過去の雑記 00年11月上

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11月 1日
新しいドコモのフェアCMはかなりいい感じ。スーパージェッターが流星号を呼ぶシーンから始まり、ウルトラセブン、サンダーバード、サイボーグ009のそれぞれから携帯通信端末を使うシーンをピックアップ。「携帯はかっこいい」というイメージを強調している。NTTに比べると遥かにセンスがいいな、ドコモ。
でも、どれもトランシーバーであって電話じゃないんじゃ。

先日、あんなことを書いたばかりだというのに進藤がトレード対象になってしまった。相手は同じ内野のユーティリティで強打の右打者、BW小川。どう考えても、新庄と進藤の取り違えを避けるためのトレードとしか思えない。球団の新庄獲得準備は着々と進んでいるようだ。

二日遅れでベストナインの結果を知る。セントラルぶっちぎりの優勝球団、読売からは3人。若干少ないような気もするが、読売の優勝の本質は投手力の卓越にあると考えればそんなに驚いた話でもないのか。セントラルのメンバーは、全体に実に真っ当なラインナップなんで、特にコメントすべきところはない。強いて言えば三塁で金城という選択肢が有り得たくらいだが、首位打者である事よりは、そのポジションをほぼシーズン通して守った事の方が重要だろう。
パシフィックに目を転じると、こちらも優勝球団福岡ダイエーからは3人どまり。パシフィックのペナントが終盤までもつれたことからしてもこれはまあ順当な人数だろう。オリンピックで一月いなかった選手だの、故障で一月いなかった選手だのが選ばれてしまう点が気になるが、松坂以外は納得の活躍をしているので仕方が無い。
選手をベストナインに送り込めなかったチームは中日と千葉ロッテ。サンデー小野も後半もう少しがんばって最多勝を取っていれば松坂には勝てただろうに。最多勝を取ったにも関わらずバンチをベストナインに送り込めない中日のスター不在は割と深刻かも。例年なら立浪は取れてもおかしくなかったけど相手がローズじゃね。ローズがいなくなる(はず)の来年以降が勝負か。
# 立浪と仁志が争うベストナインってのもどうよ。

11月 2日
進藤←→小川のトレードは、進藤・新井・戸叶←→小川・杉本友・前田のトレードに発展。進藤と小川が等価(小川の方が先は短いが進藤の故障の多さを考え合わせれば大差あるまい)、新井の価値が0と考えると、実質、戸叶←→杉本友・前田のトレードと同等となる。それでいいのか、ブルーウェーブ。

11月 3日
中野武蔵野ホールで先々週のリターンマッチ。再度、チェコアニメ2000のFプログラムを見る。体調管理に気を使っただけのことはあり、今回はほとんど眠らずに済んだ。それでも寝てしまった作品はそれまでの作品なんだきっと。

 メルグロヴァー「ジェネシス」は、コインを入れると人間を作りはじめる不思議な機械を描く小品。シュールな状況を楽しむにも、機械の複雑さを楽しむにも、動きそれ自体を楽しむにも中途半端という印象。退屈する程ではないが、わざわざ見るほどの価値はない。
 レンチ「灯台守」は、船上の男に復讐するため船を座礁させようとする人魚と、船を座礁から守ろうとする灯台守の戦いをユーモラスに描く。木の掘り跡をわざと残した鄙びた人形の造形が、民話調の物語と良くマッチしている。灯台の設備の能天気さや、人魚のいたずらの悪辣さなど細部も良く描けていて楽しめた。
 ポヤル「ロマンス」は、車を乗り換えるように男を乗り換えて行った女が痛烈なしっぺ返しを食らうまでを、軽快なリズムにのせてテンポ良く見せるセンスの良いコメディ。このわかりやすいストーリーを持つ作品の冒頭が、なぜ、帽子箱から出てきた人体パーツが自分を組み立てるシーンになってしまうのかというあたりがよくわからない。チェコ人のセンスって一体。ああ、でもそのシュールなシーンも含めて小気味良くまとまっているのだから文句はない。人形アニメではなくレリーフ人形だが、スピード感のある演出には、ポヤルの美点がよく出ていた。
 ポヤル「雄弁家」は、聴衆の心をつかもうと空回りする努力を続ける男をコミカルに描いた小品。確かにユーモラスではあるが、やや冗長。人形アニメよりは、線画アニメに向いた題材かも。イラーネクが7割の時間で作っていたら面白かったかな。
 トルンカ「情熱」は、スピードに魅せられた男の熱い生き様を描く短編。男が事故るたびに、「Konec」(「終」)としつこく表示する繰り返しギャグがツボにはまりました。ラス前の大事故の後なんて、「Konec」「Fin」「The End」「Fine」「Ende!」と続くしつこさ。ギャグの基本は繰り返しだね。
 トルンカ「電子頭脳おばあちゃん」は、優しい祖母の元を離れ、冷たい機械に埋め尽くされた家に行くことになった少女の不安を丹念に描く中篇。「優しく人間的な祖母の部屋と、人間性の感じられない「機械の祖母」の部屋の対比から科学万能主義に警鐘を鳴らす」という見方をしてしまうと陳腐極まりなくなるが、テーマなんてくだらない部分は重要ではないので安心していい。ラスト、不安から解放されて安心しきった少女が、突然はっとしてあとずさる、信じていたものに裏切られる恐怖の表情、その一瞬の表情を描くためだけにこの作品はある。毬を抱えながら不安に怯える少女の演技は完璧で、さすがトルンカとでもいう他はない。これぞまさに「指の先まで気を使った」演技というべきだろう。再度見に来た甲斐があった。

