ニュースな
2002年7月14日

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 ◆今週の記事

◆一応ここでもサッカーがらみで

 なんだかんだでまた一ヶ月以上「史点」更新をサボってしまった。これじゃあ「月刊・ニュースな史点」だよなぁ。今年に入ってから中断がやたら多いし隔週状態が続いたりとで書き手としても非常に申し訳なく思っているのでございますが、やはり週刊連載を2本もやってるのがそもそも無理なのかなぁ。あっちの連載がかなり難所にさしかかっていたこともあり、なおかつW杯の試合観戦のために大幅に時間を奪われるということもあり、ズルズルと遅れてしまったわけです。もちろんネタの収集は怠りませんでしたが…
 さてと、やはりW杯にちょっとは触れとくか、ということでこのネタをトップに持ってきた。しかし、そこは「史点」である。単なる観戦記事やらお祭り記事を書くわけにはいくまい。ちったぁ歴史ネタとからめた話題を扱ってみた。

 ご存知の方も多いだろうが、日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークに描かれているのはボールをつかんだ三本足のカラス、いわゆる「ヤタガラス」である…というか、「ヤタガラス」と言われている。ここで妙に後退した言い方をした理由は、当の日本サッカー協会がその公式サイトでシンボルマークについて「ボールを押さえている三本足の烏は、中国の古典にある三足烏と呼ばれるもので、日の神=太陽をシンボル化したもの」と説明しており、「ヤタガラス」の「や」の字もそこに見出せないからだ。僕もてっきり問答無用で「ヤタガラス」だと思っていたからこの説明にはいささか驚かされた。

 さて、この「ヤタガラス(八咫烏)」とはそもそも何者なのか。これについても大会中にいくつかのマスコミで言及があったのでご存知の方もいると思うが、出典は『古事記』『日本書紀』の神武東征説話にある。神武天皇とはもちろん『記紀』が伝える伝説上の初代天皇である。それによれば天孫として日向(宮崎県)にあった神武たちが近畿地方に入ろうと「東征」を起こしたことになっており、摂津(大阪府)からの上陸は地元の豪族・長髄彦(ながすねひこ)の抵抗にあって果たせなかったため、神武たちは紀伊半島の南から回って山地を越えて大和地方に侵攻することとなっている。この時に苦戦する神武たちを天照大神 ら神様たちが応援するため遣わしたのがこの「ヤタガラス」で、彼らを勝利へと導いたことになっている。その一方で地元の酋長たちのもとへ「使者」として遣わされたりもしているから、言葉を話せる人格を持ったカラスであったということになる。だいたいそのヤタガラスの子孫たちが賀茂県主といった人間として後世に存在していることになっているので、これは「カラス」というよりも限りなく人間に近い神様の一種と考えた方が良いんじゃないかという気もする(ある氏族の先祖を動物と考えるトーテム神話の一種ではないかとの意見もある)。「咫(た)」というのは手の親指と中指を広げた間の長さをいうらしく、字面からすると体長が「八咫」のカラスということになる(三種の神器の一つの鏡は「八咫鏡」というが、あれは円周が八咫なのかな?)。なお、『日本書紀』はなぜか「ヤタガラス」を「八咫烏」と「頭」字つきで表記している。

 今回『古事記』本文を読み返してみて自分の記憶のいい加減さを再認識したものだが、実は「ヤタガラスは三本足」なんてことは『古事記』『日本書紀』のどこにも書いてないんだよな(岩波文庫版の注釈には「大きな烏」としか書かれていない) 。「あれっ」と思ったのだが、調べてみるとこのヤタガラスを祭神として祀る和歌山県那智勝浦の熊野三所権現のシンボルマークのヤタガラスのデザインが「三本足」になっているらしく、これが「ヤタガラス三本足説」の由来の一つではあるらしい。日本サッカー協会のシンボルマークの由来がこの神社のシンボルマークにあるのはほぼ「事実」として認定されているものらしく、この神社の氏子だった中村覚之助(1878〜1906)という、日本サッカーの黎明期の人物(東京師範学校時代にアメリカのサッカー書「アソシエーション・フットボール」を翻訳しサッカー普及の端緒をつくったが早世)に敬意を表してこの神社の「ヤタガラスマーク」を採用したのだ、という話である。この話は那智勝浦町のホームページに詳しいが、読む限りは断定の決め手には欠け、「そうなんじゃないかな」という程度の推測の話なんだけどね。
 そしてこの神社のヤタガラスのデザインが果たして『古事記』のイメージするヤタガラスと一致しているのかどうかという疑問もある。僕の感触では、サッカー協会も言うように「三本足のカラス」自体は中国由来のもので、これが「ヤタガラス」とどこかで合成されちゃったんじゃないか、という気がする。

