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2002年3月5日

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 ◆今週の記事

◆「悪の枢軸」の波紋

 更新を怠っていたものですでに一ヶ月以上前のことになる。ブッシュ米大統領が一般教書演説の中でイラク・イラン・北朝鮮を名指しして「悪の枢軸」と呼んで物議をかもしたのは。この二週間、世界はこの発言をめぐって様々な反応が見られた。これを一気にまとめてみよう。

 この「悪の枢軸」発言に対して名指しされた三国はもちろん反発したが、アメリカが対テロ戦争で協力を求める同盟国であるEU諸国からも強い反発がみられた。特にフランス、ドイツでは外相など閣僚クラスで強く厳しい批判の声が相次いでいるようだ。田中真紀子前外相が同様のことをもし発言していたらまたぞろ「失言!」と大騒ぎされたことだろうな(ミサイル防衛構想に批判的な発言をしてそう騒がれたことがあるから確実だったろう)
 フランスのベドリヌ外相の発言は「我々は現在、すべてを対テロ戦争に還元しようという単純な考え方の脅威にさらされている。こうした考え方は受け入れられない」(朝日新聞に出てた訳)というもので、EU諸国はアメリカの中東政策を支持しないことで合意しているという趣旨のことも付け加えた。これにはアメリカ側もカチンと来たようでフランスの駐米大使を国務省に呼びつけて「発言の真意」を問うたと言う。こんなことはアメリカ・EU間の外交現場では異例のことなんじゃないかと思われる。それだけブッシュ政権も批判に神経質になっているということなんだろう。ブッシュ政権とEUは京都議定書離脱問題でも対立しているだけに、ブッシュ政権としては強気の態度を示したということかな。そういえば京都議定書の「代案」を先日ブッシュ政権が示していたが、やはりEU側からは「骨抜き」「不十分」といった不満の声が聞こえてくる。アメリカの政府機関自身の試算でもこの代案の計画では二酸化炭素排出量は削減どころか増加率を下げる程度にしかならない(要するに増加するのである)と指摘されているそうで。

 反発は「枢軸」の一国とは対立関係にある近親同士みたいな韓国でも起こった。「このところ一応対話ムードなのに、なんで刺激するようなことを言うんだ!」ってなところだろう。北朝鮮がもし「暴発」したら直接的に迷惑をこうむるのは韓国だもんな。前回も書いたがアメリカなんて所詮自分は遠い安全圏にいる気分なんだろう。
 この文章を書いている間にもブッシュさんは日本を経て韓国を訪問しているのだが、やはり激しい反発と抗議が彼を出迎えていた。世論調査では7割がブッシュ大統領の訪韓に反発を覚えているとのこと。韓国国会では与党議員がブッシュ大統領を「悪の化身」と呼び(一応名指しはしなかったそうだが)、これはこれで物議をかもしていたりする(^^; )。さすがにこれは金大中大統領が不快感を示してこの議員は謝罪している。ともあれ、今度の発言が韓国社会にかなりストレスを与えたのは確かなようだ。
 ブッシュさんも訪韓にあたって気は使ったようで、「北朝鮮とイラクは別だよ」というニュアンスの発言をして金大中政権の「太陽政策」の支持は継続するとしているのだが、その一方で政権スタッフから「太陽は干からびた地面には効き目がない」といった太陽政策批判発言があったし(でも北風でも効き目がないだろ?「雨」でも降らすの?)、非武装地帯視察で大統領が米軍将校を前にやはり北朝鮮を「悪」と強調する発言をしていたりする。

