ニュースな史点
2001年9月14日
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◆おことわり◆
この一ヶ月間、仕事に追われ、旧PCがクラッシュし、ISDNが開通し、この不景気にも関わらずありがたくも新しい仕事先ができるなど、次々とドタバタが見舞ったため「史点」の執筆・更新が遅れておりました。まとめて公開します。
なお、今回執筆の時点でアメリカにおける非道な大規模テロ事件が発生しておりましたが、それについては次回に回す予定で(更新までの間は短いと思います)、今回の記述内容のほとんどはこの事件が発生する前の段階での文章のまま掲載しております。
◆今週の記事
◆13日の参拝日
「進むも地獄、引くも地獄」なんて言ってたから、真夏のホラー映画みたいなもんだったんだろう(笑)。
先週「史点」史上最も遅い時間(早い時間か?)に更新をした理由は「靖国」のネタを小泉さんの「決断」直前にUPするためだった。そして予感は的中し、その直後の8月13日午後に小泉純一郎首相は靖国に電撃的な参拝を実行しちゃったのだった。思い返せば大した「予感」ではない。どっちにせよ13日に動きがあるだろうと言うことは12日に動きがなかったことで各方面から確実視されていたのだ。
あとから聞くところによれば、小泉首相の選択肢に「参拝しない」というものは無かったそうだ。「15日に行く」と4月以来断言していたが、これをやっちゃった場合深刻な影響が出たであろう事は前回書いた通り。で、参拝直前まで小泉さんの周囲では「先送り」と「前倒し」のどちらを選ぶかという綱引きがあったということだ。中国などは非公式に「先送り」を求めたていたそうで「14日では15日と同じ」とも言っていたらしい。そうだとすると小泉さんの「13日」という選択は先送り要求は受け入れないものの何とか要求を受け入れたと言い訳も出来るギリギリの選択であったことになる。
「13日参拝」を決めた、とのニュース速報が甲子園の試合中継の映像にかぶさったとき、僕が真っ先に思ったのは「どの方面にも一応言い訳が出来る地点に着陸したな」という印象だった。参拝推進派には「参拝した」という実績を、参拝反対派には「日にちもずらして神道形式もとりませんでした」というポーズを、諸外国には「ご意見は一応参考にしました」という弁解を、といった具合でそれなりに「絶妙」であるとも言えるが、裏返せば「どの方面にも不満と反発が出る地点に着陸した」とも言える。
小泉さんが靖国神社に現れた瞬間のニュース映像を見ていたら拍手喝采の中で「臆病者!」という罵声がしっかりと聞こえた。靖国反対論者はおおむね首相があの神社に行くこと自体に反対という人が多いので15日だろうと13日だろうと元旦だろうと変わりは無いのだが(それにしても毎年正月に歴代首相が伊勢神宮に参拝するのが慣習化していることを騒ぐ人が余りいないのはなぜだろう?)、靖国参拝推進派にとってはあのたった二日のズレが大変な差異であったらしい。産経新聞はじめその方面の意見をいろいろ見たが、こちらの予想以上にたった二日の違いに大きなショックと怒りを現していた。「8月15日」ってのがそんなに大きかったわけですねぇ。15日はあくまで敗戦を国民に知らせた「玉音放送」のあった日であって、ポツダム宣言を受け入れて「敗戦」したのは厳密には14日らしいんだけどね。だいたい「玉音放送」の録音は前日に済んでいるわけで。
小泉さんが「8月15日に靖国参拝」とブチ上げたのは4月の自民党総裁選のさなかだった。これが総裁選にどれほどの影響が実際にあったかは僕には分からない。ただ、対抗馬(というか本来こっちが本命視されていたはずだが)の橋本龍太郎元総理に対する「日本遺族会」の姿勢になにがしかの影響があったことは否定できない。
「日本遺族会」というのはもともと戦没者の遺族の相互扶助、生活保護などを目的に終戦直後に結成された「遺族厚生連盟」を母体とする組織だが、1953年に「厚生連盟」が解散し入れ替わりに「日本遺族会」として再組織されると、それまで掲げていた「戦争の防止」「世界恒久の平和の確立」「全人類の福祉」といったスローガンを廃棄し(一応正式に葬り去ったのは1964年)、ひたすら「英霊の顕彰」を主目的として掲げるようになった、まぁそういう団体だ。1970年代ごろから「英霊の顕彰」の究極の目標として靖国神社の国家護持、首相の公式参拝、8月15日を「英霊の日」と定めることなどを掲げるようになり(「8月15日」にこだわりだしたのはこのあたりからなのかな?)、これに応じる形で三木武夫首相以後の「8月15日の首相の靖国参拝」が開始される。なぜ歴代首相や政治家たちがゾロゾロと靖国参拝するなど「遺族会」にやたらに気を使うかといえば、もちろん目に見える大きな理由は「遺族会」が自民党の大きな支持団体、票田であることが挙げられる。「遺族会」会員は全国104万世帯と言われ、さらに会員を中心に「日本遺族政治連盟」なる15万人にのぼる政治組織を結成しており、そのうち11万人が自民党員だ。国政選挙となれば50万〜60万ぐらいの集票能力を発揮する(過去には90万票集めたこともある)。
さらに似たような団体として60万人の会員を抱える「軍恩連(軍恩連盟全国連合会)」がある。元軍人の恩給受給者で組織された団体で、これまた15万人の自民党員を抱えている。この二つをあわせただけでも26万人の自民党員がいることになる。自民党の党員・党友の有権者数は約290万人とか聞いているから、単純計算でその10分の1を占める勢力であり、強力な圧力団体であると言える。なお、「日本遺族会」といっても会員は全戦没者遺族の半数に過ぎず、遺児にいたっては遺児全体の15%に過ぎないということも付け加えておこう。
で、この「日本遺族会」の会長が橋本龍太郎元首相だったこともある。だからこそ橋本さんは首相在任中に靖国参拝を実行したのだが、さすがに「8月15日」は避けた。このことは「遺族会」にとってはかなりの痛恨事であったらしく、今年の自民党総裁選にあたって小泉さんが「8月15日参拝」をブチあげたら、まさに狂喜したわけだ。事実上「橋本vs小泉」の総裁選において、この一事が無視できない影響を与えたとは想像できる。そして小泉さんは言ってしまった手前、どうしても参拝を実行しなければならなかった。しかし結果的に「15日」の公約を破ったあたり、やっぱり総裁選に勝つための作戦として案外気軽に「靖国」をブチあげたんじゃないかと言われちゃうわけだ。
結局「15日」をあきらめることはいつ決断したのか。これは現時点では誰も口にはしないだろうけど、僕は案外早かったのではないかと思っている。なーんとなくだが、「ギリギリまで熟慮してやむをえずこうなりました」ってポーズをとって言い訳しているような感触を覚えるのだ。もちろんこれは僕の勝手な感触に過ぎないけど。
中国や韓国を主力とした諸外国の苦言もある程度影響はしただろうが、一番決定力があったの政権内部の動きだっただろうと思う。意外に大きかったのは連立を組んでいる公明党の強力な反対だったんじゃないかなぁ。公明党が「15日靖国公式参拝」を絶対に認めないであろうことは、公明党の母体である創価学会の名誉会長が事前にかなりハッキリと表明していたことで予想はされた。戦争責任と諸外国への配慮だの政教分離だのいろいろ理由はつけているのだが、公明党自体がその「政教分離」をうんぬんされている政党であることが皮肉なところ。宗教的政治勢力である彼らが、一神社の特別扱いを認めるわけにはいかないってのは分かりやすいと言えば分かりやすい話だ。まぁ国家神道に弾圧された過去もあるしね。
どうやら聞こえてくるところによると、公明党は「連立離脱」カードまでちらつかせて小泉さんに迫ったという。それを聞いた小泉さんが「えーっ」と頭を抱えたとの報道もある(田中外相に諌められたときも「困ったなー」と頭を抱えたとか言っていたな)。さすがに小泉さんも公明党を切り捨てて政権を弱体化させてまで「15日参拝」を強行する気はなかったということだ。
こうしてみると、なんだか「特殊な政治団体」どうしの綱引きで全てが動いているようにも思えてくるな。
