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2002年11月16日

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 ◆今週の記事

◆イラクなんでも…

 日本では北朝鮮がらみの大騒ぎで忘れ去っている観もあるが、やはり世界の注目は親分アメリカ様が攻撃をかけようと躍起になっているイラクの動向である。北朝鮮も相当にヘンな政権であるが、イラクも相当にヘンなのはまぁ客観的に見て事実ではある。

 やや古いニュースになってしまうが、10月15日、イラクではフセイン大統領を信任する国民投票が実施されていた。イラクでは大統領の任期は7年と決まっているそうで、1995年以来の国民投票である。もちろんフセイン現大統領以外の候補者が出るわけではなく信任するか否かを投票するだけなのだが、事実上「不信任票」を投じることは出来ない仕掛けになっている。前回では99.96%の賛成で信任という、とんでもない数字をたたき出しているが、今回はアメリカとの開戦を目前にして「100%の信任を出せ!」と大々的な動員がかけられ、結局それは達成されてしまった。投票の翌日にフセイン政権は「100%の賛成で信任を得た」と発表し(投票率自体は97%程度だったみたい)「アメリカが戦争に出れば、イラクの村々、家々がすべて武器をとって戦う」と国民の結束を強調していた(確かに何やら戦中日本に似ている気がする)。この記者会見で外国マスコミから「民主主義がないってことなんじゃ?」とツッコミを入れられると、「イラクにはフセイン体制への反対勢力はない。これがイラク国民の意思だ」イブラヒム革命指導評議会副議長は述べたと言う。
 翌17日に行われた大統領就任宣誓式でフセイン大統領は涙目の表情で宣誓を行い、「国民の忠誠に感謝する」と語った。そして40分間にわたる演説のほとんどをアメリカの批判に費やし、アメリカを「暴君」「悪の道を進んでいる」「イスラエルの操り人形」とののしり(「悪の枢軸」と言われた仕返しだわな)「これはもはやアラブだけの問題ではなく、世界平和を脅かす悪との戦いだ」としてアメリカとの戦いを正義の戦いと規定し「血塗られた道はさらなる流血につながる」 とブチ上げていた。「鬼畜米英」「撃ちてしやまん」「欲しがりません勝つまでは」「ガソリンの一滴は血の一滴(自前で持ってるあたりは違うが)」「進め一億火の玉だ(イラクの人口は知らないが) 」!みんなイラクに「輸出」できそうだな(笑)。その一方でフセイン大統領はイラク攻撃に反対、もしくは消極的な姿勢をしめしているヨーロッパ諸国に「アメリカへの助言と指導を」と呼びかけたり、「アメリカには政策の再考を求めている」と言ってみたり、「反体制派も、過ちを認めれば許される」と言ったりもしたそうで、強がる一方でチラチラと攻撃回避への姿勢も匂わせている。ところであの宣誓式でふりかざしていたあのでっかい刀はなんなんでしょう。

 フセイン大統領の演説でも言及されていたが、100%の信任にも関わらずイラク国内の反フセイン派というのは確かに存在する。もちろんそれがそれほど大きなものではないのも事実で、湾岸戦争の際に当時のブッシュ父大統領はそれら反フセイン勢力がフセイン政権を打倒すると考えてイラク本土突入を思いとどまり、結局当てが外れてフセインより自分の方が先に大統領職を下りるハメになってしまったという経緯がある。だから息子のブッシュ現大統領は親父の仇討ちとばかりにフセイン政権打倒に躍起になっているわけだが…。
 この反フセイン派も一枚岩ではなくいろいろと複雑な構成になっているようだ。8月にこの反フセイン派がドイツで大使館を占領するなど妙な動きを起こしていたが、これもそうした中の一派が国際的アピールを狙って起こしたものと見られている(あんまり話題にならなかったみたいだけど)
 先日、ブッシュ政権がフセイン政権打倒後のイラク統治について「日本の戦後占領政策」をモデルにしようかと考えているとの話題があった。こんな発想が出てくる辺り、やっぱり軍国日本とフセイン政権って似てるんじゃなかろうかと思えたりもするのだが、少なくとも多くのアメリカ人の目にはそう映っているのだろう。これについてそのイラク国内の反体制派の最大組織「イラク国民会議」の代表シャリフ=アリ=ビン=アルフセイン(イラク最後の国王ファイサル2世のいとこ)が亡命先のロンドンで朝日新聞の取材に対し「フセイン体制の崩壊後、米軍によるイラク占領は無用だ」とコメントしていたという。たぶん記者が質問したからだろうが日本との比較についても言及していて、アルフセイン氏は「イラクの立場は打ち負かされたドイツや日本ではなく、解放されたフランスに近い」として、政治や経済は機能してるんだから根本的な社会変革の必要はないと主張していた。もちろんアメリカが大義名分に掲げる民主主義(もっとも彼自身は出自のせいか立憲君主制もありうるとしている)や人権尊重などに異論は無いとしているが「アメリカの将校に教えてもらう必要はない」とピシャリとはねつけていた。