 問題の「悪の枢軸」というフレーズだが、その後報じられた裏事情によるとやはり大統領のスピーチライターの造語であったらしい。演説に先立って原稿のチェックを閣僚らでした際、パウエル国務長官など「穏健派」と目される人たちは「ちょっとまずいんじゃない?」と言ったらしいが、ブッシュ大統領本人が気に入ってしまったのだそうな。やっぱりこの人は… (以下略)。
 しかし世の中わからないもので、この「悪の枢軸」発言に積極的にエールを送る政治家もいたりする。ほかならぬあのイギリスの「鉄の女」、サッチャー元首相である。ニューヨークタイムズ紙に「超大国への助言」と題する文を寄稿し、その中で「重要なのはフセインを片付けるかどうかではなく、いつ、どうやるかだ」と積極的にイラク攻撃をけしかけ、「西側は、ならず者体制と戦う決意を強め、防備を固めねばならない。喜ぶべきは、それに必要な指導力を持つ大統領が米国にいることだ」とまぁブッシュ大統領を思いっきり持ち上げた賛辞をつらねているそうで。さすがは首相時代にアルゼンチンにフォークランド諸島を占領された際には全面戦争でこれを奪回し、イラクがクウェートを占領した際には迷いを見せるブッシュ父大統領に戦争開始を強くすすめたという「鉄の女」である。
 イギリスはEU諸国の中ではかなりアメリカに同調するスタンスをとっていて(サッチャーの保守党ではなく労働党政権なのだが)先日も未臨界核実験をアメリカと共同で行うなど付き合いのいいところを見せているが、ここまでブッシュさんを持ち上げてしまうのにはイギリス人も引いちゃうんじゃないでしょうか。

 あと目立ったところといえばオーストラリア。ハワード首相が「悪の枢軸」発言に明確に支持を表明し、協力を惜しまないとずいぶん早く尻尾を振っている。東チモール独立紛争のころから見えていたことなんだけど、このオーストリアの政権ってどうもアメリカと軍事的にピッタリくっついていこうって姿勢が強いような。その思惑は完全には読めないところなんだけど… なお、オーストラリアについては別の記事でもネタがあります。
 
 で、オーストラリアに続いてオーストリア(笑)。あのお騒がせ男、極右自由党のハイダー氏が突然「枢軸」の一国イラクを訪問してフセイン大統領と会見、反米で意気投合したらしい。「枢軸」の言葉にナチスファンの血が騒いだのであろーか(笑)。しかしこの訪問はさすがに母国で問題となり、ハイダー氏は責任をとって国政に関与するのはやめると「引退宣言」ともとれる声明を出している。もっともオーストリア政界ではあまり本気にされてはいないようだ。
 


◆アフリカの歴史のその闇に

 昨年南アフリカで「世界人種差別撤廃会議」なるものが開かれていて、「史点」でも話題にしたことがある。イスラエルの行為が「人種差別」だとの主張がパレスチナなどアラブ諸国から出されてイスラエルとアメリカの代表がボイコットするという話題も目を引いたが、やはり開催国のこともあってメインとなったのは西欧諸国によるアフリカ植民地支配への激しい批判だった。「今のアフリカが貧困や飢餓、内戦に苦しんでいるのは、そもそも西欧諸国がアフリカを植民地にして食い物にしたからじゃないか!」との声があがり、EU諸国はそうした過去の行為については過ちであったとして「遺憾」を表明している。もちろんあくまで「遺憾」であって表立って「謝罪」しちゃうといろいろ賠償を要求されそうだという思惑もあるようだが。
 欧米諸国がアフリカに介入したのは何も植民地時代ばかりではない。1960年を皮切りにアフリカ諸国は一斉に独立を達成して植民地支配から抜け出したはずなのだが、それまで利権を持っていた旧宗主国はその利権を維持するためにあれやこれやと策謀をめぐらした。宗主国ではない国も東西冷戦や鉱物資源の利益をめぐってこうした国々に介入し、内戦をあおりたてたところもある。

 コンゴ(政権ごとに国名がザイールになったりコンゴになったりしている)という国がアフリカ中央部にある。この国は帝国主義時代からベルギーが植民地として支配していた。この国が独立を達成したのは1960年、いわゆる「アフリカの年」のことである。初代の首相になったのはルムンバという独立運動の指導者だった。ところが旧宗主国ベルギーはこの国の独立をそう簡単には許さなかった。ことにコンゴのカタンガ州はウラン・コバルトといったアトムの弟妹… ではない、貴重な鉱物資源の宝庫でベルギーとしてはここをなんとしても確保しておきたいと意図したのだった。これには核兵器の原料ともなるウランの産出をめぐってアメリカとソ連の駆け引きもあったようだ。
 コンゴが独立を宣言した直後、コンゴ全土で反白人の暴動が発生。さらに部族間の紛争も起こり、このドサクサにそのカタンガ州がコンゴからの分離独立を宣言。もちろんそこにはベルギー政府およびアメリカのCIAの策謀があったといわれる(当時のソ連はだいたいアフリカ各国の政府側を支援するパターンで、ここでもルムンバを応援した)。この内戦は「コンゴ動乱」と呼ばれるが、ベルギーが自国の軍隊を派遣して介入、コンゴ政府側は国連軍の出動を要請するなど国際紛争の性格が強い紛争となった。そして1961年1月、ルムンバ首相はカタンガ州で反政府軍に捕らえられ、殺害されてしまう。

