ニュースな
1999年9月6日

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 ◆今週の記事


◆インド総選挙は中傷合戦!?

   インドの選挙がらみの話題は以前にもやったことがあるんだがけど、今も相変わらず混迷状態のようである。とにかく人口10億の国(非公認だけどたぶん十億いっている)。有権者だけで6億人という世界最大の総選挙である(人口がもっと多い中国には総選挙なんてないので)。識字率の低さということもあって以前から政党のシンボルの絵にマークする方式の投票が行われていたが、今回からボタンを押す電子投票という方式がとられ、効率を上げているそうである。それと早くも各地で投票をめぐる衝突が起こり、銃撃や爆弾で死傷者が出ていることも伝えられている。ちなみに前回の総選挙では65人が死んだそうだ。

 さて、この総選挙の一つの焦点はインドにおけるナショナリズムの問題にあるような気がする。強烈な民族主義を掲げるインド人民党を率いるパジパイ首相は核実験を強行し、先日もパキスタンと紛争したばかり。しかし一方ではこうした動きに反対する層も多く、それが最大野党・国民会議派の支持勢力となっている形だ。そしてこの国民会議派の党首が、以前に何度も触れたソニア=ガンジーさんである。
 ソニアさんは暗殺されたラジブ=ガンジー元首相の未亡人で、もともとはイタリア人。そんなこともあって与党の人民党はおろか身内の国民会議派からも非難・中傷の対象になりがちである。今回の選挙運動でもこれがまた吹き出している。
 インド人民党のマハジャン情報相は「そんなに外国人の首相がいいのなら、ブレア英首相やクリントン米大統領、それにモニカ・ルインスキーさん(笑)を首相にすりゃいいだろう」などと発言。連立与党を組んでいる平等党のフェルナンデス国防相も「ソニア総裁のインドへの貢献は、2人の子を産んで人口を増やしたことだ。ほかに何かあるかい」とまで言っちゃったそうな(朝日新聞記事による)。当然ながら女性団体から猛烈な抗議があったそうだが…。
 国民会議派も黙ってはいない。国民会議派の議員で映画俳優でもあるラジェシュ・カンナ氏も「バジパイ首相は、カシミールで死んだ兵士の子の痛みを理解しないだろう。彼には子どもがいないからな(パジパイ首相は独身なのだ)と言ってしまった。

 こうした中傷合戦にあきれ果てた選挙管理委員会は「古来の文化と独立以来50年の政治の伝統を守ってほしい」と個人攻撃の自粛を呼びかけているそうである。



◆「第二次大戦開始」60周年
 
 「第二次世界大戦」の始まりをいつにするか、ということについては実は歴史家の間でも幾つか見解がある。「世界大戦」という点に注目して日本による「満州事変」を大戦の始まりとする見方もあれば、はたまたイデオロギー対決に注目して「スペイン内戦」を大戦の勃発期とみる見解もある。だが一般的かつ教科書的説明では、第二次大戦の勃発はナチス・ドイツによるポーランド侵入(1939年9月)によって始まったとされている。これをキッカケに英仏両国がドイツに宣戦布告したからだ。まぁ西欧中心的な発想と言えなくもない。

 ともかくこのドイツ軍のポーランド侵攻からちょうど60周年となった9月1日、ポーランドのグダニスク(ドイツ名ダンチヒ…映画「ブリキの太鼓」を思い出すなぁ)で記念式典が開かれた。これにドイツの国家元首であるラウ大統領が出席し、ドイツの歴史に対する反省の意志を述べたうえ「21世紀は平和の世紀に」と演説した。同じ日にシュレーダー首相(実権はこっちにあります)も首都移転が済んだベルリンで「歴史を忘れたり、追いやったりはしない」と記者会見を行った。このへん、昨今の日本の戦争責任論とダブるところだが、あっちは割りとハッキリ言いますね。ちなみにポーランドのこうした式典にドイツ大統領が出席するのは初めてのことだそうで…って考えてみれば東西統一してからまだ10年経ってないんだよな。

 この大統領の出席にはなかなか手の込んだ演出が行われていた。まず国境のオーデル川にかかる「平和の橋」にラウ大統領が到着し、そこにポーランドのクワシニエフスキ大統領が橋の反対側からお出迎え。そこから両者が歩み寄り、橋の中央で握手。それからグダニスクへ飛んだそうである。芝居がかった演出、という意見もあるだろうけど、結構馬鹿にならないんだよな、こういうのも。
 ところでドイツ軍のポーランド侵入による最大の犠牲者はやはりユダヤ人だ。ポーランドだけで300万人とも言われるユダヤ人が虐殺されたという(ポーランド全体の大戦を通した犠牲者は600万人という)。クワシニエフスキ大統領はこの問題にも言及、ドイツ語とヘブライ語で「世界はこの事を決して忘れてはならない」と訴えたそうである。
 



◆核スパイ疑惑は今?

