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2001年7月17日

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 ◆今週の記事

◆北京奥運的考察
 
  …怪しげなエセ中国語でタイトルを統一してみました(笑)。簡体字が使えないのが残念。
 
 7月13日の金曜日(別に深い意味はありません)、モスクワで開かれていたIOC(国際オリンピック委員会)総会で2008年の夏期オリンピックの開催地が中国の首都・北京と決定された。中国にとっては文字通り国家を挙げての長年の悲願達成で、決定した瞬間はもう北京は言うに及ばず中国全土は大騒ぎ。12億人が一晩寝なかったとか何とか(笑)。僕も決定直後に「人民日報」のサイ(人民網。http://www.peopledaily.com.cn/に飛んでみたら、花火の祝福画像が画面いっぱいに広がっていた。
 これほどの喜びようは「モンテカルロの悲劇」の過去があることも一因だろう。1993年モンテカルロで開かれたIOC総会で、2000年度オリンピック開催地に立候補し本命視されていた北京はまさにタッチの差でシドニーに敗れた。この発表の時、サマランチ(薩馬蘭奇。中国語でこうかく)会長が発表に先立って立候補都市すべての名前をアルファベット順に読み上げたのだが、最初に「Beijin(北京)」と読み上げた瞬間に北京では「勝った!」とカン違いして花火だ踊りだと大はしゃぎしてしまった。しばらくして「シドニー」と知り呆然としてしまったという苦い思い出がある。この時はトウ小平もまだこの世の人だったっけな。
 この1993年の落選の一因は「人権問題」にあったと言われている。この時すでに本命視されていた北京だが、アキレス腱は欧米からみれば著しく人権が守られていないとの批判が強くあったことだった。なにせそのつい4年前に「天安門事件」がある。中でも強く中国を非難したのはアメリカで、政権がスタートしたばかりのクリントン大統領はかなり中国に対して強い姿勢を見せ(だったんだよね、今にして思えば)人権問題を五輪開催地基準に盛り込むようIOCに要請し、連邦議会も北京五輪に反対する決議を行った。これが結果的に小差ではあるが北京が敗れる原因になったのは確かなようだ。

 それから時は流れてシドニー五輪も済んだ2001年。北京はまたしても五輪開催に挑み、とうとう勝ち取ってしまった。では今回は人権問題は持ち上げられなかったのかと言えばそうでもない。例えばEUの欧州議会は北京五輪反対決議を直前に行っている。これは一つには「身内」であるパリが立候補していたからという意地悪な見方も出来るわけだが。またなぜか欧米に多いチベット支援団体なども阻止を叫んでいたような(ダライ=ラマ自身はむしろ北京開催に賛成を表明していたけど)。しかしいずれにせよ前回に比べて大した声にはなっていなかったとは言わざるを得ない。
 なんてったって、「反中国」の急先鋒にならねばならないはず(?)のアメリカが動かなかった。ブッシュ政権は当初から「それはIOCが決めること」と「不介入」の姿勢を示し、連邦議会もいったん「人権改善がなければ北京五輪を認めない」という決議案を下院が作ったりもしたが、結局採決にはもちこまれなかった。面白いのは共和党がむしろ「北京五輪容認」の姿勢を見せ、民主党の中に強硬反対派が見られたという事実だ。
 なにかにつけ中国とケンカしているように見えるアメリカ政界で「北京五輪容認」の空気が出てくるのは割と予測されていたこと。政治的にはさておき中国との経済関係は重視しているアメリカ経済界の思惑も見逃せない。北京でオリンピックが開催され、中国が経済発展することは「ビジネス」の面から見れば大いに歓迎すべきことなのだ。人権関係については「五輪を開催することで世界に中国が開かれることになり、人権状況も改善されるだろう」との見解が判で押したようにアメリカ政治家の口から出てくるが、どうも「取り繕っている」という印象は否めない。結局のところ自国権益が最優先されていると言うこともできる。それについては一番下のネタで。

