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2004年6月23日

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◆今週の記事


◆恒例・贋作サミット・シーアイランド編

 アメリカはジョージア州のとある観光地の島に、世界各国の首脳が集まりましたとさ。

米「やーみなさん、どうも遠いところからいらっしゃいませ。特に欧州組の方々はDデー記念式典(注1)と連続でご苦労様です」
仏「しかもおたくの国の元大統領の葬式のおまけつき。日程調整のために殺してないかい?(←軽くエスプリ)」
独「容態急変との報道が出た当初は“数週間から数ヶ月”っていう話だったのにいきなり翌日ってのがなぁ」
露「しかもあんたのご両親の誕生祝いまでついでにやらせちゃって…母上が8日、父上が13日なんて(注2)
米「しっかし私の母の誕生日までご存知とは恐れ入りましたよ」
露「いや、なんつっても元KGBですので(笑)(注3)
独「あんたが言うとジョークにならないんだよなぁ」
米「ま、ま。ともかく昼食にいたしましょう。さあお席に」
伊「おや、お肉ですか」
米「はい、全部牛肉料理(注4)
加「……やっぱり米国産?…だよね(汗)」
米「そりゃもう、我が国の牛肉は世界一安全です!ほら、貴方には特製の牛丼を」
日「おおーーーっ!それは貴重なものを!感激したっ!!」
米「ただし牛肉がアメリカ製、ツユがイギリス製、ドンブリは韓国製。お米はご自分で用意してください」
日「はいはい、多国籍丼ですね!すぐに参加します!」
米「つきましては我が国の牛肉輸入禁止もぼちぼち解除して…」
日「ええ、そりゃもう。国産の猛牛軍団は処分することにしますから!(注5)
英「そーか、NATO軍についても美味しいエサで釣ればよかったんだなぁ」
仏「フン、世界の料理大国が米英ごときの不味いエサに釣られるものか」
伊「へっ、カタツムリ食ってる国のクセに」

 ---などと騒いでいるうちに始まった昼食会にはアフガニスタン、アルジェリア、バーレーン、イラク、ヨルダン、イエメン、トルコといった国々の首脳も参加、「拡大中東構想」(注6)などが話し合われた。---

米「えー、つまり拡大中東構想といいますのは…拡大した中東を構想しようというものでして」
アフ「まんまじゃないですか」
米「…あー、要するにこうやって地球儀の中東の部分を虫眼鏡で拡大して見ますと」
イラ「こら、うちの領土に焦点をあわせるな!」
米「えっ?あっ、わーっ!あちっちちち!!!テロだ、テロだ!!!」
ヨル「あんたがやったっつーに」
米「…あ、いや、これはSDI(注7)の実演でございまして」
露「SDI?…また随分古い話を…」
米「…ふっふっふ…アメリカに敵なす『悪の帝国』(注8)をこれで封じ込めるのさ!」
独「む?も、もしや…レーガンの霊が乗り移ったか!?」
日「…おー、ロン!!わしも『不沈空母』(注9)になってどこまでも付いてきますぜ、親分!」
仏「あり?こっちにはどっかの生霊が取り付いたらしいぞ!?」
英「…サッチャーはね♪サチコっていうんだ、ホントはねー♪(注10)
加「わー、こっちには鉄の女(注11)の生霊が乗り移ったぞー!」
露「…ペーレストロイカ♪ほーがらーかに♪鈴の音高くー♪(注12)
伊「わーっ、こっちも何かヘンなロシア民謡歌ってるし!」
仏「ああ、もうこんな80年代祭り、ミッテランない!(注13)
 
 …かくして、サミットはいつの間にか「背後霊サミット」となり大混乱のうちに幕を閉じたのでありました。

(注1)…この直前にノルマンディー上陸作戦60周年記念式典があり、米、英、仏、独、露など関係国首脳が参加していた。
(注2)…どちらも事実で、ブッシュ父元大統領は80歳の誕生日にスカイダイビングなんぞやっていた。
(注3)…このやりとりはサミット直前に実際にあったそうで(笑)。
(注4)…これも実話。あ、ただし牛丼はフィクション(笑)。
(注5)…この直後に牛肉の一部輸入禁止解除が決まり、ほぼ同時期に近鉄・オリックス合併が発表された。
(注6)…もともとは「中東民主化構想」でアメリカによる民主化押し付けと中東諸国で評判が悪く、サミットではなんとなくボカした表現になっている。
(注7)…1980年代に米レーガン政権がブチ上げた「戦略防衛構想」。軍事衛星からのレーザー兵器による核ミサイル破壊などが構想され「スター・ウォーズ計画」などとも呼ばれた。現在の「ミサイル防衛システム」にもその発想が受け継がれているが実用性には疑問の声も多い。
(注8)…レーガン大統領がソ連を名指ししてこう呼び、冷戦最後の盛り上がりを見せた。
(注9)…レーガンと「ロン・ヤス関係」を結んだとされる中曽根康弘元首相による有名な問題発言。
(注10)…もちろんサッチャー元首相の本名はサチコではない。
(注11)…フォークランド紛争での強硬姿勢で名付けられたサッチャーの愛称(?)。
(注12)…「ペレストロイカ」はソ連のゴルバチョフ政権による「世直し」。「ペレ・ストロイカ」であってトロイカとはたぶん何の関係もない。
(注13)…もちろんこれも80年代のフランス大統領。おあとがよろしいようで。


