ニュースな
2002年11月6日

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 ◆今週の記事

◆あちこち首都が物騒な

 当「週刊・ニュースの史点」もこのところやたら中断しがちの上に更新してもなかなか毎週更新になっていない。いっそ「隔週」にしようかと考えたことも無いわけではないんだけど、隔週で「ニュース」を扱うと時機を逸している感じがありありで書いててつまんないんですよね。まぁ世間が大騒ぎしている時期を避けて少し冷めた頃に話題をとりあげられるというメリットもあるんだけど、とにかく可能な限り週刊ペースに戻していきたいと思います。

 さて、10月後半はあちこちの首都あるいはその周辺で物騒な事件が相次いだ。
 まずはアメリカ。ワシントン近郊で起こった無差別連続狙撃事件だ(犯人逮捕後、もっと広範囲であることが分かったが)。10月2日にメリーランド州モンゴメリ郡で男性が射殺されたのを皮切りに2日間のうちに5人が射殺され、それから三週間のうちに合計10人が射殺される事態になり、アメリカ国民は昨年来のテロ以上の恐怖に震え上がった。まったく無関係の二人組が誤認逮捕されたり(中南米系の不法滞在者だったために移民局に引き渡され、彼らにとってはとんだとばっちりであった)、虚偽の通報騒ぎがあったり、「私は神」と書かれたタロットカードや警察向けに現金を要求する手紙を犯人が残すなど、このわずか三週間のうち様々な展開があったが、結局10月24日になってジョン=アレン=モハマドという元軍人と、彼と一緒にいた少年が容疑者として逮捕された。このモハマド容疑者だが陸軍の兵士として湾岸戦争にも派遣され、その射撃の腕によって勲章も受けている(戦場で人を殺せば勲章ものだが市街地で人を殺すと凶悪犯) 。この戦争のあと、すさんだ家庭内の状況からの救いを求めたのかイスラム教に入信しており、それが昨年の9.11同時多発テロをきっかけにアメリカの対中東政策に批判的となり、それがアメリカ社会そのものへの敵意につながっていったということらしい。こうしてみてみると、湾岸戦争、そして9.11テロ、アフガン攻撃さらにはイラクへの攻撃といった一連の流れの落とし子としてこの事件が起こった、と言うこともできそうだ。それにしても彼がイスラム教徒(ややニワカ的とはいえ)だったことでアメリカ国内のイスラム教徒に対する警戒心はさらに高まるんだろうな。

 この事件は容疑者逮捕でひとまずの幕を下ろしたが、この容疑者は犯行を複数の州で起こしており、それらの州の司法関係者が「うちが最初に公判をする」と先陣争いをするという事態になっている。それも「どうしたらこの連中を即座に死刑に決められるか」というアピールで競っているあたりがいかにもアメリカ合衆国だ。アメリカって州ごとに法律が違う連邦国家だからこういう妙な問題も起こるわけですな。
 もともと最初の事件はメリーランド州なので同州司法長官は「ウチが最初にやるのが筋」と主張している。これに対し3人が射殺されたバージニア州が「容疑者たちは死刑になって当然」と知事が会見で述べて、同州の法律に従えば死刑にしやすいことを根拠に「先陣」に名乗りを上げた。なんでもメリーランド州がこの四半世紀に死刑は3件しか行われていない「死刑消極州」であり現知事も死刑執行停止政策を続けているのに対して、バージニア州は同じ四半世紀に86人が死刑になった「死刑積極州」。ウチで裁判した方が早く確実に死刑になるよ、とアピールしているわけだ。これに負けじと(汗)メリーランド州は知事自ら「有罪が確定すれば法にのっとって処罰する」と死刑容認を表明し、また共犯として逮捕された少年についても死刑可能な成人扱いでの起訴に踏み切るとしている。バージニア州も郡単位で事件を審理すると1事件につき1人しか狙撃していないので死刑にしにくいと、3つの事件をまとめて審理できる「反テロ特別法」の適用を検討しているとの報道もある。
 日本でも凶悪事件が起きた際に議論に上るが、近代刑法においては裁判で有罪が確定するまでは容疑者はあくまで「疑いのある人」であり犯人とは扱われない「推定無罪」の原則がとられる。世界に「人権の擁護者」の看板を振りかざしているアメリカで、こうした推定無罪の原則もすっ飛ばした「死刑競争」が行われていることに批判の声も出てはいると新聞では報じられていた。EUなんかは死刑廃止を加盟条件にしているぐらいなんだが、アメリカはやはり西部劇時代を引きずってるんだろうかと思っちゃうところも。銃規制に反対する熱狂にも似たようなところを感じるもんな。