 このルムンバ殺害にベルギーおよびCIAが深く関与していたであろうとは当時から推測はされていた。それでも明白な証拠は無かったので闇に葬られた形になっていたのだが、なんでも最近になってルムンバ殺害にベルギー・CIAが関与していたことをかなり立証する研究書の出版があったそうで、このことをベルギー政府も今さらながら公式に認める形となったのだ。今年2月5日、ベルギー政府はこの41年前の首相殺害事件について正式に「道義的責任」を認めて謝罪を表明したのである。41年前のことで今さらながらの感はあるが、自国のやったかなりダーティな部分にちゃんと顔を向けたということでは評価しておきたい。
 なお、ルムンバ首相殺害後、コンゴの動乱を収拾したのはアメリカの支援を受けた軍人モブツで、1965年から1997年まで大統領として独裁を続けた。モブツ政権を倒して大統領に就任したのが隣国のルワンダ・ウガンダの支援を受けたカビラだったが、またしても鉱物資源の利権をめぐる対立からルワンダ・ウガンダと対立、ジンバブエやアンゴラといった国の軍隊も介入してまたもや大動乱になってしまった。そんななか昨年の1月にカビラ大統領が暗殺され、その息子が後を継いだというのは「史点」でも書いた話。「植民地」なんてもんがほとんどなくなった今だってさして状況は変化していないのだ。

 この話題を「史点」でとりあげようと決めたまま更新時期を逸していたら、今度はアンゴラから関連するニュースが入ってきた。2月22日、アンゴラで27年も反政府武装闘争を続けてきた「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)ジョナス=サビンビ議長(67)が政府軍との戦闘中に死亡したという報道があったのだ。ザビンビ議長率いるUNITAはアフリカ諸国が次々と独立した1960年代から宗主国ポルトガルからの独立を主張して闘争を続けてきたのだが、1975年にアンゴラの独立が達成されたもののその政府はソ連の支援を受けた社会主義政権だった。アフリカの共産化を阻止したいアメリカがUNITAをけしかける形で内戦が勃発、以後延々とこの国は内戦を続けていた。UNITAが政府軍と長年にわたって対抗できたのはアメリカの支援もさることながらダイヤモンド産出地を拠点においていたことも大きかったといわれる(カンボジアのポル・ポト派みたい)。一時はUNITAは国土の半分を制圧するほどの勢いがあったという。
 しかし冷戦の終結がこの国の内戦にも変化をもたらす。1991年に和平協定が成立して内戦が一応終結。翌92年に大統領選挙が行われ、サビンビ議長もこれに出馬した。しかし敗北を喫してしまったため、スネてゲリラ活動に逆戻り。94年にまた和平が成立したが、98年にまた内戦再開という展開になってしまう。ここまでは今までとさして変わらない気もするが、冷戦期以来この国の内戦の背後にあったアメリカの関わり方が大きく変化していた。ソ連崩壊を受けてアンゴラ政府がそれまで掲げていた社会主義的政策を放棄したこと、そしてこの国から産出される石油資源が注目されるようになったこととで、アメリカが今度は政府側をバックアップしはじめたのだ(なんかアフガニスタン問題の背後にあると噂される石油ネタとおんなじだな)
 かくしてUNITAは一気に劣勢に追い込まれつつあったところに、今回のサビンビ議長の戦死である。議長は前身に15発、頭部に2発の銃弾を受けるという壮絶な最期であったと報じられている。後継者の発表もすでになされているが、独立闘争以来の英雄を失ったUNITAの衰退は決定的と言われている。



