過去の雑記 00年 2月

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2月21日
寝て過ごす1日。

横浜キャンプは今のところ大過なく来ているようだ。主力投手陣にトラブルが目立つ中日に比べると大分調子が良い。読売包囲網計画のためには、中日にはそれなりに好調であって欲しいんだが。

2月22日
寝て過ごしたかのような1日。

週ベを眺める。例によって、読むべきところはほとんど無いが、「記録の手帳」だけは毎度ながら面白かった。横浜の通算打率と得点圏打率(多分、逆)とか、広島の満塁打率最高打者(西山の4割)とか、間違っているデータがあるのは気になるが。

2月23日
芳林堂で、芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』7巻(講談社アフタヌーンKC)を購入。中身はいつもの安心して読める『ヨコハマ』。

そろそろ締切りが近いので、SF-Onlineベストの投票ルールの細部を確認する。若干の勘違いなどもあったが概ね考えていた通りの票で良さそうだ。
しかし、このベストはルールが難しい。特に、映像関係のルールは直感では本当に把握しづらい。例えば、1年以上前にTVで放映されたセル・アニメを再編集した映画が公開されたとして、それは映画部門の投票対象になるんだろうかとか、謎な点は多々ある。日本版の条件が字幕または吹き替えなんだけど、サイレント映画はどうなるんだろう。また、セル・アニメ以外のアニメーション技法による映画は、映画部門とアニメ部門のどっちだろう。
っつーか、それ以前にセル・アニメの映画は、映画部門に投票していいんだろうか、いけないんだろうか。ビッグメジャーなアニメ映画を欠いた(ガンドレスは違うだろう、やっぱり)昨年は良いとしても、例えば映画版パトレイバーのような邦画の年度1、2位を争うような作品があった時に、アニメ映画を除いた形で映画のベストを決めることに意義があるのだろうか。アニメ映画も映画部門に投票して良いのだとしたら、それを明示せず、アニメ部門にのみ映画を含むと明記するのはミス・リーディングといえないか。
# 「プロレスの星 アステカイザー」がリメイクされたらどっちに入れればいいんだろう。
テレビ放映作品と映画という形で明確に切り分けた方がよっぽどすっきりすると思うがなあ。

とりあえず、「Pat&Mat」はアニメとして投票してみようかな。

2月24日
昨日はああ書いたが、「Pat&Mat」はどう考えてもSFでは無いな。となると、アニメ部門の投票予定は考え直さなくては。99年に見たアニメーションの中で順位をつけるなら、エイヴリー「テックス・エイヴリー/笑いのテロリスト Aプログラム」>トルンカ「手」>シュヴァンクマイエル「対話の可能性」>シュヴァンクマイエル「男のゲーム」>エイヴリー「笑いのテロリスト Bプログラム」となるのだが、どれも過去に上映/放映されたことがありそうなのが難点。じゃあ、えーと、えーと、NHK教育の「むしまるQゴールド」とか。

夕方休みに近所の古本屋に寄ると、1冊100円のコーナーに三原順『はみだしっ子』(花とゆめコミックス)が置かれていた。つい、魔が差して、そこにあった10冊を全部手に取り、レジに向う。棚には、5冊で3冊おまけ、10冊で6冊おまけとあったから、5冊+3冊+2冊で700円払えば良かろうと思い店員に本を預けると、彼は有無を言わせぬ態度でこう言った。
「10冊ありますから、6冊おまけです。選んできてください。」
「いや、別に要りません。」と言うべきなのだが、店員があまりに自信ありげに言い放つものだから、ついふらふらと6冊選びに行ってしまった、気の弱い僕である。選んだのは以下の6冊。
読まないって、こんなもん。

なんか悔しかったのでその店の2階に寄り、さらに物色。1冊100円の棚の中に『はみだしっ子』の残り3冊を見つけてしまった。……分けて置くな、分けて。
仕方が無いのでそれは買うことにして、残り5冊を選ぶ(この棚も5冊で3冊おまけなのだ)。悩んだ末、聖悠紀『超人ロック』2〜6巻(少年画報社ヒットコミックス)にしてみた。ああ、これをきっかけに『超人ロック』を集め始めてしまったらどうしよう。

