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2005年11月22日

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◆パリは燃えているか

 さてと、気がついたら秋である。ここんとこ夏場から秋までは完全にストップが恒例となった「史点」でありますが、ぼちぼちと再開いたしましょうか。この間にももちろんいろいろとネタはあったんだけど、やっぱり時期を逸すると書けないモンで、素直に最近の話題から。

 「パリは燃えているか」―フランスの移民系若者による暴動のニュースにこのタイトルを思い起こした人も多いだろう。もともとは第二次大戦時の連合軍によるパリ奪還の際にヒトラーが口にしたとされる言葉で、「パリ解放」をテーマにした原作小説、そして映画のタイトルにもなった。その後NHKの「映像の世紀」のオープニングテーマ曲(加古隆作曲)のタイトルにもなり、ゲーム「サクラ大戦3」のサブタイトルになったりもした(笑。あれは「巴里」と漢字表記だったけどね)
 フランス政府関係者もやはり連想していたようで、報道官が「パリは燃えている…わけはない」と記者会見でコメントしたとか。暴動で車への放火が相次ぎ、それを「パリ炎上」などと大きく報じる海外メディア(特にアメリカ。イラク戦争に絡めて「ざまーみろ」という心理があるのは明白)に対して釘をさしたものだが、確かに観光業が大きな収入となっているパリにとっては重大なイメージダウンだ。

 この騒動だが、発端は移民系(北アフリカ系)の若者二人が警察に追われているうちに(この辺も事実関係がハッキリしないようだが)変電所に逃げ込んで感電死したという事件にあった。これをキッカケに都市郊外に住む移民三世、四世の若者達―それも多くが十代の少年レベルであったと言われる―が暴動を起こし、これに対してサルコジ内相が「社会のクズ」呼ばわりしたことがいっそう暴動の拡大を招いてしまい、首都パリはじめフランス全土の都市で主に車への放火という形での暴動が続いた。
 そして11月8日、とうとうフランス政府は半世紀ぶりの「非常事態宣言」を発令した。この非常事態宣言は1955年の「アルジェリア独立戦争」時に適用されて以来のものだというのも象徴的だ。

 歴史でも習うとおり、かつてフランスはイギリスに次ぐ規模の植民地を世界各地に持っていた。特にアフリカ北西部は大半がフランスの「縄張り」となり、この地方ではいまなおフランス語を公用語にしている国が少なくない。「またそのネタかい」と思われそうだが(笑)、今年誕生百周年を迎えた「怪盗ルパン」シリーズにもこの辺りの事情が織り込まれており、第一次大戦期の長編『金三角』ではセネガル人フランス兵士が登場するし、その後書かれた長編『虎の牙』 ではルパンがフランス外人部隊に入ってモーリタニアで「活躍」する話が回想中で語られ、殺人絶対禁止をモットーとするルパンが現地人を平気で殺害したり部下達とモーリタニアを征服して「帝国」を築き上げたりといった、現在の観点からするとかなり問題のある自慢話が語られている。しかもルパンは自らの「モーリタニア帝国」を脱獄の引き換えにフランス政府に引き渡しちゃったりするんだよな。

 地中海を隔てただけという地理的な近さもあってフランスの支配が特に強固であり、激しい独立闘争が行われたのがアルジェリアだ。その非常事態宣言が発令されたというアルジェリア戦争についてはドキュメンタリータッチの傑作として知られる映画『アルジェの戦い』を参照されたい。この映画はヴェネチア映画祭でグランプリを獲得したが、参加していたフランス映画人たちはこの映画の内容が「反仏的」であるとして一斉退場するという事件も起きている(フランソワ=トリュフォー監督だけは退場しなかったという。エライ)
 さすがに約半世紀も経ち、植民地主義に反省を迫る時代の流れもあって、現在のフランスでは公式にはアルジェリアに対して過去の経緯の謝罪をする形になっている。フランスは2003年を「アルジェリアの年」と定め、シラク大統領がフランス元首として独立後初めてアルジェリアを公式訪問して明確に過去の植民地支配の謝罪をするイベントも行われた。
 こういう辺り、日本人なら日本と韓国・北朝鮮の関係とよく似ているなぁ、と感じるところ。もう一つ似ている点として日本に在日韓国・朝鮮人が数多くいるようにフランス国内にもアルジェリア系移民が数多く在住している。サッカーのフランスナショナルチームは多くの移民系選手を含み「これでナショナルチームと言えるか」と右派系から揶揄されたりしているが、国民的英雄であるジダン選手もまさにアルジェリア系二世なのだ。思えば日本でもスポーツと芸能界に在日の人が多いから、その面でもよく似た状況なのかもしれない(日本の場合は日本国籍をとらないケースが多いからナショナルチームには入ってないが)

