ニュースな
1999年12月26日

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ


 ◆今週の記事

◆アジアの植民地消滅の日

 前回はパナマ運河の返還の話題を取り上げた。今回はマカオの返還の話題だ。
 さる12月20日午前零時をもって、マカオはポルトガル植民地としての歴史を終え、中華人民共和国に返還された。これでアジアにあった欧米諸国の植民地は一つ残らず消滅したわけである。その最後を飾ったのが一番最初にアジアに進出してきたポルトガルの領土だったというのが面白いところ。

 マカオは漢字で澳門と良く書かれている。しかしこれじゃどう読んだって「マカオ」になりませんよね。「マカオ」というのはもともと言ってみれば俗名みたいなもので、航海の女神「媽祖」を祭る「阿媽廟」が近くにあったことから「阿媽港」と呼ばれていたのが最初らしい。実際朱印船貿易時代の日本人はここを「天川(あまかわ)」と呼んでいた。その「あ」がどっかへ飛んじゃったのが「マカオ」ということらしい。
 16世紀に当時の明にやってきたポルトガル人は最初は公式貿易を申し込んだが、交渉決裂でつっぱねられ、密貿易の世界へと入っていく。その商売相手がまさに僕の専門である「倭寇」たちだった。そんなわけで種子島に来て鉄砲を伝えたり、日本にキリスト教をもたらしたりするようになるわけだが、実のところ最大の貿易相手国は明だったと言って良い。ポルトガル人達は日本−明間の貿易を行って莫大な利益を上げていく。このあたりも「倭寇」と行動は同じ、というか一体化してますね。それが1557年に広東の「倭寇」と思われる海寇を彼らが退治した功績が認められ、現在のマカオに居留地を持つことを許された。これがポルトガル領マカオの始まりだ。最近の報道を見ているとこの時点でポルトガルの植民地となったという表現がしばしばみられたが、それはちょっと違う。あくまで明は「居留地」「貿易拠点」として彼らにその土地に「いること」を認めたに過ぎない。必ずしも良い例えではないが、オランダ人が長崎に住んでいたのと大して変わりはない。ここがいわゆる「植民地」となったのはアヘン戦争の結果イギリスが香港を割譲されたあとでポルトガルがイギリスに習う形でここを「領土」として清に要求したのが最初である。

 しかし伝統はあるものの、どうも存在感は香港の方が圧倒的だったようで(宗主国ポルトガルの問題もあるな)、今回の返還はそれほどの騒ぎにはならなかった。マカオっていうとカジノってぐらいしか印象がないもんね。東洋のモンテカルロだのモナコだのラスベガスだの勝手に呼ばれていたっけ。このマカオのカジノすべてを支配していた「カジノ王」スタンレー=ホー氏はとりあえずカジノ経営の継続を認められたが、将来を見越して他のアジア各地にカジノを開いて経営を分散させるそうな。そのカジノ開設先の一つが北朝鮮の平壌だというのは驚き(笑)。そうそう、何を考えたか東ティモールにも進出するとのこと。

 マカオの返還式典には当然ながら江沢民主席・朱鎔基首相以下、中国首脳が参列し、国家的イベントという色彩をことさらに強調していた。そして予想通りだったのが江沢民主席の演説で台湾問題に触れたことだ。「香港、マカオでの『一国二制度』の実践は、我々が最終的に台湾問題を解決するための重要な手本となる。中国政府と人民は遠からず台湾問題を解決しえるだろう」と述べたとのことで、「次は台湾だ!」という姿勢を改めて示していた。まぁこの辺はそう簡単にはいかんでしょうけどね。強気の姿勢だけは絶対に示す場面でしょうな。
 



◆チェチェン戦火はいつ終わる?

