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2002年3月27日

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 ◆今週の記事
◆縄文時代の戦場?

 「戦争」という行為がいつから始まったのかについてはいろいろと議論がある。そもそもどういう段階から「戦争」と呼ぶべきなのかという問題もある。生物的に同種の集団間の紛争ならサルでもやっているし、アリやハチなどはかなり派手な殺し合いをすることがある。人間だってその発生の当初から縄張り争いのたぐいはかなりやっていたものと思われる。映画の話ではあるが、「2001年宇宙の旅」のサルは動物の骨を道具に使うことを思いつき、骨で獲物を倒す狩りを始めるのと同時に、骨を武器に使用して他のサル集団との縄張り争いに勝利する。そして雄叫びを上げて骨を宙に投げるとそれが頭を直撃して… ってのはこのサイトのトップに掲げているGIFアニメね。そろそろ変えなきゃいかんな、あれも。ともかくあの映画の作者はあの名シーンで人間の得ていく技術がただちに軍事的なものに応用されていく、あるいは軍事的動機から技術革新が推し進められていくということを暗に表現したかと思われる。それが人間の「業」だとでも言うように。
 
 日本における「戦争」の本格的な開始は弥生時代から、というのが一般的な見方だった。弥生時代の遺跡に防衛を意識した環濠集落が出てくること、切断されたり矢じりが食い込んだ人骨や金属製の武器が発掘されることから、少なくともこの時代には大規模な戦闘行為があったことがわかる。特に弥生時代は本格的な稲作農耕が開始されて土地に対する執着、領土欲が強まることから戦争の原因がグッと増えてくるものと思われている。ではその前の1万年にわたる縄文時代はどうだったんだとなると、よく分からないというのが本音。ただ従来言われていたように全く戦争の無い平和な時代が延々と続いたかというとそうでもないんじゃないかと。小規模な縄張り争いの類いはそれなりにあったのだと考えるのが自然だろう。狩猟採集中心といわれる北海道アイヌやアメリカインディアンだって部族間戦争は結構あったようだし、熱帯ジャングルに住む旧石器時代さながらの生活をしている人たちでもやはり戦争行為が行われているようだ。
 ただ、日本の歴史において縄文から弥生にいたる過渡期、紀元前の数百年のあたりからそれまでにない激しい戦いが始まり戦争史の画期となっているんじゃないかとの見方は強い。それを裏付けるような発見が先日あった。

 発見場所は高知県の土佐市高岡町居徳(いとく)遺跡群。この遺跡から1997年から98年にかけて紀元前6世紀〜5世紀の縄文時代晩期のものとみられる動物の骨が大量に発掘された。そしてその中から矢や刃物で切りつけられたと思われる傷跡のついた人骨が発見されたと、これらの骨を分析していた奈良文化財研究所から3月19日に発表がなされた。
 人骨は全部で15点で少なくとも9人の骨とみられ、しかも男女双方が含まれているという。女性の太ももと思われる骨には膝のすぐ上のところに骨製の矢じりが貫通した痕跡があり、なおかつ骨盤側に深い切り傷があったという。そして男性の太ももの骨と上腕骨の2点には金属製のノミ状の刃物で何度も突き刺されたと見られる傷が十数か所もあり、他の12点についても人為的とみられる切断面や石斧で殴られたためらしいはく離骨折が認められたという。
 事故とは思われない執拗な損傷を受けていること、そして切断面が認められ体の特定部位ばかりが集中的に出てきたことなどから遺体の解体が行われたことも推測され(「縄文時代バラバラ殺人事件」!?)、分析にあたった同研究所は「集団間の戦闘によるもの」との判断を示した。人骨はいずれも「縄文人」の特徴が認められるとされ、金属器を稲作と共に日本に持ち込んだのは大陸から移住してきた「弥生人」と考えられていることと考え合わせて「金属器を持った渡来人と先住の縄文人との衝突があったかもしれない」と同研究所の松井章主任研究員は語っているとのこと。その規模はもはや「戦争」と呼んでいいものであったかもしれないとも言い、人骨が解体されたものと思われる点については「犠牲者がよみがえるのを恐れたのではないか」とコメントされている。

