ニュースな
1999年7月12日

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 ◆今週の記事

◆兵士の命のお値段は…
 
 かつて「大英帝国」という世界帝国があったことを僕は改めて実感したものだ。先日ユーゴの「降伏」を受けてコソボに進駐した英国軍の中にネパール人の「グルカ兵」が700人もいたことを知った時のことだ。こんなことニュースにならないと分からないもんである。

 で、そのニュースの内容は以下の通り。英国軍がコソボで不発弾(ちなみにNATO軍が落としたものである)の処理をやっていたところ、不慮の爆発事故が発生。イギリス人少尉とアルバニア系住民、そしてグルカ兵バルラム・ライ軍曹(35)の計4人が犠牲となった。
 当然軍の職務中の事故による「戦死」であるから国家から遺族に賠償金と年金が支給される。ところがここで問題が起こった、というか問題視する声が上がった。イギリス人少尉の遺族には賠償金5万4000ポンド(1080万円)と年1万5000ポンド(300万円)の年金が支給されることになったのだが、グルカ兵の遺族には賠償金1万9000ポンド(380万円)と、年940ポンド(19万円)の年金しか支払われないということになっちゃったのだ。賠償金は約3分の1、年金にいたっては10分の1以下という大変な格差である。 これが明らかになると「同じ人間なのにグルカ兵の命はイギリス人の命より安いというのか?」という批判がイギリス議会で巻きおこった。いちおう政府の説明によると「それぞれの国の物価を考慮した」「階級の差も考慮されている」とのことである。それにしても、と言いたい格差だが、たぶん従来の「大英帝国」の慣習に従ったんじゃないかと思う。批判を受けてブレア首相もグルカ兵に対する待遇の改善を約束したという。

 それにしてもなんでネパール人兵士が英国軍にいるのか?なんでも19世紀初頭のイギリスのネパール征服時に、この「グルカ兵」が勇猛果敢に戦い、この強さに目をつけた英国軍が以後彼らを雇うようになっていたのだそうだ。それが現代まで続いていたというのも凄いが、今度のコソボ進駐にも100名のグルカ兵が参加し爆発物の処理等に当たっていたというのには、ちょっとネパール人に安値で危険な仕事をやらせてるんとちゃうかという邪推も湧いてしまった(いちおう指揮者は英国人だったわけだけど)
 僕が今度のことで連想したのは、第一次世界大戦でもインドの兵士が中東戦線でイギリスのために戦い、何十万という犠牲を出しているという歴史的事実だ。この時は「勝ったら独立させてやる」という約束をしていたんだよな(口約束だったわけだが)。



◆軍服姿の昭和天皇
 
 アメリカの雑誌「タイム」誌が世紀末よろしく「20世紀を代表する人物」というまぁよくある特集を組んだ。そこでなぜか小渕首相に「日本代表」を誰か推薦してくれと頼んだのである。すると小渕さん、何を思ったか(笑)いきなり昭和天皇を推薦、自らのコメントもつけたのであった。そしてそのまんまそれはタイム誌の誌面を飾ったのである。

 ところが。誌面を見た小渕さん、ビックリ仰天。そこには確かに昭和天皇の写真が載せられていたのだが、なんと「軍服姿」の写真だったのである!軍事的指導者としての天皇の印象をうけるとして小渕首相は「昭和天皇は平和主義者だった」と出版元に遺憾の意を表した。これに対しタイム誌の東京支局長は「首相の推薦は興味深い。写真の選択に別に意図はない」とコメントしていた。

 写真選択に関して意図があったかどうかは微妙なところだろうなぁ。やっぱ多くのアメリカ人にとって昭和天皇は「軍国日本の君主」としての印象があるんじゃないかと思う。しかしながら実際のところ、法制度的にも当時の天皇は「大元帥陛下」だったわけで、形としては陸海軍の最高司令官なのである。その軍服姿の写真は僕も見たことがあるが、別に珍しい服装ではない。「大元帥」として軍服を着て白馬にまたがり閲兵をやるというのは彼の立場上しばしば行っていたことなのだ。仮に彼自身が平和主義者であったにせよ、外から見れば天皇が軍国日本の代表者であったことは確かなことなのだ。実際、戦争中のアメリカの世論調査でも戦勝後の天皇の処遇について「処刑せよ」という意見が一番多かったのだそうだ(ちなみに二番目か三番目に多かった意見が「生かして戦後統治に利用せよ」だったそうである)

 それと。昭和天皇がどの程度「平和主義者」だったのか、僕は正直なところ疑問がある。いや別に「侵略主義者」だったとは思っていない。ただごく普通の感覚で戦争と対していたとしか思えないところがあるのだ。大東亜戦争(太平洋戦争)を始める際に明治天皇の御製なんか歌って婉曲に反対したって話もあるけど、開戦当初やたらに勝ち続けていた際には「はやく戦果があがりすぎるよ」と大喜びしていたという話もあるしね。昭和天皇をやたらと「平和主義者」と持ち上げる方々は、逆に彼と戦争の関わりについて「うしろめたさ」のようなものを持ってるんじゃないかって気もする。そろそろ客観的な歴史人物としてみてあげて良いんじゃないのかな。

 それにしても小渕さん。なんでまた「20世紀日本代表」に昭和天皇を?まぁヒトラーなんかも「20世紀を代表する人物」には違いないけどね。
◆一年後のコメント
小渕さん本人までが「20世紀の歴史上の人物」になってしまうと、誰がこの時予想したであろうか…



◆票のためには見境無し!? 

