ルネサンスが起こった流れ キーワード
 ルネサンスは、「文芸復興」(ぶんげいふっこう)とも呼ばれる、だいたい15世紀から16世紀にかけてのヨーロッパの芸術活動をさす。イタリア中部トスカーナ地方の町(というより都市国家)フィレンツェで誕生した。

 ルネサンスより前、中世ヨーロッパは、古代ローマ帝国があった頃の文明の力は失ったものの、キリスト教が大いに栄え、というか、国家、社会、人々の生活のすみずみまで浸透(しんとう)していた。よくいえば、キリスト教のおかげで人々はきびしい毎日にたえて一生懸命に働いたり、悪いことをしないように心がけていた。でも、ギリシャ文明や古代ローマ帝国のような、科学やキリスト教と関係しない芸術を否定し、どちらかというと人々をしばっていた。

 それでも、人々がみんな質素だったらそれでよかった。しかし、十字軍のおかげでイタリアの都市では商業が発達して、生活にゆとりが生まれるようになった。また、貿易により中東などの進んだ文化が(そのころ西洋は中東と比べ、文化は遅れていた)入るようになった。商人は大金持ちとなり、都市では立派な寺院が建てられるようになった。

 人々の生活にゆとりが生まれるのに比例して、キリスト教の司教や修道士(どちらもお坊さん)らも、ゴージャスな生活になっていった。人々の寄付金が増えていったからである。また、キリスト教自体が政治と深く関係していった。

 そうすると、生活に余裕ができていろいろと考えることができるようになった人々は、ゴージャスなお坊さんたちの話す、ぜいたくするな、とか、キリスト教と関係あることしか勉強しちゃだめだ、とかいう言葉を信じられなくなってきた。

 また、そのころの都市はだんだんと、お金持ちの有力者が仕切るようになってきた。お金持ちの有力者は自分の財布をバンバン使っても、美しい建物や美術品をつくるよう芸術家に要求するようになった。

 さらにキリスト教には、商売を行ってむちゃくちゃお金儲けするものは地獄に堕ちるというルール(?)がある。金持ちも一応信仰心はあるので、儲かってもうれしくなかった(?)。そこでいい話がお坊さんから聞かされる。「町や協会を美しく飾るために資金を出すなら、天国にいけるよ!」商人はさらに芸術家へ作品制作を要請し、芸術家は試行錯誤し、お坊さんはほくそ笑む。あれ?お坊さんはやっぱりずるくない?

 さて、芸術家はすばらしい建物や彫刻や絵を完成させようと研究を重ねる。ふとまわりを見渡すと、1000年前にゲルマン人によってこわされた、ギリシャやローマ帝国の芸術品があるではないか。 ギリシャの神様とか神殿とか、本当はキリスト教と関係ないものばかりだけれど、ひじょうに高い技術でつくられたものばかり。キリスト教という拘束(こうそく しばっていること)から離れ、芸術家は古代ローマやギリシャの失われた精神を、芸術作品によって復活させようとする。

 そして、キリスト教の教義(きょうぎ おしえ)にしばられた芸術から、科学的で実験的、かつ温故知新で創造的な文化が花開いた。この文化は古代ギリシャや古代ローマの文化を手本としていたので、ルネサンス(文芸復興)と呼ばれるようになった。

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フィレンツェ
 ローマから特急で2時間ぐらいのところにある、ルネサンス発祥の都市。
 中世より革製品で発展した町で、グッチやフェラガモの本店がある。
 近くにワインで有名な村があるので、酒はうまい、ステーキは絶品と、いうことなしの美しい都市である。

中世ヨーロッパ
 古代ローマ帝国がほろんだ後、いろいろあったんだけど、簡単に言うと進んだ文明は失われ、商業は停滞し、人々は地道に戦前の日本の小作人のような苦しい生活をしていた。救いはキリスト教だけ。一生懸命働いたら天国に行ける、という思いが生きる支えだった。

お坊さんとイタリア人
 イタリア人は批判精神があるのか、信仰心が厚いのか。複雑な人たちである。今でもローマあたりの人はゴージャスなお坊さんを見ることがある。いうまでもなく、バチカンのお坊さんたち(枢機卿とか)だ。イタリア人は彼らをブラックユーモアで批判するけれど、反面キリスト教をとっても信仰している。人間が人間である限界とおもしろさを知っている人種だと思う。

お金持ち
 
 フィレンツェの大銀行家、コジモ・デ・メディチ。彼は彫刻家ドナテッロに賃金だけでなく家も与えた。芸術を振興し、自らは表に出ず、実質的にフィレンツェを統治した。

ゲルマン人の大移動
 本当は大移動前からローマ帝国に住んでたんだけどね。
 彼らはこわし、略奪した。ベルリン陥落時のソ連軍みたいに。(ベルリン陥落時、ソ連兵は水道の蛇口にびっくりし、ひねれば水が出ると思い、蛇口だけ大量に徴収していったという。)カラカラ浴場を見に行ったらほとんど廃墟。