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2001年9月17日

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◆「同時多発テロ」における映画的一考察

 2001年9月11日。21世紀に入ったこの年に世界史的とも思える大事件が勃発した。4機も旅客機をハイジャックしそれを世界貿易センタービルおよび国防総省などに激突させるという想像を絶するテロ攻撃に世界中がまさに震撼した。またこの事件がショッキングだったのは実にそれが「映像的」であったことにもある。この事件の映像を見て多くの人が「まるでハリウッド映画」と思わず口走っていた。僕もそんな印象を強く受けた映画ファンの一人だ。不謹慎、との声もあろうが事実なのだから仕方が無い。ニューヨークのビルが倒壊する場面にはハリウッド製「ゴジラ」や「アルマゲドン」を連想した人は少なくなかったはず。
 この事件を受けて日本テレビの「金曜ロードショー」は14日に放送予定だった「ダイ・ハード3」を差し替えていた。観た方はご存知だろうが、NYを舞台に爆弾テロ事件が起こるストーリーだ。特に冒頭の市内ロケで撮影されたビル爆破シーンは今回の事件を髣髴とはさせる(現実は映画をはるかに上回るひどさだったが)。日本テレビは慌てて映画を差し替えたが、それが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。本作はSF青春コメディーの傑作であり当り障りはないと思ったのだろうが、これにも「リビア人」のテロリストが凶悪な道化役で登場している。当時は反米のテロリストといえば「リビア人」だった状況を反映しているのだ。
 この事件については巷で様々な分野の専門家(軍事、テロ対策、アメリカ政治、中東問題、経済アナリストetc)が各メディアを通じて連日のようにそれぞれの立場からそれぞれにこの事件に関する見解を出している。ここで僕にとくに目新しいことが書けるわけでもなく、読んでる人も通り一遍の解説には辟易しているところだろうから、「映画的一考察」という特殊な観点からの話をさせてもらいたい。

 この事件が発生して、真っ先に連想された映画が「THE SHIGE」(邦題「マーシャル・ロー」、エドワード=ズウィック監督)だ。1998年に公開された映画だが、今見ると不気味なほどに示唆的な映画である。アメリカの基地がイスラム原理主義過激派によって爆破され、アメリカ軍は特殊部隊を使ってその原理主義グループの指導者を逮捕する。するとこの指導者の釈放を要求する自爆テロがニューヨーク市内で続発。大統領の命令により陸軍の将軍(ブルース=ウィリス)はニューヨークに戒厳令をしき、市内に軍隊で制圧、そしてアラブ系住民を片っ端から逮捕し、競技場に鉄条網を張り巡らした収容所をつくってそこに彼らを押し込めてしまう。これに対しFBIの対テロ捜査官(デンゼル=ワシントン)は事件を捜査するうちに事件の真相に迫り、将軍の暴走と対決していく、、、とまぁこんなストーリーだ。事件直後にWOWOWが放映予定だったが、やはり差し替えになってしまった。
 この事件後に僕も再見したのだが、冒頭の原理主義指導者の逮捕シーン、NY市内での自爆テロシーン、国民世論が軍隊による制圧を支持してTVで議論が行われ、その一方でイスラム団体が「彼らの行為はイスラムの教義に背く。いっしょくたにしないでくれ」と訴える場面などなど、今回の事件を予言したようなシーンが次々出てくる。極めつけは連邦プラザビルが自爆テロにあって崩壊し数百人もの犠牲者を出す。そして軍人や政府が「これは新しい型の戦争だ」という、今回の事件を受けてブッシュ政権の人々が口にしているセリフがそのまま出てくることだ。しかし今回起こった事件は映画の世界をはるかに上回る規模でより卑劣なテロ行為がとられてしまった。
 映画自体のテーマは「非常事態下でアメリカ人はその『自由』をどれだけ守れるか?」にある。あくまで良識的な黒人主人公とそのアラブ系相棒(この設定は狙いすぎという気もするが)のFBI捜査官を善玉、「国家の安全」をタテに人権を抑圧する将軍が悪玉として明白に描かれている。幸いにしてこの映画で描かれたようなアラブ系・イスラム教徒に対するアメリカ国内での国家機関による大規模迫害は起こらず、むしろ政府はかなり気を使って今回のテロと「アラブ」「イスラム」を明確に分けて市民の感情的暴走を防ごうとしていた(それでも誤認逮捕や嫌がらせなど、チラホラとは迫害の情報も聞こえてくる。日本でもチラッとあったのには呆れた)。今回の事件を「真珠湾」になぞらえる声がしばしば聞こえるが、太平洋戦争における二つの反省-「日系人への迫害」と「核兵器の使用」については戒める意見が実際にあったようだ。しかし「内なる敵」と戦う空気の映画と違って、現実の「敵視」と「報復」はアメリカの外に向かって発散されていこうとしている。
 さて、この映画「THE SHIGE」だが、もう一つ重要な要素がある。なぜイスラム原理主義者がNYでテロを起こそうとするのか、その理由としてもともと彼らをアメリカが支援し、そして裏切った過去があることに触れているのだ。正確なところは映画をみてもらったほうがいいんだけど、要するに湾岸戦争ごろからフセイン政権打倒のためにCIAが反フセイン勢力を支援していた。ところがその後のアメリカの方針転換で反フセイン勢力は壊滅し、激しい恨みをアメリカに持ってしまうのだ。しかもこの映画では彼らはCIAに教えられた「技術」を使ってテロを行っていく。当時僕などは見ていてかなりのリアリティを感じたものだ。

