ニュースな
1999年3月4日

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ

 ◆今週の記事


◆「2.28」と「3.1」

 この日付を見て何だかすぐ分かるという日本人は多分圧倒的に少ない。まぁ「3.1」の方は近代史の必須項目だから知ってる人は比較的多いと思うが…

 「2.28事件」というのがある。「2.26」ではない。これは台湾における歴史的事件だ。1947年、中国共産党との内戦に敗れて台湾へ逃れた蒋介石率いる中国国民党軍が、抵抗する台湾民衆に弾圧を行い2万人前後の犠牲者が出たと言われる事件だ。
 台湾という島の近代史はなかなか複雑な事情を抱えている。日清戦争で勝利した日本に割譲され、以後日本の敗戦まで台湾は日本領だった。朝鮮同様、総督が置かれ植民地統治が行われていたのである。ちなみにこの間、日本一高い山は富士山ではなく台湾の「新高山(ニイタカヤマ)」だったわけだが、今の日本人にはこの山の名前は「真珠湾攻撃の暗号」でしか記憶されていないような気もする。
 話がやや脱線したが、朝鮮に比べて台湾では目立った反日運動はなかったと言って良い。これを根拠に日本の植民地支配を賞賛する人もいるが、やはり朝鮮とは事情がかなり違かったようだ。経済的にもさして搾取された様子もないし、そこはもともと移住民(福建系が多い)で構成された台湾中国人、そこそこうまく日本支配と付き合っていたようである。今でも台湾は親日意識の強い国だと言っていい。
 ただその背景には、日本が撤退したあとに入り込んできた蒋介石の国民党政権があまりにも酷かったということもあるらしい。彼ら国民党に付いて台湾にやって来た人々を「外省人」、もともと台湾に住んでいた人々を「本省人」というが、今でもその対立はくすぶっていると言って良い。時折飛び出す「台湾独立論」にも明らかにこの辺が絡んでいる。ちなみに2.28は両者の融和を図る記念日として休日に指定されている。

 一方の「3.1」だが、こちらは同じく日本の植民地となっていた朝鮮において全国的な独立運動が展開された記念日だ。しかも今年は80周年という節目に当たっていた。この事をどれだけの日本人が気にとめているだろうか?だいたい加害者側というのは加害した記念日を忘れやすいものだが、特に日本ではアジア向けを忘れがちだ。12月8日の「真珠湾」は知っていても満州事変の発端となった柳条溝事件の9月18日、日中戦争の発端となった7月7日の「廬溝橋事件」はだいたい知らない。どうもこの辺は日本人の戦争認識にかなりの偏りが有ることを示しているような気がしている。



  ◆マレーシア新国王選出 !?

 マレーシアの第十一代国王にスランゴール州のスルタンであるサラフディン・アブドル・アジズ・シャー・アルハジという長ったらしい名前の方(イスラム圏のお偉いさんだからなぁ)が選出された。

 「あれ?マレーシアって王制だったっけ?」と、この記事を見て思わず僕は口走ってしまった。だったのだ。マレーシアというと「マハティール首相」という名前をニュースで良く聞くが、実はその上に国王というか元首がちゃんといたのである(まぁ「首相」ってのはそういうことなんだけど)。もちろん立憲君主制で基本的に元首(国王)に権力はほとんどない。しかも「選出」とあるように単純な世襲制ではない。マレーシアには13の州が存在するが、そのうち9州に世襲のスルタンが今もいるだ(言ってみれば江戸時代の大名家がそのまま地方に残っているようなもんである)。で、その中から互選によりマレーシア全体の国王を決めるという方式だそうだ。任期は五年で、4月26日に前の国王が任期切れになるそうだ。うーむ、国王の任期切れ…(笑)。

 よく見ればマレーシアは「連邦」だったのだ。各州はそれぞれ独立の「王国」を形成していたわけ。日本で言うと「藩」と呼んだ方が感覚的に分かりやすい。これらが集まって連邦を形成しているわけだが、ここから独立したのがシンガポールとブルネイだ。ブルネイの王様(世界一の金持ちとか言われてますな)ってのもこうした大名みたいなもんの一人だったわけだ。両国とも経済的に成功しているので独立してやっていけるということなんだろう。そう言えば「アラブ首長国連邦」ってのも似たようなシステムだったような気がする。