 これまた前に触れたことのある話題なんだけど…。
 最近アメリカ議会を中心に「中国による核スパイ疑惑」が騒がれ、とうとう本格的に調査報告書まで提出されている。前に僕は「やったかもしれないな、とは思う」と書いた。今でもその気持ちは変わらないが、ちょっとこの騒動の仕掛け人達の動機は単なる反中国ヒステリーとしか思えないところがある。そもそもなんで今ごろ騒ぐ?という疑問符がどうしてもつく(問題になってる核技術はだいぶ前のものらしいし)。またそんな大事なものをやすやすと(?)盗まれるほうもどうかしてる。また最近報じられていたのだが、この「スパイ疑惑調査」自体が中国系アメリカ人に対する露骨な人種差別の姿勢がうかがえ、あちらでも批判があがっているとのこと。

 以下はこの問題の思わぬ波及である。ちょっと下ネタ(^^; )
 核スパイ疑惑をキッカケに「情報管理が甘い!」と糾弾されてしまったアメリカエネルギー省は、国立研究所の職員らに対し「外国人との肉体関係は1回までなら報告せずともよいが、二回目からは報告を義務づける」という爆笑ものの規則を出してしまった。「関係」を持つ相手国で注意すべきは「中国・台湾・ロシア・インド・パキスタン・イスラエル」だそうで、ウソ発見器にもかけられるとのこと。さらに規則によると「肉体関係」を伴わないデートでも家族や家計、職場の不満などを漏らしたら報告をしなければならないそうだ。やれやれ。今どきでも「情報は情事から漏れる」ということなのか(^^; )。どうしてもスパイって「007」のイメージなのかな(爆)。



◆東ティモール独立へ?

 この「史点」でようやく「東ティモール」を取り上げる。ここ数週間何度かネタ候補に挙がったんだけど、何せ「一寸先が闇」だったもので、とりあえず選挙が終わるまで待っていたのだ。しかし選挙が終わった今でも「一寸先は闇」状態。予想しなくはなかったけど…こういうのはなかなか丸く収まらないものである。

 この間さんざん報道されたのでご承知の方も多いでしょうけど、いちおう「歴史」のおさらいを。
 このティモールは白檀(びゃくだん)を特産物とする島で、これを狙って16世紀にポルトガル人がここを植民地とした。その後オランダがインドネシア全域に勢力を広げる中で、両国間の条約により西はオランダ領、東はポルトガル領とされ、これが一応「東ティモール」の起源となる。その後ポルトガルの軍人が首長とされたこともあるように、この植民地はポルトガル人と現地人の混血がかなり進んだようである(釈放された独立指導者をはじめ西洋的な顔立ちの人が多いのに気が付かれただろうか?)。宗教的にもキリスト教徒が多いらしい(ベロ司教っていう人がノーベル平和賞もらったりしてましたよね。今度の騒動もだぶんに宗教対立の匂いもします)。その後太平洋戦争時にはやっぱり日本に占領された時代があった。日本敗戦後はポルトガルの支配がまた戻ってきている。
 1974年、ポルトガルで革命が起こり、海外植民地の放棄が進んだ。この動きの中で東ティモールも75年11月に「東ティモール独立革命戦線」が独立を宣言。しかし隣のインドネシアが独立に反対する「併合派」を支援する形で軍事侵攻し、76年7月に「島民の意志を受けて」と一方的に併合を宣言してしまった。以後かれこれ20年もその支配が続いたわけだ。

 転機はやはり強大だったスハルト政権の崩壊だろう。引き継いだハビビ政権は問題解決のために自治権の大幅な拡大を提案したが、今回の住民投票により8割近くの賛成で「自治」ではなく「独立」が決定された。インドネシア政府はいちおうこの結果を素直に受け止める姿勢だが、どうも軍や警察はそうでもないらしく、その後の反独立派民兵の活動を後押ししているフシがある(ついでながらあのスカルノの娘で最大野党党首のメガワティ女史も「独立」に批判的である)。ついさっきのニュースでもやっていたが、反独立派の民兵たちが投票結果を受けてかえって暴れはじめ、虐殺まで行われるという異常事態になりつつあるようだ。
 ハビビ大統領はPKF(国連平和維持軍)投入やむなし、という態度である。確かに見ていてあそこまでの状態になると国連の武力を投入せざるを得ない気はする。来週までにどうなってることやら。 
 


99/9/6記

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