あったんだろうな、とは思っていたが。先日台湾各紙が報じたところによると台湾の元国防相が近く出版する回顧録の中で「蒋介石総統が1964年に大陸反攻を計画していた」ことを明らかにしているそうだ。当時からこの計画の存在は噂されていたが、このたび当事者の証言が出てきたことでその内幕の一端が明らかになったわけだ。
日本が敗北した後の中国では、それまで一時的に手を組んでいた国民党・共産党の両勢力がすぐに内戦状態に突入した。蒋介石の国民党は全土の4分の3を占める勢力を有しながら、毛沢東率いる共産党の「農村から都市を包囲する」作戦によっていつの間にか勢力を逆転され、1949年12月、ついに大陸を放棄して台湾へ逃れた。まともな海軍が存在しなかった共産党はそれ以上追うことも出来ず、さらにアメリカの反共政策の後押しもあって台湾にはそのまま国民党の政府が誕生することになった。これが現在にまで至る「二つの中国」問題の原点となる。
その後毛沢東は社会主義中国の建設に努め、第一次五カ年計画で工業化を進めていく。ところが1958年から始まった第二次五カ年計画、いわゆる「大躍進」運動は、急激で無理な集団化による農村の疲弊に加えて自然災害が追い打ちをかけ、数千万人(!)とも言われる餓死者を出す結果となってしまった。この失敗により毛沢東は一時的に最高指導者の座から落ち、国家主席となった劉少奇らによる市場経済導入が進められる。しかしその後、権力の奪還を図った毛沢東らによりあの「文化大革命」が開始されることになる。蒋介石が「大陸反攻」を計画したという1964年というのはまさにこんな時期だったのだ。
大陸の失政による混乱、その一方で一部西側諸国の大陸中国承認もあり、蒋介石としては「今こそ!」とも「今やらなくては!」と考えていた時期なんだろう。ちょうど台湾軍の戦力もピークに達していたそうで、まさに絶好の機会と言えたわけだ。密かに演習も行われ、このたび回顧録を書いた元国防相は「最初に大陸に上陸する軍長」に選ばれたとのこと。1965年春に実行の予定だったのだが…そう、ご想像の通り、土壇場でアメリカが反対したためオジャンになったのだ。
この年の10月に中国は核実験に成功しており、大陸反攻の開始はそのまま核戦争を生む危険もあった。アメリカはそれも恐れたろうけど同時に「中ソ紛争」が頻発し始めた時期でもあり、中国に対する政策にも転換の兆しが見えていた。そんなこんなで蒋介石にまったをかけたものと思われる。条約によってアメリカの承認無しに台湾軍が動くことは出来ず、蒋介石は千載一遇の機会を逸したのでありました。もはや今では「大陸反攻」なんてねぇ…それでも台湾では中国全土の地方長官(省長)を任命してるって話があったが、今でもやってるのかな?
◆一年後のコメント◆
まったくの偶然なんですけど、ちょうど一年後の「史点」に蒋介石の孫のお話が載ってしまいました(笑)。
ところで新聞で読んだのだが、この選挙戦、なんと「宗教票」が行方を左右するらしいのだ。その連戦氏が選挙運動の旗揚げをしたのが新興仏教団体「法鼓山」の10周年大会だったというのは象徴的。この「法鼓山」、公称信者100万というから確かに大変な票田であるが…(ちなみに台湾総人口は2000万人だそうだ)。野党候補もこの集会に駆けつけ支持を呼びかけたと言うからただ事ではない。こうした宗教団体の集会ばかりでなく、候補者達は寺や廟にもさかんに参拝し、その影響力を利用しようとしている。台湾のマスコミも「超大物参拝者の票頼み」とからかっているとのこと。
この報道で初めて知ったのだが、台湾では全人口の7割が何らかの寺廟(仏教・道教・儒教といろいろだが)と関わりを持っており、その寺廟は地域活動の中心となっているのだそうだ(この辺むかしの日本も似たようなものだったが)。だから支持を呼びかける選挙活動は必然的に「寺参り」となっちゃうらしい。有名な寺や廟で候補者がバッタリかち合うこともしばしばとのこと。