 そもそも神武東征説話にはもう一つ「鳥」にまつわるエピソードがある。これは『日本書紀』のみが伝えるものだが、神武たちの軍勢が長髄彦と戦った際、「金色のトビ」が飛来して神武の弓にとまり、その輝きで敵をひるませた、という話があるのだ。手塚治虫が『火の鳥・黎明編』で邪馬台国、騎馬民族説、そして神武説話を巧みに取り入れた史実推理を行っているが、そこでは神武(この漫画では神武の先祖で天孫降臨した「ニニギ」と同一人物とされている)がこの「金色のトビ」を飼っている描写があった。そのせいもあってか僕もちゃんと調べるまで「ヤタガラス」とこの「金色のトビ」の話がゴッチャになっていたところもある。実際、世間全般でもそんなもんらしい。
 岩波文庫の『日本書紀』の注釈にはこの金色のトビの話に関連してハンガリーの建国神話にやはり王を導く鳥が登場することを紹介している。僕も以前大学でハンガリー史を専門にしていた知人にチラッと聞いたことがあったのだが、ハンガリー最初の王・アルパートが騎馬民族マジャール人を率いてハンガリー平原に入ってきた際、「turul」という大鳥(トビもしくはタカとされる) が現れて進軍に疲れた彼らの軍を励まし導いたという話があり、今でもハンガリー民族統合の象徴としてハンガリーの国会議事堂などにこの鳥がデザインされているという話だ。この手の話はモンゴル、トルコ、ウラル諸族にみられるそうで、いわゆる「騎馬民族説」の根拠にも挙げられているらしい。まぁ人間さして考えることは変わらないという見方もできますが。



◆あの人の下半身を発見!

 ご存じではあろうが、僕は歴史好きの映画好き。そのため歴史ものの映画やドラマにとにかく目がない。歴史上の人物を誰がどんな風に演じ、その人物とその時代がどのように描かれたのか、いろいろと見ては楽しんでいる。とにかく歴史とみなせば古今東西なんの素材であろうと面白くないものはない(映画としての出来がいいかどうかは別問題)。その趣味がこうじてこのサイトにも専門コーナーを設けたりしちゃったわけで。

 さて、歴史ものというと時代劇、と思いがちだが、僕は近現代史、さらには戦争映画なんかもその範疇に加えている。そうした近い時代の人物の中でもっとも多くの俳優に演じられたのは誰かお分かりだろうか。ま、僕もちゃんと確認とったわけじゃないんだけど、それは山本五十六と考えてまず間違いない。「ゴジューロク」ではない。「イソロク」ですからね、念のため。
 山本五十六、言わずと知れた太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官である。太平洋戦争を扱った映画は日米ともに数多く作られているが、その多くに主役あるいはメインキャストとして五十六が登場する。戦後日本で最初に作られた戦争映画「太平洋の鷲」(「ゴジラ」の本多猪四郎+円谷英二コンビの第一作である!)ですでに五十六は時の大スター大河内伝次郎に演じられる主役だった。その後も「太平洋の嵐」藤田進が演じ、さらには三船敏郎が数回演じている。本格映画作品としての最後は「連合艦隊」で演じた小林佳樹ということになると思う。一方の当事者であるアメリカ映画でも五十六は名物男で、僕がみたものではハルゼイ提督を主役にした「太平洋暁に染まる時」で登場したのが最も古く、日米合作の大作「トラ・トラ・トラ!」では山村聡が演じてほとんど主役の観があった。アメリカ建国200周年記念大作「ミッドウェイ」ではまたもや三船敏郎に演じられ登場。なぜか英語を流暢に話す五十六だったりした(笑)。昨年鳴り物入りで公開されボロクソな評価をくらった「パールハーバー」でも日系人俳優マコ・イワマツが演じてたな。当初日本の大物俳優にオファしているとの噂だったけど…

