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2003年10月23日

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◆2003年宇宙の旅

 今年は2003年。言うまでもなく21世紀に入って3年目である。ちょっと前ならSFの領域だった時代で、映画・小説の「2001年宇宙の旅」では1990年代の巨大な国際宇宙ステーションや月面基地が存在し、2001年には木星への有人探査機が出発していたりしたものだ。続編の「2010年」では米(!)が核戦争寸前までいくという展開が描かれていたりして、未来予測というのはいろいろと難しいもんだなぁと思わされる。
 話を宇宙ばなしに戻すと、1962年の東宝特撮映画「妖星ゴラス」では1979年の「未来」で人類が太陽系じゅうに探検隊を派遣したりしていて「火星開発の時代だ!火星関係の株を買おう!」 ってなセールスマンの台詞があったものだ。僕も子供のころに宇宙開発ばなしの本など読みふけって未来に思いをはせたこともあったものだが、まさかこの21世紀初頭に人類がまだ火星にも行っていないとは思わなかったな(笑)。確か80年代にはアメリカがやるとか書いてある本を読んだことがあったんだが…

 むかしのSFで宇宙開発の進展の予測がやたら早かった原因には、やはり1950年代から1960代の米ソ冷戦下における熾烈な競争のために、今から見ても物凄い勢いで宇宙開発が進んでいたことが挙げられるだろう。先鞭をつけたのはソ連で1957年10月に世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、翌月には地球生物初の宇宙体験者となったライカ犬を乗せた「スプートニク2号」を打ち上げた。負けじとアメリカも本腰を入れ始め(もちろん軍事的優位をとられることを恐れた面が強いが)、1958年に「エクスプローラー1号」を打ち上げ、「NASA」も設立してソ連の後を追い、有人宇宙飛行に先立って「ハム」君なるチンパンジーを乗せた宇宙船を1961年1月に打ち上げ、これに成功した。ところがこの年の4月にソ連はユーリ=ガガーリン少佐を人類初の宇宙飛行士として宇宙に送り出し帰還させることに成功、出し抜かれたアメリカはその翌月にはアラン=シェパードをアメリカ初の宇宙飛行士として宇宙に飛ばして帰還させる。とにかく1960年代はこんなハイペースな調子で1969年のアポロ11号月面着陸まで行っちゃうのである。当時作られたSFものの未来宇宙開発予想が早くなっちゃうのも無理はないのだ。
 このとんでもないハイペースになったのはやはり当時の米ソが政治的・経済的・軍事的に優位を激しく競い合い、「国家の威信」をかけて莫大な予算をこれにつぎ込んだ、という現実的事情がある。そのためアポロ計画の成功でアメリカの一応の優位が目に見えたあたりでこの大レースは一気にペースを落としてしまう。ソ連も似たような月面着陸計画を進めていたがアメリカの後追いになるのを嫌って中止してしまったし、 アメリカもアポロ計画をすぐに縮小していく。その後の両国は無人探査機による惑星探査やスペースシャトル、宇宙ステーションといった方向へ宇宙開発事業を進めていくが、特に80年代からこっち、えらくのんびりしたペースになっているというのは否めないところだ。もちろん地道に研究を進め役に立つものを優先しているということでもあるので否定的にとらえることばかりではないんだけど。
 このアポロ以後ののんびりペースは、例の「アポロ月面着陸は捏造だった」説が根強く唱えられ続ける一因ともなっている。1960年代にあれだけのことをやっておいて、その後全く行われないのはどういうわけだ?という主張で、僕もつい先日ネット上のわりと真面目と思われる掲示板で同様の意見を見かけたものだ。

 さて、またまた「まくら」が長くなってしまったが。
 去る2003年10月15日、中国が有人宇宙船「神舟5号」を打ち上げ、翌16日に無事帰還させることに成功した。ソ連、アメリカに続く自前のロケット&宇宙船&管理体制による有人宇宙飛行の成功国になったわけだ。考えてみるとまだ三つ目の国だったというのもちょっと驚きではある。自前の宇宙ロケットを飛ばしている国は日本やEUなど他にもいくつかあるのだが、「人を送る」のはロシアかアメリカのみ、という状態が続いていた。それを実に40年ぶり(!)に変えて見せたわけだ。
 中国初の宇宙飛行士第一号になったのは楊利偉中佐(帰還後すぐ大佐に昇進)。宇宙に飛び出して地球のまわりをグルグル回ってゴビ砂漠に着地、という、まぁ最初だから仕方ないかもしれないがまさに40年前の米ソとさして変わらないことをやって還ってきた。ロシアのマスコミなどは「ようやく中国版ガガーリンが登場した」とか「中国の宇宙船はソユーズのパクリ。違うのは宇宙食が中華料理だったこと」などと少々揶揄気味だったらしいが、気持ちは分からないでもない(笑)。中国の人たちの熱狂も伝えられているが、どこかやっぱり「いまさら…」というさめた空気もどことなくあるように僕は感じる。