参拝直前の段階で書いたことだが、小泉さん自身は「靖国」の意味をよく知らなかったんじゃないかと思える節がある。知ってたらそんなことは言わないだろうと思える言動も目に付いた(象徴的だったのは「人は死んだらみな仏」発言だな)。今回の騒動を通じて勉強した結果なのか、一部報道によれば戦没者(一般の戦争犠牲者を含むのかどうかは今のところ不明)を慰霊する「国立墓地」の検討を実際に政府内で開始させたらしく、とくに「靖国」に個人的にこだわりはなかったということかもしれない。前にも書いたが靖国でさえなければクリアできる問題は多く、特定の宗教に縛られない国立墓地というのはなかなか妙案ではあるのだが、「靖国」を推進する方面の方々にとっては我慢のならないことなのも事実。このへんも「抵抗勢力」に負けずに「改革」できれば大したもんなんですけどね、小泉さん。そういえば先日、「『靖国』が腰砕けになったから「構造改革」もそうなのでは」って揶揄の声に「靖国より構造改革のほうが重要度が上」と言っていたような。そちらの方で懸案の特殊法人改革も案の定激しい抵抗にあってるなぁ。
なにやらその様は、下のネタのある人物のことを連想させなくも無い。ってわけで下のネタに見事につながる(笑)
◆あれから10年たちました
10年たったのかぁ〜と感慨にふけるばかりである。絶対後世の歴史の教科書に載るような大事件だと思うのだが、案外盛り上がりに欠けるものである。「本能寺の変10周年」の時もこんな感じだったのだろうか、ってなんなんだ、それは(笑)。
ソビエト連邦の解体維持を図ろうとして(少なくともやった当人たちの大義名分はそれだった)結果的にソビエト連邦の崩壊をもたらした「反ゴルバチョフ・クーデター」(いまのところ「世界史用語集はこの表現だな)が発生したのは1991年8月19日のこと。おりしも放映中のNHK大河ドラマ「太平記」ではちょうど尊氏が建武の新政に反旗を翻そうとするころだった(笑)。
今からどう転んでも世界史の教科書に残るであろう歴史人物・ゴルバチョフがソ連の指導者となったのは1985年のことだった。彼が「ペレストロイカ」と呼ばれる政治・経済改革を実行し、外交でも東西冷戦を終結に導く成果を挙げ、それまでどうにもよく分からない不気味さを持つ「社会主義帝国」だったソ連のイメージを随分明るくしたのは確かだったが、一方で連邦内部の民族紛争の激化、市場経済の導入による経済の混乱など、ソ連国内にとってははた迷惑な事態を引き起こすことになったのも事実。中でもゴルバチョフの突き進む方向に激しい危機感を抱いたのは、ソ連の体制の中で特権を有していた官僚組織や軍部などの保守派勢力だった。
彼らがついに我慢しきれず武力によるゴルバチョフ打倒を実行に移したのは、ソ連の連邦体制を改革する「新連邦条約」が締結される前日のことである。このときゴルバチョフ大統領はクリミア半島の別荘で休養中でそのスキを狙ったものでもあった。19日未明からクーデター部隊は動き出し、ゴルバチョフ大統領を別荘に拘束。そして「健康上の理由」でゴルバチョフ大統領の解任しヤナーエフ副大統領が大統領に就任、六ヶ月に及ぶ非常事態宣言を出す、などの発表を行った。こんときの世界中の大騒ぎといったら大変なものであった。多くの人はかつてスターリン批判と緊張緩和の姿勢をみせたフルシチョフが突然解任された故事を連想し、ソ連がまたもとの「暗い帝国」に戻っていくんじゃなかろうかという印象をもった。語り草になっているはなしだが、「もはやゴルバチョフの姿を我々は見ることはあるまい」と週刊誌上で断言した自称国際ジャーナリストもいたものだ。この人にとっては不幸なことに、この週刊誌が発売されるころにはゴルバチョフはブラウン管に姿を見せてしまっていた(笑)。クーデターはものの三日で崩壊してしまったのだ。「明智の三日天下」と言われる明智光秀すら実際には11日間もちこたえたというのに。あらら、なんだかまた「本能寺」の話をしているな。
クーデターが「三日天下」で終わってしまった大きな要因は、「もとのソ連には戻りたくない」と強烈に思った市民の強い抵抗があったためだ。こうした市民にヒーローとして祭り上げられたのが当時ロシア共和国大統領だったエリツィン氏だ。彼が戦車の上に立って演説する絵は、次の「天下人」が誰なのかを明白に示す映像だった。クーデターが失敗に終わり、監禁されていたゴルバチョフ大統領はモスクワに迎え入れられたが(このときゴルバチョフを迎えに行ったのが後にエリツィンと対立するルツコイさんだったりする)、もはや市民は彼に何の期待もしていなかったと言っていい。ゴルバチョフがこのあとやった政治的作業は直後の8月25日にソ連共産党の解散を勧告したこと、そして12月25日に大統領を辞任してソビエト連邦70年の歴史に終止符を打つことだった。ソ連亡き後、ロシアの指導者はエリツィン大統領となり、そのエリツィンもすったもんだの末に2000年に辞任して現在のプーチン大統領に引き継がれているわけだ。してみるとプーチンって家康なのか?(笑)
さてそんな大事件から10年がたった。それなりにニュースにもなりモスクワでもいろいろと記念行事のようなものも行われたそうだが、一様にみんな冷めていたというのが実情だったらしい。結局のところ当時クーデターをつぶした「市民の勝利」のあの熱狂も、その後のロシアがちっとも良くなっていないという思いの前に冷え切ってしまうもののようだ。政府もこの「10周年記念日」に関する行事はいっさい行っておらず、プーチン大統領も休暇に出かけてノーコメント。むしろコメントを積極的に出したのはこのクーデターで権力を失ったゴルバチョフ元大統領のほうで、内外のマスコミを集めた記者会見でクーデター首謀者たちが結局エリツィン政権によって赦免され政界に復帰しつつあることに警戒感を示し、エリツィン前大統領をクソミソに言ったりしていた。
ソ連崩壊後建てられた戦車を阻止した市民を讃えるモニュメントのまわりでこの「記念日」を祝う市民の集会もあるにはあったらしいが、150人程度の集まりだったと報じられている。それどころか「クーデターは正しかった」とする集会も堂々と開かれ、ロシアのド右翼・ジリノフスキー・ロシア自民党党首も参加して気勢をあげていた(もっともこの人はクーデターを賞賛しつつ共産党支配が倒れたことは歓迎している)。この集会の参加者たちが、クーデター阻止記念派の集会の参加者たちと少しばかり小競り合いを起こしたそうだが、とりあえず大事にはならずに済んでいる。それだけ世間的にはあまり関心がないということなのかな。
その関心の無さを象徴するかのような調査結果が世界に報じられていた。「あのクーデターの首謀者は誰?」との質問をロシア市民にぶつけるアンケート調査が行われたのだ。ヤナーエフ副大統領など「非常事態委員会」のメンバーとなった8人の幹部のうち一人でも名前を正確に言えた人はなんと16%に過ぎなかった。「一人も思い出せない」と答えた人も61%に及んだというから凄い。たった三日間で終わったクーデターとはいえ、あまりといえばあまりな数字ではなかろうか。あとでエリツィンと喧嘩した「ルツコイ」とか後の事件と混同した答えをした人もいたそうで。十年一昔とは言いますがねぇ。
これに関連して面白かったのが朝日新聞が載せた記事。「ロシアでも新しい歴史教科書」って見出しは二重の意味で「朝日的」であったが(笑)、それによればロシア政府はソ連時代や民主化への評価がまちまちとなっている現代史の教科書に新たに検定を実施して一つの政府見解にまとめさせる意向であるらしい。確かにこのあたり、最近のどこぞの国の騒動を連想させるところもある。国会で「第2次大戦を米国の勝利のように記述した教科書があるが、愛国心が育たない」という声が出たり、「スターリンの粛清を大げさに記述するなど正確さに欠ける」という軍関係者からの批判もあったというから、人間どこもやることは似ているものだ。
その記事によるとロシア現代史の教科書は62種類(!)もあるのだそうで、それらのソ連時代や民主化時代への評価はまさに真っ二つ状態らしい。またその大半がエリツィン時代に編纂されたため、プーチン大統領の名が載っていないことにプーチン政権がいらだっているのでは、という一部マスコミの声もあるそうだ。ロシアのカシヤノフ首相はこれからこれらの教科書を3種類ぐらいにしぼりこみ2002年から使用する予定だそうで、「過去を正確にとらえて記述し、現実と一致させ、歴史授業の混乱を終わらせなければならない」と語ったそうな。余計混乱するかもしれんがな。
これと呼応するかのように?プーチン大統領は9月1日にモスクワ教育大学で演説し、「2002年度予算では教育費を大幅に増大し(教育費5割増・教師の給料倍増だそうな)、ロシア政府としては国防費を上回る予算を計上する」とブチ上げていた。歴史はともすれば武器に勝るのか…
?
