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11月11日
京フェス参加のため京都に向かう。常磐線に、京浜東北線。東海道新幹線に地下鉄烏丸線と、どの電車もほとんどタイムラグ無しに来るという幸先の良いスタート。どんな不幸が待ち受けているのかと、悪い想像ばかりが募る不安な幕開けである。

車中で、小林泰三『奇憶』を読了。主人公のダメっぷりは見事という他無い。プライドが邪魔をして何も出来なくなり、世間からは恥知らずとしか見られない状態に落ちていく様はリアリティがありすぎ。というか自分の事を言われているようだった。
過去の記憶に縋るうちに、そこに触れてはならないものが紛れこみ、やがて人知を超えた世界と直面させられるという展開は小林ホラーの王道。現実描写と幻想描写の相性も良く文句なく楽しめた。

さらに、外間守善『沖縄の言葉と歴史』も読了。語源関係の記述は、僕にはやや専門的にすぎたが、日本語(方言)と琉球語(方言)が分離する過程など興味深いテーマも多く全体としては想像程度に面白かった。

とある待ち合わせのため、地下鉄今出川駅から銀閣寺方面まで歩く。30分で着くだろうとたかを括って歩きはじめたら35分もかかってしまい、5分遅刻。歩くたびに足が遅くなっている事を痛感するなぁ。

銀閣寺方面では、人様の書棚を見せていただいたり、慈照寺に参拝したり。もちろん、それぞれに楽しんだわけだが、最も印象に残っているのは本家、元祖、総本家と並んだ八ツ橋屋だったり。本家、元祖、総本家が一個所に固まっているのは初めて見た気が。

16時半頃、合宿会場のさわやに到着。少し遅れて到着した山田博史さん(8)と合流し、例によって例の如くくだらない話をし続ける。例え周囲の人間が辟易しようと、これがぼくの存在意義なのだからしかたが無い。

少しは他の人に挨拶したりされたり人に紹介されたりしつつも、延々喋り続けていると、いつのまにやらオープニングが始まった。例年より二時間開始が早いというのはやはり大きく、かなり閑散とした中のスタート。さまざまにさまざまなことがあったが、すでに各所で紹介が済んでいるので詳細は触れない。とりあえずの教訓は情報の流通は重要だということか。

オープニング終了後、「渚にて」鑑賞に未練を残しつつ、名大勢+大森さん、志村さんという異色の面子でビィヤントに行きカレーを食う。辛口を頼んでみたが、辛いだけではなくちゃんと味のわかるカレーだったので大いに満足。ちょっと狭いけど定番にしたいかも。

食事から戻った後は、えらく久しぶりにお会いした気がする大先輩にご挨拶。ご挨拶がてら早速並べられた古本の中から5冊ほど買わせていただく。<ドクター・フー>だの<ウィッチ・ワールド>だのは本当に読むんだろうか。> おれ

「渚にて」はもう半ば過ぎ、「若者の部屋」は参加資格なし、「SFアートの部屋」は興味なし、「折り紙の部屋」は気力なしということで、ディーラーズの片隅に座り込んで話し込んでいたら無限に時が経ってゆく。次のコマもぶっちぎり知り合いだの知人だの顔見知りだのと話をしていると、ゲリラ企画・「田中香織のなぜなにファンダム」がはじまったのでしばし見物。見物しているうちに唯一参加の意志のあった「昔話の部屋」にも不参加と相成り、結局セミナー・京フェス通算で2回目の合宿企画不参加を達成してしまった。博史さん(8)とそういうゴロの人のようなことは止めようと誓い合ったものだったんだがなあ。
なお、博史さんはちゃっかり日本特撮の部屋に参加して参加企画0を回避していた様子。この裏切り者。

さんざん話をした割には内容はあまり覚えていなかったり。えーとSFM総括とか、ゴジラの新作とか、氏飼先生の新刊とか。9日の「現実創造」の訳文に関する疑問(同色フォントによるマスク部)に対して、翻訳に使用したバージョンが違うのではという意見を頂いた。それが一番自然な推測かな。
*:古沢嘉通さんから、An Ornament to his Profession (NESFA Press,1998)所収の版(おそらく最新テキスト)では、Adamとなっているという情報を戴いた。バージョン違いという可能性が極めて高いようだ。