 北京五輪決定でまたいろいろと揺れるのが台湾だろう。2008年に向けて「共催」ばなしがあれこれと出てくるはず。中国側も以前からこれを持ちかけて北京五輪の目玉にしようとしていたし(と同時に「台湾は中国の一部」ということを明確にしようと狙ってるわけで)、台湾側も陳水扁総統が昨年「共催」を呼びかけたことがある(これはこれで「両国共催」と対等関係にする意図がある)。まさに「同床異夢」という感じだが、これからしばらく観察するのが楽しみだ(楽しんじゃいけないか)。まぁてっとりばやいところで北京オリンピックが開催される2008年まで「軍事侵攻」はないな、ととりあえずホッとしている人も台湾には多いようだ(それに反論する本が日本でドドッと出ると予想されますが…「北京五輪」の前に中国崩壊、とか絶対誰か書くな)。北京五輪開催が決定し、WTO加盟もようやく決定的となり、2001年は今後の中国はおろか東アジアの動向をかなり決定した年として後世記憶されるかも知れない。
 
 ところで。
 ご存じの通り、この2008年五輪開催地には我が国の大阪も立候補していた。日本人もあまり知らなかったのではなかろうかと思うほど地味な宣伝展開をしていたものだ(だいたいJOCが支持してなかったって?)。結果は第一回投票で6票しか集まらず真っ先に落選(笑)。大阪と一緒に「無理」の烙印を押されていたはずのイスタンブールがパリより票を集めていたのとは好対照をなしてしまった。おそらく「アジアなら北京」という志向が強く働いたってことでしょうな。
 この結果に我慢がならなかったのか、「塩爺」こと塩川財務大臣がODA(政府開発援助)についてポロッと妙なことを口走っていた。「原爆を日本に落とすかもしれない国にODAをやるとはアホらしい」とか言った部分も問題にされたが(対中ODAについては内心同感の部分もあるが言い方がまずいだろ)、その後に「大阪にたった6票しか集まらなかった。ODAをやっている意味があるのか」と続けているのだ。ODAってそういう見返りを求めてやるものだと本気で思ってらっしゃったらしい。そういう札束で頬を叩くような姿勢が嫌われるってことも思い至って欲しいものだ。



◆猿人与原人的話題
 
 このところ何かと発見が相次いでいるような印象がある「人類のルーツ」にまつわる研究だが、またしても重要な猿人化石の発見が報告された。7月12日発行の「ネイチャー」誌上で発表されたもので、1997年にエチオピアのアファール渓谷から発掘された猿人化石が520万〜580万年前のものと年代測定されたのだ。問題の化石は最低でも5体のもので、下あご、歯、上腕、そしてつま先の骨が含まれていた。発見グループはやはりエチオピアから発見されたラミダス猿人(440万年前?)の発見者に率いられたグループで、彼らは今回確認された猿人をその特徴からラミダス猿人の一種と見て「アルディピテクス・ラミダス・カダバ」と命名した。ラミダス原人の学名が「アルディピテクス・ラミダス」で「カダバ」は現地の言葉で「祖先」という意味だそうである。

 この「カダバ」、ラミダス猿人に似た歯の形状から果実よりも繊維質の植物を食べていたのではないかと推測されている。そして足のつま先の骨は同じ渓谷から発見された(80qほど離れているそうだが)アファール猿人(380万年前?)のものと似ているそうで、二足歩行を行っていたと考えられると言う。
 猿人の話と言えば「史点」でも以前書いた話題だが、昨年ケニアで「ミレニアム・アンセスター」(2000年のご先祖様)と名付けられたりした600万年前のものと推測される「猿人化石」の発見が報告されたこともあった。それまで最古記録だったラミダス猿人を大幅に抜く古さで、ちょうど人間とサルの両方の特徴を持っていたらしいとして注目を集めた。ただしその年代については疑義も出されており、今回のエチオピアから出た「カダバ」君ともども検証する必要がありそうだ。