◆「蒼き狼」の墓?
最近、民放TVのゴールデンタイムでも消費者金融業者のCMがやたらに流れている。世の中不景気ともなるとこういう業界は儲かるものらしく、TV局としてもこういうところにスポンサーを求めざるを得ないというが実情のようだ。それにしてもこれら消費者金融のCMっていずれも面白いようにセンスが悪い(紳士服業界のCMといい勝負か?)。いや、一部にうまいものもあるとは思うのだが、全体でみると「勘弁してくれぇ〜」と見た瞬間にチャンネルを変えて逃げてしまいたくなるものが目に付く。
そんなCMの中の一つに、体格のいい半裸のヒゲ巨人が「ノーローン!」と叫んでいるものがある。「イッシュウ・カンは大きい」というのがキャッチフレーズだが、この「イッシュウ・カン」というのが何のギャグなのか分かるのに時間がかかった人は少なくないはず。いや、未だに分からない人も結構いるのではないだろうか。なんだかアラジンの魔法のランプから飛び出してきた魔神のような姿だが、よく見ればモンゴル相撲の格好(?)をしてるんだよな、これが。僕はそこでようやく悟りました。「ジンギス・カン」のもじりだったわけね。初めて観てから悟るまでに三日はかかったな、確か(汗)。
最近はこのモンゴルの英雄の呼び名は「チンギス・ハーン」でほぼ統一されていると思う。「チンギス・ハン」も結構優勢かな。「あれはカァンが正しい」という意見も強いが、どっちにせよ日本人には判別不能かも。「ジンギスカン」って呼び方は恐らく欧米経由だと思われる。ハリウッド映画でも「ジンギスカン」ってタイトルだったもんな。
…
とまぁ凄い枕から入ってしまった。書く文量が少なそうな記事はこうやって膨らませるんですぜ、と変なテクニックを紹介しつつ本題へ。
ユーラシア世界を席巻する空前の大帝国の基を築いたモンゴルの大英雄・チンギス=ハーンだが、その墓の位置は長い間謎とされてきた。何しろ死んだときにその埋葬場所を知られないよう、葬列が進む途中で出会った人間はみな抹殺していったと伝えられているのだ。モンゴルで製作した映画「チンギスハーン」でこの伝承をなかなかうまくラストで使っていたが…
。とにかく「チンギスハーンの墓探し」は世界の歴史学者・考古学者の大きな目標の一つとなっていたのだ。
8月16日、アメリカ・シカゴ大学のジョン=ウッズ歴史学科教授らの調査チームは「チンギス=ハーンの墓の可能性もある遺跡を発見した」と発表した。場所はモンゴルの首都・ウランバートルから北東に約320キロの地点だという。発見されたのは地位の高い人物と関係があるとみられる未盗掘の約20個の墓と壁であるという。同教授によればこの地点はチンギスが生まれた場所、そしてハーンに即位した場所に近く、地元住民も遺跡を「チンギスの城」と呼んでいることなども考え合わせて「非常に興味をそそる」としている。もちろん「考古学的な調査が必要」と慎重さも見せてはいたが。さて、どうなりますか。
◆世界平和を守るのは大変です
前にも書いたことのある話なのだが、国際平和機構である「国際連合」の諸経費は各国に課せられた「分担金」によってまかなわれている。分担金の負担額はそれぞれの国の経済事情に合わせて決定されているのだが、例によって例のごとく今年も国連は財政難にあえいでいる。去る8月15日に国連報道官が発表したところによると、今年度の国連の一般会計(約11億ドル)のうち現時点で7500万ドルの資金不足に陥るのだそうだ。不足の原因はもちろん分担金を払わない国がかなりあるから。それでも秋以降に未納国の多くが遅ればせながら支払うとみられているので、資金不足は一時的なものにとどまるという。しかしなんといっても「最大の未納国」が一向に支払おうとしない状況が続く限り、国連の財政難は解消されっこないだろう。
「最大の未納国」とは…
もちろん国連が本部を置いている国、しかも安保理常任理事国の一国、アメリカ合衆国である。アメリカは最大の分担金を義務付けられている国であり、またそれを一向に支払おうとしない国でもあるのだ。アメリカは今年4億6000万ドルの分担金を支払っておらず、全未納額の64%を占めているという。2000年度以前の一般会計ぶんでも5億8200万ドルを未納。PKO(平和維持活動)予算などの未納分を含めると実に総計19億ドル(約2280億円)を支払っていない。要するにこういうアメリカの態度が国連の資金不足最大の原因なのだ。
国連創設の言い出しっぺであり国連のトップでもあるはずのこの大国がなんでこんなセコイことをしているのかといえば、基本的に議会が国連に金を出すことに乗り気ではないのだ。そのむかし国際連盟をつくったときもアメリカ大統領が言い出しっぺでありながら議会が反対して加盟しなかったことは有名だが、どうもアメリカという国には根強く「一国中心主義」の発想があるようだ。アメリカの保守派や右翼団体はたいてい国連を敵視しているし。金は出さないけど口は出すんだよな、それでいて(最悪…
)。2年程前にアナン国連事務総長がブチ切れて「支払わんと国連代表権を取り上げるぞ」と脅したら9億ドルほどオズオズと支払ったこともあったっけ。ふつう会費支払わない会員は登録抹消されても文句言えないはずなんだけどな。
もともとそういう姿勢の国であるアメリカだが、ブッシュ政権になってからかなり暴走がはなはだしくなってきているのはよく言われている通り。読売新聞の記事によると、8月2日からジュネーブで軍縮会議が開かれたが、まるで議論は盛り上がらずものの30分で本会議は閉会したという。その記事ではここにもブッシュ政権の姿勢が影を落としているとの指摘がなされていた。
「ジュネーブ軍縮会議」というのは1979年から始まった、多国間の軍縮交渉を行う世界唯一の常設機関。冷戦が終結した90年代に入って化学兵器禁止条約や核実験全面禁止条約(CTBT)などの成果をあげた。しかしここ5年ほど目新しい成果が上がらず、一国主義独走姿勢を強めるブッシュ政権が事実上「多国間交渉」などアテにしないでロシアや中国などの大国と独自に交渉しようとしているため、いよいよ「瀕死の状態」に追い詰められているとのこと。この会議の成果であるCTBTだってブッシュ政権は明白に「死文化」を狙ってるもんね。
だいたいこのジュネーブ軍縮会議にはイラク、北朝鮮といったアメリカが「ならず者国家」と呼んでいる国も参加していて、しかも決定には全会一致を原則としている。アメリカがこんな会議にわずらわされたくないと考えるのも無理は無い。もちろん、それはあくまでアメリカの自己中心的な考えではあるが。軍縮会議としては日本などを中心に(おおっと、こういうところでは意外に動いてるな)全会一致の原則を改正して多数決を導入しようという改革案も挙がっているが、それをやるにも全会一致の賛成がないとダメだそうで…
9月2日、同日付のニューヨーク・タイムス紙が「ブッシュ政権が中国の核武装強化を容認する方針」とのスクープをかまして話題を呼んだ。話の出どころはブッシュ政権の外交・軍事面の顧問であるライス大統領補佐官の発言だ。その内容はアッサリとまとめてしまえば「ミサイル防衛構想(MD)に反対する中国を黙らせるため、見返りとして中国の核軍拡を認める」というものだった。いちおう「中国の核軍拡を認めるわけではない」とは言っているのだが、「どうせ中国の核軍拡が止められないのならそれを認めてやることでMDへの賛成をとりつけよう」という意図が明白に見える。そこまでしてミサイル防衛構想を実現したいというわけだが、なんかもう手段を選んでないよなぁ。ついでにCTBTの死文化を実現するため、ブッシュ政権は中国にも核実験の実施を認めてやろうとまでしているという。
