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2004年12月22日

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◆選挙イヤーは年末も

 週刊のはずの「史点」もほとんど月刊と化してますが(^^; )、刊行してるだけマシな状況だという情けない限りで。一つだけ言い訳しておきますと、以下に書くネタの行く末を見守っていたところがあるんですよね。

 前回アメリカ大統領選に触れているが、今年は世界的に見て注目される選挙が多く、ちょっとした「選挙イヤー」 と言われていた。アメリカ、ロシアでの大統領選では現職が再選されたがインドネシア大統領選では政権交代が起こり、台湾の総統選も大接戦の上に銃撃事件まで起こるという前代未聞の騒ぎのなか現職が再選された。イラク戦争がらみではテロの発生によりスペインの政権が交代してイラクから撤退した一方、オーストラリアでは対米協力姿勢の与党が勝利するなどいろいろと結果が現れている。日本では参院選もやってましたけど…


 さてここ一ヶ月間の注目は何と言ってもウクライナだ。意外と大きい国なのだがかつてソ連の一部でほとんどロシアと一体化して見られていたこともあり、日本人にはイマイチ馴染みのない国だ。僕だってウクライナに関する知識といえば映画「隊長ブーリバ」の舞台だったとか(これは遊牧民コサックの話だけど)、作家フレデリック=フォーサイスが「悪魔の選択」というスパイ小説でウクライナがソ連から独立しようとするというストーリーを予見的に立てていた、って程度のものしかない。あ、そういやチェルノブイリ原子力発電所はウクライナにあったんでしたっけ。
 歴史的に見ればロシア国家のルーツというべきキエフ公国が9世紀から13世紀にかけてこの地にあり、ウクライナ側からすればこっちが「元祖ロシア」だという、日本で例えると関西人的な感覚があるなんて話も聞いた事があるのだが、実際に行ってみたわけじゃないのでホントかどうかはわからない。
 ソ連崩壊に伴い独立国となったわけだが、黒海に面した経済的・地政学的に重要な位置にあることもあってロシアにしてみれば絶対に手元にひきつけておきたい地域。その一方でウクライナ側では将来のEU加盟まで視野に入れた「西向き」の志向も強まっており、これを歓迎する西欧や周辺諸国の思惑もあって激しい綱引きが展開されている。特にこのところかつてのソ連時代を想起させる専制・強権的な姿勢を強めるロシアのプーチン政権に対して西側諸国(まだ死語になりませんね、この語も)が警戒感を抱き、ウクライナを対ロシアの「橋頭堡」としようと考えている側面もある。そんな中で政権交代の行方を占う大統領選の決選投票が11月21日に行われたわけだ。
 それでなくてもそこそこ注目されていたこの選挙。フタをあけてみたら事前の予想以上の大騒動になり一躍(!?)日本でもウクライナの名前が連日報道される事態となってしまった。

 大統領選決選投票は現職のクチマ大統領の与党側で現首相のヤヌコビッチ候補と、野党のユシチェンコ 候補の対決となった。単純に色分けしてしまうと与党側は親ロシア姿勢であり野党側は親米・親西欧姿勢。地域的にも与党側はロシア系住民も多く含むウクライナ東部を勢力基盤とするのに対し、野党側は首都キエフなど従来西方の隣国との結びつきが強いウクライナ西部を基盤としている。宗教的にも東部は正教徒が多いが西部は過去にポーランドの支配下にあった影響で(この事情は前述の映画「隊長ブーリバ」でも描かれている) カトリック信者が多い。それもあって野党のユシチェンコ候補自身は正教徒なんだけど公約に「宗教の平等」を掲げなければならず、一方のヤヌコビッチ候補は「ウクライナ語に加えてロシア語も公用語にする」と公約したりしている。僕なんかはこの選挙で初めて知ったのだがロシアや西欧諸国の「東西」の引っ張り合いだけでなく国内にも「東西問題」を抱えているという国だったりするんですね。
 そういう事情からウクライナの大統領選挙は当初から国家分裂の危機すらささやかれるなか始められ、10月の第一回投票ではユシチェンコ候補が首位に。それでも15万票程度の小差で、決選投票でも激しい僅差になるのではと予想されていた。ハタから見ているとなんとなく先日のアメリカ大統領選を連想させるものがあったが…。
 その後の経過は報道されまくっているのでいちいち追いかけないでサラッとまとめると、いったんは与党側のヤヌコビッチ現首相の当選が発表されたが、野党側が選挙の不正を訴えて首都キエフに支持者を集結させ、交通封鎖や各種施設を占拠するなど実力で選挙そのものを無効化させようとした。国外からもアメリカや西側の周辺諸国が「選挙の不正」を指摘して介入の動きを見せる一方、ロシアのプーチン大統領がヤヌコビッチ氏に当確の祝電を贈ったりと「既成事実」を作り上げようとしていた。一時は野党側が「臨時革命政権樹立」なんてロシア革命を連想させる宣言を出し、このまま分裂・内戦かという観測も流れたが(野党支持者の間ではロシアの特殊部隊が越境してきたとの噂すら流れた)、周辺国の仲介の働きかけもあり(懐かしのワレサ・ポーランド元大統領の姿もあった)まずウクライナ議会が、そして最終的にウクライナ最高裁が「選挙は無効」との判断を下し、12月26日に大統領選を「やり直し」することに決まったのだった。