途中からふね屋でカレーを食べたりしながら、昨年11月から今年10月までのベストを選ぶことの難しさなどについて聞いているうちに夜は更け、夜は明けた。第一日である。

11月12日
結局ろくに寝ないまま本会に突入。いつものこととはいえ、我ながら無茶な気がしてならない。

寝不足のあまり油断して、博史さん(8)のとなりに座ってしまう。これで今年も周囲に迷惑をかけることは必定か、と思ったら隣も後ろも知り合いだったからまあいいや。どうせ、寝てれば突っ込みもできないしな。

なおも油断しているうちに本会が始まった。
1コマめは原書読みが原書の読み方について語る「海外SFレビュアー対談(or座談会)」。「短篇よりは長篇から入る」「辞書は引かない」「とにかく読んでみる」「シリーズ物の途中から読む」など、巷間よく語られている言葉が多かったが、実践者の言葉ということもあり説得力を持って伝わってきたのは好印象。加藤逸人のとばした発言(「一言語習得にかかる費用はせいぜい100万円」「原書で千冊読んできたけど日本語にしておけば三千冊は読めたかとおもうとやや後悔」など)の数々も素晴らしく、やや地味ながらも朝イチ企画としては十分に楽しめた。

2コマめは現存のプロパーSF誌編集者がSF誌の現状について語る「SF誌鼎談 −SF誌の新世紀−」。SFM、SFJapan、SFonlineのそれぞれの編集者が、各雑誌の置かれた立場、商売としての雑誌などについて語った。
SFMは40年という時の重みが最大の問題。SFの伝統、SFの中心として他の雑誌はあてにしているようだが、それがSFMの重荷になっていることも事実のようだ。ここ数年、非早川出身者の作品を積極的に掲載するなど、新たな試みを続けているが、今後も伝統は大切にしながらも新たな挑戦を続けていくということらしい。
SFJはまだ雑誌単体のコードも持ってないことからもわかるように、毎回が綱渡りとのこと。1、2回目は御祝儀購入があったとしても、次回以降はそろそろ雑誌自体の力で戦っていく必要が出てくる頃。手塚治虫特集という次号は勝負の号となりそう。SFファンだからという理由でSFAに配属されず、マンガ畑を歩んできたという大野氏の話は、内幕話満載で面白かった。デュアルの版形や紙質がどうやってきまったか(版形は新書も文庫も存在する<銀英伝>を刊行する理由付けとして文庫でも新書でもない版形が必要だったから、紙質は今後ページ数に関わらず一定の厚さにするため本毎に紙質を変える計画であるが、第1回は間に合わなかったので最も厚いものにした)とか。
SFOで話題の中心になったのはどうやってペイさせていくかとか。So-net唯一の文芸コンテンツということで存在意義はあるが、単体で商売になっていないのは否定し難いところ。短篇販売はそこそこの成果は挙げたが商売になるほどではなかった様子。短篇の新作は中断しているので商売にするのは止めてしまったのかと思っていたが、現在次の企画を練っている段階とのこと。とりあえず正月号を期待して待つべきらしい。
現状報告、どうやって商売にしていくかの後は各誌の次の展開の話。それぞれに興味深い話があった中、最も驚いたのはSFM/早川の展開。それを全部やるのはどう考えても無理だろうという企画数が上がっていたので、早川ファンは眉に唾をつけつつ期待して待とう。

3コマめは目玉企画「ロバート・J・ソウヤーインタビュー」。ゆっくりとした口調で、ユーモアを交えながらも熱心に自身の創作スタイルについて語るソウヤーからは良い人のオーラが溢れまくっていた。この毒の無さが、ファン受けはしてもマニア受けしない理由なんだろう。まあ、前者に受ける方が幸せなことではある。

以上の3コマで20世紀最後の京フェスは終了。軸がしっかりしていたことが功を奏したか、例年になく盛り上がっていたという印象を受けた。合宿企画に一つも参加せず、本会企画も睡魔と闘いながら聴いていた僕ですらそう思ったのだから、真面目に参加した方はより深く好印象を抱いたのではないか。2001年20回目の京フェスも期待したい。

終了後、名古屋で一泊するため在来線に乗り込む。11月の日曜夜の新幹線なんて座れるわけが無いと脅された上での選択だったのだが、けっきょく指定席はかなり空いていたり。こんなことなら、新幹線で帰ればとも思ったが、いまさら言ってもやむなきこと。気持ちを切り替え、ひたすら博史さんと話を続ける。TORIさん、加藤さん、お疲れのところ間近で騒いでしまい申し訳ありませんでした。