 生物学的に言うと、我々「ヒト」は「霊長類」に属し、近い存在としてオランウータン、ゴリラやチンパンジーといった「類人猿」のグループがいる。ちなみに彼らみたいなシッポの無い(短い)サルは英語では「APE」と呼び「MONCKY」とは区別される。だから近ごろリメイクされた「猿の惑星」の英題は「PLANETOF THE APES」なのでありますね、って完全な脱線。
 ヒトと類人猿の共通の祖先と見なされる最も近い時代の化石は950万年前のサンブルピテクスというサルのもの。そこから明白に「ヒト」のコースに分岐しているラミダス猿人の440万年前までの空白(実に500万年!)がどう埋まるのかが問題なわけで、「カダバ」にしても「ミレニアム」にしてもそのために大いに注目されているわけだ。
 近ごろはDNA分析という手段もある。そこから得られた結論はヒトとオランウータンとの分岐点が1600万年〜1300万年前、ゴリラとの分岐点が700万年前、チンパンジーとの分岐点が500万年前、というものだった。「ミレニアム」や「カダバ」の推測年代が正しいとすると、チンパンジーとの分岐前の「猿人」ということになって話がややこしくなるのだ。人類のルーツ探しも興味は尽きないが、なかなか確定も大変である。

 猿人の次の段階として「原人」がいる。北京原人やジャワ原人などがその代表だが、日本にもやたらに「原人」化石の発見があった。しかしどうも昨年の捏造騒動以来、この手の話がかなり疑いをもって見られるようになってきた。例の捏造騒動絡みの再調査で「高森原人」「秩父原人」はほぼ完全に否定された形だし、その余波のような騒ぎになった「聖嶽(ひじりだき)遺跡」も発見された人骨がどうやら中世以降のものであることが断定されてしまった。
 先日、1950年に栃木県で見つかっていた「葛生原人」の骨について最終判断が下され、「15世紀前後のもの」とする結論が出された。この「葛生原人」の発見者は「明石原人」の発見者で日本の「原人研究」の元祖であるとも言える直良信夫氏。実は「明石原人」に対しても疑問符を投げかける声は少なくない。まだ日本に原人がいなかったと断定できるわけではないが、骨が残りにくい土壌ということもあって、発見した骨をついつい「原人」に仕立ててしまう研究者もいるということであるらしい。



◆劉連仁氏的悲願
 
   昨年9月に劉連仁さんという中国人が亡くなったというニュースを、僕は個人的にも感慨深いものがあって「史点」の「ボツには惜しいネタ群」というところで採り上げたことがある。別に個人的に知り合いだったとかそういうことではないが、子供時代にある本でこの人の波乱の生涯(っつっても当時はまだご健在だったが)を読んでビックリした覚えがあったのだ。
 劉連仁さんが住んでいた山東省の自宅から連行されたのは1944年9月のこと。連行を実行したのは当時中国における親日政権だった汪兆銘政権の軍隊だが、その年の2月の日本政府の閣議決定による要請を受けたものであるのは明白だ。当時極端な労働力不足に陥っていた(そりゃーそうだろう)日本は中国人労働者の「移入」を決定し、「親日」の各政権にノルマを課して事実上の「人狩り」を行わせていたのだ。この結果3万〜4万人の中国人が強制的に連れてこられ、港湾や鉱山労働者として働かされた。その過酷な奴隷的労働状況は昨年一応の「和解」をみた「花岡事件」など様々な悲劇を引き起こしている。

 劉連仁さんは北海道の鉱山で働かされていた。「このままでは殺される」と劉さんら数名は1945年7月に脱走し(もうちょっとの辛抱…といっても、そんなのは「その後」を知る我々の勝手な思いというもんだろう)、その後仲間とはぐれた劉さん一人が山奥に逃げ込み、そのまま日本の敗戦も新中国の成立も知らずに13年間山の中で潜伏生活を続けることとなったのだ。まるで「雪男」のように発見されたのが1958年2月。ひどい話で、「発見」の直後、「不法入国」の疑いで役所の呼び出しを受けたそうで。また帰国ぎわに政府から見舞金として10万円が手渡されたそうだが劉さんは激怒して受け取らず帰ったという。14年ぶりに自宅に帰ると、連行されたときにはまだ奥さんのお腹の中にいた息子さんが14歳の少年に成長していたという(という…っていうか当たり前だけど)
 それから時が流れ、劉さんがようやく日本政府に損害賠償を訴えたのは1996年のこと。しかしついに結審を見ないまま昨年9月2日に87歳でこの世を去った。あとを引き継いだのは先ほど出てきた息子さんの劉煥新さん(56)。そしてついに7月12日に東京地裁で判決が下された。
 
