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2004年12月24日

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◆あたまを雲の上に出し♪

 富士山。言わずと知れた日本の最高峰であり、その形の美しさからも実質的な「日本の象徴」となっている山である。僕の住む地方(茨城南部)からも空気が澄んでいる時はよく見え、まさに「四方の山を見下ろして♪」という威容を見せてくれる。なんであんなにでっかいものが普段は見えないんだろう、と思ってしまうくらい。
 以前中国へ旅行した際に帰りの飛行機の窓から日本列島をじっくりと空から眺めたが、中部地方にさしかかったあたりで雲が出てきてまったく何も見えなくなった。ところがしばらくして雲海の中に、まさに「あたまを雲の上に出し〜♪」という状態で富士山の姿が浮かび上がったのだ。それもちょうど真っ赤な夕日に照らされて言いようも無い美しさ、「日本に帰って来たなぁ」という実感とともに感嘆して見入ってしまったものだ。

 さて先日の12月17日、財務省の東海財務局が富士山の山頂周辺の土地を富士山本宮浅間(せんげん)大社 に対して無償譲与するとの通知書を同神社に送っている。このニュースで初めて知ったのだが、なんと30年も前にこの「富士山頂の土地所有権」については浅間神社のものであると最高裁で確定しており、今度の措置はようやくそれを国側が認めてのことだったというのだ。30年も何をしてたんだが…と思うところだが報道をよく読むとこの「富士山頂の所有権」についてはなかなか複雑な歴史的経緯があるようなのだ。

 富士山本宮浅間大社については大社が開設しているHP をご覧いただくのが早い。祭神は富士山そのものを「御神体」とする浅間大神(あさまおおかみ)こと木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)である。コノハナノサクヤヒメ(あるいはコノハナサクヤ)というのは「古事記」「日本書紀」など日本神話に登場する神様で、「天孫降臨」で地上にくだってきた瓊々杵尊(ににぎのみこと)の妻となった女神だ。「古事記」のこの辺は実に面白いので脱線を承知で触れておく。
 日向(ひゅうが、宮崎県)の国に降り立ったニニギは美しい娘に出会う。名前を聞くと大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘コノハナサクヤだというので、ニニギは父親の方に「コノハナサクヤを妻に迎えたい」と申し出る。大山津見は大喜びでコノハナサクヤをニニギの花嫁として送り出すのだが、なぜかその姉の石長媛(いわながひめ)もセットでつけてきた。ところがこの石長媛のほうは妹に全然似ない、はっきり言ってブス。まるで一昔前のオモチャ屋がやったファミコンの抱き合わせ販売みたいな気がしたのだろう(笑)、ニニギは石長媛の方はすぐに実家に送り返してしまう。すると父親の大山津見は言う。 「コノハナサクヤはその名のとおり花が咲き誇るようにあなたが栄えるようにと送ったもの、そして石長はその名のとおり岩が雨風にさらされてもがっしりしているのと同じくあなたが永く丈夫であるようにと送ったもの。石長をお返しになったからにはあなたは咲いた花がいずれ散るように永久に生きることは出来ません」というわけで、神の子であるはずのニニギとその子孫は「死の宿命」を負う事になった…という説話である。なにやらいろいろと考えさせられるお話ですな。
 お話はまだ続く。結婚して間もなくコノハナサクヤが身ごもった。「できちゃった婚」の覚えは無い(笑)ニニギは「ホントにそれは俺の子かい?」 と妻を疑う。怒ったコノハナサクヤは「本物のあなたの子ならどんなことをしても生まれるでしょう」と土で密閉した産屋を作ってそこに入り、あまつさえそこに火をつけて出産するというムチャをする。結局無事に三つ子を出産することになるのだが、火の中で生まれたということで三人の赤ん坊は火照(ほてり)火須勢理(ほすせり)火遠理(ほおり)と火の燃える段階の名前がそのまんまつけられるということになった。このうち火照と火遠理がいわゆる「海幸(うみさち)・山幸(やまさち)」で神話は次の世代の話に移っていくのだが、脱線話はその辺で。