…
という報道が出て国際的に波紋が広がった途端、ブッシュ政権は慌てたように「そういうことではない」と完全否定の声明を行った。ライスさんがどう弁解しているのか情報が入ってこないのだが、普通に考えると否定の前に出た話が「本音」ということになると思う。時を同じくして中国側からも「そんな話はきていません」といったあたりなどはかえって怪しい(笑)。秋にはブッシュ大統領がAPECがてら中国と首脳会談を行うが、それまでに話をまとめようとしているのだろう。中国がエサに食いつくかどうか見ているってところじゃないかな。
そういえば9月4日のニューヨーク・タイムスではアメリカ国防総省高官の話として、アメリカ政府が「生物兵器」の研究をクリントン政権時代から極秘裏に進めていたことがスッパ抜かれていた。クリントン時代にネバダ州の砂漠に「細菌工場」まで建設していたのだそうな。ブッシュ政権はこの研究をいっそう推進する方針だとのこと。
生物兵器の所有と開発は1972年に結ばれた「生物兵器禁止条約」でズバリ禁止されているはずなのだ。国防総省はこの報道を受けて研究自体の存在については認めたが、1999年に関係省庁が検討して「条約には違反していない」と判断していると説明した。なんでも「生物兵器禁止条約」には「防衛のための研究」を禁止する項目が無いそうで(というか、わざわざ区別する必要が無いと考えたのだと思うが)、「防衛のための研究であれば条約には違反しない」との判断であるそうな。
「ならず者国家」って言葉が頭にちらつくんだよな、ホント。
◆中東情勢もう泥沼
イスラエル軍は相変わらず「暗殺作戦」を続行し、パレスチナ過激派は「自爆テロ」を続行し…
もういい加減にせんかい、という情勢が延々と続いているパレスチナ情勢。この数週間「史点」更新をさぼっても状況が一向に変化していないのがまた哀しいところだ。
8月27日、イスラエル軍の武装ヘリが、パレスチナ解放機構(PLO)の反主流派組織「パレスチナ解放人民戦線」の事務所に2発のミサイルを撃ち込み、事務所にいた同組織の指導者アブ=アリ=ムスタファ議長(63)を殺害した。「パレスチナ解放人民戦線」は反主流とはいえPLO内では第二の規模をもつ組織であり、殺されたムスタファ議長はアラファト議長に次ぐ事実上のナンバー2と見られていた。こんな大物をイスラエル軍はあっさりと暗殺してしまったのである。もちろん暗殺の理由については「武装闘争放棄を誓約したにもかかわらず、爆弾テロなどの破壊活動を続けているから」と説明している。ムスタファ議長がアラファト議長の進める和平方向に反対していたのは事実だが、いきなりそれにミサイルぶち込んで抹殺してしまうという行動は凄いというか無茶というか。「撃たれる前に撃つ」などとよく言うが、なんか見ているといちいち考えずにパレスチナ側の指導者を本気で皆殺しにする気なんじゃないかと思えてくる。パレスチナ自治政府はこの暗殺を「重大な犯罪」と呼び、「全面戦争への扉を開く」とイスラエル側を非難している。
9月1日にはパレスチナ側の情報機関の事務局長タイシール=ハッターブ氏(52)が乗った車が走行中に爆発、同事務局長は死亡した。ハッターブ氏はPLOの主流派に属する情報機関の幹部である。車に爆弾が仕掛けられていたのは明白で、パレスチナ側は「イスラエルの情報機関による暗殺」と判断しているが、イスラエル側は「パレスチナ側の内紛だろ」と「暗殺」を否定していて、真相は藪の中だ(割とイスラエルは殺したときは「殺した」と発表するので…
ってあんまり感心もできないが)。
これと相前後してイスラエル軍がヨルダン川西岸のパレスチナ自治区の一部に進撃して、それを占領するという一幕もあった。下手するとまた以前のような軍事占領状態を再現するのかとの危惧もされたが、アメリカやEU諸国の説得もあり、イスラエル・パレスチナの双方で一応の合意が成ったため、8月29日からイスラエル軍は占領地域を撤退した。しかし依然として状況が好転したわけでは全くない。こうやって書いている間にも自爆テロで実行者を含む4人が死亡したとのニュースが流れてくる。
こうした情勢の中で挿話のように聞こえてきたネタを三題。
ドイツの新聞が報じたところによると(って僕はそれを元にした読売新聞の記事で読んだが)、ドイツやEUの資金援助を受けてパレスチナ自治区で印刷・使用されている「イスラム教教育」の教科書に「ユダヤ人は人をだますから用心するように」との記述が、さらに歴史の教科書では「ドイツにおけるユダヤ人迫害は、ユダヤ人が貪欲で狂信的であったからだ」などという記述があることが判明し、ドイツで問題になっているそうである。手塚治虫の名作『アドルフに告ぐ』でも、ナチス・ドイツが行った反ユダヤ教育を賛美するようなセリフをパレスチナ人が口にする場面があったが、ホントにそういうことがあるのだな、と思い知らされた。なお、教師向けの指導書には「殉教こそ教育の目的」という記述まであるという。ホント軍国日本の教育とソックリだな。
ドイツが資金援助している教科書に「反ユダヤ的」記述がなされていたわけで、この手の問題には神経質なドイツではかなり問題視されているらしい。ドイツ国内のユダヤ人団体は当然猛反発しているし、外務省も「内容を把握していなかった。子供たちに憎しみと暴力を教育するのであれば、受け入れることはできない」として実態調査を行うことを表明している。欧州議会でもとりあげられるらしく、記述を改めない限り援助凍結だという声もあるという。
この騒ぎに対しパレスチナ自治政府の教育担当者は「イスラエルの教科書の方が反アラブ的記述に満ちている」と反論しているそうな。教科書問題がここでも勃発してるな、こっちの方が深刻度がずっと大きいが。
もう一題のネタはイスラエルの高校生たちが徴兵を拒否する運動を始めたという話題。
9月3日、イスラエルの16歳から18歳の高校生たち62人がシャロン首相に手紙を送り、自分たちに迫っている兵役を拒否するむねを表明した。その理由として彼らは「イスラエル軍がパレスチナに対して行っている土地の接収、裁判なしの逮捕や処刑、家屋の破壊、自治区の封鎖、拷問などの行為は、イスラエルも批准している国際法に違反する人権侵害である」ことをあげている。手紙の最後は「私たちは良心に従って、パレスチナ人への抑圧にかかわるのを拒否します。その行為はテロ行為と呼ばれてしかるべきものです」と結ばれていたそうである。すごいぞ、高校生のみなさん。この手紙は5日にイスラエル放送でも伝えられ、インターネットでも呼びかけが行われ、10代を中心に賛同の動きが広まるかもしれないと言われている。もっともその一方で批判が強くあるのも事実で、和平派からも「平和運動は結構だが、国民の義務である兵役を拒否するというのはいかがなものか」という声もあるという。
なんだかアメリカのベトナム反戦運動の話を思い浮かべますな。この泥沼の状況の中でかろうじて拾い上げられたかすかな希望のもてる話ではある。
三つ目のお題はなぜか怪盗ばなし。