 ただし日本と決定的に異なるのは「移民系フランス人」がフランス国民の中に占める比率の高さだ。もともとフランスは面積は日本の倍あるくせに人口は日本の半分の約6000万人。このうちおよそ400万人を移民系が占めるというから凄い(もっともこれもあくまでお役所的調査のデータで、実質1割に達するとも言われる) 。世界中に植民地を広げていたことも大きな理由だが、もう一つの要素としてフランス革命以来「自由・平等・博愛」を建前的国是に掲げる国として、昔から東欧・ロシアから中東・アフリカまで各地からの亡命者や難民を受け入れてきて、アメリカとはまた違った意味で移民に寛大であったことも挙げられている。
 しかし移民に寛大だといっても彼等が社会的に同等に扱われるかどうかは別問題。これはアメリカも含めて移民を多く抱える国ではどこでも見られる問題だ。またフランスは伝統的に「フランス中華思想」が強い国でもあって、僕が大学で授業を受けたフランス語講師なんか「フランスはいいところですよ〜フランス人さえいなけりゃ」とエスプリを飛ばしていたほど(笑)。もちろんどこでも「よそ者」に対する差別はあるもので特にフランスが強烈というわけでもないんだろうけど、フランスの場合建前と本音のギャップがかなりあるのではなかろうか…という気はする。
 今回の暴動、都市の郊外の団地に移民系の人々が住み、どこも就職率も低く、実質スラム化している実態が背景にあると指摘されている。フランスは彼らを同等にフランス国民として扱う「同化」政策を進めてきたが、実際のところマイノリティである彼らに世間の風が冷たいという面は多々あるに違いない。そうした不満が常に表面化するわけではないが、なにかの弾みで暴動に発展してしまうことはアメリカのロサンゼルス暴動にも見て取れる。

 人権意識が高く、割合うまく移民との折り合いをつけている…と言われることもある西欧各国だが、オランダやドイツで移民がらみの紛争事件は少なくないし、7月のロンドン同時多発テロにもイギリスにおいても同様の問題があることをうかがわせた。それと連動して各国で移民排斥を叫ぶ極右勢力も支持を集める傾向もあり、今度のフランスの騒ぎでもあのルペン党首率いる極右・国民戦線の支持率が上がったとの話もある。また騒動を煽った張本人でもあるサルコジ内相がその後も強硬発言を続けたところ、彼への支持率も高まっているという(深読みすると極右への票の流れを食っちゃおうという作戦かも…)
 まぁ今回の場合幸いだったのはこれだけの騒ぎの割に人的犠牲者が最低限に押さえられたこと(とりあえず報道された限りでは死者一名)、そして暴動に参加した若者の年齢がかなり低く、宗教対立の側面はほとんど浮かび上がらなかったこと(そのせいかイスラム指導者の沈静化を求める呼びかけがあまり効き目が無かったりもしたが)がある。暴動起こしてるほうもインターネットで呼びかけをするなど今風だ。その辺は春の中国の反日デモ騒動と似てるかも。
 
 一時ドイツやベルギーにも飛び火した騒ぎとなったが、非常事態宣言、夜間外出禁止令などによる鎮圧作戦で、とりあえず沈静化はしたらしい。それでも非常事態宣言を3ヶ月間延長するそうだが。
 なんて言っていたら、11月18日未明、フランス頭部のグルノーブルで1000人近い若者達が救急隊員や警官隊相手に投石するなどして暴れる騒ぎが起こっていた。17日に解禁されたボジョレ・ヌーボーを飲むパーティーがあり、酔っ払って暴れただけというオチだったが(笑)。



◆「ハルマゲドン」から教会発見!