 先ごろNHKで「日本人はるかな旅」という日本人のルーツをテーマにした大型企画番組を放映していたが、そこでも今回の発見と同様に「縄文人と弥生人の戦争」を推測させる近畿地方の遺跡が紹介されていた。こういった大陸からの来た弥生人の東方進出(侵略)が日本神話が伝える「神武東征神話」の背景にあるんじゃないかという見解もかなり有力だ(そーいえば今回の発見で推測される「戦争」の時期といわゆる「神武紀元元年」とされる2662年前とはさして遠くないし中国大陸の戦乱時期とも一致する)。実際『古事記』なんか読んでいても神武天皇の一行は縄文人を連想させる先住民を殺戮・征服していくもんな。



◆世界原人みな兄弟?

 またしても発掘ネタ。時代ははるかにさかのぼりますけど。
 アメリカのバークレー校などの研究チームが3月21日発行の科学雑誌「ネイチャー」で発表したところによると、1997年にエチオピア中東部の100万年前の地層から発見された頭骨化石が「アフリカ原人とアジア原人の双方の特徴をあわせ持つ」ことが確認されたという。見つかった頭骨は中後期の原人のものと見られるが眉の部分の隆起が太いといったアジア原人の特徴があるというのだ。このことから「アフリカ原人とアジア原人は同一種で、行き来しながら現代人への進化の道を一緒に歩んでいたことがわかった」とこの研究チームは結論付けているそうで。

 これまでにも何度か人類発生問題をとりあげてきているのでそのたんびに繰り返すのがやや億劫になるのだが、現在ほぼ定説といっていいほどに有力とみなされているのがいわゆる「アフリカ起源説」。アウストラロピテクス(猿人)から始まって北京原人やジャワ原人、ネアンデルタール人(旧人)、クロマニョン人(現生人類)といった人類進化の歴史は歴史の教科書の冒頭を飾るために大抵の人が覚えていると思うのだが(まだ勉強に飽きてない頃だもんね)、それが各地でそのまんまストレートに進化して現代人にいたっているわけではなく、どの段階の人類もアフリカで発生して世界各地に散らばったのち絶滅し、また次の段階の人類がアフリカで発生して世界各地に散らばった後また絶滅し… と繰り返し、現代人もまたアフリカから発生して世界に散らばり今日にいたったというのが現在の一般的な見方だ。DNAの分析なんかで世界中の現代人が実はほんの数人の共通の先祖の子孫であることが実証されるなど、この説の有力さは近年ますます動かしがたいものとなってきている。その一方でやはり原人段階で世界各地に散らばったものが各地で現代人に進化したのだとする反論もまだまだ根強くあるのも事実。
 いまや忌まわしき思い出となりつつあるが、あの日本の「旧石器捏造事件」はこの問題に重大な一石を投じかねない、いや実際に投じかけていたところだったのである。日本から原人段階の時代の地層から高度な旧石器(かねて疑問視していた学者は「江戸時代に電卓が出てくるようなもんだ」と言っていたそうで)住居・埋葬のあとまでが見つかり(どっかの新聞コラムが「北京原人は穴に住んでいたが秩父原人は住居に住んでいた」とか威張ってましたっけ)、「日本人だけはこの原人の子孫なのか」「人類は日本あるいはアジアから発生したという可能性も」といった意見だって大真面目に出されていた。幸いにして捏造が暴かれたことで世界的な大錯誤にならずに済んだわけだが、もし暴かれなかったらと思うといまなおゾッとするところがある。

 さて、今回の発表においても「アフリカ起源説」は基本線として押さえられている。その上で「先にアジアへ広がっていった原人の中にアフリカに戻ってくるものもあり、アフリカの原人とも交流・交配してこれが現代人につながっていった」と考えるわけだ。これはこれで考えられないことではないし、現時点での一般的見解と必ずしも矛盾しない。ただこれまで「全てアフリカから一方的に次々と「新品人類」が生産・供給されていった」と見られていたのに対して、「一部還元してリサイクルが行われていた」と言う考え方なのかも(笑)。まぁどっちにしても全人類は生物学的にみればみんなかなり近い親戚なんだということに違いはないのだが。



