ニュースな
2001年10月1日

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 ◆今週の記事

◆スイスの議会で乱射事件

 スイスの地方議会で男が銃を乱射したうえ手りゅう弾を投じ、州政府の幹部を含む14人が死亡、10人が重傷、うち8人が重体になるという大惨事がおきた。先日のアメリカでのハイジャックテロに比べればさしたることでもなく感じられてしまったのがちょっと恐ろしい。
 事件発生直後、かなりの人が先日のテロとの関連を想像してしまったようだ。かく言う僕もチラとは思った。実際、スイスの地元警察も「アメリカで起きたテロ事件とは関連は無い」とわざわざ会見でコメントしている。
 
 事件が発生したのは現地時間の9月27日午前のことだった。場所はスイス中部のツーク州。このツーク州というのは報道によれば金持ちの多い州として知られているそうである。おりしも州議会の議事堂では州議会と州政府(スイスはあんな小さい国ながら「州」ごとの自治性が強い「連邦」国家なのだ)の合同討議が開かれていて議員80人、州政府の閣僚7人が参加していた。
 そこへ警官に変装したフリードリッヒ=ライバッカー(44)という男が銃を片手に議場に乱入してきたのだ。ライバッカーは州政府や議員を罵りながら3分間にわたって銃を乱射。さらに持参してきた手りゅう弾を炸裂させた。多くの犠牲者を出した末にライバッカーは銃で自殺したと報じられている。
 警察の調べによるとライバッカーはバスの運転手とのトラブルにからんで州政府と裁判で係争中であり、今回の事件もそのことをうらんで起こしたのではないかと推測されている。彼が議事堂へ乗り付けた車からは「ツークのマフィアたちへの怒りの日」などと書かれた紙片が残されていたそうで、逆恨み的な大量殺人事件ということであるようだ。

 ところでスイスと言えば「永世中立国」として有名で、なおかつ美しい自然にめぐまれた観光と銀行とハイジの国(笑)として非常に牧歌的な平和な国としてのイメージが強い(少なくとも日本人には)。そんなところでこんなアメリカみたいな凶悪事件(アメリカに失礼かな?)が起こるとはかなり意外な印象を受けた人も多いはず。もちろん、こんな事件はめったに起こるものではないのだが、実はこの国、アメリカ以上に銃規制がゆるく、一家に一丁銃を持つようなお国柄であったりもすることを、この事件の背景に見る意見も出ている。スイスが永世中立を標榜はしている国ではあるが防衛のための国軍はちゃんと持っているし最新鋭の兵器も開発している(余談だが、昔からの伝統らしくバチカンではスイス兵が衛兵になっている)。核シェルターの保有率が世界で一番高い国であるなんて話も聞いたことがある。総じて異様に防衛意識の強い国であるようだ。

 そうなった事情について歴史的な背景から説明する人もいる。この山国スイスの住民たちは中世には傭兵としてヨーロッパ各地の軍隊に入って「出稼ぎ」をしていたという意外と血なまぐさい歴史があるんですな。戦場で同国人同士が血で血を洗う戦いをしてしまうケースも多く、ナポレオン没落直後の「ウィーン会議」で永世中立を掲げるようになった一因にこれがあったという見方もある。また同時に山国という特殊な地理条件から独立志向が強く、それらが相乗効果となってともすれば過剰なまでの防衛本能につながった考えることも出来そうだ。
 世界が大騒ぎの中チラッと聞こえてきたこんな事件にもどこか「歴史」が感じられるものだ。



◆「連帯」は見る影も無く… ?

 ポーランドの話題が「史点」に登場するのはちょうど一年ぶりぐらい。ちょうど一年前は何の話だったかというとこの国の大統領選挙の話題をとりあげていたのだ。現職のクワシニエフスキ大統領が得票率54%で再選された一方で、かつてポーランド民主化のシンボルだったワレサ元大統領が立候補したものの得票率1%程度という悲惨な数字を出し、ホントに「過去の人」になったなぁと感慨深く思った、なんて記事だった。

