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2004年6月9日

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◆今度は短い「いちばん長い日」

 さて、バタバタやってるうちにすっかり時期ハズレのネタとなってしまったのだが…
 以前「日朝のいちばん長い日」というタイトルの「史点」記事を書いたことがある。もちろん一昨年9月17日の小泉首相が初訪朝し、金正日総書記(小泉さんはあくまで彼の政府内の肩書きである「国防委員長」と呼んでいるが)と初の日朝首脳会談を行い、北朝鮮による拉致事件の確認と謝罪、五人の被害者を四半世紀ぶりに帰国に導き、今後の国交正常化交渉へ向けた「日朝平壌宣言」にサインした、あの一日について書いたものだ。
 そのとき僕が第一印象として「こりゃー小泉さん、あと2年はやれるんじゃないか」などと書いているが、とりあえず現時点であれから1年と8ヶ月持ちこたえた上での「再訪朝」が5月22日に行われた。それもわずか一週間前に電撃的に発表し世間を「おっ」と驚かせるという、小泉政権らしいビックリ演出の上でだ。おかげさんでこのところ賑やかだった年金未納問題やら(首相自身の「疑惑」もそこに含まれていた)それと連動する民主党の党首交代などの政界ネタも吹っ飛んでしまった感がある。

 「ビックリ演出」と書いたが、水面下で話が進んでいることをにおわせる動きはすでにあった。4月1日に首相の盟友であるが現在落選で無職状態の山崎拓氏と拉致問題に長らく関わってきた平沢勝栄 議員の二人が極秘に中国・大連に飛んで北朝鮮側と接触している。いわば「密使外交」というやつだが、歴史を振り返ればこの手の交渉の例は数多く、大方のところは密使間の交渉で決まり、トップ会談は最後の仕上げの儀式だけというパターンは一般的なものだ。だってトップ会談で急転したり決裂したりしたら目も当てられないもんね。小泉さんはしらばっくれていたが、「浪人」であるとはいえ首相の盟友であり自民党のナンバー2でもあった山崎氏が「密使」をつとめるからには、それが首相の意を受けてのものであるのは明らかだった。
 しかしこの「密使会談」が発覚すると「二元外交」だとして一部から反発・批判の声が上がった。長らく拉致問題と関わっている平沢議員も「拉致議連」の事務局長を解任され一時は除名されかねない気配すらあった。こうした批判に対し平沢議員はとくに反論はせず「半年後、一年後に成果が出る。それを見てから言ってくれ」と言うにとどめた。このセリフに「どうやら何か進展があったな」と感じた人は少なくなかったはず。まぁ平沢さんもこんなに早く結果が出るとは予想外だったみたいだけど。

 電撃的な訪朝発表は実行までがわずか一週間ということもあって、一昨年の訪朝前よりもマスコミや評論家、政治家や拉致家族など関係者も事前に騒ぐヒマがなかったという感もある。もちろんそれも狙いの一つではあったのだろう。一部報道では当初参院選に影響を与えるため6月中の予定だったとも言われるが、急にこの五月に前倒ししたのは、良くも悪くも小泉さんらしい「即断即決」があったのだろうと思う(たぶんこんな調子でそのうちイラクに電撃訪問するんじゃないかな) 。その後出てきた話では北朝鮮側は拉致被害者の家族達を日本に渡すにあたってはあくまで「首相訪朝が条件」とこだわったそうで、小泉さんとしてはその辺つまらんメンツにこだわらずに実行した点は評価していいと思う。名よりも実、とも言えるが当初は拉致被害者本人達をいったん返す、あるいは家族を平壌まで迎えに行かせるという要求もあったんだから、けっこう日本側もメンツを押し通したとも言えるのだ。小泉首相に対する待遇が低いだの軽いだのといった批判の声もあったが、これもどうやら日本側がそう要求した部分が大きかったようだし。
 で、二度目の訪朝のその日は僕は仕事のためリアルタイムで状況を知ることは出来なかったのだが、全体としてみれば実にあっさりとしたものだった。先日の中国訪問もほとんど隠密行動だった金正日総書記と小泉首相の首脳会談は1時間半ほどで終わり(北朝鮮側が一方的に打ち切った、とされるが)、その夜には首相と、そして拉致被害者のお子さん達が日本に着いていた。お子さん達は一週間ほど前に「日本へ行く事になる」と言い渡されていたそうだから、発表時以前に全てお膳立ては整っていたってことだ。曽我ひとみさんの夫・ジェンキンス さんが脱走兵として訴追されることを恐れて日本に来るのを渋るのではないかとの観測もされていたし、そもそもここに来てかえってアメリカ側が「特別扱いはしない」という強硬姿勢を示し始めたこともあって曽我さんの家族三人が日本に来なかったことについても特に意外でもない。仕事が終わって帰宅する途中で駅で配っていた号外で結果を知った僕はあまりにも事前予想通りの展開に拍子抜けしたぐらいだ。