 しかしなんといってもこの展開で世界に衝撃を与えたのは野党のユシチェンコ候補に対する「毒殺」未遂の疑惑が浮上してきたことだ。
 選挙への出馬をした直後の9月からユシチェンコ氏の顔面が急変したことについては決選投票前から報じられ、すでに「与党側に毒を盛られた」と疑う声は報じられていた。これに対し与党陣営が「悪いスシでも食ったかコニャックの飲みすぎなんじゃないか」とからかっているという記事を目にして「ほう、ウクライナでも寿司が普及しているのだなぁ」などとノンビリしたことを言っていた僕だったのだが、あとで聞けば実際にユシチェンコ氏が「一服盛られた」可能性のある日に国家保安局幹部(要するに元KGBの情報機関なわけだが…)が夕食にユシチェンコ氏を招待してそこで寿司や魚料理がふるまわれたんだとか。無用心という気もしなくはないが、まさか「毒殺」までは予想しなかったか。
 彼の容態急変と顔面変貌について「毒殺未遂」とほぼ断定されたのは12月9日のこと。検査のため再入院したウィーンの病院が発表したもので、ユシチェンコ氏の血液を各国の専門家らが鑑定した結果、猛毒のダイオキシンが通常の6000倍もの濃度で血中に含まれていたことが判明したのだ。これは人類史上2番目の記録で、1990年代にウィーンの織物工場で働いていた女性二人の血中ダイオキシン濃度に次ぐものだとか。
 「ダイオキシン」については名前はよく聞くけどどういうものかは分からなかったのでネット検索をかけてみたら環境庁が子供向けに作ったパンフレット を発見した。さすが環境庁、実に分かりやすい。これによると「人工物質としては最も強い毒性をもつ物質」なんだそうだ。よく問題になるのはゴミ焼却の結果として発生するもので以前「ニュースステーション」が所沢の野菜に関して報道して騒ぎになったことでも記憶に新しい(もっともこの報道については「風評被害」として別の方向から攻撃されることになったが)。ベトナム戦争で米軍がジャングルを枯らすために使用した「枯葉剤」にも含まれていて、人間に対しても大きな被害をもたらしたと言われる。ついでに挙げるなら宇崎竜童監督・内田裕也主演の「魚からダイオキシン!!」という変り種映画もダイオキシンの日本における知名度に多少影響したかもしれない(笑)。
 現時点では「やり直し選挙に影響がある」との判断から毒殺問題については断定した報道を避けているフシもあるが、ウクライナ国内ではなく旧ソ連がモスクワで保管していたダイオキシンが使われたものらしいとの憶測が流れており、どうしてもロシア側の関与が疑われてしまうところ。なんせプーチンさん自身が元KGBだしねぇ…確かにロシアとしてはウクライナを失いたくないという切実な事情はあるのだろうが…しかし候補者を一人「毒殺」したところで情勢が変わるわけでもなかろうし(聞く限りユシチェンコ氏は特にカリスマでもない感じだし) 、あからさまに怪しい状況からかえって事態を悪化させるという予想をしなかったんだろうかとは思う。それと本気で毒殺するならダイオキシンなんぞ使わないでも…という疑問も感じなくはない。急激に発症したことについても疑問の声があるようで「以前から毒を盛られていたのでは」という観測や、ユシチェンコ氏の奥さんがもともとウクライナ系アメリカ人で国務省職員だったことから与党側から彼女に対する「アメリカのスパイ」疑惑の声が上がるなどもしている。
 何はともあれ12月26日に再投票、まぁこの情勢だとユシチェンコ氏が勝ちそうな気配ではあるのだが…歴史は時折重大な局面で珍騒動としかいいようのないことが起こるものだな、とあらためて思ったものだ。


 一方、去る12月11日に台湾では立法委員(国会議員)選挙が行われていた。これも今年春の総統選につづく注目の選挙だった。
 上でも書いてるが総統選は大接戦の終盤に陳水扁総統が狙撃され負傷するという大事件が発生、結果から言えばこれが勝負を決める形となり陳総統の再選につながった。だが陳水扁総統率いる「民進党」と前総統である李登輝氏を精神的支柱とする「台湾団結同盟」の与党(つまり中国からの独立派) は議会では少数与党であり、憲法改正など台湾独立へ向けた動きを思い通りに進めることができない情勢だった。そこで総統選の勢いをかってこの議会選挙でも過半数を制して一気に独立志向を強めようともくろんでいたわけだが、やはり総統選同様に接戦であるには違いなかった。野党は二度も総統選に敗れた連戦(なお近々引退する予定なので三度目は無い)率いる「国民党」とその国民党から分離した「親民党」の連合で選挙に臨み、こちらは中国との対話・和解の路線をアピールし、経済的には中国との関係を深めている現実を重視する有権者の票をとりこもうとしていた。
 結局「中国」との関係が選挙最大の争点となってしまう。そこで陳水扁政権では中国からの「独立」を急進する姿勢を見せることで選挙民にアピールしようと考え、選挙直前の12月5日に「中国石油」や「中国造船」「中華電信」「中華郵政」といった国営企業や「中華航空」など台湾の代表的民営企業について、2年以内に「中国」「中華」の名称を社名から外させ「台湾」に改めさせる「正名」の方針を発表した。すでにパスポートで進められていた動きだが、ここで大企業を一気に「正名」させることで強烈に選挙民にアピールする…という狙いだったのだろう。
 しかし僕ですら「それはちと性急では」と思ったぐらいで、実際に台湾内でもこの「正名」方針については反発の声が上がっていた。特に直接的に影響を受ける「中国〜」「中華〜」名のつく企業の経営者、そしてそれらの労働組合が強い懸念を示した。もとはといえばこれらの名前はかつての国民党政府が「こっちが正統の中国国家」と表明するために「中国」「中華」とつけまくっちゃったことに由来するのだが、もうかれこれ半世紀は続いていて国際的にも知名度があるし今さら改名させられては商売上不都合がある。また台湾企業が一斉に「中国」の看板をおろしてしまうと、今や下手すると台湾以上に資本主義的な中国企業(IBMのPC部門を買っちゃった企業もありましたな)がそれらの名前を「横取り」しちゃうという懸念も指摘されていた。また民進党以上に台湾独立志向の「台湾団結同盟」からは「ウチの票を取る気か」という警戒感をも抱かれたフシがある。