 これら戦争映画における五十六像は日米ともにおおむね好意的、というよりほとんど名将といっていい扱いを受けている。真珠湾攻撃を実行した戦術家であり、なおかつ日本の敗戦を予感し日米開戦には反対し、結局戦死を遂げてしまった悲劇の将、といったあたりがこれら映画にだいたい共通する彼の描きかただ。「リメンバーパールハーバー」を叫ぶアメリカでも彼については「敵ながらあっばれ」という感覚のようで、どの映画を見てもだいたいカッコ良く描かれている。意地悪く言えば「悪役」も渋くてカッコ良い方が最終的にアメリカが勝つ物語として面白いから、なんだろう(笑)。
 ま、さらに言ってしまえば「戦死した」って要素がやはり大きい。古今東西、名将の条件って「悲劇的に死ぬこと」だったりするんだよな。そこそこ活躍して悲劇的に死ぬとかなりの確率で「名将」扱いされてしまうもので、洋の東西を問わず思い当たるところが多いと思う。

 さて、さんざ前フリを長く書いたけど、ニュースな本題はここから。
 6月10日、茨城県阿見町の自衛隊土浦駐屯地内で山本五十六の下半身が発見された。「わーっ!バラバラ殺人事件か!」と慌てた人はまさかいなかったろうな(笑)。もちろん彼の本物の遺体が出てきたのではなく、山本五十六の銅像の「下半身」が見つかったというお話なのだ。
五十六さん、すいません  そもそもこの土浦駐屯地というのは、旧海軍の戦闘機乗りを育てる「予科練」があったところ。「霞ヶ浦航空隊」といえば有名なもんだったらしい。脱線するようだが終戦末期にこの霞ヶ浦航空隊では燃料不足を補うためにイモ焼酎で戦闘機を飛ばすようになり、。このため茨城県は全国有数のサツマイモの産地になった、というのは茨城県人である僕が高校時代に化学の先生から聞かされたかなりウソっぽい「伝説」だ(笑)。もちろん予科練は山本五十六ゆかりの地であったわけで、彼の戦死から8ヵ月後の1943年12月に地元有志により高さ3.6mの五十六像が作られ、予科練のシンボルとして親しまれていたという。
 しかし1945年に敗戦となり、一部の人から「五十六の銅像があるってのは占領軍ににらまれるじゃないか」という早まった声が上がったか(小学校に建ってた二宮金次郎像と似たような話か) 、哀れ五十六像は上半身と下半身に切断され、霞ヶ浦の湖底に沈められてしまう。その後1948年に上半身は湖底から引き上げられ、現在はやはり海軍ゆかりの地である広島県江田島の海上自衛隊第一術科学校に展示されている、とのこと。しかしどういうわけか下半身の行方はようとして知れなかったのである。下半身だけにどっかへ歩いていちゃったんじゃないかと落語みたいなことも噂された…かどうかは知らない。「下半身は別人格」って言葉もあるしな(←こらこら)

 今年、山本五十六の故郷である新潟県(五十六は長岡の人である)のTV局が山本五十六特集番組のために像を処分した地元工務店のご兄弟に取材を行ったことが、下半身発見のきっかけとなった。タネを明かせば簡単なことで、実は下半身の方は上半身とは別に予科練敷地内の土の中に埋められていたのである。埋めたお二人は「どのように処分しても良いと言われたが、像が像だけに埋めることにした」とコメントしているとのこと。お二人の記憶をもとに探したところ、駐屯地内の芝生の下、わずか10センチぐらいのところに埋まっているのが発見されたという。なお、この下半身はヘソの下から足首までで、1.8mあるとのこと。
 僕がどっかの報道で聞いたところでは五十六像の上半身・下半身は実に半世紀以上ぶりに接合されることになるらしい。五十六さん、これでようやく用が足せますね!(←こらこら)
   


◆エウとアウ…?