 「ハルマゲドン」という言葉を僕が最初に覚えたのは角川アニメの第一弾「幻魔大戦」(りんたろう監督)の宣伝によるものだったと思う。これは平井和正石森章太郎(当時はまだこの名前だったはず)の小説および漫画を原作とした、地球へ侵攻する「幻魔」と人類の超能力戦争を描くSFアニメだったが、「人類最終戦争」という意味合いで「HARMAGEDON」という英題がつけられていたのだ。
 この作品に限らず日本では特に漫画やアニメ、ゲームで「最終戦争」を意味する言葉として「ハルマゲドン」がやたらに使われていたように思う。しかしなんといっても一般人にこの単語が流布したのは1995年のオウム真理教の一連の事件の時だろう。
 さらに1998年に公開されたSF映画「アルマゲドン」(マイケル=ベイ監督)ってのもあった。本来「H」を書いてないギリシャ語の「ハルマゲドン」を英語表記すると「アルマゲドン」になるので両者は同じ言葉なのだが、これは別に最終戦争の話ではなく地球を破滅させる小惑星を破壊するお話だった。

 この世の終わりに善と悪の「最終戦争」が行われる、という思想は早いところでゾロアスター教に現れる。これがユダヤ教、そしてその分派というべきキリスト教の終末思想に潜り込んでくるわけだが、この「ハルマゲドン」を明記しているのが新約聖書の最後に収められている「ヨハネ黙示録」だ。
 これは聖書の中でも最大の「問題作」で、世界の終末を示す予言めいた文章だ。「ヨハネ」といってもどこのどういうヨハネさんだか作者も不明で、内容的にもワケが分からないので古来これを新約聖書に入れるにあたっては議論があったという。16世紀に聖書重視の宗教改革を起こしたルターもこの「ヨハネ黙示録」については聖書から外したがっていたと伝えられる。
 ともかくこのヨハネ黙示録の中で善と悪の最終決戦の「戦場」として「ハルマゲドン」という名前が出てくるのだ。ただし「ハルマゲドン」とは固有の地名ではなく「メギドの丘」 を意味している。「メギド」とは現在のイスラエル北部の地名で、歴史上しばしば戦場となったことからいつしか「メギドの丘=最終決戦の場」という意味で使うようになっていたらしい。このように本来戦いの場所を意味していた「ハルマゲドン」だが、いつしか「最終戦争」そのものを指すようになっていったわけ。なお、「メギド」の名前も漫画・アニメ・ゲームで使用されているのを時々見かける。


 以上は前置き(笑)。
 その「ハルマゲドン」の現場である「メギド」の地から、紀元3〜4世紀のものと思われる古いキリスト教会の遺跡が発掘され、話題を呼んでいる。それもテロ攻撃容疑などで逮捕されたパレスチナ人の受刑者を多く収容している「メギド刑務所」の敷地の一画から、というのがなんとも「黙示録的」だ。
 報道によると、刑務所の新棟を建設する拡張工事を行っている際に働かされていた受刑者たちが土の中からモザイク画二枚を発見したという。一枚には「魚」が描かれており、もう一枚には「神である主イエス・キリスト」を称える教会にテーブルを寄付したアケトウスなる女性の名前とローマの士官について書かれており、実際にテーブルの断片と思われるものも発掘されたという。

 キリスト教と言えばイエスが処刑時にかけられたという「十字架」がそのシンボルとなっているが、意外にもキリスト教の歴史において十字架が信仰のシンボルとなったのは4世紀以後のことだそうで、それ以前はなぜか「魚」がシンボルの役割を果たしていたという。そのため今回発見された教会が4世紀よりは前のキリスト教会であることが断定できる。
 また当時のミサは祭壇ではなくテーブルを使って行われていたとされ、このアケトウスなる女性が寄付したテーブルもミサに使うためのものだった可能性が高い。これもこの教会が4世紀より前のものと考えられる理由となる。
 3〜4世紀というと、この地方はまだ命脈を保っていたローマ帝国の領土だった。キリスト教は帝国内でその信者を増やしていたとはいえ4世紀初めにはディオクレティアヌス帝による弾圧など、依然として迫害を受ける立場でもあった。313年にコンスタンティヌス帝が「ミラノ勅令」でキリスト教を公認しているが、キリスト教がローマの国教に指定されその優位を確立するのは4世紀の末まで待たなければならない。
 今回の発見が注目されるのはなにも「ハルマゲドン」がらみだけではなく、まだ公認以前の段階のキリスト教会の活動を知る手がかりになる可能性が高いからだ。

