ニュースな
1999年2月17日

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ

 ◆今週の記事


◆北朝鮮・黄元書記の単独インタビューを観て

 先日、TBS系でファン=ジャンヨブ(黄長[火華])元北朝鮮労働党書記の単独インタビューが放送された。話には聞いていたが、あの世代の朝鮮人らしく流ちょうな日本語で会話していた。いやぁ、教育というのは恐ろしい。
 北朝鮮では序列26位、しかも北朝鮮の国家理念である「主体思想」を理論的に組み上げた「生みの親」ともいうべき存在といわれる。それが97年に亡命したときはけっこう騒ぎになっていた記憶がある。彼の口から「北は戦争の準備をしている!」という発言が出たとかで北朝鮮に対する警戒感が一気に盛りがったこともあった。

 ところがこの日のインタビューでファン氏は「戦争の可能性は年々低くなってきている」と発言した。今の北朝鮮の国力ではやろうったってやれないと言うのだ。「しかし『窮鼠猫を噛む』という諺もありますが」とインタビュアーがツッコミを入れると「あなた、窮鼠が猫を噛むのを見たことがありますか」と見事な切り返しを見せた(むろん日本語)。思わず笑ってしまいましたね。「金正日は利己的な人物で自分の地位を守ることを第一に考える。だからこそ戦争はしない」とのことであった(よく考えると凄いケナシである)。うーむ、もちろんこれが絶対正しいとは言い切れないし戦中日本みたいに「窮鼠猫を噛む」ということもあるから…どっか北朝鮮って戦中日本に酷似している気がするもので不安はぬぐいきれないのだが。

 しかし確かに日本の一部マスコミが「北朝鮮戦争危機!」というのをあおりすぎているきらいはある。アメリカや韓国では大して騒いでいないのに、日本のマスコミ記事では明日にも戦争かという騒ぎだ。そういえば年明けごろ「2月16日、金正日の誕生日にテポドン2号が…」とかまことしやかに騒いでいたような気がするが、結局当日は何事もなかった(金正日サンは例によって姿を見せず)。そこで改めて一部報道を見てみると「今度は三月危機だ!」と騒いでいる(笑)。そういえば去年のテポドン発射からずっとその調子で騒いでいるような…どこか「有事待望」ムードが広がってきていないだろうか。それを煽っている勢力があるような気もする。

 先日も米朝交渉が案外うまくいっているらしいとの報道に対し、某週刊誌が「第二次朝鮮戦争を恐れる韓国が情報をリークしている!」とか騒いでいた。おいおい、それってそんなに悪いことかい?戦争が起きないに越したことはないじゃないか。特に韓国は。
 ところでテポドンについてファン書記は「人工衛星だろう」という見解だった。まぁどっちでも大差はないらしいのだが。



  ◆サウジアラビアでインターネット解禁

 朝日新聞に出ていた記事だが、とうとう中東の砂漠の王国・サウジアラビアでインターネットが解禁されたそうな。時代の流れには逆らえなかったというわけだろうか。

 サウジアラビアといえば聖地メッカを抱えるイスラム教の本場の大国。ワッハーブ派の王国で第一次大戦後に建国された(その時、先頃亡くなったヨルダン国王の祖父の国をうち負かした)。第二次大戦後、ここから大量の油田が発見され一躍世界の石油輸出大国にのし上がった。日本の石油の最大輸入相手国でもあり、貿易に関しては案外関係は深い。

 ところでイスラム教国というと戒律がうるさいというイメージが一般にあるが、正確に言うと国ごとにスタンスはかなり違う。トルコやエジプトみたいにかなり割り切っている国もあれば、革命後のイランや現在のアフガニスタンのようにかなり戒律にうるさくなる国もある。サウジアラビアはどちらかというと「厳しい方」に属する。しかし石油大国と言うこともあって金持ちは案外多いし、その子弟は外国留学などで西欧系の異文化に触れている。

 で、記事中に紹介されていたのはインターネットカフェであった。さっそく若者がどっと繰り出し盛況となったらしい。ただしもちろん「アダルトサイト」は一切御法度。他にもテロ組織など反社会的とみなしたサイトには最初から入れないように細工し検閲官の監視もつくとのこと。
 笑っちゃったのはその中で取材に応じた若者。文通希望のサイト(写真入り)に入り、さっそく「お気に入り」の女性にメールを送ったそうな(笑)。「女性が素顔を見せているのにイスラムの戒律に背かないの?」と聞く取材陣に「これは英語の勉強。神もお許しくださるでしょう」とのお答え。す、凄い。その線で言ったらなんだってありではないか(笑)。まぁ何となくホッとする話ではある。

 これを見ていて思いだしたのが次のエピソードだ。オスマントルコ末期、ある皇帝が西欧の電信を導入したいと思った。しかし何事にもイスラム法学者たちの許可が必要だったのだ。「これはイスラムの教えに反する」と言われてしまったらアウトである。なんでも「雷」は神の業なのでそれを人間が自由にしてはいけないとの解釈があったらしい。そこで皇帝は一計を案じた。法学者達の目の前で電信を使ってコーランの一節を送信してみせたのだ。「神の言葉が送れたのだから神の御心に背くはずがない!」というわけである。お見事。



