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2010年1月27日

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◆今週の記事

◆またまたお墓の話題

 前回は曹操の墓の話だったし、その三か月前の前々回はチンギス=ハーンの墓の話をしていた。今回はぐっと時代をさかのぼって古代エジプトのファラオの墓の話題である。それも古王国時代、エジプト文明と言えば誰もが頭に思い浮かべる「ピラミッド」の話題だ。

 エジプトには全部で100個以上のピラミッドがあるそうなのだが、なんといっても有名なのは「ギザの三大ピラミッド」、クフカフラー、メンカウラーの三人のファラオの墓だ。いずれも紀元前26世紀というムチャクチャ昔の人たちである。こんなムチャクチャに古い時代にムチャクチャにデカい建物を作っちまったわけである。
 このバカでかい建造物を作るのに大変な時間と技術と人員が必要だったことは間違いない。この件についてヘロドトス『歴史』のなかで「国王は大ピラミッドの建設のためエジプト全国民を強制的に働かせた。常に10万人が3ヶ月交代で労役に服し、石材を運ぶための道路の建設に10年、ピラミッド自体には20年を要した」と記しクフ王をとんでもない暴君として描写した。これが長いこと「奴隷的強制労働によるピラミッド建造」のイメージの根幹となって来た。ただヘロドトス自身は紀元前5世紀の人間であり、エジプト現地を訪れて取材しているとはいえ2000年以上も前の話を伝聞として書き記したものなので、全面的に信用できるというわけでもない(もちろん今日でもクフ王の事跡が分かるように当時も文字資料は存在していたのでまるっきりデタラメな伝聞というわけでもない)
 エジプトの大規模建造物が奴隷を酷使して作ったものだというイメージは旧約聖書の「出エジプト記」も相当に影響してるんじゃなかろうか。映像イメージではハリウッド映画『ピラミッド』や『十戒』がまさにそれだ(後者はピラミッド建造じゃないけど)

 「ピラミッドは本当に奴隷的労働によって作られたのか?」という疑問はここ2、30年ぐらい前から唱えられていて、すでに労働者にちゃんと給料が出ていた証拠や休日制度も整備され、家族一緒に生活してそこそこ悪くない暮らしぶりも確認されていた。ナイルが洪水になったときの失業者対策の公共事業だったという説まで出されていて、派遣村ひとつで騒いでいる今日のどっかの国よりは国家の面倒見がよさそうな印象はあった(笑)。
 だから今回ピラミッド建設にたずさわった労働者たちの墓が三大ピラミッドの近くから発見され、その扱いの丁重さから「ピラミッドは奴隷によって作られたものではないという有力な証拠」とエジプト政府が発表したというニュースは、実のところ全然目新しい話題ではなかった。ただ報道自体は「奴隷じゃなかった」という点をかなりセンセーショナルに報じたし、発表したエジプト政府もその点に力を入れていたのは事実で、「奴隷労働」イメージが依然として根強いこと、そしてエジプト側としてはそのイメージの払拭に躍起になっていることがうかがえる。

 今回発表されたところによると、発見された墓には工事の監督役であることを示す文字が刻まれた石もあり、労働者たちに対して上流階級から食用の野牛21頭、羊23頭が毎日送られていたことを示す証拠も見つかったと言う。この食用の牛や羊についてエジプト考古最高評議会の事務局長は「こうした貢ぎ物は強いられた税金ではなく、民衆の中に国家事業を支える意識があった」と強調した、と報じられている。そう考える根拠がなんなのかは分からないのだが、ここにも「強制労働じゃない」ということをムキになって強調しているようにも感じてしまうな。
 そりゃまぁピラミッドみたいなものを作るには単純労働者だけでなく相当な専門技術者が必要で彼らが丁重に扱われたことはまちがあるまい。また国民もある種の宗教的情熱のような意識から積極的にピラミッド建設に参加したことも想像はされるし、一種の公共事業みたいなもんだったという見方だって十分考えられる。だがそうなるとそんな「いいことづくめ」の巨大ピラミッド建造がその後は衰退してしまうのはなぜなのか考えなければならなくなる。「無駄な大型公共事業」ということで「仕分け」されちゃったのかもしれないけどさ(笑)。