 このイラクに対し、全面的な大量破壊兵器査察を求める国連安保理決議が、11月8日に安保理理事国15カ国の全会一致で採択されている。その内容は、これまでの査察要求より一歩踏み込んだ、事実上の「最後通牒」に近いものだとも言われ(ハル・ノートかいな) 、イラクが国連の決議に重大な違反をしていると非難し、軍備解体義務の「最後の機会を与える」として、イラクに対し決議採択から30日以内に大量破壊兵器の開発計画を国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)、国際原子力機関(IAEA)と安全保障理事会に対し申告すること、45日以内に国連の査察団がイラクに入り60日後に安保理に報告を行うこと、などを定めている。そしてイラク側の申告に虚偽があったり、イラク側が査察を妨害するなど「重大な違反」が安保理に報告されれば、「国際の平和と安全を確保するため、状況ならびにすべての関連安保理決議の全面順守の必要性について検討するため、直ちに会合を開くことを決定する」(この部分、全文訳の第12項目の一部を編集して引用)としている。
 外交関係の文書というやつは、素人にはかなり分かりにくい。この安保理決議の全文を読んでみたんだけど、素人目には「最後通牒」というほど重大なものとはすぐにはピンと来ないところ。とりあえず「違反したら武力行使しちゃうぞ」とハッキリ書いてあるところはどこにもない。ただ、最初の方で湾岸戦争の根拠となった安保理決議を「想起する」旨が書いてあり、最後の方にも「安全保障理事会がイラクに対し、義務違反が続けば同国は重大な結果に直面するであろうと、再三警告してきたことを想起する」との文言がある。

 この安保理決議案の文言をめぐっては水面下で静かながら激しいやりとりがあったらしい。武力行使の「お墨付き」にしたいアメリカ・イギリスと、それを押さえ込みたいフランス・ロシア・中国といった、それぞれ「拒否権」をもつ常任理事国5カ国間のそれぞれの思惑が入り乱れた駆け引きが展開されていたのだ。それらの思惑の折り合いのついたところがこの文面というわけで。
 この決議案の内容に特にフランスとロシアが入念に要求して付け加えたのが、UNMOVIC、IAEAといった機関と安保理の位置づけだ。要はアメリカ・イギリスの軍事行動に一定の歯止めをかけるために、査察に支障が生じた場合国連安保理においてこの問題について話しあうことを明記させたわけだ。もちろんロシア・フランス・中国もこのことで英米の軍事行動を完全に阻止できるとは思っていないだろう。ただ、実効力があまりないにしても、一応「国連」の名の下に英米の行動を規制することにはなる。それでも英米が軍事行動に踏み切れば、「それは彼らの勝手でしょ」として批判できる、という思惑もあるだろう。
 アメリカとイギリスはとりあえず前回より踏み込んだ安保理決議が出ればそれでよかったようで、この文言が入ることで露・仏・中三国が拒否権を発動しないのであれば、ということでこの案を飲んだ。新しい案文についてパウエル国務長官が「ハラショー」と言い、これにイワノフ外相が「ダー」 と答えるという電話会談をしたとかいう話が新聞に載っていたが、フランスとは「トレビアン」「ウイ」などとでもやっていたのであろうか(笑)。どっちにしてもアメリカとイギリスはこの決議により武力行使ができるという解釈をとってるわけ。確かに「やっちゃ駄目」とは書いてないんだけどさ。
 国連安保理の理事国は全部で15カ国。拒否権をもつ五大国以外に10カ国の非常任理事国がある。この中で、この対イラク決議に反対するのではないかと見られていたのが、イラクの隣国であり中東において微妙な立場にあるアラブの国・シリアだ。シリアは英米の武力行使を黙認しかねない文言を削除するよう求めていたが、結局土壇場でアナン国連事務総長やシラク仏大統領、さらには意外にも(?)パウエル国務長官が「決議を全会一致で可決すれば、戦争回避につながる」との説得を受けて賛成に回った。シリアを初めとする他のアラブ諸国も同じ論理でこの決議に賛成し、イラクがこれを受け入れることを期待する姿勢になった。

