ニュースな
2001年8月8日

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 ◆今週の記事

◆「盗賊の女王」の最期
 
 何年か前に「女盗賊プーラン」という映画が話題になったことがある。インドの映画監督シェカール=カプール監督作品で、カンヌ映画祭などで世界的な話題になり、それがきっかけでカプール監督はイギリス映画「エリザベス」の監督も依頼されることとなり、これがまた高い評価を受け、あわやアカデミー作品賞受賞かというところまでいってしまった。で、僕はこの「エリザベス」の方は見ているのだが、「プーラン」の方は未見だった。「歴史映像名画座」の一本にしようかな〜などと考えていつか見てやろうとは思っていたのだが、とうとう果たせぬうちに主人公本人が暗殺されるという衝撃的なニュースに接することになってしまった。
 7月25日午後1時半過ぎ(現地時間)、元女盗賊で国会議員であるプーラン=デヴィさん(38?)が国会から帰宅して自宅に入ろうとしたところ、覆面の男数人に襲撃され、頭に3発、体に2発の銃弾を撃ち込まれて即死した。犯人は現場から逃走したが、翌日には一人が逮捕され犯行を認めたという。しかし事件の背後関係は今のところ判然としていないようだ。

 映画が有名になったせいもあって、このプーランという女性の波乱の生涯の大雑把な筋書きは僕の頭の中にはすでに入っていた。しかし「史点」で書くのに何も読んでないのはまずいだろうと、近くの図書館に出かけて伝記コーナーでみつけた「プーラン=デヴィの真実」(マラ=セン著、鳥居千代香訳・未来社)という一冊を借り出してきた。映画公開時に「原作」として話題になったのは自伝「女盗賊プーラン」のほうだったと思うが、この本はイギリスで活動しているインド人ジャーナリストが「プーラン」映画製作進行との関わりで依頼を受けて獄中のプーランやその周辺を取材し、それを基にあくまでジャーナリスティックな姿勢を貫いてまとめたものだ。あとがきなどによると、カプール監督もこの本をかなり参考にしているとのこと。
 しかしこの本によれば、プーラン当人は映画の内容に対して「事実と異なる」と激しく怒り、インド国内での上映差し止め・修正を求めて訴えを起こしていたのだそうな。なまじ現存している人物を主人公にしてドラマ仕立ての伝記ものを作るとこういうことになりがちなのだが(日本で最も伝記が書かれた野口英世も生存中に書かれた自分の伝記の内容に激怒したと伝えられる)、とくに映画の内容がインドにおけるカースト制の問題を強調したものであったことに彼女が強く反発していたという事実が興味深い。彼女自身はカースト制を決して否定はしていなかったのだ。

 プーランさんの生涯についてはさんざん報道されていたからここではあまり深くはつっこまないでおくが(知りたい人は映画でも本でも読んでください… って実は僕もあまり調べてないもんで)、彼女と「カースト」についてだけちょこっと。
 彼女は「マッラー」という低カーストの出身だそうだ。「カースト制」については中学校レベルの社会科の教科書でもおなじみだけど、アーリア人が中央アジアからインドに入ってきて以来、実に3000年以上に及ぶ伝統を持っている(だいたいあのお釈迦さんの段階でカースト否定を唱えなきゃならなかったぐらいで)。時代が下るにつれそのカーストは複雑・細分化され、憲法で禁止された現代でもなお根強く社会に残っているのだ。彼女がこうした社会の低カースト出身だったことが彼女が盗賊になった事情に深くかかわっていることは確かで、彼女の行為として最も有名な「ビーマイ村の虐殺」で殺された男たちに高位カーストの者が多かったのも事実だが、僕がマラ=センの著作をささっと読んだ限りでは巷間言われるようにプーランを単純に「カースト制度に抵抗する闘士」と位置づけるのは、やや筋違いであるように思えた。映画化されたのち、プーランを「反カースト、女性差別と戦う闘士」として欧米を中心に彼女をノーベル平和賞候補に推薦する動きがあったが、当人にとっても不本意というか「ズレ」を感じるところがあったような気がする(まぁ過去のノーベル平和賞受賞者にも妙なのが多いけどさ)。少なくとも欧米人の価値基準から彼女の評価をするのはかなり危険なんじゃないかな、という印象を強く受けた。