 そもそも中国が「有人宇宙飛行計画」を進めてきた動機自体がかなり大時代的ではある。とっくに人工衛星打ち上げビジネスまでしっかり展開している国が、いまさら巨額の費用をかけて「有人宇宙飛行」を進める動機はやはり「国威発揚」以外の何ものでもない。それもかつての米ソのように競い合う相手がいない形での、かなり純粋に自国の威信高揚を狙った計画だったと思える。まぁ現実的な効果としては「ウチのロケットは人も打ち上げられるほど安全です」というビジネス面でのアピールができることだろうな。
 この「史点」の連載を開始した時期に、すでにこの計画の話が持ち上がっていて、1999年7月の「史点」で初めてその話題が登場し、同年11月に最初の無人宇宙船「神舟」 が打ち上げられ「史点」ネタになっている。この時点で「中華民族数千年の夢実現」なんてブチあげていて「20世紀のうちに有人飛行を!」という掛け声もあがっていたものだ。しかし国の威信がかかっているだけに失敗したら大ゴトなので、ずいぶん慎重に進めてもいた。これまで何度か「今年中には打ち上げるのでは…」と言われつつ無人打ち上げが続いていたし、今回だって直前まで公式には発表されず、当日も用心して生中継はせずに成功してから映像を公表していた。
 とりあえず第一号は成功したから、というわけで今後もそう急がないつもりらしい。次の有人飛行は1〜2年後との関係者のコメントも出ていた。手間と金がかかるわりに見返りがあんまりないってことは分かっているらしい。

 ともあれ、宇宙から地球を見る人類がまた一人増えたこと自体は大歓迎。やっぱりものの見方が変わると思うんですよね。
 注目の宇宙からの第一声は「感覚良好」という、実に単純かつ事務的なものだった。まぁ日本人の第一号、秋山豊寛さんの第一声なんか「これ、本番ですか?」だったもんな(笑)。
 ところで、地球に帰還した楊飛行士は、僕も長年気になっていたある一件に解答を与えてくれていた。それは「万里の長城は本当に宇宙から見えるのか」 という疑問だ。以前から「万里の長城は月から見える唯一の建造物」などと僕も聞かされてきて、「まぁ横に長いから…」などと思いつつ「でも幅は普通の建物並みだが?」と疑問をもってもいたのだ。その長城を抱える中国でもこれは議論になっていたようで、帰還した楊飛行士にこの質問がぶつけられていたのだった。
 で、楊飛行士の答えは「宇宙から長城は見えなかった」というものだった。あー、やっぱり見えなかったんだ、とようやく納得。もっともこの件についてこれ以前に大勢行っている宇宙飛行士たちは何もコメントしていないのだろうか?



◆マハティールの最後っ屁?

 マレーシアのマハティール首相といえばその目立つ発言のために「史点」では世界各国首脳のなかでかなり登場回数が多いお方でもある。つい最近でも「日本の若者は茶髪になって欧米人を真似などして、堕落している!」 とお怒りだったことが記憶に新しい。この人はかなりの欧米嫌いのアジア主義者という傾向が強くあり、日本や韓国を見習った工業化政策を進める一方でしばしば欧米、とくにアメリカの世界政策を強く批判する発言を繰り返してきている。「9.11」テロ後の世界情勢の中ではなおさらヒートアップした観があった。
 そのマハティール首相も今年限りで引退を表明している。なんだかんだで20年以上も在職して「独裁者」という面も少なくなかったこの人だが、とうとう指導者の立場から身を引くことになる。