   年越しネタその一。
 実を言えばこの「チェチェン戦争」は何度かここで取り上げようとしていた。しかしどうにも書きづらいものがあったのだ。理由の一つに情報の錯綜。ロシア自身はもとより各国のマスコミもどうも情報を正確につかめている様子がない。もう一つは情勢の展開が全く読めなかったこと。何か書いてアップしてから情勢が急変することもあり、うかつにネタに出来ないところがあった。「一区切り着いたら書いてみようかな」などと思っているうちに年越しである。そこでとりあえず年越しネタとして書いてみることにした次第(^^; )。

 そもそもこの戦争の発端はロシアからの分離・独立を主張するイスラム武装勢力によって起こされた各地でのテロ事件だった。ロシアはこれに対する報復としてチェチェンの武装勢力の一掃を決意したわけだ。いちおう「テロ組織の撲滅」という、アメリカもよく使う大義名分(口実とも言う)を唱えて起こした戦争である。ロシア軍は怒濤のようにチェチェン共和国に押し寄せ、いまどきアメリカはなかなかやらないような大規模な陸上戦を展開している。そして何だかんだ言ってるうちにチェチェンの首都・グロズヌイを包囲するに至った。ここまでにロシア兵に大量の死者が出たとかロシア軍による虐殺事件があったとか、戦争が起こると必ず出てくる話が多く報道されているが、実のところ真相はかなり闇の中。何もなかったとは思えないが、実像がよく分からないのも確かだ。
 このロシア軍の快進撃(?)に対し、各地のイスラム勢力によるチェチェン武装勢力への支援活動もみられた。イスラム教徒のいわゆる「聖戦」という構造だ。下手するとロシアにとってアフガニスタンの二の舞になる可能性もある動きだ。なんでもイギリスにあるイスラム原理主義団体「シャリア法廷」はエリツィン大統領に「死刑宣告」を出したそうである(ホメイニ師を思い出すなぁ)
 チェチェン侵攻は一方でロシア国民の絶大な支持を得た。まぁ確かに実際テロに被害にあっているわけで、その大義名分に呼応している部分もあるんだろうけど、おそらく「大国ロシア」の幻想を人々に蘇らせたという効果も大きいんだろうな。この作戦の総指揮者ともいえるプーチン首相は国民の熱狂的な支持を受け、次期大統領の最有力候補とも噂されるようになった。もっともそう呼ばれる人がここ数年で5人以上はいたと思うので油断がならないが(笑)。

 で、チェチェンの首都グロズヌイではぼちぼちロシア軍が突入し戦闘が起こっているようだ。突入前に「最後通告」なんて出したりして、今どき懐かしい古典的戦争をやっとるなぁと思っちゃう所も。悲しいことだが非戦闘員が戦闘に巻き込まれるのは避けられない情勢だ。ただロシアの行動を大目に見てきた欧米諸国(だって今度の戦争って構造的にはユーゴ空爆とあまり変わらないとも思えるぞ)も、さすがにここにきて苦言を呈するようになってきたので、ロシアもそうムチャは出来ないかも知れない。もっともこうした欧米の動きに、中国を訪問していたエリツィン大統領は「どうもロシアが核兵器を持つ大国であることを忘れているようだ」と脅し文句みたいなセリフを吐いていたっけ。
 ちなみに中国はロシアの行動を支持している。一歩間違えれば似たような事態になる火種を自国内に抱えてますからね。



◆統一の英雄に逮捕の危機?
 
 年越しネタ・パート2。
 ドイツのコール首相といえば、そのやたらに長い政権維持とそのやたらにデカい体(笑)で有名だった。僕が物心ついた頃から(ってのはちょっと大袈裟だが)サミットの常連となっていた気がする。調べてみたらなんと16年もドイツ(統一前は西ドイツ)の首相をこの人がずっと務めていたのである。ドイツの首相選考がどういう風に行われるのか知らないが、いまどき16年も一人の人物が国家のトップに立っていたというのはとにかく驚きだ(もっともインドネシアのスハルトさんみたいな独裁者は別だ)。ついでながら彼が所属する政党・キリスト教民主同盟の党首も25年にわたってつとめていた。四半世紀かよ…。
 これだけでも大したものだが、彼は歴史の大きな節目にも立ち会ってしまった。1989年にベルリンの壁が崩壊、翌1990年に第二次大戦後半世紀近くに渡って分裂していた東西ドイツは統一を実現した。この歴史的激動に際会したコール首相は、「ドイツの統一を実現した英雄」として讃えられ、実際先日おこなわれた「ベルリンの壁崩壊十周年」式典でも何か栄誉を贈られたはずだ。僕はあれをみながら「別にコールとかブッシュがなにかしたってわけでもないような気がするが」などとつぶやいていた(そんなわけで「史点」にそのネタは出なかった)。ともかくこのまま終われば、彼は「ドイツ民族の英雄」として歴史に美名を残せたかも知れない。