 投票日の直前までは「やや与党有利ではないか」との観測がマスコミで流れ、陳総統側でも「過半数はとれる」という自信をもっていた気配があった。しかしフタをあけてみれば野党連合が過半数の114議席を獲得して「予想外」の勝利という結果に(米大統領選や日本の参院選でもそうだが最近直前予想や出口調査があまり当たらんような)。「勝利宣言」を出した国民党の連戦党首は「中華民国の勝利だ」と発言し、陳政権の「正名」方針がこの結果を招いたものと暗に示唆した。あとで知ったが選挙日当日の新聞に載った国民党の広告にはその「中華民国」の生みの親であり国民党の創立者である孫文が涙を流して「私が『国父』というのなら、ぜひ投票を。『中華民国』に1票を」と頼む姿が描かれていたそうだ。それがどれほど影響したかは不明だが少なくとも現在の台湾にとって『国父』的存在である蒋介石よりは効き目があっただろう。もっとも孫文自身は台湾とはほとんど縁が無いのだが(お札の顔にはなったけど)
 
 民進党は議席数では第1党なんだけど選挙結果を「敗北」と認め、陳水扁総統が責任を取って民進党主席の座を辞任することにもなった。敗因はいろいろ分析されてるけど一つには候補を乱立させ「台湾独立同盟」との候補者調整がうまくなかったことなど選挙戦略の誤りもあっただろう(この点確かに国民党はかなり着実な作戦をとっていた) 。だがやはり「中国に吸収されたくもないけど性急に事を運んで不利益が出るのもイヤだ」という現在の台湾の人々がもつ微妙なバランス調整意識がはたらいた結果、とまとめるのが妥当だろう。前回選挙を7ポイント下回る59%という低い投票率もそうしたどっちつかずの空気を反映している。

 選挙とは離れるが台湾がらみの話題をいくつか。
 蒋介石の息子で台湾の総統にもなった蒋経国(1988年死去)の夫人の蒋方良さんが12月15日に台北市内の病院で88歳で死去している。この方良さんはもとの名は「ファニーナ」という旧ソ連のベラルーシ出身の女性で、蒋経国がスターリン の人質に近い形でソ連に留学しウラルの工場で働いていた時に知り合い、1935年に結婚して3男1女をもうけている。その後中国にわたって日中戦争、国共内戦、台湾への移住、そして蒋介石の死に伴う夫の総統就任という激動の歴史を生きてきた。ただし総統夫人にも関わらず彼女は表舞台に一切登場せず、言動が目立った蒋介石夫人・宋美齢(昨年死去…ここでも書きましたねぇ)と比較して「沈黙のファーストレディ」などと呼ばれたりもした。選挙に敗れた直後の陳水扁総統も彼女の死を悼んで「家庭を大切にする、女性の鑑だった」とのコメントを発表している。
 その蒋経国に見込まれて総統職を引き継いだのが李登輝前総統なわけなんだけど(見込んだ理由に一時共産主義にかぶれた共通性があったこと、彼なら台湾独立はしないだろうと思われたことがあるというのが今となっては面白い) 、この人が年末年始に日本へ観光目的で入国するとの話が持ち上がり、またぞろ中国が反発している。実は選挙前に一度打診があったが「選挙に利用される恐れ」を感じた日本側がビザを発給しなかったのだそうで、それもあって選挙も終わった今だと断れない、というわけで入国ビザを発給することになったようだ。それでなくてもこのところ揉める事の多い日中関係だし、前の時は心臓病治療という「人道上の理由」があったが今回は単に「観光」なので中国の反発もいっそう強いのだろう。李登輝氏という人も一筋縄ではいかない人で挑発的なところを感じなくは無いけど(先日「男塾」のコスプレしたりしてましたな)、いい加減影響力も少なくなった80過ぎの老人に神経質になりすぎという気はする。



◆天皇家の一族

 なんか今年は皇室一家の話題が多かった。「史点」ネタにそのつどしていたが、前回の天皇さん本人の「強制のないことが望ましい」発言から一ヶ月のうちに天皇家関係の「事件」が2つも起こっている。