 しかし驚くのは新国王夫妻の写真だ。新国王は宮澤喜一・現蔵相にソックリ(笑)!歳もまぁ60代か70代だろう。そして王妃の方は…わ、若い。若すぎる。年齢は不明だがどうみても十代後半から二十代前半。年齢差は45才だそうな…。



◆早くもユーロ偽造団 

 今年の1月1日からEU(ヨーロッパ連合)諸国では共通通貨「ユーロ」の使用が開始された。銀行などの業務が中心で一般に利用されるのは2002年からの予定なのだが、大きな歴史的第一歩には違いない。いろいろと問題を抱えているには違いないが、政治的統合より経済的統合の方が先に進められていくという壮大な実験だ。注目したい。

 ところで、さっそく「裏社会」もこの経済統合に反応したのか(笑)、早くもユーロの大規模な偽造団の存在が摘発された。やっていたのはやはりと言っては失礼かも知れないが、イタリアはシチリア島の組織であった。マフィアの発祥地として知られ、映画「ゴッドファーザー」でも舞台となる島である(もっとも島民は「ゴッドファーザー」の描き方には不満らしいが)。摘発された組織はユーロ流通開始時期の混乱を狙ってボロ儲けを企んだものらしい。報道によると偽造紙幣はコンピュータで製作、レーザープリンターで印刷という今風な仕掛けで(ああ、ウチのオフィスで出来るな、などと思ってはいけません)、摘発したときはまだ印刷前だったという。他にも20億リラ(一億四千万円)相当の偽造印紙や身分証明書があったという。
 
 それにしてもシチリアかぁ…というのがこのニュースを見たときの第一印象だ。海賊史なんか専門にしたこともあって、マフィア史なんかもひもといてみたこともある。シチリア島ってのは風光明媚ではあるけどその貧しさ故に犯罪の温床となったってところもあるらしい。マフィアももともと犯罪組織だったわけではなく本来自治・相互互助組織というところから始まったものだそうだ(まぁどこの犯罪組織も多かれ少なかれそう言う部分がある)。近年シチリアマフィアの撲滅を図るイタリア警察との壮絶な戦いも報じられていたが、そこに見えたのは古典的というか封建的というか、「昔気質なヤクザ」の世界が見え隠れした。組織を裏切って警察に全て暴露した某容疑者は「近頃のマフィアは義理人情を無くした」的な発言(性格には記憶していないが)をしていたものだ。なんかどこぞの国でも聞くセリフのような…(笑)。
 しかしここもついに先端機器を使った偽造活動なんか始めたか。犯罪世界も最近「ハイテク化・経済化」が著しいようだ。



◆君が代・日の丸法制化か
 
 卒業式シーズンを迎え、またしてもこの問題が浮上してきた。特に広島県では「日の丸掲揚・君が代斉唱」に反対する教員組合と、文部省の意向を受けた県教育委員会と自民党議員団が激しく対立(というよりも一方的に推進派が押し切った形だが)して注目されていた。そして卒業式の前日、県立世羅高校の校長が自殺してしまった。組合側と教育委員会側の板挟みに苦しんでのことだと言われている。翌日、その高校で行われた卒業式では日の丸は掲げられたようだが「君が代」の斉唱は無かったという。
 
 この事件を受けて、政府は「日の丸・君が代を国旗・国歌として正式に法制化」するとの意向を表明した。これを聞いて「あれっ?」と思った日本国民は案外多かったんじゃなかろうか。そうなのだ。「日の丸・君が代」は一度として法律的に国旗・国歌と定められたことはなかったのである!戦前においてすらそうだったらしく、いわゆる「慣習法」の形となっているのだ。今でこそ平気な顔で音楽の教科書に「国歌」と明記されている「君が代」だけど、僕が小学校の時の音楽の教科書には(国歌)とカッコ付きで表記されていた記憶がある。正式のものではない「後ろめたさ」がどこかにあったのだろう。

