◆今週の記事
さる6日、ムバラク・エジプト大統領が暗殺されかかるという大事件が発生していた。事件が発生したのはは地中海沿岸の港町ボートサイドで、ムバラク大統領はここで専用車に乗りパレードを行っていた。このとき大統領は専用車の窓を開けて周囲の群衆に手を振っていたのだが、そこへ一人の男が近づいてきた。一部の情報によると何らかの不満や要求を書いた紙を持っており「直訴」をするように見えたらしい。しかし男は大統領に近づくとナイフを取り出し襲いかかった。これを見た警護官が即座に男を射殺。ムバラク大統領は腕に軽い傷を負ったが大事なく、手当ののちそのまま予定の行動を続けた。なおこの時の流れ弾で警護隊の一人が負傷したという(とんだとばっちりである)。
その後のエジプト政府の発表によると犯人は40歳の露天商。背後関係もいろいろ取り沙おう過激派などとは無関係で日ごろから奇異な行動の目立つ人物だったと公式には発表されている。もちろんあくまで公式な発表なのでひょっとしたら政治的背景があるのかもしれないが、なにしろ本人が即座に射殺されてしまっているので調べようもない。なにも刺そうとした程度で即座に殺さないで逮捕・尋問とかすりゃ良いような気もするが(ナイフしか持ってなかったようだし)、過去の経緯を考えると即座に射殺する気持ちも分からないでもないのだ。
何しろムバラク大統領という人物、1981年に就任してから暗殺されかかるのはこれで少なくとも4度目。あのアラファト議長らと並んで「よく生きてるなぁ」と思っちゃう指導者の一人である。有名なのは1995年のエチオピア訪問中にイスラム過激派武グループの襲撃されたことで、このときは車に乗ったまま銃の乱射を受けている。さらに思い起こせばムバラク大統領の前任者サダトは1981年軍事パレード中に狙撃され殺されている(こんな昔の話なのにこの時のニュース映像は今もよく覚えている)。このサダト暗殺を受けて副大統領だったムバラクが大統領になったわけだが…イスラエルのラビン首相といい、中東の指導者はホントに命がけである。
余談のようになってしまうが、キューバのカストロ議長が最近「CIAは私の命を637回も狙った」としてハバナの裁判所(つまり自国の)に訴えているそうな(週刊新潮でみた)。ホントだとしたらギネスブックものであるが(笑)、この週刊誌の記事ではAP通信記者の話として「実際に行われたのは6、7回だろう」とカストロの「水増し」をあざ笑っている。しかし暗殺実行の6、7回ってのも凄いのでは…(^^; )
そもそもビザンティン帝国を征服したオスマン=トルコ帝国がギリシャから全バルカン半島を支配していた。そこから19世紀にギリシャが独立、20世紀に入ってトルコが第一次大戦に敗北すると今度はギリシャがトルコ領内へと攻め入り「ビザンティン帝国の復活」を目指した。これをケマル=パシャ(アタチュルク)が打ち破り、どうやら現在の状態で落ち着く(このへん「しりとり人物館」で書いた)。しかしその後もキプロス島問題(ギリシャ系住民とトルコ系住民の対立)などこの両国が衝突する場面はしばしばで「宿敵」などと言われることもある。トルコはEU(ヨーロッパ連合)への加盟を望んでいるのだがすでに加盟しているギリシャがこれに反発し邪魔しているとの噂もある。
さて先月このトルコで大地震が起こったのはご存じの通り。この時長年の「宿敵」であったギリシャがただちに救援活動を展開し、いわば「敵に塩を贈った」として話題になっていたのだ。まぁ深読みすると敵に恩を売っておくことで優位な位置に立とうという腹なのかもしれないが。この話題を「史点」ネタにしようかとも考えていたのだが、他のネタのためにボツにしていた。
しかし「歴史」というのは面白いもので、このネタが思わぬ「復活」を果たしてしまった。一ヶ月も経たない内に今度はギリシャのアテネで地震が起こっちゃったのである(笑…っちゃいけないんだろうけど、なんか面白いよなぁ)。被害こそトルコ地震には及ぶべくもなかったが、実際かなりの被害が出た。この地震を見てトルコ政府はギリシャ政府に「一刻も早い復旧を祈る」と伝え、トルコの非政府組織(NGO)「AKUT」もただちにアンカラのギリシャ大使館に支援を申し出た。
「宿敵」どうしの情けのかけあい。まぁ深く突っ込めばいろいろと思惑がある人もいるのだろうが、こんな事がキッカケでも相互理解が進むならそれにこしたことはない。天災は確かに悲劇だったが、思わぬ副産物を人間にもたらすことがあったりするものだ。
