ニュースな
2001年7月9日

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 ◆今週の記事

◆歴史の常識・非常識?
 
 「7月4日に生まれて」って映画もあったが(とか書いていて実は未見ですが)、去る7月4日はアメリカの「独立記念日」。「インディペンデンス・デイ」なんて映画もありましたねー。アメリカの独立記念日を全人類のエイリアンからの独立記念日にしちゃおうという凄い映画。大統領自ら戦闘機に乗ってUFOと戦っちゃうなどいろんな意味で凄い映画(笑)だったが、この映画の監督はのちに、と言うか昨年「パトリオット」などという独立戦争映画を実際に作ってしまった。これまた実にノーテンキにアメリカ独立万歳・イギリス軍人は極悪人と言わんばかりの映画だったが、ああ言うの観てるとアメリカ人っちゅうのは単純だなぁとついつい短絡的に言いたくなってしまいますな(^^; )。「レボリューション〜めぐり逢い〜」なんて独立戦争映画も昔あったが、サブタイトル見た時点で駄作というのが分かってしまうという情けない作品だったものだ(妙に浮いた邦題サブタイトルが付く映画はまず警戒してかかった方が良い。特に「愛」だのなんだのつけるとたいていハズレだ)。どうもアメリカ人は「独立戦争」をネタにすると我を忘れてしまうのだろうか。

 CNN日本語サイトで見かけた記事だが、アメリカの世論調査会社ギャロップ社が18歳以上のアメリカ人1014人に対しておこなった歴史クイズの結果が7月3日に発表されたという。質問は「アメリカはどこの国から独立しましたか?」というもの。ああ、僕も社会の授業で良く生徒に聞いてるなと思っちゃう基礎的質問である。さあて、その結果は…?
 「イギリス」と正解を答えたのは76%。おおっ、凄いぞアメリカ人。僕はこの数字、かなりハイレベルなものとみた。4人中3人は正解言えたわけでしょ。僕の経験では日本の中学生だと普通のレベルで正解50%以下だぜ。「太平洋戦争はどこと戦いましたか?」とか「原爆はどこが落としましたか?」という質問に日本人の76%が正解出すとも正直言って思えないし。しかし記事自体は「4人に1人が正解を言えないなんて!」ってなノリでしたがね。
 なお、外した24%の内訳だが、「分からない」が最多で19%、「フランス」と答えたのが2%(「フレンチ・インディアン戦争」ってあるから、まぁまぁ…)、「インディアン」と答えたのが1%(当のインディアンは激怒するだろうな〜)、「メキシコ」と答えたのが1%(テキサスを戦争で分捕ったのは誰だっけ?)、カナダなどその他が1%だったとのこと。でも素直に「分からない」と言った人が多かったことを考えると、この数字は想像以上にアメリカ人って常識的だな、と思っちゃったところである。

 なお同じ調査で「7月4日は何があった日?」という質問もあり、61%が「独立宣言が採択された日」と正解を答えた。これもかなり高い方だと思う。24%が「アメリカが独立した日」と答えたそうだが、これは名称からしても無理もないところだろう。「独立記念日」は1776年7月4日に独立宣言が採択されたのを記念したもので、正確にいつ「独立」したのか特定するのはかなり難しいのだ。そんなことを考えればかなり正解率は高いな、などと僕は感心してしまう。「建国記念の日」が何の日か知らない国民がやたらに多い国もありますからな(まぁある意味知らない方が幸せと思わんでもないが)

 しかし世代差というものもやっぱりあるらしい。バージニア州のウィリアムズバーグで若者に対象を絞って「アメリカはどこから独立しましたか?」と同じ質問をしてみたところ、14%が「フランス」と答えたという。また南北戦争と独立戦争をゴッチャにしている回答も多かったという(あ、こういうの僕の生徒にもいますな)。最近いろいろと話題の映画「パールハーバー」についても年配の元軍人などが「近ごろの若いモンは『パールハーバー』ってグループの名前だと思ってやがる」なんてコメントが出ていたっけ。もっとも日本の若いモンは「パールハーバー」そのものが何のことか分からないのが多いような気もするけど。とりあえずあの映画の日本での興行成績にちょっと注目してます。いや、日本で当たらないとモトがとれるかどうか怪しいって話も聞くので。



◆民族の常識・非常識?
 
