前に「イギリスのお婆ちゃんが実はKGBのスパイだった」というネタを書いた。ところがまたまた元KGBのスパイの存在がイギリスで発覚した。今度は何と元警官である。改めてKGBの活動の幅広さに感心している(笑)。
この元警官は現在64歳。なんでも1969年に汚職の疑いをかけられてモロッコに逃亡。ここでKGBの工作員の接触を受け、その協力者となったという(それにしてもKGB工作員ってホントいろんなところにいたんだな〜)。その後73年から80年にかけて世界中をまわり、西側各国の大使館の女性職員を誘惑し(!)秘密情報を聞き出すという任務を展開した。このあたり、ホントだとすると意外にスパイ活動って「007」と大差ないのかも(笑)。まぁ「007」の生みの親イアン=フラミングも本物の元イギリス諜報部員だったそうですがね。もっとも話によるとフレミングは奇抜なアイデアばっかり思いついて余り役に立たない奴だったそうだが(笑)。
で、この元警官、80年にイギリスに帰国。そもそもの発端となった汚職の罪で服役した。今は出所しておりイギリス国内には住んでいないようである。
なんでスパイ活動の過去が発覚したのかというと、前回取り上げたお婆ちゃんのケースと同じで、KGB側の内部資料がマスメディアに流れたのだ。92年にイギリスに亡命した元KGB工作員がこの内部資料をながし、この元警官の活動が明かとなった。イギリスのマスコミはこの資料をもとに他にも様々なスパイ活動の暴露を続々と行っているそうで、これからもさらなる元工作員の発覚が続きそうだ、とのこと。こうした報道は当然ながらそれを放置した(早い段階で知っていた可能性が強い)政府に向けられている。
繰り返しになるけど、驚くほどKGBの活動は幅広く、しかもかなり重要で深いところまで工作員を食い込ませていたことが分かる。以前にもイギリス情報部「MI6」にKGBへの協力者(要するに二重スパイ)がいたこともあった。ただしソ連のスパイ活動ばかりがそれだけ凄かったというわけでもない。単にソ連崩壊によって情報が出ているに過ぎないので、おそらく西側のスパイ話もそうとう闇に潜んでいるはずだ。CIAだってあっちゃこっちゃで凄い活動していたらしいからな〜。
それでもいくつか揉めている点を挙げると…
派遣される多国籍軍の主力がオーストラリア軍になるとのことで、これがインドネシアはじめ周辺諸国の反発を買った。周辺諸国にしてみればオーストラリアは「欧米系」の国である。そこらへんがどこか植民地時代を思い起こさせて反発に繋がっているような気もする。なるべく「アジアのことはアジア人で」と言いたいところだったらしいが、周辺諸国も日ごろつき合いが深いだけにイザとなるとインドネシアへの「干渉」には及び腰とのこと。近場で本格的に軍事展開できる国となるとどうしてもオーストラリアが挙がってこざるをえない。国民の反発を抑えるべくインドネシアはオーストラリアとの安全保障協定を破棄するという行動に出たが、まぁポーズだけという印象を受ける。
ところで調べていて知ったのだが、今回の多国籍軍の司令官はオーストラリア軍人のピーター・コスグローブ陸軍少将(52)である。豪陸軍第一部隊を率いる人物で、なんとベトナム戦争で功績を挙げ戦功十字勲章をいただいているとのこと(オーストラリアも参加してたんだな、あれって。この辺も反発を喰らう一因かも)。オーストラリアを主力にマレーシア・シンガポール・フィリピン・タイ・インドネシアなど東南アジア各国、さらにニュージーランド・イギリス・アメリカなど英語軍団(笑)が参加するとのこと。
オーストラリア軍の参謀総長は会見で「オーストラリア人にとって第2次世界大戦以後最も重要な軍事行動になる」とコメントしたそうだ。これに対しインドネシアのイスラム組織の指導者は多国籍軍に対するおなじみ「聖戦(ジハード)」を呼びかけているそうで、下手すると困ったことになる可能性もある。
東ティモール独立運動の指導者グスマン氏は独立後の国家を「コスタリカのように軍隊を持たない平和な国いにしたい」と語っていたそうだが…
前にドイツ大統領がポーランドの記念式典に出席した話題を書いた。その際、両国の間の橋の上で両国大統領が握手するという「演出」があったことを紹介している。「橋」ってやつは「架ける」ことによって離れた対岸同士を結びつけることからどこでも協調・和解・交流のイメージで捉えられることが多い。深読みかもしてないが、映画「戦場に架ける橋」にもそのイメージが入っていた気がする。逆に「橋のない川」なんて小説があるように橋の架からない川は不信と差別と敵意を象徴することが多い。