◆「労働者の国」の労働争議

 中華人民共和国は建国以来「社会主義国」の看板を掲げている。何を今さら、と思われそうな書き方ではあるが、最近の中国見ているとどこか社会主義国なんだか分からない状況になってきている。「社会主義国」とは何をもって社会主義国とするのかというのはいささか難しいところもあるのだが、いわゆる「プロレタリア独裁」、労働者階級(プロレタリアート)の代表である共産党(もしくはそれに類する社会主義政党)が唯一の政権政党となって政治を行っているというのが政治的な部分での特色となっている。独裁は独裁だが、労働者の代表が独裁しているんだから「いい独裁」なのだ、ってな論理がそこにある。で、じつのところその政権担当政党が労働者の代表ではなくただの特権階級になっちゃって先進資本主義国のような選挙制度もないために余計始末の悪い政治腐敗を招いてしまうというパターンがある。日本はしばしば「成功した社会主義国」などとジョークで言われたものだが、一党独裁の弊害についてはかなり似た状況なのかも。

 さて、その社会主義国の中国だがトウ小平以来の「改革開放政策」というやつを推し進め、市場経済を積極的に導入し悲願のWTO加盟も果たしてますます海外からの投資を受け入れようとしている。しかしそれは同時にこれまでやってきた社会主義経済--しばしば「みんな平等に貧しく」に陥りがちなアレ--を斬り捨てていくということに他ならない。これまで就職すれば食いっぱぐれの無いはずだった国営企業で次々とリストラが行われ、不採算な国営企業はその存在そのものがリストラされる事態になっている。まぁそのあたりは現在の日本と似てなくもないが、あちらは高度経済成長を続ける中でのことだから余計問題は深刻なところがある。

 こうしたリストラ対象の大規模国営企業が多いのが東北地方。「旧満州」と読んだ方がピンと来る人も多いかも。数年前に話題を呼んだ(今でも時折思い出したように話題になるが)宗教結社・法輪功がこの地方から出てきたのもこうした背景と無縁ではないだろう。この東北地方で最近目立つ動きが報じられている。
 3月の初めからこの地方の大規模油田・ターチン(大慶)油田で一時帰休などをさせられている労働者たちが結集して抗議活動を起こし、職場への復帰や独立労組結成の許可といった要求を掲げているという。最盛期には5万人の労働者が集まって激しい抗議活動を行い、その後やや人数が減ったものの「独立労組委員会」なる自主労働組織を作っているとの話もある。これに対し政府当局が多数の武装警官を派遣したとか、遼寧市でも未払いの給料の支払いを求める労働者たちの抗議デモがありリーダー格数名が逮捕されたとの報道もある。これらの報道はいずれも中国本土ではなく香港の新聞が報じることなので断片的で実態がどのようなものであるかはイマイチとらえにくい。だが、このところの高度成長の中で置いていかれた形の人々の不満が広範囲に広がっているのは確実で、そうした人々の切実な要求が形に表れているものだと思われる。
 ターチン油田といえば地理の教科書の必須の暗記項目だったほど有名な中国最大の油田。1960年代に石油の国内自給を実現するために開発され、国の大々的なバックアップを受けて模範工場としてもてはやされた時期もある。しかしこのところ生産の先細りが予測され、また中国自体が自らの高度成長を支えるために中東などから安い原油を輸入しだして石油輸入大国と化していってしまったために「お荷物」扱いのリストラ対象となってしまったわけだ。なにやら日本のエネルギー政策の転換で切り捨てられていった石炭産業を見る思いがする(そういえば先日ついに日本国内の商用採炭が終わってしまったっけ)

 それにしても情けないのは本来「労働者の国」を標榜しているはずの社会主義国ではかえって労働者の権利が保障されていないという事実。労働組合も官製のものだからまるで当てにならず、自主管理労組が出てくるのは必然の流れだといえる。かつてポーランドで自主管理労組「連帯」が結成されその後の東欧革命のさきがけになった(もっとも時間的な偶然ってところが多いけど)ことも考え合わせると中国の「共産党」は事態を深刻に受け止めるべきだろう。



◆シャチホコ盗り物語

 去る3月23日、あの「墨俣の一夜城」から金のしゃちほこが盗まれてしまった。あくまで城の天守閣に乗っかっている純金製の「本物」ではなく展示用につくられた五分の一のレプリカの方だけど。それでも鋳物に純金を張り目にオニキス、歯に銀を使っているためお値段800万円相当とか。まー盗難を伝えるTV報道で展示されていた場所を見たが、「盗んでください」と言ってるようなもんじゃなかろうかというところであった。