 低カースト、しかも貧困、それに加えて女性差別の強いインド社会の中でプーランは「盗賊の女王」の地位へとのしあがり(押し流され?)、政府に投降して11年投獄された後に低カースト層の地位向上を掲げる「社会党」から国会議員に立候補して当選、とまぁとにかくそのまんま映画みたいな人生を彼女は送ってきた。そしてその最期もそのまんま映画のラストシーンのような劇的なものになってしまった。この状況だと出獄後の人生を描いた映画続編が作られるような気もしますな。悲しい事ながら。
 彼女を暗殺したのがどういう人間だったのか、動機はなんだったのかは今のところ判然としていないが、彼女による「虐殺」の犠牲者の遺族が以前から彼女を非難していたし、かつての盗賊仲間(と同時に抗争相手)とのトラブルも続いていた可能性がある。彼女自身、「いつか殺されるかも」という不安を抱いていたという話も聞こえてくる。
 彼女の存在は低カースト、貧困層の間で神格化されてきており、彼女の火葬が行われたときも集まった支持者たちが暴動を起こし、「彼女を守らなかった」として警官たちと衝突、男性一人が死亡する騒ぎになったという。何というか、彼女の死の背景にはインド社会の抱えるさまざまな矛盾がつきまとっているように思える。



◆どっちがテロリスト?

 昨年「ノーベル迷惑賞」なるものを勝手に僕からある人物に献上したことがある。そう、イスラエルのシャロン首相である。いや、もちろんホントに「900万クローナの罰金」を要求したりはしませんでしたけどね(笑)。だいたいあの当時の彼はまだ首相でもなかった。
 「受賞の理由」だが、曲りなりにも形になりかけていたイスラエルとパレスティナの和平を完全に崩壊させることに「貢献」したから、というものだった。もちろん彼一人に全ての原因があるわけではないが、右派政党「リクード」の党首である彼が「嘆きの壁」の上の部分、イスラム教徒の言う「高貴なる聖域」ユダヤ教徒の言う「神殿の丘」に部下たちを率いて足を踏み入れたこと(2000/9/28)が和平崩壊のキッカケだったのは間違いない。以後、イスラエル、パレスチナ双方が衝突を繰り返し、パレスチナ側の過激派による自爆テロも多発して事態は泥沼化。そうこうしているうちに首相を選ぶ直接選挙が行われてこのシャロン氏が新しい首相に選出されちまったのである(別にそのせいではないのだが以後「首相公選」はやらないことになったそうだ)
 彼が首相に選出された当時、かすかな希望的観測もあるにはあった。パレスチナ和平を推進して暗殺されてしまったラビン元首相ももともとは強硬派の軍人だったという前例もあり、シャロン氏自身も選挙活動では「私こそが中東和平を実現できる」とぶち上げていたこともあって、「ひょっとしたら… 」という程度のかすかな希望はイスラエル、パレスチナ双方の和平派にあったと思う。だが、大方の予想通り、状況は悪化の一途である。

 このところ中東情勢の報道をにぎわせているのがイスラエル軍によって連打されている「暗殺作戦」だ。自爆テロなどを計画している「テロリスト」たちを事前に「抹殺」してしまうという、どっちがホントのテロリストだかよく分からない大作戦をイスラエル軍が遂行しているのである。
 7月17日にヨルダン川西岸自治区のベツレヘム(… ああ、聖書の世界ですねぇ)の民家に、いきなりイスラエル軍の武装ヘリが数発のミサイルを撃ち込み、イスラム過激派「ハマス」の運動家ら4名を殺害した。「テロによって多くの死者が出るのを防ぐためだ」というのがイスラエル軍側の定番の言い訳だが、実は死者の中にはパレスチナ側の平和運動家も含まれていた。
 7月31日にはやはり自治区内のナブルスの7階建てのビルにミサイルを撃ち込み、そのビルの中にあったハマスの事務所ごとビルを崩壊させた。その地区のハマスの指導者や幹部ら5人を殺害したが、指導者にインタビューしていたクウェート紙のパレスチナ人記者も巻き込まれて死亡、さらにビルの外にいた子ども二人も巻き添えを食って死んでしまった。いつもはイスラエルを弁護する姿勢を見せるアメリカ政府もさすがに眉をひそめ「行き過ぎで挑発的」と苦言を呈したが、イスラエルの国防相は「暗殺によって今後、多くの命が失われることを防げた。直接の責任はイスラム過激派を取り締まらないアラファト自治政府議長にある」とパレスチナ自治政府に責任をなすりつける始末。
 さらに8月4日にはPLOの幹部マルワン=バルグーティ氏の車列にイスラエル軍のミサイルが撃ち込まれた。バルグーティ氏本人は無事だったが、ボディガード二人が負傷。この攻撃についてイスラエル軍は「標的はバルグーティ氏ではなく、テロ実行犯として追跡していたボディガードの方だった」と表明しているが、まぁ普通この説明で納得する人はいませんね。バルグーティ氏は「シャロンによる卑劣な暗殺計画だ。この新たな犯罪にイスラエルは大きな代償を払うことになろう!」となかなか恐ろしいことを口にしている。
 翌5日にもハマスの活動家が武装ヘリの攻撃を受け「暗殺」されている。一方でハマスなどパレスチナ側の報復テロ活動も盛んになってきているようで、まさに泥沼。「暗殺作戦」なんて火に油を注いでいるようにしか見えず、実際外国からの批判は多いのだが、この5日夜にイスラエル国防省テロ容疑者としてパレスチナ活動家7人のリストを公表、パレスチナ自治政府に引渡しを要求した。パレスチナ側が応じなければ、これが即「暗殺リスト」となるぞと脅しているわけだ。