 このコノハナサクヤがなんで富士山と一体化しているのかはよく分からない。父親が「大山津見」だからということなんだろうか。どのみち後からこじつけた(そもそも東国にある富士山については畿内の人間は長いこと無関心だったと言われる)ものだと思われるが、浅間大社の由緒では第11代垂仁天皇の3年(紀元前27…帝政ローマ開始の年ですな)に噴火する富士山を鎮めるべく浅間大神つまりコノハナサクヤを祭って社を作ったことが起源とされている。
 その後現在の位置に社殿が建てられたのが大同元年(806)。平城天皇(桓武天皇の子)があの坂上田村麻呂に命じて建造させたんだそうな(再来年が1200周年ということになる)。以後この大社は富士山信仰の総本山的存在となり、さまざまな歴史上の有名人の信仰・参詣を受けている。そして江戸時代初期に徳川家康が富士山山頂付近(8合目以上)の土地を大社に寄進したとかで、以後山頂付近もこの大社の「境内」の一部として扱われることになる。実際現在の浅間大社のHPの境内案内でも詳しく山頂付近が図示され、噴火口は「幽宮」なんて書いてあった。

 ところが明治時代に入って間もなく寺社の領地の国への上納が命じられ、この富士山頂付近も国有地とされてしまう。太平洋戦争の敗戦直後になって「政教分離」の原則から国有地となっていた宗教関連の土地の無償譲渡が実施されることになり、浅間大社も家康の寄進文書などを根拠に国に富士山頂付近の土地の譲渡を申請したが、大社側が主張する約400平方メートルのうち譲渡されたのはわずかに16平方メートルだけ(恐らく山頂にある「奥宮」周辺)だった。これを不服とした大社側は1957年に国を相手に裁判を起こしたのだ。
 結論から言えばもともとこの地を大社側が持っていたのは証拠も明白だし、富士山そのものを御神体とする神社だけに富士山頂付近は「宗教上必要な土地」なのも事実で、裁判は1審、2審とも大社側の勝訴のまま1974年の最高裁判決でも大社側の主張が認められ、確定した。しかし国は山頂を譲渡することなくとうとう30年が経過してしまったわけである。その理由の一つに国側が裁判でも主張した「日本のシンボルともいえる富士山を誰かの所有物ということにしていいのか」という気分も多少あったことは否定できないだろうが、そこはやはり役人仕事、最大の理由は事務手続き上の問題にあった。

 実は富士山頂をめぐる争いがこれと並行してもう一つ存在するのだ。古くは駿河国と甲斐国、現在の静岡県と山梨県の富士山を県境としている両県が山頂付近の県境をめぐってなんと江戸時代以来争っているのである(笑)。
 調べてみるとこの手の都道府県境、市町村境の争いというのは全国あちこちにあり、十和田湖みたいに「どの県にも属さない」ことにしちゃってるところもある。山頂というのは観光問題もあってよくモメるものらしく、僕の近場では筑波山に関してもそんな話を聞いたことがある。富士山は言ってみれば究極のそれであり、とりあえず「未確定地」ということで決着が放置されている状態なのだ。だから国が大社にこの山頂付近を譲渡しようにもそこが静岡県なのか山梨県なのかが確定しないと土地登記ができないという、はたからみるとバカバカしい問題がそこにあったのである。

  2006年に創立1200周年を迎える大社側としてはこの問題の「棚上げ状態」をいい加減に処理してくれ、と強く国にせまっていたようで、5年ほど前から国と静岡・山梨両県との間で調整をすすめ、とりあえず登記問題は後回しにして富士山周辺の土地の譲渡だけをしておく、ということで今回の措置になったらしい。大社側は「所有権が認められ一歩前進」としているが、登記の問題は両県の話し合い次第なのであと何年かかるか分からないとのこと。
 …静岡県と山梨県が合併しちゃえばいいんじゃないかな(笑)。いや、わからんですよ、道州制なんて話も出てきてるんだし。



