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2001年10月9日

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 ◆今週の記事

◆日本史有名人の「直筆」二つ

 思い返すと「史点」では日本史ネタが意外に少ない。世界全部の国別で分類すればやはり日本の話題が多いのだが、そのほとんどは時事問題で、日本の歴史ばなしとなると余り取り上げることがないのが実情だ。今週は日本の歴史上の人物、それも超有名人が関係する文書ばなしが二つ相次いだ。

 一人は近松門左衛門(1653〜1724)である。いわずとしれた元禄文化を代表する人形浄瑠璃・歌舞伎作者。現代で言うなら人気TVドラマ脚本家といったところだろうか(連想だがジェームズ三木作の大河ドラマ「八代将軍吉宗」では江守徹演じる近松が解説・進行役をコメディ調につとめていたっけ)。「曽根崎心中」だの「心中天網島」だのといった世間における義理と人情の葛藤を題材にした「世話物」と言われるジャンル(「心中」シリーズともいえる)や、明末清初の日中ハーフの英雄・鄭成功の活躍に材をとった「国性爺合戦」のようなスケールの大きい時代物でも人気を博した(17ヶ月連続興行という当時としては空前の大ロングラン記録を打ち立てている。史実とはかけ離れた内容だけどね)。赤穂浪士の討ち入り事件を直後に芝居化して幕府から上演禁止処分をくらったり、なかなか時代の空気に敏感なシナリオライターとしての才能ももっていたようだ。彼の残した多くの作品は今日でも上演され、映像化されるなど日本版シェークスピアみたいな存在となっている。実際、日本では何かとこの二人は比較されますね。ちなみにシェークスピアは1616年死去なので時代は重なりません。
 つい先日報じられたところによると、この近松門左衛門直筆の草稿が発見されたという。彼の直筆原稿の発見は1898年以来2度目の大発見だとのこと。発見された草稿は人形浄瑠璃「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」の一部で、縦24cm、横12cmの和紙に書かれたもので、江戸時代の俳人が有名人の筆跡を集めた「貼交帳(はりまぜちょう)」に貼り付けられていたという(その手のコレクターは江戸時代からいたわけですな)。ちゃんとわきに「作者 近松門左衛門」と書き加えられていたという。
 発見者は信多純一・神戸女子大教授で関西在住の収集家が所蔵する資料の中からこの草稿を見つけ、書体・筆運びの特徴などから「直筆」と断定した。また同教授は関西の古書店でこれまで「幻」とされていた近松の歌舞伎本も発見しており、草稿とセットで近々資料集を発刊するとのこと。

 さてもうお一人。こちらはなんと豊臣秀吉というビッグネームである。
 大阪市が去る10月3日に発表したところによると、豊臣秀吉の朱印が押された朱印状の最後の日付となるものが発見された(正確には「入手した」)という。その日付は「慶長3年8月28日」。これまで「最後」と考えられていた朱印状より三日の記録更新(?)となる。しかしこの日付、実は秀吉の死後10日後の日付なんだよね。だから秀吉の朱印が押されているものの実は「直筆」を装った書状だったのである。
 秀吉は二度目の朝鮮侵略の最中に死んだ。このため豊臣政権は混乱を恐れて秀吉の死を公表せず、仮葬儀も密葬でこそこそと済ませ、しばらくは秀吉が存命であるかのように装っていた。この朱印状もその証左となる物件といえる。
 話題の朱印状は秀吉子飼いの武将として有名な福島正則に宛てたもので、大坂城増強工事に正則が動員した3310人の一か月分の給料として米と大豆を与えるという内容。大坂城の歴史を調べる上でも貴重な史料であるとのことだ。
 ついでながら大阪市はこの書状を京都の古美術商から購入したのだが、お値段は… オープン・ザ・プライス!「40万円」だそうである。これが高いとみるか安いとみるか… 僕などは「安い」と思いますね。秀吉の書状自体は1万点もあるそうなので個々の値段はそんなに高くないのだろう。