 法律的な話になると少々難しくなってしまうのだが、結論から言えば「日本政府は劉さんの保護を怠ったのだから請求通り2000万円の賠償をしなさい」という判決が下された。ただし本来の請求であった日本政府の強制連行に関する賠償責任を認めたわけではない。強制連行の事実、強制労働の過酷な実態については認めているのだが、法律的には「国際法に基づく請求権ではなく、戦前民法においても国に賠償責任は生じない」という判断を示している。劉さんのように個人が一国の政府を訴えた場合、たいていこれで請求が却下されているのだが、感情論は抜きにして法律論から言えばこの判断はそう無理なものではない。
 あえて言えば今回の判決は、そうした法律論の中でどうにか「情」としての救済を行おうとやりくりした苦心の作だったと言える。つまり強制連行・強制労働のことではなく、脱走後その保護をする義務を怠った「厚生省担当部局の不作為の違法」、という責任を問うたのだ。実際脱走の件について日本政府は知り得た立場にあり、戦後においてそうした強制連行の犠牲者を保護する義務があったはず、としたわけだ。また損害賠償請求権は20年たつと消滅するとされるのだが、「本件で適用することは正義、公平の理念に著しく反する」として国側のこの主張を退けている。劉さんの事件については「他の戦後補償裁判とは異なる際立った特徴を持つ」として、やや「特別扱い」したことも認めてはいる。

 判決後、劉煥新さんは首相官邸を訪れ(門前払いされたが)、国が控訴をしないよう要求していった。先日のハンセン氏病の元患者たちのケースを念頭に置いた行動とも思えるが、どうも雰囲気から察するに「控訴」の方向であるように思える。上級裁判所にすすむほどに国に有利になるような気がするところもあるので、この辺で国は飲んでほしいな、と思うところなのだが…。



◆美国一国主義独走?
 
  昨年すったもんだの末に「ブッシュ大統領」が決定した時には、「まぁどっちがなってもさして変わらないだろう」という気がしていた。しかしどーもあのフロリダの一部地域の票の命運が世界的な規模の影響をもたらしちゃったのかも知れない。選挙中の言動からネタを多く提供してくれそうな大統領だとは思っていたが、予想以上だったようだ。ちと冗談扱いも出来なくなってきた。

 最近さんざん言われていることだが、ブッシュ政権はこのところ「一国主義」の独走行為が目立つ。それも他国の迷惑も考えず自国内(というか自政権)の利益優先で一方的に突っ走ってしまうから困ったものだ。伝統的にアメリカの保守思想には「モンロー主義」とも呼ばれる自国中心主義があるが、それは「あくまで自分の縄張り以外には口出ししない」という性格のものだ。ところが最近のブッシュ政権が乱打する外交政策には他人の意見に耳を貸さない「オレ流」と同時に自国の利益のためには他国への介入は平気でするという、要するに「わがまま」なガキ大将的志向が強く感じられるのだ。田中真紀子外相が言ったとか言わなかったとか話題になったが、「ゴアだったら全然違っていたかも知れない」ぞ、ホントに。総得票数ではゴア氏の方が多かっただけに、この選挙結果は後世歴史的にも大問題にされるかも知れない。