 ロシアの首都・モスクワでも世界を震撼させる大事件が起きていた。一人一人を無差別に狙撃するスナイパーも怖いが、こちらは劇場を丸ごとのっとって数百人を人質にとるというさらに大規模な恐怖だった。これがホントの劇場型犯罪、などと不謹慎な冗談をつい頭に浮かべていたことを自白しておく。
 チェチェン独立運動の武装グループが、ミュージカル「ノルド・オスト(北東)」(ロシア初の本格商業作品とか?)を上演中のドゥブロフカ・ミュージカル劇場のホールを武装占拠し700人以上の観客を人質にしたのは10月23日夜(現地時間)のことだった。占拠したのはモフサル=バラーエフ司令官(28)に率いられた60人ほどの集団で、ロシア政府に対し「チェロシア軍のチェチェンからの即時撤退」を要求した。このモフサル=バラーエフという若者は昨年の6月にロシア軍との戦闘で死亡したチェチェン武装勢力の一つのリーダー・アルビ=バラーエフの甥で、もともと「スレイマノフ」という姓を名乗っていたが、バラーエフの甥として遺志を引き継ぐということでバラーエフの姓を名乗ったとの話もある。また、このおじの方のバラーエフの妹も自爆テロで死んでいるというから凄まじい。
 彼らは爆弾を劇場に仕掛け、また仲間たちのうち何人かの体にも爆弾を巻きつけて強行突入すれば劇場ごと自爆すると脅迫し、マスコミのインタビューにも応じて「モスクワには死にに来た」と覚悟を述べていた。まさに先ほどの悪い冗談どおり「劇場型」の、世界にチェチェンの主張を伝えるためのアピール的性格の強いテロ行動である。本人に聞かないとわからないが(と言ってももはや聞く事もできないが)彼らも恐らくこんなことでロシアがチェチェンから軍を撤退させるとは思っていなかっただろうから(本気でそう信じていたとしたらおめでたいとしか言いようがない)、多分にデモンストレーション的な狙いでこれを決行したのだろう。若者と女性が多いように見受けられたあたりにもそうした性格が出ているように思える。以前NHKの番組でチェチェン紛争で自爆テロを決行するイスラム教徒の若い女性たちの映像を見て強い衝撃(映像を撮った当人の意図とは別の意味で)を受けたことがあるが、こういうテロってだいたい若者が「鉄砲玉」になって、命令を下した奴はなかなか死なないんだよな。

 仮に僕がプーチン大統領の立場だったら…という部外者らしい勝手なことをやはり考えた。やっぱりテロ側との交渉は拒絶して「強行突入、鎮圧」を選んだだろうなと思う。プーチン大統領が強気な対チェチェン政策で支持を得てきたとか、彼の性格とかは置いといて、どんな指導者でもあれでは強行突入をやっただろう。いつ、どのようにやるかだけが問題だったと思われる。一応交渉は行われていて人質も一部解放されていったりもしたが、相手も最初から死ぬ気で来ているだけに人質殺害にとりかかったら突入、というのは早い段階で決まっていたことだろう。人質にある程度の犠牲者が出るのは承知の上、何割かは仕方がないというのがこうした鎮圧作戦の常識らしく、そういえば映画「ダイ・ハード」でもFBIの指揮官が「(人質の犠牲者は)2割ってところかな」などと笑って(!)言うセリフがあったものだ。
 ただ、今回のテロ鎮圧はかなり特殊な方法が使われた。特殊部隊の突入にあたってまずガスを劇場内に注入し、テロリストたちの動きが緩慢になるところを一挙に殲滅する、という作戦だったのだ。これまでにこうした作戦がとられたことはないと思うが、発想自体はかなり上等なものだと言えるだろう。相手は劇場自体を吹っ飛ばす可能性が高いわけで、この「ガス作戦」はうまくやればかなり有効な結果を出すと思われた。
 で、ご存知の通り、作戦は「成功」し、武装グループはバラーエフ司令官を始めほとんど殺害され、突入した特殊部隊に死者は一人も出ず、劇場も吹っ飛ぶことなく人質の多くが解放された。ただし、人質のうち120人もの犠牲者(現時点で)が出るという悲惨な結果でもあった。それもその大半、117人は特殊部隊が放ったガスを吸い込んだためによる死亡であり、当初懸念された武装勢力の銃撃による死者は2人しかいなかったことが公表された(公表しただけでも以前のソ連・ロシアに比べりゃ大変な進歩だが) 。どういうガスを使ったのかあれこれと詮索されているが、どうも察するに「思いつきは悪くなかったがガスの性能を読み誤った」というあたりが真相なのではなかろうか。プーチン大統領は人質に多くの犠牲者が出たことを国民に謝罪し、この日を国民の服喪の日とする発表を行ったが、このプーチン大統領の強行突入の決断についてロシア国民の85%が賛成しているとの調査結果が出ていた。
 ロシアでは突入直後の劇場内の、まだ遺体もひしめいている生々しい現場の映像をTVで流したそうだが、それに関して気になる情報も流れている。バラーエフ司令官の遺体の手に、洋酒のビンが握られていたと言うのだ。さすがに日本ではそうした映像はTVに流れないので、僕は毎日新聞の記事に何気なくそのことが書かれていたのを目にしている。その直後、「あれはロシア特殊部隊の“演出”らしい」との報道が一部で流れてきた。イスラム教徒は基本的に禁酒であるはずで、バラーエフが「敬虔なイスラム教徒ではない」とイスラム教徒に見せるために遺体に酒ビンを握らせたのではないか…というわけだ。確かに、やりかねん。

