ニュースな
1999年8月9日

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 ◆今週の記事

◆アメリカ人の日本分析あれこれ

 朝日新聞に紹介されていたのだが、「ニューヨーク・タイムズ」の東京支局長ニコラス=クリストフ記者が離任にあたって書いた論説が同紙の一面を飾った(原文を参照するつもりだったのだが、ついつい読まぬまま間に合わなかった)。その内容が凄い。「今世紀の前半には軍事大国として、後半には経済大国として繁栄した日本が、再び輝きを取り戻すことはない」という、えらく突き放した内容なのだ。なんと数十年後の日本は「過疎の国」になると警告(というよりは断言)している。
 この説の根拠としてこの記者は「鎖国を止めて以来145年もたつのに外国人移民嫌いが直っていない」状況を指摘し、その一方で少子化に拍車がかかっている現状とを挙げている。さらに日本の保護的な「悪平等主義」をとりあげて(銭湯など消えゆくものに国が金を出している!などと批判してるそうだ)、労働人口がますます減っていくだろうと指摘し、仮に今の経済危機を脱したとしても日本の凋落には歯止めがかからないだろうと断言しているそうな。日本の平等主義を「弱者にやさしいディズニーの童話の世界のよう。すばらしくもあるが、同時にどうしようもなく甘い」とまで言っているそうである。
 この記者、日本の将来のモデル像として五島列島の赤島(福江市)という過疎の島を紹介している。若者が島から離れて300人いた人口がたった5人に激減し、病院や商店も閉ざされ、国が補助金を出しても労働人口が戻ってこない状況を描き、これが「日本の未来像だ」としているそうである。

 …僕は今の日本の状況にいろいろと危機感をもっている男だが、この記者の展開する議論には「??????」と反応せざるを得ない。「大きなお世話だ!」という怒りの声もあがってくるところだろう。日本人の外国人嫌いの指摘については納得できるのだが、後の部分は日本の独自性や社会条件を無視した指摘としか言いようがない。要するにこの記者「アメリカ流が世界で一番!」と信じているおめでたい奴でしかないようだ。だいたいなんで日本の将来像を描くためにそんな離島を引っぱり出してくるんだか…。
 この記事を紹介した朝日新聞の記事によると、この記者、任期中の四年間に「日本女性のレイプ願望」「中年男性の女子高生好き」「愛を口にしない日本の夫婦」などなど言いたい放題の「日本論」記事を書き(二番目の奴はまぁ確かにと思うところもあるけどアメリカ人だって人のことは言えんだろ)、アメリカでも日系人社会から反発をくらっている「常習犯」なのだそうである。まぁもともとそういう記者だったのね、とちょっと安心(?)するところもあったが(ひょっとすると日本に「飛ばされた」と恨んでいたのかもしれないな)、これを一面に載せるニューヨーク・タイムズにも問題アリだよな。アメリカ人ジャーナリストって客観的観察にすぐれているという先入観があったが、そうでもない奴もいるという事で何となく安心したところもある。

 これとは別の話だが、今度は米情報機関の日本分析の話。いわば本当の「プロ」の仕事だ。
 名高きCIAをはじめとするアメリカの情報機関を統括するNIC(アメリカ情報会議)が専門・民間の日本専門家を集めて「最近の日本の米国観と対米政策について」というテーマで議論・分析を行い(一日中缶詰にしてやるんだそうな)、報告書を提出したんだそうだ。そこで出てきた最近の日本の「新たな戦略的不確かさ」というものだった。要するに日本はアメリカとの関係を強化しようとする一方で、独自の路線への動きも見せ始めており、アメリカとのパートナーシップを見直そうともしていると指摘しているのだ。
 これに関しては、僕も「さすがはプロの分析」と感心した。実際近頃の日本の軍事・外交関係の動きはまさにその通り、「二股」の方向に新たな動きを見せつつある。大きな影響を与えているのが中国の存在だ。市場経済を導入し経済発展をしつつある中国に、アメリカは多大な関心を抱き、ますます接近を図っている。このコーナーでもたびたび取り上げた事だが、「人権問題」でたまにささいな衝突を起こすものの全体的方向としては米中関係は密接なものとなりつつある。しかもどっちかというとアメリカの方が積極的だ。これまで「アメリカの極東におけるパートナー」と(勝手に)自負してきた日本政府は、中国にその地位を奪われるのではないかと恐怖している。もっともアメリカは前々から中国を日本より重視していたとしか思えないけどね。ニクソン大統領が中国と電撃的に国交を結んだときも日本には一言の事前通告もなかったという前例があるし。
 むろんこの報告書の全てが正しいとは思わない。ただこういう分析を定期的にやって報告書を出させているアメリカ情報機関の周到さは強く感じられた。「情報」ってのは秘密文書ばかりではないのでありますね。もっと重要なものがあると。