 首相の帰国後、拉致被害者の「家族会」やそれを支える「救う会」、さらには「拉致議連」といった人々から首相の訪朝に対して「最悪の結果」「子供の使い」といった激しい非難の声が上がったが、これもだいたい予想通り。そもそもこういった人たちは今回の訪朝自体に反対、あるいは批判的だったが、それもこういう結果が出ると半ば予想していたためだろう。特に前回の訪朝時に「死亡」とされた拉致被害者、あるいは拉致の疑いがあるが北朝鮮側が認めていない人々についての調査が棚上げされ、経済制裁もせず国交正常化交渉が進められていくことに危機感があったはず。それでああいう激しい首相批判の声が出る事になったのだと思う。それで世論を喚起して…という目論見もあったことも確かだろう。拉致議連の平沼赳夫会長なんかは「あわよくば政局」とまで考えていたフシがある。

 だが、世論がそうはなびかないだろうな、という予感が僕にはあった。これは前回の訪朝の時にも感じたことだが、首相自らがいわば「敵地」に乗り込んで拉致被害者の家族をともかく連れ帰ってきた、それだけで大半の国民は「よくやった」と感じちゃうものなのだ。実際、先述の駅で配っていた号外を手にした人々が「やったじゃん!」と言い合っているのを僕は目撃している。そして恐らく多くの人は北朝鮮との間で波風が立たなくなればそれに越したことはない、という程度の感覚でいるわけで、とりあえず平和裏に話をまとめてきた小泉首相の支持率は一時的にせよ上がるんだろうな、とは感じていた。実際直後の各メディアの世論調査では訪朝評価、内閣支持率増加、別に急がなくてもいいけど国交正常化すべしが半数以上、そしていわゆる拉致不明者についての情報が明らかになることについては悲観的、といったおおよそ予想範囲内の結果が出ていた。前回同様一部マスコミが刺激的な見出しで批判を煽ったりもしていたが、反応はほとんどなかったと言っていいと思う。つまるところ大多数の国民にとっては我が身が安全でさえあればいいわけで。

 しかし僕にはちと予想外だったのが、「家族会」「救う会」の訪朝成果批判の記者会見に対してバッシングといっていいほどの批判の動きが見られたことだ。ある程度彼らに対する批判があることは予想しないでもなかったが(僕自身とくに「救う会」に関しては批判的に見ざるを得ない部分がある) 、「家族会」「救う会」の側がああもビックリしてしまうほどのものが来るとは思ってなかった。先日のイラク人質事件での被害者本人や家族への中傷攻撃などは何か大ごとが起こったときのヒステリーの一種ととることができたんだけど、このケースは似ているようで違うんじゃないかとも感じた。「波風を立てるんじゃない」という動きという点では共通性も感じるんだけど…
 とりあえず訪朝直後にまたグンと上がった小泉支持率だが、その後の年金法改正の強攻策なども響いたか、またガクッと下がった。それでもまだまだ高支持率ではあるんだけど、熱しやすく冷めやすい、はっきり言って忘れっぽい大半の有権者の性格が現れてるように思いますね。



◆いい仕事してますねぇ。

 もはやこれも懐かしいフレーズになってきたかな。「開運!なんでも鑑定団」もよくまぁネタが尽きずに続いているもんだ。
 イタリアからこの番組の話を思い出すような報道があった。古美術商から購入した小さな十字架キリスト像が、なんと若き日のミケランジェロの作品であると鑑定で断定されたというのである!

