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2001年6月26日

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 ◆今週の記事

◆「元国王政党」勝利!
 
 このネタ、少し前から何度か書こうとした話題なのだが(伝言板にチラッと書いたことはあるけど)、選挙が片付いてようやく一区切りしたので今回書くことになった。ブルガリアの元国王の話だ。ブルガリアっていうと日本人には「ヨーグルト」ぐらいしか思い浮かばない国ですけど…

 6月17日に行われたブルガリアの総選挙で、元ブルガリア国王シメオン2世(63)が率いる政党「国民運動」が大勝利をおさめ、第一党にのしあがってしまった。1議席差で過半数確保は果たせず、他党との連立を模索することになるが、国民の大きな指示を受けるこの元国王が首相に就任する可能性が高いといわれている。
 このシメオン2世という人だが、「元国王」とはいっても即位したのは6才の時(1943)のこと。父王の急死によりこの年でいきなり国王となっちゃったのだった。そして第二次世界大戦集結直後の1946年、ブルガリアは他の東欧諸国と並んでソ連の影響下に「人民共和国」の樹立し、シメオン2世は9才で国王の地位を追われ、スペインへ亡命することとなった。その後スペインでホテル経営などで成功し実業家としての人生を歩んだが、やはり「元国王」という自他共に認めるカリスマがあったようで、アラブ諸国の王家とも人脈があるとのこと。
 1989年以後、東欧諸国の社会主義体制は相次いで崩壊。シメオン2世も1996年に実に半世紀ぶりに故国の土を踏んだ。この時のブルガリア国民の熱狂的歓迎を見て「国王」(そのものではなく、みたいな立場ってことで)への復帰を本気で考え始めたのか、今年4月に自らを党首とする新党を結成し政界に打って出た。当初ブルガリア政権は元国王の政界進出をなんとか阻止しようとしたようだが、勢いに負ける形でそのまま選挙に突入、こういう結果になってしまったわけだ、

 このシメオン2世、ホントは大統領の地位を狙ったようなんだけど、法律で5年以上国内に住んでいないと大統領になれないとのことで断念したそうだ。今回の選挙結果を受けて首相は確定かと思ったら、現時点で聞く限りご本人がどうも迷っているようで(首相ではなく一歩引いた後見役になりたいとか言ってるらしい)、やはり「本命」が大統領にあることをうかがわせている。やはり元国王としては国家元首の座に就きたいということのようだ。なんでも支持者も彼のことを「国王」と呼んでいるんだそうで、ひょっとすると王制復活なんてこともありうるかもしれない。
 報道で部分的・間接的にしか知ることは出来ないんだけれど、どうもこの「国王人気」ってのは底が浅いような気がしますね。ブルガリアはいま大変な経済状況だそうで、苦しむ国民に「800日あれば生活を向上させる」と甘くささやく経営者出身の「国王」に幻想を抱いちゃっている気配も感じる。社会主義時代の反動で国王幻想が東欧諸国に広がっているようだが(そういえば先日、ルーマニア元国王が現政権を支持するという形で帰国していた)、行き詰まってくるとカリスマ性のある人気者に集中的な期待を抱くってのは、どこでもある現象なんだろうな。



◆トルコの明日はどっちだパート2
 
 「パート2」といきなり書いても覚えている人はほとんどいないだろうなぁ。今年の3月25日付「史点」でこのタイトルがついていたのだ。内容はEU加盟を目指すトルコ政府が「死刑廃止」の方針を定めたことと、建国の父・ケマル=アタチュルクの養女でトルコ史上初の女性パイロットだった女性が亡くなったこととをセットで入れた話題だった。今回の話題もトルコ現代史の特性が大きく絡んでいる。

 6月22日、トルコの憲法裁判所はトルコの最大野党「美徳党」に解党を命じる判決を出した。理由はこの政党が「世俗体制をおびやかす恐れがある」というものだった。「美徳党」はイスラム系政党とみなされている政党で、1998年にやはり「世俗主義に反する」という理由で解党を命じられたイスラム系政党「繁栄党(報道機関により「福祉党」と訳している)」に所属していた議員が3分の2を占めているという。これを理由に同国の最高検察庁は「美徳党」が「繁栄党」の後継政党に他ならないと指摘し、現在のトルコが国是として掲げる「政教分離・世俗主義」に反するとして訴追していたのだ。