 …と思っていたら、やはりこの人最後まで発言で物議を醸してくれていた。
 問題の発言は10月16日、イスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議の開会演説の中にあった。物議を醸したのは「ヨーロッパ人は、1200万人のユダヤ人のうち600万人を殺した。しかし、今日、ユダヤ人は代理人を使って世界を支配している。彼らは他の国を(イスラムと)死ぬまで戦わせるという部分だったと伝えられる。特に「ユダヤ人は代理人を使って世界を支配している」という部分にはピクリと反応する人が多かっただろう。いわゆるオカルト的「ユダヤ陰謀説」を連想させる表現ではある。
 在マレーシアのイスラエル大使はただちに「ヒトラー以来、こんな発言は記憶にない」と抗議声明を出した。どうやら「代理人」と名指しされているらしいアメリカも「軽蔑でこの言葉を受け止めた」と大統領副報道官が発言、直後のAPEC首脳会議でもブッシュ大統領が自ら直接マハティール首相に声をかけて非難を伝えている。またEU諸国の政府も同様に抗議の声をマレーシアに送っている。
 しかし一方でその会議に出席していたエジプトのマーヘル外相は「批判者は文脈全体を読んでいない」とマハティール発言を弁護する姿勢を示し、イエメンなどアラブ諸国の中には「100%支持する」と表明する国も少なくないようだ。
 批判を受けてマレーシアのサイドハミド外相は「誤解を受ける発言で申し訳ない」という趣旨の謝罪コメントを出したと伝えられるが、当のマハティール首相は発言の謝罪も撤回も完全に拒んでいる。欧米諸国の反応について「彼らはイスラム教徒やアラブを批判するのは正しいと考えるが、欧州国民やユダヤ人を批判するのは正しくないとの偏見を持っている」と厳しく批判し、「イスラム教徒がテロリストとして非難されるなら、ユダヤ人も同様にテロリストとして非難され得る」とも付け加え、明白にイスラエルのパレスチナ政策への批判をぶつけたのだった。

 報道を見る限りの僕の印象だが、僕も部分的にはマハティール発言は支持できると思う。「世界を支配している」「死ぬまで戦わせる」という表現が刺激的すぎる嫌いはあるが、こと中東政策に関する限り、ユダヤ人国家であるイスラエルが、世界最強国であるアメリカを完全に味方につけ、いやむしろ国連の場においてイスラエルに不利なことは絶対にアメリカが阻止するのを見ていると「アメリカがユダヤ人の子分になっている」という印象を受けてしまうのは事実。アメリカのブッシュ政権も今のイスラエルのシャロン 政権の強硬姿勢には頭が痛い思いをしているようで「行き過ぎ」についてはブレーキをかけようとしてはいるが、やっぱりイスラエルに対して「甘い」姿勢を示してしまっているのは誰の目にも明らかだ。歴代アメリカ政権は共和党・民主党を問わず「反イスラエル」ととられる政策は絶対に出せないでいる。国内のユダヤ人層、それも経済界に大きな影響力を持っている人々の反発が怖いからだ。
 アフガニスタンやイラクでほとんど強引に侵攻し政権を潰しておいて、イスラエルがどんなに横暴に振舞おうとこれには甘い。これではイスラム諸国が「不公平」と不満を持ち、「アメリカはユダヤの代理人」と言ってしまうのも無理からぬところではある。

 報道をよく見れば、このマハティール演説ではパレスチナの自爆テロを「自民族に対する虐殺を招いているだけだ」と批判し(テロ批判は以前からかなり厳しく言っている)、暴力による反撃ではなく冷静な思考を、とイスラム諸国の結束を呼びかけている。そして文脈上もユダヤ人がかつてヨーロッパで激しい迫害を受けたことにも触れ、「(ユダヤ人は)自分たちに対する迫害が間違いだと証明して同等の権利を得るために、社会主義、共産主義、人権、民主主義という概念を作り出した。これらの概念を用いて、強大な国家を支配し、世界的な権力を握った」と表現したようなのだ。それらが全部「ユダヤ人の発明」としちゃうとやや「陰謀論」的になってくるのだが、話の流れは「だから我々イスラムも対抗しうる概念を…」ということになっているようだ。

 マハティール首相も言及しているように、ヨーロッパはかつてユダヤ人をこっぴどく迫害した歴史を持っている。それはなにもナチスドイツの専売特許ではなく、ヨーロッパ諸国(西欧東欧問わず)全体が抱えているであろう過去の負の記憶だ。だからこそユダヤ人差別発言なんかを極右政治家が口にすると激しく反応してやりこめるし、ユダヤ陰謀論的な思想を厳しく封殺しようとする傾向がある。それがともするとイスラエル批判にも適用されるときがある。アメリカのそれとはまた違った、過去の記憶をひきずった反応なのだ。
 「それはそれとして、イスラエルがやってることだってテロだろ、それへの批判はなぜ及び腰で、ユダヤ人批判するとやたら敏感に反応するんだ!」という主張は、僕もかねがね思っているところでマハティール氏が言いたいことにはかなり共感してしまうのだ。