 今度の事件直後から、テロの主犯としてオサマ=ビン=ラディン氏の名が盛んに取りざたされている。以前から何かと名前が聞こえてくる人物で(調べてみたら「史点」でも過去3回登場していた)、1998年に起こった一連の反米テロ活動が彼の組織によるものとしてよく知られている、というか彼自身は一度として犯行声明を出したこともないので確実なことはあまり言えない。今回の事件に関しても名前はやたらに出てきてアメリカ政府も名指しで主犯と呼んでいるが、「確実な証拠がある」と言いつつそれがなかなか示されないところをみると、今回もなかなかシッポをつかめないでいるということなのかも。この人物についてはアフガニスタンからすでに出たとの情報も何度か流れていて、その居場所すら定かではない。
 このビン=ラディン氏の経歴についても繰り返し報道されているので、彼がアフガニスタンでソ連軍と戦った過去があること、そしてそれにアメリカが支援を行っていたことはよく知られるようになっていると思う。この事を聞いてやはり連想してしまったのが映画「ランボー3・怒りのアフガン」(1988年、ピーター=マクドナルド監督)だ。ご存じシルベスター=スタローン主演の人間兵器アクションの3作目である。
 このシリーズ、1作目はヴェトナム帰還兵後遺症ものの佳作だったりもするのだが、2作目でヴェトナムへ米兵捕虜を探しに乗り込み、3作目ではとうとうアフガニスタンに乗り込んで非道なソ連軍司令官と戦うという「強い正義のアメリカ」を象徴するような展開をたどった(スタローンは「ロッキー」でも似たようなパターンをたどっている)。この「怒りのアフガン」は主人公ランボーの上官がアフガニスタンのゲリラにミサイルを供与しようとしてソ連軍に捕まり、ランボーがその奪還を目指すというお話で、アフガンのイスラム・ゲリラたちがランボーの味方として登場する。あれが原理主義者なのかどうかは判然としないが、この映画も今見るといろいろと皮肉を感じてしまう内容ではある。純粋にアクション映画としてみると金はかかってるし実に教科書的な作りで出来は決して悪くはない。ソ連軍の戦闘ヘリや戦車がバシバシ登場し、これをランボーが弓矢(!)や火炎瓶(!)で破壊するなどなかなか無茶で楽しめる。あのヘリや戦車はどうしたんだと思ったら、この映画、イスラエル軍の全面協力で作られているそうで(じゃああのロケ先の高原はゴラン高原だったりするのか?)、中東戦争での戦利品を映画に使わせてくれたのだそうな。このあたりもかなり皮肉かも。
 さて、映画は終わってみるとランボーはソ連軍を撃破して上官を無事奪還するととっとと帰ってしまう(この辺も深読みしたくなってしまうところ)と。ゲリラたちが別れ際に「今度は観光客として来い」などと言うのだが、現状だと「怒りのアフガン・パート2」でもう一度殴りこんできそうな気配もある。なお、映画のラストには「この映画をアフガンの戦士たちに捧げる」との字幕も映る。