 近ごろワイドショーでアイドル・田中真紀子外相の悪役まわりに設定されたため、変なところで顔と名前が一般に浸透した鈴木宗男代議士だが(以前から外務省の影の支配者とか話題になってはいたけどね…ミッチーvsサッチーのノリを期待したんだろうな、ワイドショー)、この人が7月2日に「問題発言」を行ったことを、果たしてワイドショーは「対決」並みに採り上げていたんだろうか?
 どうも発言が出てくる流れは小泉純一郎首相を単純にもてはやしがちなマスコミ、世論を批判するなかで出てきたものらしい。「マスコミは小泉首相を改革派、反対勢力を守旧派と白黒に分けすぎる」とその直前に言っていたのだそうだ。これには正直なところ御説ごもっともと受け止めている。善玉・悪玉を明確に色分けしたがるのはマスコミ、だけでなく人間全体の悪い癖だ。だいたい大多数が一方を善玉と絶賛し他方を悪玉と決めつけて総攻撃している時って、歴史的経験から言えばだいたいロクな事がない。白黒分けすぎると言う鈴木代議士の主張は、むしろこういうことでは口ごもりがちな日本社会ではよく言ったもんだという気もしている。
 ただこのあと、その白黒明確につけたがる日本人の性格を、その文化的単一性に求めようとしたのだろう、問題とされる発言部分が飛び出した。日本について「一国家、一言語、一民族と言っていい。北海道にはアイヌ民族がおりますが、今はまったく同化されておりますから」と言った言うのだ。特に問題にされたのはこの後半部分だろうな。

 この発言で連想され、どこでも採り上げていたのが15年前(1986)に中曽根康弘首相(当時)が言った「単一民族発言」だ。やはり「日本は単一民族国家」と自慢げに発言したもので、日本における少数民族であるアイヌ民族から厳重な抗議を受けたものだ。今回の鈴木さんの発言はアイヌの存在を一応頭には置きつつ、「まったく同化された」として事実上無視しているわけだ。「同化された」ことにされてしまった人達にしてみれば頭に来る話だろう。話の趣旨はみんな右にならえになりやすい日本人の傾向を指摘していて、これについては僕も似たようなものを感じているが、そこに「単一民族だから」を持ってくるのは間違いだろう(むしろ僕などは原因に「ムラ社会拡大国家だから」などと挙げている)。少なくとも北海道選出の代議士が言うセリフではないよな。
 歴史的に見ても、日本民族(でいいのかな?大和民族とかいろいろ言いますけど、考えてみると民族名ってのが明確にないな。個人的には「倭族」とかしたいんだけど(笑))が多数派として少数のアイヌ民族を征服し、抑圧し、独立民族としての文化を認めず同化をすすめてきた歴史があることを念頭に置かなければならない。僕は民族主義とか国家主義といったものは凝り固まったものは大嫌いだが、ある民族・文化を一方的に抹殺しようとするのも大嫌いで。それと、「民族」なんてのは実際は当人がどう考えてるかという部分が多く、例え日常生活で「日本民族」と全く同じ言語・生活をしていたとしても別の「民族」であると主張することは出来る。「同化された」なんて言うのはまさに征服者の傲慢ですね。「民族」なんてのはヨーロッパなんかのケースを見ていても実はかなり曖昧で流動的なものだ。関東人・関西人だって同一言語・同一民族とは言い難いほどの違いがあるしね。まして沖縄の琉球民族って設定なぞ十分に可能だ。

 とまぁ、そんなことを思っていたら同じ7月2日に平沼赳夫・経済産業大臣が政経パーティーで「小さな国土に、1億2600万のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日本が世界に冠たるもの」とこれまた「単一民族発言」をしていたことが明らかになった(しかも札幌で…)。僕個人としては実は鈴木発言よりこっちの方がカチンときた。「単一民族」って認識もさることながら「レベルの高い」って形容詞も何なんだか。あ、そうか、自分はそのレベルの高い方だと思ってらっしゃるわけですね(笑)。「日本ハ良イ国、強イ国、世界ニ輝クエライ国…」と書いた教科書がいつだったかありましたねぇ。そいでもって「多民族国家だから弱い」などと相手の国をあざけって戦争してボロ負けしたりしましたっけ。根拠の薄い「自慢史観」が横行するとたいていロクな事はないですな。



◆中国の常識・非常識?
 