 お墓と言えば、先日の曹操の墓の話題の続報が。といってもその余波というべきものだけど。
 「曹操の墓発見!」のニュースに色めきたったのが四川省眉山市彭山県。四川省省都でかつての蜀の都である成都から南へ50kmほどのところにある県だ。なんとこちらには劉備の墓があるという言い伝えがあるそうで、これを機会に「徹底的に調査をしてくれ!」と県を挙げて騒ぎ出したのだそうだ(ネタ元はRecord China)
 前回書いたように劉備の墓についてはとっくの昔に確認されている。成都市内にあり、現在はその家臣の諸葛亮を祭る武侯祠の一部に仮住まいするような形になっちゃってる「恵陵」がそれだ。しかし彭山県内の牧場蓮花村にはいつからか「劉備の墓はこちらにある」との伝説があって、武侯祠側と争ってきたのだとか。このたびライバルの曹操の墓騒動が怒ったことで村民たちが国家文物局・四川省文物局に連名で発掘調査を要請、彭山県当局も県内に「劉備の墓の証拠を探せ!」とお達しを出したという。
 なんとなく「村おこし」のにおいが濃厚にしてしまうのだが…そういえば昨年の四川省の「チンギス=ハーンの墓」の話はどうなったんだろ?



◆7000年前のブラックジャック

 かつて「4000年前のブラックジャック」という記事を書いたことがある(2001年11月16日付「史点」)。上記の話題にもしている古代エジプトのピラミッド時代にすでに外科医がいたという話題だが、今回はさらに3000年さかのぼった「外科手術」の証拠が見つかった、というニュースだ。

 2005年、フランスの首都パリの南方にあるセーヌエマルヌ県の砂利採掘場で深さ1.5mの縦穴墓から、6700〜6900年前のものと推定される成人男性の骨が発見された。この骨の左腕はひじ関節の上ですっぱりと直線的に切断され、そこから先がない状態になっていた。このたび国立予防考古学研究所でエックス線調査等をした結果、「重傷の男性を救うために外科手術により腕を切断したもの。フランス最古の切断手術成功例」と断定したとのこと。
 この男性、歯も抜け落ちていたのでかなりの高齢と推測されるのだが、何らかの外傷によって腕のひじから先を失ったらしい(動物にでも食いちぎられたかな?)。関節の残存部分が鋭利な刃物で切除され(もちろん当時は石器しかない)、止血・感染予防など高度な医療措置も施された痕跡があるという(記事には詳しく出てないが、薬草でも使ったかな?)。手術から数ヶ月か数年間は生存していたとみられるため「成功」とみなされているわけだ。もっとも自分でタイトルをつけておいて何だが、専門の外科医だったというわけでもないんじゃないかと。狩りをして得た動物の肉を切り裂くための刃物はあったろうし、動物の解体処理の知識と道具の応用による仲間たちの応急処置だったんじゃないかなぁ。

 その「4000年前のブラックジャック」の記事でも書いていることだが、一万年ぐらい前の頭に穴をあける手術をした痕跡のある頭蓋骨が発見されている。「人類最古の脳手術」なんて言われることもあるのだが、恐らくは呪術的意味合いからやったのだろうと推測されている(こいつ頭が悪いから治してやろう、なんてノリかもしれない)。そんな乱暴なことをやってもその後生きていた痕跡もちゃんとあるというから、技術が凄いと言うべきか、人間って結構丈夫と言うべきか…
 パキスタンでは9000年前の骨から虫歯の治療の跡とみられる歯に穴をあけた痕跡が見つかっている。もちろん石器でやってるわけで、これはそれこそブラックジャック級の技術のような気がする。
 


◆大地震で見えてくる

 現地時間1月12日にカリブ海の国ハイチでマグニチュード7.0の大地震が発生した。自身の規模もさることながら人口の集中する首都のすぐ近くで起きたこと、長年の政情不安と貧困から災害への備えがなかったことなどの不幸もあって人的被害は甚大になり、現時点で15万人以上の死者が確認されている。最大で20万人もの犠牲者が見込まれているという。