◆王室皇室ネタは尽きません

 僕自身は君主制に否定的な人間なのだが、王侯貴族ネタって、話の種としては面白いんだよねー、洋の東西を問わず。そこらへん結構ミーハーな人間なんです、わたしゃ(笑)。

 日本ではなんといっても「ニセ有栖川宮(ありすがわのみや)」の話題がもちきりである(厳密には皇室ネタじゃないだろ、というツッコミもありそうだが)。この話題、9月ごろから一部の週刊誌がとりあげ、僕も注目していたらTVのワイドショーでも次第にネタとして広がり、とうとう警察の捜査開始、本人の逮捕という事態に至って一般マスコミもこぞって大きくとりあげるようになった。
 そもそも週刊誌などが報じるようになったきっかけは今年四月にこの「有栖川識仁(ありすがわ・さとひと)」 なる皇族を自称する人物が盛大な「結婚披露宴」を挙げ、芸能人や財界人(?)など400人ほどを集めてご祝儀1300万円ほどを集めたという一件にある。参加者のうちから「アレは偽者だった」と知り詐欺だとして警察に訴える人が出てきたため先月ぐらいから表ざたになってきたようだ。付け加えればこの結婚イベントにはワイドショー的タレント代表である石田純一、あちこちの選挙に出馬する青森の謎の大富豪・自称羽柴秀吉氏など、妙に話題性のある人たちが出席していたことも目を引いた一因だった。

 「有栖川宮」というと日本史で覚えのある名前としては、幕末に公武合体の狙いで将軍徳川家茂と政略結婚した皇女・和宮(かずのみや) が当初婚約していた相手である有栖川宮熾仁(たるひと)が挙げられる。この人はその後戊辰戦争で東征軍大総督として関東まで出向いて江戸城明け渡しにも立会い、明治になってからも特に軍関係の要職を歴任し、西南戦争やら日清戦争にも関与して明治28年(1895)に亡くなっている。
 この人についてだけ僕も知識があったのだが、調べてみたら有栖川宮家って17世紀からあったと知ってビックリした。江戸時代の宮家の制度がどうなっていたのか分からないのだが、1625年に高松宮家として発足、1672年に「有栖川宮」と改称してからずっと皇族の一員として連綿と続いていたお家柄らしい。なんでも歌道と書道の師範の家ということになっていたそうで、まぁ皇族といっても近い親戚の公家さんの一つ、といったポジションだったのかもしれない。
 10代、300年にわたって続いた有栖川宮家だったがその熾仁のあと弟さんの威仁親王が継いだようだが跡継ぎが無いまま亡くなり、1913年に断絶することになった。そののち大正天皇の皇子である宣仁親王が新生「高松宮家」を相続して有栖川宮家の祭祀(先祖の祭り)を引き継ぐという形になって今日に至っている。この高松宮宣仁のお妃喜久子さんはあの徳川慶喜の孫であり有栖川宮威仁の孫でもあるというお方で、有栖川宮の祭祀を引き継ぐのは当然というところもある。

 さて問題の「ニセ有栖川宮」だが。
 「有栖川識仁」と名乗っていたのは北野康行(41)なる人物だ。もちろんだが有栖川宮家とは何の縁もゆかりもない。本人の主張するところによると「1980年代に皇族の方から“あなたは私の子供だ”と言われ、以来有栖川と名乗っている」 のだそうで。週刊誌の記事でも27歳から突然名乗り始めたとの話が出ていた。それ以来「宮様」としてあっちゃこっちゃのイベントやら何やらに首をつっこんではありがたがられていたようだ。まぁ天皇家というのは日本最高の「権威」には違いないし、また同時に「それについてはよく知らない」日本人が多いというのも事実。今の皇族の現状と家系図がちゃんと頭に入っている人なんてそうそういないから、なんとなく聞いたような気がする「有栖川宮」という名前にだまされる人も多いんでしょうね。
 世の中便利になったもので、インターネットで「有栖川宮」と検索をかけてみると、これがまた出るわ出るわ…。面白いのがもう一人「有栖川親仁」なる人物も存在しており、「識仁」氏と一緒にイベントに出たりもしている(こちらは熾仁親王の末裔?を自称している。未確認だが識仁氏と親族?)。そしてそのイベントが広島県に天皇皇后を招こうという集会で、そこにペトログラフ研究(“日本独自の文字”を勝手に石に見出してしまうトンデモ研究)で知られる吉田信啓氏の名前が出てきたからまたビックリ(笑)。特にこの吉田氏、両「有栖川宮」とは深いご縁のようでネット上で一緒に写っている写真を何枚も見ることが出来た。トンデモはトンデモを呼ぶ、とはまさにこのことなのか。TVで見てたらあのドクター中松氏も「識仁」氏と長い付き合いがあったみたい。こうなるとなんかもう「業界」って感じだなー(笑)。
 トンデモ業界だけではない。右翼団体「日本青年社」も何をどう間違ったのかこの「識仁」氏を昨年秋から名誉総裁にすえていたから大笑い。ここって尖閣諸島に上陸して灯台や神社建てたりマジメ(?)な右翼団体として有名なのだが、そこの名誉総裁にニセ宮様がおさまってしまっていたというのがなんとも皮肉だ。マスコミで騒がれ始めた10月あたまに急遽「識仁」氏は名誉総裁を辞しているが、恐らく正体がバレてやめさせられたのだろうと思われる。ちょっと前までこの団体のサイトで「有栖川宮識仁さまを名誉総裁に迎え…」と大はしゃぎしているページがあったのだが、残念ながら現在は抹殺されている(笑)。もう思い出したくない過去であろうなぁ。
  その後の報道によると「識仁」氏は宮崎県の神社に関与して「神機水(かんながらのみず)」なる銘柄の水を「宮内庁献上品」として販売、ラベルに「有栖川識仁書」としっかり書いていたりしたそうだ。さらにこの神社を訪問するツアーを企画、「元皇族」という触れ込みで参加していた(「元」とつけたあたり用心したんだろう)。このツアーにはあの日本に亡命中のフジモリ元ペルー大統領も参加していたりして…