宗教票の存在ってのは世界中どこでもあることなんだけどね。日本だって自自公連立をめぐる論争にこれが絡んでるし(自民党支持の宗教団体がいろいろあって創価学会の政治関与に反発してるのだ)。
◆一年後のコメント◆
結局翌年の選挙で「連戦総統」は実現しませんでしたね。正直なところ陳水扁氏が総統になると予想した人は少ないんじゃないかなぁ。先日図書館行ったら総統選挙直前に出版された連戦氏の伝記が置いてありました。さる著名な国際政治学者(なのかな?やたら本は出してるけど)の方が前文を書いていて「連戦総統」を確実のものとして話を進めていて、この手の予想は軽々しくするもんじゃないな、などと思ってしまったものです。もっともこの方、数年前の著作を古本屋で読んだら予想の大半が当たってないんですけどねぇ…。
イギリスと言えば議会政治発祥の地。しかしなんといっても発祥が古すぎるもんだから(起源は13世紀までさかのぼれる)「中世の遺物」みたいな制度があちこちに残っている不思議な国でもある。その最たるものと言われていたのが議会上院の「世襲貴族議席」の存在。上院議員約1200名(多い!)のうち、なんと759人が選挙によらない世襲貴族の議席なのだ。日本の明治憲法における「貴族院」はどうもこれをモデルにしたものらしい。なお当然ながらイギリスでは下院の完全な優位があり、上院は事実上飾りものの観がある。貴族達も日ごろはあまり出席していないそうで、いつだったか上院のTV中継が行われたときに慌てておめかしして出席しているのを見たことがある(笑)。
しかしここにきてイギリス政府はついにこの世襲貴族議席の削減に踏み切った。ホントは完全に消滅させたかったようだが、反対する保守党にも配慮して92議席だけは存続させることで妥協したのだ。約8分の1への削減。さて誰を残して誰をクビにするのか?
この選考は上院議員の「互選」によって行われるとのこと。つまり「この人こそ残るのにふさわしい」とみんなが思う人だけ残そうというわけだ。どうしても残りたい議員は75語以内で理由を述べた意見書を提出せい、ということになった。たった75語に制限した理由は「冗長な演説と貴族同士の中傷合戦を防ぐため」とされている。貴族の間からは「こんな字数じゃズボンの寸法も書けん」とイギリスらしい皮肉が飛んでいるそうな。
ユダヤ人に「安息日」ってものがある。聖書で神様が天地創造を終えて七日目に休んだってのに由来するような気がしたが違ったかな(^^; )。金曜の夕方から土曜日がこれにあたるそうで、戒律ではこの間いっさいの「労働」が禁じられている。この辺の考え方は人により差違があるそうだが、厳格な人になると自宅にこもってホントにいっさいの仕事や作業をしないそうだ。ユダヤ人国家であるイスラエルではこの安息日には商売は原則禁止、交通機関も休止となる。
このたびこの「安息日」をめぐってちょっとした「騒動」があった。建設中の発電所用に巨大タービンを運ぶことになったのだが、なにせホントに巨大な物体である。輸送の際に長時間にわたり道路を占拠してしまうため交通に混乱を引き起こすのは確実だった。そこで発電所建設のメーカーは「それなら道が確実に空いてる安息日に運べば良い!」と思い付き、政府に許可を求めた。安息日に「労働」をするには労働相の許可がいるのだ。
この労働相が連立政権に参加している宗教政党シャスの出身だったから「騒動」になってしまったのである。シャスだけでなく同じく政権に参加している宗教党ユダヤ教連合も猛反発。「安息日に輸送を許可したら連立離脱だ!」とまで言いだし(笑)、周囲を慌てさせた。先ごろ強硬派のネタニヤフ政権を倒すべくにわか仕立てで連立を組んだ弱さが、妙な所に出ちゃったものである。
さてどうやって解決したでしょう。なんかクイズ番組みたいなんだよな、ホントに。結局28日の安息日に輸送は実行されたんだけど、輸送の運転を非ユダヤ人に任せることで両政党ともに納得したそうだ。第三者から見てると実にくだらんことだが、宗教はこれだから凄いのかも(^^;
)。