 なんのこっちゃい、というタイトルであるが。EUとAUの話を無理やり結びつけてみた。
 
 「ヨーロッパを妖怪が徘徊している…」というどっかで聞いたようなフレーズをチラリと思い浮かべたりすることもあったこの一ヶ月。EU各国はこの一ヶ月ほど選挙シーズンに突入しており、その結果はここ10年ばかり統合と移民受け入れを進めてきたEU各国の方向を大きく右旋回しかねないものとなった。そして政策面でも保守主義的、ともすれば極右民族主義と言われかねないものが姿を現してきている。

 ヨーロッパにおける極右の台頭、という言葉が騒がれたのはオーストリアのハイダー 党首率いる自由党が連立政権に参画したあたりからだった。当時ハイダー氏は「ヒトラーの再来」とまでに騒がれ、EU各国から袋叩きにされたものだ。一時オーストリアの国際的孤立などといった現象もみられたが、その後ふっつりとこの件はあまり騒がれなくなってしまっていた。で、気がついたらフランスやオランダ、イタリアなどでEU各国で右派・極右政党が勢力を広げ、オーストリア及びハイダーの方が霞んでしまう有様。そこで存在感アップを狙って、ってわけでもないだろうが、オーストリア下院は7月9日、ドイツ語が出来ない外国人の滞在許可を取り消して事実上の国外追放処分にしてしまう「外国人統合法」を国民党・自由党の賛成多数で可決してしまったのである。
 この法案の発案者はもちろんハイダー氏が前党首だった自由党。1998年以降に滞在許可をとったEUなどヨーロッパ経済圏18カ国以外からの入国者が対象で(ただし企業関係者、技術者、研究者などは例外とされる)、該当する人は「統合合意書」に署名させられ、国指定の語学学校で100時間のドイツ語講座の受講を義務付けられる(費用は半分国が出すが半分は自己負担) 。1年半以上経過しても十分にドイツ語が話せない場合は補助金の減額、さらに経過すると罰金が科せられる。そのまま4年間習得が出来ない場合は滞在許可の更新を受けられず、そのまま国外退去処分ということになるそうだ。「100時間で十分にドイツ語が習得できるのか」という言語学者などからの疑問の声も上がっている上、自己負担率が他のEU諸国と比べて高いなど、かなり露骨に「オーストリア風に染まれない人は出て行きなさい」という趣旨の法律なのだが、自由党は「外国人の社会的権利の乱用防止が目的。オーストリアへの統合を望まぬ者はこの国に長くいるべきではない」と胸を張っているという。「オーストリアへの統合」がドイツ語ができるかどうかで判断するわけですか。習得度をどうやって判断するのか疑問もあるし、ドイツ語ペラペラの非EU人ならあっさり受け入れるのかというツッコミもしたくなるのだが。
 その一方でこの法律は短期の季節労働者(早い話が出稼ぎ)の適用職種の幅は広げて、出稼ぎ外国人の短期滞在には大きく道を開いてもいる。この部分は極右とまではいかない保守系の国民党が紛れ込ませたところあるようで、その背景には低賃金の労働力=出稼ぎ外国人を実は必要としている財界の意向があると言われている。外国人に長期間住み着いて欲しくはないが、短期間の「雇用調整弁」として出稼ぎ外国人を利用したいというわけですな。この点でもかなり露骨な法案ではある。ただ、この辺の感覚は日本でも同様のものが見受けられ、あまり他人事でもない。