 ブッシュ政権の「独走」が最初に見られたのが地球温暖化対策のために各国のCO2規制を定めた「京都議定書」からの一方的離脱だった。前政権がやったことだから知るもんか、とばかり一度参加して決めたことを一方的に破棄するその姿勢にも呆れるが、最大の二酸化炭素排出国としてこの「議定書」には「致命的欠陥」があると主張するその裏には明白に「こんなもんのために高度な経済を阻害されてたまるか」という実に安直な自国経済優先主義が見えてくる。だいたいブッシュ父子、チェイニー副大統領にしても石油業界に深く関わってますからな。分かりやすいと言えば余りにも分かりやすい。
 アメリカの離脱宣言を受けて「京都議定書」の命運は皮肉にもこれの生みの親的立場である日本の態度いかんに係ってくることになってしまっている。EU諸国はもうまった無しだから(地球が温暖化し海面が上昇したらオランダなんかは文字通り国の存亡に関わるのだ)日本に「アメリカ抜き」の批准を要求し、日本は「アメリカの説得を続ける」と回答してドタバタやっているところだ。日本が妙にアメリカ寄りの姿勢をフラフラと見せるのでEU諸国からは怒りともとれる声まで上がり、これにまた日本が泡を食って応対するという話がニュースで伝えられている。ガキ大将の下の子分というのは辛い立場である。

 ブッシュ政権の独走、いや暴走の第二幕は「核実験全面禁止条約(CTBT)」の「死文化」に向けて行動を開始したことだ。これまたCTBTには「致命的欠陥」があるとの主張で、この条約への批准を見送るどころか条約そのものを葬り去ろうという意図までみえる。…ということは、核実験がしたいってことですね、やっぱ。
 CTBTというのはその名の通り核実験を全面的に禁止しようとするもので、やはり前政権のクリントン大統領が1996年にこの条約に署名している。ただし上院が否決したので批准には至っていない。この条約には現時点で161カ国が署名、77カ国が批准しているが、核開発能力を持つ44カ国(そんなにあるのか…)全てが批准しないと発効しないことになっている。核大国のうちアメリカ、フランス、中国などが批准しておらず駆け込みのように核実験をやっていたことも記憶に新しいが、ブッシュ政権はこの条約そのものを無意味化しようと目論んでいるわけだ。
 そのアメリカに原爆落とされた被爆国として日本はこの手の話にはもっと強く異議を唱えるべき…と思うのだが、いまのところ政府レベルで異議を唱える様子はない。聞くところによると8月9日の長崎の平和祈念式典で市長が読み上げる平和宣言の中でブッシュ政権への批判が盛り込まれると言うのだが…。

 暴走はさらに続く。やはり核兵器に関することであるが、ブッシュ政権は「ABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約」のこれまた一方的離脱の姿勢を見せ始めた。国防長官のコメントによれば、条約を結んだ相手のロシアの説得を続けるとはしているのだが、「聞いてくれないなら勝手に離脱します」と強気である。これ、実はアラスカに実験用と称する迎撃ミサイル基地を建設することになっているのだが、その建設自体が「迎撃ミサイル基地は国内に一個所しか作ってはならない」としているABM制限条約に触れてしまうためなのだ。要するに「約束を守れなくなったから約束を一方的に破ります」と言っているに等しい。
 これに関連して、7月14日に「ミサイル防衛システム」の要となる迎撃実験が行われた。結果はめでたく(?)成功。これで成功確率50%(4回中2回成功)となったわけだが、どうもその結果に胡散臭さを感じている報道が目に付く(あのNHKまでが「成功」とカッコ付きで報じ、アメリカの報道も何となく懐疑的なニュアンスだった)。まずこの実験は実に初歩的なもので「どこに飛んでくるか」があらかじめわかっているものを撃ち落とすだけの「実戦レベル」にはほど遠いものであることがあちこちから指摘されている(だいたい実戦レベルは完全に不可能とする科学者も多い)。また、実験のタイミングが良すぎてブッシュ政権にとって「失敗は絶対に許されない」状況であったことも疑われる一因。実験に先立って「これから同じ実験を隔月で実施する」などと発表し、ABM制限条約の離脱を示唆するなど、妙に連動した動きが目に付いた。
 ひょっとするとブッシュ政権にとっては実験が成功しようがしまいがもうあんまり関係無いのかも知れない。さらに言えばミサイル防衛なんてものがホントに出来ようが出来まいが構わないと考えたりもしているんじゃなかろうか。実験をする事自体が目的化しているような気もチラチラとする。ちなみにこの実験たった一回で1億ドル(約125億円)が吹っ飛ぶのだ。いや吹っ飛ぶというのは正確ではなくてどっかの業界の懐に入るという言い方もできる。あと共和党内には「レーガンのSDI構想がソ連の軍事費増大を招き、結果的にソ連を崩壊させた」という「信仰」があるとも言われ、それを中国に対してやろうとしてるんじゃないか…ってな見方も一部であったりする。ま、僕は余り採りませんけど。