 今回のテロ事件では多くの民間人が犠牲になり、悲嘆に暮れる犠牲者の家族たちの映像がバシバシTVに映り、世界中に流された。この場面を見ていて、僕が連想した映画が「スリー・キングズ」(1999年、デビッド=O=ラッセル監督)だった。湾岸戦争直後にフセイン大統領が隠したクウェートの莫大な金塊をせしめようとする米軍兵士たち4人を描く風変わりな映画である。なにやらコメディタッチも感じる珍道中で始まるこの映画、次第に湾岸戦争の知られざる側面が浮き彫りになっていくという構成になっている。主人公の一人がイラク兵に捕まり拷問を受けるが、拷問するイラク兵は自分の家族がアメリカ軍の空爆によって殺されたことを彼に告げる。正確なセリフは忘れたが、「もしお前の娘が殺されたらどう感じる」と米兵に問いただすのだ。その米兵は自分の妻と娘が空爆によって死ぬ場面を想像し、涙し恐怖する。そしてイラク兵は「お前たちはこれのために戦争をしたんだろ!」と石油を米兵の口に注ぎ込むのだ。結局そこへ主人公グループが駆けつけ捕虜となっていた米兵は救出されるのだが、彼は自分を拷問していたイラク兵に銃をいったん突きつけるものの、どうしても殺せずに逃がす。
 この場面のやりとりで考えさせられるのが報じられていることが全てではない、ということだ。ユーゴ空爆の時も言われたことだが、アメリカ側にいる日本などにいると情報が特にアメリカ寄りで流れてくることは否めず、そこに民間人の被害者が存在していることが時として忘れられがちになる。付け加えるとこの映画にはあの「油まみれの鳥」の写真に対する痛烈な皮肉をこめたシーンもある。
 この映画、映画としてはB級アクションにコメディがブレンドされたという小粒感があるのだが、そこに製作者が「正義の戦争」への懐疑と皮肉を痛烈にこめているのが読み取れる。こういうのが時々顔を見せるところがアメリカの良さなんだよな、と僕などは感じているのだが。今回のようなことがあると少々この手のはつくりにくくなりはしないかと心配してもいる。

 事件発生後、ブッシュ大統領は身の危険を感じて(報じられるところでは、実際に狙われたとのこと)大統領専用機「エアフォース・ワン」に戦闘機の護衛付で乗り込んで各地を転々とした。ずばり「エアフォース・ワン」(1997年、ウォルフガング=ペーターゼン監督)って映画があったものだ。旧ソ連の中央アジア某国独裁者の将軍をアメリカがロシアの要請を受けて特殊部隊で拉致、逮捕。これに対し将軍の釈放を図るテロリストたちがエアフォース・ワンをハイジャック、ハリソン=フォード演じるアメリカ大統領(ヴェトナム戦争の英雄という設定)は自らテロリストたちと戦う。まぁ大統領自ら演じる「ダイ・ハード」ってなところで当時その政治的意図までささやかれたものだ。ただこの中でゲイリー=オールドマン演じるテロリストが大統領に言うセリフもかなり利いている。テロで人を次々と殺す彼らを非難すると、彼は「石油のために何万というイラク兵を虐殺した奴が何を言う」とやり返すのだ。もちろんこのセリフでテロ行為が正当化されるわけでも全く無く、ちゃんとテロリストたちは大統領の手により倒されるのだが、このセリフがなかったらただのアメリカ一極主義肯定映画になっちゃったところだ。

 「戦う大統領」のもとに国民が一致団結、という現在のアメリカの様子はこれまたこの国ならではという観があって興味深い。だいぶ評判を落としていたブッシュ大統領の支持率も小泉首相の最盛期レベルにまで跳ね上がってしまっている。「戦う大統領」といえば忘れられないのが前記「エアフォース・ワン」と同年の「インディペンデンス・デイ」(1997年、ローランド=エメリッヒ監督)だ。これは典型的というか古典的異星人襲来SFなのだが、家族を失った大統領おんみずから戦闘機に乗り込んでエイリアンの巨大UFOと戦っちゃうという物凄い映画だった。そういえばホワイトハウスが破壊され、カミカゼ特攻も出て来るんだよな。
 この映画でアメリカ大統領は戦闘前の演説で「7月4日を人類の独立記念日にしよう」とブチ上げ、全世界が一致団結する。アメリカの独立記念日をそのまま全世界に敷衍してしまうあたり、非アメリカンから見ていると呆れ返るより笑ってしまうところだったのだが、今回のブッシュ大統領のTV演説に、僕はどうしてもこの映画が連想されてしまった。ブッシュ大統領はこのテロを「自由と文明に対する挑戦」と定義し、これと全世界レベルで徹底して共闘すると言っていた。もちろん無差別テロは犠牲者の人数に関係なく卑劣きわまる犯罪行為であり、これと毅然と対決するのは当然だが、「自由と文明に対する挑戦」とか「民主主義への挑戦」とか定義されると、ヘソ曲がりな僕などは疑問も感じてしまう。アメリカがブチ壊した「自由」や「文明」だって確かにあるし、それがめぐりめぐってアメリカを標的とするテロにつながっていったことも否定できないからだ。
 ま、そりゃ戦争をするにあたってはスローガンと言うものは常にかかげるもの。このところ一国主義独走が目立ったブッシュ政権だが、この事件に対しては世界中の国の協力と賛同をとりつけ「独走」はしないよう気をつけているように見える。この事態にはミサイル防衛構想もへったくれもありませんから。このテロ事件の結果、少なくとも大国間では協調ムードが出てきてしまっているのも痛烈なブラックジョークに思える。
 