 で、注目されたイラクであるが。受諾までのタイムリミットは一週間、11月15日までとされた。
 実のところ当初から「拒絶」はないだろうとの見方が大勢だった。っていうか、拒絶なんてできる状況ではない。ただ「全面的」に受け入れるかどうかについては微妙、というところで、そこに注目が集まっていたところがある。安保理決議を受けてイラクでは国会が召集され、議員達の多くが受け入れ拒絶を表明し、全会一致で「拒絶」決議を出したが「最終判断は革命委員会にゆだね、それに従う」として、なんのことはない、フセイン大統領の判断に全てを預けた。この国会の議員でもあるフセイン大統領の息子ウダイ氏が慎重論を唱える発言をしていたこともあって、この国会の「拒絶決議」は全くの茶番であるとの見方が大勢だった。で、案の定フセイン大統領自身は「受諾」の意向を表明したのである。国民・国会は愛国心から拒絶しているけど、それらを預かる私は彼らの生命のためにも涙を飲んで…ってな「演出」ですな。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」も輸出できそうだ(笑)。

 フセイン大統領は書簡を国連に送って「受諾」の意向を示したが、その文面に実は「受諾」の文字はどこにもない。アメリカを悪と呼び、イギリスを「追従者」と呼び、安保理決議も「悪い中身」とけなしているが、「交渉に応じる」とは書かれている。アラビア語で書かれた文章の翻訳の仕方にもよるようだが、これが「全面的受諾」を意味しているのかどうかは判断が分かれるところでもある。なんだかポツダム宣言に対して当時の日本政府が「重要と考えていない」といった言葉が「黙殺」ととられたとか、昭和天皇 の終戦の詔勅も文面に「共同宣言受諾」とは書きつつあれこれと遠まわしな言い方をして当時の日本人のかなりの部分が「頑張って戦おう」と受け取ったとかいうエピソードを連想する話ではある。なんだか、やたら戦争時の日本の話ばっかりしてるな、今回は(笑)。軍事攻撃がしたくてしょうがないとしか思えないアメリカは文面がはっきりしてないことを有り難がっているとかいう話も聞くが。
 もっともそのアメリカも依然高いブッシュ大統領人気にあやかって共和党が中間選挙で歴史的大勝(伝統的に現職大統領が属する政党に厳しい結果が出るのが普通だった)をしてしまい、なにやらイラク危機をあおったおかげで勝てたという見方もできなくはない。当面急ぐことはないから「攻撃」にしても来年2月ごろかな、なんて話も出てきている。確か今年の初めごろに「来年2月ごろイラク攻撃・フセイン打倒をすると再来年の大統領選勝利にはグッドタイミング」という意見があるとの話を耳にしていて、それと思い合わせるとゾッとするところがある。最近のアメリカ政府ってのはマジで国内政策のために世界政策を進めてるんじゃないかと。

 パロディ映画「ホットショット2」でフセインとブッシュ父のそっくりさんが大チャンバラするシーンがあって、いつの間にか二人のシルエットだけが戦って本人二人は仲良く(?)ジュースなんか飲んで一息入れているというシーンがあったっけ。良くわかんない人は実際に鑑賞してもらいたいが(笑)、なんとなくそんなことを連想するやりとりではある。



◆中国指導部総入れ替え

 中国共産党の第16回大会が開かれ、閉幕した(笑)。ホントは閉幕前に史点を書くはずだったのだが、ずるずると遅れているうちに全部終わってしまった。
 だが、書く予定だった内容は、大会の決定内容が明かされた今もほとんど変わることは無い。この大会で決まる中国新指導部の人事はもう3年も前にはほぼ予測されており、まさにそのまんまの結果が出たというだけなのだ。まるっきり波乱らしい波乱もなく、13億人だか14億人だか分からないこの大国の指導部は大幅に若返りをすることになった。共産党の世代で言えば、「第四世代」が中国の舵取りをすることになる。戦争と革命と文革など激動をくぐりぬけた毛沢東ら「第一世代」、現実路線への転換をはかり「社会主義市場経済」を持ち込んだトウ小平ら「第二世代」、天安門事件の混乱の中で登板しよりいっそうの経済発展路線を進めた江沢民ら「第三世代」。そしてそれを引き継ぐ、戦争の時代すら知らない60歳前後のグループが「第四世代」だ。そのトップに立ち、今後の中国の「顔」となるのが胡錦濤(涛)新総書記だ。