 一方、イタリアもベルルスコーニ首相のもと保守系連立政権が成立しており、最近首相自身が人種差別的、あるいはEU離れともとれる発言をして物議をかもすなど、保守傾向を強く見せている。そんなイタリアでとうとうEU以外から入国した外国人に対し指紋押捺を義務付ける法律が成立した。外国人に指紋押捺を義務付けるといえば日本がそれをやっていて「欧米に比べ遅れている」などと批判されたりしていたものだが、ここに来てその人権先進地域であるEUの一角で指紋押捺義務が実施されることになっちゃったわけで…オーストリアを旧ドイツとみなすと「日独伊なんとやら」なんて言葉がチラッと頭をかすめたりして(^^; )。
 そういえば大統領選の決選投票に残っちゃって騒ぎになったフランスの極右政治家のルペン 国民戦線党首も「移民政策については日本とスイスが我々の考えと一致する」などと言っていたものだ。このルペン・ショックのあおりで結果的にフランスの大統領選および議会総選挙は右派系政党の圧倒的勝利に終わり、長いこと続いた大統領と首相を右派と左派が分け合う二重体制にもひとまずの終止符が打たれることになった。
 オランダでも、僕がイギリスに行っている最中に極右政治家の暗殺事件が起こり、それが刺激になってかえって左派勢力が退潮し保守系政権が成立する結果になった。このほかにもデンマーク、ポルトガルなどでも社民系政権から保守系政権への交代現象が見受けられ、「EU右傾化」の傾向は今年に入ってかなり顕著な現象であると言える。まぁここ10年ぐらいEU諸国のほとんどが左派系の社会民主主義政権であり、一気にEU統合の加速、人・モノのグローバル化を進めてきたのでその反動が選挙結果に現れたということだろう。
 もちろん「EU以外から来る外国人」に対する排除傾向の高まりは、昨年の「9.11テロ」の影響が大だろう。あの移民大国アメリカですらアラブ系入国者に対して指紋押捺など規制を強める方向らしいし、外国人の受け入れにかなり寛大なオランダでも、過激なイスラム原理主義指導者が国内のモスクなどを中心に活動し、極端なイスラム至上主義をブチ上げてオランダの法を無視し(イスラム法の方が優先されると主張するそうだ)、テロ活動の温床になっているとの恐れがあると指摘されている。こうした「外国人の一部」ながら実際に存在する過激活動が国民の不安感をあおり、外国人排斥運動に一定の支持を与えていることも見逃せない。

 こうしたEU諸国の「右傾化」傾向に、当初「極右」として袋叩きにされたハイダー氏は大喜びのようで、去る6月9日にハイダー氏は自由党党大会の演説で「右翼ポピュリズムは、市民の声を民主主義に反映させるチャンスであり、欧州にとっての危機ではない」とこの傾向を歓迎し、自らを「ヨーロッパ新右翼ポピュリズムの父」と呼んで支持者の喝采を浴びて悦に入っていたそうな。嗚ー呼。

 
 さて、「エウ」の次は「アウ」、「AU」の話である。もちろん某携帯電話会社とは何の関係も無い。
 7月8日、「アフリカ統一機構(OAU)」最後の首脳会談が南アフリカのダーバンで開催された。「アフリカ統一機構」とは1963年に「アフリカ統一機構憲章」を掲げて発足した、いわば「アフリカ版国連」とでも言うべき組織。アフリカ諸国の人々の生活向上や植民地支配の打破(発足時はまだまだ植民地が多く存在した) を目標に掲げてきた。30年の時を経て植民地支配がほぼ一掃され、懸案の一つであった南アフリカのアパルトヘイト政策(人種隔離政策)が撤廃されたことなどを受けて、1990年代に入るとこの機構をより強力にし、EUのような国家連合を目指そうという意見が出てくる。言いだしっぺがあのリビアのカダフィ大佐であったりするあたりが面白い。それにしてもいつまで経っても「大佐」ですね、この人。
 1999年に提唱されたこの構想は、この7月9日に割とすんなりと実現してしまった。「OAU」は発展解消される形で、「AU」、byKDDI…じゃなくって「アフリカ連合」 が正式に発足することになったのである。各国内の内政には不干渉の方針をとり内戦などを防止できなかった「OAU」に対して、「AU」は加盟国間の紛争における虐殺や戦争犯罪を防止を目指す「平和安全保障委員会」を設置し、独自の平和維持軍を紛争解決のために派遣することもできるようになる。またEU同様に共通の議会、裁判所、通貨の導入を目指すという方針で、50カ国8億人のEU以上に壮大な国家連合構想なのである。