 この事件が「解決」したってチェチェン問題がなくなるわけでは全くない。直後にチェチェン武装グループの最高幹部の一人バサーエフ司令官が独立派のHPで「仕掛けられた戦争への報復」と事件への関与を認め、「次は敵に最大限の損害をもたらす」 とさらなるテロを予告していた。その一方でロシア軍もさらにチェチェン武装勢力への攻勢を強め、またまた泥沼の状況になりつつある。…以前、チェチェン武装勢力に日本の元自衛官が加わっているという報道があり、その後彼が山中で足をくじいて戦意を失いロシア軍に捕らわれたとの続報があって、なんとなくガクッと来たものだが、そのぐらいの「だらしなさ」も大切なんじゃないかって気もしてきた。


 そして日本の首都・東京では。現役の国会議員が白昼刺殺されるというとんでもない事件が起きていた。
 10月25日の午前10時ごろ、民主党所属の石井紘基参院議員が自宅を出ようとしたところを、一人の男が無言で近寄り、石井議員を刃物で数ヶ所刺した。石井議員は病院に運ばれたがほぼ即死だった。犯人は逃走したが二日後に警察に出頭、以前から石井議員の事務所に出入りしていた右翼政治団体(といっても構成員は彼一人だったらしい)構成員の伊藤白水であることが確認された。以前から石井議員に情報提供する一方で金を無心しており、最近石井議員から相手にされなくなって家賃も滞って下宿先も追い出され、石井議員に強い恨みを持っての犯行であったという。

 現役の国会議員が殺害されたケースは戦後でもこれが三度目と、この国では非常に珍しいことだ。有名なのは1960年に、当時の社会党委員長・浅沼稲次郎 が演説中に飛び込んできた右翼少年に刺され殺害された事件だ。その瞬間の映像も残っており、戦後史の記憶に残る一場面としてしばしば紹介されている。当時、東西冷戦の真っ最中であり、日本でも自民党vs社会党という構図で激しい左右対決が戦われていた。「ブルドーザー」とあだ名される強烈な個性で国民にも人気のあった浅沼委員長に率いられた当時の社会党の勢いが、この暗殺により一気に萎んでいったことは否定できず(平成に入って政権をとったころには断末魔が始まっていた)、結果的にかなり政治的影響の大きい殺害事件となっている。この犯人の右翼少年は拘置所内で自殺しており、背後関係は全く追及できないまま終わっている。
 もう一例は、僕も全然記憶に無かったのだが、1990年に丹羽兵助元労相が、どういうわけか病院から外出していた精神病患者に刺され、入院先・転送先の病院で違う血液型の輸血をされて12日後に死亡したというケースがある。今度この記事を書くために初めて当時の報道を調べたのだが(どうも当時僕はまるっきり関心がなかったようで記憶がホントにない)、なんだかえらく不自然にも感じる事件ではある。
 そして今回の石井議員。この人の名前は、以前映画「バトルロワイヤル」の公開中止を求める運動をこの人が中心になって展開していたので覚えがあった。深作欣二監督との直接対決を見た限りでは決して映画文化に造詣の深い方ではないな、さらに言えば権力で文化抑圧して構わないと思ってる節すら感じるなという程度の認識は持ったが…その後、現在道路公団の議論で集中砲火を浴びている観のある猪瀬直樹 氏の文章などで、国会議員の中では道路公団などの特殊法人の問題を早期にとりあげた人物であるということを知った。民主党内では官僚主導・税金無駄遣い政治の追及などに熱心で盛んに活動していたらしく、最近では闇金融関連にまで首を突っ込んでいたらしい。今回の「暗殺」はその筋じゃなかろうかとも噂されている。猪瀬氏などは実際ご本人も身の危険を感じるところがあるようで石井氏の「暗殺」は特殊法人関係で何か情報を握っていたからではないかと見るコメントをされていて、この事件が「食い詰めたチンピラ右翼の逆恨み」で片付けられることに危惧を抱いているようだった。政治陰謀ものフィクションではよく重要な鍵を握った人物がつまらない人物に「消され」て、重大な疑惑が闇から闇へ葬られるってのがあるが…確かにこの容疑者も一撃必殺の勢いで襲っているし、手裏剣(!)まで持参していたというから、逆恨みにしてはえらく念が入っているように思われるんだけど。