 一つは天皇家のご息女・紀宮清子(さやこ)内親王がついに婚約の運びとなった件だ。兄の皇太子も結婚が決まるまでにずいぶん時間がかかったが、この紀宮さんもひところ(10年ぐらい前かな)「お婿さん候補」の名前が次から次へと浮かんで女性週刊誌やTVのワイドショーで勝手に騒いでいたものだが、それらの「候補」はいずれも他の人と結婚していってしまい、このごろではそういった皇室報道でもすっかり「お婿さん」の件を取り扱うことがなくなってしまっていた。
 今回婚約が発表されたお相手の黒田慶樹さんは一介の東京都庁職員だそうだが、一応は学習院出身で、紀宮のお兄さんである秋篠宮文仁(あやひと)親王 の「ご学友」で、あまり騒がれてなかったが「お婿さん候補」の末の一人には挙がっていたそうだ。最初旧華族の黒田家か何かの人かと思ったがその後の報道からするとそれはないようで、ただ親戚の中に旧華族がいるということではあるらしい。しかし「天皇のお嬢様」を妻に迎えるとなると都庁職員のままでいられるのかどうか。もちろん紀宮は結婚すると皇族から離れることになるのだが、莫大な持参金もつくだろうしあれこれと公式行事に引っ張り出される事も多いだろうからそれなりに格好のつく地位につけられそうな気がする。


 さてここで名前が出てきた天皇家の次男・秋篠宮。今度はこの人の発言がちょっとした物議(というほどでもないが)を醸した。秋篠宮の誕生日(11月30日)を前にした11月25日、秋篠宮と妃の紀子さんの共同記者会見が開かれたが、その中で皇太子徳仁(なるひと)親王が5月に皇太子妃の雅子さんに関して「人格を否定する動きがあった」 と“爆弾発言”をした件についての質問が出た。これに対して秋篠宮は昨年の会見での「天皇とのコミュニケーションの大切さ、意思疎通の重要性」についての自身の言及を引き合いに出し、さらに2月の皇太子の誕生日前の記者会見で皇太子自身が「コミュニケーションをよく図るというのは当然」と発言している事に触れた上で、

「そのことから考えますと先ほど質問がありました5月の発言について,私も少なからず驚いたわけですけれども、陛下も非常に驚かれたと聞いております。私の感想としましては,先ほどお話しましたようなことがあるのでしたら,少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います」

 と述べたのだった。僕は報道を見てから宮内庁のHPに掲載された全文を見て「いや〜ずいぶん前の会見での会話をいちいちチェックしてるんだなぁ」などと変なところに感心したが、これって要するに「皇太子は意思疎通をしっかりしてなかった」と言ってるわけですよね。「残念に思う」という表現は皇室としては強めの批判表現に聞こえてくるのも無理がないところ。「人格否定」といった発言内容そのものへの言及はしていないが、少なくとも事前に天皇と相談すべきだったとは言っている。
 白状すれば僕は皇太子が例の発言について天皇に事前に相談の一つもしたのではないかと思っていた。だが今回の弟さんの「暴露」(これ自体が異例だ)により例の発言は皇太子本人のまったくの「独断」で行われたものだと判明した。だとするとますます皇太子は強い意志をもってあの発言をしたことが分かるわけで、いっそう見直した、とも言える。
 この発言はさっそく物見高い海外マスコミなどでは「日本皇室で内紛」といったたぐいの報道まで出たようだ(笑)。まぁそこまでではないにしても来年2月の皇太子の記者会見で何か「反撃」があったりするのではないかと変な期待もしてたりして(笑)。


 今年で3歳となる皇太子の長女・愛子ちゃんの誕生日(12月1日)を前にして、いくつかのマスコミが「政府が女性天皇容認を検討」と報じた。いったんは妙にムキになって否定した政府も12月1日の細田博之官房長官の記者会見で皇室典範改正について「そこまでは進んでいない」という表現で一応検討していた事実を認めた。
 何度も書いてるネタなんで簡単に済ますが、要するに明治時代以後「皇室典範」なる皇室の家庭内ルールが定められ(戦前では憲法と同格の存在だった)、その中で天皇になれるのは男子だけ、と定めてしまっている。改正されつつ現在もこの男子限定の規定は生きているのだが、現在の皇室の若い世代が全て女子(なんせ一番若い男性が秋篠宮)という状況でこのまま放置していると天皇制そのものが消滅しかねない。そこで女性天皇を認めては、という声が強まっていたわけだ。もちろん現時点においてその最有力候補は現在3歳の愛子ちゃんということになるわけ。
 しかし抵抗も根強い。別に女性蔑視うんぬんの問題ではなく、過去に存在した女性天皇が全て皇族の夫をもつ未亡人か独身だったのに対して今後の女性天皇は明らかに「お婿さん」を迎えなければ天皇家を存続できず、また天皇家を維持してきた保守的な「男系主義」の家観念からすればお婿さんを迎えてその血が入ってしまえばそこで「天皇家の血統」は絶えてしまうという感覚が強いのだ。ま、そういう考え方自体が男尊女卑だと言ってしまえばそのとおりだが。