 トルコという国は国民の90%以上がイスラム教徒である明白なイスラム国だ。ならばイスラム政党が出てくるのは当然という気もするのだが、近代トルコ国家は頑として「政教分離」を掲げ続けてきた歴史がある。原因は現在のトルコをほとんど一人で作り上げたと言っても過言ではない英雄、冒頭にあげたケマル=アタチュルクの政治信念にあった。
 第一次大戦後の列強による干渉をはねつけ独立を確保したケマルは、国内政策においては西欧型の近代国家の建設を目指し、文字改革・女性解放・姓の義務化など西欧を真似た、下手すると西欧以上に先進的な諸改革を実行した。そうした改革の柱の一つに「政教分離」がある。かつてのオスマン=トルコ帝国は世俗君主である「スルタン」が宗教指導者の「カリフ」を兼ねる政教一致の体制をとっていたが、ケマルはまず両者を分離してスルタン制度を廃止し、続いてカリフ制も廃してしまい、以後イスラム教が政治に直接介入することを断固として認めない「世俗主義」を貫いた。ケマル亡き後もこれは事実上の国是として継続され、とくに国軍が「世俗主義の守護者」として国内のイスラム運動に目を光らせてきた。「繁栄党」「美徳党」の解党の陰に国軍の強い圧力があったのは間違いないところだろう。

 ケマルがイスラム教の政治介入を排したのは、イスラム教を西欧におけるキリスト教ぐらいの存在にしようと意図したのだろう。イスラム教ってのはコーランによって生活習慣まで細かく規定されているぐらいの宗教だから、イスラム諸国では今でもイスラム教の教義と政策が深く結びついている国が少なくない。西欧化をめざすケマルにとってはそれが鬱陶しく、近代化の妨げになるとみなしたのだろう。建国直後の不安定な時期においてはこうした政策もそれなりに意味があったと言えるかも知れないが、いまEU加盟を目指しますます「ヨーロッパの一国」を目指しているトルコにとって、この徹底した世俗主義がかえって足かせになってきているところがある。
 
 つまりイスラム政党(恐らく「美徳党」も公式には政教分離をうたってるんだろうが)にせよ何にせよ、特定の政治結社を認めないということは基本的人権で言うところの「思想信条の自由」に反することになる。EU諸国はそのほとんどがキリスト教国で、トルコがよく「ウチがイスラムだから仲間外れにするんだろ」といじける場面があるが、この問題ではEU諸国はむしろトルコがイスラム系政党の存在を認めることを期待して眺めていた。しかし今回の判決により「トルコは結社の自由が無く、国軍の政治介入がある国」という見方をEU諸国にされることになり、ますますEU加盟が遠のきそうな情勢なのだ。
 トルコ政府自体はEU加盟に邁進しているが、国軍はケマル以来の「国是」にこだわり相変わらず政治に圧力をかけている。このよじれぐあいが、そのままトルコ現代史を象徴しているようで興味深いところだ。



◆革命以来の土地改革
 
 どこの国の話かってぇと、あのロシアの話なんですけどね。
 読売新聞で読んだ記事なのだが、ロシアのプーチン政権があの「ロシア革命」以来の土地大改革に着手しているそうだ。具体的に何をするのかというと「土地私有」「土地売買」の法制化だ。そんなもん、まだやってなかったのか、などと思ってしまう人も多いだろうが、なにせつい10年ぐらい前まで「ソビエト社会主義共和国連邦」ってなもんをやってた国である。社会主義さらには共産主義ってのは、究極のところあらゆる私有財産を廃止し公有化することで社会の不平等をなくしちまおうという思想ですからね(随分乱暴にまとめた言い方ではあるが)
 1917年の11月7日の革命で政権を獲得したレーニン率いるボルシェヴィキ(のち共産党)は、その翌日ただちに「土地に関する布告」を発表して地主所有地の無償没収・土地私有の廃止を布告した。翌年には法制化がなされ土地私有はそれっきり原則としては禁止されていた。1991年12月にソ連が解体され社会主義が放棄されたのち、1993年に「土地私有権」がようやく憲法に明記されたが、実際の法制化はまるで進まなかった。理由は政権を失ったとは言え大きな勢力を持つ共産党と、各地の農業団体の強い反対があったからだ。

 くだんの記事によると、現在ロシア下院で審議されている政府案は、市街地の商用地など全国土の2%程度の土地について、個人・法人による売買を無制限に認めるという内容らしい(いちおう内容は非公開だそうで)。軍や公共施設の土地については売買禁止ということだが、それでも共産党の激しい反発があり、議会では「恥知らず」といった罵声やら大乱闘やら大量欠席やら(採決時に半分ぐらいしかいなかったみたい)大変な騒ぎだったそうで。どのみち成立のためにはかなりの修正を迫られるだろうとのこと。
 ところで、この土地売買の自由化だが、政府の動機は「市場経済になったんだから」という単純なものではないみたいだ。グレフ経済通商相が外国人記者団に「最大限の自由化を図る。これで外国資本進出の道が開かれる」と述べたというのだ。このグレフさん、読売新聞記者の質問に対し「外国人もロシア人と同じ税額。安いですよ」とも言ったそうで。そう、ロシア政府はこの土地売買自由化で外国資本がロシアに投資してくれることを期待しているのだ。それだけ経済が大変な状況なんだということで気持ちは分からないではないが、共産党などが「外国人が国土を買い占めるぞ!」と反対するのもまた気持ちが分からないでもない。全国土の2%ってったって、なにせもとがムチャクチャ広い国土、その多くが土地利用なんて思いもよらない土地であることを考えると、かなり大きな割合と言えるだろうし。なお、この法案においては農地は除外されているが、農地についても自由化の準備が進んでいるという。