11月13日
さまざまな事実が重なった末に名古屋に泊まることになったので、勢いで名古屋観光をして過ごす。人の案内をしていたのだが、熱田神宮、大須、名古屋城とまわるうち、すっかり自分が観光していたのは我ながら情けない。名城線沿線なんてホームグランドにもほどがある地域を回ったっていうのに。

定休日の確認をしそこなったなど幾つかの失敗はあったが、ぼくは概ね楽しかったからそれはそれで良いことにする。ああ、ただ無駄足を踏ませる形となった野呂(17)や平田(18)には悪かったかも。大森英司さんにも無駄足を踏ませたが、定休日の確認を怠ったのは彼も同じなので自業自得だ(笑)。

11月14日
会社帰りのバスに30秒差で乗り遅れた。他の客がいなかったのだからノータイムで通過するのも仕方が無いとは思うが、バックミラーには映るタイミングだったのだから止ってくれてもいいだろう。ぶつぶつ……。

そら、都会のバスならよくあること。この程度で文句は言わないが、筑波のバスは1時間に2本なのだ。小雨のそぼ降る中、バス停に佇む30分は、人生のなんたるかについて考えさせられる貴重な時間だった。

やがて次のバスが到着。気を取り直してそのバスに乗り、荒川沖駅に向かう。バスを降りてから走ることしばし。30秒差で常磐線に乗り遅れた。

コノウラミハラサデオクベキカ。

11月15日
石黒達昌『人喰い病』(ハルキ文庫)読了。稀に見る傑作。「低体温症」の症例とその研究過程を冷静に描写しながら一つの愛を浮かび上がらせる「雪女」。体表に発した湿疹が驚くべき速さで全身を覆い、生きながら崩れゆく恐怖の病の正体を、二人の医師が解き明かしていく過程を経過報告の形で描く「人喰い病」。山中で遭難した研究者が、極限状態の中、そこで発見した珍奇な生物を観察し続ける「水蛇」。どこに逃げても追ってくる蜂にまとわりつかれた「私」の感じる恐怖を淡々と描き出す「蜂」。いずれも驚くべき抑制心で派手さを排除しながら、未知のもの、異質なものの姿を描き出している。真の意味でサイエンス・フィクションと呼ぶにふさわしい、これぞ理系SFの神髄。

どれをとっても素晴らしいが、敢えてベストを挙げるなら表題作か。「「医者が病気を診断する過程は推理小説だ」という考えを形にしてみたかった」という作者の意図は、十全に達成されている。万難を排して読むべし。

11月16日
アル・サラントニオ編『999 狂犬の夏』(創元推理文庫)読了。3分冊の3冊の中では一番退屈。収録の長篇(ブラッティ「別天地館」)に切れがないのが問題だろう。仕掛けが身上なのだから、もっと速いテンポで読者に考える間を与えずに進めなくては効果も半減以下だ。無駄なエピソードを大幅に削って中篇にしていればまだ何とか。……ならないか、この程度の仕掛けじゃ。

本全体としては、さすがに箸にも棒にも引っかからないというほどではなく、リゴッティ「影と闇」のような不気味な雰囲気を湛えた作品や、モンテルオーニ「リハーサル」のような陳腐ながらも見事に泣かせる良い話もある。しかし、前二巻に比べてレベルが落ちるのは確か。表題作を前巻に回して、切れの良い短篇を二、三本持ってきていれば少しは印象が違っただろうに。

11月17日
縁あって「TOY STORY」を見たり見なかったりする。しまったこんなに面白かったのか。

とあるところの記事では触れない予定のこと。SFMに連載されている牧野修の「傀儡后」。意外と言及されていないが、毎回イラストレイターが代わっている。学園耽美物の第1回は小菅久実、ユーモラスな探偵物の第2回はおがわさとし、サスペンス小説の第3回は佐治嘉隆。これで最終回が、横山えいじや唐沢なをきだったら爆笑なんだが。

11月18日
諸般の事情で早朝就寝になったのに、昼前には起きだして活動をはじめる。この一週間、とった睡眠は20時間に達してないような。「心配するな、ダイエットも兼ねた」という奴だな。< 順番が違います