 独走ネタはまだある。ニューヨークの国連本部で16日から「国連小型武器会議」なるものが開かれていて、短銃・機関銃を中心とする小型武器の非合法取り引きの阻止を目指す話し合いが行われている。冷戦終結後も年平均約50万人(国連統計)というよく考えると核兵器並みの犠牲者を出している小型武器を規制しようという趣旨の会議で、実はこれ日本の提唱で開催が決定されたものなのだ。日本人よ、誇るベシ(こういう地味ながらイイ話は日本人になかなか伝わってこない)
 で、予想通りと言うべきか、この会議そのものに対して開催前からアメリカからの物凄い反発があった。国連本部にはアメリカ全土からほとんど嫌がらせのような抗議メール・書簡攻勢があったそうだが、どうやらアメリカ保守派に根強い「銃信仰」の禁忌に触れてしまったものらしい(あくまで非合法取り引きを禁止する話し合いのはずなんだけど)。そして実際に会議が始まるとアメリカ側は自国優先意識丸出しで会議が作成している政治宣言・行動計画案にイチャモンをつけ、ヨーロッパやアフリカ諸国の猛反発を買っていた(日本もここではアメリカ批判にまわっている)
 政治宣言案の内容に対するアメリカ側の主張は「非合法だけでなく合法的な武器取り引きの規制につながり武器の所持権利に抵触する」という支持母体の「全米ライフル協会」の主張そのまんまのものと、「圧政に苦しむ反政府活動勢力への武器支援が不可能になる」という、さんざんあっちゃこっちゃで気に入らない国の「反政府活動」を支援してきたアメリカらしい実に得手勝手なものとがあった。ついでに言えば全世界の合法的小型銃生産社の半数はアメリカにあるのだ。
 結局会議としてはギリギリの表現でアメリカをなだめて参加させようとしているが、アメリカは依然として露骨にこの会議に不快感を示しており、この調子だとアメリカ一国だけの反対で雲散霧消させられてしまう恐れが出てきている。紛争や犯罪などで銃による犠牲者が多く出ているアフリカや中南米諸国では特に強いアメリカ批判が出ている。

 しかしまぁ結局のところ世界唯一最大の超大国となってしまったアメリカに「制裁」を加えられるところもなく、アメリカ政府が「やる」と決めてしまえばどんな批判にも耳を貸さずに強行することができるのが実態だ。国連だってアメリカの暴走を止められるかどうかは怪しいところ(だいたい分担金ちゃんと払ってないぞ、あの国は)。暴走を止められるとしたら、それはアメリカの政権を選ぶことができるアメリカ市民だけだろう。
 一連の動きを見ていて思うのだが、ブッシュさん(あるいは本人は何も考えてない可能性もあるので、その周辺ブレーン)は何を焦っているのだろう。政権政党交代直後のアメリカ政権が前政権との違いを見せようと躍起になるのはよくある現象だが(たいてい半年から1年で終わると言われるそうだが)、ここまで何かにとりつかれたように突っ走っているのも珍しい気もする。ひょっとすると選挙がかなり厳しいというか下手すると正統性も疑われかねない結果だったので、次の選挙へ向けて支持母体の「票固め」に走ってるんじゃなかろうか…。


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