2月25日
昼休みに思い切って、シュヴァンクマイエルのビデオ、『ファウスト』『ヤン・シュワンクマイエル短篇集』を購入。今そんな金はないという事実と、これを逃すと手に入らないかもという恐怖とでは、後者が圧倒的に強いのがおたくの業というものだ。それでも、DVD版もあり、向こう半年は入手が期待出来そうな『シュヴァンクマイエルの不思議な世界』は我慢しているあたり、かなり理性的だな。> おれ

自業自得な心理的問題で、むこう2週間くらいはまともな本を読めないという目処が立ったので、SF-Onlineベストに投票する。
SF長篇部門はイーガン『宇宙消失』。良質な作品が多かった99年ではあるが、作品のインパクトの面では、やはりこれがダントツだろう。小説としての作りはともかく、大ネタの壮大さと、細部のくだらなさは天下一品。主人公がえんえんダイスを振り続けるシーンだけでもSF史に残る価値がある。
ホラー/ファンタジー長篇部門は棄権。投票するほど作品を読んでいない。
SF短篇部門はイーガン「祈りの海」。読みやすさとネタの大きさが高いレベルでバランスしている。
ホラー/ファンタジー短篇部門は田中哲弥「猿駅」。書き出しからずっと読者を掴んで放さない文体の妙はもっと高く評価されるべきだろう。
第一長篇部門は藤崎慎吾『クリスタルサイレンス』。SF/ホラー/ファンタジイの第一長篇はこれ一作しか読んでいないので、どう考えても投票する権利はないのだが、どうしても票を投じておきたかったので、良心の声には耳をふさぐことにした。もちろん、欠点も多いのだが、それを上回る蛮勇がある。
コミックス部門は長谷川裕一『クロノアイズ』。他にもいくらでも対象作品はあるが、今年は「SFはセンス・オブ・ワンダー」という保守主義で行くことにしたので、こうなった。タイムパトロール物というだけでも「よくやるよ」と言われてしかるべきなのに、あまつさえ戦隊物というんだから何をかいわんや。これでこそ、SF漫画である。
ノンフィクション部門は山形浩生『新教養主義宣言』、映画部門は『DEAD OR ALIVE 犯罪者』で、アニメ、実写ドラマ、ゲームは棄権。この辺もまともな数を読んでいないので、投票権があるとは思っていない。思ってないながらも、その存在価値を高く評価している作品と、本当に衝撃を受けた作品には投票してしまっているが。トルンカの「手」が初公開なら間違いなく投票するんだけど、そんなことあるはずが無いよなあ。

宮沢章夫『牛への道』(新潮文庫)読了。この作家とは相性が悪いことを再確認。東海林さだおから下世話さを抜いて、少し新しくしたような作風なのだから、もう少し楽しめても良さそうなものなのに、また、個々のネタレベルでは楽しめたものもあったのに、全体としては退屈という印象を受けるのは相性が悪いとしか言いようが無い。世評では面白いとされるエッセイが楽しめなかったのはやや残念だが、この芸風のエッセイは山のようにあるから別にいいか。

2月26日
自業自得に対処するため気合いを入れて寝て過ごす。……なんだか。

近所の書店で、『時に架ける橋』『聖金曜日』『さむけ』『おぞけ』『宇宙生物ゾーン』『リモコン変化』『震える血』、SFマガジン 00年4月号を購入。SF/ホラーで(ほぼ)新刊文庫を7冊買って、長篇が1冊しかないというのは驚く他無い。このアンソロジーバブルは2、3年ではじけるような気がするんだけどどうだろう。

予定の作業がまったく進まないので、昨日買った『ヤン・シュワンクマイエル短篇集』から92年の「フード」を観る。3幕物のわかりやすい不条理劇。特撮がクレイアニメなので、リアリティという面ではいまひとつだが、発想の面白さは文句無い。

2月27日
「タイムレンジャー」の後半を観る。特に素晴らしいわけでは無いが、手堅くまとまっている印象がある。東映スーパー戦隊としては水準作か。ご丁寧にもオープンゲットまでしてゲッター2からゲッター1に変形するロボットと、80年代中盤のロボットアニメ的かっこよさを持つOPは気に入った。

「仮面ライダークウガ」を観る。「タイムレンジャー」の直後ということもあり、ビデオ撮影の特撮がいかに安っぽく見えるかを痛感させられた。話は一生懸命作ってあるようだが、全体に練りが足らない感がある。ドラゴンフォームに変身するまでは良いとして、その特徴を口頭で説明しちゃ駄目だろう。あれだけ尺を使ったんだから、画だけで充分という覚悟がなきゃ。練り込めばよくなりそうなだけに残念。まあ、そんな些細な部分より主人公があまりにも馬鹿っぽいのが致命傷という気もする。