◆東郷大将万々歳♪

 「フィンランドにはラベルに東郷平八郎が描かれた「東郷ビール」というものがある」

 …などという「トリビア」をしたり顔で披露してしまい、「フィンランドは隣国ロシアにいじめられたから東郷さんと日本に感謝してるんですねー」などと余計なことを言うと世界史マニアを相手に大恥をかく。実際には「東郷ビールは提督シリーズという商品の一つで、ほかにネルソンはおろかロシア海軍のロジェストウェンスキーやマカロフのビールもあった」というのが正確なトリビア。聞くところではこの提督シリーズの販売元はとっくにつぶれており、日本人が話のタネによく買ってくれるのでオランダかどこかの会社が売れ筋の「東郷ビール」の製造を引き継いでいて、今では日本国内でも買える状況らしい。

 まぁ一応、日露戦争の日本海海戦(海外では「対馬沖海戦」のほうがとおりがいいらしいが)でビール仲間(笑)のロジェストウェンスキー率いるロシアのバルチック艦隊を壊滅させた日本連合艦隊総司令官・東郷平八郎 が世界的に有名な日本軍人の一人であることは事実ではあるだろう。日本海海戦ほど完璧なまでに一方的に勝利した海戦は世界史上にも珍しいようだし、東郷自身の発案ではないようだがいわゆる「丁字戦法」という前代未聞の艦隊運動をしたことでも記憶には残る人物だ。僕がお世話になった某教授などは「東郷は『それ、丁字だ!』と指示を出すタイミングを間違えなかったことだけで名将なんだよな」などと酒の席で言ったりしていたが(笑)。詳しい方はご存知だろうが、この東郷は戦後は花柳界の寵児になったり昭和初期まで生きてほとんど「老害」としか言いようのない影響力を海軍に持ったりした側面もあることを忘れてはなるまい。

 さて12月20日付の「読売新聞」にこの東郷平八郎元帥にまつわるニュースが出ていた。それも日本海海戦で東郷平八郎が乗った旗艦「三笠」(横須賀港に今も残り、各種「日本海海戦」映画でもそのまま使用された)に掲げられていた「大将旗」が実に90年以上ぶりに発見されて日本海海戦からちょうど100周年となる来年に日本に里帰りすることになった、という話題だ。日本海海戦にも「参加」した重要な旗でありながら、なんと100年近くその消息が不明だった旗なのだ。

 どこから見つかったかといえば、日本がかつて「海軍国」の手本として仰いだイギリスから。なんでも東郷が若いときに留学した海員練習の「ウースター校」というのがあり、その財産を引き継いだ財団「マリン・ソサエティ」が大将旗を東郷の胸像ともども所蔵していたのだそうだ。東郷を祭った「東郷神社」の宮司さんが東郷の伝記のための取材をするうち判明したとのこと。
 なんでも東郷は日露戦争も終わった1911年、イギリス国王ジョージ5世の戴冠式に明治天皇(この翌年に死去する)の名代として出席した東伏見宮依仁親王に随行してイギリスに渡っていた。この時に「母校」であるウースター校に大将旗を寄贈したのだとか。当時のことだからアドミラル東郷の名前はイギリスでも有名であったろうし(そもそも日英同盟の間柄でもあるし)、自国で船を学んだ人物が世界的海戦をやっちゃったということは誇りでもあっただろう。「ウースター校」の卒業名簿の筆頭に東郷の名前があるとかで、胸像もそんな事情で製作されそのまま保管されていたのだろう。
 ただ日本側のこの件についての記録が無かったため長いことその所在がわからなかった。先述の東郷神社の宮司さんがこの事実をつきとめ、「日本海海戦100周年」となる来年の大祭のために大将旗を貸与してほしいと財団側に申し入れたところ、快く「無償永久貸与」、要するに事実上の「返還」をしてくれたそうで。「大将旗」は海戦から100年目となる来年5月20日から30日にかけて東郷神社で展示されるとのことだ。
 


◆一月は正月で酒が飲めるぞー♪

 一月は正月、二月は節分、三月はひな祭り、四月は花見、五月はこどもの日、八月はお盆、九月はお彼岸、十月は体育の日、十一月は勤労感謝の日、十二月はクリスマスで酒が飲める事になっているらしい(笑)。六月と七月はなんだったっけ。