 去る9月23日、今度はポーランド議会の総選挙が実施された。結果はかつてポーランドを一党支配した共産党(正確には統一労働者党)の流れを汲む「民主左翼連合」(SLD)が下院(460議席)において得票率41%(216議席)を獲得して勝利、4年ぶりの政権復帰を確実とした。一時単独過半数にいくんじゃないかという観測もあったが、さすがにそこまでの勢いは無かった形。
 「共産党政権復活」であり左派台頭なのかというとそう単純でもない。「自衛」という民族主義極右政党も53議席を獲得して勢力を伸ばしており、「法と正義」だの「ポーランド家族連盟」(こっちはカトリック系政党らしい)など「右派」とみなされる政党もそれぞれ勢力を伸ばしている。「不景気になると右翼と左翼が流行る」という法則をそのまんま体現しているような… 。
 一方、現在の与党である「連帯選挙運動」(AWS)の得票率はわずか5.6%。昨年までこれと連立を組んで政権を担っていた「自由同盟」(UW)も得票率3.1%の惨敗。いずれも議席獲得の最低得票率に届かず、下院における議席を全て失うという結果になった。東欧初の非共産政権の中核をなしてきたこれらの勢力が事実上「消滅」してしまったと言っていいのかもしれない。

 あの激動の1989年。いわゆる「東欧革命」の先頭を切ったのは、案外意識されていないがこのポーランドだった。それまでもポーランドは共産党から自立した自主管理労組「連帯」の活発な活動などで東欧諸国の中の民主化先進国という趣きがあったが、1989年6月に自由選挙が行われて「連帯」系が圧勝し9月から東欧初の非共産内閣を発足させた。これがその直後の東ドイツ政変、ベルリンの壁崩壊、東欧諸国の政変へとつながっていったのだ。「連帯」の指導者であったワレサさんはこの翌年にポーランド大統領の地位にのぼりつめた。
 このあとの政治状況は日本のそれ以上にややこしい。1991年の選挙で中道左派・自由経済を推進する「民主同盟」(UD)が第一党となったが短命内閣を連続させ、1993年の総選挙で大敗。UDは他勢力をとりこんで「自由同盟=UW」に脱皮し、1997年の総選挙で「連帯」の流れを汲む諸勢力の結集であるAWSが勝利するとこれと連合を組んで政権を維持した。しかし労組系であるAWSと自由主義経済を推し進めるUWは結局ウマが合わず、昨年6月に連立を解消してしまった。そして今度の総選挙でこれら全てが政治の舞台から姿を消してしまったわけだ(一応以前AWSに所属していて離脱した勢力は議会に残ってるけど)

 東欧諸国の民主化、市場経済化の先兵を切ったポーランドだが、やはり東欧諸国に見受けられる急速な市場経済化による経済の混乱、政治の腐敗といった問題を引き起こし、民主化を進めた政権への不信感が国民の間に広がっていた。また市場経済の推進と並行してEU(ヨーロッパ連合)への加盟を焦って拙速な改革に乗り出して失敗したことも致命傷になったようだ。今回の選挙で旧共産党と民族主義政党がともに票を集めたのはEU加盟を急ぐことへの国民の反発があるとも見える。
 
 なお、旧共産党の政権復帰とともに今度の選挙で事前に予想されていたことがある。それが投票率の低さだ。最終的に投票率は45%という史上最低の記録を達成(?)してしまった。旧共産党や右翼政党を国民が積極的に支持したというより現政権への幻滅が選挙に反映したといえるだろう。



◆こんな戦争もありました

 アメリカで起こった「同時多発テロ」に対し、ブッシュ政権は「これは戦争だ」と定義した。国家が相手ではない「テロ組織」なるものとの「戦争」というこれまでに無い形態での新しい戦争である、というわけですな。これを「戦争」と明確に定義されてしまうと日本などは憲法上これに協力できなくなるはずなのだが(国権の発動たる「戦争」は国際紛争を解決する手段として永久に放棄しちゃってますので。誰かさんの昔のいいつけで)、ともかく「戦争」という言葉の定義もこの事件では議論を呼んでしまっている。
 とりあえず従来的な考え方だと近代における「戦争」とは国と国とが武力によって争う状態だと言えるだろう(「内戦」も戦争のうちだがこれについてはここでは外しておく)。そうした戦争がおこる原因はほとんど経済的・政治的なもので、民族やら宗教やらといったしばしば紛争の原因になると言われるものは実は「理由付け」に使われる二次的な原因なんじゃないかと僕は考えている。