かんべむさし『むさし走査線』(徳間文庫)読了。だから、そんな暇はないってーのに。
SF作家のエッセイ集としては異例なほど発想が普通。なんか作者の真面目な人柄だけが迫ってきてしまって、いたたまれない。かんべが作風から感じ取れる通りのいい人であることはわかるが、エッセイとしては並以下。

2月28日
阿刀田高『妖しいクレヨン箱』読了。小説誌からPR誌まで、様々なメディアに発表されたショートショートを集めた作品集。残念ながら出来の良い作品集とは言い難く、阿刀田の本領が短篇にあることを再確認するだけに終わった。全体に、骨組みしかが書かれていないという印象を与えるものが多く、「ショートショート」と呼ぶべき域に達していない。星のレベルを保てと言うのは過剰な期待であるにしても、眉村のレベルは保って欲しいものである。

昼休みに近所の書店で、今更ブロック編『サイコ』(祥伝社文庫)を購入。ホラー、しかもサイコホラーなのだから僕の趣味から言えば買う必要はまったく無いのだが、ワット=エヴァンズが書いているんじゃ仕方が無い。難儀なことである。

夕方休みに高田馬場芳林堂に寄る。早川の目録は見当たらなかったので悄然として社に戻る。

眉村卓『素顔の時間』(角川文庫)読了。読み始めたときにはさほど違和感を感じなかったが、初出を見て愕然。まさか80年代の作品だったとは。いや、てっきり70年代前半の作品だと思ってましたよ、ぼかあ。
中身はまあ可もなく不可も無く。SF風のこなれない用語さえ出てこなければ、古いながらもそれなりに楽しめる。なんかこう、どうにも無力間と諦念が漂うあたりは日本SFの王道ですね。ラファティ「草の日々、藁の日々」とネタがかぶっている表題作は割とお気に入り。

2月29日
アメダスだ、ATMだと朝から「グレゴリオ歴問題」にまつわるトラブルが報じられている。ひょっとしたら、正月の「Y2K」の時よりトラブルが多いかも。
この「グレゴリオ歴問題」で信じられないのは、問題が発生すると言う事実自体だ。今年問題が発生すると言うことは、「100年に一度閏年を間引く」というロジックを搭載しているはずなのだが、だったら何故「400年に一度閏年を復活させる」というロジックを搭載しなかったんだろう。その余裕が無かったという言い訳は信じられない。現存稼働中のすべてのコンピュータプログラムが1901年以降に作られたものである以上、「もっとも近い00年は閏年である」という事実は分かっていたはずなのだ。コードをケチるのなら、00年判定ロジックも搭載せず、機械的に「4で割り切れたら閏年」とした方が有利だ。これなら2099年まで対応可能なのだから、2100年問題が発生する前に何とかするだけで済む。それがエレガントでないと言うのなら、初めから完全グレゴリオ歴対応にしておくべきで、中途半端な判定ロジックのプログラムが存在すると言うのは全く持って理解不能。考えられるとすれば、「100で割り切れる」云々は知っていても、「400で割り切れる」云々は知らない半端に無知なプログラマがいたというケースだが、それが独立に多数存在するというのは……。
日本が太陽太陰暦から西暦に切り替えた時には間違いなくグレゴリオ歴を採用しているはずだから、「100」云々を知っていて「400」云々を知らないという状態は考えられないんだけどなあ。

まあ、昔、「100」云々及び「400」云々の対応ロジックは組み込んであるけど2000年問題は発生するという中途半端なコードを書いたことがあるんで、人のことは言えないが。
# 一応、読み込むデータセット自体がYYMMDDで表記されていたという言い訳はある。

付記:アメダスの方は2000年問題であって、閏年問題ではないらしい。すみません、濡れ衣でした。

そう言えば忘れていたが数日前に神林長平『言壺』(中公文庫)を買った。当然、ハードカバー版も持っているが傑作なのでまた買うのだ。少なくとも冒頭の「綺文」は神林一、二を争う傑作。これに匹敵するのは、『七胴落とし』「言葉使い師」くらいか。やはり神林には、こういった、感情移入などという甘っちょろい読み方を一切許さない切れ味の鋭い作品を書いてもらいたい。
# 『七胴落とし』には感情移入も出来るか。

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