◆太平洋戦争観にまつわるあれこれ
 
 8月に入ると例年通り「戦争」関連のイベントや報道が多くなる。その中でいくつか目に付いたものを取り上げてみよう。

 アメリカのニューメキシコにある国立原子博物館は日本の原水爆禁止日本協議会(原水協)の抗議を受けて、1995年以来やっていた原爆をかたどったピアスの販売を中止した。広島に落とした「リトルボーイ(ぼうや)」・長崎に落とした「ファットマン(ふとっちょ)」の二つの爆弾をピアスにあしらったという何とも悪趣味な商品なのであるが、「被爆者の心情を害する」という抗議の前に、アメリカにしては珍しく直ちに販売中止措置をとることになったわけだ。
 よく言われることだがアメリカでは原爆を「日米戦を終結させた英雄」としてとらえる人が多い(全部とはいわんが)。日本人なんかよりずっと核兵器に対して軽い印象を持ってることは確かだ(ネーミングからしてそういうところがうかがえる)。この商品だけでなくキノコ雲をあしらったものなんかもあるそうで、悪趣味と言うより怖さを知らないってことなんだろうな。

 一転してオーストラリアの話。メルボルンで10月に行われる音楽イベント「メルボルンフェスティバル」の開幕式が「退役軍人連盟」の抗議で中止に追い込まれることになった。退役軍人達の抗議の理由は、この開幕式が日本人による和太鼓の演奏をメインとしていたことにあった。しかも会場が戦没者記念館だったことが逆鱗に触れたらしい。太鼓についても「戦の時の道具」のイメージが強い、としている。
 たかが和太鼓にそんなに神経質にならなくても、とか思っちゃう所だが、アメリカでもイギリスでもこうした「退役軍人」の発言力って結構あるんだよね(日本だって例外ではない)。また直接戦った人間だから反発する感情に実感があるし。ついつい日本人はアメリカ以外と戦ったことを忘れがちなのだが、オーストラリアとも戦争したんだよね。心にはとめておくべきだろう。

 新聞も戦争にまつわる「新資料」の発掘を競っていた。まず朝日新聞が報じたものから。
 1939年3月の段階で「大東亜共栄圏」構想の原型が陸軍内部で練られていたことを示す日記がみつかった(執筆者は当時の満州国トップ官僚)。その構想の内容だが、これがすごい。
 まず「大東亜建設」のためにはソ連と英国を東アジアから駆逐する必要があるとし、日中戦争(当時で言うなら支那事変)をとっとと片づけ、43〜45年にソ連と開戦。ソ連を片づけたら東南アジアで英国と開戦し艦隊を撃滅する。この過程でシベリア沿海州の占領、インドやアラビアを謀略で独立させるなどといった構想も含まれている。英国とは開戦するまでは「硬軟両面の外交」を展開し、アメリカは中立させ、フランスと南米を「防共陣営」に組み込むつもりだったそうだ。
 結果から言っちゃうのは多少酷かもしれないが、ムチャクチャ甘い戦略である。特に外交面が日本の都合の良い展開にしか考慮されていない(この悪癖は敗戦まで直らなかったな)。だいたい実際には日中戦争もかたづけないうちにソ連とも戦い米英とも戦うことになっちゃったもんね。改めて当時の陸軍中枢の戦争計画の甘さ、自己中心的な思考形式がよく分かる。もっとも「泥沼化する日中戦争の中で当面の予算を確保するためでは」との古川隆久・横浜市立大助教授のコメントも紹介されていた。