 パレスチナ自治政府側は5日に「暗殺作戦」への抗議としてイスラエル側との治安責任者協議に応じないことを決定し、この事態を収拾するため国際的な停戦監視団の派遣を求める声明を出した。これに対し、シャロン首相はアメリカのTVの取材に応じて「停戦監視団」の派遣に露骨に不快感を示し、「暗殺作戦」についても「テロ対策として自衛権を行使しているだけだ」と主張して続行を明言している。どうもこの人の頭にはもはや事態を収拾しようという気もないような気がする。暗殺で紛争が解決した歴史は無いような気がするんだけどねぇ… 。やっぱり「迷惑賞」もんだったな、この人は。

 この「迷惑賞受賞者」に対し、まじめな話国際的に「制裁しちゃおう」という動きがある。元ユーゴ大統領・ミロシェビッチがつい先ごろ「国際戦犯法廷」なるものに引き渡され「人道に対する罪」で裁かれ始めたのは記憶に新しいが、「それならシャロンだって該当するだろ」とアラブ諸国がシャロン首相を「人道に対する罪」で同法廷に訴えようか、という動きがあるのだそうで。僕の本音としては現在の「国際戦犯法廷」なるもののやり方には胡散臭さを感じているのだが、イスラム圏からそういう主張が出てきたとき、なんだかんだいっても欧米中心の国際社会はどう応じるんだろうか、という興味はある。
 なんてことを思っていたら、やや古い話だがこんなニュースがあった。6月18日にパレスチナ人たちがベルギーの裁判所にシャロン首相を「1982年のレバノン侵攻を指揮した、人道に対する罪」で告訴したというのだ!このレバノン侵攻時、パレスチナ難民キャンプで女性・子どもを含む約千人が虐殺されるという事件が起こっており、シャロン首相は当時その責任者である国防相の地位にあった。訴えを起こしたのは虐殺を生き延びたパレスチナ人たちで、ベルギーの裁判所はとりあえずこの訴えを受理した。
 パレスチナ人の訴えをベルギーの裁判所が受理するとは奇異な印象を受けるが、なんでもベルギーの法律では「重大な人道犯罪・人権侵害については国籍・現場を問わず裁判にもちこめる」という制度があったのである(最近アメリカでも戦争責任がらみでこの手の裁判があったりしますね)。そんなわけで訴えそのものは受理したわけだが、実際に捜査、裁判をするかどうかはベルギー政府の判断(正確には予審判事の判断らしい)。捜査ということになるとシャロン首相に「逮捕状」が出るケースも考えられるのだそうだ。
 「逮捕」を恐れて、というわけではあるまいが、シャロン首相は7月あたまのヨーロッパ歴訪では予定されていたベルギー訪問をとりやめている。



◆将軍様のお通りだ!