 ハイチという国はカリブ海のイスパニィーラ島西部を国土とする、決して大きくはない国だ(面積的には四国と九州の中間ぐらい)。だが世界史的にはかなり重要な意味を持つ国でもあり、日本の高校世界史の教科書でもそこそことりあげられている。
 イスパニョーラ島は15世紀末のコロンブスの「発見」によりスペインの植民地となり、もともとこの地にいた原住民たちは病気と過酷な労働によってほぼ全滅してしまった。そこでスペイン人たちは西アフリカから黒人奴隷を連れてきてこの地の植民地経営を進めるようになり、この黒人たちが現在のハイチ国民大多数の母体となる。その後17世紀末にフランスがこの島の西部をスペインから奪い取り、このフランス植民地「サン・ドマング」が現在のハイチ国土のもととなった。
 1789年に本国で「フランス革命」が勃発すると、サン・ドマングでも革命思想の影響を受けた黒人たちによる独立革命がおき(近場のアメリカの独立もある程度刺激になったと思われる)、1801年に一度は自治共和国を建設した。直後にナポレオンの派遣した軍隊により鎮圧されるが、その後独立運動の指導者ジャン=ジャック=デサリーヌがフランス軍を駆逐して1804年に正式に独立を宣言、国名を先住民の言葉に由来する「ハイチ」とした。デサリーヌはナポレオンに対抗して皇帝「ジャック1世」として即位しており、彼の在位期間中のハイチは「ハイチ帝国」だったのである。
 ハイチは南北アメリカ全体でアメリカ合衆国に次ぐ二番目の独立国であり、ラテンアメリカ初の独立国であり、そして近代における最初の黒人国家ともなり、その存在はその後のラテンアメリカ諸国の独立に影響を与えたと言われる。しかしフランスからの独立を勝ち取った代わりにフランスへの賠償金の重荷を背負い、独立の直後から分裂と内戦やイスパニョーラ島東部(のちのドミニカ)の占領と独立、さらに20世紀初頭のアメリカによる占領など政治的・軍事的な不安定が長く続いた。その後もクーデター、独裁、内戦と絵に描いたような不安定状況が21世紀の今に至るまで続いており、2004年からは国連によるPKO(平和維持活動)も展開されていた。そして今回の大地震という事態になったわけだ

 と、ハイチ史を大雑把に振り返ったうえでいくつか関連話題を。

 アメリカのTVを中心に活動し、過激な発言で知られるプロテスタント保守派伝道師パット=ロバートソン氏が自身の番組の中で「地震による悲劇はずっと昔の、ハイチの人々が長らく話したがらなかったことによって引き起こされた」と切り出し、「かつてハイチは、フランスに虐げられていた。そこで人々が悪魔に、フランスから自由にしてくれたら言うことを聞くと約束。悪魔が『よし、それは契約だ』と請け負った。本当の話だ」「ハイチでは反乱が起こって自由となったが、その後は次々と呪いに見舞われている」等と発言したとのこと(CNN日本語版より)。この人、意外にも「史点」で過去に登場したことはないのだが、この手の発言ではすっかり名物男で、過去にはイスラエルのシャロン首相が倒れた時も「神罰」と発言(まぁこの件では「史点」もあまり人のことは言えない)、ハリケーン「カトリーナ」の災害の時には「同性結婚や中絶が合法化された神罰」と発言し、つい昨年にも「イスラム教は世界征服をたくらんでいる」と発言しているそうで、「またか」という受け止め方もされてる気もする。