 そもそも「日の丸・君が代」でなんでこんなにもめるのだろうか?ここはやはり歴史を知らなければならない。「日の丸」は日本ではかなり昔からあるマークであるが、これを最初に旗のマークとして採用したのは実は幕末の島津藩なんだそうだ。開国してみたら外国船がそれぞれ自国の旗を立てているのを見て「ああ、そういうもんなのか」というわけで船に日の丸を揚げたのだが、あくまで「島津藩」の船のシンボルとして掲げたわけだ。これがどういうわけか明治以後日本のシンボルマークとなった。

 で、「君が代」のほうはどうかというと、元ネタは『古今和歌集』あたりから登場する「読み人知らず」の歌だ。色々と変遷があるが最終的に「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という形式にまとまる。「天皇の御代は千代に八千代に、細かい石が大き岩となり、そこに苔が生えるまで続きますように」という意味である。先日行われた「日本語の間違い」調査によると「いわおとなりて」を「岩音なりて」と勘違いして覚えている国民は相当数いるようだ(笑)。まぁ国民の認識なんてそんなもんだが、そもそも「さざれ石が巌となりて苔がむす」なんてことが物理的にあり得るのか、僕は子供の時から疑問なんである(笑)。

 この歌を「国歌」にしたルーツはまたしても薩摩藩である。各国に国歌と言うものがあるのを知った薩摩人が薩摩で祝いの席などで歌われていた「君が代」を軍の歌としたわけだ。これが明治になって薩摩人の多い海軍が儀式用にそのまま採用した(1880年)。しかし実は「君が代」のメロディーが現在のものになるまでに3バージョンが存在する。最初のは薩摩藩がイギリス人に編曲させたもので明治になって廃止された。次に日本人が作曲して小学唱歌集にも載せられたがなぜか「不評」でボツとなった。三度目のバージョンは幾つかの案の中から審査の結果選ばれたものだが、面白いことに採用されたのは審査委員長・林広守の息子の作曲したものだった(実は父親が作っていた)。これをドイツ人のエッケルトが編曲したのが現行の「君が代」である。
 
 いちおう林の作曲は雅楽の調べを生かしたものだが、荘重なのは良いとして歌いにくさでは当時から定評がある。「き〜み〜がぁ〜よをぉ〜はぁ〜」の無茶なオープニングから「さざれ〜〜い〜し〜の〜」とか「こ〜け〜の〜〜むぅ〜すぅ〜〜ま〜あぁぁで〜」など日本語の単語を無視した曲付けが目に付く。誰もが子供の時から思っていることだと思うぞ。そういえばサッカーの中田選手が「君が代」を「戦いの前に歌う歌じゃない」とか言って歌わず物議を醸していたが、意外にも海軍が製作したという経緯があったのだ。
 やがてこれが日清・日露戦争ごろから学校での斉唱が行われるようになり、「国歌」としての地位を固めていったわけだ。そんなわけで法制化は今日までされたことがなかったという次第。

 さて今日の問題に移るが、結局のところ「国歌」「国旗」がどうしても必要なのであれば、とりあえず他に代替物が無い以上、「日の丸」「君が代」は使われるだろう。国民意識でもそう抵抗はないのが実状だし、とりあえず「日の丸」に関してはそう特別な意味があるマークでもないからキチッと法制化していくに越したことはないだろう。ただ「君が代」には内容が内容だけに多少もめるような予感がありますね。法制化する前にまず全国民に内容の正式の意味をキチッと知らしめる必要があると思う。「「君」ってのは別に天皇の事じゃないよ〜」などと詭弁を弄する知識人もいるので要注意。

 しかし今回の校長自殺の一件で見えてきて非常にイヤなのが、「君が代」「日の丸」を強引に押し付ける勢力が、権力を握っている側に多く存在することだ。僕は別に「君が代」や「日の丸」が直接的に何かするわけではないから存在する事自体は構わないと考えている。空気のように存在していれば良かろう。しかし強引にそれへの絶対的崇拝を要求するような圧力には心底怒りを覚える。そうすることで何がしたいのか?盲目的に「国家」への忠誠に励め、と言ってるようにしか見えないんだよね。
 よく(特に産経新聞がそうだが)「国家や国旗に敬意を表さない国はない!」とか騒いでいる人を見かけるが、少なくとも学校に強制的に圧力をかけて国歌・国旗を押し付けようとする国はあまりないだろうな。
 


99/3/4記

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