 イタリアの個人収集家が知人の美術学者に薦められてフィレンツェの古美術商から購入したのは、高さ41.3センチ幅39.7センチの小さな木製の十字架キリスト像だった。購入時の値段は不明だが、どうもこのとき購入を薦めた学者さん本人も「もしかしてミケランジェロ作では…?」と疑っていて購入させたフシがある。そしてこの学者の呼びかけで美術史家から病理学者まで集めた調査チームが作られ、さまざまな角度から検証が行われることになった。そしてミケランジェロ作のほかの十字架像や「ピエタ」「ダビデ」といった代表作との比較検証の末、「まず間違いなし」との結論にいたったのだった。製作年代は1495年ごろ、ミケランジェロ20歳前後の作と推定されるという。

 面白いのがこの調査に参加していた病理学者の検証により、この十字架のキリスト像について「モデルは20〜30歳の男性。死後48時間以内の遺体を解剖し、忠実に再現したもの」であると判明したという点。同時期のレオナルド=ダヴィンチ も人体解剖をしスケッチをしていたが、ミケランジェロもやはりやっていたということのようなのだ。もっとも「万能の天才」ダヴィンチの場合は芸術的関心もさることながら科学的関心からも人体解剖に積極的だったみたいだけど。この十字架像を作ったころのミケランジェロは自分を見出してくれたフィレンツェ支配者ロレンツォ=デ=メディチの死去にあって芸術家として新たな脱皮を求められていた時期で、誰かが彼に協力して遺体を提供したのではないかとの推測も出ているみたい。
 なお、やっぱり気になっちゃうのがこの「発掘お宝」のお値段だが…「いま売買されても値段は思いつかない」という状態らしい。まぁそりゃそうでしょうねぇ…なんっつっても「いい仕事」した人のレベルが凄すぎるからなぁ。もっとも購入した個人収集家当人は「売る気は無い」と言っているそうで。


 そのミケランジェロの代表作「ダビデ」といえば中学の歴史や美術の教科書に堂々と載る男性無修正ヌードとして有名であるが(笑)、実は今年で完成後きっちり500周年を迎える。それを機に昨年9月から「ダビデ」像の入念な清掃作業が進められており、ようやく作業終了して5月末に一般公開が再開された。
 聞くところによるとこの「ダビデ」、1524年に起きたフィレンツェ暴動で早くも右腕が落っこちちゃった過去があるとか(これがホントの…と放送禁止用語になるのか?) 。また6トン以上ある「体重」を細い足が支えきれず、左足首に亀裂が生じていたそうだ。さらに1991年と最近でもカナヅチで左足指を一本潰されるという痛い目にあったこともある。そして全体の表面も湿気に侵食されて石膏が剥げ落ちるといった劣化が起きていたので、500年を機に「お身拭い」をすることになったわけだ。
 さすがに「ダビデ」のお掃除となると雑巾でキュッキュッキュッというわけにはいかず、水と特殊な粘土をしみこませた薄紙を「パック」よろしく全身に貼り付け、医療用メスみたいな器具で表面の染みを落としたりしたそうで。8カ月がかりの繊細な作業の結果、専門家も「像の表面の光と影のバランスがより良くなった」と評し、作業に携わった修復家も「ダビデ像は、往年の輝きを取り戻した」と胸を張っているとのこと。あなたもいい仕事してますね、ホント(^^)。



◆政界一寸先は闇?

 3週間も更新できないでいると、あれよあれよといろんなことが起こる。前回で書いた内容がすっかりひっくり返っちゃったものも多々有り…。


 まず前回断定して書いちゃったインドの新首相。国民会議派を中心とする勢力の政権奪取により国民会議派党首であるソニア=ガンジー総裁が新首相となって「ネルー・ガンジー王朝」再来かと見られていたのだが、結局ドタンバで固辞。やっぱりイタリア生まれであることがネックと考えたようなのだ。結局新首相に就任したのは国民会議派幹部で元財務相のマンモハン=シン氏(71)。つまり「新首相はシン首相」である(笑)。シン氏は敬虔なシーク教徒(ヒンドゥー+イスラムの融合宗教。ターバンで一目で分かる)であり、シーク教徒の首相就任はインド史上初めてとなる。経済手腕・国際的知名度などはあるそうだが、ソニア女史ほどの求心力はないとも言われており、政権運営がどうなるのか、注目だ。