 大統領の不倫騒動もひとまず落着(?)し、ぼちぼちクリントンさんの任期も切れて次期大統領候補の話題も多くなってきた今日この頃。クリントンさんの大統領当選に大きな「内助の功」があったと言われ、不倫騒動では「悲劇の中のけなげなヒロイン」となっちゃったヒラリー大統領夫人の周辺が最近妙に騒がしい。前々から噂されてはいたけど、ついに上院議員選挙に打って出ることになったのだ。一部ではその野望はさらに上、初の女性大統領とまで噂されている(とすると、クリントンさんは初の「大統領夫(?)」になるのか?)

 で、本格的に資金集めや遊説に動きだしたヒラリーさんだが、選挙区はニューヨーク州とのこと。彼女は完全な「よそ者」であり「落下傘候補」なわけでかなりこれも批判されている。なんでも現ニューヨーク市長も立候補する方向らしく、大変な激戦が予想されているそうだ。
 ニューヨークと言えばユダヤ人が多い。そこでヒラリーさん、ユダヤ人票を集めるべくユダヤ系団体に書簡を送ったのである。その内容があからさまにユダヤ人国家・イスラエルを支持したものだったから問題になってしまった。
 報道によるとその書簡には「エルサレムはイスラエルの永遠で不可分の首都」だとか「私が上院議員になっても、あるいは将来どんな立場になろうとも(おっ?やっぱ大統領狙うのか?)、強く安全なイスラエルの擁護者であることに変わりはない」とかいう熱烈なイスラエル擁護の言葉が散りばめられていた。将来アメリカの大使館をテルアビブからエルサレムに移すなんて計画も勝手に書いていたらしい。
 なんでこれが問題になるかというと、ヒラリーさん去年に「パレスチナ(もちろんイスラエルじゃないほう)が国家となることは中東の利益になる」と発言したことがあり米ユダヤ人団体の反発を買った経緯があるのだ。この180度の変身が露骨な「ユダヤ票集め」だとしてマスコミの批判を受けているわけ(そういえば共和党のブッシュの息子さんもフロリダ州知事選でヒスパニック票を集めるためスペイン語で挨拶したりしていたな)

 それにアメリカ政府のパレスチナ問題に関する正式見解は「あくまでイスラエルとパレスチナ人が決めること」となっており、国務省も夫人の発言には頭を抱えているらしい。あくまで夫人個人の発言なわけだけど、なんてったって大統領夫人だもんな。
 …それにひょっとしたら未来の大統領かもしれないしねぇ(^^; )



◆ニクソンの幻の「アポロ追悼文」発見!

  7日にロサンゼルス・タイムズ紙が報じたところによると、1969年のアポロ11号の月面着陸の際、失敗した場合に備えてニクソン大統領が「追悼演説文」を事前に用意していたことが明らかになった。アメリカの国立公文書館でその文書そのものが発見されたのだそうだ(先日のチリ・クーデターの件でもそうだが一応機密文書も公表されるところがアメリカらしいところ)

 その内容だが、今見るとなかなか面白い。月に着陸したアームストロング・オルドリン両飛行士が地球に帰還できないと判明した時点でホワイトハウスがどうそれを国民に向けて公表するかというマニュアルなのだが、まずニクソン大統領が両飛行士の夫人に電話で弔意を伝える。次に大統領が国民に向けて「追悼演説」を放送する。この「幻の追悼演説」だが発表されていたら世界の感動を呼んだであろう名文なのである。
 「月面探査に赴いた二人の宇宙飛行士は月面で静かに永眠する」とし、二人を「人類のための犠牲」とし「母なる地球も二人を追悼する」と讃えている(当人達にしたらたまったもんじゃないな)。そして「すべての人々は夜、月を見上げるたびに、そこに永遠に人がいることを認識するだろう」と感動的に締めくくるんだそうだ。さらにご丁寧なことに通信が途絶した時点で聖職者による祈りが捧げられる予定だったそうな。

 この「名文」を書いたのは大統領の演説文作成スタッフだったようだ。ハッキリ言って非常に政治的性格の強い「追悼文」である。アポロ計画自体が冷戦下のソ連との宇宙開発競争という、アメリカ国家の威信をかけた政治的デモンストレーションの側面があったこともこの「追悼文」はうかがわせる(もちろんNASAのスタッフたち全員がそんな生臭い動機でやったたとは思わないけど)。幸いアポロ11号は無事に地球に生還し「追悼文」は無用に終わった。だけどその後アポロ13号が事故を起こしているから(これも無事に帰ってきたが)その際にもたぶん同様のものが用意されていたと思われる。
 このニュースを見て思いだしたのがスペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故(1985)の時のレーガン大統領の演説だった。あれも確か直後にテレビで放映され、大統領が乗組員全員の名前を呼んで「彼らの宇宙へと向かった勇気はなんと偉大だったことでしょう」とか言っていたような気がする。あれもやっぱマニュアルどおりに行動してたのかもしれないな。
 


99/7/12記

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