 僕は時々昭和初期、日本が結果的に破滅する方向へ向かっていった時代をいろいろ調べてみることがある。そこに今の日本と重なるところ、あるいは全く異なるところを探っていくのだが、日本が国民レベルでおかしくなっていく一つの前触れに「政治家の暗殺事件で、暗殺者側を評価し被害者を悪人扱いする」という現象があるように感じている。犬養毅 首相が殺害された「5.15事件」の辺りから特にその気配を感じて、今日でも、例えば先ごろ国民的悪役扱いされた政治家の何人かが仮に「暗殺」された場合、似たような現象が起きたら日本は終わりだな、と思っているところがある。今回の石井議員がそれほどの大物であったかは別として、久々の「政治家暗殺」のニュースに背筋が冷える思いをしたのは事実である。



◆核なる上は…

 もう北朝鮮関連ニュースはもう食傷気味、という人が少なからずいると思う。かく言う僕もややそうだし、僕の父などはTVのニュースがその話題になるとチャンネルを即座に変えている(笑)。まぁなんだかおんなじような話題を延々と続けているところも多いのは事実だが。でもやっぱり気になる点は多々ある。
 日本ではどうしても拉致問題が最大の関心事で、拉致被害者五人が帰国してからというもの連日のようにその動向を報じ、その永住帰国やその家族の日本への「帰国」をどうするかで騒いでいる。もちろんこれはこれで重要事だが、僕などはどうしても、この間に北朝鮮がちらつかせた「核兵器」の問題が気になるところだ。世界的にもこっちの方が高い関心を呼んでしまっているところだろう。

 日朝首脳会談が行われて北朝鮮側が拉致を認めて謝罪、「平壌宣言」が調印された直後、アメリカのケリー国務次官補が特使として北朝鮮に入っていた。そして約2週間後の10月16日になってアメリカ政府はこの特使とのやりとりで北朝鮮側が「核開発を進めている」ことを認めた、と発表したのだ。どういうわけか公式発表の直前に訪米中の橋本龍太郎元首相にこの事実がアメリカ政府筋から打ち明けられ、この時点で公にされたのだが…。
 その後断続的に出たアメリカ側の発表によれば、3日に行われた米朝交渉でアメリカ側が「北朝鮮が核兵器開発のためのウラン濃縮計画を進めているとの情報がある」と切り出したところ、北朝鮮は初めこれを否定したが、アメリカ側が北朝鮮がウラン濃縮のための機器(遠心分離機と推測されている)を購入しているとの証拠を突きつけたところ、北朝鮮側が数年前からウラン濃縮計画を進めていたことを明らかにしたという。
 北朝鮮が核開発を進めている、との話が出たのは何もこれが最初ではない。先代の指導者・金日成の晩年にも核開発疑惑が持ち上がり緊張が走ったが、この時は先ごろノーベル平和賞受賞が決まったカーター元大統領が北朝鮮に乗り込んで交渉し、やがていわゆる「米朝枠組合意」、アメリカなど各国が北朝鮮のエネルギー不足解決のための軽水炉(核兵器への流用は難しい)を建設し、その間重油を供給してあげるのと引き換えに北朝鮮側が核開発を停止するという約束が決まった。それでKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が作られ、軽水炉建設が開始されたわけなんだケド(すいません、ついつい) …今回の北朝鮮の「白状」は、そうした国際的な約束を北朝鮮が完全に反故にして密かに核開発を続けていたことを明らかにするものだったのだ。実のところ、僕は拉致問題よりこっちの方が頭に来たし、恐怖を覚えたものだ。ホントのところ早期にここの政権を解体する必要を感じてしまった。

 アメリカに「証拠」を突きつけられたとはいえ、表向きしらばっくれる手もあったろうに北朝鮮側が「核開発」をなぜ認めたのかについては世界中でもいろいろと見方が出ている。毎度ながらこの国の政府のやることはホントに良く分からない。「核開発をやっている」とは認めたものの、「米朝枠組み合意は遵守している」と屁理屈をいい(プルトニウム抽出はダメだがウラン濃縮だOKという解釈らしい)、むしろ軽水炉建設を遅らせたり「悪の枢軸」呼ばわりするなど「合意」を破ったのはアメリカのほうだという主張もしている。「核兵器を持っている」とは明言せず、それでいて「核兵器を持つ権利はある」と主張し「持てる」ことをチラつかせる。これまでにもいろいろとしたたかな外交手腕を見せてきたこの国だが、さすがに核を弄ぶようになるとかなり危うい綱渡りだと感じざるを得ない。そのことで何を引き出そうとしているんだか…したたかさと幼稚さ、これが同居しているのがこの国の不思議なところだ。
 ただ、この間のアメリカの動きも読みにくい。北朝鮮の「白状」を受けて約二週間沈黙していたあたりは何かと強硬な姿勢を見せるブッシュ政権内でも対応についてもめた気配を感じる。少なくともイラク相手やアルカイダ相手の時よりは押しが強くない。結局ブッシュ大統領の判断で「合意破棄」を決め(公式には表明しないが事実上そうという妙な状態)、北朝鮮に対し核開発中止を求める姿勢を見せたが、現時点では他の各国とさして温度差の変わらない「平和的外交で解決」という態度を保っている。ラムズフェルド国防長官が「北朝鮮は核兵器を1、2個持っている」と言ったりミサイル防衛計画担当の高官が「北朝鮮はミサイル開発を続けている」と言ったりするあたりは、かなり国内政治的な思惑を感じないではないが。
 