◆3800年前のメモ帳

 今度は一気に時代をさかのぼった文書発見の話題。
 トルコ中部の「カマン・カレホユック遺跡」を調査中だった日本の中近東文化センターの調査隊が古代アッシリア植民時代のものと思われる粘土板を発見したと報じられている。どのくらい古いものなのかというと… なんと紀元前18世紀の代物。今から3800年も前の「文書」だというのである。
 発見された粘土板は5.2cm× 4cmという小さな代物だが、その裏表にメソポタミア文明ではおなじみの「くさび形文字」で古代アッシリア語が14行記されていた。吉田大輔研究員(ヒッタイト学)が解読したとjころ「シックル(=約8・4グラムの銀)をジュッダに」「大麦・カルパットゥ(=約30リットル)をハプアッシュに」という内容が書かれていたという。「ジュッダ」と「ハプアッシュ」は人名だろう、とのこと。文面から察するに商人が売ったか送ったかした品物についてメモしたものと推測されている。メモって言っても粘土板にくさび形文字となると結構面倒なもんだったんじゃないかなぁ、などと思ってしまうところ。もちろん当時のこの地域は他に記録方法がなかったわけだけど。

 「アッシリア」という民族の名前は高校の世界史教科書ではかなり最初の方に登場する。メソポタミア文明とエジプト文明をあわせたオリエント地域の歴史の中でこの民族の名前がクローズアップされてくるのだ。もともと紀元前2000年紀初めに北メソポタミアで活動していたことが確認される民族で、紀元前9世紀ごろから周辺諸地域の征服を開始、紀元前7世紀にはとうとう全オリエント(現在の中近東全域といっていい)を統一、史上初の「大帝国」を現出した。しかしその大帝国完成後間もなくの前612年に各地の独立反乱にあって崩壊してしまったといわれている。このあとに続くアケメネス朝ペルシャ帝国、アレクサンドロス大王、ローマ帝国といった世界帝国のはしりとも言える存在なのだ。

 もっとも今回の発見はそんな大帝国時代のアッシリアなぞはるか先の時代の話。北メソポタミアにいたアッシリア人たちは鉱物資源をもとめて現在のトルコ共和国があるアナトリア地方へ進出し、植民都市を築いて商売に励んでいた。今回発見された粘土板はそうした状況を裏付けるものとして注目されるとのことだ。
 古い時代の話ではあるのだが、人間のやってることにさして変わりはないもんだな、と思わせる発見である。



◆太古の夢と幻滅と

 さらに話は大昔にさかのぼる。まずは「夢」のある話のほうから。
 フランス南東部アルデシュ県の「ショーベ洞窟」。ここで1994年に動物などが描かれた先史時代の線刻画が発見されていたのだが、7年ものあいだ調査を続けていた研究チームが去る10月4日発売の科学雑誌「ネイチャー」で「ショーベ洞窟壁画はラスコー洞窟壁画を上回る3万年前に描かれた、世界最古級の絵画であることが科学的に確認された」と発表した。
 確認の方法だが、線刻画の顔料に使用された木炭の粉を採取し、「放射性微粒子加速装置」を使用して最終的に「3万年」という数字を導き出したのだそうだ。傍証のために線刻画付近に残されていた木炭片も分析したところ、こちらは「2万7000年前」という測定が出たそうだ。
 このことを報じた記事には、研究チームの研究員のコメントとして「描法でもラスコーに劣らない精密さがある。人類の絵画が単純な技法から複雑な技法へと『進化』するとの固定観念を覆す発見だ」という発言が出ていた。うーん、絵を描いている立場から言うと「単純な技法から複雑な技法へと『進化』する」のが「固定観念」なのかちょいと疑問も感じるんですけどね。そのままリアルに見たまま描くより必要な線だけ選んで一見単純なデフォルメした絵を描くほうが高度な技術だという見方も出来るが。写真で見るとこのショーベ洞窟の壁画って有名なラスコー洞窟壁画よりかなり単純・洗練された線という印象も受ける。
 一般に「絵を描く」という作業を初めて行ったのは現生人類、化石人類で言うところの「クロマニヨン人」だったといわれる。前にも描いたことだが「絵を描く」というのは実に不思議な特殊能力で、これは現在の段階の人類にして初めて獲得した能力であり、ひょっとするとそのことが「文明」を生み出す原因になっているのかもしれない。
 ところで「クロマニヨン」がヨーロッパに住み着いたのはだいたい3万年前ぐらいからだったのではと考えられている。このショーベ洞窟の壁画はその最初期にあたると考えられるわけだ。この時期のヨーロッパではクロマニヨン人とそれ以前の人類「ネアンデルタール人」が混在していたとも考えられており、このショーベ洞窟の住人についてもクロマニヨン人かネアンデルタール人か両方で検討されているのだそうだ。ひょっとするとネアンデルタール人が絵を描いたという可能性も… ?