 この胡錦濤氏、今ひとつなじみのない人も多く、唐突に出てきたような印象を持つ人もいると思う。だが、実は10年ぐらい前から「ポスト江沢民」の最有力候補として名が挙がっていた人物だ。ただ外国には今ひとつアピールするようなエピソードがなく、個人としての発言も決して多くはないことから「誰それ?」と思われてしまうわけだ。
 僕は去る五月にイギリスに出かけていたが、それとタイミングを合わせるかのように(合わせてない、合わせてない)彼はアメリカを訪問していた。僕が途中経由した香港の空港の書店で見かけた「NEWSWEEK」誌の表紙に彼の顔写真が使われ、「WHO IS HU?」(胡(フー)って誰?) とのダジャレ見出しが掲げられていたっけ。そんな今ひとつ正体不明とも言われる彼だが、アメリカはこの次期中国トップを自国に招待し、政権閣僚から経済団体関係者までがこぞって丁重に歓迎していたのが印象深い。さかのぼれば昨年に起きたあの米中軍用機衝突事件の折に、アメリカ側と折衝に当たって話をまとめたのもこの胡錦濤氏らのスタッフであったと言われ(実はこの時が彼の名が「史点」に登場した最初)、その時点でアメリカ側と深い関わりが出来ていた可能性もある。その点一つとってみても、有能な政治家、というよりは実務派官僚的な傾向の強い人物とも思える。そもそも、顔がそうなんだよな(笑)。

 胡錦濤新総書記のプロフィールだが、さんざん新聞やらTVでやっちゃってるから僕がなぞってみてもつまらんので、ちょっと違う話を。
 この人、前任者の江沢民さんとは生地がかなり近くわずか50キロしか離れていない。その点では中国社会では重きをなすことが多い「同郷人」であるとも言える。確かに現在の中国指導部にはこちらの方面の出身者が多いのは事実だ。
 ただ、胡錦濤氏の「本籍」は生地とは異なる。中国では日本以上に本人の生まれ故郷よりも祖先の出身地である本籍地を重視するのだが(例えば日本で生まれた鄭成功だってあちらでは本籍の「福建人」という位置付けが強い)、胡錦濤氏の本籍地は安徽省の績渓県というところ。彼がこの「績渓県」の本籍と知ったとき、僕はギクリとしたものだ。僕の専門分野である16世紀の倭寇史の重要登場人物の一人である、ある人物がこの績渓県の出身なのだ。しかも同じ「胡」姓なのである!

 その名を胡宗賢という。詳しい伝記は当サイトの倭寇コーナー「俺たちゃ海賊!」の人名録を参照していただきたいが、この胡宗賢という人物は16世紀半ばの、いわゆる「嘉靖大倭寇」の鎮圧に当たった、まさに「実務派官僚」なのだ。この当時の倭寇は8割から9割が中国人(特に幹部層には徽州人、福建人が多かった)で占められ中国江南地方を襲撃していたが、その問題の根底には明が建国以来敷いていた海禁政策、つまり明人の民間海外貿易を一切認めないという政策(江戸幕府の鎖国政策もこれの輸入だろうと僕は考えている) と当時盛んになってきていた民間密貿易との矛盾があった。胡宗賢は当時の権力者に取り入り無実の上司を讒言で蹴落としてまで総督の地位にせしめたというとんでもない奴でもあるが、有能だったのは事実で、有力な倭寇集団のいくつかを和解もちらつかせつつ軍事的にこれを鎮圧し、中でも最大の大物といわれた倭寇の首領・王直を同郷のよしみ(王直は績渓の隣の歙県=徽州府の出身)で貿易解禁を餌に帰国させ、これを捕らえることに成功している。
 ただし、この王直を呼び寄せる際に示した「貿易解禁」の話は決して出まかせではなく、彼は自分の幕僚らに海禁政策解除の検討をさせており、王直についてもいずれは解放して海上治安の統治者にするつもりだった可能性が高い(後年、実際にこういうパターンになった人物に鄭成功の父・鄭芝龍がいる) 。結局それは当時の政治的な流れの中で実現はせず王直も処刑され、やがて胡宗賢自身も政争の中で失脚し自殺に追い込まれてしまうのだが、胡宗賢は倭寇問題の本質をちゃんととらえ、その対策を正確に企図していたことは間違いない。最終的に失脚したとはいえ倭寇鎮圧に成功したのは間違いなく、彼の死後ではあるが海禁政策は解除され倭寇活動は一気に衰退していくことになる。
 この辺、語りだすと尽きせぬ数々のドラマがあるのだが、それについてはいずれ「海上史事件簿」で…って言い続けてずいぶんになるな、まったく(^^; )。