 この話読んでいて、フッと連想したのがあの司馬遼太郎の晩年のエピソードだ。彼は絶頂期のバブル経済に浮かれる日本を非常に憂えて、宮沢喜一元首相(このエピソードのとき、どういう肩書きだったか不明なのだが)に、「土地売買の禁止・土地の国有化」を提案したことがあるというのだ。さすがに宮沢さん、「そりゃ社会主義だよ」と答えたそうだが、その後司馬さんの憂いは的中する形になってしまっている。
 そりゃまぁ狭い日本とバカでかいロシアの話を同列に扱えないところはあるだろうけどね、この話題にはふとこのエピソードが頭をかすめたのだった。
 



◆あの男が帰ってきた…パート2
 
 また「パート2」かい(^^; )。ちなみにこのタイトルのパート1は昨年の10月29日付「史点」のネタでした。
 「あの男」とは誰か。昨年の「史点」で合計7回登場したツワモノ、ウラジミロ=モンテシノス元ペルー国家情報部顧問その人である!この昨年を代表するお騒がせ男がまたまたペルーに帰ってきたわけだが、今回はとうとうお縄を頂戴しての帰国とあいなったのである。

 忘れちゃっている方のために復習を。ペルーではもともと有名だったのだろうが、少なくとも僕がこのモンテシノス氏の名前を最初に知ったのは、ほぼ一年前のペルー大統領選の際にフジモリ大統領(当時)の対立候補として出てきた経済学者のトレド候補の演説の中の「フジモリはモンテシノスのゲイシャだ」と言ったくだりでだった。当時はむしろ「ゲイシャ」の方に面白みを感じてこのセリフを「史点」で紹介し、「モンテシノス」がこのあと「大物」に成長(?)するとはちっとも思わずにその名を書いていた。
 その後9月になってこのモンテシノス国家情報部顧問が野党議員を買収している場面の隠し撮り映像がTVで流れ、一気にフジモリ大統領の辞任表明(9月4日)、さらにモンテシノス顧問の国外逃亡(9月24日)という事態が起こり、このモンテシノス氏が「ペルーのラスプーチン」とまで呼ばれるフジモリ政権の「陰の実力者」だったことが日本人にも知られるようになる。
 そして亡命先の各国で追い払われたモンテシノス氏が帰国して来ちゃったのが10月23日。フジモリ大統領が自ら陣頭指揮して行方を追ったりしたものの居所がつかめず、そのうちまた国外へ逃亡してしまった。その後フィリピンで開かれたAPECに出席し日本に立ち寄ったフジモリさんがそのまま大統領の辞任(しようとしたら「解任」されたが)・亡命(というか日本国籍も持っていたので厳密には亡命とは言えない…帰国?)という事態になってしまったのが11月20日。まぁこうして振り返ってみると事実は小説より奇、ですなホント。

 その後もフジモリ氏は日本に滞在し、モンテシノス氏の方も南米のどっかにいるんじゃないかという状態が続いた(コスタリカ、コロンビア、キューバなどで目撃情報が飛び交った)。やがて大統領選挙が行われ、トレドさんがめでたくペルー次期大統領に選出。時は流れるなぁ…などと思っていたら、今度の逮捕だ。
 モンテシノス元顧問が逮捕されたのはベネズエラの首都カラカスだった。逮捕されてからの報道で知ったのだが、今年4月ごろにはカラカスで整形手術を受け、政商の所有する農場に潜伏しているとの報道がペルーではあったのだそうだ。一時死亡説まで流れたがこれはデマであったらしい。ペルー政府はモンテシノス情報に500万ドルの懸賞金をかけて行方を追っていたという。
 6月24日、ベネズエラのチャベス大統領が突然「モンテシノス逮捕」を発表、「史点」ネタの一つを変更させた、じゃなくて世界を驚かせた。ただちにモンテシノス元顧問の身柄はペルー側に引き渡され25日中にペルーに帰国することになった。つい先程ネットに流れたニュースによると、一時報じられた整形手術の跡はなく、前と変わらない顔だったそうだ。

 今回の帰国は完全に逮捕され「容疑者」としての帰国である。これから新政権によってこの「影の男」の実態が追及されることになる。その追及の過程でフジモリ前大統領にまつわる疑惑もさまざまに持ち上がってくる可能性が高い。トレド次期大統領がすでにコメントしているのだが、日本に対するフジモリ氏の身柄引き渡し要求が強まることになりそう。明確になんらかの犯罪容疑が固まった場合、筋としては日本は断りにくくなるだろう。

 ところで、ペルー政府がかけていた500万ドルの懸賞金はベネズエラ政府がもらうんだろうか?


2001/6/26記

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