さて、今度の橋の話題は東欧のハンガリーとスロヴァキアが主役である。念の為書きますが、「スロヴァキア」って以前は「チェコスロヴァキア」といって「チェコ」と一体化していた国ですね。それなのに「チェコ」と省略されてしまうことに怒ったのかどうか知りませんが(笑)、東欧の改革の流れの中で分離・独立したわけ。聞くところでは両者は関東・関西ぐらいの違いしかないそうだけど(それでいてお互い相手を「田舎者」扱いするとか聞いてる)。
さて、このたびこのスロヴァキアとハンガリーの間に流れるドナウ川に以前架かっていた「マリア・バレリア橋」を再建することになったのだそうだ。この橋が破壊されたのはなんと50年前の話で、犯人はナチス・ドイツ。しかしそれ以来この橋が再建されることはなかったのである(他に橋が架かっているのかもしれんが不明)。
前回のネタにあったように「隣国同士は仲が良くない」パターンがここにもあった。第一次大戦以前「オーストリア・ハンガリー帝国」ってのがあり、スロヴァキア地方はこの帝国の支配下にあった。第一次大戦で帝国が崩壊するとチェコと共に独立を達成したが、その後も何かと揉め事が起こっていた。またこの辺りはどこの国もそうなんだけどスロヴァキア内にもハンガリー系住民が住んでおり、最近の民族主義過熱化の中で彼らに対する抑圧が起こっていたりもしたそうである。
しかしその抑圧を行った政権は去り、変わって登場した親西欧派の政権は対ハンガリー関係改善に動いた。その一環がこの半世紀ぶりの「橋復活」という次第である。両国の代表がドナウ川に浮かべた船の上で橋再建の協定に調印したとのこと。これも「演出」ですな。「善隣外交を象徴する相互理解の橋を建設したい」という意志が表明されたそうだ。大いに結構(^^)。
1991年、アルプスのチロル地方で5200年前の人間の凍結したミイラが発見されるという大事件があった。5200年前って言ったらああた、4大文明も起こっていたかどうかという時期ですぜ。この人物は「アイスマン」と名付けられ(どうでも良いことだが、「ラストエンペラー」で溥儀を演じたジョン=ローンが原始人役を演じる「アイスマン」という珍作映画があったりする)貴重な「証人」として研究が行われている。
さて、この人の体を詳細に研究していたオーストリアのL・ドルファー博士らのグループがこのたび驚くべき発表をした。この「アイスマン」には背中や足首に「入れ墨」と思われる痕跡があるそうなのだが、その模様から装飾目的とも思えず、また衣服のために見えにくい位置に置かれていることに研究グループは疑問を持った。
そこで調べてみたところ、15組ある入れ墨のうち9組が、いわゆるハリ治療の「ツボ」の付近(6mm以内)にあったことが判明した。レントゲン撮影によって「アイスマン」が足腰の関節に持病があったことが分かっていたが、なんとこれらの入れ墨は「背中の痛みに効くツボ」の付近に施されていたというのだ!
それだけではない。入れ墨を調べたところ炭で出来た顔料が見つかったという。研究グループはこれを「お灸」のように草を皮膚の上で燃やしたものと判断した。そして入れ墨は実はハリ・灸の「ツボ」の位置に印を付けたもの、あるいは治療のあとでは無いかとと考えたのである。発表した論文では「5200年前の中部ヨーロッパでこうした治療が早くも行われていたことを示している」と結んでいるそうだ。
…さて、真偽のほどはどうなんだろう。もちろんあり得ない話とは言わない。そうした「ツボ」を偶然発見することはあり得るとは思うんだけど…正直なところ僕自身はこの話にはマユツバ。この研究グループが「思いこんじゃってる」可能性を強く感じている。そもそもその「入れ墨」が「ツボ」と合致する率が完全とは言い難いし、それこそ偶然の産物に見えなくもない。それに「足腰の関節の病気」と「背中の痛み」ってのは必ずしも同じとは言えないし…。さらにそうした高度な技術が後のヨーロッパにまるで受け継がれていないのもヘンである。
この記事を読んだ後で調べたところでは、本場・中国における灸治療は戦国時代にはあったといわれ、ハリ治療は前漢中期に確立したとか出ていた。ヨーロッパへの本格的伝播は16世紀の明代からで宣教師達が媒介となったとのこと。19世紀にはヨーロッパで大流行(?)して問題になったりもしたそうだ。何事にも歴史有り、ですね。