 発掘はもちろん続行される予定だが、発掘のきっかけとなった刑務所の新棟にはパレスチナ人の武装組織メンバーなど1200名を収容予定だとのこと。まさに「ハルマゲドン」な観もあるが、考えてみりゃ収容されるほうもするほうもキリスト教徒はあまりいないだろうから関係ないか。
 なんてことを書いていたら、イスラエルのシャロン首相が極右リクードを離脱、中道の新党を結成なんてニュースが飛び込んできた。イスラエル政界の「ハルマゲドン」もややこしいことになるらしい。



◆元大統領がチリ潜入

 「パリは燃えているか」「アルマゲドン」と映画がらみで来たので、昔見たドキュメンタリー映画「戒厳令下チリ潜入」にひっかけてみたのだが、苦しすぎるな(汗)。

 ペルーのフジモリ元大統領といえば以前はやたらに「史点」に登場していた人物。特に2000年はフジモリ大統領の三選、かつての腹心モンテシノス 氏の逃亡・逮捕をめぐる騒動から、秋のAPECに出席してそのまま日本へ「亡命」するまで、かなり激動の年となっている。「亡命」といっても彼は移民という出生の経緯から日本国籍も所有する二重国籍状態になっていたため、日本政府は彼をそのまま国内に住まわせて保護し、政敵であるトレド大統領のペルー政府からの再三の引渡し要求にも応じないまま5年間が過ぎていた。
 この間モンテシノス氏が逮捕されたり、ペルー司法当局がフジモリ大統領を人権弾圧その他の21の罪で銭形警部でおなじみのICPO(国際刑事警察機構)に指名手配したりしたりといったことがあったが、フジモリさんは日本国内で表面的には悠々自適の生活を送っていたように見える。久しぶりに「史点」に登場したと思ったら、あのニセ有栖川宮の話題に絡んでいたりしたが(2003年10月23日付「史点」)
 ただしペルーのトレド政権が失政で支持率を下げてゆくのを横目にフジモリさんが来年行われるペルー大統領選へ出馬の意向、という話は今年になってからしばしば聞こえるようにはなっていた。しかしペルーに戻ったら即逮捕なんじゃ…と思われ、どうする気なんだろうとは思っていたのだ。

 そしたら去る11月7日、フジモリさんがいきなり日本を出国、チリの首都サンティアゴに現れ「隣国から大統領選活動を行う模様」たと報じられたから驚いた。そして間もなくチリ当局によりフジモリさんが身柄を拘束されたことが報じられ、また驚かされることとなった。
 まぁ考えてみるとチリはペルーの隣国であり、その隣国が指名手配している当人が自国に入ってきたんだから何もしないわけにもいかなかったのは当然。フジモリ氏側も「想定内」のことだとホリエモン みたいなことを言っていて(笑)、逮捕・拘束も政治的効果を狙ってのこと、どうせ本国ではなく隣国だから早々に釈放されるだろうと踏んでいたようである。今回の電撃的日本出国も大統領選出馬に向けた「演出」の色合いが強いようで、その後フジモリ氏がチャーターした自家用機でペルー上空を飛んではしゃいでいる模様を撮影した映像がわざわざ公開されたりもしている。
 拘束といってもペルーの支持者たちとの連絡は取れるし扱いは悪くは無いらしい。ペルー政府はチリ政府にフジモリ氏の引渡しを要求しているが、これにチリ政府が素直に応じることもないとみられている。しかしここに来てどうもチリ政府が拘束を長期化させる気配があり、これは大統領選に間に合わないんじゃないかという見方も強くなって来ている。そうだとするとフジモリさん、「策士策に溺れる」というやつでは…。

 チリ政府も「厄介者が飛び込んできちゃった」と迷惑顔で、むしろ怒りは出国を許した日本側に向けられている観がある。日本政府も意表を突かれた形なんだろうが、フジモリさんは過去にも二度ほど日本から海外に出ていたことがあるそうで、特にその行動を規制はしていなかったのだろう(建前から言えば日本国民の移動の自由を侵害するわけにもいかないし)。またフジモリ氏自身もチャーター機を調達して(その費用は支持者からの寄付だというが) 、日本のパスポートで出国、途中メキシコに寄って、チリにはペルーのパスポートで入国するという二重国籍者ならではの使い分けをしたとされる。それ自体は違法ではないらしいが、関係国にしてみりゃいい気分ではないやり方なのは確かだ。また飛行計画書では当初飛行機はチリではなくペルーのリマに直行することになっていたそうで、これも最初から偽装工作だったのではないかとの見方も出ている。