<作者のつぶやき>
レーガン国葬に参列していた80年代首脳たちを見ていて懐かしさのあまりこんなの書いちゃいました(^^; )。なお、昨年も諸般の事情で未公開でしたが贋作サミットだけは書いてまして(笑)…こちら に置いておきます。




◆いい仕事してますねぇ。パート2

 前回ではイタリアでの「お宝発掘」ばなしをとりあげたが、今回は日本での「お宝発掘」ばなしである。さすがにミケランジェロ級の大物は出てこないけど…でも、日本の歴史上、重要な物件に関するものだ。

 重要な物件、とは日本史上最初の「国会議事堂」。その設計図と思しきものが千葉県内の古物市場に出ていたのを東京の古書店が購入、建築史の研究者に鑑定を依頼した結果、写真史料や当時の新聞に載った簡略図との比較により「実際の建築用に作成された本物」と断定され、鑑定にあたった昭和女子大が購入を決定したというニュースなのだ(元記事は朝日新聞)。なんと日本史上最初の国会である「第一回帝国議会」(1890年)が開かれたという重要な近代史における建築物であるにも関わらず、その設計図が確認されたのは建築以来114年も経ってこれが初めてのことだったのだ。

 歴史の授業でも定番で習う立憲政治の確立過程だが、1889年に「大日本帝国憲法」が発布され、その翌年から第一回帝国議会が召集されることになった。その議員を選ぶ選挙権は「直接国税を15円以上納める満25歳以上の男子」で、全国民の1%程度だけが有権者となった。被選挙権は同じ納税条件を満たす満30歳以上の男子で、あの中江兆民なんかは支持者が寄付しまくって彼の財産をふくれさせて条件をクリア、当選してこの第一回議会に送り込まれたりしている。しかし野党が与党と裏取引をしたことに激怒した兆民は「アルコール中毒のため」と称して憲政史上第一号の辞職議員になっちゃったりもするのだが…ともかくそんなこんなのドラマがあった第一回帝国議会の舞台となったのがこの初代国会議事堂だ。
 この国会議事堂、正確には「国会仮議事堂」と言ったようだが、お雇いドイツ人のアドルフ=ステヒミュラーと内務技師の吉井茂則 が共同で設計し、日比谷の内幸町に建築された。「仮議事堂」の名にも示されているが大急ぎの突貫工事で作ったものらしく、なんと完成したのは議会召集の前日(笑)。しかもそのわずか二ヵ月後の会期中に火事で焼失という、まことにあわただしく短命な議事堂だった。設計図についてもその火事の折に一緒に焼失したのでは…と思われていたのだが、なぜか千葉県からひょっこり出てきちゃったということのようである。この辺の事情をもっと知りたいところですね。

 いきなり会期中に議事堂が火事で焼けちゃった原敬は日記に「電灯より出火せしというも詳らかならず」と書いてるそうで) ので、衆議院は工部大学校跡に、貴族院はなんとあの鹿鳴館に移転して急場しのぎしたとか。その後二代目の仮議事堂が建設されるが、これも大正14年に火事で焼失。大正7年ごろから「仮」ではない本格的な議事堂の建設が計画され、昭和11年(1936年)にようやく完成したのが現在の国会議事堂だ。しかしこれも昭和29年(1954年)にゴジラの東京上陸の際に破壊され(笑)、昨年9月には雷が落ちててっぺんの岩が剥がれ落ちるといったぐあいで、結構受難の歴史をたどっているのでありますな。