 以前に「史点」ネタにした話題だが、「昭和天皇の御落胤」を称する人物を担いだグループが「皇室の隠し財産の運用」という融資話を経営者たちにもちかけて詐欺をするという事件がつい数年前にあった。今回はそうした融資話詐欺ではないが、似たような系列に属するものだと思う。そして両者に共通していることは、演じている当人が結構「本気」になっている節が感じられることだ。演じているうちに本気になってきちゃうのか、それとも完全な演技なのか、境界はあいまいだが。TVの映像で本人がしゃべっている様子を見たが、なんとなく「皇室的おっとり感」がにじみ出ていて、「なるほどぉ、これなら騙される人も出そうだ」と感じたものだ。
 あえて言えば「宮様」を自称すること自体は犯罪でもなんでもないんだよね。聞いた方が「あら、皇族の方ですか」と勝手に思ってしまった(もちろんそう思わせる各種の工作はあるんだが)というあたりだろうと思う。逮捕された「識仁」こと北野容疑者らは「“宮”と名乗ったことは無い。“有栖川”と名乗っただけだ」と主張しているそうで、それもそうしたテクニックの一つなのだろう(有栖川有栖って作家もいるしね、ペンネームと考えればあり)。今回の「結婚式」で集めた祝儀にしても別に求めたわけでもなく出席者が自発的に出すものだから、「詐取」にあたるかどうかは微妙な線といえる。
 一応立件され逮捕に踏み切った直接の理由は、この識仁とその「妻」役をした坂本晴美容疑者が結婚届を出しておらず、架空の結婚式において身分を偽って高額な祝儀を出させた、と判断されたことにあったようだ。これに対して当人たちは「皇族には婚姻届をする必要は無い」と主張しているそうで、このあたり単なる言い訳ではなく当人たちが半分ぐらい「その気」になっちゃってる気配も感じるところ。

 ところで逮捕という結末にいたった結婚披露宴だが、「有栖川宮記念奉祝晩餐会」なる凄い名前で、赤坂の会員制クラブで催されている。写真や映像がTVでも流れていたが、「宮様ご夫妻」は明治天皇みたいな勲章だらけの礼服やら平安時代みたいな衣冠束帯(あの羽柴秀吉氏は「聖徳太子みたいな帽子」と言っていたけど全然違うぞ)に十二単衣(ひとえ)を着て登場、という知らない人にはいかにも「皇室の結婚披露宴」という演出をほどこし、「有栖川宮」の家紋入りの引き出物を配るなど、それなりに豪華なイベントを仕立てたのだった。
 週刊誌記事を見たとき僕が最初に気になったのが「これって元がとれたのか?」ということだった。絶対に出費がかかりすぎている、と思っていたらその後やっぱり大赤字であったことが報じられていた。当初「宮様」たちは出席者を600人、そして恐らく一人当たり5万円は祝儀で包んでくれるだろうと皮算用していて3000万円の収入は最低見込める、と踏んでいたのだ。ところが蓋をあけてみれば出席者は400名足らず、しかも祝儀は1300万円弱、計算すると平均一人3万円台ぐらいしか祝儀をはずんでくれていなかったことになる。羽柴秀吉氏はポーンと10万ぐらい払ったらしいから、もっとケチなのがいたということか。それとも「怪しい」と気がついた人がけっこういたのか。
 会場の確保、イベントの費用数百万円も前日ギリギリに借金で用立てたっていうし、引き出物に出した家紋入り食器なども注文先には一万円しか払ってないなど、えらく甘い皮算用をしていたようにも思える。そして集めた祝儀1300万円についても首謀者三人で分け前巡ってケンカしていたとの報道もあるし。
 大金獲得のアテは狂うわ、それがきっかけで逮捕はされちゃうわ。踏んだり蹴ったりとはこのことだろうが…たぶん、出所してきたらまたやるよ、この人。