 拘束されたフジモリ元大統領は「日本国民」でもあるから現地の日本大使館員が面会したりしたことがペルー政府の怒りを買い、とうとう「大使召還」という事態にもなった。あちらの政府高官では「断交」を叫ぶ声もあるとかで、かつての太平洋戦争以来の関係悪化(あまり知られていないがペルーは太平洋戦争で日本に宣戦布告している)なのには間違いない。もっともペルーの政治情勢も混沌としたもので、反フジモリ・親フジモリ双方のデモが大規模に行われるなど話は単純ではない。
 ペルーは太平洋に面しているからAPEC(アジア太平洋経済協力会議)にも参加している(そもそもフジモリさんが日本に「亡命」したのもマニラAPECに出かけた足でだった)。APECのために釜山に来ていたトレド大統領は小泉首相に会談を申し入れていたが、話がややこしくなるのを恐れたか日本側は「時間がない」ことを理由にやんわりと会談を拒否している。



◆安眠できない永眠

 歴史上の人物の評価と言うのはなかなか定まるものではない。まして政治的なことが絡めばなおさら時の政府によってころころと評価が極端に変えられてしまうことも多い。「棺桶のフタを閉めたときにその人の人生の評価が定まる」という表現があるが、こと「歴史上の人物」となると死んだ後でもなにかと騒がしく安眠の永眠が出来ないことが少なくない。

 政治的なことでいえば特に社会主義国においては何かにつけて人物の評価を明確に決め、賞賛・断罪を激しく行う傾向がある。それは現在進行している政治情勢と常に密接に絡んでいるのも特徴だ。
 その社会主義国を世界で初めて打ち立てたレーニンについて、またぞろいろいろと話題が出てきている。ソ連崩壊後レーニンの政治的権威じたいは以前より失墜したのは確かなようだが、彼が望まなかった後継者であるスターリンがソ連的悪役部分を集中させているところもあるので、レーニン個人についてはまだまだ評価は高いらしい。旧「ロシア革命記念日」にあたる11月7日(ソ連崩壊後は「和解と合意の日」として残ったが今年から廃止。代わりに11月4日が「民族統一の日」となった)にロシアのインタファクス通信が報じた「現代史上の人物の肯定・否定評価」に関する世論調査によると、レーニンは「肯定54.5%、否定28.7%」という結果で、肯定的評価の数値では現代史上トップを記録していたという。
 ただ肯定2位が初代の秘密警察長官ジェルジンスキー(肯定45.8%、否定28.8%)だったり、3位がロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世(肯定40.4%、否定29%)というのを見ていると、評価の基準がいまいち分からなかったりもする。

 気になるスターリンは「肯定37.3、否定45.5%」でまぁ否定が高くはあるものの評価が割れている感じ。意外にも(?)このスターリンと争い、スターリンの刺客にメキシコで暗殺されたトロツキー「肯定21.5%、否定42.8%」と否定度ではかつてのライバルといい勝負だ(笑)。有名な怪僧ラスプーチン「肯定21.5%、否定46.5%」とこれまた彼らといい勝負である。
 ロシア三月革命で成立した臨時政府の首相となり、レーニンらに十一月革命で打倒されたケレンスキー「肯定18.6%、否定49.4%」と、ちょうどレーニンをひっくり返したような「悪役評価」になってるところも面白い。