 では続いて「幻滅」の話。
 ほぼ一年前の2000年11月、日本では「旧石器捏造事件」が発覚し、大変な騒ぎとなった。「東北旧石器文化研究所」の藤村新一前副理事長が北海道の発掘現場で石器を自ら埋めているのを毎日新聞の取材チームが確認し、本人もそれを認めた。近年まれに見る大スクープだったわけだが、その影響は世間の騒ぎが静まった後もジワジワと拡大している。
 当初藤村氏は遺跡二ヶ所についてのみ捏造を認めたが、なにせ全国の発掘現場に関わり数々の伝説的発見を成し遂げ「神の手」とも呼ばれた人物である。そんな人が究極の禁じ手である「捏造」をやっていたのだ。たった二ヶ所しか捏造をしていないとは考えられないと誰もが思い、彼が関わった遺跡の再調査が各地で進められた。「高森原人」「秩父原人」など世間の注目を集めた彼の「発見」についても再調査の結果「限りなくクロ」との判断が下されていった。これらは下手すると上記のような人類の進化史の見方に大きな影響を与えかねないところだったのだ。
 そして今月に入り、これまで続けられてきた藤村氏への「尋問」の結果がまとめて報じられた。その後彼は精神科に入院していると伝えられているが、調査委員会のメンバーが五回にわたって彼と面談し、捏造について彼の「自白」を聞き取った。本人の証言が完全なものでないことや記憶もあいまいになっていることなどからどこまで確実なものなのか疑問も残るが、現時点で全国42ヶ所の遺跡(完全な捏造の場合「遺跡」とは言えないのであるが)について捏造を行ったことを認めたという。これがさらに増えることは確実視されており、研究上重大な遺跡も含まれていることから日本の前期旧石器研究全体が崩壊したと言っても過言ではない状態だ。
 特に日本に前期旧石器時代があるかないかの論争に「決着」をつけたといわれる宮城県の「座散乱木(ざざらぎ)遺跡」や「馬場壇A遺跡」といった学問上重要とされる遺跡(教科書などでも定番で載っていた)で捏造を行ったことを認めたことは考古学会に重大な衝撃を与えている。本人の告白前に学者の検証作業でこの両遺跡から出土した石器に「農機具による傷」がついたものが複数あることが確認され「捏造」の疑いが濃くなっていたが、本人が自白したことで完全にこの両遺跡の信用性が消えうせ、日本の前期・中期旧石器そのものの存在すら怪しくなってきてしまっている。

 とにかく考古学史上のみならず歴史全体を見渡してもこれほど大がかりな「ウソ」ってなかなか無いかもしれない。それが一個人によって行われ、下手すると人類史全体に関わる影響を与えかねないほど多くの人をダマしてしまったというのがつくづく凄い。そのことによって本人がさして得したとも思えず(評価は得たけれど直接的な利益は全く得てないと言っていい)、その最初に捏造を行ったときの「動機」が気になるところだ。
 またそれまで身近にいながら完全に騙され続けてきた研究者たち全体も大いに反省されるべきところだ。再検証してみて次々と「疑惑」が挙がっているところをみると、要するに今までは発掘されたものをそのまま信用して良く検証しなかったのだと言うことが分かる。もちろん「捏造」という事態はほとんど想定外のことだったし、基本的に人を信用することで成り立っているところがある学問だったから同情すべき点も無くは無いのだが。
 恐らくこの藤村氏という人は相当に「いい人」だったのだろう。実は僕のかなり近い親戚に考古学に関わっている人がおり、藤村氏とも発掘現場で会っている。人づてに発覚直後にその人のコメントを聞いたところ、「そんなことする人じゃないと思うんだけどなぁ… 」とのことで、今度の騒動自体にもまだ懐疑的な見方を示していた。藤村氏とずっと発掘を一緒にやって来た人々ですら全く気がつかなかったのだから、彼はそうした疑念を全く抱かせないほど、実際に「いい人」なのだろうと想像する。それがなぜ「捏造」というほとんど犯罪とも言える行為をやってしまったのか、繰り返すがその最初がいつだったのか、その動機がなんだったのか、学問的なことだけでなく究明が待たれる。
 今や書店から完全に駆逐されてしまっているが、講談社が昨年から刊行している「日本の歴史」シリーズの第1巻「縄文の生活誌」の初版本の冒頭には、この藤村氏の大活躍の模様が詳細に描かれている。事件発覚後に僕も読んだが、「後知恵」とは思いつつ「おいおい」と言いたい文章がつづられている。特に藤村氏が崖の地層を見ただけで石器があると判断する神業をみせる部分で、彼に目の障害があるからそんな特殊能力がついたというようなことを書いているのを見て、「考古学者は科学的」と思っていた僕のイメージがガラガラと崩れてしまったものだ。これもまた藤村氏が相当に「いい人」であり、この本の著者もその「いい人」に報いようと彼の功績をたたえようとする余り彼を神格化していってしまったんじゃないかと思われる。「超能力者」に騙される科学者に似てなくもない。
 悲しいことだが、人間は善意ばかりでは判断できない動物である。こんなことが起こっちゃったから今後はどこでも用心するようになるとは思うんだけどね。