 日本政界もドタドタしている。といってもドタドタしているのは基本的に最大野党の民主党。菅直人前代表が辞任して次の代表は小沢一郎氏にいったん決まったのだが、小沢氏にも年金未加入時期があることが判明すると小沢氏は「それでは小泉批判はできない」ということで就任辞退。結局幹事長をつとめていたジャスコの御曹司・岡田克也氏が新代表になる運びとなった。岡田氏も元自民党、その後小沢氏にくっついて流浪してきた過去があるが、流れ流れて最大野党党首の座に。しかし正直なところ今の時期誰もやりたくなさそうな役回りではある。

 さて発足したばかりの岡田民主党がまず手ぐすねひいて待っていたのが小泉首相 の訪朝だ。その結果は事前にだいたい予測できたから、それへの世論の批判に乗じて小泉政権攻撃を…などと甘い夢をみていたら、国民の支持率アップにあららら、と困惑するという醜態をさらしてしまった。そうした足元のふらつきぶりを見透かしてだろう、与党側は年金改革関連法を委員会で強行採決。これもかなりの暴挙なのだが、対する民主党のやったことはといえば…
 当初民主党幹部が「憲政史上初めての秘策がある」などと言っていたので「ほほう、お手並み拝見」と多少は楽しみにしていたところがあったのだが、なんのことはない、参院本会議で採決する直前、休憩の間にピケを張って倉田寛之参院議長を議場内に入れないようにして、民主党出身の本岡昭次副議長が議長席について「これにて本日は散会いたします」といきなり宣言する、というものだったのだ。散会してしまえば五日間は議会が再開できない…という引き伸ばし戦術だったのだが、わずか十分後に議長席についた倉田議長が「散会は無効」と宣言してそれでジ・エンド。与党側も事前に「秘策」とやらを読んでいて「議事日程に記載した議事を終わったときは、議長は散会を宣言することができる」 と定めた参院議事規則82条を根拠に理論武装をやっていたのだった。この「散会の秘策」をやっちゃったために、それまで長時間演説や新決議案連打、牛歩戦術など古臭いけどそれなりに有効な議会闘争方法をやっていたのが全部無駄になってしまったんだから、もう「アホか」と。「散会は有効」とする立場のため民主党・社民党は出席できず(こういう時いつもそうなのだが共産党は反対しつつ欠席はしないんだよね)、かえって与党優勢に拍車をかける結果になってしまった。青木幹雄・自民党参院幹事長が「散会作戦」を聞いて「願ってもない」と大笑いしたとも伝えられる。
 岡田民主党代表は「副議長が正当な権限に基づいて散会手続きをした後で、不信任案を突きつけられた議長が覆した。あってはならないことが起きた」 と吠えてみせていたが、自分達の作戦ミスと状況判断の甘さを棚に上げちゃいかんですな。その後も審議をボイコットして空転国会になるかと思ったらアッサリ妥協して拍子抜けさせたり、つくづく民主党ってのは腰が据わっていないところだ。これはリーダーが変わっても変わらない。


 一方の与党側では例によって不注意発言が続いていた。佐世保で起こった小学生女児が同級生を殺害した事件に関連してだったが(この事件自体についても僕は強い関心を持たざるを得なかったが「史点ネタ」ではないので事件そのものについてはここでは扱わない)、まず井上喜一防災担当大臣が「元気な女性が多くなってきたということですかな」と発言している。まぁ軽い気持ちでの発言なのであろうが、事件そのものの本質とはズレまくっている気はする。その後この井上発言を「社会の変化と共に性別の犯罪も変化してきた」という主旨で擁護しようとして谷垣禎一財務大臣が講演で八百屋お七のことに触れ、「若いころ、放火は女性の犯罪だった。男もやりますが、どちらかというと女の犯罪。カッターナイフで首を切るのは女性もやるが、圧倒的に大人の男の犯罪でした」 と発言している。「八百屋お七」とは天和3年(1683)年に放火で大火を起こしてしまい火あぶりにされた女性で、動機はその前の火事で出会った男性に恋して「火事になればまた逢える」と思いつめてのことだったと伝えられる。有名な話ではあるのだが、谷垣さんは17世紀に青春を送っておられたのであろーか(笑)。なお、朝日新聞には意地悪く(笑)、谷垣氏が20歳だった1965年当時の放火犯の内訳「男性326人、女性39人」のデータを掲載していた。2002年には「男性272人、女性38人」だそうだから、ちょっとは割合が増えている計算になるけど。