 ところで「サッカーが原因で起こっちゃった戦争」として有名なものがある。1969年に中米のエルサルバドルホンジュラスの間に起こった、俗に「100日戦争」などと呼ばれる戦争だ。この年、翌年のワールドカップ・メキシコ大会の予選が行われており、両国の代表チームはワールドカップ出場をかけてプレーオフを戦っていた。すでに悪化していた両チームの選手たちの感情は試合開始から炸裂し、激しいタックルと殴り合いの応酬が続いた。試合は延長戦のすえエルサルバドルが勝利、ワールドカップ出場を決めた。
 試合終了の直後、異常に興奮した両国国境の兵士たちが発砲、銃撃戦を開始してしまった。そのまま両国は本物の戦争に突入し、約3ヵ月後にようやくアメリカの仲介で和睦することになった。ワールドカップの歴史で南米におけるサッカー熱の例としてしばしば紹介されるこの逸話であるが(あとコロンビアの自殺点ゴールを決めた選手が後日射殺された例もよく出るな)、もちろん試合以前に両国間の経済的・政治的対立関係がすでに戦争寸前の状態にまで発展していたことを念頭に置かねばならない。サッカーはあくまでキッカケの一つに過ぎなかったと見るべきだろう。

 さて、ここからがニュースの話題。
 この「100日戦争」勃発時に戦火を逃れてジャングルに逃げ込んで逃避生活をしていた男性が、なんと32年ぶりに姿を現したという信じられないようなニュースが先日報じられていた。
 問題の人物はエルサルバドル人のサロモン=ビデスさん(72)。戦争勃発当時、彼は季節労働者としてホンジュラス国境付近で働いていたが、戦争がおこったためにジャングルへ逃げ込み、そのままグアテマラ領内のジャングル内に隠れ住むようになったという。その付近での戦闘はわずか4日で終わっていたのだが、サロモンさんはときおり聞こえてくる猟銃の銃声を聞いて「戦争はまだ続いている」と信じてジャングルにこもり続けていたのだそうな。
 そして32年の年月が流れ… 2001年8月に狩りのためにジャングルに入ったハンターが偶然サロモンさんを発見した。身元を確認しラジオで親類を探したところ、弟さんが名乗り出て兄に帰郷を呼びかけた。こうしてサロモンさんは32年ぶりに故郷の土を踏んだのだった… 。
 ってな話なのだが、正直なところにわかには信じられないような話だよな。太平洋戦争終結後も敗戦を知らない日本軍兵士がジャングルにこもっていて、ってな有名な史実もあるが、民間人でしかもたった一人で32年間もジャングルで隠れ住んでいたというのは… ロビンソン=クルーソーもビックリ。言葉は忘れなかったんでしょうかね。



◆まだまだ続く余波


 今この文章を書いている時点でアメリカ軍はまだ直接的な軍事活動を起こしてはいない。イギリスの新聞が報じたところによると今日中にも空爆が行われるというのだが… とりあえず英米の特殊部隊は潜入しているらしく、「主犯」とみなされているオサマ=ビン=ラディン氏の身柄確保を目指して活動中ではあるらしい。一部にその何人かがタリバーン側に拘束されたなんて報道もされているが、現時点では確証がつかめていない。ともあれ、アフガニスタンに関しては「戦争前夜」の状況であることには変わりない。
 以下、「同時多発テロ」のその後の話題で気になったものを拾い集めてみた。

 テロ事件直後から急上昇の勢いを見せていたブッシュ大統領の支持率がついに90%の大台に乗ってしまった。これは9月21日、22日のギャラップ社の調査によるもので、ブッシュ大統領がテロへの宣戦布告ともいえる議会演説をした後のデータだ。事件直後の段階で80%を越えていたが、一気にボルテージがあがってしまった感じ。なお、事件直前の段階では支持率は50%台まで落ち込んでいた。
 この90%という驚異の支持率はギャラップ社が1938年以来続けている調査の中での最高記録。これ以前の最高記録はくしくも大統領の父・ブッシュ元大統領が湾岸戦争勝利直後に記録した89%(それでも再選が果たせなかったのはご存知の通り)。次ぐ記録が第二次大戦でのドイツ降伏直後のトルーマン大統領に対する支持率の87%だった。戦争の時に大統領支持率がケタ外れに上がるというあたり、アメリカ人って単純だなぁなどとついつい口にしてしまう数字である(ま、日本でも東条英機が「大東亜戦争」始めた直後には異様な人気があったものだ)