我ながら小ネタだと思いつつ…つい書いてしまった。これも先週書こうとして一回ボツにしたネタなんだよなぁ(ついでながら「史点」では毎週ネタ候補が10個ぐらい挙がるのです)。しかし今週は余程の「ネタ枯れ」のようで、結局今週取り上げることになってしまった次第。
中国新華社通信は5日、「台湾海峡における考古学上の重大発見」として台湾人の先祖は中国大陸から来たことが証明された、と伝えた。具体的に経緯を説明すると以下のようになる。
昨年の11月に福建省のアマチュア考古学者(いるんだな〜中国にも)が、台湾海峡から漁民が引き揚げた化石群の中なら「人類化石」を発見した。廈門大学の鑑定によると1万1千〜2万6千年前の晩期ホモサピエンス男性の右ひじの骨と判明。これを「海峡人」と名付けるよう提案しているそうである。
ポイントなのはこの海峡人が「台湾人の祖先」とされている点。もともと福建に住んでいた人間が台湾に移動したのだろうとしているのだ。何でも当時は台湾は大陸と陸続きだったから移動できたに違いない、というのだが…。
まず言ってしまうと「そりゃそうでしょう」。台湾で人間が自然発生したわけじゃなし。通説では人類はアフリカで発生して世界各地に広がっていったとされており(最近ではDNAによる研究も進んでいる)、たいていの地域の人間は「どっかよそから来た」に決まっているのだ。それもみんなホモサピエンス一種だから、せいぜい数万年前からの歴史しかないと考えられる。日本人だっておんなじです。
問題なのはこんなことを「大発見」として宣伝する新華社=中国政府の思惑だ。最近の台湾の「二国論」に対抗した政治的発表の匂いがプンプンする。新華社電は「大陸と台湾の学者は、台湾の最も早期の人類と文化の源は祖国大陸にあると考えている。『海峡人』の発見は考古学上の空白を埋めるものだ」と伝えており、その荒い鼻息が感じられる(笑)。台湾の人類と文化が「祖国大陸」から来たって言ったって、まだ「国家」も「民族」も存在してない時代の話だしなぁ。
核スパイっていうと最近アメリカで中国によるそれが騒がれているが(これは先週のネタですな)、このたびイギリスにいたソ連の核情報スパイの存在が明るみになって話題を呼んでいる。なんとその正体は現在87歳のお婆ちゃんだった!ちなみにこの話題をいくつかの報道機関のサイトで読んだが、実名報道しているところと名を伏せているところとがある。まぁここでは一応コードネームの「ホーラ」としておこう。
この「ホーラ」なる女性は1912年生まれ。1937年の25歳の時に名高いソ連の情報部KGBにスカウトされた。別に「お嬢さん、ちょっとスパイやってみない?」などと街角で声をかけるわけではない。この「ホーラ」は思想的に社会主義に共鳴して共産党に入党していたのだ(30年代当時って欧米や日本でも多かったんですよ)。彼女は第二次大戦後、イギリスの核開発プロジェクトの一部である研究機関で働き、イギリスの原子爆弾製造の過程に関わってその情報をKGBに送り続けていたんだそうだ。この情報のおかげでソ連の核兵器開発は大きく進展した部分もあるそうだ(確認してないんだけど、確かアメリカにも原爆開発関係者でソ連に情報を送った人がいたな。あくまでアメリカに核兵器を独占させないためだったような気がしたが)。
で、この人がKGBのスパイだったということをイギリス情報部は1992年になってやっと確認した。しかしスパイ活動は72年の退職時に終わっていたしもはや高齢と言うこともありいっさいおとがめなしということになっていた。ところがこのたびソ連の秘密資料を取材していた「タイムズ」や「BBC」によりこの事実が一般に知られることになったわけだ。
BBCの取材に対し彼女はスパイであったことを認め、「一般庶民を救う新システム(社会主義)を守るために正しいことをしたのだ」と堂々と答えたという。大変なポリシーあるスパイであるが、家族も周囲の人も全く気が付かず、単なる「ガーデニングの得意なお婆ちゃん」として知られていたという。ただ今は亡き夫は知っていたそうだ。反対はしたそうだが止めも訴えもしなかったという。
確かに彼女の流した情報は大きなものだ。イギリスの国益には確かに反したかも知れない。だけど直接的に被害を受けた人がいるわけでもないしなぁ(長い目で見ればいないことはないんだが、そこまで追及もできんし)。むしろ「恐怖の均衡」とはいえ東西のバランスを保つことに貢献したという見方もあるかも知れない(とりあえず今のところ核戦争は起きてないしね)。
イギリスでは一部に彼女を「40年間の反逆行為」で訴追するべきとの意見も出ているそうだが、今さらそんなことせんでも、ってのが常識的対応ってもんでしょう。