◆'85年の大統領死去

 6月4日、アメリカのロナルド=レーガン元大統領が93歳で亡くなった。歴代アメリカ大統領のうち最長寿の記録を打ち立てたが、その晩年の十年はアルツハイマー病に侵され次第に記憶を失っていくという寂しいものだった。末期には妻のナンシーさんのことも判別できなくなっていたという。
 ロナルド=レーガン、と聞くとどうしても映画ファンとしては往年出演の西部劇映画、ではなく、やはり「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が思い起こされてしまう(笑)。1985年の高校生がタイムマシンで1955年に飛ぶ話だが、そこで「1985年の大統領は?」と聞かれて「ロナルド=レーガン!」と答えると、当時主演映画をやっていたこともあり本気にされないというギャグで使われている。ビデオカメラを見せられた「ドク」が「なるほど、俳優が大統領になる時代なわけだ」などとつぶやく場面などは結構真実を突いているところもあった。こうしたギャグがそのうちシュワルツェネッガー氏でやられることになるんだろうか…あんまし楽しい未来ではないような気もするが。ターミーネーターだけに(笑)。

 レーガン氏はラジオ局アナウンサーを経て映画界入りし、西部劇を中心に50本ほどに出演している。俳優時代には俳優組合委員長を務めるなど組合活動に熱心で、民主党左派系、バリバリのリベラル派を標榜していたという意外な事実がある。しかし50年代には保守派に転向、対共産圏ラジオ放送「自由十字軍」の宣伝映画に登場したり反共の急先鋒となって共和党に接近していく。映画界を引退してからは本格的に政界入りして1962年に共和党員となり、1966年にカリフォルニア州知事に当選、二期8年務めることになる(だからシュワちゃんも経歴上ダブっちゃうのである)。1980年にブッシュ父氏とのコンビで大統領選に立候補して現職のカーター大統領を破って当選、このころ従来は「リーガン」と読まれていたのを、「レーガン」と読ませるよう変更している(スペルは「Reagan」なんだけど日本人ヒアリングではほとんど聞き分けられんなぁ)

 レーガンが現職のカーターを大差で破った原因には、当時のカーター民主党政権の「人権外交」がイラン革命とアメリカ大使館占拠事件、ソ連によるアフガニスタン侵攻などに直面して「弱腰」と見なされたことが大きかったと言われている。これに対しレーガン政権は「強いアメリカ」の外交政策を全面的に打ち出し、ソ連を「悪の帝国」と呼んで軍拡路線を突っ走り、「スターウォーズ計画」などとも呼ばれた「SDI計画」なんてものまでブチ上げた。このレーガン政権のブレーンは副大統領のブッシュ父、その息子のブッシュ・ジュニアがその後大統領になっているのを初め、現在のブッシュ政権につながる人脈が多く、SDIも「ミサイル防衛構想」に衣替えして軍拡・対外強硬・一国主義といった現米政権の性格傾向はほぼこのレーガン政権時代に根っこがあると言っていい。
 こうしたレーガン政権の外交政策が「冷戦での勝利を導いた」とする論調が一部にあるが、それはどうでしょう?というのがこちらの本音。ゴルバチョフ 出現とペレストロイカの開始はたまたま時期がかち合っただけとしか思えないし、そもそもソ連がそれ以前にガタが来ていたからこそゴルバチョフ登板と改革が始まらざるを得なかったわけで。そしてそれが引き金となってソ連と共産圏が勝手に自壊したというべきで、むしろレーガン政権はその後半ではゴルバチョフにつきあって積極的に対ソ融和政策と核軍縮路線をとっていた。そしてアメリカ国内はといえば「レーガノミックス」と呼ばれたレーガン政権の経済政策のもとで財政と貿易の「双子の赤字」を抱える債務国に転落、経済的にはアメリカを大きく弱体化させた面もある。1994年にアルツハイマー病を告白した際、いしいひさいち氏が4コマ漫画で「実は発病は10年前からでした」とレーガンに言わせるというギャグをやっていたが、これもその点を皮肉ったものだ。