 古今東西を問わず人類が有史以来製造し、たしなんでしまっているものに「アルコール飲料=酒」がある。とにかくどこの文化でも必ずと言っていいほどなんらかの方法で酒類を作っちゃってる。単に酔っ払う飲み物としてだけではなく、その特殊性ゆえにキリスト教におけるワインとか日本の神事における日本酒の扱いのように宗教的な意味を持たされているケースも少なくない。イスラム教みたいに「禁酒」を勧める宗教もあるけどこれも「酩酊はいかん」という解釈も可能でビールぐらいは平気で飲んでるイスラム教徒もいるらしい。

 「発酵」と「腐敗」は化学的にはおんなじことなので(人間の役に立つか立たないかで区別してるにすぎない) 、米でも麦でも芋でもトウモロコシでもブドウでも材料はなんであれおよそアルコール飲料なんてものは放置しておくだけでわりと簡単に発生する。農業開始以前の段階でも果実を使った原始的な「酒」みたいなものはあったのではないかと推測されている。ただし本格的に「醸造」した酒となるといつから始まったのか確認するのは難しい。農業が始まってからだろうとは分かるんだけど、なにせ現物が残ることがまずなく…「酒」だけにみんな飲んじゃうから(笑)。
 冗談はさておき、これまでに確認されている最古の「酒」は1996年にイランの新石器時代の遺跡からみつかった残留物がある。これがおよそ紀元前5000年とか。ところが今回これを大きく上回る古い「酒」がアメリカの研究者により中国の遺跡から発見されたという。

 12月6日にアメリカの科学誌にペンシルベニア大学のパトリック=マクガバン博士らの研究チームが発表したところによると、中国・河南省の遺跡で見つかったおよそ9000年前の陶製の壺から「世界最古の酒の醸造かすと見られる残留物」が検出されたという。分析した結果、材料の主成分は米で、そこに蜂蜜、ブドウなどを発酵させて混ぜて味付けをしたものらしい。さすがに味は分からないが、「香りあふれる紹興酒を思い起こさせる」との研究チームのコメントがいかにも酒好きそうで微笑ましい(笑)。ブドウが混じっているあたりが気になるが、マクガバン博士は中央アジア、中東との交流があったことをそこから推測しているようだ。
 この研究チームは他にも殷(前16世紀?〜前11世紀)の時代の古墳から3000年以上も経過した「ワイン」の残留物を発見したと発表している。この残留物は銅製の壺に収められていてサビの層のために液体状態で保存されており、「透明で、除光液やニスのようなにおいがした」とのこと。この「ワイン」もハーブや花、木の樹脂などで香りがつけられており、飲用というよりも死者のための宗教的意味があるのではないかとの推測もされているようだ。

 さらに…記事中にはなぜか詳しく書いてなかったのだが、この研究チーム、「アブサン」の初期のものと思われる液体も発見しちゃったらしいのだ。「アブサン」とはニガヨモギを原料とした蒸留酒で、一部に熱烈な愛好者をもちながらも、麻薬的中毒性があることから今世紀初頭にほとんどの国でご禁制品となってしまった「禁断の酒」である。こんな時代にそんなものがあったというのも驚きだが、記事にこの件が詳しくないのは「ご禁制」ゆえなのか?
 なお、今の話で多くの人が脳裏に浮かべたであろう、水島新司の大河プロ野球漫画「あぶさん」を。もちろんこのタイトルとなっている主人公・景浦安武 のアダ名もこの禁断の酒に由来する。なにせ高校時代の北陸大会決勝で酒を飲んでホームランを打って甲子園失格となったという伝説の男(笑)であり、南海ホークスに入団してからは打撃前に必ず「酒しぶき」を行うほどの呑んべである。奥さんの父が経営する飲み屋「大虎」もしばしば登場し、とにかく酒の話はやたらに多い。なんと故郷新潟にはとうとう「景浦安武」なる酒まで販売されてるそうな(「あぶさん」はマズイんだよね)。それでいて、