本格的な冬に向け、ついにエアコンを購入。6万円のお買い物で6000円分のクーポン券が付いてくるというのは豪気だ。思わず4年ぶりに靴を買ってしまったことである。

買い物の途中、Yellow Submarineを見つけ驚く。模型とカード中心で、ウォーシミュレーション派には無用の店ではあったが、あるというのは大事なことだ。まめにドイツゲーを買っていれば、いつかはAvalon HillやSPIの絶版ゲームが並ぶ店に進化するかもしれないし。< しません

近所の書店で、ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミンUp!』26巻(少年サンデーコミックス)と田沼雄一郎『G街奇譚』(ホットミルクコミックス)を購入。『G街奇譚』は美少女漫画版『夢幻紳士 怪奇篇』『夢幻紳士』の方が遥かにエロティックというんじゃ、成人コミックマークが泣いてるぜ。

夕方からユタ。今日の参加者は久世信、林、茅原友貴福井健太、藤元直樹、山本和人SF人妻、添野知生、高橋良平(きっと入店順、敬称略)。話題はインタビュージン、SF受容史、SF-online京フェス細井威男、Who's Who '89、ゾッキ流通、すでに完成している映画、ドラフト、藤子不二雄など。ここで買っていけば絶対に受けが取れるという悪魔の囁きに負けて買ってしまった「i-doloid」(この辺参照)は予想通り受けていた。Ameqリストにこれが載る日が来るかと思うと曰く言い難いものが。

帰宅途中で「i-doloid」を眺める。石川英輔とダッチワイフメイカーのオリエント工業社長、土屋日出夫の対談が面白かった。オーダーメイドで希望の顔のダッチワイフを作るとか、アニメ調にデフォルメしたダッチワイフとか。世の中、どんな世界も奥は際限無く深いらしい。

11月19日
昼過ぎに起きだして東洋大の学祭を見物に行く。行ったは良いが、SF研ブースの片隅に張り付いて人の仕事を邪魔し続けるのはまずいのではないかとやや反省。

1,800円の元を取るため持って行った「i-doloid」は狙った層にちゃんと受けていた。しかし、なんで大学出てから四年も経って、学生時代と同じような行動をしているんだろう。> おれ

古本市で謎の本を数冊買った後、なんとなくその場に居続けたら、社交辞令として飲み会に誘っていただけたので昨年に引き続きあつかましく参加する。あまつさえ、今年は翌日が休みだからって二次会、三次会にすら参加だ。もう少し節度というもんがあってという言葉がどこからか聞こえてきたが、気にしない。

まるでOBのように傍若無人に振る舞った末、お邪魔していた下宿を辞去したのは6時頃。いやもう本当にご迷惑をかけた皆様、申し訳ありませんでした&ありがとうございました。もしお許し願えるなら、また次のゴジラで。

11月20日
訂正とかなんとか二題。

11月4日付大森日記で指摘されたのは、11月4日付の当雑記に記述されたエステルハージィ・ラヨシュという名前は、メシュテルハージ・ラヨシュの間違いではないかという点。これについては大森掲示板に書いたとおりだが、誤解を招きかねないのは事実なので当日の記述に若干の注釈を入れた。
# もちろん、名前を間違えるどころかファーストネームとファミリーネームの取り違えすらしてしまったエンゲルベルト・エステルハージィ博士には謹んでお詫び申し上げる。

とりあえず、ラファティの11月6日付更新記録で気づいたのは「恐るべき子供たち」の原題のミス。当該記述によれば、雑誌初出時のタイトルは"Enfants Terribles"となっており、訳出時の表記(HMM'71/9)も"Enfants Terribles"となっているのだとか。初出誌EQMM '71/6は手元にないので確認できていないが、HMM'71/9については確認した。Drummリストや後の改訂版で確認したところでも"Enfants Terribles"となっている。Altavistaで検索した結果、R. A. Lafferty + "Enfants Terribles"でHit数0、+ "Enfant Terrible"はHit数3となった点は若干気になるが、紙ベースの情報がすべて"Enfants Terribles"であるという事実をより重く見るべきだろう。今回は、HMM'71/9に準じて"Enfants Terribles"と修正し、今後可能な限り情報をフォローすることとしたい。

ついでに京フェスの思い出の中に埋もれそうなネタはここ9日に展開した「現実創造」の翻訳の違いについての話ですね。

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