◆「同時多発テロ」の歴史的一考察

 もうちょっと映画ネタ続き。
 今回の事件でアメリカ人の多くから発せられたのが「真珠湾以来の攻撃」という言葉だ。ちょうど60周年ということで「パールハーバー」(2001年、マイケル=ベイ監督)って映画も偶然公開されていた。批評家には散々に言われながら僕の予想を裏切って日本でもそこそこのヒット(アメリカ以外では最大の稼ぎになったそうで)をしちゃった映画であるが、ここに来てまた違った意味で注目を浴びてしまうことになりそうだ。今回の事件の犠牲者に対する追悼式でブッシュ大統領はフランクリン=ルーズベルトの言葉を引用して国民の団結を呼びかけていたが、それはもちろん「真珠湾」の時にルーズベルトが発した言葉だったのだ。
 アメリカ人が今回の事件に「真珠湾」をすぐに連想するのは、一つにはこれが多くの犠牲者を出したアンフェアな「不意打ち」であること(「騙し打ち」かどうかは議論もあるが)、そしてもう一つ、「本土」を大規模に攻撃された稀有な例であるということが挙げられるだろう。アメリカという国は建国にあたってイギリスと戦った独立戦争、国土を二分して内戦である南北戦争といった戦争は経験しているが、対外戦争において本土を戦場にした経験がほとんど無い。
 数少ない例を拾ってみるとナポレオン時代に海上権をめぐって起こった「米英戦争」(1812〜1814)でイギリス軍の上陸攻撃を受けワシントンが焼かれマディソン大統領がワシントン初代大統領の肖像画を抱えて逃げ出したことがある。ワシントンが「攻撃」を受けたのはそれ以来、と何かと引き合いに出されている。その次はというとテキサスの領有をめぐってメキシコと争った「米墨戦争」(1846〜1848)がある。この戦争、客観的に見ると膨張するアメリカがメキシコを侵略したとしか見えない戦争なのだが、アメリカ系移民がメキシコ軍に抵抗して全滅した「アラモ砦の戦い」がアメリカの行為を全て正当化してしまった。この時の「アラモを忘れるな」というスローガンは、「真珠湾」のルーツとも思える。
 このあとアメリカはスペインと戦った「米西戦争」(1898)で太平洋やカリブ海に勢力を広げ、第一次大戦、第二次大戦を経て世界の最強国にのし上がった。この中で「本土」を戦場にしたのはせいぜい太平洋戦争の真珠湾攻撃ぐらいしかないのだ。しかもハワイとなると明確に「本土」とも呼べないところがあるのも確か。あとは太平洋戦争中に日本の戦闘機一機が「空襲」をやってみせたこと(死者も無くパイロットは後にアメリカ市民から英雄扱いされたほど)と、日本から飛ばされた「風船爆弾」によって何人かの死傷者が出たことぐらいしか挙げられない。第二次大戦後もアメリカは世界のあちこちで戦争をしたが、本土は常に無傷だった。それが今回、余りにもショッキングかつ悲惨な形でその「安全神話」が破られてしまったわけだ。多くのアメリカ人にとってまさにほとんど初めての「歴史的事件」であり、その衝撃の度合いは恐らく日本などから想像するよりはるかに大きいものだろう。TVなどによる報道、そして知人の知人ぐらいから聞こえてくるアメリカ人の生の声などを聞いていると、あのネアカなアメリカ人が意外なほど悄然と落ち込んでいる様子がうかがえる。もちろんその反動としての怒りのボルテージも上がっているが、以前の湾岸戦争の時と違ってどこか悲壮感が漂っているような気配を感じる。
 ブッシュ大統領の「戦争」宣言に対してアメリカの上下両院はほぼ満場一致でブッシュ大統領に湾岸戦争以来の武力行使のフリーハンドを与えた。一部に「宣戦布告」を決議しようと言う声もあったそうだが(なんと太平洋戦争以来!)、とりあえず湾岸戦争レベルのもので落ち着けた形だ。この他にも第二次大戦以来の「戦争債」発行案とか、CIAによる暗殺作戦を四半世紀ぶりに認める案とかが議会で持ち上げられ、まさに「気分はもう戦争」状態である。
 ただし「武力行使」決議に際して、下院では一人だけ反対票を投じた議員がいたことにも注目すべきだ。反対票を唯一投じたのはカリフォルニア州選出バーバラ=リー議員で、彼女は「だれかが抑制を利かせねばならない。事態が制御できなくなるのを防ぐために、決議の意味をじっくり考えるべきだ」と発言している。この時期にこういう言動が出来る人というのは実に貴重だ。賛成票を投じた議員の一人も「大統領、この権限の乱用はやめてほしい。あなたの決定は米国と世界の将来を左右するのだから」と釘をさしているという。ああ、そういえばマドンナも「報復」には反対を表明してましたね。