映画終了後、今度は渋谷に移動。三省堂に寄って茅原日記で褒められていたエドワード・ゴーリー『ギャシュリークラムのちびっ子たち または遠出のあとで』(河出書房新社)を手に取ってみたり。これ、柴田元幸・訳ではないですか。なぜ、そういう大事な事を書かないか。> 当該日記(11/7 初登場時に記載されてました。疑って申し訳ない)
原文は、2句づつ(AとB、CとDなど)が脚韻を踏む形式で、当然訳文でもそれを踏襲しているのだが、短い詩だけに訳者の苦労の跡が見受けられて興味深い。「らっかし」と「あっし」で脚韻を踏んでると言い張るのは無理があるのでは。ああ、もちろん柴田訳なので全体の出来には文句ないです。

その後、大熊、小菅、蔭山、田中の東洋大勢と合流し、東京ファンタのクロージング作品、「2001年宇宙の旅」を見る。前半、こんなにちゃんと説明しているとは思わなかった。HALの叛乱までは本当に徹頭徹尾論理的な作りなので、その分「木星、そして無限の彼方」以降のわからなさが目立つ。うーむ、何度見ても恒星間サイケのシーンは冗長に思えるなぁ。
初めてスクリーンで見る映像は60年代末のものとは信じられない美しさ。特に、頻出する「白」の美しさは特筆すべきもの。やはりスクリーンとブラウン管では印象が全然違うね。

クロージング終了後、飲みながら、「オールナイトでやっている映画を見にいこう」と言ってみたら、驚いた事に賛同者がいた。みんな、もう少し大人になったらどうか。

そんなわけで東急文化会館に戻り、「グリーン・デスティニー」を見る。もうどうしようもなくチャン・ツィイーだけの映画。彼女とミシェル・ヨーの二度の対決さえあれば後のシーンはいらない。もっとがんばれチョウ・ユンファ。

映画が終わると誰も帰れない時間になっていたので、皆で朝まで飲む。いい気になってスピリッツベースの酒ばかり飲んでいたら飲みすぎ、帰りの山手線で二周して、来年数えで30という事実を再確認したというのは、秘密だ。

11月 4日
夕方からユタ。今日の参加者は小浜徹也、三村美衣、志村弘之、林、久世信、茅原友貴、柳下毅一郎、高橋良平、福井健太、大森望、添野知生(おそらく登場順、敬称略)。

前回に続いて、今回も話題を攫ったのは髪の色。前回はみな衝撃のあまり凍りついただけだったが、今回は自分もやってみようかと言い出す人続出。SF業界人の間に一大染髪ブームが巻き起こるのか、要注目だ。

また洋行帰りの三村美衣さんによるフランスSF事情も大きな話題。フランスでは、今、グレッグ・イーガンがブレイク中らしい。フランス語版の「祈りの海」も見せていただいたが、主人公兄弟の名前以外、何もわからなかったよ。