 日本の皇室話(違う?)が長くなってしまったが、次はオランダの話。
 オランダはベアトリクス女王の次男、フリーゾ王子がこのたび婚約したのだが、これが「王冠をかけた恋」になっちゃったことが話題を呼んでいる。
 フリーゾ王子のお相手は国連や人権擁護団体などで働いていたメイベル=ウィサスミット さん。「人権活動家」の肩書きもある女性との婚約が決まったまでは良かったのだが、婚約発表後、この女性の過去についてのスキャンダルが持ち上がった。このメイベルさんが学生時代に犯罪組織の幹部の男性と交際があったことが、その男性のボディガードの口から暴露されたのだ。この男性は1991年にギャングによって射殺されており、メイベルさん、かなり物騒なところに関わりを持っていたことを疑われることになった。本人はその男性と知り合いであったことは認めたが、恋人関係であったことについては否定している。
 オランダでは王位継承権をもつ王族が結婚する際は議会および政府の承認を得なければならないと決められている。フリーゾ王子が結婚の承認を政府に求めたところこのスキャンダルが発覚したわけで、バルケネンデ首相は「婚約者に関する情報が不完全・不正確」を理由にハッキリと結婚に反対を表明した。これに対してフリーゾ王子は「過去の問題であり、政府の決定はあまりにも未熟でおろかだ」と怒り、結局10月10日に首相に書簡を送り、「すでに来春に結婚を予定している。政府の決定を受け入れる」と表明した。つまり、結婚は予定通り実行する、しかし政府の決定を受け入れて王位継承権を放棄する、と言ったわけだ。

 イギリスに前例がある「王冠をかけた恋」が引き合いに出されて報じられているが、フリーゾ王子は現在お兄さんのウィレム・アレクサンダー皇太子に次ぐ王位継承権第二位の地位にある。来年そのお兄さんにお子さんが生まれることになっているので、そうすると第三位に落ちる。だから割と軽く「王冠より恋」をとれたのだとも思える。
 そのアレクサンダー皇太子の方も結婚相手がアルゼンチン出身で、その父親が独裁政権で大臣をつとめていたことから物議をかもし、ベアトリクス女王の承認によりようやく結婚にこぎつけたという経緯があるそうで。ベアトリクス女王自身も夫であるクラウス殿下(故人)が旧敵国であるドイツ外交官出身であることで結婚当時反発を買った過去がある。
 日本の皇室でも思うけど、ロイヤルファミリーってのは一個の人間としてみるとあんまり幸福じゃないような…。
 


 最後にもう一つ短く。こちらはイギリスの元王族。
 元イギリス皇太子妃ダイアナさんがパリで交通事故死したのは1997年8月のこと。あんときゃ世界的にえらい騒ぎだったが、直後から「謀殺説」がささやかれていた。ダイアナさんと一緒に死亡した恋人のドディ=アルファイド氏の父親がそう主張していたし、リビアのカダフィ大佐はじめイスラム諸国で特にこれが口にされた。つまり「将来の国王となる人の母親がイスラム教徒と結婚するのを阻止しようとした」という謀殺説である。そればかりではなくイギリス王室が離婚騒動によって王室の「恥」を存分にさらけ出してしまったダイアナさんを憎んでいた、あるいは元夫であるチャールズ 皇太子の再婚を可能にするため、とか「謀殺」の根拠はいろいろと挙げられている。「そこまでするかな?」と思うところだが、確かにこの事故は不自然なところが多かった。写真をとろうとする「パパラッチ」に追い回されてスピードを上げていた、との話もあったが運転手が飲酒していたとか一人だけ助かった同乗者が肝心の部分で記憶を失っているとか、疑えばきりがないほどあれこれ情報が出回っている。
 そして先日、また久々にこの事故に関する新情報が出た。イギリスのデイリー・ミラー紙が報じたもので、ダイアナさんが生前、事故死する10ヶ月前に執事のポール=バレル氏に出した手紙というものが公表されたのだ。その中でダイアナさんは「ブレーキ故障で私が頭部を負傷する事故を起し、皇太子が再婚できるようにする計画がある」と「事故」による謀殺の危険を感じていたと思われる記述をしており、さらにその謀殺を計画している人物を名指しで書いてもいた。この名指し部分は「法的理由」から黒塗りで公開されているが、一気に謀殺説の再燃を招くことになった。受取人であるバレル氏はエリザベス女王から「この国には計り知れない権力が動いているから身の安全に気をつけなさい」と脅しめいた言葉を掛けられたとも主張しており、この手紙が「本物」だとするとイギリス支配階級の底知れぬ「闇」が見えてくるような気配も…
 弟さんのスペンサー伯爵は謀殺説を否定する声明を即座に出してますけどね。
 


◆ここんとこの小ネタ集

 さて、とにかく半年ぐらい「史点」更新をストップしてしまっていたもので、この間にあった小ネタは数知れず。しかし「ニュースな」と銘打っている以上時間のたったネタをとりあげるのもどうかと思え…とりあえず最近のものに絞らせていただきました。


◆そのトキ、歴史が終わった?