 先日中国の江沢民主席がアメリカを訪問し、テキサスのブッシュ大統領個人所有の牧場で会談を行った。この牧場に招かれた外国首脳はイギリスのブレア首相、サウジアラビアのアブドラ皇太子、ロシアのプーチン大統領しかいない。アメリカとしては最大級の待遇で中国首脳を招いたわけだ。今にして思うと米中軍用機衝突騒ぎなんてのもあったなぁ…と思ってしまうほどの関係深化ぶりをアピールしていた。今回の訪米は直後に開かれる中国共産党大会で一応の引退が決まる江沢民主席にとっては最後のトップ外交ということになり、セレモニー的な性格が強かったようにも思えるが、やはり北朝鮮の核問題は双方にとって重大な問題として話し合われたと思う。
 もちろんその内容は表に出てこないけど…ひょっとして、と思うのだが米中で北朝鮮の金政権の「解体」というプログラムが話し合われていたかもしれない。そういう話も出そうなほど双方にとって北朝鮮の「核」をオモチャにした瀬戸際外交は見ちゃいられないものになっていると感じる。よく「中国はアメリカに対する防波堤として北朝鮮政権を維持しようとしている」という冷戦構造そのまんまの論法を聞くが、その防波堤が自らの意思でヘンなことをしはじめては中国としてもたまったものではあるまい。米中お互いにとって、あの危なっかしい国家体制をソフトランディングで解体させることが一番いい、という判断が出てくることは自然なことだと思う。江沢民後の中国新指導部の中で、もうそのプログラムは始まっているかもしれない。
 


◆どこの馬の骨だか知らんけど

 「あんたはキリストかい?」「イエス」
 たぶん、日本でしか通用せんのだろうな、こういうオヤジギャグは。

 イエスという人物、下手すると世界史上最も有名な人物なのかもしれんけど、こういう人が実在したという物的な証拠はない。もちろんその存在を疑っている人もほとんどいないけどね。ナザレの大工の息子で30歳前後から説教を始め、1年ちょっとの活動ののち十字架にかけられて刑死したイエスという人は確かにいたのだろう。脱線話になるが、映画「ベン・ハー」の最初の方でお父さんの大工ヨセフに近所の人が「息子はどうした?」と聞くとヨセフが「“父”の仕事をすると言って丘に行ってる」と答え、「してないじゃないか」とツッコミを入れる、ちょっとしたギャグ(?)シーンがあったっけ。

 CNNのサイトで見かけたのだが、「イエスの兄弟の骨箱発見?」という話題がちょっとした注目を集めている。フランス・ソルボンヌ大学で教鞭をとる古代文字専門家のアンドレ=ルメール氏がエルサレムの収集家が同地の古美術商から買ったという古い時代の石灰石の箱(縦約50cm、横約30cm)を見せられたのだが、それは西暦63年に作られた骨箱で、表面にアラム語(当時この地方で一般的に話されていたと言う)「ヤコブ、ヨセフの息子、イエスの兄弟」と刻まれていることが確認された。つまりヨセフの息子でイエスの兄弟のヤコブさんの骨を納めた箱だというわけだ。
 新約聖書によればイエスの弟さんにヤコブさんという人がいたことになっており、父・兄・弟の三者関係が見事に「あの人」の家族に符合することになる。もちろん、ヤコブもヨセフもイエスも当時のヘブライ人にとってはありふれた名前で(聖書読んでいてもイエスはともかくヤコブ、ヨセフは何人も出てくる。お母さんのマリアもそうだな)、偶然同じ名前・家族構成になった可能性も否定は出来ない。実際ルメール氏の試算に拠れば当時4万いたエルサレムの住民のうちに同じような父・兄弟を持ったヤコブさんは20人程度いたとされる。だが、骨箱に父の名はともかく兄弟の名前をわざわざ書いたケースは、これまで発見された数百個の骨箱のうちたった2例しかなく、それも兄弟が有名人であった場合であったという。「イエス」という有名人を兄弟に持ったヨセフの息子ヤコブさんはほぼ一人しかいないのではないか…とルメール氏は推理するわけだ。このヤコブさんが西暦63年に亡くなったと考えられることもイエスの兄弟の没年としては妥当なところだ。イスラエルの政府研究機関の鑑定によって、この骨箱が確かに1世紀ごろに作られたものであることは確認されたと言う。
 となると、いよいよこれは本当に「イエスの弟のヤコブさん」の骨箱である可能性が高くなったわけで、ひいてはそれはイエスの実在を証明する初めての物的証拠ということにもなる。まぁさすがに都合が良すぎる話であるのも確かで、専門家の間でも賛否両論というところらしいが、結局のところは「決め手を欠く」というところで落ち着くのかもしれない。
 このニュース、続報がある。この問題の骨箱をイスラエルが4ヶ月間の貸与を認めて、カナダはトロントののロイヤル・オンタリオ博物館で展示するべく移送されたのだが、その移送中に何らかの事故があったらしく、博物館に到着したときすでに「破損」していたと同博物館が11月1日に発表したのだ。どの程度の破損かは公表されていないのだが、ヤコブさんの霊もおちおち安らかに眠っていられない、というところ(笑)。
★追加情報★
その後、この「ヤコブの骨箱」はまったくの捏造品であったことが判明、この「骨箱」をはじめ聖書がらみの「遺物」を数多く製造し売りさばいていた業者ら5人が2004年末に起訴されている。本職の研究家も混じっていたそうで、多くの専門家が騙されたのも無理はないほどの精巧さだったみたい。