◆まだまだまだ続く余波


 とうとうテロ事件後一ヶ月を目前にしてアメリカ・イギリス両軍のアフガニスタン空爆は開始されてしまった。時間の問題だとは思っていたが、実際に行われてみると「それでいいのかね」という思いがやはり強い。
 以下にテロ事件がらみで今週分の範囲の話題で目に付いたところをまとめていこう。

 10月1日、アメリカ政府はそれまで「確実なものがある」と言ってきたオサマ=ビン=ラディン氏とその組織「アルカーイダ」がテロ事件の主犯である「証拠」をようやく開示し始めた。ただし完全にオープンにしているわけではない。NATOや日本など同盟国に証拠の開示を行ったのだが、機密事項が含まれているため「教えてもらった」と表明している各国政府もその詳しい内容については明言を避けている。イギリスはかなり詳しく「証拠」を列挙したが、実のところ「状況証拠」に近いと思えるものしか公表されなかった。さらにあるというのだが、それはまさに情報収集に関わる極秘事項ということで一般には封印されている。
 一部報道によると、この「証拠」はイギリスやカナダなど英語圏から優先的に開示され、その他の国は後回しの上、内容が英語圏諸国より減っているとのこと。それってかの英語圏の諜報網「エシュロン」によって入手された情報ってことなのでは… 。つい先日EUが「エシュロンは違法」と非難したことがあったが、それで決定的証拠が得られていたとすると… でも入手していたとしても阻止で出来ないんじゃあまり意味が無いような。
 そういえば10月4日にロシアのシベリア航空機が黒海で爆発・墜落して「テロか?」と騒がれた事件があったが、これを「ウクライナ軍の誤射」とすぐに断定したのがアメリカだった。それも世界中のミサイル発射を監視しているから出来ることなのだそうで。「同時多発テロ」みたいなローテクな手段だと不意を突かれたようだけどね。

 今回のテロ事件後の対応の中でアメリカのブッシュ政権がアラブ諸国・イスラム諸国にかなり気を使っているのはこれまでも書いた通り。ともすればアメリカは中東問題でイスラエルよりとみなされ(ってよりも実際そうなのだが)アラブ・イスラム諸国の人々から敵視されやすく、湾岸戦争時のイラクに一定の支持があったようにアフガニスタンのタリバン政権やビン=ラディン一派にイスラム教徒の共感が集まってしまう可能性があるのだ。
 そこで、というわけなのだろうがブッシュ政権はこれまで放置しがちだったパレスチナ問題に対してやや積極的な姿勢を見せ始めた。衝突を続けるパレスチナ・イスラエル双方に強力な圧力をかけて停戦にこぎつけさせ(もっともすぐにドンパチを始めてしまっているが)、10月2日にブッシュ大統領自ら「パレスチナ国家の構想は常に視野にある」との発言を行った。パレスチナ自治政府のアラファト議長はただちに大歓迎の表明を行ったが、イスラエルのシャロン首相は「イスラエルを犠牲にして、テロに関してアラブ諸国に譲歩してはならない」とアメリカの動きを強く牽制する発言をしている。シャロンさん、そもそもあんたが一年前にやったことが現在の事態につながっているって見方もあるんだけどなぁ… 。