 実は学名は「ニッポニア・ニッポン」という国際保護鳥・トキ。その日本産トキ最後の一羽となっていたメスの「キン」(推定36歳)が10月10日に死亡した。人間で言えば100歳以上という高齢であったため倒れているのが発見された当初は老衰死と見られていたが、解剖とモニター録画の解析の結果、突然飛び上がってケージの扉に頭をぶつけたための「事故死」であったことが判明した。聞けば80年代末から白内障をわずらって両目とも視力が低下していたようだし、しょうがないかと思いつつ、「最後の一羽」の最期としてはいささか間の抜けた…いや、失礼、最後まで元気で劇的なご最期でした。
 「キン」が佐渡島で捕獲されたのは1968年のこと。この時点ではまだ生後一年の幼鳥で、「本州最後のトキ」であるオスの能里(のり)とのペアリングが試みられたがこれは失敗。その後佐渡島内に残っていた野性のトキ五羽を全て捕獲し繁殖を試みたがこれも失敗。中国産のトキを連れてきての「日中合作」ペアリングも試みられたがやはり成功しなかった。1995年に日本産トキ最後のオス「ミドリ」が亡くなって「キン」が最後の一羽として頑張っていたのだった。
 それで現在のトキ事情は、といえば。純日本産トキの復活をあきらめた佐渡トキ保護センターでは1999年に中国から「友友(ヨウヨウ)」「洋洋(ヤンヤン)」のペアを連れてきて人口繁殖を開始。そしたらこれが一人っ子政策の国から解放された反動か毎年ヒナが生まれる大盛況(笑)。現在トキ保護センターには39羽が生活、2008年に100羽を超え野生に復帰させる方向にまで話が進んでいる。そうなると学名も「チャイナ・チャイナ」になっちゃったりするんだろうか。
 というわけで純日本産の「とき」は上越新幹線の列車の名前でのみ残ってます。これもかつての上越線特急の名前で1962年にスタート、1982年の上越新幹線開業と同時に各駅停車特急の名前として格上げされたが、1997年に長野新幹線が開業する際に東北・上越新幹線の特急名を統一することが決まり、上越新幹線は「あさひ」に統一され「とき」は一時「絶滅」、しかし長野新幹線の「あさま」と紛らわしいという理由から2002年に「あさひ」が「とき」に変更されまた復活、という波乱にとんだ経緯がある。


◆歴史は繰り返す!

 またありましたねぇ、日本軍金塊騒動(笑)。フィリピンの「山下財宝」は年がら年中やってるようだが、つい数年前にタイでも起こってタクシン首相自ら出動して笑いものになるということもあった。そして今度はパプアニューギニア。
 騒ぎが起きたのはパプアニューギニア北東部の離島ニューアイルランド島(ギニアとかアイルランドとか、「ニュー」地名がいっぱいあるんだろうか、この国は)。太平洋戦争時に日本軍が拠点を置いた島として知られるラバウルの近くらしい。地元の住民が旧日本軍が掘った山中の横穴で腐った木箱を数個発見、開けてみたら金塊がどっさり、「合計10万トン」との報道も流れた。この報道が10月7日に新聞で流されるとパプアニューギニア政府も調査隊を送り、「本物ならとても助かる」と財政難解消に寄与することを期待する声まで出てしまった(笑)。しかし地元の有力者たちが「よそ者は入れん」と政府の調査隊上陸を阻止しようとするなど、騒ぎが拡大していったのだった。
 まぁ結論は見えてましたけどね。10月20日にその地元の住民(その辺一帯の地主らしい)「あれはウソ」と最初に報道した新聞紙上で告白。「宝探しの外国人が自分の土地に入り込んでくるので、つい作り話を流した」のだそうな。と、するとそうした「日本軍埋蔵金」を探している外国人ってのがまずいるわけだな。


◆国内全面禁煙!