 さて、今回の事件でにわかにクローズアップされたのがアフガニスタンだ。ここのタリバーン政権については先日の仏像破壊の騒動など何度も話題に上ってきたものだが、とうとうアメリカおよび世界中を敵に回しかねない情勢になってきた。
 「アフガニスタン」という内陸高原国は何度か世界の強国を相手に戦ってきた歴史がある。上の記事で紹介した「ランボー3・怒りのアフガン」にはイスラム・ゲリラ兵士のこんなセリフがある。「この国はアレクサンドロス大王、チンギス=ハーンが征服しようとし、今はソ連が征服しようとしている」このいずれとも頑強に戦った、それだけ我々アフガン人は頑強なのだと言うセリフだ。今度はそれがアメリカと戦うことになっちゃうのだろうか。
 このセリフで明らかに抜け落ちていたのが(少なくとも字幕には無く僕の耳にも聞こえてこなかったと思う)、帝国主義時代のイギリスによるアフガニスタン侵略だ。インドを征服したイギリスがさらなる拡大を目指した戦争だったが、1838年に始まった第一次アフガン戦争はイギリス軍が敗北。ロシアの南下に対抗するべく再び挑んだ第二次アフガン戦争(1878〜1880)はどうにか勝利してアフガニスタンを保護国化している(余談ながら、シャーロック=ホームズの相棒ワトソン博士はこの戦争に出かけて負傷している。初対面のホームズが第一声で「アフガニスタンからお帰りですね」と言ったことは有名)。第一次大戦終結直後の1919年に親英的な国王が殺され独立戦争が勃発、この第3次アフガン戦争でイギリスはアフガニスタンの独立を認めざるを得ない結果となった。
 アフガニスタンを再び戦火が襲うのが1970年代だ。1973年にクーデターが起こって王制が廃止され、1978にまたクーデターが起きて親ソ連の政権が誕生した。これにイスラム勢力が反発して政権を打倒すると1979年9月にソ連が大規模に軍事介入、親ソ政権を建てて全土を制圧した。しかしイスラム・ゲリラの抵抗に手を焼き泥沼化、結局ゴルバチョフの登場による方針転換で1988年から全面撤退することになる。「怒りのアフガン」でもそうだったが、アメリカのヴェトナムでの失敗とよく比較される。
 その後はそれまで反ソ連で共闘していた各種武装勢力による群雄割拠の状態に陥り、戦乱はいっこうにやまなかった。そんな中で一気に勢力を拡大してきたのが話題の「タリバーン」であるわけだ。イスラム原理主義であり何かと問題視される集団ではあるが、統率も統制もとれていなかった他集団に比べて厳格で、市民にしてみれば「まだまし」だったのも事実で、それが急速にほぼ全土を実効支配できた理由であるようだ。現時点で「北部同盟」が国土の北辺で粘っているが、この北部同盟の指導者マスード将軍がアメリカのテロ事件の直前の9月10日に暗殺されてしまったのはご存知の通り。これもまた「自爆テロ」なんだよな。警戒を怠らなかったマスード将軍だが、世界に支援を求めるために報道関係者には積極的に会っていた。そこを狙われジャーナリストに扮した2人組の特攻隊の自爆を食らってしまったわけだ。この二つの事件のタイミングが偶然なのかどうかは現時点では判断できない。