◆日英ロイヤルネタ対決

 一ヶ月ぐらい前にみつけたものだけに、さすがに鮮度の落ちたネタではあるのだけれど… 日英同盟百年ネタに続いて日英ロイヤル関連でまとめてみた。

 2月4日、日本の宮内庁は編纂作業中の「昭和天皇実録」に利用する基礎資料の一覧を開示した。この資料の開示を要求した当事者である朝日新聞の記事によると、公開された資料一覧は、外交文書など444項目にのぼる資料群のコピーである「蒐集(しゅうしゅう)複写」と、すでに刊行されている書籍など1428項目の「編修刊本」に分類されているという。このうち後者の「編集刊本」グループについてはすでに刊行済みのものでもあるし全て公開されたが、「蒐集複写」のほうは92項目について「個人に関する情報が記載されている」との理由で開示されず、一覧の中で黒塗りされているとのこと。
 この「実録」編纂作業については以前にも触れたことがあるが、一部開示されていないものがあるとはいえ、あの宮内庁がこれだけのものを開示したというのは大きいことかもしれない。当初はこの一覧すらも開示を拒んでいたんだから… それにしても「実録」の完成はさらに9年後のことになる予定とか。まぁ昭和天皇って在位期間は歴代天皇中飛び抜けて長いからねぇ。

 一方、2月6日。イギリスのエリザベス2世女王がとうとう在位50周年を迎えた。イギリス国王の長期在位記録は大英帝国の黄金期に在位があたったヴィクトリア女王(在位1837〜1901)、続いてはアメリカ独立に在位がかちあっているジョージ3世(在位1760〜1820)がいる。現時点でエリザベス2世女王は第三位の在位記録となる。この節目のイギリス王室事情について読売新聞が特集記事にまとめていた。
 その記事はエリザベス女王時代の王室の功罪について論じているのだが、「功」として王室費の削減・税金や郵便費の負担を受け入れたことなど経済的な部分を特に上げている。王室費の削減を女王自らが政府に申し出るなど、確かに王室が積極的に現代の民主主義時代に合わせようとしてきたことは評価される所だろう。
 だけどそうせざるを得なかった、という側面もある。1980年代後半からチャールズ皇太子ダイアナ妃の不倫・離婚騒動を初めとする王室家庭内の数々のスキャンダルが王室の権威を失墜させた。さらにダイアナ元妃の事故死の際に女王が冷たかった(不倫のあげく家を出ていった元嫁さんなんだから無理もないとも思うのだが… )ことが国民の批判を浴びたこともある。そうした逆風の中で王室も「改革」を余儀なくされた、ってところなんだろうな。ダイアナさんのことについても今年中に女王自ら墓参りをするのではとイギリスのメディアは注目しているという。
 くだんの記事によるとイギリス国民の王室支持率(存続支持率?)は依然として70%台を維持し、エリザベス女王個人への評価も大変高いものであるという。そのかわりチャールズ皇太子は不人気だそうで、愛人のカミラさんとの再婚には賛成する人が過半数には達するものの彼女が皇太子妃になることについては80%が反対しているという。
 王室としては人気急上昇のウィリアム王子たちの世代に期待、というところなんだろうな。弟の方は早くもスキャンダラスな話題を振りまき始めていて、将来有望そうだし(爆)。

 同じ2月6日、日本では先日召集された通常国会で小泉首相が施政方針演説の中に昭和天皇の御製の和歌を引用したことが、参議院運営委員会で「天皇の政治利用ではないか」と問題視された。問題の歌は「降り積もる深雪に耐えて色変えぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」という歌。やたら古典や故事を引っぱり出すのが好きな小泉首相だが(そういえば「文語文教育を推進すべし」なんてことも言っていたような)、この歌を引用したのは「逆境に負けず、辛抱して頑張っていきましょう」ぐらいのつもりであったらしい。
 「わざわざ天皇の歌を引用しなくてもいいだろう」と批判があがったわけだが、首相サイドの見解は「一般に広く知られた歌であり、問題にはならない」とのことであった。だけど面白いもんで保守系・右派系の方々からこの歌の引用を問題視する声が結構あったんだよね。なんでかというと「引用の仕方が不適切」「歌の意味を曲解している」というのだ。
 この歌は敗戦直後に昭和天皇が詠んだとされるもの。確かにこの苦しい時期に国民もあの松のように頑張れ、という意味にとれなくもないが、実際には敗戦したとたんにコロコロと態度を変えていく周囲や国民の有様に不安を抱いて「あの松のようにシャキッとせんかい」という心を詠み込んだものだと言われる(「色変えぬ」という部分に注目)。僕もこの歌についてはそれが妥当な解釈だと思うんだけど、そうなると昭和天皇はやっぱり戦中の体制の方が良かったと思っていることにもなるわけで、これはこれで政府としては少々まずいことになるんだよな。