 前にも書いたが保守系論客で女性天皇論に猛反発してるのが八木秀次高崎経済大助教授。最近では「神武以来のY染色体」(笑)なんてものまで持ち出して女性天皇容認に反対していたが、この動きにも黙ってないだろうなぁ〜と思っていたら、タイミングを合わせたように『「女性天皇容認論」を排す』 というそのまんまズバリの本まで出していた。もっとも目次の見出しを見るとあくまでこの人の最近の「論集」であり「つくる会」の話やら「自虐史観」批判やら「ジェンダーフリー」批判やらおなじみのネタが大半のページを占めてるようなのだが…だけどタイトルにもってきたあたりはこの件にいちばん危機感があるんでしょうな。
 この人の「女性天皇容認論批判」は「これまでの女帝もあくまで男系女子」であるという話でそれなりに歴史的考察としては根拠を持っている。だけど現在の天皇家が男系では断絶の危機にある以上、どうすりゃいいのさ?と思うところだが、この人はここで「旧宮家の男系」の擁立論を持ち出すのだ。
 かつて皇室には多くの宮家が存在した。だが終戦直後の昭和22年(1947年)に11あった宮家を整理し皇族から離脱させた。この旧宮家には天皇家の男系子孫となる男性がいるから、彼らを皇室に復帰させるというアイデアだ。八木氏の文章(この手の人によくある旧仮名遣いなんだよな)を読んで思い出したが、そういえば以前週刊誌で元宮家の男性が皇室に復帰する覚悟をうんぬんといった記事があったっけ。八木氏は皇室の過去のいくつかの先例−継体天皇光格天皇 といった皇室ギリギリの傍系がピンチヒッター的に天皇になった先例を挙げてこうした旧宮家の男性への期待を表明しているわけだが、ネックがひとつ。傍系どころか皇室から離脱して「臣下」に降ってから天皇になったケースはほとんどないのだ(唯一の例外が父・光孝天皇により源姓を与えられ臣下となっていた宇多天皇の例があるにはあるが彼はレッキとした「皇子」でもある)。それについては「昭和22年の処置は占領軍により強制された違法なもの」として「なかったこと」にしちゃうというウルトラCで切り抜ける気らしい。
 しかしどうもいくつかの議論を見たところ、保守系論壇でも八木氏の主張に全面賛成する気配は薄い(正確に言えばあえて触れないで避けるというか) 。なかには「いや、女系天皇を容認する伝統もあるよ」と明らかに間違いの主張をする論客もいた。八木氏の言わんとするところは分からないではないが、旧宮家の復活まで認めてというのは…というのが多くの人の本音だろう。実のところ血統が男系であろうと現代の大多数の国民にとって旧宮家の男性が天皇となる事態が仮に発生した場合、その「正統性」が感覚的に疑われてしまう可能性が高いからだ。
 昔のように国民の日常とは無関係の「雲上人」だった天子さまとは違い、日常的にTVでその成長を眺め、各種イベントで見慣れている現在の「国民の象徴・天皇家」である。そこへいきなり見知らぬ「遠い親戚」が登場してきたら「はぁ?」ってのが大多数の国民の感覚だろう。天皇制維持を大前提とする人にとってはそういった「正統性」の問題の方が重要なのだ。うっかりすると南北朝時代再燃級の問題になりかねない。まぁ南北朝ファンの僕は内心面白がってますけど(笑)。


 さて執筆をズルズル遅らしているうちにその宮家がまた一つ消滅してしまった。12月18日、高松宮妃喜久子さんが92歳で亡くなった。実に間の悪いことに紀宮の婚約正式発表の当日で、TV各局がそろって3時台に特番枠を組んで待機していたのに(さすがTV東京だけは足並みをそろえなかった)発表は延期になってしまった。そもそも9月発表予定が新潟中越地震で延期になっていたもので、どうもついてない。
 喜久子さんはとにかくその血筋が凄まじい。父親は公爵・徳川慶久。名前で察せられるように祖父は江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜、ってことは曽祖父は水戸藩主の徳川斉昭なのである。そう聞くと幕末って結構近い時代だったんだな〜と思わされるものがあるな。そして母親の実枝子さんはあの有栖川宮家の出身(もちろん偽物ではない(笑))。喜久子さんの母方の祖父は有栖川宮威仁親王で曽祖父は江戸幕府を討つ征東将軍で「宮さん、宮さん」と歌にもなった有栖川宮幟仁親王。さらに付け加えると威仁親王の妃は金沢百万石の藩主前田家の娘である。もうそのまんま歴史、と呼んじゃっていい血筋なのだ。
 喜久子さんは1911年(明治44年)の生まれで女子学習院本科を卒業した直後に大正天皇の第三子・高松宮宣仁親王 と19歳で結婚した。断絶した有栖川宮家の祭祀を高松宮が引き継いでいたこともあり、この縁組はかなり早くから決まっていたものだったようだ。だが高松宮との間にはとうとう子供に恵まれず、1987年に高松宮が死去。このたび喜久子さんが亡くなったことで高松宮家も完全消滅ということになった。だとすると高松宮家、そして有栖川宮家の祭祀はどこが引き継ぐのだろう…といって、どこの宮家もこのまま女系を認めないと断絶の運命にあるんですけどね。