 アメリカ政府はテロ事件の主犯をオサマ=ビン=ラディン氏と断定し、これがアフガニスタンのタリバーン政権にかくまわれているものと断定して「テロリストをかくまった国も同罪」と攻撃する姿勢を見せている。これに対しタリバーン政権はビン=ラディンをかくまっていることは否定せず、テロ事件にビン=ラディン本人もタリバーン政権も無関係、との姿勢を示している。このテロ事件に対する犯罪捜査的な観点からいえば、アメリカ政府が断定するほど明確な証拠があるのか不透明なのだが(「確実な証拠がある」と言いつついつまでたっても発表されないこと、妙に小出しにビン=ラディン氏やタリバーン名指しをしているあたり、どうも状況証拠的なものしかないんじゃなかろうか)、もはや事態はアメリカによるアフガニスタン攻撃がいつあるのか、という段階に入っている。アメリカは内陸国であるアフガニスタンに攻撃をかけるために隣国のパキスタンに協力を求め、パキスタンも苦悩しつつこれに応じている。これを牽制するかのようにタリバーン政権は「証拠も無く攻撃すればテロ行為と変わりない」とか「アメリカの攻撃に協力する国へは反撃する」などかなり強気の声明を行っている。
 現在タリバーンの最高指導者であるオマル師はラジオ演説で「これはオサマ=ビン=ラディン氏だけの問題ではない。イスラムへの攻撃だ」として全イスラム教徒へ「これは聖戦(ジハード)だ」と呼びかけていた。アメリカが「自由と民主主義のための戦い」を標榜しているのとちょうど対比されるスローガンだ。そしてオマル師はアフガニスタンの大国との闘争の歴史に触れ、イギリスとのアフガン戦争について「あの時はタリバーンもビン=ラディンもいなかった」と述べ、ソ連との戦いにも言及して「死を恐れてはならない。アフガニスタンは過去に多くの敵と戦っており、今後も戦いに備えるべきだ」と抗戦を国民に呼びかけていたという。

 以上、アメリカとアフガニスタンについて歴史的考察としてまとめてみた。この両者がホントに戦争状態に突入するのか、予断は許されないが、ふとこんなことも思う。タリバーンが突然方針転換してビン=ラディン氏を引き渡したらどうなるのだろう。そんなことは考えにくいのが現状だが、タリバーンにも穏健派がいることは事実で、ひょっとするとそういう戦争回避の展開も残されているかもしれない。しかしどうも現時点でのアメリカの構えは「長期戦」を盛んに呼びかけ、何が何でも戦争をするって姿勢にもみえちゃうんですけどね。



◆「同時多発テロ」その周辺で

 さすがにこの事件について書いていたら記事は当初予定の2つを突破して三つ目にまで拡大してしまった。今度は「その周辺」という形で各国の反応に触れていきたい。

 今回の事件が発生すると、その衝撃は全世界に広がり、各国の政府が一斉にテロへの激しい非難とアメリカへの支持を表明した。聞く限りアメリカへの支持を表明しなかったのは、テロ自体は非難しつつ「自業自得」と呼んだイラクのフセイン政権ぐらいだったと思う。イラクをのぞくアラブ世界は早急に反応したパレスチナ自治政府のアラファト議長をはじめとして、かなりすばやく一様にテロへの問答無用の非難を表明していた。一時「アメリカ対イスラム」の構図でこの事件をとらえようとする「文明の衝突」論的な言説も見受けられたが、少なくとも表面的にはそれは早々と片付けられイスラム世界も含めた全世界がこのテロ実行組織を共通の敵とする構図が生まれた。
 ここでちょっと触れておきたいのが一時しきりに言及されたこの「文明の衝突」という言葉。これは1990年代初頭にアメリカのサミュエル=ハンチントン教授が発表した冷戦後の世界情勢を説明しようとする理論だ。東西冷戦が終結し、世界はいくつかの文明が同時に並立、その境界線で衝突が起こるってな理論ですな、ダイジェストで読んだ感想から言うと。冷戦後「一人勝ち」状態のアメリカがイスラムと中国の台頭をかなり警戒していることがそこはかとなくうかがえる説なのだが、日本の保守層というか右派層に妙に受けていた覚えがある。たぶん理由は各種文明と並んで「日本文明」が独立(孤立)して設定されていること、そしてイスラムと中国の文明が組んでアメリカ文明に挑戦してくるという構図の冷戦後の戦争の可能性を指摘した点にあるように思う。それでいてこのハンチントンさんが「日本は経済的・軍事的に台頭する中国に結局ついていくだろう」と予測していることにはハンチントン理論を好む人たちは戦慄して否定してますがね。僕はというと、ハンチントン理論については「トンチンカン理論」などとからかっていた程度だが(笑)、もちろんまるっきり夢想な説というわけではないのも確か。
 ただいろんな紛争を「文明の衝突」として規定することによって視野を狭める傾向があることは気をつけたほうがいい。先ほど書いていたアメリカの「文明への挑戦に対する報復」宣言やオマル師の「聖戦」宣言などはこの戦いを実際に「文明の衝突」に拡大してしまう危険をはらんでいる。これについてはテロを非難しているイスラム諸国でも指摘されていることで、さきほどのフセイン大統領やリビアのカダフィ大佐(上で触れていた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の時はこの人が悪玉だったんだよな)などもともと反米意識の強い人たちはもちろんだが、エジプトのムバラク大統領もアメリカ主導の「対テロ同盟」による軍事作戦については「テロに対処するには、国連など全世界の意思を結集できる場で協議すべきだ。軍事作戦を急いでは、不参加国を孤立化させ、テロ支援国に追いやりかねない」と批判的な発言をしている。ブッシュ政権もそうならないよう気を使っているとは感じるのだが、「アメリカ=世界の警察官」を旗印に掲げたような戦争をやると、イスラム世界に潜在的にあるテロ実行犯側への共感心理に火をつけてしまう可能性もある。やはりエジプトの大学教授の意見として新聞に載っていたが、「パレスチナで子供がいくら殺されても世界は騒がない。今度のことで溜飲を下げている者が多いのも事実」なのだ。