 ところが。ほんと人生の評価ってのは棺桶のフタを閉めてみるまで分からない(閉めても分からない人も多いが)
 1900年代も終わろうという大詰めの時になって、コール元首相に一大疑惑が持ち上がった。容疑は日本政界でもおなじみの「ヤミ献金疑惑」だ。やっぱ向こうの政治家にもあるんだな〜などと妙に安心したりして(笑)。
 なんでも湾岸戦争の直後にサウジアラビアへ装甲車を輸出するにあたって、スイスの輸出業者がキリスト教民主同盟にヤミ献金を贈ったとか。はたまた旧東ドイツの製油企業をフランスに売却するにあたっても何やらヤミ献金が動いたという。ほかにもいろいろと上がっているようだ。
 これらの疑惑報道を受けてコール元首相は会見で、献金を党の口座に入金せずに裏口座に入れ、政治献金報告から隠していたことを認めた。うん、これは確かに言い逃れしようのない典型的な裏献金ですな。いちおうコール元首相はこれを党の活動のために使ったのであって私用はしていないと弁解。あくまで「賄賂」ではないと主張している。しかし日本にも似たような設定のお話がよくあるからなぁ−。

 事件を追及しているボン地検は、とりあえず「収賄」ではなく「背任」の容疑で捜査中。ドイツでも日本と同様国会議員には「不逮捕特権」があるようで、この31日に地検はコール元首相の「不逮捕特権の停止」を連邦議会に要求するらしいとのこと。下手するとコールさん、ブタ箱行きの恐れも出てきたのだ!もっとも「逮捕」まではいかないんじゃないかという見方も多いそうで。
 



◆「史点」今年一年

 さてと。定番というか企画が貧困と言いますか(汗)。とりあえず大晦日にこれを書いているので、今年一年の「史点」を振り返ってみたいと思います。
「史点」の掲載が始まったのは1999年2月初旬。僕の手元に残っている最古のものは2月10付けのもので、確かこれが第二回だったと思われます。第一回は確か国際政治学の櫻田淳氏の文章をからかったものだったような…しかしどっかいっちゃいまして(笑)。とりあえず第二回のネタは、

「ご先祖は神聖にして…?」
「『建国記念の日』の意義って?」
「韓国で漢字使用復活!」
「ヨルダン国王の逝去!」
「中国で「日帝映画」VCDが!」

というものでした。 うーん、当時(っても一年もたってないが)はネタは5つ体制だったんですねぇ。最初の「ご先祖」ってのは映画「ムーラン」に出てくるフン族の描き方にトルコで抗議してる人がいるって話題でした。ヨルダン国王の逝去もありますね。
 では「史点」でとりあげた主な話題で今年一年の事件を振り返ってみましょうか。このコーナーはあくまで「現在進行形の歴史」「歴史に絡んだニュース」というテーマですので、あんがい大事件が載ってないこともありますのでご注意を(日付は執筆日、何度も登場した話題は複数表示)。全部のネタを挙げると大変なのであくまで気に入ったニュースを中心に選び、ジャンルを三つに分けてみました。

◎国内
◇東京都知事選で石原候補勝利(2/25、3/11、3/19、4/18)◇中村法務大臣憲法発言で辞任(3/11)◇日本海に北朝鮮の不審船出現(3/26)◇ガイドライン法成立(5/2、5/23、6/13、8/15)◇通信傍受(盗聴)法成立(5/23、6/13、8/15)◇国旗・国家法成立(5/23、6/6、6/13、8/15)◇東海村で臨界事故(10/3)◇西村防衛政務次官、雑誌発言で辞任(10/24)◇マラッカ海峡で日本船海賊に襲われる(11/15)◇H2ロケット打ち上げ失敗(11/28)