 最後に皇室関係で小ネタを(笑)。
 12月9日発売の予定だった女性週刊誌「女性セブン」(小学館)が、例の秋篠宮記者会見の記事中で一箇所「皇太子」というところを「皇大子」とミスプリしてしまい(ワープロ変換ミスではなさそうだが)、それが半分ほど印刷した段階(それでも20万部以上…) で発見され、それらを廃棄して発売を数日延期するという事件があった。言われなきゃ読者の大半も気付かないであろうミスだが、こと皇室ネタでの誤植は怖いオジサンたちが押しかけてきたりしますからねぇ…戦前は皇室記事で「陸下」といった誤植がないようにと「天皇陛下」とつなげてある活字があったとかいう話は聞いた事があるが。現天皇が即位した際、外国のTVが天皇の名前を漢字で「仁明」とさかさまに表示しちゃったこともあったな。
 なお、以前「VOW!」の投稿にあったもので、ある日本の新聞でチャールズ英皇太子の写真キャプションで「臭太子」と誤植してしまったケースがある。その新聞社にMI6の工作員が送り込まれたかどうかは定かではない(笑)。


<追記>
この文をアップした翌日の天皇誕生日(12/23)に天皇ご本人が文書による質問への回答を発表、そこでも皇太子の発言に関して意外なほど突っ込んだというか率直なコメントが出てこれまた話題を呼んだ(「史点」は一日待つんだったと悔やんだ)。「まだ理解しかねる部分がある」って、例の会見から半年以上経ってるんだが…やっぱり天皇と皇太子は親子とはいえあまり直接の接触はしないもんなんだろうか。
あと気になったのが皇太子夫妻の件で内外の報道(やっぱり結構チェックしているようである…まさかここも?(笑)) に天皇夫妻を批判するものがあったのに心を痛めたといった表現があったこと。う〜ん、そこまで言っていたのはあったかなぁ?と思ったのだが海外マスコミなんかにはそういうのがあったかもしれない。依然として曖昧な表現が多い皇室言葉でもあったが、一方でそれぞれに人間的な感情をにじみださせるコメントになってきているところは注目かもしれない。もしかしてみんな示し合わせてやってないだろうな(笑)。
ところでこの天皇のコメントを受けて朝日新聞の皇室担当の名物記者(先日紀宮婚約もこの人がすっぱ抜いたとか)が紙面で「解説」を書いていたが、皇太子夫妻の言動へのかなりの批判ととれる内容となっていたのも目を引いた。皇室報道の一部に「皇太子夫妻攻撃」のようなものが時折見受けられることに何やら「男系元皇族」との絡みを感じてしまうのは深読みだろうか…(例の元宮家男性を登場させた週刊誌はしばしば皇太子を「浩宮」ってわざわざ書くんだよなあ)

 


◆南米はひとつ!

 最近日本でも公開された映画「モーターサイクルダイアリーズ」でその青春時代が描かれるなど、今でも世界的に根強い人気を持つ革命家・エルネスト=チェ=ゲバラ。彼自身はもともとアルゼンチンの出身で、くだんの映画は若き日の彼が南米をバイク旅行した実話に取材しているのだが、その旅で中南米の矛盾に気付かされたゲバラは革命運動に身を投じ、カストロとともにキューバ革命を成し遂げる。しかしその後キューバを離れ(革命野郎によくあるパターンで革命後の政治実務がダメなのだ) 、「世界革命」を掲げてあっちゃこっちゃで革命運動を続けていくことに。最終的にボリビアでCIAの工作もあって捕虜となり殺害された。その娘が今はベネズエラで看護士になっているとか、キューバに記念館が作られて外貨獲得に貢献しているとか散発的ながら話題のつきない人物だ。

 12月17日付「読売新聞」に「ゲバラで村おこし、最後の足跡たどる観光企画スタート」という記事が載っていた。ゲバラ最後の地となったボリビアの山奥の村・ライゲラで「チェの足跡」なるツアー旅行ルートが作られている、という話題で、まさに「村おこし」を狙って2年前から進められた企画が10月から実現し、いま映画の反響やイラク戦争の影響による「反米」ムードの盛り上がりも追い風に鼻息も荒く、という内容だった。
 ライゲラ村の中央には3mのゲバラ像が建てられ、家々の壁にはゲバラの肖像画があるとか。「チェの足跡」ツアーそのものはゲバラのキャンプ跡地を訪ねつつ自然探索や魚釣りを楽しむという、なんかゲバラは「おまけ」のような気がするエコツアーだとか(笑)。そもそもこのライゲラはゲリラ活動なんてやるぐらいの地域だから近場の都市から車で7時間もかかる山奥で、20世帯足らずしかないほんとの寒村。住民の70%が一日1ドルで暮らすという貧困村だから「ゲバラで村おこし」というのは悪い思い付きではないのだろうが…そんな山奥の寒村にどれほど人が来るのだろうか。
 ただその記事にも書いてあったが、村人達は当時「ゲバラは人殺しだ」と教えられ政府軍のゲバラ狩りに協力した経緯もある。殺害直前に食事を届けたという当時少年であったはずの男性は取材に対し「ゲバラは礼儀正しく魅力的な人で『貧困を無くすために闘っている』と話してくれた」と語り、「人柄と目的を知っていたら縄を切って逃がすくらいの勇気はあった。多くの村人が今も後悔している」と言っていたそうだが、自分の死が村人達の貧困を救う事になるかもしれないということに地下のゲバラも複雑な心境かもしれない(笑)。