 米英軍による空爆開始の直前、カタールの衛星TV「アルジャジーラ」がオサマ=ビン=ラディン本人が演説する映像を放映した。空爆の数日前の録画と言われている。内容はアメリカによる空爆が間近と見て、イスラム教徒にアメリカに対する「聖戦」を呼びかけるものだった。自らの犯行とはしていないものの、世界貿易センタービルの爆破を「神の鉄槌」として讃える、犯行声明にかなり近いものとなっている。
 この演説でビン=ラディンはアメリカがアラブ諸国、イスラム教徒を痛めつけてきた歴史を訴えている。「パレスチナ、レバノン、イラクなどでアメリカがどんなに酷いことをしても世界は非難しない」とか、「パレスチナに平和がこない限りアメリカに安全はない」とか、世界のイスラム教徒にアピールしそうな言葉が散りばめられている。「盗人にも三分の理」とかいう言葉を思い出してしまうな。
 この演説で注目されるのが、日本についての言及だ。「人びとよ、世界で起きた事実を見るがいい。日本では、何十万もの人が殺された。しかしアメリカは、これを戦争犯罪とは呼ばない」という箇所がある。他の事例は全てイスラム教国なのでこの日本についての言及はかなり目を引く。ヴェトナムなんかも引き合いに出してよかったような気もするのだが… 、実はビン=ラディン氏が日本がアメリカによって被害を受けている歴史に言及したのはこれが最初ではない。テロ事件発生直後に書かれたという声明文にも「長崎への原爆投下」がアメリカによる大量殺戮の例として挙げられている。アラブ諸国、イスラム教徒の日本に向ける目がやはり欧米に対するそれとはかなり違っているという一例になりそう。

 その日本もいろいろと揺れている。前にも書いたように日本政府がアメリカ支援を強く打ち出すキッカケとなったのがアメリカのアーミテージ国務副長官の「旗が見たい」発言だったと言われる。「日の丸の旗が見たい、現場で見たい」と訳されて政治家たちのにのぼったものだが(僕などは「じゃ、日の丸だけ出せばいいわけですか」などとギャグを飛ばしていたが)、原語は「Show the Flag」だったことが先週の国会論戦で話題に上っていた。4日に民主党の菅直人幹事長が英和辞書をひいて「『態度を鮮明にしてくれ』という意味では?」小泉首相に質問し、その翌日にベーカー駐日アメリカ大使も「これは英語の古い言い回しで、『姿を見せて』とか『旗幟(きし)を鮮明にせよ』という意味。具体的に自衛隊の派遣まで求めたとは思えない」と発言して話題を呼んだ。ひょっとすると「貢献」をあせる外務省の役人の意図的「超訳」なのでは… ?という疑惑も浮かんだ。
 しかし発言した当人であるアーミテージ氏は日本マスコミのインタビューでやはり日本の積極的協力を求めて言ったものと匂わせている。発言の内容については機密として明らかにせず、「日本は何をしろ」と具体的な要求を出したことも無いとしている。そして「私は学生の答案を採点する大学教師ではない。日本は私の学生でもない」と述べ、日本が自主的に決めるようにとの考えを示していた。「… でもない」という表現ではあるのだが、「大学教師と学生」って例えは妙に合っているような気がする(苦笑)。ご本人の真意がにじみ出ちゃっているような気もするのだが。

 さてこの文を書いている時点で昨日のことになるのだが、10月8日に小泉首相は慌しく日帰り日程で中国を訪問、江沢民国家主席と日中首脳会談を行った。小泉首相はあわただしい日程の中で日中戦争の発火点として名高い盧溝橋とそこにある抗日記念館を訪問し、「侵略によって犠牲になった中国の人々に対し、心からのおわびと哀悼の気持ちを持って展示を見せていただいた。2度と戦争を起こしてはならない。それこそが戦争の惨禍によって倒れていった人の気持ちに応えることではないかと発言し、中国側もこれを評価して8月13日の首相の靖国参拝以来のギクシャクムードにとりあえずの「手打ち式」を行った形だ。
 これはかなり唐突な動きだった。この訪問計画が「発覚」したのは10月初旬ぐらいだったように思う。どうやら先月小泉首相がアメリカを訪問した直後から日本と中国の間で話が急速に進んだようなのだ。靖国参拝直後に中国・韓国を訪問して真意を説明したいと意向を小泉首相は早くから示してはいたが、両国の気分もあって当分先だろうと言われていたのにいきなりの実現である。これについて明確な背景を説明していたのが産経新聞で、テロ事件対応に追われるアメリカが東アジア地域の安定を欲して日中韓の三国に強力な圧力をかけたのだろうと書いていた。首相の盧溝橋訪問と「おわび」を絶対快く思ってないこの新聞の書いた推理ではあるが、おおむね当たっていると僕も思う。一部で報じられていることだが、小泉首相は中国首脳にブッシュ大統領からの「伝言」を伝えていたとも言われる。「使いッぱしり」という言葉が頭をよぎるような…