他では、青少年SFファン活動小史の読み方とか、昔のWORKBOOKの話とか、エステルハージィ・ラヨシュ(*) とギョルゲ・ササルマンとカルルハインツ・シュタインミュラーとか。
*:デイヴィッドスンの話題から出てきたエンゲルベルト・エステルハージィ博士とSFMに作品が掲載されたメシュテルハージ・ラヨシュが混ざっている(00/11/20記)。
河出のアンソロジー『星ねずみ』も当然話題になってました。今の若者(22〜23)だと、収録作のうち「万華鏡」くらいしか知らないというのは驚きかも。「鎮魂歌」や「AL76号失踪す」は基本じゃないのか。作家名ではテンとハーネスが知られてなくて、続くのがムーアと(なんと)スタージョン。そんなもんかぁ。そんなもんかもしれんなぁ。
# サンプル数2の調査にどんな意味があるというのか。

SFM11月号を読了。感想はまた後日。

さらに倉阪鬼一郎『文字禍の館』を読了。大爆笑。「奇抜な手法を駆使して“文字そのものの恐怖”に挑戦した驚天動地の奇想小説!」という煽りは伊達じゃない。「恐い文字ってあるよね」なんて雑談ネタで、中篇一本をでっちあげるとは。恐るべし、倉阪鬼一郎。

縁あって夜中に「VISITOR」を見る。人物デザインと動きの凄さになんぼなんでもと思いはしたが、ぼーっと見ていると割と面白い。組織外の個人が、それぞれの技術を生かして難事件に立ち向かうという展開は無条件に燃えるね。突然クラークに言及してしまう無駄にSFな雰囲気も含め、意外な拾い物だった。
# でも、100年後に『神の鉄槌』は残ってないと思うがなあ。

11月 5日
夕方から近所の書店(←おい)でいろいろと調べもの。ナサニエル・ホーソーンの「ハイデッガー博士の実験」という短編を探していたのだが、残念ながら見つからず。誰か、ストーリーだけでも教えてくださる人はいませんか。
# 南雲堂から出ている作品集に収録されている事は知っているが、値段が、その……。

と思ったら、ここに原典があった。目的の単語だけ追った印象では探していたものらしい。さて、次はアヴラム・デイヴィッドスンとH・D・ソローか。

11月 6日
起きて会社に行って帰ってきて寝ただけのような一日。

『星ねずみ』から「星ねずみ」「時の矢」を読む。「ブラウンはまだともかく、クラークがこれかい」という印象を新たにしたり。アンソロジー全体のメリハリという意味はあるかもしらんけどもう少し何とか。と思いはしたものの、いざ代案となると浮かばない。「「エラー」の方が好き」ってのは本当に好きというだけでしかないしなぁ。そらまぁ「太陽系最後の日」という切り札はあるけど、ここでそんなもんが読めてもうれしかないし。うーむ。「ミミズ天使」「闘技場」「エタオイン・シュルドゥ」といった明らかに格上の作品があるブラウンの方がかわいそうなのか。そうかも。

ああ、今気づいたんですが、この本のラインナップ、1940年(「鎮魂歌」)から50年(「時の矢」など)までなんですね。て、ことは、19X0年の作品は二回登場するチャンスがあるのか。

11月 7日
『星ねずみ』のつづきは、「AL76号失踪す」から「美女ありき」まで。序盤流していたのが、「万華鏡」でギアチェンジし、「鎮魂歌」「美女ありき」でトップスピードに入ったという印象。おお、ブラウン、クラーク、アシモフが捨て石になった事が効果を挙げている。しかし、むしろ活動の本領は50年代以降であるクラークや、語るべき作品は『わたしはロボット』『ファウンデーション』の2冊に入っているんで取りあげる意味の薄いアシモフはともかく、ブラウンはやはりかわいそう。「星ねずみ」が悪いわけじゃないんだけど、少なくともベストでは無いし。

なお、ここまでは全部再読なのだが、驚くべき事に内容を忘れかけている作品があった。「美女ありき」「おやすみ、ソフィア」がなんで混ざるか。> おれ

11月 8日
『星ねずみ』はちょっと停滞して「生きている家」のみ。半分くらい進むまで読んでいたという事を確信できないとは。星新一のショートショートなら、8割はどの作品集収録かわかる(注:もちろん今はそんなこた出来ません)と豪語していた頃が懐かしいね。
別荘建設予定地に忽然と現れた謎の家に振り回される話。楽しくはあるが、テンの野暮ったい社会風刺が出てないのはマイナス材料か。ラストに向けてパワーを溜めている部分なんで、そんなもんかも。「読んで楽しい」という水準は保っているので充分でしょう。