 とまあ脱線ぎみになったが、この胡宗賢と本籍が同じ県の胡さんとなると、まぁまず赤の他人とは思えないんですな、僕には。子孫ではないにしても同族ではあるんじゃないかと。同じ実務派官僚としてはいささか不吉な例ではあるんだけど…。ついでながら今回引退が決まった朱鎔基首相には明の建国者・朱元璋の子孫だという話が外国メディアで流れたことがありましたっけ。

 今回のほとんど総入れ替えとも言える共産党幹部の人事は、指導部の政治局常務委員には70歳以上の者は任じられない、との規定が定められているためだ。この規定を決めてから今回が二度目の共産党大会で、前回の五年前に70歳を過ぎていたはずの江沢民総書記はどの日時で70歳に達しているかの規定でギリギリ免れていたために一部では「居残り」も噂されていた時期もあったが、結局のところすんなりと身を引いた。もちろんトウ小平と同じく中央軍事委員会主席のポストに収まったことで「院政」もささやかれているが(中国では「垂簾政治」という。則天武后などが御簾(みす)の陰から皇帝を操って政治を行ったことに由来する)、影響力は残すものの「ご意見番」的立場になる程度で実質的に引退するという見方を僕はしている。
 思い返せば江沢民という人は天安門事件の混乱の中でトウ小平が後継者と見込んだ有力者が次々失脚した中で、ひょっこり引っ張り出されて共産党のトップになっちゃった人物。もちろん上海での実績を買われてのもので有能な実務派には違いないのだが、それも上海時代からの相棒の朱鎔基 のおかげなどといわれちゃうところもあった。実のところこの人が後ろ盾であるトウ小平の死後もやっていけるのかと疑問視する人は世界的に多く、ひところ「中国崩壊論」が盛んになったのもこれが一因だった。しかしトウ小平死後、混乱らしい混乱もなく、経済は発展する一方でいまや世界中の企業を先を争うように中国へ殺到する始末で、江沢民は円満のうちに13年間つとめた中国指導者の地位を降りようとしている。このままで終われば、地味ながらも「名君」扱いされそうな実績ではあると思う。しかし彼が中国のトップとして登場した当初、ここまで勤め上げると思ってなかったんじゃないかなぁ。それだけにその後継者として早い段階から引っ張り出され、江沢民より地味な印象の胡錦濤氏の「治世」が、どういう展開になるんだかは全く予想がつくものじゃない。まぁ少なくとも2008年の北京五輪までは順調だろうけどね。
 


◆「偉大なイギリス人」10人

 イギリスという国は今年の五月に旅行して実際にこの目で見てきたのだが、なんだかんだで一時世界を制覇した、モンゴル帝国級の存在感を歴史に残した国である。この国の歴史がそのまま「世界史」のように扱われた時期だってある。ひところほどではないが、今だってイギリスの歴史は日本の高校の世界史授業でも古代・中世から結構詳しく習うものだ。「どうしてこの国は世界を制覇しえたのか」という関心が、そのままその国の歴史を詳細に習うことにつながっているのだと思う。この国が世界に大きな影響力をふるったのなんかせいぜい16世紀末ぐらいからなんだから、アルフレッド大王だのばら戦争だのワットタイラーの乱だの詳しくやらんでもいいような気もするのだが(日本史の天武天皇、応仁の乱、山城国一揆なんかを外国の世界史で習うような物かもしれない)、イギリスの流れを汲んだアメリカが現在世界を制覇しているせいもあって、この国の歴史はさまざまな場面で「故事」として引かれ、映画・ドラマの題材にされて広く世界に浸透している。
 イギリスの有名人はそのまま世界史の有名人だな、ということを実感したのが、ロンドンのウェストミンスター寺院に行った時のこと。ここは歴代イギリス国王がずらりと葬られている教会だが、彼らとともにイギリス史を飾った有名人(もちろん国家に功績があったことが条件なのだろう) たちがこの教会の敷地内に葬られ、記念碑やら記念像やら何やら、教会の建物内にビッシリと敷き詰められている。政治家、軍人だけでなく、詩人など文化人も含まれており、教会内を見学していると世界史教科書でおなじみの有名人達の名前をあっちゃこっちゃに発見することが出来た。イギリス史の有名人、すなわち世界史の有名人ってことを実感させられたものだ。