 2月7日、イギリスのエリザベス女王の妹・マーガレット王女が71歳で亡くなった。母親のエリザベス皇太后より先にお亡くなりになってしまったわけである。
 「開かれた王室」の元祖的存在とも言われるらしく、第二次大戦の英雄パイロットと恋に落ちたり(しかし相手に離婚歴があったため断念)、写真家と結婚して一男一女をもうけたものの離婚するなど、なかなか波乱に富んだ経歴をもっている。あのダイアナ元皇太子妃が王室の中でもっとも慕っていたというのもうなづけるところ。

 最後の話題はちょっとロイヤルから離れるんだけど…
 イギリスでこのところアジア系移民の扱いをめぐる政策提言が相次いでいる。昨年にアジア系移民をめぐる衝突が多発し、例の同時多発テロ事件の影響でイスラム系移民への警戒感が高まったことなどが背景にあるのだろう(実際アルカーイダやタリバンにイギリス国籍の人間がいて問題になった)
 2月はじめ、ブラケット内相が公表した政策には「イギリス国籍取得を望むものは英語、英国文化・法律に関する試験を受けてパスし、女王への忠誠を誓わなければならない」という内容が含まれていた。国際化・多様化の時代に特定言語の使用強制や国王への忠誠強要はいかがなものか、との批判が当然起こったが、ブランケット内相は「固有の文化と、英国人としてのアイデンティティーは矛盾しない」と批判に応えている。
 そしてさらに。このブランケット内相が議会で「英語を話し、英国式の教育を受けた男性と結婚したいという若い(アジア系)女性の願いにこたえるべきだ」と発言し、波紋を呼んでいるという。何の話かというと、最近イギリスに在住するアジア系・イスラム系の女性たちが母国の両親の意向で見も知らぬ男性との見合い結婚を強要されることでトラブルがいくつか起こっており(父親が嫌がる娘を射殺する事件があったそうで… 日本でもちょっと前まではこういう習慣は根強かったよね)、こうした習慣を「人権侵害」と非難する声があがっているのだそうだ。内相はそれに関して「結婚相手はイギリス国内で探せ」と言ったわけなんだが、見合い結婚の習慣批判の話と英国式教育を受けた男性と結婚しろって話を都合良くゴチャマゼにしちゃあいませんか… ?当然ながら移民社会からは「固有の文化に対する侮辱」「差別につながる政府の干渉」と猛反発が起きているという。



◆乱暴・その後のアフガン

 タリバン政権崩壊、そして暫定政権の樹立とどうにか新国家建設が進みつつあるように感じるアフガニスタンであるが、相変わらず情勢が混沌としているようでもある。まぁいきなりそううまい具合にことは運ばないだろうとは思ってるけどね。
 この間のアフガン情勢で目に付いたのはやはり「航空観光相殺害事件」だろう。最初にこのニュースが入った時点で「史点ネタ候補」として確保しておいたのだが、その後思わぬ展開を見せていったのには驚かされた。

 この事件につながる報道が最初にあったのは2月13日。メッカ巡礼のシーズンを迎えたのにアフガニスタンの巡礼者がメッカのあるサウジアラビアに渡ることができず1万5000人が空港で足止めを食っている、という話題だった。
 そもそもタリバン政権時代、サウジアラビアはタリバン政権を承認して国交を結んでいたイスラム圏でも少数派の国の一つで、アフガニスタンのメッカ巡礼者は国内でサウジ入国のビザを取得し、専用機(!)でメッカ入りしていた。ところがご存じのごとく昨年の「対テロ戦争」が開始されるとサウジはタリバン政権と断交。カブールの大使館も閉鎖状態となって暫定政権発足後も正常化はしておらずビザ取得が困難な状況となっていたのである。おまけにサウジ側も過激派のテロを警戒して入国を15日までに限ったため、ビザを取得できぬまま空港で足止めを食う人が大量に出てしまうことになった。イスラム教徒にとってメッカ巡礼は一生の一大事であるだけでなく、巡礼者たちは1500ドルもの費用を出発前に払い込んでいるため、空港に集まった一万人以上の巡礼者たちの間には不穏な空気が渦巻いていた。これが13日の段階。