 「禁煙」の範囲がドンドン広がって喫煙者には肩身の狭い状況が日本でもあるが(なお、僕は非喫煙者)、とうとう「国内全部禁煙」というすさまじい徹底方針を示す国が現れた。ブータンである。ヒマラヤ山脈の麓の小王国で仏教国家。昭和天皇の葬式時に来日した国王の服装が日本の「ドテラ」みたいだったこと、世界最弱を決定するFIFA公認サッカー「ビリ決定ワールドカップ」を争った一国(ちなみに相手は中米の英領モントセラトで、4−0でブータンが勝った)、ということで僕の記憶にある国だ。
 喫煙禁止は宗教的な側面も強いらしい。僕が読んだ毎日新聞記事によると、17世紀にこの地を統一した高僧ナムギェルが喫煙禁止を布告したことがあり、以後も僧侶たちによる喫煙禁止運動(?)が続けられてきた。すでに政府の方針として国内全面禁煙を年内にも実現する方針だそうだが、喫煙者はまだ全国民の1割はいるとのこと。特に「都会化」が進み欧米文化の影響も受けやすい首都ティンプ(人口3万弱)周辺で、特に若者を中心に喫煙者が多いらしい。ニドゥブ保健教育相は「最後の難関だが、完全禁煙を実現して国民の誇りにしたい」と語っている、とのこと。ケムリよりもホコリ、ってところですか。


◆ウオツカ生誕500周年!

 知らなかった。ロシアの熱ーい酒として知られるウオツカの生誕年が確定されていたとは…。
 てなわけでタバコの次は酒の話題(元ネタはCNNサイトの記事)。なんでもウオツカはクレムリンの修道院で1503年にクレムリンの修道院で作られたのが最初だそうな。ライ麦を蒸留したもので物凄いアルコール度なのだが、当初は酒ではなく消毒液として利用されていたとのこと(エチルアルコールみたいなもんだもんな)。それを酒にして飲むようになり、やがてロシア人の生活を語る上で欠かせない飲料となってしまった。
 日露戦争時に戦時統制のつもりだったのか最初の「禁酒令」が出されたそうだが、最近でもソ連末期にゴルバチョフ書記長がアルコール中毒防止のため「節酒令」を出したことがある。それでソ連が崩壊した、わけはないだろうが(笑)その次の指導者のエリツィンさんはよく知られているように大変なノンベエであった。そして現在のプーチン大統領はといえば飲まないわけではないが緑茶を飲む方が好みという渋い嗜好らしい(いわゆる日本茶なのかどうかは不明。柔道愛好家ではあるんだけどね)


◆世襲大統領ここにも登場

 日本は解散総選挙の真っ最中だが、日本の国会議員にやたらに世襲議員がいるのはよく知られるところ。現時点で全国会議員の4分の1ぐらいが世襲議員と言われる。まさに「貴族院」化が進んでいるわけだが、選挙に強い地盤・看板を引き継げる、なおかつ選挙区地元にとってもその利益代弁が引き継がれやすく好都合といった理由からなんだろうが…もっとも同様のことは日本に限ったことではないんだけどね。日本は少なくともまだ「世襲首相」は出してませんから。祖父-孫のケースで一回だけ例があり(近衛文麿と細川護煕)、そろそろ吉田茂やら岸信介やらの孫に可能性が出てきているが…

 っと、本題は旧ソ連国家のひとつアゼルバイジャンの話である。10月15日に行われた大統領選挙で現大統領のヘイダル=アリエフ大統領(80)の長男で首相をつとめていたイルハム=アリエフ氏(41)が当選を決め、「世襲大統領」の誕生が確実となった。一応選挙という手続きは踏んでおり「民主的選出」ということになっているんだが、対立候補や選挙監視員からは二重投票や勝手な開票など不正行為があったとの声を上げており、一部ではデモ隊と治安部隊の衝突も起きたりしている。

 父アリエフ大統領は現在アメリカで病気療養中で、当初予定していた立候補をさすがに断念してすでに首相をつとめさせていた長男を後継者に指名して立候補させ自らは引退を表明した。この人、1940年代からソ連の共産党員としてエリート政治家の道を歩んできた息の長い大物で、アゼルバイジャンのトップ指導者になったのはなんと1969年からというとんでもない年季の入り方をしている人である。ソ連崩壊直前の1990年にしっかりと共産党を離党、1995年からアゼルバイジャン大統領の地位にあった。1998年の再選では90%もの得票率だったそうで、これもあまり公正な選挙ではなかったのではないかと推測されている。もっともアリエフのもとでソ連時代から今日までアゼルバイジャンが経済的に成長著しかったというのも事実のようでその面での支持も多いし対抗馬がいない、という事情もあるようだ。
 そのアゼルバイジャンの経済成長の背景にあるのがやっぱり「石油」だ。そして今回後継者になったイルハム氏はビジネスマン出身で「アゼルバイジャン共和国国営石油会社」の第一副社長だったという前歴をもつ。うーん、なんだか世界最大の某超大国の世襲大統領のことが連想されるのだが…


2003/10/23記事

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