 一方の産経新聞では当時のアメリカのルーズベルト政権で対日・対中政策立案の中枢にあった人物が、実はソ連のスパイだったと報じていた。その人物とはロークリン・カリー大統領補佐官(当時)。この人はカナダ生まれの経済学者でニューディール政策への参加をキッカケにルーズベルトのブレーンとなった。その後蒋介石とルーズベルトのパイプ役となり、対日政策に深く関わるようになったという。日米開戦前から日本空爆案を提示していたとのことだ。それが実はソ連のスパイだったというのは確かに興味深い話である。記事によれば暗号解読によりかなり早期からスパイと判明していたが、暗号解読の秘密を守るために野放しにしていたとのこと。
 戦後になって他のスパイの告発により彼にソ連スパイ容疑が持ち上がり「非米活動委員会(赤狩りで有名ですね)」の追及も受けたが、彼は最後まで容疑を否定しアメリカ市民権を捨ててコロンビアに移住。93年に亡くなっている。
 ところでこの記事では「ルーズベルト政権の対日、対中政策の要人が実はソ連スパイだったことがわかったことで、当時の歴史解釈にも影響を与えそうだ」としているのだが、何となく「日本無罪論」を展開したい空気を感じますな。その辺はいかにも「産経」的。

◆一年後のコメント◆
上記のネタと相前後して同じ産経新聞が「日本への最後通牒となったハル・ノートの原案を作った男はソ連のスパイだった」というネタを報じていたんですな(後で知りまして)。上の対中政策の話と同じで「日本はソ連の陰謀にハメられて『大東亜戦争』に突入した」と言いたい主張な訳だ。この手の話については文春新書『昭和史の論点』で秦郁彦、半藤一利の両氏が「無理な推論」「陰謀説はいただけない」と批判してましたな。どのみち日本軍部がやる気満々だったわけで。元KGBの連中が「オレ達は凄いことをやったんだ」と言いたいが為にあれこれ変な情報を流してるんじゃないかと推測されてます。



◆「ケネディ暗殺の瞬間」フィルムは18億円!

 先日飛行機事故で亡くなったケネディ.JRのお父さん、ジョン=F=ケネディ大統領のダラスでの暗殺の瞬間を記録した、いわゆる「ザプルーダー・フィルム」がザプルーダー氏の遺族からアメリカ政府が1600万ドル(約18億4000万円)で買い上げることになった。本来、遺族側はフィルムの歴史的価値を主張して3000万ドル(約34億ドル)を代価として要求、これに対し政府側はたったの100万ドル(約1億1500万円)の値を付けていて(笑)、全然折り合いがつかなかったのだ(そりゃまぁいくらなんでも差がありすぎるわな)。このため調停に持ち込まれ、このたび調停委員会はほぼ「間を取った」形で決着をつけたわけである。これでめでたく(?)このフィルムは政府所有の物(というかアメリカ国家の財産)となったわけだ。

 このフィルム、すでにかなりの人が目にしているはず。当時ダラスで衣料品関係の仕事をしていたエイブラハム・ザプルーダー氏が、暗殺前後のパレードの様子を8oフィルムで撮影したもので、たまたま「暗殺の瞬間」を激写してしまっっているのだ。映画「JFK」で繰り返し登場するので、今や誰でも気軽に見られる(オレなんかDVDで持ってるからすぐそのシーンに飛べるぞ!)
 見てみるとよく分かるが(この記事のために改めて見直しました)、明らかに数発の弾がケネディめがけて発射され(映画「JFK」では6発とする)、しかもケネディの前方からトドメの一撃の弾丸が飛んできているのが分かる(撃たれたケネディが左後方へのけぞっている)。事件後ウォーレン委員会が結論した「教科書ビルからのオズワルドによる単独狙撃説」を真っ向から否定する証拠となっており、「ケネディ暗殺は政治的陰謀」という見解の根拠となっているわけだ。
 事件の真相はまだまだ藪の中だが、このフィルムが歴史的にも貴重な資料であることは間違いない。18億円じゃ安いぐらいだと僕も思った。もっとも国民共有の財産とすべきという見方もあるわけで、値段なんてもともとつけられないのかもしれない。
 


99/8/9記

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