 ところでこのロバートソン氏が「悪魔」に言及しているのはハイチの民間信仰ブードゥー教のことが確実に脳裏にあったと思われる。ブードゥー教はもともとこの地に連れてこられた西アフリカ黒人たちの間の精霊信仰をベースにキリスト教の要素が加わって生まれたものとされ、現在でもハイチ国民の半数ほどが信じていると言われている。植民地時代以来「奴隷の邪教」として弾圧された歴史をもち、またいわゆる「生ける屍=ゾンビ」伝説のイメージとしばしば結び付けられ悪魔信仰みたいな扱いをされることがある。
 今回の地震ではあまりにも多くの死者が出たため、1月17日段階でハイチ当局はやむなく数万人以上に及ぶ多数の身元不明遺体について早急に集団埋葬する措置をとった。ところがブードゥー教司祭らが「適切な儀式なしに死者を急増の集団墓地に埋葬するのは死者に対する冒涜」とこれを批判し、ブードゥー教の指導的立場にあるマックス=ボーボワ氏は「そのような方法で埋葬する習慣はわれわれの文化にはない」プレバル大統領に面会して苦情を申し入れたと報じられている(ロイター記事より)。しかしそうは言っても…という事態だよなぁ、これは。

 1月16日、西アフリカのセネガルのワッド大統領は「ハイチの人々はアフリカの息子であり、娘だ。本来の出身地に帰りたい人なら誰でも受け入れる」としてハイチ被災者のうち移住を希望する者にはセネガル国内の土地を無償提供する意向を発表した。少人数なら家と土地を、大人数であればその数に見合った地域まるごと提供するというなかなか太っ腹な申し出。「不毛な砂漠地帯ではなく、肥えた土地を提供する」とも念のため言ってるそうで。ちらっと「日本沈没」のことが頭をかすめるな。
 そもそも上記の説明のようにハイチ国民の先祖の多くは西アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちで、確かにその多くがセネガル出身らしいとされている。またセネガルはハイチ同様に旧フランス植民地でフランス語が公用語と言う利点もある。
 連想で思いだしたのでちょいと脱線するが、コンゴ独立の英雄パトリス=ルムンバを描いた映画「ルムンバの叫び」(邦題)の監督ラウル=ペックはハイチの人だったな。

 今度の大地震では当然多くの国から人的・物的支援が寄せられているが、同じ島にある隣国ドミニカ共和国からの「治安維持のため兵士800人を派遣したい」との申し出をハイチ政府は一時拒絶している。
 上記の大雑把歴史でちょこっと触れているが、ハイチはその独立の直後に当時はスペイン領だったドミニカを占領し、その後も1820年代に再占領してまた独立されたという歴史があり(その後そろってアメリカに占領され軍事独裁政権ができた共通性もある)、両国の政治的関係ははっきり言ってよくない。結局ハイチ政府は150人のドミニカ兵を受け入れ、補給路警備等にあたってもらうことになったそうだが。
 
 今度の大地震を受けて日本も自衛隊をハイチにPKO派遣することが決定しているが、実は数年前からハイチには中国の警察官がPKO要員として派遣されていた。そのうち8名の警察官が地震で死亡し、中国政府はこれを「烈士」と盛大に称揚・追悼しているという(朝日新聞記事より)。ところが実は地震発生時にハイチにいた中国人は数百人以上に上るのではないかと言われている。これはPKOではなく、アメリカへの密入国を図る中国人たちで、実はハイチはアメリカ密入国の主要ルートだったのだそうである。密入国だけにその実数は確実にはつかめないそうだが、昨今の中国の景気の良さからするとまだまだそんな密航者がいるのかと意外の感もあるニュースではあった。