 14日夕刻、事件は起こった。暫定政権の航空・観光相アブドゥル=レーマンがインドへ向かうためにカブール空港から飛行機に乗ろうとしたところ、待ちぼうけをくっていたメッカ巡礼者が彼を取り囲み、集団で殴る蹴るの暴行を加えたのだ。レーマン航空観光相は病院に運ばれたが夜に入って死亡。当初事件はインド行きの航空機に乗ろうとする航空相を見て不満が鬱積していた巡礼者たちが「飛行機をとられた」と勘違いし襲いかかったらしいと報じられていた。
 翌15日、事態は急展開する。暫定政権のカルザイ首相が会見を開き、「事件は複数の軍関係者が起こした個人的な怨恨による計画的暗殺事件である」と発表し、すでに容疑者四人を逮捕したことを明らかにしたのである。根拠の一つとして事件の1時間半ほど前にカルザイ首相自身がカブール空港を訪れていて巡礼者たちに説明を行っており、集団リンチをしてしまうほど不満が募っていた様子はなかったことなどもあげている。しかしその一方でアブドラ外相が依然として「事件は巡礼者による突発的なもの」と主張するなど政府内で見解の相違も見られた。そのせいか、その後この件に関して情報があまり報じられなくなり、なんとなく事件の真相が闇から闇へ葬り去られそうな感じもある。

 この事件についてはいろいろと憶測が飛び交っているのだが、毎日新聞の記事によると、かなり怪しい線として以前の「北部同盟」の有力勢力の一つ、マスード司令官派による計画的暗殺ではないかという推理があるという(もう忘れられかけてますけど、マスード司令官って同時多発テロ直前に暗殺されたあの人ね)。実際、殺されたレーマン氏はもともとマスード派のナンバー2だったがマスード司令官と対立して亡命国王ザヒル=シャーのもとに身を寄せ、このところは「元国王派」として活動しマスード派の分裂を工作していたと言われ、マスード派が暗殺したくなるだけの理由は十分あった。そして事件後カルザイ首相により逮捕・指名手配された者たちの多くがマスード派の牙城と言われる軍や国防省に属していることもそんな背景をうかがわせるのに十分だ。
 しかし、カルザイ首相はマスード派の関与をにおわせつつ名指しは避け、「事件に政治的動機は無い」という態度を表明している。これはカルザイ首相がマスード派に「貸し」をつくることで指導力の強化を図っているのではないか、との見方も出ているという。ともあれアフガニスタンの新国家づくりもまだまだ前途多難である。

 このカルザイ首相が先日、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」の一国に数えた隣国イランと密接な協力関係を持つことを表明して目を引いていたが、このイランからある人物が追い出されようとしている。元アフガニスタン首相のグルブディン=ヘクマティアルだ。
 この人については昨年11月段階で「史点」で書いているんだけど、かつてアメリカやパキスタンの支援で侵攻して来たソ連軍と戦い、ソ連撤退後先述のマスード司令官らと共にカブールを奪回、首相の座についた。しかしタリバンの勢力拡大で国を追われ、イランに亡命。その兵力はアフガニスタン国内に残ってタリバンに抵抗していたが、昨年の同時多発テロ+アメリカのアフガン攻撃が起こるとこれをアメリカによるアフガン侵略ととらえて突然「タリバン支持」を表明した。その動きの裏にはイランの意向があるんじゃないかと憶測も呼んだが、アフガニスタンに暫定政権が成立してイランと関係が回復しても「暫定政権はアメリカの傀儡」と叫び続けたためにイランからも愛想をつかされ追い出されることになったみたい。
 読売新聞の記事によるとイランの外交筋は彼のことを「疫病神」と呼んだといい、母国アフガニスタンは当然としてかつての支援国パキスタン、さらには「悪の枢軸」のトップに挙げられているイラクまでも受け入れを拒否する構えらしい。とりあえずアフガニスタン国境に向かったとのことだが、アフガン暫定政権は見つけ次第逮捕すると表明している。