 もちろん先進工業国が多いヨーロッパと違ってアフリカは経済的に貧困、かつ政治的に不安定な国が多く、実現の難航は誰にでも予想されるところ。AUではサミットでも議題にあがったアフリカの経済的自立を目指す「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」 の推進を最優先に進めるとしていて、これは経済自立のためには外国からの投資が必要、そのためには安定した「良い統治状況」が必須、という考えに基づいていて、独裁や汚職などを相互監視で防止する制度などをAU加盟諸国に課している。ただこの「NEFPAD」については結局外国の投資が行く国と行かない国が出てくるから国家間格差が広がるという懸念や、「欧米的な国づくりを想定している」とのカダフィ大佐あたりの批判が出てもいる。
 また、アフリカったっていろいろあるからそれが一つにまとまることが出来るのか、という問題もある。ヨーロッパはなんだかんだ言っても文化的統一性があるが、アフリカは北の乾燥帯のアラブ系国家から赤道直下のモノカルチャー国、鉱産資源はあるけど内戦の絶えない中央部の国々、そして南アフリカのような多少経済的に豊かな国までいろいろとある。「アジア」が全部連合しろっていうのと同じぐらい無理のある話でもあるのだ。特にAUの構想を推し進めたのがカダフィ大佐のリビアに代表される北・西アフリカ諸国と南アフリカで、東・中央アフリカ諸国はそれらの国々に「引きずり込まれた」という印象も受ける。当面事務局はOAU同様にエチオピアのアジスアベバに置かれることになったが、カダフィ大佐はリビアに本部を誘致したい意向だとのもっぱらの噂で、このあたり主導権争いの激化を予感させるところもある。
 前途は当然多難だろうが、EUだってEC発足以来そんなことを言われ続けていたものだ。先述のようにEU以上に多様な世界を含むAUだが、逆に変な民族主義や国家主義の時代を経ていない強みもある。その辺に望みをつないでAUの成功・発展を望みたいものだ。



◆恒例・贋作主要国首脳会議カナナキス編

 2002年の6月、世間がワールドカップだ、ムネオ逮捕だ、ウルトラマンも逮捕だ、とうつつをぬかしているその間に、カナダのリゾート地に八カ国の首脳が集まり恐るべき密談を進めていたのであった…!

加「いやぁ、みなさん、遠いところをわざわざどうも」
伊「ここは静かでいいですねぇ。私がホストだった昨年は周りが騒々しくて大変だったが」
独「サッカーW杯のドサクサに紛れてこのド田舎でサミットを開くという我々の作戦はまんまと図に当たりましたかな」
米「あのテロのあとは反グローバル運動も過激なのはやりにくいらしくってね。“カナナキス”がどこかわかんなくてデモ隊が集まれなかったって可能性もあるけど」
加「…ブラジルに黒人はいるのか、って質問をブラジル大統領にぶつけたあんたじゃ知らないだろうけどねぇ」
仏「それにしても前回と顔ぶれがまったく同じってのも珍しいんじゃない?私は余裕で再選されたけど」
日「へいへい、どーせウチが一番コロコロ変わるんですよ。幸いにして一年持ちこたえましてね。支持率は前来た時の半分ぐらいになっちゃったけど」
米「私はこの一年で猛烈に支持率が上がり、ぼちぼち下がってきましたなぁ…またテロの一つでも起きて戦争になれば」
英「ゴホッ、ゴホン!えーと、世間話はそのへんにして、議題に入りましょうか。いま世界の最大の懸案といえば…」
伊「やはりチケットと審判の問題だな」
仏「前回優勝国が一点も挙げられずに帰国することになるとはねぇ」
米「あ、ウチのチームがベスト8に進んでたらしいね。激励電話かけて初めて知ったけど」
日「決勝トーナメント進出、よく頑張った、感動した!」
露「その進出のあおりでウチは日露戦争の再現だの血の日曜日事件パート2だの大変なことになっちまったが…」
加「ロナウドのあの髪型って“大五郎”とか言われてるけど、『七人の侍』で志村喬が頭につけてたやつにも見えるんだけど、どうでしょうかね?」
英「こら、懸案はそんなことではない!ベッカムの髪型の変化に今後世界がどう対応するのかが問題なのだ!」
独「もう負けたチームのことはどうでもいいわい、あ、決勝戦見に行くから乗せてってね」
日「“お飛行機代”は外交機密費から出しておきましょうか」
仏「えー、来年は私がホストで開催です。来年の議題は「W杯を毎年やれないか」という問題について話し合いたいと思います。来年も同じ顔ぶれがそろってると良いですね。では、みなさんさようなら」