 レーニンと言えばその遺体が防腐処理されてモスクワのレーニン廟で公開されており、「今も実物が拝める歴史上の人物」であることが知られているが、ここに来てまた「埋葬論議」が起きているという。10月にプーチン大統領の側近のマトビエンコ・サンクトペテルブルグ市長が「エジプトじゃあるまいに」とレーニン遺体保存を批判し、他の側近も埋葬論を主張するなど、プーチン政権側が共産党勢力に揺さぶりをかけるべく仕掛けている、との分析もある。
 またなぜかロシア連邦内の自治共和国でカスピ海に面したカルムイキア共和国のイリュムジノフ大統領が「埋葬するというなら、我が国の首都エリスタにレーニンの遺体を運び、新たに霊廟を作るために100万ドルを投じる用意がある」 と発言し話題を呼んでいる。レーニンとカルムイキアの縁はほとんどなく、ただ一部の歴史学者が「レーニンはカルムイキア人のクォーター」と主張している程度の縁らしい。これもよく分からない話だが、レーニン廟はモスクワの観光名所で世界中から観光客を集めていることも考え合わせると、そういう狙いもあるのかな?
 これらの動きに対しロシア共産党は強く反発しており、レーニン廟の前で毎週土曜日に埋葬反対の署名運動を展開しているとか。もっともレーニン自身は「故郷に埋葬してくれ」と遺言していたらしいんだけどね。とか言いつつ僕もあそこまで保存した「歴史上の人体」を埋めちゃうのはもったいないという気もなくはない。


 死んだ人物の評価がうるさいのは今でも一応社会主義国の中国も同じ。もっとも中国の場合社会主義が入ってくる以前から朱子学の「大義名分論」とかでその傾向はもともと強かったとも思えるが…日本で歴史上の人物の評価が江戸時代以降うるさくなったのもこの影響だしね。
 11月18日、元中国共産党総書記で1989年に死去した胡耀邦氏の生誕90周年を記念する「座談会」が北京の人民大会堂で開催された。このイベントが注目されるのは、この胡耀邦氏はかつて党内改革派として当時の民主化運動に一定の支持を与えたため「ブルジョア自由化放任」と批判され1987年に失脚したこと、しかも1989年4月の彼の死が天安門広場に学生たちが集まるきっかけとなり(ゴルバチョフ訪中も一因だったが)、同年6月4日の「天安門事件」につながったという経緯があるからだ。
 当初「記念式典」と報じられ、結局は規模を縮小した「座談会」形式となったが、温家宝首相、曽慶紅国家副主席など共産党指導層が出席し、曽副主席が胡耀邦氏の経歴と人柄についての記念演説を行うなど、事実上中国共産党として公式に胡耀邦氏の「復権」をアピールした形だ。一番のトップである胡錦濤 国家主席はAPEC出席のために欠席しており、一部報道では胡耀邦氏の記念館の規模や伝記の内容に横やりが入っているとも伝えられ、全面的な復権というわけでもないのだろうが、ことが「天安門」に関わるだけに中国共産党も恐る恐る様子を見ながら復権をしていくつもりなんだろう。ま、裏返せば「天安門」もそれだけ昔話になってしまったとも言えるが。
 その天安門事件で失脚して軟禁状態のままだった趙紫陽元総書記が今年一月に亡くなった際も、共産党は「党と人民に有益な貢献をした」としつつ、天安門事件に関しては「重大な過ちを犯した」と論評している。毛沢東についても似たような評価だからまぁまぁ穏やかにまとめていた観があったが、少なくとも天安門事件について「再評価」するには当分時間がかかるだろうな。


 別に評価がどうのという話ではないのだが、ある「歴史上の人物」の死についての話題をくっつけておきたい。
 10月24日、アメリカで「公民権運動の母」と呼ばれた公民権運動活動家の黒人女性、ローザ=パークスさんが92歳で亡くなった。この人については僕も英語の教科書(だったかな?)で知ったぐらいで、一市民としてはえらく有名な逸話を持つ。
 1955年、アメリカ南部のアラバマ州モントゴメリーの市営バス内で当時42歳のパークスさんは「白人優先席」に座っていたところを後から乗ってきた白人乗客に席を譲るよう運転手に命じられた。これを拒否したパークスさんは市条例違反容疑で逮捕され罰金刑を受けたが、これが黒人達のバス乗車拒否運動に発展、キング 牧師の黒人解放運動とも結びついて大規模な「公民権運動」へと展開していった。結局翌1956年に連邦最高裁がアラバマ州の人種分離法を「違憲」と判断して、以後少なくとも法的な面での人種差別の撤廃が進むきっかけになった。もちろんその過程では白人側の激しい抵抗もあり、今なおそれは一部で続いているわけだけど。