 久々に4つのタイトルを揃えようとしたのだが、ここから下は少々無理が出てきてます(^^; )。

 近ごろの中国を象徴するような小ネタがいくつか集まったので並べてみよう。
 7月1日、中国共産党が天安門広場の「毛首席記念堂」にトウ小平陳雲の業績記念室を設けたそうで。毛首席記念堂とは現代中国の建国者と言っていい毛沢東の遺体を収めた建物で、周恩来劉少奇朱徳の大物三人についてもその業績をたたえる記念室が設けられている。ま、言ってみれば中国共産党の「殿堂」なわけで、トウ小平、陳雲両氏もめでたく「殿堂入り」となったわけだ。別の見方をすれば完全に「歴史上の人物」にされちゃったわけですね。特にトウ小平は改革・開放政策を推し進めて現在の中国の方向を決定付けた指導者であり、現在の江沢民朱鎔基の政策路線はこのトウ小平の敷いたレールの上に乗っかっていると言って良い。トウ小平を「殿堂入り」させて崇めるのは政治的にも意味があるのは確かだ。だが、一方で必ずしも改革・開放派ではなくむしろ計画経済を重視したと言われる陳雲も一緒に「殿堂入り」するあたりは、保守派とのバランスをとろうとしているのかもしれない。

 その同じ1日、中国共産党の設立80周年を祝う集会が北京の人民大会堂で行われていた(もちろん、上の「殿堂入り」もこれと連動したものだ)。80年前というともちろん1921年のことで、上海で党員わずか50名で結成されたのだった。初代委員長は中国「文学革命」の中心人物だった陳独秀。ま、この人はのちに除名されちゃうんだけど。今やそれが党員数だと中国はおろか世界最大の政党になっちゃってるわけで、歴史というのは恐ろしい。あんなドでかいの、政党って言えるのか、って気もするけどね。
 そんな述懐をしていると、この集会で江沢民総書記はこのところ懸案となっている入党資格の問題に言及した。以前「史点」で書いたことがあるのだが、最近の中国では開放政策の結果、私営企業が増加し、当たり前だが私企業経営者が増えた。彼ら「資本家」が「労働者・農民の党」である共産党に入党するケースが増えてきて(だって政党はこれしかないんだもん)、党内の保守派から疑問視する声があがっていたのだ。「階級闘争」に勝利して「社会主義国」を実現したはずなのに、なんでまた「敵」とも言える「資本家」を党に入れなきゃならんのだ、ってなことですな。まぁどうも中国はこれから「資本主義段階」に入るんじゃないかという状況なので「階級闘争」がいつあったのか怪しいところではあるのだが。
 江沢民さんのこの日の発言とは、「党の綱領と規約を認め、党の路線と綱領のために奮闘し、長期の試練を経て党員の条件にかなった他の分野の優秀分子も党内に吸収すべきだ」というもの(朝日新聞記事の訳から)。この「優秀分子」ってのが暗に「資本家」のことを指しているわけ。労働者・農民・軍人以外でも条件さえあえば、という容認方針を示したわけだ。現実的対応だとも言えるが、これは来年の党大会の重要議題となるようで、注目される。

 さて、最後は軽いネタで。朝日新聞で見かけた記事だが、中国・河南省が建設中の黄河大橋など5つの高速道路用の橋の「命名権」を8月に内外の一般企業向けに競売にかける、と発表した。思わず大爆笑であるが、日米などすでに100社から問い合わせがあったとのこと(ホントかよ)。競売で命名権を落札した企業は「永久命名権」および「5年間の広告設置権」を得る。命名権を得ると、その橋に企業名や商品名をつける事が可能になる。ただ国名・個人名・たばこ会社の名前はアウトだそうで。
 広告効果のほどは不明だが、2004年開通予定の広東から華北にいたる大高速道路の大橋となるとインパクトがあるのは確か。黄河渡る大橋に「マクドナルド橋」とか名付けられていたら大受けするのは間違いないだろう。
 「資本家」の入党を認める以前に政府の方がすでに「資本主義的」になってるような気がするのだが…(笑)。



◆人類の常識・非常識?
 