 しばらく話題のなかった朝鮮民主主義人民共和国(あーいつもながら長い)金正日総書記、いまどき世界的にも珍しい大旅行外交を展開して久々に注目を集めた。これ書いている現時点でまだ帰国してないもんね。ロシアがいくら広いといっても時間をかけすぎってもんでは…

 金正日総書記が列車でロシア入りしたのは7月26日。昨年の中国訪問以来の外国訪問で、あの時と同様に列車による移動が敢行された。中国訪問のときは平壌から北京に入るだけだから大したことは無かったが、ユーラシア大陸北側全体を占めるロシア国内大横断となるととんでもなく時間がかかるのは当たり前。実際途中であちこち訪問などしながらのんびりと旅は進み、首都モスクワに入ったのは9日目の8月4日のことだった。
 金総書記の乗る列車は地雷対策を施した装甲車で、話によると高級ホテルのスイートルームなみの設備とか。そして何を(誰を)載せてるんだかよく分からない22両もの大編成だ(警備員、医師など総勢150人とか言われているが、どうせ正確なことはわからない)。どっかの新聞が出していたが、まさに「21世紀を走る18世紀的大名行列」。おまけにどこでも物凄い厳重警備に隠密行動で、迎え入れるロシア側も辟易するほどであるそうだ。列車で出かけたのも飛行機だとテロにあう恐れがあると警戒したからでは、と推測されている。僕はなんとなく単純にご本人が僕と同様飛行機嫌いなのではと思っているのだが(笑)。だって列車でダラダラと何日間も旅行しているほうがよっぽど危険だぜ。
 そんなことを思っていたら、一部で「金正日総書記の列車に銃痕が!」という報道まで流れた。暗殺未遂事件があったんじゃないかと言う話なのだが、どうも以前に金さんが装甲の強さを確認するために試し撃ちさせたのをそのままにしていたのではと推理されている。ま、どっちにしても金正日さん周辺が異様なまでに警備に神経を使っていることはよく分かる。そんなに命を狙われるほど政権が危ないのか、それとも単純に「外国は危険」だと思っているのか、とにかくこの国の人たちがあやることはよく分からない。よく分からないといえば彼が留守中の北朝鮮ではなぜか「戦闘態勢確立」の命令が全軍に出されたり、炭鉱や鉄道局に金総書記の「感謝」が送られたなどといった報道が相次いだそうで、国内向けには「まだ国内にいる」と見せかけようとしたフシがある。

 特別列車の運行のために鉄道ダイヤが乱され三日間でおよそ10万人の足(なんだそんなもんか、って気も日本人にはするが)に影響が出たそうだし、モスクワ市内めぐりでは北朝鮮側の要求による水も漏らさぬ戒厳令並みの警備体制でモスクワ市民をウンザリさせた。また金さんが国家元首としてはソ連崩壊後初となる「レーニン廟」参りをしたことについては単純に父の金日成のソ連訪問の前例に倣ったものとも言われているが、ソ連崩壊後のロシア国民から諸悪の根源のように言われるようになったソ連建国の父・レーニンの墓にお参りしたことにはモスクワっ子はあまりいい感情を持っていないようだ。またこのレーニン廟参りのあおりで廟とその周辺(いわゆる「赤の広場」)が一時閉鎖されてしまい、これもまた外国人観光客のブーイングを買っていた。
 
 とまぁ、なんだかんだと話題を振りまきながら、ようやくプーチン大統領との露朝首脳会談。昨年ぐらいからハッキリしてきたことだが、少なくとも外交駆け引きに関しては金正日さん、なかなかやり手(というかしたたか)である。列車内でそうとうに勉強していたのは確からしく、プーチンさんも「ロシアの政治家よりロシアのことを知るようになったかも」と金さんに言っていたそうで。首脳会談ののち「
共同宣言」が発表され、予想通りアメリカのミサイル防衛構想への牽制と両国の多方面での関係強化が明記された。また、これに関連してシベリア鉄道と北朝鮮鉄道網の連結、さらにこれに韓国と北朝鮮を結ぶ「京義線」を結びつける構想(そのむかし日本が植民地時代に建設したものなんだよな、これ。鉄道史ファンとしても感慨深い)まで話し合われたものと見られている。その一方で両国間の思惑のズレもあるんじゃないかと指摘され、アメリカや中国、韓国なども一様に「歓迎」を表明しながらも、それぞれにどこか警戒感も示している。

 とりあえず今後の注目は金正日さんがいつソウル入りするのか、という点だろう。「確実」とさまざまな方面からコメントが出されながら、具体的な話は今のところ無い。だが今度のロシア訪問のように唐突に出かけることもあるので油断はできないが(笑)。一時今年の8月15日の「光復節」に南北首脳会談、なんて実行したら面白そうな情報も流れたが、その日にはまだロシア国内だろうと言われていて、とりあえず流れている。今年中にソウル入りするのかどうかも全く分からない情勢だ。ま、いつかは行くとは思うんだけどね。ともあれつい二年前までまったく「謎の人」だった金さんがヒョコヒョコと外に出てくるのは大いに歓迎すべきことだとは思う。



◆新石器時代殺人事件?