 現地時間30日夜、パークスさんの遺体を納めた棺がワシントンの連邦議会議事堂に運び込まれた。ブッシュ大統領夫妻が花輪を捧げてその功績を称え、棺は11月2日まで議事堂内で一般公開された。こうしたイベントはアメリカでは故人に対する国家として最大級の敬意の表明にあたり、過去にケネディレーガンといった大統領経験者など29人しか例がなく、しかも女性としては初めての例であるという(黒人としては二人目だそうだが、一人目が誰だったのか未確認)。まさに第一級の「国民的英雄」の栄誉を受けたわけである。彼女の行動が歴史を変えたという評価であり、黒人女性であるライス国務長官も「パークスさんがいなければ、私は国務長官としてこの場に立てなかったかもしれない」とモントゴメリーで開かれた追悼式でスピーチしたという。
 
 パークスさんについての評価は文句のつけようのないところだろうが、意地悪な見方をするとここんとこ支持率低下のブッシュ政権による人気取りイベントに見えなくもない。ブッシュ大統領の支持率低下の大きな要素となった先日のハリケーン被害でも最大の被害者がモロに貧民街の黒人ばかりであったことも、アメリカにおける人種問題を象徴的に表していたものだ。



◆皇帝の歯は一万ポンド

 この人になると虫歯で抜いた犬歯もオークションの対象になってしまうのだな。この人、とはフランス皇帝ナポレオン一世。世界史全体を見渡しても問答無用の超有名人と言って良いだろう。その犬歯…となるとお釈迦さんの骨「仏舎利」みたいでもある(笑)。

 この「歯」であるが、抜かれたのはナポレオン没落後の1817年のこと。一時はヨーロッパを制覇したナポレオンだったが1812年にロシア遠征で大敗、1813年にライプツィヒの戦いに敗れ、翌年パリを落とされて退位、エルバ島に流された。その後戦後処理を決めるウィーン会議の紛糾を見てエルバ島を脱出し皇帝に復位するが、1815年6月のワーテルローの戦いに敗れて「百日天下」に終わる。そして脱出不可能な大西洋の孤島セント=ヘレナに流されて1821年に死去した。この死は毒殺によるものであったとの説も根強い。

セントヘレナのナポレオン  ナポレオンが歯痛に苦しんだのがこのセント=ヘレナの配流時代で、1816年から上顎の犬歯が痛み出し、翌1817年に抜歯することになったという。壊血病によるものと診断されたというが、晩年のナポレオンの肉体はすでにボロボロで、歯茎からの出血も多く、歯が抜けやすくなっていたらしいとの話もある。
 その歯を縁側の下に投げ込む習慣があるわけも無く(笑)、抜いた歯はナポレオン腹心の武将の一人であり義弟(ナポレオンの末妹の夫)でもあったミュラの侍従武官マケローニ将軍の手に渡り(ややこしくてすいません)、以後マケローニの子孫達がこれを保管していた。1956年にマケローニ将軍のひ孫がナポレオン研究者の一人に譲渡し、最近になってこの研究者が亡くなったため、オークションに出品されることとなったという。

   「ナポレオンの歯」のオークションは11月10日にイギリス南西部のウィルトシャー州スウィンドンで行われ、イギリスのコレクターが1万1000ポンド(約225万円) で落札した。虫歯一本の価格としてはビックリするようなお値段だが、あのナポレオン当人の歯となると安いという気がしなくもない。第一報では8000ポンド(165万円)の価値と見積もられていたというから、予想よりは高かったことになるみたいだが…。「ナポレオンを最後に苦しめた強敵」ということでお守りにはなるかもしれない(笑)。

 ところで関連で脱線するが、実は我が国でも「足利尊氏の奥歯」なるものが保存されているらしい。
 僕のサイトに「NHK大河ドラマ太平記大全」なるコーナーがあるのでそちらも参照して欲しいが、1991年度のNHK大河ドラマ「太平記」の第37回「正成自刃」の回の「太平記のふるさと」コーナーで大分県国東町が取り上げられ、尊氏が九州に下った時に協力した地元の豪族・富来(とみく)氏について紹介していた。この富来氏が建てた「萬弘寺」には尊氏が食事中に抜けたという「奥歯」が保存されていて、画面にもバッチリ映っていたのだ(右図1コマ目参照)
 画面で見る限り少々デカすぎる気もするし、本物かどうかかなり怪しい気もするのだが…と奥歯に物が挟まったような物言いを(笑)。まぁ源頼朝十三歳の時のしゃれこうべ、ってのもあるそうだし…ってそれはナポレオンが元ネタ。っと、見事にナポレオンに話が戻りました!。

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