 テロ事件とそれほど直接関わる話ではないのだが、「史点」的に興味を感じたのが田中真紀子外務大臣に関するちょっとした「事件」だ。テロ事件発生直後の9月12日に皇居で大使認証式が行われたが、このとき田中外相が天皇に外務省所管の事項について「内奏」を行ったが、その内容について外務省の幹部に漏らしたとの「疑惑」が広がったのだ。
 まず「内奏」ってのがまだあったことに僕などは驚いてしまった。形式的なものではあるらしいが、大臣などが担当の事柄について天皇に説明するといったものであるようだ。僕などがイメージとして持っているのは戦争時に軍部が昭和天皇に戦況を説明している様子が「内奏」ですな。あの当時でも天皇は報告を聞くだけであまり直接的にその報告に介入しないのが原則であったらしい。してみると今でもそのあたりはあまり変わっていないのかな… などとこの話を聞いたときまず思った。
 首相をはじめ大臣クラスが天皇と個人的に話すと言うことは実際あるのだろう。しかし天皇はあくまで「象徴」であり政治に個人的意思をさしはさむことは許されていない。天皇の個人的意思を含む可能性が高い「内奏」の内容が外に漏れないようにするのは当然と言えば当然なのだ。一歩間違えると天皇の政治利用につながりかねない。実際世の中には「天皇がこう言った」ってだけでそのままそれを信奉する人が少なくないんだから。今度の一件で各所で引き合いに出されていたが、1973年に当時の防衛庁長官が「内奏」時の昭和天皇の発言を引用して防衛力増強を合理化する発言を行い、更迭に追い込まれた前例がある。
 報道されているところによると、田中外相は「内奏」のあとで外務省幹部との会合で、内奏時の天皇の発言を幹部らに漏らしたと伝えられている。公式にはいっさい否定されているので憶測の域を出ないが、田中外相がテロ事件対応をめぐって小泉首相の言動を批判したとか、それに天皇が「同意」したとか(後方支援することを「憂慮している」と言ったとか言わないとか… )、考えてみるとかなり凄い話が流れている。この騒ぎを扱った各マスコミの記事は「またまた田中外相の『資質』が問われる」とお決まりの文章でまとめていた。

 ただ、ちょっと考えてみてほしい。「田中外相が内奏の内容を漏らした」ことを「漏らした」のは誰だろう?状況からして「外務省幹部」しかいないじゃありませんか。結果的に「漏洩」を行った主犯は外務省幹部だと言うほかは無い。それでなくても以前から対立を深めている外相と外務省幹部である。この騒ぎは元ネタはあるにせよ、田中外相の更迭を望んでやまない外務省幹部の意図的リークと考えるのが自然だと思う。思えば就任以来、田中外相にはこの手の「どっからその話が?」という騒ぎが絶えない。つい先日もテロ事件でアメリカ国務省役員の避難先をしゃべったとかで問題になっていたが、どうもあれも「これは極秘です」と幹部が説明せず外相にわざとしゃべらせたフシを感じている。外相のパキスタン訪問計画が持ち上がったとき田中外相が「これは罠ね」と言って回避したとの話も伝えられているが、実際に様々な「罠」があるようにハタから見ていると実感する。今回の米英軍のアフガン攻撃開始についても外務省から外相に報告が一切無く、外相はTVで知ってあわてて首相官邸にかけつけるという場面もあった。
 僕は田中外相について特に有能とも無能とも思っていない。そうバランス感覚は悪くないなと思っているところはあるが。ただ、一連の「田中外相騒動」の中に彼女の素質とは無関係の意図的な情報リークが目に付くのは困ったもんである(そのリークを無批判に流すマスコミもどうかと思うがね)。それもどの「騒動」も役人にとっては大問題に見えるかもしれないけど客観的に見ると大した話でないのが多いんだよなあ… その辺にも外務省役人の世間と乖離した感覚がうかがえるようにも思う。


2001/10/9の記事

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