ニューヨークのユダヤ美術館は今年の4月からユダヤ系の有名画家シャガールの初期作品展を開催していた。これに出展するためにロシアの個人から貸し出されていた一枚の油彩画(1億2000万円相当)が6月8日に盗難にあってしまったのだ。その4日後の6月12日の消印で「犯行声明」と思しき手紙が美術館に送られてきた。8月20日になって警察が公表したところによると、その手紙の内容は「イスラエルとパレスチナの和平が実現された時、絵を返却する」という、風変わりな「要求」が書かれていたそうな。差出人として「芸術と平和のための国際委員会」という正体不明の団体の署名が記されていたという。芸術の身代金が「平和」、か。それで平和がもたらされるなら安いもんだ。他にもバンバン盗んでもらいたいものである(←
暴言)。
◆謝罪と反省と
「申し訳ありません。諸般の事情で「史点」をまるまる三週間さぼってしまいました。常連読者の方々には多大な苦痛と損害を与えたことにと痛切な反省の意をあらわし、お詫びの気持ちを表明いたします」
…
とまぁ、「村山談話」ふうにやるとこうなるんだわな(笑)。それにしても昨今何かにつけてこの「村山談話」が出てくるところをみると、あの眉毛の村山富市元首相、なんにもしなかったようでいて、「歴史的」には重大なことをしていたのかもしれない。さすが見込んだだけのことはありましたね、ねぇ馬野さん(←
分からない人は「ヘンテコ歴史本」コーナーを参照のこと)。
このさぼった数週間、妙に歴史がらみの「謝罪と反省」の話題が多かった。それを以下に日時順に並べていこう。
8月23日、韓国の金大中大統領が韓国を訪問中のチャン=ドク=ルオン・ヴェトナム大統領と会談し、かつてヴェトナム戦争(1965〜73)に韓国がアメリカ支援のために派兵した過去に触れ、「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがヴェトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と「謝罪」していたことが明らかにされた。以前金大統領がヴェトナムを訪問した際、「両国の間には不幸な時期があった」と「遺憾の意」を表明していたことはあったが、今回は一歩踏み込んだ表現をとったわけだ。その上で両国の「包括的パートナーシップの構築」などを盛り込んだ共同声明が発表されている。
僕も詳しいことは知らないのだが、韓国は確かにヴェトナム戦争に軍隊を派遣していた。思い起こすとあの半島の国家が海外派兵したのってモンゴルの日本攻撃に加わったのと倭寇鎮圧のために対馬を攻撃した「応永の外寇」(1419)ぐらいしか記憶に無い。実に珍しいケースなんだよな。ヴェトナム戦争はアメリカとしては共産主義に対する自由主義の戦いと位置付けていたから、韓国はその自由主義陣営の一員として片棒を担いだ形だ。話に聞くところでは現地でかなり残虐行為もおこなっていたらしく、また帰国後に強い戦争後遺症が兵士たちに残ったことなど、アメリカのヴェトナム出征兵士と同じような現象もみられるそうだ。そういえば韓国映画にもヴェトナム戦記ものがあったような…
いかん、ここまで来ると脱線か。
この金大中大統領の「謝罪」発言にはいろいろと憶測も飛んでいる。一つ考えられるのが最近ドタバタしていた日本との「歴史教科書問題」が影を落としているという見方だ。日本の過去の行為に対して「謝罪」を求めるにあたって、自国だっていろいろあっただろと言われるのに対する先手を打ったという可能性は確かにあると思う。だがあともう一つ、韓国にとってはヴェトナムも「東アジアの隣国」だということも考慮しなければならないだろう。本家本元のアメリカがまだ謝っていない状況で韓国が謝るという背景には今後緊密にならざるを得ない両国の外交関係があると思ったほうが良い。
この「謝罪」については例によって一部野党や軍人に批判もあるそうだが、今さらあの戦争を「自由主義のための戦い」と位置付けた批判をしているのをみているとそっちの方が時代遅れであるように見える。
9月8日、インドネシアのメガワティ大統領(そういえばちゃんと大統領になってから初めての「史点」登場だな)が、激しい独立運動が起こっているスマトラ島北部のアチェー特別州に入り、住民との対話を行った。この中でメガワティ大統領はインドネシア国軍によってアチェーの住民に対する虐殺行為などがあったことに触れ、「アチェの人々に心から謝罪したい。平和的な手段でしか問題は解決できない。平和になれば地域を発展させることができる」と正式に「謝罪」を表明し平和的解決を訴えた。アチェーでは今年だけで民間人が千数百人以上も犠牲になっており、「謝罪」は当然と言えば当然なのだが、まだ未解決の紛争においてこうした発言を政治家が行うというのは珍しいと思う。たいていこういう場合は「独立派ゲリラが暴れているのがいけないのだ」と言ったりするもんなのだが。もっとも、この日大統領は住民に対する「謝罪」はしたものの独立派ゲリラとの対話をしたわけではなく、ゲリラ掃討作戦の中止も明言はしなかった。あくまで住民に「迷惑をおかけしました」と言った程度なのだが、ことを「平和的手段」で治めようという発言自体は評価して良いだろう。アチェーの独立を許すとは余り思えないが、アチェーで採取される天然ガスの収入を大幅に現地に還元させ、経済的自治を拡大させることでなんとかなだめようというあたりらしい。
9月上旬世界的に大きな話題となっていたのは(日本では余り大きなニュースになってなかったけど)、国連の主催で南アフリカのダーバンで開かれていた「世界人種差別撤廃会議」というイベントだった(マスコミによって名称の訳語が少々異なった)。166カ国から約1万人が集結して開かれた大イベントなのだが、これがまた予想以上に紛糾して7日に終わる予定が8日に延びてやっと閉幕していた。
この「人種差別撤廃会議」は実に18年ぶりに開かれたイベントだったのだが、時期が時期だけにまず中東情勢がらみで揉めに揉めた。この会議においてアラブ諸国を中心にイスラエルの行為を「人種差別」として非難しようとする動きがあらわれ、大変な論争になってしまったのだ。
会議に出席したアラファト議長はイスラエルを「人種差別国家」と呼び、「人種差別主義に基づくイスラエルの占領を非難することは、緊急事項だ」と発言。人種差別撤廃会議とあわせて開かれたNGO(非政府組織)主催の人権フォーラムでも「イスラエルは、人種隔離(アパルトヘイト)国家であり大量虐殺や民族浄化など戦争犯罪を犯している」との激しい文言を盛り込む宣言を採択、これを人種差別撤廃会議へ提出した。さらにイスラエル建国の原動力となった「シオニズム」、つまりユダヤ人のパレスチナ回帰の運動じたいを「人種主義」として非難する文言を会議の最終宣言に盛り込もうとの動きが盛り上がった。
これに対し名指しされているイスラエルはもちろん反発、そしてこの手の問題ではいつもイスラエルと一心同体の姿勢を見せるアメリカも反発して、結局会議の途中でボイコットすることになってしまった。上のネタでも触れたようにユダヤ人問題には敏感なEU諸国もボイコットを辞さぬ姿勢を見せ、会議は紛糾しまくった。