 逮捕… といえばオサマ=ビン=ラディン氏、まだ消息不明ですねぇ。ブッシュ政権は世間が忘れかけると「ビン=ラディンは生きている」との発言を繰り返すが、どうも確実な情報はなく「景気付け」というか「国民の警戒心喚起」というか「エンロンそらし」といった狙いで発しているように見えるんだが。もっとも僕もこの人そう簡単には死んでくれないような気もする。
 ビン=ラディン潜伏の噂は主にアフガニスタン・パキスタン国境地帯に集中しているのだが、最近ではチェチェン共和国を通ってグルジア共和国に逃げ込んでいるのではとの情報もある。実際ロシアのイワノフ外相が2月15日に「ビンラディン氏がグルジアのパンキシ渓谷にいる可能性を排除しない」と遠まわしにほのめかすような発言をしている。パンキシ渓谷とは実際にチェチェンのイスラム武装勢力が流れ込んで拠点にしているところで可能性はあると思うのだが、この発言にグルジアのシュワルナゼ大統領(かつてゴルバチョフ政権の外相で冷戦終結外交の象徴の一人だったな)が激怒、イワノフ外相がパンキシ渓谷近くの出身であることを引いて「自分の実家を捜索したらどうだ」とはき捨てたそうである。しかしアメリカも気にはなるようで、特殊部隊の一部がグルジア共和国に入ったとの報道もある。

 「対テロ戦争」も次はイラク攻撃が確実、などと言われてアフガニスタン国内の戦闘は終わったかのような観もあったが、ところがどっこい。3月に入ってからアフガニスタン東部のアルカーイダ残存勢力(まだいたんだ)に対する大攻勢をアメリカ軍が現地のアフガン人勢力と共同で仕掛けている。お得意の空爆に加えて地上部隊での攻撃も行っているらしく、戦闘によりこれまでにない数の米兵の死者が出ていることも報道されている(もちろん対するアルカーイダ側にはもっと出ているはずだが)。空爆では「サーモバリック爆弾」という大型爆弾を2発投下したと報じられている。洞窟内にひそむ敵兵を熱風と衝撃波および酸欠で殺戮するという、「核兵器に次ぐ大量殺戮兵器」として人権団体などから批判も多い兵器だ。もちろん人殺しの道具に人権もへったくれも無いのだが、自分では大量破壊兵器を所有したうえ使用もしているくせに自分が気に入らない国が持つと「悪の枢軸」呼ばわりするんだから、この国は… 。
 

◆溜め込み小ネタ放出(その一)

 ではこの一ヶ月間に溜め込んだ「史点」ネタ候補レベルの小ネタを一挙放出。

◆海の名称で日韓論争◆
 何年か前から続いている、僕などからみると不毛な論争なのだが、「国際水路機関」(IHO)に対して韓国側がいわゆる「日本海」を「東海」とすべしと主張、日本側が反発して議論になっている。1992年の国連専門部会でも韓国側が同様の主張をして話題になったことがあるが、このたびIHOが半世紀ぶりに海図のガイドライン改訂を行うのにあたってまたも韓国側がかなり強く「東海」への改訂を求めたのだ。韓国側の主張は「19世紀までは朝鮮海、東洋海といった様々な呼び方があったが、『日本海』は日本の植民地政策で定着したもの」というもの。これに対し日本側は「『日本海』の名称は19世紀初頭にはすでに世界の海図の8割に使用されている」と反論している。まぁ英仏間のドーバー海峡とカレー海峡みたいなもんで、当事国同士で名称問題にケリがつかないときは両者併記ということになるようだが、日本側としては韓国側の主張が歴史認識的に間違っていることからも(僕自身はちゃんと確認してないがたぶんそうだと思う。まぁ日本人も「日本海」なんて認識したのは近代以降だろうけどね)譲歩したくはないというところらしい。少なくとも「日本海」が嫌だからといって「東海」に統一するのも一方的に韓国中心の姿勢だと思うところ。「青海」にしようという意見も一部であるらしいが… 。