◆イラクのアディズ副首相、テレ朝のインタビューに答える 

   2/14日、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で、この番組の「顔」田原総一朗とイラクのアディズ副首相(元外相)のテレビ対談が放映された。何気なく見ていたのだが、なかなか面白い内容であった。つまるところ「イラクの言い分」をアディズさんがぶちまけたワケである。

 無論彼の言う「イラクの言い分」をそのまま鵜呑みにするわけではない。だがこれを見ていて日本で伝えられるイラクのイメージというのがいかに欧米経由であるのかを再認識させられた。だいたいアメリカの言うとおりホントにイラクは「独裁国で非民主的で不自由なならず者国家」なのだろうか?アディズ副首相は言う。「アメリカが支援している多くの国は独裁国で非民主的ではないか。なぜイラクだけ悪者扱いにするんだ!」と。そしてその解答も自ら述べていた。「結局アメリカにとって都合が良いかどうかなのだ」と。

 実際彼も言うとおりでアメリカが支援するサウジアラビアは依然として王国であり、前記のように女性解放も進んでおらずインターネットすら最近ようやく解禁したところである。もちろんこれはこれでその国の文化であるから一概に否定するわけではないが、イラクの言い分には確かに一理ある。石油が採れる国じゃなかったら問題にしなかったかもね。

 問答中、アディズ副首相は自分がキリスト教徒であることをハッキリと表明した。ちょっと驚かされたが、本来それ自体はイラクでは別にどうということではないのである。だがこれを田原さんですら明確に知っていたわけではなかった。ここにも日本に来るイラクのイメージの偏りが感じられる。

 そしてアディズ氏は言う。「なぜ日本はあっさりと米英の行為を指示するのか?」と。イラクへの空爆は国連の意志にも背き、安保理事会の多くが反対している行為である。それに日本はなぜ無条件に支持を表明するのか?正直な話イラク人も驚くようである。

 まぁ日本はアメリカの植民地みたいなモンだし(^^; )。禁句かな。



◆アカデミー賞は歴史が強い?
 
 かなり前から言われている定説なのだが、アメリカのアカデミー賞で作品賞を受賞する作品には「歴史大作」が多い。というか「歴史ネタ映画」は批評家に強く、選ばれやすいのだ。去年の「タイタニック」だって歴史映画の一種と言える。今年のアカデミー賞ノミネート作品が先日発表されたが、特に今年はその傾向が濃厚に出た。

 作品賞ノミネート作のうち2本は第二次世界大戦だ。去年話題を呼んだ「プライベート・ライアン(原題は「ライアン二等兵の救出」だが)」はヨーロッパ戦線、片方の「シン・レッド・ライン」は太平洋戦線・ガダルカナルの戦いを描き、見事な対称形となった。その他に「16世紀イギリスもの」が2本。一つは「エリザベス」で題名の通り女王エリザベス一世の生涯を描く。もう一つは「恋におちたシェークスピア(ホントにこの邦題で公開するのか)」でやはりシェークスピアを描いており、こちらも見事な対称となった。

 歴史ものが選ばれやすいのはいつものこととしても、同じ時代がそれぞれ2本というのが面白い。いまなぜ第二次大戦なのか?やっぱり戦後50年が過ぎ、「戦争」という状態を知らない世代(ベトナム戦争は除く)が増え、「戦争」を振り返る節目に当たっているのかも知れない。じゃあ16世紀イギリスは?ということになるがこれは偶然と言ってしまえばそれまでかな。しかし「イギリス」ネタ映画ってのもアカデミー賞では根強い伝統がありますからね。



◆日本はアメリカの家老?

 前回産経新聞ネタをとりあげたが、今回もやってしまった。つまるところ、ここの記事ってツッコミ入れたくなるのが多いのだよね。実に面白い。変な意味でこのごろ愛読している(笑)。

 まず先日の「正論」欄に載った評論家の櫻田淳氏の文章だ。「執事国家・日本の可能性」というタイトル。内容は要するに例の「ガイドライン法案」の成立推進を訴えたものだ。しかし僕が興味を持ったのは次の一節だ。

「私は、率直にいえば、国際社会において、米国という覇権国家の「執事」の役目に徹することにこそ、我が国の今後を見たいと考えている」

…執事ぃ?さらに彼は言う。

「無論、「執事」とは、我が国では、馴染みがある種類の人々ではないかもしれない。しかし、武家における「家老」ということならば、我が国の多くの人々には、得心しやすいのではなかろうか。山本周五郎の傑作『樅ノ木は残った』に描かれているように、御家騒動に端を発した藩取り潰しの危機から仙台藩を救ったのは、仙台藩家老・原田甲斐である。原田甲斐にせよ、「忠臣蔵」の赤穂藩家老・大石内蔵助にせよ、我が国においては、一つの組織や集団の中で最も鋭敏な政治感覚や卓越した政治手腕が要請されてきたのは、「家老」、「番頭」である。古来、我が国には、「馬鹿殿様」はいたとしても、「馬鹿家老」はいないのである。われわれは、そのことを改めて想起すべきではなかろうか。われわれは、米国に対しては、誇り高き「執事」、「家老」として振る舞うべきである。」