 さて、もうお一人のお骨の話を。こちらもクリストファー=コロンブスというビッグネームである。ご存知、大西洋を突っ切ってインドに行こうとしてカリブ海の島々に到達してここを「西インド諸島」と名づけてしまい、未知の大陸を見つけておきながらアメリゴ=ヴェスプッチに大陸の「発見者」の名声と大陸の名前をかっさらわれてしまった、まぁいろいろと波乱万丈の人である。
 1506年にスペインで死去してからもこの人はなかなか落ち着けなかったようで、いったんスペイン北部のバリャドリッドに埋葬され、その後セビリアに改葬され、さらにその後1537年になって本人の生前の希望に従って自らが「発見」したイスパニョール島(現在ハイチとドミニカがある島)に埋葬しなおされた。
 ところが、約250年後の1795年にこのイスパニョール島がスペイン領とフランス領に分断されることが決まり、コロンブスの遺灰はスペイン側が当時スペイン領だったキューバのハバナに移してしまった。ところがところが、さらに約100年後の1898年にスペインがアメリカとの戦争に負けてキューバを手放した際にコロンブスの遺灰はまたも掘り起こされスペインに移送されまたセビリアに埋葬されることになったという。死後も波乱万丈です、この人(笑)。
 しかし、このキューバからお骨が移転する少し前の1877年。ドミニカのサントドミンゴの教会の近くで「偉大なる男、ドン・クリストバル・コロン」と書かれた小箱に入った骨片が見つかった。ドン=クロストバル=コロンとはコロンブスのスペイン語読み(「コロンブス」は英語読みで、母国イタリアではTVドラマで高名な刑事と同じ「コロンボ」である)。ドミニカではこの骨こそが本物のコロンブスの骨だと認定し、大聖堂に丁重に納めた。キューバへいったコロンブスの遺灰は間違われたものであろうというのがドミニカ側の見解だ。このためコロンブスの骨・墓が二箇所にあるという妙な状態になっちまったのである。

 そんなこんなの歴史があり、21世紀に入った今も「コロンブスの骨」論争は続いていた。どうでもいいじゃんか、と思うところもあるが、やはり「本家・コロンブスの墓」の観光資源価値の観点なんかも絡んでいるんでしょうね。そしてついにドミニカ共和国政府が去る10月21日に専門委員会を設置、コロンブスの遺灰、遺骨とコロンブスの息子や兄弟の遺骨などをDNA鑑定にかける方針を決めたのだそうで。
 ドミニカ政府としては自国にある「コロンブスの骨」が鑑定の結果偽物だと分かった場合にも、スペイン側に「コロンブスの遺志を尊重してハイチに遺灰を返還せよ」と要求する予定だそうで(笑)。コロンブスさんの霊もおちおち安らかに眠れません。