◎海外
◇ヨルダン国王死去(2/10)◇NATO、ユーゴ空爆(3/26、4/11、4/18、5/9、5/16、5/23、5/30、6/13)◇米コロラド州の高校で少年が銃乱射(4/25)◇中国で法輪功が非合法化(5/2、7/25、8/1)◇カシミール地方紛争(5/30)◇インドネシアに新政権(6/6、10/24、11/15、11/28)◇中国公認パンチェン・ラマ、チベット入り(6/27)◇北朝鮮・韓国が海上で軍事衝突(6/27)◇台湾の李登輝総統が「二国論」発言(7/18)◇世界人口が60億突破(7/25)◇モロッコ国王死去(7/25)◇イギリス貴族院、大幅削減(8/30)◇インド総選挙(9/6、10/10)◇東ティモール独立で流血(9/6、9/19、9/27)◇ムバラク・エジプト大統領暗殺未遂(9/13)◇トルコとギリシャで大地震(9/13)◇台湾で大地震(9/27)◇北朝鮮、テポドンを撃たないと表明(9/27)◇中国建国50周年(10/3)◇パキスタンでクーデター、政権奪取(10/17)◇アメリカ、国連分担金をやっと払う(11/21)◇中国のWTO加盟確実に(11/28)◇北アイルランドに両派の連合政権誕生(12/5)◇シアトルのWTO会議騒然(12/5)◇パナマ運河返還(5/9、12/19)◇マカオ返還(12/31)◇ロシア、チェチェン侵攻で泥沼化?(12/31)◇コール独元首相にヤミ献金疑惑(12/31)

◎歴史
◇登山家マロリーの遺体発見(5/9)◇張学良氏98歳で健在(5/30)◇少年のケンカに「決闘罪」適用(6/13)◇ロマノフ家名誉回復(6/13)◇アポロ11号失敗時の演説文発見(7/12)◇ケネディjr事故死(7/18)◇ダンテの遺灰発見(8/1)◇タイム誌「20世紀アジアの20人」にカラオケ発明者(8/23)◇蒋介石幻の大陸反攻計画(8/30)◇第二次大戦開始60周年(9/6)◇元KGB工作員イギリスで続々発覚(9/13、9/19)◇ゴルバチョフ夫人死去(9/27)◇ザビエルの片腕再来日(10/10)◇タンザニアの父・ニエレレ死去(10/17)◇旧約聖書は歴史的事実にあらず?(10/31)◇リンカーンのコスプレ強盗出没(11/15)◇CIA、ソ連崩壊を遅めに予測(11/21)◇天皇の家庭教師バイニング夫人死去(12/5)◇日本最古の漢字?発見(12/5)

…ふう。一年もたつといろいろありますねぇ。登場回数ダントツはNATOのユーゴ空爆。期間が長かったし情報がやたら出たせいですね。インドネシア新政権関係も多いですね。東ティモールも合わせれば相当のもの。法輪功はじめ中国ネタが多いのは僕の専門の絡みもありますね。
国内では各種法律が国会で成立したことを多く採り上げていました。意外にも(?)横山ノック氏は一度も登場しませんでした。
歴史関係の話題ではザビエル再来日(笑)が個人的には気に入ってました。リンカーンのコスプレ強盗も分からぬまま年越しですね。また20世紀の総括的企画があちこちで行われていたのも今年の特色です。

 こう書いている最中にも歴史は動いています。インディアン航空機ハイジャックはまだ進行中。チェチェン紛争は今や大詰めなのか?来年、パレスチナ新国家は無事に誕生するのか?そしてアメリカの新大統領は誰になっているのか?日本では総選挙がいつ行われることになるのか?来年も歴史の進行が気になりますね。

 で、僕自身の今年最大の事件といえば…「史点」の更新がなんとか続いていること自体ですかねぇ(笑)。ほぼ週刊更新をしちゃうとは我ながら感心してます。来年は他のコーナーももう少し頑張りたいですよね。

 では新年も「史点」をよろしく!

◆一年後のコメント
文中、最初の「史点」が見あたらないとかなんとか言ってますが、後日確認したところここで言っている「第二回」が実は第一回だったことが判明しました。僕が「第一回」と思っていた内容は「第二回」だったのですね。これだけ書いていると作者も何が何だか分からなくなっているという一例ですね。
2000年の総まとめに比べると話題が少ないような気がしますが、ユーゴ空爆など長く尾を引く事件が多かったせいもありますね。


99/12/31記

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