これと平行して、もう一つ大きな議題があった。ヨーロッパ諸国がアフリカの諸国に対して過去に行った植民地支配や黒人奴隷貿易などに対する「謝罪と反省の表明」の問題だ。アフリカ諸国からは現在のアフリカの貧困や戦乱の原因はヨーロッパ諸国の植民地支配に原因があるとの主張が相次いだ。最近大虐殺が発生したルワンダのカガメ大統領は「アフリカ人同士を対立させたのは、旧宗主国のヨーロッパだ。ルワンダの大虐殺の責任の一端は旧宗主国のベルギーにある」と主張、コンゴの大統領も「人類にとって奴隷制度と奴隷貿易がいかに深刻だったかを認めるべきだ」と述べ、ヨーロッパ諸国に歴史認識の確認と謝罪を要求したという(毎日新聞記事による)。ヨーロッパ諸国もさすがに今さら「間違ったことはしていない」と主張できるはずも無く、植民地支配や奴隷貿易に関する歴史事実については「悪いことをした」とは認めているが、いざ「謝罪」となると腰は引けていて「遺憾」という例の便利な表現を使用したがった。その理由は「謝罪」を明確にすると「じゃあ補償しろ」と莫大な大金を要求されることを恐れているのだと言われている。実際のところ貧困にあえぐアフリカ諸国の中にそうした思惑が無いとは言い切れないところもある。ヨーロッパ側としては「反省」は示し経済援助はする用意はあるが、「補償」の問題が歴史的にどこまでもさかのぼれるものなのかという疑問もあるというところだろう。この手の話、どこでもあるのだが、現実的に金銭を絡めるときりが無くなるんだよな。
そのヨーロッパの一国で、歴史に関する「謝罪と反省」の問題を周辺国に対しても抱えているドイツのフィッシャー外相は、さすがこの国というべきか、なかなか意味深な発言を行っていた。「過去の不正義を元通りにはできない。だが、罪と責任を認め、歴史的な義務と向き合えば、犠牲者と子孫は奪われた尊厳を回復できる」というものだ。もちろん「歴史的な義務」とは具体的になんなんだとまた揉めることにもなりそうだが、「過去の不正義を元通りにはできない」のも歴然たる事実。
結局すったもんだの末に会議は一日遅れでなんとか最終宣言をまとめて閉幕した。その最終宣言では黒人奴隷制度や奴隷貿易を「人道に対する罪」と明確に規定し、「会議全体として深い遺憾の意を表明する」ということでまとめた。欧米諸国の「謝罪」については各国ごとに対応してくれという形で明記は避けられることとなった。補償についても明記は避けたが、「過去の不正義が現在の貧困につながっている」ことは確認し、先進国がアフリカ諸国に経済支援をすることが必要との見方を示した。まぁこんなんでも一歩前進というべきだろう。
なお、もう一つ揉めた議題であるパレスチナ問題については結局イスラエルやシオニズムの名指しを避けて「外部勢力の占領下にあるパレスチナの人々の苦難に懸念を表明する」という形で宣言に盛り込まれている。「外部勢力」って…
名指ししなけりゃいいってもんでもあるまいに。
一ヶ月近くためこむと同じテーマでも文量が多くなるなぁ。あともう一つね。
9月8日、サンフランシスコ平和条約の調印50周年の式典が調印が行われたサンフランシスコで行われた。「サンフランシスコ平和条約」とは日本における第二次世界大戦の講和条約である。つまりこの条約によって正式に日本の「戦争」は終わり、占領が解消して独立国として「戦後」を歩み始めることになったのだ。調印したのは日本を含めて49ヶ国。こんなにたくさんの国を相手に戦争してたなんて思ってませんよね、大半の日本人は。しかもこの講和会議には中国は呼ばれず(当時できたてホヤホヤの「中華人民共和国」は承認する国も少なかった)、インド・ビルマ(現ミャンマー)・ユーゴスラヴィアは参加せず、ソ連・ポーランド・チェコスロバキアは調印を拒否している。当時この条約をめぐっては日本国内でも激しい議論があり、ソ連など東側諸国も含めた「全面講和」を行うべきとの意見と、まず独立を回復するために西側諸国と「単独講和」を行うべきとの意見が対立していた。結局時の首相で首席全権として会議に出席した吉田茂は独立を優先して「単独講和」に踏み切ったのだった。そして同時にアメリカと「日米安全保障条約」を締結し、西側陣営の一員として(あるいはアメリカの子分として)冷戦時代を歩むという、その後の日本の進路を決定づけた。これについては当時から賛否両論、いやどっちかというと批判的論評が多かったらしいが、今になって「歴史」として振り返ると「間違っていた」とはさすがに言えないというのが正直なところだ。吉田茂自身も「そのとき絶賛されているより、さんざん悪口言われている外交の方が後から考えると正しいことが多いのだ」と、人に語っていたという。ちなみにこの発言で例として挙げられているのはポーツマス条約で「腰抜け」と呼ばれた小村寿太郎と、国際連盟を脱退して国民の大絶賛を浴びてしまった松岡洋右の日本近代史の外相二人だ。
えーと、それで話は現在に戻るが。
現在凄まじい個人的人気と凄まじい批判とにさらされていて、吉田茂の論法からいくとどっちになるんだろうと思える田中真紀子外相がこの50周年記念式典に参加していた。ここで田中外相は例によって「村山談話」の形式を踏んで太平洋戦争における日本の侵略行為に対して謝罪と反省の意を表明した。「元戦争捕虜を含む多くの人々の間にいやしがたい傷跡を残している。1995年の村山首相談話の痛切な反省の意と心からのおわびの気持ちを再確認する」とまぁ、こんな感じだ。
この「おわび」発言の中で「元戦争捕虜」への言及がある。これがこの発言に挿入された背景には現在アメリカで進んでいる元捕虜たちの日本に対する賠償要求の動きがあった。この式典に先立つ9月4日に、元戦争捕虜らによる賠償請求が実際にシカゴの連邦地裁に起こされたのだが、その要求額なんと1兆ドル(120兆円)!!!アメリカで最近よく耳にする集団訴訟の形式で原告となる可能性のある人が43万人以上にのぼるとの予測からこの数字なのだが、これにはさすがに「いい加減にせんかい」という言葉が口に出てしまう。訴訟を取りまとめたのはノースウェスタン大学の国際法の教授だそうで、彼によれば日本が条約交渉中にオランダに対して個人補償を認める極秘文書なるものが発見されたとのこと。それを根拠に「アメリカの個人も日本政府に戦争による損害の賠償を請求することが出来る」としている。その莫大な額については「日本軍による犯罪行為の数々を思えば、これでも控えめなくらいだ」とのたまっていた。僕は日本軍のやったことを正当化する気もまるでないが、これにはさすがに呆れ返ったと言うのが正直なところ。それとよく欧米では捕虜、捕虜とよ騒ぐのだが、殺された人よりはずっとましな立場だと思うのだが、どうですかね。その調子で賠償請求ができるのなら、無差別の空襲や原爆投下で殺された日本の民間人の遺族がどんどん訴訟を起こせるぞ(もちろんこれは日本がやった同様の行為についても成立する。エンドレスになっちまうな)。
日米の政府の間では補償問題についてはサンフランシスコ平和条約締結時に解決済み、という立場で、今回の行事でもそれを双方で再確認する形をとっている。だが政府レベルではなく、個人が日本企業を訴える訴訟については押さえ込むことが出来ないのが実態だ。この文を書いている最中に入ってきたニュースだが、9月10日のアメリカ議会上院で「強制労働をさせられた元米兵捕虜が日本企業に賠償請求する訴訟において、国務省や司法省がそれを妨害するために予算を使ってはならない」との法案を可決した(賛成58に反対34)。要するに捕虜たちが日本企業に賠償請求するのに対しアメリカ政府が口出しできないことが決定してしまったのだ。サンフランシスコ平和条約50周年、ついでにパールハーバー60周年がキッカケになっているのか、最近アメリカではこの手の動きが盛んなようで、議会もこれに応じた形だ。