 アルプスの氷河の中から男性のミイラが発見されたというニュースを覚えておられるだろうか?1991年、つまりちょうど10年前のことなので忘れちゃってる人も多いのではないかと思うのだが… 。俗に「アイスマン」などと呼ばれるこの男性、今から約5300年前に生きた人物と考えられており、身長は160cm、推定年齢は45歳〜50歳。毛皮の帽子をかぶり、革製の衣服と靴を身に着けていた。
 この「アイスマン」は氷河の中から発見されたため、登山中に雪崩などで遭難したか、疲労で凍死したのではないかと考えられていたが決定的な決め手は無かった。この10年間この遺体はあれこれと調査を受けていて、「入れ墨」と思われる肌の痕跡が針治療の「ツボ」と一致するものが多かったことから「5000年前に針・灸治療があった!」などと騒いだオーストリアの博士もいた(1999年9月19日「史点」でとりあげてます)。このときのレントゲン撮影で「アイスマン」は足腰の関節に持病があったことが確認されたらしいのだが、その後続報を聞きませんね。

 で、このアイスマンがまたもや騒ぎを起こした。いや、もちろん本人が起こしてるんじゃなくて研究者が起こしてるんだけど… 。
 今度はなんと「他殺説」の浮上である!去る6月に「アイスマン」をCTスキャンにかけたところ、左肩下6cmの箇所に21mmの「矢じり」が埋まっているのが確認されたというのだ。「アイスマン」を保管しているイタリアの南チロル考古学博物館のスザンナ館長の分析では、矢はこの男性の斜め下のほうから射こまれ、肩甲骨を砕いて左肺の近くで止まった。彼は左腕が麻痺してしまい、大量の内出血によって数時間の苦しみのうちに死んだのではないか、とのこと。これまで考えられていたよりもかなり悲惨な死に方だったということになる。「アイスマン」は戦闘中だったのではないかとスザンナ館長は話しているそうな。
 うーん、それにしてもそれだけのものが突き刺さっていながら、体の表面に明確にそれと分かる傷は無かったのだろうか。ひょっとすると死ぬずっと前に矢で射られたことがあり、矢じりだけ体内に残っていたという筋書きもありうるんじゃないかな。そんな山の中で戦闘ってのもちょっと考えにくいような気もしちゃうし。

 まぁとにかくいろいろと話題の多いお方である。彼も自分が死んでから何千年も経ってからこんなにあれこれ遺体をいじくりまわされ騒がれるとは思いもよらなかっただろう。「他殺説」も出たことだし、次は「自殺説」「事故偽装説」あたりが出てくるかな(笑)。



◆気分はもうSF?

 「史点」としてはちょっと変わったテーマを扱ってみたい。広い意味での「歴史ばなし」だと思う話をいくつか。
 
 「アメリカ惑星協会」という民間団体が、「宇宙帆掛け舟」の最初の実験を7月20日に実施し、結局失敗したと24日になって発表した。僕自身はそれを報じたCNN日本語版サイトでこの話を初めて目にしたが、思わず「おおっ」と声を上げてしまった。失敗とはいいながら、実にSFファンの心を刺激するお話じゃございませんか。「アメリカ惑星協会」などと聞くとなんだかUFO愛好家(信仰家)団体のようなちょっと怪しげな雰囲気が漂うが、あの故・カール=セーガン博士が惑星探査や地球外生命の探索を目的として1980年に設立した、結構マジな団体である。全世界140カ国に十万人の会員がいるそうで。
 「宇宙帆掛け舟」についてはSF好きの方には説明不要と思うのだが、一応簡単に説明しておこう。宇宙航行の手段として太陽光の圧力を利用するアイデアで、まさに太陽光を「風」に見立ててそれを帆に受けて宇宙を進むという、その昔の「惑星大戦争」やら「宇宙からのメッセージ」あたりを連想してしまう(分かる人には分かるかと)、妙に古典的な印象を受ける「宇宙航海」の方法だ。太陽の光を推進力にしようという実に安上がりなアイデアであることから、実はNASAでも昔から可能性を探っているのだが、実験まではしていない。それをこの民間団体がやっちゃったというから驚きである。
 「帆」を二枚もった実験機「コスモス1」(わ、いかにもセーガン博士のノリ)はロシアの潜水艦弾道ミサイルの改造ロケットに搭載され、高度410キロまで上昇するカムチャツカ半島までの弾道飛行の途中で、帆を広げて太陽光を受けるという実験計画だった。しかし肝心のロケットからの切り離しに失敗し、「帆」を広げることもなくあえなく失敗に終わった。この実験はあくまで帆を広げてみる程度の初歩の初歩の実験であり、10月にも地球周回軌道に乗せる本格的実験が予定されれいるそうだが、今回の失敗でちょっと延期されるかもしれない、とのこと。
 NASAは2010年までに実験をやるかどうかというスケジュールだそうで、「惑星協会」の健闘を期待したい。