 この「墨俣一夜城」だが、建設時にすでに話題を呼んでいた。ご存知の人も多いだろうが、この城の名は豊臣秀吉の出世のジャンプ台になったお話で有名。永禄九年(1566)、織田信長が尾張から美濃に進出する際、足がかりとして川に挟まれた地である墨俣に城を作ろうとしたが美濃の斉藤氏側の妨害もあってなかなか果たせないでいたところ、まだ木下藤吉郎と呼ばれていた秀吉が自ら名乗り出て一夜のうちに城を建設してしまったというお話なのだが、一夜はウソくさいとして驚くほどの短期間で築いてしまったのは事実のようである。部品部品をあらかじめ組んでおいて筏を組んでこれを水上輸送し、プレハブ方式で一気に組み立てたとか何とか言われているのだが、正確なところはよく分からない。ともかくこの墨俣を足がかりに信長は美濃を攻略、天下取りへ大きく飛躍し、秀吉自身も信長配下の武将の一人として頭角を現すことになる。いわゆる「太閤記」ものの小説やドラマではもうおなじみの手柄話である。それにしても「史点」が戦国ばなしをしてるのって物凄く珍しいことなんじゃなかろうか(笑)。

 さて、今回盗難にあったこの「墨俣一夜城」だが、もちろん秀吉が建てた城そのものではない(だいたい大坂城だって再建ものだ)。この現代の墨俣城は墨俣町の観光の呼び物として1991年に建設されたもので、この建設には故・竹下登首相(在任:1987・11〜1989・6)が各自治体に分配した「ふるさと創生資金」が使われている。この「ふるさと創生資金」とは各自治体に一億円ずつ「お小遣い」をあげるという、いかにも集金力と大盤振る舞いでのし上がってきた政治家らしい豪快な(というにはみみっちいか… )、かつ即物的な政策で(その後小渕恵三内閣でも「商品券」配ったりしてましたねぇ)、各自治体であれこれとそれなりに有効に使ったケースもあったようだが中には使い道に困ったあげく1億円の金塊を購入して飾っていた自治体もあったものだ(そういえばこれも盗まれなかったっけ?)
 この1億円のボーナスを使って誰もが知る「一夜城」を再建して墨俣町の観光の目玉にしようというのは、思いつきとしては悪くない方だと思う。確か当初ちゃんとした時代考証に基づいた設計が依頼された専門家により提出されたがと思うのだが、聞くところによれば町長らが「つまらない」とこれを破棄、名古屋城にならって金のシャチホコのついた豪華天守閣つきのお城を建設しちゃったとか。だったら最初から専門家に頼むなよ、短期間で作った城なんだから立派な城のわけないじゃん、と当時この報道を見てツッコミを入れていたものだ。
 実際の墨俣一夜城については墨俣町商工会のHP(こちら)に詳しいのでそちらをご覧頂きたい。考証の件については「木下藤吉郎出世物語の出発点となった「墨俣城」の城跡に、砦としての城ではなく、町のシンボルとしての「城郭天守」を整えた城を!という町民の夢を実現」となにやら少々言い訳がましいコメントでチラッと触れている。まぁあくまで史跡ではなく歴史資料館と言う形ならかまやしないと思うけどね。こうした「正確な考証による再現を」と「ウソでもいいから見栄えを」という学者と商工会・行政との対立はどこでも結構ある話だし、私が住む茨城県南部にも考証もへったくれもない、そもそも城があったかどうかすら怪しいところに天守閣のご立派な城がいくつか建っていたりする。なお、墨俣町や商工会のHPによると「すのまた秀吉出世まつり」といったイベントや「籐吉郎くん」なるマスコットキャラまで作ってなかなか頑張っているようではある。

 それにしてもこのニュース、竹下登と豊臣秀吉というどちらも見栄えは良くないけど「人たらし」で下剋上でのし上がったタイプの両政治家が時空を超えて結びついちゃったみたいで面白かったですねぇ。
 これで犯人が「石川五右衛門」とか名乗って犯行声明出すと完璧なんだが(笑)。


2002/3/27の記事

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