◆二つの最高裁判決

 まずはアメリカの最高裁の話から。もっとも、「判決」ではなく「却下」、つまり門前払いだったんですけどね。
 以前、アメリカで大きな議論を呼んだ一つの訴訟の話題を取り上げたことがある2002年7月23日付「史点」。アメリカの公立学校において毎朝おこなわれる「星条旗への忠誠の誓い」について、その中にある「神の下に国は一つ」という文言が「憲法の定める政教分離の原則に反する」として子供を公立学校に通わせている無神論者が訴訟を起こしたのだ。なお、この「誓い」の全文の和訳は、「私はアメリカ合衆国の旗と、旗が象徴する共和国に忠誠を誓います。その共和国は神の下にひとつで、分かたれることのない、あらゆる者にとっての自由と正義の国」だそうである(CNN日本語サイトに出ていたもの)
 この訴訟、一審では棄却されたが、二審の連邦控訴裁判所が原告の主張を認めて「“忠誠の誓い”は違憲」との判断を下して大騒ぎとなった。その後司法省が上告して、このたび連邦最高裁の判断が出たわけだ。
 で、結論はと言えば…「原告は娘の親権があると認められず、訴えの利益がなく原告としての適格を欠く。よって却下」というものだった。なんでもこの原告の無神論者の医師は、娘の母親とは結婚しておらず親権をめぐって争ってもおり、確かに現時点ではその娘に対する「親権」があるとは言い切れない状態なのだ。しかもこの母親の方は「忠誠の誓い」について問題なしと言っているそうで、それらを根拠に最高裁は「うちでは扱いません」と門前払いをした形だ。まぁ実のところなんだかんだと難癖をつけて、アメリカ国家が抱える「神の国」問題に首を突っ込む憲法判断からは「逃げた」ということだろう。
 一応最高裁長官ら三人の判事は付帯意見として「50年前の連邦議会決議で挿入された“神の下に”という文言は愛国心の表現であり宗教的な表現ではない」 との判断を示している。「神」って言葉が入っていて「宗教的表現ではない」ってのも物凄い論法だなと思うのは、こちらが宗教的にいい加減な東アジア人だからなんだろうか。それにしても自ら「あらゆる者にとって自由と正義の国」なんて文言を毎朝唱えているうちに、イラク戦争みたいなことをやらかすようになるんだから恐ろしい。


 もう一つの最高裁ネタはイスラエルから。
 イスラエルといえば言うまでもなく第二次大戦後にかなり強引にパレスチナに建国されたユダヤ人の国家。従ってそこに住んでいる多数派はユダヤ教徒であり、厳しい戒律を守っている人も多い(らしい)。ユダヤ教徒の戒律といえば、こと食事に関しては「豚肉を食べない」というものがある。この点においてイスラム教徒とは完全に共通するのだ。
 しかし…イスラエルに住んでいるのが全て戒律を厳格に守る正統派ユダヤ教徒とは限らない。とくにソ連崩壊後に急増したロシア系移民は、ソ連時代を経たためかそれともそれ以前からの抑圧もあったためか、「正統派」なユダヤ戒律とは異なる生活習慣を持っているとかで、なんとユダヤ教徒であるにも関わらず豚肉を日常的に食べる人が多いのだそうだ。彼らはイスラエルの全有権者中14%を占め、「ロシア移民党」なる政党まで作っていてマイナーながらもそれなりの規模の政治勢力にもなってきていて、厳格なユダヤ主義勢力とのあつれきも起こってきていた。それが「豚肉論争」として象徴的に表面化していたのだ。
 ロシア系住民が多い北部のティベリアス市など三つの市は豚肉販売を規制する条例を定めていたが、これに対してロシア移民党と豚肉業者が「この条例は職業選択の自由を定めた憲法に違反する」として条例停止を求める訴訟を起こしていた。3年間にわたる議論の末、6月14日に最高裁がついに判断を下した。結論は原告の主張を認めて宗教戒律よりも憲法を優先させ、豚肉販売規制を定めた条例を差し止める、というものだった。一応最高裁の判断は「豚肉販売を規制するのならば、住民の意思を確認した上で条例を定めるべきで、反対派が無視できるほどの少数であれば販売は許可されるべき」 というもので、これを受けて各市では豚肉販売の是非を問う住民投票が行われることとなる。まぁこういう問題が起こる市だから「無視できるほどの少数」しか反対派がいないということはないはずで、事実上豚肉販売を認めることになる。イスラエルの憲法の内容については知らないが、ユダヤ教徒が多数派とはいえ政教分離が定められているはずだから、こうした判断になるのは自然だとは言えるだろう。
 しかし…やっぱりユダヤ保守系の政党は「この国のユダヤ性を破滅に導く判決だ!」として激しく反発しているとか。



◆気をつけぇ!