 ところで日本ではあまり大きく報じられなかったのだが、去る12月8日、ペルーのクスコで南米12カ国の大統領らが集まって「第三回南米首脳会議」が開かれ、その中で「南米国家共同体」の発足宣言なんてものが採択されている。「われわれは単一の通貨、一種類のパスポート、直接選挙によって選出される一つの議会をもつことになるだろう」と議長国ペルーのトレド大統領が言ったように将来的にはEUを手本とした域内統合を目指す、という結構壮大な構想だ。この構想自体は2000年の第一回首脳会議からブチ上げられていたもので、すでに存在していた「アンデス共同体」(ペルー、エクアドル、ベネズエラ、ボリビア、コロンビア)「南部共同市場」(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイが加盟しチリ、ボリビア、ペルー、ベネズエラ、メキシコが準加盟) といった関税同盟的連合体を統合、これにチリ、ガイアナ、スリナムを加えて発展していこうというもの。実現するとフランス領ギニアを除く南米大陸全域が一体化し、人口はEUも上回る3億6000万人、石油や鉄鉱石・銅など豊富な天然資源を抱える「大国」が出現することになる。
 かなり大きなニュースのような気がするが報道の扱いが小さいのは海外からは「実効性が薄い」と見られているため。例えば共同通信記事なんかはこの「宣言」が事務局を当分定めず統合の目標時期も定めていないことから「象徴的な宣言」とみなし「実質的な動きにつながるのか懐疑的な見方が強い」としている。まぁ確かに絵に描いた餅的な要素は多く感じるが、EUだって始まった当初はそんなもんだった。思えば南米各国は文化的にはヨーロッパなんかより共通性が多いし(大半がスペイン語圏、ブラジルのポルトガル語だって方言みたいなもん)案外統合しやすいんじゃないか…という気もする。似たような地域統合でやはりちっとも注目されてない「AU」(アフリカ連合)があるが、先日スーダンで監視軍を派遣している記事を見かけ、実はある程度実体となって動き出していることを知ったものだ。
 ブラジルのルラ大統領は「ボリバルの夢見た統合を数年のうちに決定的なものとして具体化する」と述べてこの宣言を絵に描いた餅にはさせないと強調していた。ここで出てきた「ボリバル」とは19世紀に活躍した南米独立運動家シモン=ボリバル(1783-1830のことで、当時大半がスペインの植民地だった南米各地で転戦し、現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドルを独立させ「大コロンビア共和国」を建国、さらにボリビアも独立させた人物だ(そもそも「ボリビア」の国名は彼からとったもの)。彼の死後大コロンビアは解体したが南米共同体の話が出ると必ずこのボリバルの名が想起される。もう一人、アルゼンチン、ペルー、チリの独立に活躍したサン=マルティンというのもいるんだけどインパクトではボリバルが上みたい。
 無理やり話をつなげるなら、ゲバラも彼らの系統につながるものがあると思うんだよね。実際この南米共同体構想もアメリカに対する対抗という側面がある。だがそれだけにアメリカも自分に都合の悪いことにならぬよう露骨に介入してくる可能性がある。なんつっても中南米の歴史はそのままアメリカの介入の歴史じゃなかろうかという面もあるし。
 そういやその代表の一人だったチリの元独裁者ピノチェトの裁判をやることになったはずだが、本人はまた入院したとか。とりあえず生きてるうちにちゃんと追及しておいてほしいものだ。
 


◆ここんとこの小ネタ集
    
 月刊状態になるとどうしても史点ネタがたまってしまい、こういう形式にせざるをえなくなる。では、いってみましょーか。


◆女王のお父さんに隠し子が!

 12月1日にオランダのベアトリクス女王の父でユリアナ前女王の夫・ベルンハルト殿下が93歳で亡くなった。オランダの新聞フォルクスクラント紙によって「死後の公表」を条件に生前極秘に行われていたインタビューが12月14日に公表され、そこに「実は愛人との間に隠し子がもう一人いた」と明かされていた事が判明、話題を呼んでいる(なんと女王も政府もこのインタビューについては寝耳に水だった)。殿下とフランス人女性との間に生まれた「隠し子」のアレクシアさん(37)については国民の間でも公然の秘密だったそうだが、このインタビューの中でアレクシアさんについて「毎年夏と冬に会っている」と触れた箇所で「もう一人の娘についてはご存じないでしょう」ともう一人の隠し子について切り出したのだそうな。それはアメリカ在住のアリシアさん(50)だそうで、1950年代、ユリアナ女王が女占い師に凝って夫婦仲が冷えた際につくった愛人との間にできちゃったのだとか。それでも前女王は隠し子の二人とも可愛がってくれたのだそうである。まー日本の皇室なんかじゃ考えられない世界が欧州王室にはありますな。
 なお、ドイツ生まれのベルンハルト殿下(なんか日本製RPGに出てきそうな名前だ…なんであれドイツ風が多いんだろ)は「ナチス党員疑惑」が根強くささやかれていたのだが、それについてはインタビュー内で強く否定していたという。


◆オランダのスパイ大作戦!