 …「執事」から「家老」へと比喩は移った。で、そこに出てきたのは原田甲斐と大石内蔵助。大石はまぁ知名度あるからいいとして、ここでいう「原田甲斐」をご存じだろうか。ここで紹介があるようにいわゆる「伊達騒動」の時の仙台藩の家老である。簡単に言ってしまうと仙台藩を二派にわけた争いの一方の腹心で、敵側の伊達安芸が幕府に訴え出た際、審問の席でその伊達安芸を殺してしまい、その場で討ち果たされた人物である。通説では「伊達家乗っ取り組」の腹心で「伊達騒動もの」の歌舞伎などでは最高の悪役とされる。これを「実は身を犠牲にして伊達藩を救ったヒーロー」に仕立てたのが文章中にある山本周五郎の小説「樅の木は残った」で、いわばこれは逆転の発想の設定であるのだが、櫻田氏はこれを「史実」としてあっさり引用しているのだ。ちょっとオイオイ、という気がする。

 大石にしたって果たして「卓越した政治手腕」だったかどうかは怪しいわけで(だいたい彼が事件を起こしたのは藩がなくなった後な訳だし)、この両者を例として紹介するのは不適切じゃなかっただろうか。
 …単に時代劇の見すぎ、ということかもしれないが(笑)。しかし「家老たれ」とは卑屈だねぇ。これで右翼に「売国奴」とか言われないのだろうか。言われないんでしょうね。これでもこの人「右派論客」らしいから。



◆センター試験は「自虐的?」

 また産経ネタ。今度は社説「主張」欄だ。先日、この欄で例によって「暗黒史観」「自虐史観」への噛み付きがあった。「大学入試センター試験の日本史問題が「暗黒史観に偏っている」との批判の声があがっている」のだそうだ。たぶんこの記事を書いた人の周辺にそういう「声」が集中して存在するのだろう(笑)。

 まぁ問題作ってる側がある程度そういう傾向があることは認めるし、この新聞が嫌う「マルクス史観的」な歴史観がまだまだ学会には多いから問題にそれがそれとなく出てくるのは確かだ(だが実際の学会はドンドン変わっているのだよ)。しかし僕がみたところ、そう変な問題が出ている様子はない。だいたいこういう問題作りは慎重で、変な議論の起こるものは極力避けるものだ。センター試験ではなおさらである。

 で、この記事がどこにかみついたかというと…一つ面白いものを引用しよう。

「例えば、問2は「前近代の身分制支配」について四つの文を挙げ、「弥生時代の日本について触れた中国の歴史書には、『生口』の献上など、奴隷的身分の存在を示す記述が見られる」という文を正解としている。しかし、「生口」という言葉は広辞苑にない。出題者が古代から「抑圧史観」に拘束されているとしか思えない悪問だ。」

 おーい、なんでそこで「広辞苑」を引くんだい?(爆)
僕も引いてみたが確かに広辞苑に「生口」はない。しかしこの記事書いた人は「広辞苑にないものはこの世に存在しない」とでも思っているのだろうか。ひょっとして岩波信者か(爆)。だいたい中国の文献に出てくる用語なんだから漢和辞典を引きなさいって。試みに「漢和中字典」を引いてみたところ「生け捕り、捕虜」あるいは「家畜」といった解説が出ている。まぁ実態としてどうだったかは判断が難しいところだが、おおむね捕虜ってのは奴隷扱いですね。しかも中国に献上したわけで。それにしても奴隷制度が古代日本に存在して何かまずいことでもあるのか?

 で、結びはこうだ。

「歴史には光と影がある。最近は、これまでの影の部分を強調しすぎた教育への反省から、われわれの先祖の歴史をもっと人物中心に前向きにとらえようとする試みが始まっている。センター試験はそうした新しい動きも踏まえたうえで、大学に先がけて出題傾向のバランスを取り戻すべきである」

 歴史教育が人物中心ってのにそれほど反発はないんだけどね。その方が面白いのは確かだけど、この人達が選ぶ「人物」ってのがそれこそ偏りがあるからなぁ(^^; )。どうせ「光」の部分ばっかり強調するんでしょう。
 人物を軸にしつつその時代の社会を描くって方式は中学レベルならけっこう効き目はあると思う。興味を持たせることが第一だからね。その後で社会的・経済的な背景を探っていけばいいと思う。それとよく「自虐史観の教育だと自国に誇りを持てなくなる!」とか言ってますけど、僕はさんざ彼らの言う「自虐」をやってますけど日本が大好きですよ。一番怖いのは極端な民族的ナルシズムだとおもうんだけどね。「俺は生涯一つとして間違ったことはやっていない」という個人がいたらヤでしょ、普通。
 


99/2/17記

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