◆皆様、よい終末を

 前回も書いた話題を蒸し返すが、映画「2010年」では米ソが核戦争一歩手前まで行ってしまう危機が描かれる。その後原作小説を読んでみたのだが、原作の方ではそんな要素は一切ないことを確認した。むしろ米ソ仲良く協力して探査をするなか、出し抜く形で中国の宇宙船が先に木星の衛星エウロパに到達するくだりが映画ではカットされている。
 映画の公開は1984年で、この時期は後から思い返せば冷戦末期だったのだが、当時の感覚では一時緊張緩和(デタント)に入っていた米ソの対立がまた激化し、核戦争の危険がしきりに叫ばれた時期だった。1979年にソ連のアフガニスタン侵攻があり、それに応じる形でのモスクワ五輪ボイコット、それへの報復のロス五輪ボイコットといった事件があったのがこのころだし、「強いアメリカ」を標榜し「SDI(戦略防衛構想=スターウォーズ計画なんて愛称もあった)」を唱えたレーガン大統領の登場という背景もあった。
 特に敏感に反応していたのがフィクション世界で、米ソの核戦争が実際に起こった想定で恐らくアメリカ人にとって初めての「核体験」となったアメリカTVムービー「ザ・デイ・アフター」(1983年)、労組が反発して物議をかもした東映アニメ「FUTURE WAR 198X年」(1982年公開)、核戦争ではないが米ソの核競争とSDIを背景においた「ゴジラ」(1984年末公開)などが挙げられる。「核戦争後の地球」を舞台にしたものとしては「マッドマックス2」(1981年公開)、その影響をモロに受けた「北斗の拳」(1983年連載開始)宮崎駿「風の谷のナウシカ」(1982年連載開始、アニメ化は1984年)などの例がある。「2010年」の映画版もそんな「流行」に乗ってしまったのではないかと思われる。

 「世界終末時計」というものがある。知ってる人も多いと思うが、「核戦争で人類滅亡まであと何分」と表示するあの時計だ。調べてみたら1947年にアメリカの原子力科学者の会報の表紙として初登場したもので、その時は「あと7分」と表示されていた。もちろん実際に7分後に終末になるというわけではなく象徴的視覚的に「警告」を発する仮想的な時計なのだが、どうしてこのとき「7分」と決めたのか興味のあるところ。以後はこれを基準にして進めたり遅らせたりしているので。
 その後ソ連も核兵器を保有して米ソの核競争が始まり、1953年には「あと2分」と切迫した状況になった。しかしこの53年にスターリンが死んで後継者のフルシチョフ体制のもとで米ソの対話が始まり、1963年の部分的核実験禁止条約締結により終末時計は「あと12分」まで戻された(その途中で核戦争一歩手前の「キューバ危機」があったのだが)。だがその後フランスと中国が核保有をしたことで1968年には「あと7分」まで進む。
 1970年代はおおむねデタント期で終末時計は10分前後をウロウロしていた。しかし1980年代に入ると上記のような緊張状態になり、1981年に「あと4分」、さらに1984年には「あと3分」まで迫る。書いていて思いだしたが、サマンサ=スミスちゃんという10歳のアメリカ少女がソ連のアンドロポフ書記長宛てに「なぜ戦争をするのですか?」という趣旨の手紙を送って返事をもらい「平和親善大使」になったなんてことが大きな話題を呼んでいたっけ。これもそんな緊張状態の産物だ。
 その後ゴルバチョフの登場とIMF全廃条約締結、そして89年以降の東欧民主化、ソ連崩壊と続いて1991年には「あと17分」と大きく時計は引き戻された。これが今のところ最大の「残り時間」で、以後はまたジワジワと時計は進められていた。冷戦こそ終わったものの民族紛争や地域紛争の多発、インドやパキスタンの核保有、そして21世紀に入ってから大規模テロとそれに続くアフガンやイラクの戦争、北朝鮮の核保有という事態が時計を進め、2007年には「あと5分」まで進んでしまった。もっとも冷戦終結以降は核戦争の危険だけではなく環境問題も含めて「人類滅亡の危機」を警告するものとなっていたようだが。

 さて去る1月14日、最新の「終末時計」が発表された。実に1991年以来久々に時計の針が逆戻りし、「あと6分」とされたのだ。たった一分とはいえ針が戻されたのは、やはり昨年のオバマ大統領の「プラハ演説」の影響だろう。「核兵器を使用した国として核廃絶を目指す」というあの演説内容は正直なところ僕も驚いたし、世界的に注目も集めた。ノーベル平和賞までいきなりあげちゃったのは気が早すぎるという気もしたが、それは昨年が「旬」だったということでもある(だから今後どうなるかわからんとかなりの人が思ってるわけだが)。「終末時計」の針が一分戻ったのもたぶんに「期待度」によるところが大きいとは思うが、針を進めるような逆戻り現象(ややこしいな)などということには確かになってほしくないものだ。


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