出たため驚きの声が上がっているという。まだまだスイスの人達は「EU加盟」には警戒感を強く持っていると言えそうだ。北欧なんかでも似たような傾向があったな。
EU加盟にどうも乗り気になれない理由としては経済的にEUが本当にうまくいくのか、はたまたEU内の大国経済に飲み込まれてしまうんじゃないかという経済的な警戒感もあるだろう。そして、それこそ市町村レベルの「直接民主制」を中世以来続けてきた「山の民」たち独特の頑固さみたいなものがあるのかもしれない。