 同じくオランダからの話題。
 12月17日にBBC電子版が報じたところによると、オランダで親中国姿勢の左派政党を結成しその書記長をつとめた男性が「実は自分は中国情報を得るためにオランダ情報当局から送り込まれたスパイだった」と告白したという。オランダでの親中国左派政党というのがどういうものだったのかは分からないが、彼が訪中した際には毛沢東 が握手をしてくれ、1990年代に党を解散するまで中国から総額100万ポンド(約2億円)の活動資金提供を受けていたというから表面的にはすこぶる中国と関係が深い、というより中国の出先機関的な存在だったみたい。その書記長が実はオランダ当局のスパイだったというんだから、歴史というのは面白い。
 だが彼の立場というのは中国側も百も承知の、ある意味「二重スパイ」に近かったのかもしれない。中国側からも信頼された彼は1960年代の中ソ対立激化の折に、中国から密かにアメリカとの関係改善の可能性を打診されそれをオランダ情報部に流し、間接的にCIAにその情報を流すことで世界をアッといわせたニクソン大統領の訪中(1972)につながったと少なくとも本人は言っているらしい。米中関係改善のキッカケにはいわゆる「ピンポン外交」もあったし彼の言うオランダルートばかりで決まったものではないのだろうが、冷戦期の舞台裏の逸話の一つとして興味深いところだ。
 スパイ活動をしていたことについて「後悔したことはほとんどない。冷戦終結に貢献でき光栄に思っている」と当人は言ってるそうだが、その当否はともかく、この手の「知られざる現代史」のネタはまだまだ転がってるんだろうなー。


◆皇太子を「解任」!

 なんか今回はロイヤルファミリーネタが多いな。
 11月28日、ヨルダンのアブドラ国王(42)が異母弟であるハム皇太子(24)を皇太子の地位から「解任」したことが公表された。まさに突然の「解任」だったが、振り返ってみると予想されなくもない事態だった。
 実は記念すべき(?)「史点」第一号(1999年2月10日)でヨルダンのフセイン 前国王の死去の話題がとりあげられている。その中で当初後継者と決められていたフセイン前国王の弟がその死の直前に「解任」され、フセイン前国王の息子であり現国王のアブドラさんが皇太子になったという話が出てくる。この時点で「昔だったら壬申の乱」とか僕も書いているようにかなりドロドロした展開になっていたのだ。
 今回皇太子から「解任」されたハムザ王子はフセイン前国王の第4夫人ヌール 妃の子で、5番目の息子ながら両親の寵愛を強く受けて将来の国王候補と目されていたという。1999年のフセイン前国王死去の際にも国王に擁立する動きがあったがまだ18歳と若かったため異母兄のアブドラ王子が王位に就き、その代わり間の兄弟を3人も跳び越してハムザ王子が「皇太子」と定められたという経緯があったようだ。
 そこへ来て今回の「解任」。皇太子の位はとりあえず空位とされるそうだが、いずれそこにアブドラ国王の長男フセイン王子(10)がおさまるのだろうと観測されているそうな。ホントに「壬申の乱」が起こりそうなパターン…


◆粛清・暗殺・崇拝抑制?

 これもある意味「ロイヤルファミリー」ネタだろう。北朝鮮の金さん一家の話題がこのところいくつか続いた。例によって不透明なところが多い話ばかりだけど…
 11月の中ごろから北朝鮮の国家施設・在外公館で金正日総書記の肖像画を外す動きがみられる、とロシアのイタル・タス通信が伝え、一部で「すわ政変か」と騒ぎになったが、北朝鮮側がその報道について「国家転覆の陰謀だ」と騒いで否定し、またガボンの外相で北朝鮮を訪問したビン国連総会議長も「あらゆる施設に肖像画があった」と証言したため一応この話題は沈静化した感がある。ただ、外国人相手の行事などでは金総書記への強烈な個人崇拝の露出は控えさせようとの指示が出た可能性は残っているみたい。金正日総書記もなんだかんだ言われつつ父親の金日成への個人崇拝に「おまけ」としてくっついてる感ももともとあるのだが…
 11月末には韓国情報機関「国家情報院」が韓国国会で「金正日総書記の義弟の張成沢(チャン=ソンテク)労働党組織指導部第一副部長が粛清された模様」 と報告している。張成沢氏は金総書記の妹婿で「側近中の側近」とみなされていたそうだが今年春から失脚説・軟禁説・移送説などがささやかれていたが、今回の報告では「軍内部に派閥をつくったため7、8人の軍幹部とともに更迭された」とほぼ断定されたようだ。「粛清」といっても具体的にどうなったかは不明のようだ。
 12月19日にはもっと穏やかならぬ話が韓国の聯合ニュースにより報じられた。金総書記の長男で日本にも「と思われる人物」として来たことがある金正男 氏の暗殺未遂事件があったというのだ。11月中旬にオーストリアに滞在していた彼を「北朝鮮内の反金正男勢力」が暗殺しようと計画し、それを事前に察知したオーストリア情報機関が警備を強化したため難を逃れた、というもの。詳細や真実度については何ともいえないものがあるが、事実だとすると想像以上に「後継者争い」が激化してるんだろうか…
 金正男氏といえば先日北京で海外マスコミの前に姿を現し(僕も「本物か?」と疑ってしまってるが)、しばらく各マスコミとメールのやりとりをした末「偽物だと疑われてる」ことを理由に送信を打ち切ったという話題もあった。どうも北朝鮮関係というのはワケがわからんことが多く、どこかギャグ調。そのせいか最近ではいしいひさいち氏が金正男氏がレポーターとなって世界各地から報道を行う「金正男の世界の街角から」という4コマシリーズを書いていたりする(笑)。


2004/12/22の記事

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