◆中断中こぼれネタ集2

 はい、ではまた参りますか…いい加減このスタイルやめたいんですけどねぇ。


◆昭和天皇・マッカーサー会見続報
 前々回でとりあげた昭和天皇マッカーサーの会見の話だが、その第一回会見(1945年9月27日)の記録が、2002年の10月17日に外務省から公開された。注目はやはりマッカーサーが回想録で記している、昭和天皇がマッカーサーに対して「私は、戦争中に決定されたすべての政治的、軍事的決定とわが国民がおかした行為について全責任を負う者として、貴下が代表する連合国の判断に私自身をゆだねるために、ここに参りました」と述べて彼を感動させたという話が真実なのかどうか、ということだった。25年前に作家・児島襄氏が当時通訳にあたった人物のメモに基づく会見内容を公表した際、この天皇の戦争責任に関する発言部分が全く無く、「これはマッカーサーの創作ではないのか」という疑惑が持たれていたのだ。
 で、今回外務省から公表された記録に問題の「発言」はやはり記録されていなかった。昭和天皇が戦争責任に触れている発言は「此の戦争に付ては、自分としては極力之を避け度い考で」と言っているあたりしかない。なんのことはない、今回公開された記録も四半世紀前に児島氏が公表したものとほとんど変わらない代物だったということなのだ。しかし例の発言の有無はまだ決着したわけでもない。これについては二つの見解に分かれており、「やっぱり言ってなかった。マッカーサーが占領政策のために創作したのだ」とする見方と、「いや、責任発言、あるいはそれに近いことは言ったのではないか。裁判上まずいのでカットしたんだ」とする見方とが出て、結局決着はついていない。僕の見る限りでも双方それなりに説得力があるんだよね。
 なお、外務省とは別に宮内庁もこの会見の記録を所持していて「ひょっとしてそっちには書かれているのでは?」との期待もあったが、直後に宮内庁が「おんなじ内容の物を非公開にしてもしょうがないし」と公開に踏み切り、やっぱり同じ内容だったので結局確定は出来ないのであった。これも今後歴史ミステリーの一つになるんだろうなぁ…。


◆イタリア王家お家騒動!?
 「え?イタリアに王様いたっけ?」と思う人もいるだろう。もちろん現在イタリアは王制を廃止した共和国だが、第二次大戦の直後に国民投票で廃止を決めるまではサヴォイア王家が王位を継承する、割と王権の強い王国だった。この王家が間接的にではあるがムッソリーニのファシスト台頭を許したということで国民投票で王政廃止が決まり、最後の国王ウンベルト2世は王位剥奪の上国外追放され、その直系男子すらもイタリア入国を認めないと憲法に明記されてしまうという、かなり厳しい措置がとられている。
 このウンベルト2世の息子さん、ビットリオ=エマヌエーレさん(やっぱりこの名前なんですなぁ)の入国を認めてあげてもいいんじゃないか、との方針を現在の右派系政権が示し、憲法の入国禁止規定も改正してようやく帰国が実現するのでは、との話題を以前「史点」でも書いたことがある。ただし帰国には条件があった。王政復活などを企てないよう、ビットリオさんがイタリア共和国に対し忠誠を誓うことが条件として出されたのだ。ビットリオさんは今さら王政復古でもあるまいとこの条件を飲むことにしていた。
 ところが、である。このサヴォイア家の私的諮問機関「王家のための元老審議会」なる支持団体が、ビットリオ氏から「王位継承権」を剥奪し、曽祖父同士を兄弟とする親戚のアメデオ=ディ=サボイアさん(この人はイタリア国内在住)に王位継承権を与える、と発表したのだ。読売新聞の記事によると、この「元老審議会」と共に活動する「イタリア王政支持者連合」って団体もあって、こちらの事務局長に取材したところ、「ビットリオ氏が帰国実現のための憲法改正に焦るあまり、イタリア政府の要請に応じて共和国に忠誠を誓ったことが許せん、ということ」とのお話だったと言う。王政復活を目指すこれらの団体にとってビットリオ氏は「裏切り者」ということであるようだ。
 いきなり「王位継承者」の地位が転がり込んできたアメデオ氏の方はマスコミに対しこれを受け入れる旨を表明しており、あまつさえブルガリアの元国王シメオン2世が首相になった例を引いて政界進出にも意欲をみせているとか。おいおい。


◆東南アジアと東アジアと
 マレーシアのマハティール首相と言えば何かと話題になる有名人。「ルックイースト」を唱えて特に日本に学べという意見を唱え(韓国も含むんだけどね、これ)、太平洋戦争についても日本に理解を示すようなことを言うもんだから日本の右派層にファンがいたりするが、同時にこの人、中国の江沢民朱鎔基コンビを絶賛したり、東南アジアいちの北朝鮮との友好国だったり(先日の日朝交渉がここで行われたのはそのせい。ホテル代まで出してやったとか。金正日総書記個人とも仲がいいという話もある)、反グローバル姿勢と人権問題でアメリカににらまれていたりとまぁそう単純には語れない人。反欧米姿勢のアジア主義という点では一貫してるんだけどね。最近は引退を表明し、物寂しい気もするが…。
 この人が先日(10月10日)、韓国経済についてのフォーラムで「日本は西洋かぶれして労働倫理や勤勉さを失い失敗した。そのような誤りを避けるためにも日本を見守る必要がある」という趣旨の発言をしたことが報じられた。その「西洋かぶれ」の表れとして「日本の若者の頭がみんな金髪になってる」ということを挙げていたのが興味深い。「と学会」の本で紹介されていた、日本マクドナルドの社長さんの「ハンバーガー食っていずれ日本人はみんな金髪になる」という予言(?)と呼応するみたいで面白い。マハティール首相は韓国については「非常に愛国主義的で自らの文化や特質を保持している」と絶賛、近ごろ経済危機から立ち直った秘訣をそこにみたとしている。そのせいかどうか、マハティールさん愛国主義を育てるために韓国同様徴兵制を導入するとか口走っているらしく…今どき妙な愛国主義ははやらないし、マレーシアみたいな多元国家はそうはいかんと思うのだが。
 このマハティールさんであるが、やはり中国の経済発展ぶりを賞賛し、「ルックイースト」に中国を加えるということも良く言っているらしい。