 そのパレスチナだが、この大騒動の陰に隠れて(別に隠れているわけでもなく報道もされているのだが、どうしても大きく扱われていない)イスラエル軍が大攻勢をかけている。9月13日、イスラエル軍はヨルダン川西岸のジェリコとジェニンに戦車やブルドーザーで侵攻、パレスチナ側の施設を破壊した。パレスチナ側の発表によるとこの侵攻で11歳の少女を含む10人が死亡したという。イスラエル側の侵攻理由はもちろん「テロを未然に防ぐため」だ。翌14日にもガザ地区などに戦闘ヘリや戦車による攻撃を行い、自治政府の治安施設を破壊している。このテロ事件前の段階ではイスラエル・パレスチナ双方がどうにか歩み寄ってアラファト議長とペレス外相の会談が16日に行われるはずだったのだが、「この時期の会談はイスラエルのためにならない」とシャロン首相が懸念を示し、会談はお流れになってしまった。なんだかこの時期なら批判しにくかろうとイスラエルが攻勢をかけてるように見えるのは気のせいか?こんなイスラエルと常に一心同体の態度を取るアメリカ(前回の「人種差別反対会議」の記事など参照)に対する敵意が、時としてイスラエルに対するもの以上にイスラム教徒の一部に燃え盛ってしまうのも無理はないのだ。たまりにたまったフラストレーションがかなり過激な形で発現したのが今回の事件だったと見ることも出来る。

 今回の事件を受けて我らが日本政府も対応に追われている。テロを非難しアメリカの対決姿勢に支持を表明するのはまぁ当たり前だったが、アメリカが軍事行動に出た場合にどう協力するかで議論が出てきている。以前にも見た光景、そう湾岸戦争の時の議論だ。ここしばらくマスコミや政治家の発言を眺めていると、湾岸戦争のとき日本が金だけ出して人を出さなかったことに「世界が批判した」とか「世界的な恥をかいた」などの言説がかなり見られる。「世界」じゃなくて「アメリカ」だろう、とか湾岸戦争そのものへの批判的見方がアメリカにもあるってのになんで日本でそういう言い方をするんだろ、などと思うところは尽きない。面白いのが日ごろ「大東亜戦争」を肯定したり「真珠湾はアメリカの陰謀」と発言する人に、今回の事件で「アメリカの正義が世界の正義」といわんばかりの発言をする人が目に付くことだ。
 話は憲法論議にも当然及ぶが、小泉首相以下閣僚が「憲法の枠内での協力」と発言することに対して「甘い」とか「弱腰」と言うような意見が出てくるのには驚く。TVで小泉首相のインタビューを見ていたら、「憲法に違反するわけにはいかないでしょ!」と記者にちょっと怒ったように応じているのが目に入った。その前のやりとりがカットされていたので分からなかったのだが、憲法に違反してでも何かやるのか的な質問が飛んだのは確かだろう(どっちの立場からだったかは不明だが)。いやはや何というか、一国の首相に対して物凄い愚問ではある。憲法に対しての議論や改正論を述べるのはもちろん自由だが、こんなに軽々しく「違憲行為」を言及してしまえるというのは法治国家って言えるのか。まぁ「解釈改憲」を重ねてきた政府の歴史がその一因でもあるんだろうが。今回のテロを受けて「ほらみたことか、平和憲法なんて役に立たない」ってなノリの文章もいくつか見かけたが、アメリカが平和憲法を奉じていたわけでもあるまいに。なんかドサクサ紛れの発言が目に付くんだよな。
 この件、次回以降も注目点として続く。