 現在のブッシュ政権の暴走ぶりを見るにつけ、その直接的原点はレーガン政権にあると思う僕などにはこの人の業績を称えようという気はこれっぽっちも起こってこない。
 話が前後するが、先月の22日にカンヌ映画祭で最高賞のパルムドールをマイケル=ムーア 監督のドキュメンタリー映画「華氏911」が獲得した。前作の「ボーリング・フォー・コロンバイン」もアメリカの銃社会批判と同時にその背後にあるアメリカ白人の独善主義への痛烈な批判をこめていたが、この「華氏911」はブッシュ一族とビンラディン一族との関係から始まって911テロからイラク戦争に至るブッシュ政権への批判をより直接的に行ったものであるという。タイトルからしてレイ=ブラッドベリの古典名作SF「華氏451度」(「華氏451度」とは本が燃える温度。言論統制された社会を描いている) のもじりで、そこにアメリカ国内での言論状況への皮肉をこめているのだろう。当然まだ僕はこの映画を見てはいないが、カンヌでの上映時の騒ぎなどを聞いてパルムドールの可能性は感じていたが、実際とってしまうとやはり驚き。一部にブッシュ政権に批判的なフランスのカンヌだから政治的な受賞だとする声もあるが(これが案外フランス国内のマスコミに出ていたりする)、審査委員長のクエンティン=タランティーノはじめ審査員は実はアメリカ人が多数派だった。ホワイトハウスはこの受賞について「ムーア氏の受賞で、アメリカが思うことを発言できる自由の国と改めて教えてくれた」と皮肉を込めたご祝儀コメントをしていたが、この映画の国内上映について政治的な圧力がかかっていたのも事実で(昨年中に決まっていたことを映画祭直前にムーア監督が少々スキャンダラスにブチ上げた部分はあるにしても)、アメリカが本当に「自由の国」なのか疑問を感じるところではある。

 さて受賞してご満悦のムーア監督は「ブッシュ大統領が受賞の知らせに驚いて、また好物のブレッツェルでのどをつまらせないよう祈るよ」 とジョークを飛ばして記者団の爆笑を誘っていたが、まさにその直後にブッシュ大統領がテキサスの牧場内のマウンテンバイクで転倒、顔と右腕・両膝をすりむくというケガを負ったというニュースが流れた。以前にも「セグウェイ」に乗ってコケたことがあったし、こういうドジな話にことかかないお人ではある。ここまで来るとわざとやってるんじゃないかと思えてくるが…。そういやフセイン元大統領の拳銃をホワイトハウスの書斎に保管して来客に見せびらかしてるって話も出たっけな。
 結局お流れになったという未確認情報だが、実際にカンヌ映画祭の審査委員たちがジョークとしてブッシュ大統領に「コメディアン賞」を与えようという話があったらしい…。彼もやっぱり「役者」なんでしょうかねぇ。
 

◆また恒例で小ネタ集

 3週間も執筆をサボってるといろいろと捨てがたいネタがたまってきてしまうので、一挙放出。


◆キャパ、没後50周年

 先日日本人の戦場ジャーナリスト二人がイラクで襲撃を受け亡くなるという事件があったが、史上もっとも有名な戦場カメラマンといえばロバート=キャパ。ハンガリー出身でスペイン内戦での「銃弾に倒れる人民戦線兵士」の決定的瞬間の写真(あまりにも決定的瞬間なので「やらせ」疑惑もあるんだけど) 、ブレまくっているがためにかえって現場の緊迫感を伝えた「ノルマンディー上陸作戦」の写真などで特に名高い。最後にインドシナ戦争の取材にベトナムに出かけ、フランス軍に同行中に土手に仕掛けられた地雷に触れて死亡した。享年40歳。最後に撮った写真はまさにその土手と荒地を歩くフランス兵10人が映ったものだった。
 読売新聞で記事になっていたが、このキャパ最後の写真を手がかりに執念深く現地調査を続け、キャパ最期の地を特定したのが写真家の横木安良夫氏。現在は水田と舗装道路に姿を変えているというその地点で、5月25日のキャパ没後50周年の慰霊祭が日本・ベトナムのカメラマンや現地住民を集めて行われたとのこと。
 キャパ没後50周年ネタはイギリスの新聞タイムズも報じていた。最近発見されキャパ撮影と確認された、彼には珍しいカラーの未公開写真の数々が一面に掲載されたのだ。いずれも第二次大戦中のもので、フランスへ飛び立つイギリス空軍パイロットやチュニジアでのアメリカ機甲部隊などが写っているとのこと。


◆竜馬の写真は焼き増し可能!?