  さて、イギリスのBBCが3万人以上の視聴者からの電話やインターネットを通しての投票によりイギリス史上の「偉大なイギリス人=GREAT BRITON」(ダジャレですな)100人を選出するという企画を8月に実施しており、先日その100人のランキングが発表されていた。特にその上位10人については一人一人を特集した番組を制作・放映し、その上で最終投票を行って「第一位」を決定する予定だとのこと。
 さてそのトップ10人であるが、先ほどBBCのサイトで確認してきたら、以下のような順位になっていた。

1位  ブルネル(19世紀ビクトリア朝時代の建築家)
2位  ダイアナ元皇太子妃(チャールズ現皇太子の元妃)
3位  チャーチル(第二次大戦期の首相)
4位  ダーウィン(進化論を提唱した学者)
5位  シェークスピア(16〜17世紀の劇作家)
6位  ネルソン(ナポレオン軍と戦った海軍名将)
7位  クロムウェル(清教徒革命の指導者)
8位  ニュートン(万有引力の法則で知られる科学者)
9位  エリザベス1世(16〜17世紀の女王)
10位 ジョン=レノン(元ビートルズのメンバー)

 いやはや、まさに世界レベルの有名人が大集合してしまった。説明の必要の無い人がほとんどだけど、意外にも1位に輝いているブルネルという人物には僕も「誰?」などと思ってしまった。フルネームはIsambard Kingdom Brunelという、なんだか変わったお名前で(親がフランス系であったらしい) 、肩書きは建築・設計技術者。テムズ川の地下トンネルやブリストルのクリフトン吊り橋など土木設計から、グレートウェスタン鉄道やパディントン駅、各種鉄道橋、さらにはグレートウェスタン、グレートイースタン、グレートブリテンの三つの蒸気船の設計までやっている。彼の名を冠したブルネル大学って有名なのもあるそうな。と、全部速攻でネットで調べた知識である(汗)。いつもお世話になってる世界史用語集に彼の名は無かったんだよなぁ。

 さて、当初から「懸念」されていたことで、「やっぱり」という結果になってしまったのが、故ダイアナ元皇太子妃のベスト10入り。衝撃の事故死の直後のフィーバーはすぐに冷めたと言われていたが、なかなかどうして強いものである。この人についても最近王室の元執事がいろいろしゃべっててダイアナさんがチャールズ皇太子の恋人カミラ さんを毒殺しようとしたとか、ドロドロした話も出てきてますね。予想されたこととはいえ、ダイアナさんが2位につけてしまったことについてBBC関係者が「彼女を偉大な英国人とする見方は馬鹿げている」とコメントしたと、CNNはチラリと報じていた。この調子で第一位になっちゃったりでもしたら…(^^; )

 さてと、他のイギリスの有名人は何位に入っていたんだろうか。興味のある方はご自分で当たってみていただきたいんで、ここでは僕が「おや、この人がこんなところに」と気になった人を挙げてみよう。
 
 51位にアーサー王が入っている。実在したのかどうかちょいと怪しげな伝説上の人物であるが(日本で言うとヤマトタケルあたりの感覚かな?)
 現首相のトニー=ブレアさんは67位に入っていた。同じ企画を10年後にやったときどうなっているかは分かりませんね。それはダイアナさんも同じかもしれないけど。ちなみに先月にイギリス人1000人に世界の首脳の名前をどれだけ知っているかという調査をしたところ、さすがに83%とトップの知名度を叩き出したそうだ。僕が読んだ記事では「1割以上が知らないのか!」と憂慮する内容だったが、まぁそんなもんでしょ。
 近々映画第二作が公開される「ハリー・ポッター」の原作者で一躍世界の大作家になってしまったJ=K=ローリングさんも83位でランクイン。これも10年後ぐらいにはどうなっていることやら。「ハリポタ」も「古典」になるとの見方も出ているけどね。「古典」といえば、やはり最近映画化されて話題を呼んでいる「指輪物語」の作者J=R=R=トールキンも92位でランクインしている。
 なお、日本でもすっかり有名人になっちゃったサッカーのベッカム様はこれらの人を押しのけ、33位に入っておりました。

★補記★
その後のベストワンを選ぶ再選出でイギリス史の人物1位に輝いたのはけっきょく「チャーチル」と割と当たり前な結果でした。


◆EU拡大はどこまで?