 「『あぶさん』の作者である水島新司は実は酒が一滴も飲めない」
 
 という「トリビア」があったりする(笑)。選手達との飲み会では常に缶コーヒーで参加だそうで、全銘柄を制覇した「缶コーヒー評論家」という一面もお持ちだそうな。それにしても今年でホークスもダイエーからソフトバンクへ親会社が移行、景浦はもう年齢は50をとっくに過ぎているはずだが。40代で活躍した「元チームメイト」の門田博光より一つ上という記憶があるので1947年生まれになるか?…水島氏はもちろん「現役続行」を先日宣言。もしかして禁断の酒のパワーだったりするのか、あぶさん(笑)。

 …あり?思わぬ方向へ話が着地してしまったぞ(笑)。



◆はじめ人間ゴゴン、ゴーン♪
    
 なんとも懐かしのフレーズをタイトルにしてしまった。というわけで、最近集まってきた人類創世ネタをいくつか。

 11月19日にスペインの発掘チームが科学誌「サイエンス」で発表したところによると、スペインのバルセロナ近郊で約1300万年前の大型のサルのほぼ全身の化石が発見されたという。この化石がヒトやチンパンジー、オランウータン、ゴリラなどの大型類人猿(もっとも最近ではDNA分析でチンパンジーをヒト科に分類する声もあるらしい)の共通の祖先のものであり、テナガザルなどの小型類人猿から大型類人猿への進化過程の「ミッシングリンク」を埋めるものかもしれない、と注目されてるそうだ。
 この化石サルは「ピエロラピテクス・カタラウニクス」(カタロニア地方で発見されたため) と命名された。体格はチンパンジーより小さく体重約35kg。手首や胸部が現在の大型類人猿に似ており、木登りが得意だったのではと考えられるという。発見されたのはスペインだが、アフリカ北部にも生息していたと考えられ、いわゆる「アフリカ起源説」を支持する発見だともいう。


 アフリカで大型類人猿、そして猿人・原人・旧人・現生人類と次々に発生して世界へ散らばっていった…というのが人類史のほぼ定説となってきている。原人といえば「北京原人」があまりにも有名だが、1930年代に発見された北京原人の頭蓋骨はその直後の日中戦争のドサクサで紛失してしまい、いまなお行方不明であることが意外と知られていない。
 どうしても疑われているのが日本軍もしくはその関係者が持ち去ったのではないか、というわけなのだが、少なくとも日本国内では確認されていない。そこで中国で有力視されているのが船で日本へ輸送する途中、撃沈されて海に沈んだのではないかという仮説だ。その最有力候補として1945年4月にシンガポールから日本へ向かう途中、福建省牛山島沖でアメリカ潜水艦により撃沈された大型貨客船「阿波丸」 の名が挙がっている。事情はよく知らないが中国側の研究者はアメリカから提供された資料等により以前からこの「阿波丸」に北京原人の骨が眠っていると確信しているらしく、早くも1977年に船の引き揚げ作業を試みている。その時は潜水技術の未熟ゆえに骨の発見は断念したというのだが。
 サル、もとい去る10月9日(「史点」ネタ候補にしておいて書けないままだったんです)に中国新華社通信が「中国政府が沈没60周年の来年をめどに阿波丸の引き揚げをする準備を始めた」と伝えている。そしてその同日に中国とフランスの合同調査チームが北京原人の発見場所である北京郊外の周口店で「まだ化石が残っているかもしれない」と24年ぶりの大発掘調査にとりかかるという話が報じられていた。
 現在の人類史の常識では北京原人が現代中国人の直接の祖先ではないことになるのだが、それはそれとして中国にとっては「北京原人」もちょっとした自国意識高揚のタネなのだろう。