ここまで来ると、これは「歴史認識問題」からは乖離しちゃっているように思えるのだが…
◆中国台湾あれやこれや
本来個別ネタなんだけど、一ヶ月ぶんたまってしまっているので1カテゴリにまとめて大放出。
8月12日、総選挙が近づく台湾で台風の目となることが予想されている新政党「台湾団結連盟」が結党大会を行った。この政党、あの何かと話題の李登輝前総統が音頭とって結成した政党で、「台湾独立」の姿勢をかなり明確にした綱領を掲げている。しかしこちらから見ているとやや理解に苦しむのは李登輝さん自身は参加せず、依然として古巣の国民党にとどまろうとしていること。結局すったもんだの末に「除名」になっちゃったらしいんだけど…
(李氏の除名を求めて「流血」の訴えをした議員がいたのは台湾らしいところ)。李登輝さんとしてはこの「台湾独立連盟」と陳水偏総統率いる「民進党」とで連立を組み、分裂、衰退も噂される国民党から引き抜きをして「政界再編」を狙っていると言われる。李登輝さんいわく「日本の55年体制に学べ」だそうで。どっちが社会党でどっちが自民党になるんだか。それにしてもなかなかしたたかかつやり手の政治家ですな、この人って。気がつくとしっかり院政をしいていたりするような。
8月22日、中国対外貿易関係の高官の発言で、11月に中国と台湾がWTO(世界貿易機関)に「同時」に加盟することが固まったことが判明した。両者がWTOに加盟することはすでに決定済みのことではあったが、そこは中国、「メンツ」というものが大切である。WTO加盟各国との交渉は台湾のほうが2年前に終えており、あとは「中国待ち」という形になっていたのだが、ようやく各国との交渉をとりまとめた中国は「うちが先で台湾はその後で加盟」という形式にこだわっていたのだ。結局この中国側の要求は満たされたわけだが、11月にカタールで行われるWTO閣僚会議の日程内でまず中国、そして直後に台湾の加盟が承認されるという形式がとられることになり、まぁ事実上の「同時加盟」となったわけだ。中国もここまで来てつまらんメンツにこだわってもと妥協した模様。それでもタイムラグはつけるそうだが。
8月29日、台湾の公営石油会社「中国石油」と中国の「中国海洋石油総公司」とが、台湾海峡の海底油田開発のための共同探査を再開するための交渉を本格的に始めていることが一部報道で明らかになった。この共同探査の話自体は1996年に合意していたものだが、1999年に李登輝前総統が「二国論」をブチ上げたことに中国側が反発し、お流れになっていたものだ。
しかし去る8月26日に陳水偏政権の諮問委員会は「台湾の発展のためには中国との関わりを深めるほか無い」としていわゆる「三通(通信・通商・通航)」の規制を緩和する答申を出していた。日本同様不景気が襲っている台湾としては中国にかけざるを得ない、との判断だ。この海底油田の共同開発再開の話が出たのはその直後のこと。
陳水偏さん率いる民進党は本来台湾独立傾向の強い政党なのだが、実際に政権につくと経済事情のために背に腹は変えられないというところであるらしい。これについてはもちろん批判もあり、例の李登輝さんなんかも「中国進出は自殺行為だ」と言ったりしているそうな。
9月6日、中国で携帯電話を生産・販売している松下通信工業に対し、中国当局が一年間の販売中止を求めていることが明らかとなった。理由はこの携帯電話の画面に台湾の略称に、台湾が国名としている「中華民国」の英語略称「ROC」が使用されていたことだったのだ。つまらん話に聞こえるが、そこは「唯一の正統政権」を自負する中国共産党政府が「中華民国」の存在を認めるはずがないのであった。松下通信工業ではとりあえず生産を一時中止し、「ROC」を「TW」にするようソフトウェアを書き換えているとのこと。今や世界最大の携帯電話市場となった中国で一年も販売中止にされたら損害はあまりも多大なのだ。
9月7日、台湾の国民党国会議員・朱鳳芝氏が訪問先の北京で中国の銭其シン(この字ないんだよなぁ)副首相と会談し、「国民党の事務所を中国側に設立したい」と提案していた。両岸がWTOに加盟した後のビジネス上のトラブル処理などの窓口に使用する計画だそうで、銭副首相も歓迎の意向を示したとか。国民党が香港など以外で大陸に事務所を開くとは…
国共内戦以来の大事件とも言える。これも歴史の流れなんですかね。
9月10日、北京で開催されていた「21世紀の中国と世界」国際フォーラムで、その銭其シン副首相が演説を行い、「三通」の解禁を台湾に求めて「一国二制度」による「両岸統一」を呼びかける一方、台湾通貨の維持、独自軍隊の保持、独立した関税区や行政機構なども認めるという、かなり踏み込んだ「自治」を与える用意があることを言及した。ま、言ってみれば「アメ」なわけだけど、「武力行使は放棄しない。放棄すれば独立派を勢いづかせるだけだ」と「ムチ」をちらつかせることも忘れてはいなかった。
◆夏休み中こぼれネタ集
前にもこんなこぼれ話集をやったことがあるけど、なにせ今回は一ヶ月もサボっていたものこぼれネタもかなりたまってしまっている。その中からどうしても拾っておきたい厳選のこぼれネタを列挙しよう。
◎フランスでカルト教団の巨大像破壊
フランス中部カステラーヌのアルプス山中に、カルト教団「オーミスト教」によって10年前に建設された33メートルのコンクリート製巨大立像(なんと教祖様をかたどっているそうである)が、無許可建設を理由に当局の手によって9月初旬に爆破解体された。信者たちが像の頭部によじのぼって作業員たちに抵抗し、教団もアフガニスタンのタリバンによる大仏破壊になぞらえて「国家によるテロ」とフランス政府を非難したが、結局破壊は実行された。
この教団、1969年にジルベール=ブールダンを教祖に創設されたもので、カステラーヌを「聖都」と定め、一時1200人の信者を抱えていたという。教義の内容はわからないのだが、かなりブールダン教祖個人の崇拝者の集まりという性格だったらしく(まぁどこでもカルト教団ってそんなもんだが)、元信者たちが教祖をレイプ行為で訴えたこともあるという。他にも詐欺まがいの勧誘活動もやっていたそうで(これもカルト教団の多くに見られますな)。教祖が死んでしまってからは教団も衰える一方であったらしく、そこへこの像破壊でいよいよ追い詰められた形のようだ。フランスってこのところカルト教団に対してはかなり厳しい姿勢を示すようになっているので、これもその一環と見られている。日本で有名な宗教団体もこの国ではカルト扱いというのはよく聞く話。
◎原始のロマンがまた一つ…
さきに「葛生原人」が室町時代ごろの人だったらしいとの話題があったが、今度は静岡県で1960年前後に骨が発見され、少なくとも一万年以上前の旧石器時代人とみられていた「三ケ日人」が、放射性炭素測定などによる調査の結果、早くても9500万年前から7500万年前、縄文時代早期の人骨であることが確定された。昨年の旧石器捏造騒動以来、日本における旧石器時代がらみはなにやら退潮の一途という観もある。もちろん人骨については残りにくい土壌であるということを考慮しなきゃならないけど。この報道に関して、国立科学博物館名誉研究員(人類学)の山口敏さんが「驚いているが、これも学問の進歩だと思う。ご破算にしてやり直しと言うことでしょう」とコメントしていたのが、歴史関係をやってる人間としても感じ入るところでありました。
◎金九暗殺実行犯はアメリカの諜報員だった?