 EU(ヨーロッパ連合)も成立からかれこれ10年経ち、共通通貨「ユーロ」の導入も案外あっさりと進んで、とりあえず今のところ順調に見える。もちろんいろいろと内部の軋轢やら経済格差やら主導権争いやらがないわけではないが、少なくとも脱退国は出てないし、EUを解体しちまおうという意見もそれほど強いものではない。加盟国各国ごとに意見・対場の相違は無いわけではないが、EUが統一された政治主体として国際政治に発言力を持ってきているのもまた事実だ。
 そしてこのEUに加盟したいと熱望する東ヨーロッパ諸国。かつてソ連の衛星国として社会主義陣営に属し西ヨーロッパと断絶・対抗させられてきたこれらの国々は、東西冷戦の終結・ソ連邦の解体と共に西欧への急速な接近を図っている。政治経済ではEUへの加盟を熱望し、安全保障ではNATOへの加盟を熱望するといった具合。EU内でもいろいろ意見があるにはあったが(特に経済格差の問題があった)、基本的にこれら東欧諸国のEU加盟を認める方向で、12月に開かれる加盟国首脳会議で2004年にバルト3国、ポーランド、ハンガリーなど10カ国を新たなEU加盟国に迎える決定が為される予定だ。

 そんなEUへの加盟を熱望している東方の国にトルコ共和国がある。この国がヨーロッパの範疇であるということを知らない人は結構多く、今年のサッカーW杯でもトルコがヨーロッパ地区代表であることを知らずアジア代表だと思い込んでいる人もかなりいたものと思う。「ヨーロッパ」と「アジア」の境目はエーゲ海と黒海を結ぶボスポラス海峡にあり、トルコはこの海峡にまたがる国土を持っているから厳密に言えばヨーロッパとアジアにまたがる国なのだ。ただし、その「ヨーロッパ」部分は全国土のほんの一部に過ぎず、大半は古代ギリシャ人が呼んだ元祖「アジア」、いわゆる「小アジア」で占められている。しかも国民の大半はイスラム教徒であり、それもこの国が「ヨーロッパ」と思われない一因ともなっている。
 しかしこの国は自分では「ヨーロッパ」たろうとし続けており、これには長い歴史的な経緯がある。そもそもこのトルコ共和国の前身は、最盛期にはバルカン半島から全中近東に及ぶ広大な領域を支配していた「オスマン=トルコ帝国」である。かつてはウィーン攻略を何度もやったりフランスと結んでヨーロッパ外交に影響を及ぼしたりもしていたが、帝国主義華やかかりし時代にその領土はズタズタに食い物にされていき(バルカンといい中東といい、何かと騒がしい地域はかつてのオスマン帝国領という共通項があったりするんだよな)、日本同様に西欧風の立憲体制を目指して改革をおこなったりもしたが第一次大戦で同盟国側についていたことで敗戦国となってしまって完全消滅の危機すら生じた。そこに登場したのがケマル=パシャ(のちアタチュルク) で、彼は侵入してくる各国軍を撃退し「トルコ民族の国民国家」として現在のトルコ共和国を建設した。そしてアルファベットや氏姓などの文化や、議会等の政治制度、そしてイスラム国家としては初めての「政教分離」の原則など、数々の「西欧流」を自国に導入していった。この国がヨーロッパ志向であるのも、それ以前の歴史も考慮されるがケマルという強力な建国者の存在が大きかったようにも思える。
 近年この国の「EU入りたい熱」はかなりのもので、クルド人問題や死刑廃止問題などEUがうるさい人権問題についても下手すると卑屈と思えるほどに言いなりになって「EUに入れて」という姿勢を示している。それだけ現実的メリットが何かあるんだろうか、などとこっちからは思えてしまうのだが…。