◆平和賞受賞者の裏話


 それにしても今週は「アメリカの同時多発テロ」(名称はずっとこのままなのだろうか?)以外のニュースがほとんど流れなかった。「史点」でも同一関連ネタで三つも記事を書いたのは初めてだと思う。この話ばかりで終わるのもイヤなので、ちょいと違う歴史話でも。
 今回のような事態を見ていてつくづく「平和」の尊さを思い知らされるわけだが、これは「ノーベル平和賞」を受賞した人物に関する話題だ。

 日本でノーベル平和賞を受賞してしまったのが佐藤栄作元首相。理由は沖縄の平和的返還や「非核三原則」の提唱などが考慮されているのだろうが、当時日本人の多くがその受賞には「?」と首をかしげたのが実情であったらしい。前にも書いたネタだが、赤塚不二夫の名作「天才バカボン」には「佐藤栄作が平和賞をとって以来、世の中全てのことが信じられなくなった」という人物が登場するほど。
 共同通信が報じたところによると、去る9月5日、ノルウェーのノーベル賞委員会が平和賞創設100周年を記念して「ノーベル平和賞・平和への百年」と題する本を出版したが、その中で佐藤栄作元首相の平和賞受賞についてこれを明白に疑問視する解説を添えていたことが判明した。その疑問視とは、「ベトナム戦争で米政策を全面支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスと言っていた」といった「平和賞」の感覚からは遠い佐藤元首相の言動に対するものだ。当時からささやかれていた疑問がノーベル賞委員会じたいの「お墨付き」をもらってしまった格好だ。またこの解説ではこの平和賞受賞が「日本で歓迎されず不信・冷笑・怒りを招いた」「ワシントン・ポストはノーベル賞委員会が日本の陳情に騙されたと論じた」なんてことにまで言及しているという。この報道に対し、佐藤元首相の次男・佐藤信二元通産相は「本人の死去後四半世紀もたって何を今さら」と怒っているという。まぁそれにも同感。

 さて、そんなニュースも飛んで数日後、佐藤栄作首相の秘書官を務めた楠田實氏の日記が9月下旬に出版されることになり、その中に記された沖縄返還と核兵器持ち込み密約をめぐる日米間のやりとりが新聞で報じられていた。楠田氏は1967年から1972年まで佐藤首相の秘書官をつとめ(それにしても佐藤内閣って驚異的に長期政権なんだよな)、大学ノート40冊に秘書官生活を克明に記した「日記」をまとめていた。今回公開される「日記」にはアメリカのジョンソン大統領やマクナマラ国防長官、そしてニクソン大統領などとのやりとりが含まれているという。ちょうどヴェトナム戦争、中国の文化大革命、そして米中の電撃的接近などが展開されていた時期に当たる。
 新聞で報じられていたところによると、佐藤栄作首相は中国の核開発(1967年に水爆保有)に危機感を覚え、ジョンソン大統領に「(アメリカは)いかなる攻撃に対しても日本を守ると約束された。その後中共が核開発を進めていることに鑑み、これが日本に対する核攻撃にも適用されることを期待したい」と要求していたという。ジョンソンはこれに対し「我々の間にはコミットメントがある」と答えたそうで。また、マクナマラ国防長官との会談で佐藤首相は「自分は核を持たないとはっきり決心している。米国の核の傘の下で安全を確保する」と「非核」を唱える一方で「核の傘」を日本にさしてくれることをアメリカに求めていた。マクナマラ国防長官はこれに対し「保護する側の必要な行動を可能にすること。究極的には核使用もありうる」として有事の場合「琉球への核持ち込み」が可能になるよう密約を求めたという。この「日記」にはニクソン・佐藤会談のやりとりも記されていて、そこには直接的言及はないものの「核持ち込み」をにおわせるものがあるという。佐藤政権がニクソン政権と「核密約」の交渉をしていたことはすでに首相の密使として送り込まれた本人が著書ですでに暴露していたことらしいが。
 この「日記」公開に際して楠田氏当人は「情報公開には限度がある」として何もかも公刊というわけにはいかなかったとコメントしている。そして「書きたいという政治的責任感と守秘の気持ちのはざまで悩んでいた」とも言う。こういう「日記」って歴史学徒には貴重な生資料だけにボンボン出してほしいもんだとも思うんだけど、まぁ書いたご本人の気持ちも尊重しないとね。


2001/9/17の記事

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