 北京原人のニュースに対抗するかのように(笑)、10月の末にはジャワ原人に関するニュースもあった。オーストラリアとインドネシアの合同研究チームがジャワ島の東にあるフローレンス島で「ジャワ原人の子孫と見られる新種の人類の化石」を発見したというのだ(28日付科学誌「ネイチャー」で発表)。この発見が間違いないものだととすれば重大事。なぜならこの化石はせいぜい1万8000年前のもので、今の我々、すなわち「現生人類」がすでに世界中に散らばっていた人類史でいえば「つい最近」の時期に、現生人類とは別系統に進化したジャワ原人の子孫が同時に地球上にいたということになるからだ。
 記事によれば発見された化石人類は島の名前を取って「ホモ・フローレシエンシス」 と名付けられた。その脳の容量は現生人類の約3割程度のチンパンジー並で身長も1mほどしかない。「人類の進化は常に脳が大型化する方向に向かう」との定説をくつがえすことになり、「半世紀でもっとも注目すべき人類化石」との声もあるとか。隔絶された土地にいて特殊な生態系のもとにあり、独自の進化をしていた人類かもしれない…ということなのだが、さて。


 上の話にも出てきた「現生人類」、すなわち現在の我々だが、せいぜい数万年前にアフリカで発生し、5万年前には中央アジア、4万年前にヨーロッパというペースで世界中に拡散していったと考えられている。陸続きのアフリカからユーラシア大陸はいいとしてはるか海を越えねばならない南北アメリカ大陸にどうやって、いつごろ人が移住したのかについては議論があるところ。一応現時点で定説とされているのは今から1万3000年ほど前にシベリアとアラスカの間にある現在のベーリング海峡が「陸橋」だった時期に北米大陸への移住が行われた、という考えだ。実際、北米大陸における人類の痕跡は1万3000年前以降の石器文化「クロビス文化」が確認されているのみで、それ以前の石器文化や人類化石がみつかった例は無い。
 しかし…11月17日にサウスカロライナ大学の考古学者グッドイヤー博士の研究チームが「サウスカロライナ州南西部の地層から約5万年前のヒトの手が加えられたとみられる石器群を発見した」 と発表してちょっとした騒ぎとなっている。「トッバー遺跡」と名付けられたその遺跡で博士らは1980年代から調査をしており、中央アジアで出土するものとよく似た石器とともに炭化した植物片を発見したという。その植物片を炭素の放射性同位体による年代測定にかけたら「約5万年前」との結果が出たのだそうだ。これがホントだとすれば人類の全世界への拡散は予想以上に同時多発的であったことになる。
 グッドイヤー博士は「人類のシナリオを書き換える大発見」と鼻息も荒いようだが、報道を見る限りでは他の研究者からは今のところ「ホントかよ?」という感じの疑問視コメントが上がっているようだ。博士の論文は来年学術雑誌に掲載され、議論される事になるとのこと。


 そのまたすぐあとの11月26日、アメリカの科学誌「サイエンス」に「マンモスなどの絶滅はヒトによる乱獲のためではなく環境変化によるもの」との新説が発表されている。米・英・露・カナダの合同研究チームによるDNA分析の結果だそうで。
 マンモスやジャイアントバイソンなどの大型哺乳類は1万年ほど前に絶滅しており、これが現生人類の全世界への拡散と重なることから「人間による乱獲」説が有力視されてきた経緯がある。頭脳も発達しより巧妙な狩猟を行うようになった現生人類のこと、確かにその可能性はあるなと言われていたのだが、今回の発表はそれに疑問をなげかけるものになる。
 研究チームは北アメリカからシベリア、中国にいたる各地で発見されたバイソンの骨片資料からミトコンドリアDNAを抽出しどの系統がどのように絶滅していったかを追いかけたのだという。その結果、北米バイソンは約3万7000年前をピークに激減が始まるそうで、それは北米に人類が入ってきたとされる定説(上記記事と絡んでくるわけですね、ここで)よりも2万年も前になる。だから研究チームは「寒冷化などの環境変化が起こったのが原因では」とし、他にもマンモスなどの大型哺乳類、そしてそれを捕食していたカリフォルニアライオンなどの大型ネコ科肉食獣も絶滅した、というシナリオを描いているらしい。

 うーん、この件も上記の話とリンクするとまたまたややこしいことになってくるのだが…「史点」でも定期的にこの手の人類創世ネタを取り上げてきているが、まだまだ人類はその発祥についてもわからんことがあるものだと思い知らされる。


2004/12/24の記事

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