 関連する話題なのだが、10月はじめにタイのタクシン首相がバンコクで行った講演の中で、「日本のODA(政府開発援助)にタイは関心を持っていない」と発言、日本とは援助国と被援助国という関係ではなく対等のパートナーになりたいと表明したとか(元ネタは日経新聞記事)。またそれに先立ち、小泉首相に対して「無償資金協力はラオスやカンボジアなど、もっと困っている隣国に与えて欲しい」と申し出ていたことも明らかにしたという。
 この日経記事では最近ODAを巡って、日本側企業が受注した円借款事業をタイ側が翻して日本側とギクシャクしていることをこの発言の背景にみるようなことが書かれていた。以前僕も小耳に挟んだことがあるのだが、ODAってやつは実は日本側の商社やゼネコンにかなりのお金が落ちる仕掛けになっているそうで(これは賠償ビジネス以来の伝統だな)、僕の父が勤める会社にタイからODA事業に絡んでどれくらいカネがかかるものなのか直接調べに来たことがあって驚いたことに商社の言いなりになってとりかかっていたら三倍の予算がかかるところだったことが判明したという(つまり本来の予算の倍額が商社に転がり込むところだった)。そんな話を身近で聞いたものだから、このタイ首相の発言はなんとなく分かる気がする。対中ODAの話もよく話題になるけど、ODAってやつもなかなか…
 とかいうネタを書いていたら、中国の朱鎔基首相が東南アジア歴訪の中でカンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーに対する借金を帳消しにすることを表明していた。自由貿易協定やら対テロなどの安全保障など、気が付くとズルズルとASEAN諸国と中国の結びつきが強くなってきているような。


◆地球生物初の宇宙旅行は…
 前回のアポロネタに続く宇宙開発秘話。
 人類で最初に宇宙に出たのはソ連のガガーリンだが、その前に実験として犬と猿が打ち上げられている。その次がキジならば完璧だったのだが(何が)、ともあれ地球生物で初めて地球を飛び出したのは、「スプートニク2号」に載せられたライカという種類の雑種犬だ。
 スプートニク2号が打ち上げられたのは1957年11月のこと。なにせこれにたった一ヶ月先立つスプートニク1号が人類初の人工衛星なんだから、このライカ犬を生きて回収するなんてことはソ連宇宙開発チームは最初から考えていなかった。ただ10日分の食料と酸素を積んでやっただけの死への片道宇宙旅行だ。そして打ち上げ後一週間ほどライカ犬は生きていたと、これまではされてきた。だが、当時はまだ宇宙船の温度調節が不備であり、打ち上げ後の温度上昇でライカ犬はすぐ死んだんじゃないかとの指摘は専門家からあがってはいたそうだ。
 先月アメリカのヒューストンで開かれた国際会議でモスクワ生医学研究所のディミトリ=マラシェンコフさんが論文で発表したのは、「ライカ犬は打ち上げ後、パニックのために5〜7時間で死亡した」という説。これまでにも指摘されていた温度上昇の問題などの線に沿った研究らしいが、僕が読んだCNNサイトの記事ではそれ以上詳しい話は載ってなかったので詳細は不明。ともあれ、これまでの中で「最短」のライカ犬生存期間説だ。どっちにせよ、ワンちゃんには迷惑な話だったろうなぁ。


◆ホームズ、英国王立化学会の名誉会員に!
 これもCNNのサイトで読んだものだが、イギリス人流のジョークで気に入ってしまったんでとりあげる。
 10月16日、イギリス王立化学会はシャーロック=ホームズ氏を「物語上ではあったが、事件捜査に科学的手法と合理的思考法を導入した先駆けだった」として名誉会員に加えることを発表した。なんでこの時期に、といえば作者コナン=ドイルがナイトの爵位をもらってからちょうど100周年だから、ってことだそうだ。授与式は地下鉄ベーカー街駅の前に立つホームズ像の前で行われたそうで(知ってる人は多いと思うけど、ベーカー街221Bという住所は実在しないため)、五月にまさにそこを訪問した僕はニヤリとしてしまうところ。その近くでインターネットカフェ見つけて自分の掲示板に書き込んだりしてたっけな。
 授与式には王立化学会員にたまたまいた、ホームズの親友と同姓同名のジョン=ワトソン博士と、「バスカービル家の犬」に登場したマスチフ犬も出席したそうで、芸が細かい(笑)。


2002/11/6の記事

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