 さてと、最後のネタは一気に大昔の話。もっとも「史点」でとりあげた一番古い話題は600万年前とかいうのがあったけど。

 7月4日、フランスの国立先史センターは昨年9月に同国中西部ドルドーニュ県キュサックの洞窟で発見された線刻画が、35000年前〜22000年前に描かれたもの、とする調査報告書を発表した。こういう古い話だとどうしても推定年代の幅が広いのが常だが、このうち最も古い推定が確実になった場合、現在発見されている洞窟壁画のうち世界最古のものとなる可能性が出てくるのだ。これまで一番古いと考えられている洞窟壁画は1994年にやはりフランスで見つかった約30000年前のものと思われる線刻画で、今回のものはそれを抜く可能性があるというわけ。さすがおフランス、芸術の国である。30000年も前から芸術家がいらっしゃったわけで…ってもちろん洞窟が多かったとか保存状態が良かったという条件がそろってるわけだけど。今回の発見では洞窟内に数人分の遺骨が埋葬されているのも見つかっており、年代特定の手がかりになるのではと注目されている。

 洞窟壁画というとフランスのラスコー、スペインのアルタミラなど南西ヨーロッパに有名な遺跡が多い。これらを残したと考えられているのが、3万年前ぐらいからこの地方に住み着いていたと考えられている「クロマニヨン人」だ。この名前も発見されたフランスの地名からつけられている(「ネアンデルタール」はドイツの地名ね)。世界史の教科書などで「現世人類」「ホモ・サピエンス・サピエンス」つまり今の我々と同じ人類と見なされる種族だ。
 現世人類はだいたい5万〜4万年前ぐらいに「出現」し(もうちょっと前かも知れないが)、アフリカを出て全世界に散らばっていったと考えられている。まだまだ異論を唱える人もいるが、DNA解析などでもだいたいそれが事実と認められつつある。この現世人類はそれまでの人類、例えば一つ先輩にあたるネアンデルタール人にはない妙な能力を身につけていた。それが「絵を描く」という才能なのだ。いやまぁ、ひょっとしたらネアンデルタール人も描かせれば描いたかもしれませんがね、確認できませんのでそういう前提で話を進めよう。

 僕自身もそうだったが、物心つく頃には人間は「絵を描く」ことがある程度出来るようになっている。これってよく考えると大変な技術なのだ。目に見えた三次元の物体を二次元の平面上に「写す」という作業は、目で見て物体の位置関係を把握し、それを脳内で「線」に変換し(抽象化と言ってもいいかな)、その線を平面という全く別の物体の上に脳に浮かんだままに描画するという、なかなか複雑な過程をたどる。なんでこんな能力が人間にはあるんだろ、と実際によく絵も描く僕などはしばしば思うことがある。
 洞窟壁画に残る数万年前の絵も、その描画技術は今日の我々と何も変わっていないと言っていい。今度のニュースでその洞窟壁画の映像を見たが、女性や野牛、マンモス、馬、サイなど今の我々が見たって何が描かれているのか一目瞭然だし、リアルにそのまま描くのではなく抽象化された筆運びなども現代芸術と何ら違いは感じられない。改めて僕は「人間と芸術」という深い問題に思いを馳せてしまったものだ。

 以前、ヨーロッパで制作したらしいTV番組で、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の能力の違いというテーマを扱っていて、非常に面白く見たものだ。骨格からするとネアンデルタール人は体格はクロマニヨン人よりも大きく丈夫で、体毛のために寒気にも強かったらしい。一方の我々と同じクロマニヨン人は体格は貧弱で、体毛も薄く(毛の数では猿よりあるそうだけど、動物で言う「うぶ毛」なんだそうで)、厳しい環境下で生き抜くにはなんとも頼りない「人類」だった。しかし彼らは寒気を耐えるために衣服をまとい、貧弱な体格で狩りを行うために各種道具(弓、槍も)の技術革新を進めていった。
 そして、彼らは貧弱ゆえに狩りにあたっては「神頼み」を必要とした。あくまで気分的なものではあるけど、その「気分」に乗せられやすい種族だったことも確か(この辺は現代人類を観察すればよく分かる(笑))。神頼みにあたって、彼らはなぜか持っていた「絵描き」の才能を生かし、自分達が狩りたい獲物を住みかである洞窟の壁に描き、それに呪い・祈りを込めたのだ。別に鑑賞目的で描いたわけではないんだよね。もちろん確証はないけど、描かれた題材に動物が圧倒的に多いのがそんな想像をさせてくれる。芸術の始まりは貧弱な人間ゆえの「神頼み」からだった、というお話なんですね。
 なお、女性テーマの芸術作品が多いのも先史文化の特徴だが、これは女性に「生産・豊穣」の象徴を見ていたからだと言われている。単に絵描きが男性ばかりだったからという説もないわけではないが(笑)。


2001/7/9の記事

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