 かくして、W杯騒ぎのスキを突いて行われたこの密談は、結局W杯の話題に終始してしまい、世界は恐るべき陰謀から辛くも免れることができたのであった…。



◆この一ヶ月間の小ネタ特集(その1)

 では、この休載期間中にたまりにたまった小ネタを次回と二回に分けて一挙放出。


◆「謝罪外交」は世界の流れ?
 6月4日、南太平洋の島国サモアの首都アピアで「サモア独立40周年記念式典」 が挙行された。つまり1962年以前はどっかの支配を受けていたことになるわけだが、これが実はニュージーランドの委任統治領だったんですな。サモアはもともとはドイツの保護領だったが、第一次大戦勃発でイギリス連邦の一国であるニュージーランドがこれを占領。終戦後国際連盟の委任統治領、第二次大戦後は国際連合の信託統治領として、約半世紀にわたりニュージーランドがサモアを支配してきた。明白な「植民地」ではないものの、やはり統治時代にはいろいろとあったようだ。
 この記念式典に出席したニュージーランドのクラーク首相は演説の中で「ニュージーランド統治下の不適当な行為によってもたらされたで出来事」 に言及し、政府として公式にサモア国民に対し謝罪を行った。具体的には何があったかというと、1918年にアピア港にインフルエンザ患者の乗る船の寄港を許可したためにサモア内にインフルエンザが大流行してしまい、人口の実に22%(!)が死んでしまったという一件。および1929年に非武装の独立運動家らに対し警官が発砲して9人が死亡、50人が負傷してしまったという一件の二つだ。植民地支配の過酷な歴史から比べれば「ささいな」と思えてしまうところもある話だが、しっかりと謝罪したニュージーランド首相の姿勢は評価されていいだろう。「両国間の関係を強化するためには、和解が必要だと思った」というのがクラーク首相が述べた公式謝罪に踏み切った理由だ。

◆ギャングのボスがまた一人…
 つい先日、「ゴッドファーザー」のモデルと言われたマフィアの大ボス・ジョゼフ=ボナーノが亡くなって話題を呼んだばかりだったが、「ボナーノ・ファミリー」と共に“NY5大ファミリー”と呼ばれた「ガンビーノ・ファミリー」のボス、ジョン=ゴッティが6月10日に服役先のミズーリ州スプリングフィールドの刑務所付属病院でガンのために61歳で死去した。
 ゴッティは1985年に先代のドン、ポール=カスティリヤーノをレストランで殺害してガンビーノ・ファミリーの首領の座に就いたといわれる。しかしゴッティは周到な犯罪計画および陪審員の買収で裁判を切り抜け、「アル=カポネ以来最強のボス」とか「テフロン(傷つきにくい)ドン」などと恐れられたそうで。その一方で派手な着こなしでも知られ「おしゃれなドン」の異名もあった(「ゴッドファーザーPART3」にそんなギャングが出てきたな。モデルなのか?)。しかし1992年についに有罪とされ無期禁固刑に服していた。
 15日にゴッティの葬儀がニューヨーク市クイーンズ区で行われたが、遺族が当初希望していたカトリック教会での葬儀は教会側が「故人の生き方は教会の教えに反する」として拒否したそうで。意外と不寛容だな、カトリック教会も。葬列自体はいかにもヤクザ風の黒塗りリムジンや山車(だし)のように派手に飾り立てた車が100台も並ぶ、まさに盛大なものだったそうな。