 そのアメリカであるが、これまで目立った一国主義独走がひとまず影をひそめて国際協調的な動きを見せるようになってきている(歓迎すべき事態だが、皮肉な話だ)。先日も分担金を一向に支払わないで国連を財政難に追い込んでいる張本人がアメリカであることに触れたが、そのアメリカ下院が突然分担金の支払いを満場一致で可決してしまったのだ。
 支払いが決定したのはこれまで溜め込んだ滞納金約8億1900万ドルのうちの約5億8200万ドル。全額でなかったのは来年度ぶんの分担金については、国連人権委員会の議席をアメリカが失ったことに抗議して支払わないのだ(でもそれって身から出たサビというものじゃないのか)。それでも当初「国際刑事裁判所の設立に関するカネは出さない」という条件をつけようとしていたのを下院の共和党がひっこめたので、この国にしては異例ともいえる国連への巨額供出が実現したのだった。
 もちろん、そうなった理由は「反テロ連合」を国際的に構築することを最優先したため。ここで国連を無視して暴走してはそれこそアメリカの一人相撲になりかねない。「自由と民主主義のための戦い」を標榜する限りは国際協調策をとらざるを得ないわけだ。

 「失言」する人はどこにでもいるんだな、と思ったのがイタリアのベルルスコーニ首相の問題発言。彼は9月26日に訪問先のベルリンで記者会見し、その中で「西欧文明はイスラム文明よりも優越している」ととれる発言をして物議をかもしたのだ。正確にどう言ったのかはイタリア語が分からないので調べ切れなかったのだが、「私たちの文明は繁栄をもたらし、人権尊重も保証している。優越性を意識しなければならない」として「イスラム諸国にこの価値観は無い。彼らは1400年前の段階にとどまっている」と述べたようだ。そして「共産主義に勝利したように我々の文明が勝利することを希望する」とも口にしたらしい。
 この発言に、アラブ連盟の事務局長が「差別的な発言。10億人のイスラム教徒に謝罪すべし」と非難声明。イラン・エジプト・レバノン政府が説明を求め、EU議長国であるベルギーの首相も「反テロで世界が団結しようとしているのに、努力を阻害しかねない」と非難し、EU全体で火消しに回っているところだという。
 当の本人は「一部の言葉が文脈をそれて誤解され、アラブやイスラムの友人らの感情を傷つけたことを申し訳なく思う。テロリズムと戦う上で、アラブ穏健派諸国の重要な役割りを理解している」と弁解しているという(CNN日本語サイトなどの訳)。日本でも「失言」した人がよく言う弁解の弁であるが、実際に上の通りの言葉を部分的にせよ発言していたとしたら誤解もへったくれもないのではあるまいか。「当事者」のアメリカですら「文明間戦争」にならないよう気を使っているというのに、イタリアの首相が何をやってるんですかねぇ。

  事件発生後からアメリカでアラブ系、イスラム教徒などに対する迫害が多発していることもかなり報じられている。それでも政府やマスコミがかなり配慮していたからこの程度で済んでいるとも思えるが…
 以前「史点」でもとりあげた、米兵と駆け落ちしちゃってアメリカで生活し始めたバーレーンのお姫様メリアム=アル=ハリファ王女が、両親と和解してバーレーンに突然帰国していたことが9月28日に明らかとなった。どうやらアラブ系への迫害の報道を聞いた母親が王女の身を案じて電話で会話を交わし、「戻っておいで」と呼びかけたところ、王女は米兵の夫に「母が心配している」と告げて帰国の途についたのだという。この夫が同行しているのかどうかは現時点では不明だ。
 彼女だけではない。「主犯」とみなされているオサマ=ビン=ラディン氏の親族たちも迫害を恐れて急遽サウジアラビアに帰国していたことが報じられている。このビン=ラディン家は大変な資産家でオサマ氏には50人もの兄弟がいることも報じられているが、そのためアメリカと深く関わる親族も少なくない。ハーバード大学に「ビン=ラディン基金」があったとかブッシュ大統領の石油会社がやはりビン=ラディン家と関係していたとか話題もいろいろ出てきている。
 今回急遽帰国したのはビン=ラディン家の人々(本人の弟も含まれる)でアメリカに留学している若者たち。留学生の一人は「第2次大戦中に罪もないのに強制収容された日系人の気持ちが初めてわかった。怒りの爆発の前では、無実かどうかは関係なくなってしまう」と語ったという。

 事件発生からすでに3週間。世界的にはやや冷静さを取り戻しつつあるかな、という感触もある。もっともこれで「開戦」なんてことになったらまた大騒ぎになるのだろうが…


2001/10/1の記事

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