◆どこの世界にもいる謎な人◆
 元ネタの記事を読んだとき、デジャブ(既視感)に襲われたのだが、この手の話ってよくありますな、ホント。フランスのシラク大統領にからむ疑惑の鍵を握るといわれる、元オードセーヌ県議会議員ディディエ=シュラー容疑者(54)が亡命先のドミニカから7年ぶりに帰国した。この人物はシラク大統領のパリ市長時代にパリ郊外の県で住宅公社所長を務めており、建設・修理にからめて業者から裏金を集め、シラクさん率いる右派政党「共和国連合」の資金源としていたといわれる。
 シュラー容疑者は降りたった空港で司法当局に身柄を拘束された。彼は帰国の理由を「法廷で真実を語るため」としており、彼が何を暴露するのか、フランス政界は戦々恐々らしい。彼自身は「シラク大統領を陥れる意図は無い」と言っているそうだが、共和国連合側は「4月の大統領選挙を間近にして社会党が仕組んだ陰謀だ」と反発している。だけど問題の裏金の一部は社会党にも流れていたと言われ、社会党もヘタにつつくとヤブヘビとの見方もある。
 デジャブに襲われた原因だが、以前「史点」でフランスの石油公社エルフ社がミッテラン政権下で行った大規模な政界工作について書いたことがある。そこでもエルフ社幹部で政界工作に従事し、「政権を20回ひっくりかえす秘密を握っている」と豪語する男がいたんだよね。この男の証言をめぐってもフランス政界が戦々恐々と伝えられていたのだが、こちらはその後続報を確認していない。そんなこんなのうちにまた似たような奴が…

◆疑惑の思わぬ飛び火◆
 政界工作疑惑なんてのはあのアメリカにだってある、ということをエンロン疑惑はまざまざと見せ付けている。どこまで深刻化するかは分からないが、クリントン前大統領のセックススキャンダルよりは問題はデカいと思うぞ。ま、あれ見ていると「なんだ、アメリカもそんなもんじゃん」とホッとするところもある(笑)。
 そんな中、アメリカ大リーグのヒューストン・アストロズが本拠地の球場名を変更したいとニューヨークの破産裁判所に提訴した。そう、あの会社の名前を冠した「エンロン・フィールド」という球場名だったのである。この球場は一昨年にオープンしたもので、エンロンが30年間にわたって社名を球場名に関する権利を1億ドル(30年払い)で買い取っていたのだ。ま、言ってみれば球場まるごと広告塔にしたわけですな。しかしエンロンの破綻と不透明な経営、さらには政界工作疑惑まで噴き出してきて、アストロズは「エンロンの名は球団のイメージを損ねている」としているわけだ。おまけにエンロン側はこの球場名の権利をアストロズの同意無しに売却できる資産ととらえているらしくアストロズ側の解約要求に応じず、破綻した現在では残りの契約料を払ってもらえそうに無いこともあってアストロズのいっそうの怒りを買い、提訴と言うことになっちゃったらしい。

◆一枚のコインの数奇な運命◆
 2月8日、競売大手のサザビーズが「1933年ダブル・イーグル20ドル金貨」一枚を競売にかけると発表した。この20ドルの金貨一枚に最高で落札価格600万ドル(約8億1000万円)が予想されているというから驚き桃の木山椒の木。これがまた大変な歴史を持つ一枚のコインなのである。
 1933年といえばあの世界恐慌のまっただなか。この年から大統領に就任したのがあのフランクリン=ルーズヴェルト。大恐慌を乗り切るために彼が「ニューディール政策」を開始したまさにその年にあたる。こんなときに鋳造されたこの金貨だが、ルーズヴェルトが金本位制を廃止したため流通直前になってすべて回収・溶解の措置がとられた。記念としてスミソニアン博物館に二枚だけが寄贈されたがあとは全て溶かされてしまった… はずだった。
 1954年、コイン蒐集マニアだったエジプトのファルーク国王のコレクションの中にどういうわけか紛れ込んでいたこのダブル・イーグル金貨一枚が競売にかけられ、アメリカ政府が「なぜ!?」と衝撃を受けるという騒ぎがあったそうで。今回競売にかけられるのはまさにこの問題の一枚で、アメリカ政府が半世紀をかけて回収し、個人の所有を認めたことになるのだそうだ。まさに「幻の金貨」で、その予想価格の高さも無理もないというところである。それにしても誰が買うんだか。


2002/3/5の記事

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