◆「奇跡の聖人」?
 上のネタで「不寛容」呼ばわりしちゃったカトリック教会からのネタだけど、このタイトルはちとブラックだったかな(笑)。
 6月16日、カトリックの総本山バチカンで法王ヨハネ=パウロ2世のもと、ピオ神父(1887〜1968年)なる人物を「聖人」の列に加える「列聖式」が執り行われた。このピオさんという人、イタリアではなかなか人気のあるお人のようで、列聖式の日にはサン=ピエトロ広場をカトリック信徒数十万人が埋めたという。
 このピオさんという人だが、南イタリアに生まれて15歳で聖職者の道に進んだ。それが31歳のとき、手のひらに「聖痕」(=十字架にかけられた際にキリストが手を杭で打たれた、その傷痕のこと。あちらでは絵画のモチーフなどにも登場する。恐らく「31歳」というのもキリストの処刑年齢と同じ、ってことなんじゃなかろうか) が現れた辺りから神秘性を帯び始め、その手に触れたら盲目の人の目が見えるようになったとか、この神父の夢を見たら脳膜炎が直ったとか、「奇跡」を証言する人が続々と出現した。バチカンは一時さすがに怪しいとみて彼の聖職者活動を制限したこともあったというが、カトリック信者の間で人気は高まる一方で、ピオ神父の死後になってバチカンは彼の「奇跡」の一部を「本物」と認定した(カトリックっつーのはそういう「奇跡」を認定し権威付けする性格が強い) 。1999年には彼を「高徳の福者」に認定し、さらに今回の「聖人」認定にいたったわけだが、とにかくこのピオ神父の人気ってのは物凄いものらしく、イタリアではいたるところにピオ神父の肖像画が飾られ、この2年間で150冊もの関連本(!)が刊行されてるそうで。その人気がバチカンを後押ししたということらしい。

◆またあなたがアナスタシア!?
 「アナスタシア」は何年か前にアメリカのアニメ映画の題材にもなったりしていたからご存知の方も多いだろうが、ロシア・ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の第4女だ。ニコライ一家はロシア革命後の混乱の中でボリシェヴィキによって全員殺害されたとされるが、アナスタシアだけはその生死が確認できず、その後「実は私がアナスタシアだ」と名乗る女性が何人か登場して話題を呼んだことがある。最近ではアナスタシアもやはり家族と共に殺害されていたということで決着しているのだが、またぞろ「アナスタシア」を名乗る女性が現れて話題を呼んでいるそうで。時事通信の記事によると、彼女は現在100歳で、「ナタリー=ビリハゼ」という偽名を名乗ってグルジアで暮らしていたと主張し、ロシア下院に証拠の提示をしたいと申し出たり、プーチン大統領に書簡を送って「死ぬまでに本当の名前を回復し、皇帝の遺産をロシアのために役立てたい」と訴えたりしているそうな。
 ニコライ一家の遺産は各国の銀行に預けられたままで総額1兆ドルとの噂もあるという。それだけにこの書簡が「遺産」に触れているところなどは、かえってうさんくささが増すところではある。

◆ここで小便するな!
 何をいきなり、と思った方もおられるだろうが、こんなことが奈良時代の木簡に書かれていたとなると急に歴史的価値が感じられてくるから面白い。朝日新聞の6月25日付の記事に出ていた話だが、平城京跡を発掘中の奈良文化財研究所が遺跡から発掘した長さ20センチ、幅5センチの木簡に「此所不得…」と書かれていたのを赤外線をあてて調べたところ、「…」の部分に「小便」の二文字があることが判明したそうな。「此所不得小便」つまり「ここで小便するな」と書かれていたのである。もちろん立小便禁止の立て札としては現時点で日本最古のものだ(笑)。
 同研究所の話によると当時すでに「大便」「小便」という言葉はあり、「作業員たちが建物の解体現場で立ち小便をするため、困った役人が掲げたのでは」とのこと。しかし作業員も漢文読めるぐらいの教養がなくちゃいけないんじゃないかな。それとも教養のある連中が立小便をしていたということなのか。古代のロマンである。

 

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