 ところで我らが日本も何やら面白いことを構想しているらしい。7月28日付の朝日新聞を読んでいたら日本の経済産業省が「宇宙太陽発電」なるものの実験計画の素案をまとめたとの記事が載っていた。
 その実験素案によれば、日本国産のH2ロケットで人工衛星を打ち上げ、高度500キロの上空で400平方mの太陽電池パネルを広げ、100キロワットの電気をつくる。要するに宇宙空間におかれた太陽エネルギーによる発電所というわけですな。で、発電された電気をどうやって地上に送るのかと素朴に疑問を持つところだが、これがまた面白い。その電力をマイクロ波に変換して地上に送信し、地上側ではこれを直径500mの受電装置でこれを受け止めるのだそうな。受電装置は使用していない空港や牧場、ロケット発射場などに建設するとのこと。マイクロ波といえば電子レンジと同じなわけで、周囲の生物への影響などを配慮してマイクロ波の強度はおさえられることになるらしい。技術的なことはよく分からんが、アシモフのSF短編「われ思う、ゆえに… 」(原題「Reason」。「われはロボット」所収。未読の方、絶対お勧め)に似たような危なっかしいエネルギー伝送の話があったような。実用化構想では衛星の太陽電池パネルは10平方キロ、出力100万キロワットという物凄いスケールの話である。
 このアイデア、アメリカで1968年に発案され70年代にNASAなどで研究が進められたが、コストがかかりすぎることが原因でひとまず放っておかれた。それが90年代に入って原子力・火力発電に代わるクリーンエネルギーとしてまた注目され始めたわけだ。日本での動きもこれに連動したものだと言える。今回の話はあくまで「実験」だが、実用化すれば原発並みの出力をもつと期待されており、日米共同研究なんて話も無くは無いらしい。マイクロ波の変換効率とか太陽電池パネルなど細かいところは日本の得意芸というところもあるので。
 ただやっぱり問題はコスト。実験ですら110億円(しかもロケット打ち上げ代抜き)の費用がかかり、原発並みの出力が期待されている実用段階でも、かかる費用は原発の100倍ほどとか。実験は10年以内にはとりかかろうという話だが、実用化は40年後を予定しているそうで… 。

 あともう一つSFっぽい話題を。これも確かCNN日本語版サイトでみつけた話題。
 イギリス・カーディフ大学の
シャンドラ=ウィクラマシン教授が光学技術の国際学会(なんでこんなところでこんな話題を出してるんだ?)で発表した話なのだが、彼らの研究グループがが成層圏に気球を上げて大気を集めて調べたところ、そこにバクテリアのような微生物が含まれていることを発見したという。大問題になるのは、これら微生物が「上から降ってきた」、つまり宇宙空間からやってきたものである、と彼らが推理している点なのだ。
 こんな上空に微生物がいることについては人間が打ち上げたロケットや人工衛星にくっついていたのが落ちてきたという考え方もあるが、研究グループの一人、微生物学者のデビッド=ロイド教授は「もっとも考えやすい説明は、『これらは他の惑星からやってきた』と考えることだ」と言っているという。前に「火星の微生物の化石?」と言われる物が公表されたことがあったが、あれを連想させる話である。
 この「発見」はさらにこんな仮説も裏付ける可能性がある。地球上の生命は実は地球上で「発生」したのではなく、「よそからやってきた」のではないかという仮説(パンスペルミア説(胚種広布説)というらしい)だ。それこそSFみたいな話であるが、そもそも地球上最初の生命がどっから降ってわいたのか、まさに「歴史」の根源にかかわる部分はまだまだ謎が多いのだ。いっそのこと「よそから来た」ことにしちゃった方が楽といえば楽なわけで(笑)。
 … なんだか映画「2001年宇宙の旅」をまた観たくなる話である。


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