11月 9日
『星ねずみ』読了。予想通りというか期待通りというか、テン、ヴァン・ヴォクトとやや低調で、ハミルトンあたりから再度調子が上がり、スタージョン、ハーネスで高みに達する理想の配列。「底」といっても「読んで楽しい」はクリアしているんだから、入門用アンソロジーとしては水準以上でしょう。問題点があるとしたら、河出文庫のイメージと入門という言葉のイメージが重ならない事くらい(笑)かと。

ヴォクトからの4作は驚くべき事に初読だったり。SFM400号に再録された「現実創造」はともかく、他は年齢からして仕方が無いよね、という言い訳は、すべて収録書/雑誌を持っているという事実の前には効果をなさないのであった。

ヴォクト「消されし時を求めて」は、オチ自体はありがちな話。それが、こういう設定になってしまうあたりがヴォクトの凄さか。

ハミルトン「ベムがいっぱい」は、メタ・スペースオペラ(わりと本当)。ありがちといえばありがちだが、「1942年に」「ハミルトンが」書いたという事実が作品の価値を数倍している。バロウズ(E.R.)は書かない/書けないだろう。ああ、ただ、ちょっとマニア受けなんで、他の収録作とのバランスは微妙かも。「そう言えば子供の頃は<レンズマン>とか読んでたよ」と言いながら、20年ぶりに帯にSFと書いてある本を手に取った人向け。

スタージョン「昨日は月曜日だった」は、SFの王道、現実崩壊もの。常に現実に根差し自分を失わない男を主人公にして、ここまで哀感を漂わせるとは。

ハーネス「現実創造」はラストの直前まではすばらしい奇想SF。確かに、明らかに間違っている記述はあるが、そんな些細な事は素晴らしい奇想の前ではどうでもいいのだ。ただ、このオチはちょっとどうか。「窮極の現実」をめぐる物語なんだから、このオチも当然の帰結と言わば言えるが、それにしても。

で。ふと思い立ってSFM400号を引っ張り出し、中上守・訳「現実創造」と見比べてみて大驚愕。こんなに違うのか。訳のこなれ具合云々というところももちろん違うんだけど、主人公の名前が違うというのは。(以下ネタバラシに付き同色フォント)中上訳ではアドリアンとなっている主人公のファーストネームが、中村訳ではアダムになっている。これ、オチのわかりやすさが完全に違ってくる大変な変更なんだな。現物を確認してないので断言出来ないけど、原典に忠実なのは中上訳の方なんだろう。ただ、日本人相手にオチの伏線を張るには、中村訳くらいの改変をする必要があるというのも納得できる。「忠実な訳とはなにか」ってのは難しいなあ。
# で、原典にAdamって書いてあったらどうしよう。
古沢嘉通さんから頂いた情報によると、本当に最新版はAdamとなっているらしい。中村融様、失礼な疑いをかけて申し訳ありませんでした。(11月21日記)


11月10日
「SFハイパーリンク」第4回を読む。そうかぁ、「星ねずみ」は人気だったのかぁ。
「そこにある意味」は説明されてわかった気もするが、『天使と宇宙船』で海外SFの洗礼を受けた人間としてはやはり哀しさが。ブラウンはもっとヒネた作家なんだよぉぉぉ。「星ねずみ」で、彼の職人芸に感心した若者は、ぜひ単独作品集にも手を出して欲しいことである。

『アメリカの奇妙な話1 巨人ポール・バニヤン』(ちくま文庫)読了。都市伝説に、チャールズ・フォートもの、動物の伝説に、トール・テール、おまけに英雄譚まで入るという構成は、何がなんだか分からない。どうも、まとまりにも奔放さにも欠ける作りで、イマイチ感が強いが、狩猟と釣りの項は、大法螺が人から人に伝わるうちに尾鰭を増やしていく様子が活写されていて面白かった。

山之口洋『0番目の男』(祥伝社文庫)も読了。テーマ性が強すぎるのは近未来SFの悪弊として納得できるが、オチが甘すぎるのはいただけない。テーマの展開の仕方はまあまあだっただけにもったいない。せめて倍のページ数にした方が、あるいは1シーンを切り出して中篇サイズに伸ばした方が面白かったのでは。

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