 続いても写真ネタ。幕末の志士・坂本竜馬の右手を懐に入れ革靴を履いた写真といえばあまりにも有名だが、この写真は長崎で1866年に「上野彦馬写真処」で撮影されたものといわれる。で、この写真のガラス湿板が、これを原板として「焼き増し」することが可能な「種板方式」であったことが、高知県立歴史民俗資料館と東京都写真美術館の共同調査で判明し5月29日に発表された。「新し物好きで交際範囲の広かった竜馬だから、焼き増しして名刺代わりに配っていたのでは」との研究者の意見も出ていて、まぁこの人らしく面白いところではある。なお、この写真の竜馬の頬や服の襟などにコントラストを強調するためか修正の跡も確認されたそうで。


◆「周墟」発見か!?

 これ、かなりの大ネタだと思うんだけど、現時点では全体像が見えそうに無いので小ネタ扱いだ。
 第一報は5月26日に入ってきた。古代の周王朝発祥の地である中国陝西省岐山県(日本の「岐阜」もこの地名に由来している)で、西周時代の占い用の甲骨が700件以上見つかり、そのなかで識別可能な文字が350個確認されたというもので、その文字の中には「周公」と読めるものが複数あったという。この「周公」がもし固有名詞である場合、殷を倒した武王の弟で兄の亡き後その子・成王を守って王位を狙うほかの兄弟達を倒し、自らは臣下の列に下ってあくまで忠義を尽くしたとされる、孔子も理想としていた伝説的名臣周公丹のことになり、大いに注目を集めるところだ。
 その後6月1日に入って続報があり、ボーリング調査により周代の王墓群と見られる大規模な古墳群が確認されたとの報道があった。古墳数は12基で、周囲は厚さ10m、全長1500mもの城壁が取り囲んでいたという。さらに3日になって大きな墓は全部で19基に増えたと発表され、殷周時代考古学の権威・鄒衡北京大学教授(78)が現地を視察、「今回発見した大墓は、現在までに発見された西周時代の墓の中でも、最高の地位の人を埋葬した遺跡群だ。発見された甲骨からも『西周の殷墟』であることがうかがわれる。その意義はどれだけ高く評価してもしすぎではない」と最大限の評価を与えたことが報じられた。
 年代特定は難しい時代なのだが(以前中国学界が殷周交代の年代を「特定」しちゃったこともあったが)、どうやら紀元前11世紀あたりのお話。なんせ孔子(紀元前6〜5世紀)から見ても伝説的領域の古い話なんだよなぁ。これが今後どういう成果を見せてくれるか、注目だ。


◆あの政治家が日本囲碁界の「殿堂入り」!

 財団法人「日本棋院」の創立80周年を期して東京・市ヶ谷に「囲碁殿堂資料館」なるものが今秋オープンするそうで。そこに第一回の「殿堂入り」となる人を決める表彰委員会が5月28日に開かれ、4人の人物が選出された。
 この第一回の選考は江戸時代の人物から選ぶ事に決まっていようで、近世囲碁の開祖といわれる第一世本因坊算砂(1559―1623年)、天下敵なしと いわれ「碁聖」とたたえられる第四世本因坊道策(1645―1702年)、 近代布石の基礎となる「秀策流布石」を開発、道策とともに「碁聖」とたたえられる本因坊秀策(1829―1862年)といった人物が選ばれた。囲碁についてはルールも歴史も知りゃしないのでこの三人については新聞記事をそのまんまコピペするしかない(笑)。
 で、四人目は誰かといえば、なんと徳川家康氏(1542―1616年)。別に家康が碁に強かったかどうかという問題ではなく「碁打ち衆を保護し囲碁の家元制度の基礎を築いた」という囲碁界への貢献を評価してということらしい。これから彼らの胸像が作られて殿堂資料館に展示されることになるそうだ。来年の第二回からは明治以後の人物からの選出になるとのこと。


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