植民地時代に日本に対する抵抗運動を続けた運動家に金九(キム・グ)という人物がいる。1895年の日本による「閔妃暗殺事件」に憤って反日運動に身を投じ、寺内正毅朝鮮総督暗殺未遂事件に関与して投獄されるなど獄中生活を繰り返し、やがて上海にわたって独立を目指す亡命政府である「大韓民国臨時政府」の設立にも携わった。中国国民党と行動を共にし重慶を拠点にした時期もある。
日本敗戦と朝鮮独立が実現すると帰国して有力政治家の一人となったが、アメリカに擁立され朝鮮南部のみの独立政権(つまり今の韓国)を建てようとする李承晩(イ=スンマン。韓国初代大統領)と対立、金九自身は南北統一国家の樹立にこだわり北朝鮮との合同会議に出席したりもしていた。そうした中で1948年8月に大韓民国が成立。それから一年も経たない1946年6月26日、金九は軍人安斗熙(アン=ドゥヒ)によって暗殺されてしまう。一般にはこの暗殺は政敵である李承晩大統領の指示であったとされているが、実行犯の安自身が「自分はアメリカ諜報機関と関わりがある」と何度か生前に発言しており(本格的な調査を受けると必ず発言を翻したそうだが)、金九の暗殺はアメリカの機関の支持だったのではないかとの疑惑も事件直後からずっとくすぶり続けていた。安斗熙自身は1996年10月23日に自宅で男に棒で殴られて死ぬというこれまた謎の最期を遂げており、事件の真相はますます闇に葬られているところだったのだ。
9月4日、アメリカの公文書を調査していた韓国の歴史学者らによる国史編纂チームが、公文書の中から安斗熙が駐韓米軍の諜報機関「CIC」の要因として活動していたことが確認されたと発表し、韓国のマスコミで一斉に大きな話題としてとりあげられていた。発見された資料はアメリカの情報将校が金九暗殺直後にまとめた「金九暗殺に関する背後情報」という報告書で、そのなかでこの将校は安斗熙が「白衣社」という極右団体の構成員であったことに触れ、「私は彼が(CICの)情報員で、後には韓国駐在CICの要員だと思っていた」との記述を残しているという。
まぁ李承晩自身がアメリカの肝いりで建てられた大統領だったわけで、金九暗殺の指示が李承晩ではなくアメリカの情報機関から出ていたと言われても、さしてビックリするほどのことではないんだけどね。あ、やっぱり、というか。
◎中国地図、始皇帝以来の一新
これ、「東京新聞」でみつけた記事で、見出し等絶妙だったので思わず引っ張ってきてしまったもの。元ネタは上海の新聞・新聞報である。郡や県などの地方行政区域を始めて全国に定めた秦の始皇帝以来、じつに2200年目にして境界線が確定されたというお話だ。
中国政府が進めていた省・自治区・県などの行政区画の調査確定作業がようやくほぼ終了したという。調査確定って何をやってたのかといえば、地図では一応引いてある境界線も実はかなり曖昧なもので正確さを欠いており、法的根拠がしっかりしている境界線はなんと全体の5%にすぎなかったのだそうな。何せ広い国土だから、とも思うがそれまではそれでことが足りていたということでもある。細かいことにうるさい日本だって全国探すとそうした境界線があいまいになって揉めている地域があったりするし(私の近場の筑波山山頂が境界線で揉めていたことがあった)。
ここにきて確定作業をしたってことはそれだけ境界線をめぐる揉め事が出てきたと言うこと。こうした揉め事の処理だけで年間一億元の費用がかかるということで、中国政府は五年前から確定作業を進めていたのだった。この確定作業の結果、境界線の総延長がこれまで考えられていたものより10000キロも延びてしまったのだそうな。得した、っていうのかな、こういうの。
◎思いがけぬ観光名所
これも中国からの話題。先年、アモイを舞台に中国建国以来最大の密輸汚職が発覚し、地元共産党幹部ら10名以上が死刑、100名以上が裁判にかけられるという事件があった。この密輸を行った企業が所有し、官僚の接待などに使った7階建ての豪華ビルがある。赤いタイル張りのため「紅楼」と呼ばれ、宴会場や映画館やダンスホール、サウナなど完備、そのうえ売春接待の部屋まで用意されていたという。今年五月にここを視察した朱鎔基首相はこの豪華ビルを「反汚職」の教材として保存するよう指示を与えていた。
8月27日にこの「反汚職展示館」が一般に公開された。これがまた大変な盛況だそうで、地元の旅行社がこぞって見学ツアーを企画、あらたな「観光名所」となってしまって、これまでにすでに数千人(この元記事が古いのでたぶんすでに万単位にいってると思う)がこの豪華ビルを見物したという。その余りの盛況振りには「反汚職の見学じゃなくて単に好奇心から見物に来ているのでは」との懸念の声も上がっているとか。まぁ人間の欲望ってものは…
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◎「旧」がとれました。
小沢一郎・自由党党首の選挙CMに触発されたわけではあるまいが(笑)、自民党のある党派からようやく「旧」の文字が取れた。政界七不思議のひとつ(って、あとの6つは知りません)といわれていた、自民党の「旧河本派」の名称がようやく「高村派」に改められたのである。
自民党にはいくつかの「派閥」が存在し、小泉首相が「解消」を呼びかけてもどこ吹く風というところだが、マスコミ用語として「橋本派」「森派」「加藤派」「江藤・亀井派」といった派閥名がついている。正式には「平成研究会」(橋本派)みたいに政策懇談会・研究会のような会の名称を称しているのだが、マスコミも、また当人たちも面倒なので派閥の会長の名を冠した「○○派」という呼び方をしている。「旧河本派」は今年5月に亡くなった河本敏夫氏を元会長とする小派閥で正式名称を「番町政策研究所」という。河本さんが引退して昨年7月に高村正彦元外相が会長となって、当然「高村派」になるかと思いきや派閥内に抵抗があり「旧河本派」という名称が使われ続けた。「河本さんが亡くなって四十九日も済んだことだし」との提案で、このたびめでたく(?)「高村派」を称することが8月28日に発表された。もちろん正式名称は相変わらず番町皿屋敷、じゃない番町政策研究所なのだが、派閥自らが「こう呼んでね」と発表するのは異例のこと。かくして自民党の歴史がまた1ページ…
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◎情報機関もビジネスに進出?
なぜかスパイネタ好きの「史点」に何度も登場してきたイギリスの国内情報機関「MI5」が、ブリティッシュ・テレコムやロールスロイスなどイギリスの有名企業幹部を招いた非公式セミナーを主催していたことが、9月7日にイギリスの新聞によって報じられた。セミナーではMI5長官みずからが「情報機関の存在意義」と題する演説を行い、人権や国家機密の保護条項に抵触しない限り、MI5が入手した海外企業や個人の信用情報、犯罪組織に関する情報を提供する考えを表明したとのこと。おまけに「お客様」である企業が入手した情報も「見返り」に渡してほしいとにおわせる発言もしていたとか。つい先日、欧州議会が諜報網「エシュロン」の存在は確実とする声明を出していたが、思えばイギリスってその「エシュロン」参加国(とみられている)なんだよな。このあたり、やたら現実味のある話。産業界と結びつきを強めて生き残りを図っているとの噂も。
◎フセイン大統領原作のミュージカル!
イラクからの報道によると、あのサダム=フセイン大統領が執筆したとの噂もある恋愛小説(!?)「ザビバと王様」を原作とするミュージカルが製作されることになったとのこと。そのストーリーだが、舞台は中東某国(?)で、人妻ザビバが国王と恋に落ちる。ところがアメリカ軍によるイラク空爆の夜に何者かに乱暴されてしまい、国王はザビバのために犯人を捕らえたあと死ぬ、というお話だそうな(元記事のせいもあるのか、こう書いていてもサッパリ展開が分からん内容である)。「ザビバと王様」は著者不明で数ヶ月前に出版されたが、7月にフセイン大統領の息子が経営する新聞が「著者はフセイン大統領らしい」との記事を掲げてから注目を集めるようになった(ってことはそれまでは注目されなかったのだな)。ミュージカル化を伝えた国営週刊誌によれば「危険が差し迫っていても、国を愛する気持ちを忘れないことを教えてくれる愛国心に満ちた話」と解説してくれているそうで(ますます内容がよく分からない)。
なんでも小説の中で国王が後継者についてあれこれ言うくだりがあるそうで、フセイン大統領が息子を後継者に立てる準備をしているのではとの憶測も飛んでいるとのこと。にしても、そのストーリーは…
2001/9/14の記事
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