 上の記事の前者のほうとちょっとかぶる話題。
 共同通信が6月9日に伝えたネタなのだが、お隣韓国の首都ソウル市の教育庁が学校の授業の始めと終わりにおこなっている「気をつけ!礼!」という号令による挨拶について「現在の学校で行われている儀式文化は、日本の植民地時代のものをそのまま踏襲していることが多く、権威主義的」として、7月から全面的に号令をなくした挨拶に移行することにしたのだそうだ。今後は号令の代わりに教師が「皆さん、おはよう。さあやろう」、生徒が「先生、おはようございます」と挨拶しあう形になるんだそうで。

 僕も小学校、中学校、高校とこうした「気をつけ、礼!」を授業の開始と終了時にずっとやってきた。日本人の大半がそういう学校生活を送っていたと思う。授業開始終了時だけでなく、朝礼や運動会など学校行事において「気をつけ!」「右向け右!」「前へならえ!」「ひらけ!」「休め!」といった号令による集団行動は学校の「お約束」の一つだったと思う。当時はなんとも思っちゃいなかったが(いや、実のところいいものだとは思ってなかったが)、今になって思い返すと、あれって全部軍隊の号令そのまんまなんだよね。さらに言えば「詰襟(つめえり)」に「セーラー服」という学生服も元はといえば軍服だし(水兵の服をなんで女子の制服にしたのか前から不思議なんだが) 、「ランドセル」だって元はといえば軍隊のもの。今でも一部地方にはあるようだが「男子は全員丸刈り」という校則も軍隊そのもの。振り返ってみれば日本の明治以来の教育現場には軍隊教育とよく似た、いや恐らく軍隊式のものをもとに教育現場が作られてきた経緯があるようなのだ。これは戦後の民主化教育においても知らず知らず濃厚に残っていた…ということなのかもしれない。
 最近は制服もブレザー中心で詰襟やセーラー服も見かけなくなってきたし、学校における「軍隊調」の号令や儀礼に関しては見直しする声が強まってきてかなり廃れてきているらしいとの話も聞く。韓国ソウルのこれもそうした現象と同じで時代の変化…とも言えるのだが、なにぶん韓国だけに「日本の植民地時代」の記憶とセットにされちまうことになる。

 先日、韓国の爆笑SFX学園アクション映画「火山高」(「少林サッカー」並にお薦めです。韓国映画界もここまで徹底して大金かけたバカ映画を作れると感動します) を鑑賞していてつくづく思ったのだが、フィクションの話とはいえ、学園の雰囲気があまりにも日本のそれとよく似ているのだ。詰襟の制服、教師の態度、教室や校舎の建て方、部活のあり方などなど…もちろんギャグ映画的誇張が随所にあるのだが、とにかく日本人にはかなり馴染みの世界となっており、ひょっとするとこの映画を理解できるのは日本人と韓国人だけかもしれん、と思ったりもした。そうした学校の雰囲気の共通性は、やはり韓国の学校制度が基本的に日本による植民地統治時代に作られたからだとも思えるのだ。
 植民地時代に韓国に持ち込まれた日本文化は実際かなり多く、また深く浸透しているものもある。そしてそれらを韓国人は知らず知らず昔からあったもののように思っていることも多々ある。こうしたものを「日本から持ち込まれたものだ」として排除するという現象は過去にも何度かあったようで、僕の知る韓国人留学生も子供時代(ちょうど軍事政権時代)に「バケッチュ(バケツ)」や「サルマダ(サルマタ)」「ベント(弁当)」といった日常語が「日本語である」として学校で使用禁止を申し渡されて「へー」と驚いたことがある、と語っていた。最近では民主化が進む一方で日本統治への協力者がつるし上げられたり(これは戦後の支配層に実は対日協力の過去を持つ者が少なくなかったことが背景にある)、日本との文化交流が開放されていくのと同時に「日本文化のアレはこっちがルーツ」的なともすればトンデモ系な話が盛り上がりを見せたりもしている。
 まぁとにかく「日帝時代」は韓国にとって問答無用の「悪」なので、「気をつけ、礼」廃止令もそれと絡めることで説得力を持たせているフシもある。じゃあその日本式儀礼を何十年も続けてきたのはなぜなんだよ、とツッコミを入れてしまうところなのであるが、「儒教の国」でもある韓国では生徒に対する教師の地位が日本と比較にならないほど上であり、これに「礼」を尽くさねばならないという文化的理由もかなり手伝っていたところなんだろう。これが改められてしまうということは、韓国における「儒教文化」もやはり廃れつつあるということかもしれない。もう少ししたらカトリック国家になるだろうと言われてるぐらいだし…。


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