 そんなトルコの熱烈ラブコールに対し、EU諸国は表向き友好的受け入れ姿勢ではあったが、チクチクと人権問題やら歴史問題やらキプロス問題やらでいじめるところもあり、どこか「よそ者扱い」してきたところは否めない。そんなときトルコは「EUってのは結局キリスト教国のクラブかい」とよくすねていたものだが(すねる割にはEU入りに否定的な声は政府レベルではまず聞かない)、実際、トルコがイスラム国であることへの心理的排除感がEU側に全く無いといったらウソになるはずだ。それを改めて思い知らされる「事件」が起きた。
 ジスカールデスタン氏といえば元フランス大統領。大統領をやっていたのなんて大昔の話なのだが、今もフランス代表としてEUの要職をつとめている。この人がこの12月に開かれる「欧州将来像協議会」の議長をつとめることになっている。この協議会はその名の通りヨーロッパの将来像を話し合うもので、具体的には2004年の東欧諸国の加盟の決定、そしてさらにその先のEU拡大の方向をさぐるのが目的だ。当然、加盟を熱望するトルコも代表を送り込んでいる。
 ところが、この協議会を司会し、EU憲法の新たな草案作りにも影響力を持つはずのジスカールデスタン議長自身がル・モンド紙のインタビューの中で「トルコが加盟するようではEUは終わりだ」と爆弾発言してしまったからたまらない。しかもこれ、「失言」ではなく明らかな「確信的発言」なのがさらに始末が悪い。ジスカールデスタン氏はこの発言の根拠を、ずばり「トルコはヨーロッパではない」 という考えに求めている。彼はインタビュー中でトルコの国土で「ヨーロッパ」であるのはほんのわずかであり、首都アンカラはヨーロッパにはなく、国民も95%はアジア側に住んでいると強調、さらにイスラム教徒が国民の大半を占めることにも触れ、ヨーロッパとは文化も生活様式も異なるとして、これを「ヨーロッパ連合」に加えることに強い疑問を呈している。そして2004年に東欧諸国を加盟させて25カ国体制になったところで「どこまでがヨーロッパか」を明確にし、トルコについては「特別なパートナー国という扱いで十分」としているという。そして「トルコの加盟を認めれば、モロッコなども加盟を要求し、どこまでがヨーロッパか分からなくなる」とも発言したとか。

 「やっぱりEUはキリスト教国のクラブと思ってるんだな!」とトルコ代表が激怒したことは言うまでもない。トルコ代表はただちに「ジスカールデスタン氏はただちに議長を辞任すべし」と反発し、欧州委員会も「トルコがEU加盟国候補であることに変更はない」と表明、欧州議会議長も「トルコとEUの関係はきわめて戦略的で微妙な時期である」としてジスカールデスタン氏に発言を慎重にするよう注文をつけた。しかしジスカールデスタン氏は「EU首脳はトルコに対して本音を言っていない」としてこの発言が決して自分一人だけの考えではないことを明白にしており、それはどこか腰が引けている欧州委員会・議会議長の発言を見ていても感じられるところではある。やっぱりトルコのEUへ向けるお熱は「片思い」でしかないのだろうか…

 EUは、それまでさんざん戦争を行い、憎しみあってきたヨーロッパ諸国を、民族・国家・言語・宗教を超えて経済的・政治的に統合し、平和で豊かな新国家を作り上げようという理想が根底にはある。それはあれこれと憎悪が渦巻き対立・紛争を繰り広げる世界の中で希望の光という部分もあるんだけど、同時に「ヨーロッパ」ってのはもともとある程度の一体感を持っていたのも歴史的事実で、その枠組みを強化して他者を排除するという側面があるというのも懸念されていたところだ。トルコの加盟問題はそのEUのあり方そのものを問う核心問題であるだけに、しばらくせめぎあいが続きそうな雰囲気だ。

 
 ところでEU拡大を絡めた小さい話題もおまけで。
 以前にも書いたことだが、ロシアの「飛び地」になっているカリーニングラード州というのがある。哲学者カントの生まれ育ったことで有名な旧東プロイセンの中心都市「ケーネヒスブルグ」だった地域だが、第二次大戦後ドイツからソ連が奪い取り、当時の国家元首の名をとって「カリーニングラード」と改名した経緯がある。バルト3国が独立しソ連が崩壊した結果、この州はポーランドとリトアニアに挟まれたロシアの「飛び地」となってしまっている。
 現在100万人いるカリーニングラードの住民はこれまでロシア本土と自由な通行が認められていたのだが、2004年にポーランドとリトアニアがEUに加盟してしまうと、これら住民はロシア本国へ行くためにはEU域内を通過しなければならなくなる。EU域内を域外の人間が通過するためにはEUが発行するビザが必要となるが、事情が特殊であるだけになんとかならんかとロシアとEUの間で協議が続けられていたのだった。
 EU側はこの州の住民に特権を与えると、それを利用して不法移民やテロリストなどがEU内に入ってくる恐れがあるとして自由往来を認めようとせず、ロシア側が折れる形で、EUがロシア側の資料にもとづき「通行証」を発行すること、リトアニア領内を通過するロシア-カリーニングラード間の特別列車を運行する、とのことで話がまとまったらしい。ただその鉄道線路も老朽化が激しいために列車が高速度で走れないとかで、EU側は「列車から飛び降りるやつが出るかも知れん」と懸念しているそうで。
 ロシアがEUに加盟しちゃえば話は解決じゃん(爆)。「いや、あそこはヨーロッパじゃない!」と言い出す政治家が必ず出てくるだろうな。


2002/11/16の記事

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