過去の雑記 99年12月

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12月11日
大熊君に借りた『カムナビ』他1冊を次の人に回すため、みんなで「ゴジラ2000」を見に行く。文の前半と後半が対応していないように思う方もあるだろうが、事実なので仕方が無い。

まずは中野武蔵野ホールに行き、「デッド・オア・アライヴ」を見る。アップテンポの音楽に乗って派手なアクションが展開される冒頭から、ラストにいたるまで、ほとんど手抜きの無い素晴らしい作品。なるほど、大森望が見てキネ旬ベスト10の一位にするためにある映画とは言い得て妙である。

「デッド・オア・アライヴ」を見た感動も覚めやらぬまま池袋に移動して、東洋大現役組他と合流し、「ゴジラ2000」を見る。……すげえ。「デッド・オア・アライヴ」を見終わった時点には、この衝撃力の前にはどんな映画も平板に見えてしまうのでは、と危惧していたのだが、そんな心配など一気に吹き飛ばす破壊力のある映画だった。過去のゴジラ映画で最凶という評価は伊達ではなかったらしい。いきなり見るものの心を(ある意味で)奪う冒頭から、疲労困憊した観客に止めを刺す衝撃のラストまで、それはもう究極の作り。春先に公開され話題を呼んだ某アニメ映画に優るとも劣らない。
映画終了後は居酒屋で「ゴジラ2000」談義。結局、一度店を変えての午前5時まで話が持ったというだけでも、「ゴジラ2000」の恐ろしさは分かって頂けると思う。見るべき作品かどうかはともかく、伝説として残る価値「は」ある。

12月12日
先日の「ヤングアダルト」という呼び方の登場時期問題について、その道の専門家、三村美衣先生からメールを戴く。内容は、 などが主なところかな。つまりは88年11月時点では、ヤングアダルトという言葉を角川/富士見的なる物に適用する例は、皆無ではないかもしれないがSFファンダムの内側では一般的とは言い難い(と思われる)状態だったらしい。となると名大でジャンル名称としてヤングアダルトを使っていたというのはかなり不思議な事となる。当時を知る諸先輩方で、ここをご覧になっている方があれば、ぜひ、この辺の事を教えて頂きたい。
また、情報源としてニフティのSFフォーラムがあるというご示唆も戴いた。が、僕はニフティは読めないのだな。誰か代わりに掘ってくれる人希望(笑)。その際、ついでにライトノベルも掘っていただけるとありがたいです。

12月13日
ほぼ2ヶ月という時を費やし、やっとのことでピンチョン『重力の虹』(国書刊行会)を一応読了。一応というのは、この本を「ちゃんと」読み終えたという自信が微塵も湧いてこないから。特に終盤、ドラッグによる幻想が頻出する部分などは、本当に目を通したというだけに近い。メインのストーリーは最低限追えたと思うし、断片的なシーンの有機的な結合により物語を多重化する技法や、過剰なまでの蘊蓄を詰め込む事の意味などはそれなりに分かるのだが、その圧倒的な量の前に完全に敗北してしまった事である。やはり、これだけの大作を相手にするのだからまとまった時間を確保し、ちゃんとメモを取りながら読むという「真面目な」読書法をする必要があったのだろう。

「そんなにまでして読む価値があるのか」と問われたら、「そうやって読んでみないとわからない」と答えるほかないが。

12月14日
新大森掲示板の野呂の書き込みを見て、ふと思い出した。

大森日記に以下のような記述がある。
面白かったのは、名大SF研の(たぶん)現役の学生の発言。いわく、ミルクソフトのバックナンバーをひっくりかえして検討してみたところ、以下のような傾向がわかった。書評で一方的に攻撃される作家が時代とともに変遷している。初期には火浦功、つづいて田中芳樹が槍玉に上がり、現在はそれがあかほりさとるになっている。攻撃する論調はほぼ同じで、「現役の若手会員のあいだで人気のある作家を先輩会員が叩く」という構図も共通。田中芳樹を擁護していた世代の学年が上がると、今度は下の世代にウケている作家(あかほりさとるとか)を叩きはじめる……と。
彼の発言は明らかな事実誤認を含んでいる。「田中芳樹を擁護していた層」なるものは存在しないのだ。田中芳樹擁護派というと、加沢さん(4)、鵜飼さん(7)、堀川(12)などが考えられるところだが世代的にバラバラでまとまった層をなしていない。また、いま挙げた3人は少なくともMILK SOFT誌上で「あかほり否定」をしていない。
# 加沢さん、鵜飼さんは作家としてのあかほりさとるがメジャーになる頃にはMILK SOFTに原稿を寄せなくなっている。堀川は、日常の発言レベルでは田中芳樹擁護派でかつあかほり否定派だが、彼の世代だと田中芳樹否定派の先輩が(個々人の好悪のレベル以外で)存在しない。

「あかほり否定」の急先鋒は明らかに僕だが、僕は田中芳樹を擁護した記憶はないし、自分の好きな作家を先輩に叩かれた記憶も無い。
# ラファティがわからないという先輩はいたが、それはその先輩の問題であって僕の問題ではない。
実際にあったのは、「火浦」「田中芳樹」「あかほり」それぞれに否定する人がいる時期があったことだけだ。最近のMILK SOFTの誌面などからすると「あかほり批判」に抑圧を感じた会員がいたことは事実かもしれないわけだが、さらに下を叩くという事象がおきていない以上、論を補強する材料とは言えない。論全体としてはありえそうな話ではあるが、途中の論証が甘すぎて信頼するには足りませんな。40点。> 当該発言者

「スニーカー/ファンタジア的なる物がヤングアダルトと呼ばれ始めたのはいつか」問題(略して「YAの起源」問題)は地道に調査開始。本格調査は年明けかな。

12月15日
突然、先日の映画鑑賞会森太郎さんが「三村美衣なんか怖くない」というようなことを口走っていた事を思い出す。どのような状況で語られた言葉だったかは失念したが、都合、2度ほど「三村美衣なんか怖くない」という意味の発言をしていたのは確かなはずだ。
そういえば思い出したが、「三村美衣や安富花景は邪悪ではない、凶悪だ」という森さんの発言もあった。こちらもどのような文脈だったかは忘れてしまったが。
僕は、公の場で密告するような事は好きではないので、本来なら胸のうちに留めておくような事なのだが、どうも森さん自身が「雑記に書いてくれ」というような事をおっしゃっていたような気がするので、ここに記してみる次第。これで良かったんでしょうか。> 森さん

ヤングアダルト調査進行中。亀山さん(6)からは「ドラゴンマガジン創刊に前後してヤングアダルトという言葉を耳にしはじめたような気がする」という情報を得た。これは、88年11月末という時期と半年の精度で一致する。また、加沢さん(4)からは、「SF研内で「YA」をつかいだしたのは中野さん(3)辻さん(5)のかどっちかだとおもう」という情報を得た。まだ裏を取っていないが、次のステップへの重要な足がかりになりそうである。さらに加沢さんからは、起源の可能性としていくつか示唆を受けたのだが、その中に非常に気になる項目があった。
富士見かスニーカーのちらし
である。僕は、これが最も有力な候補なのではと疑っている。僕は名大SF研に入会するまで、これまで疑惑の対象となった「奇想天外」「SFアドベンチャー」「朝日新聞書評欄」「SFファンダム」のいずれにも触れた事が無かったのだが、入会時点でヤングアダルトという言葉を「スニーカー/ファンタジア的」という意味で使っていたように記憶しているのだ。91年時点で僕が触れていたメディアからすると、最も疑わしいのが角川・富士見の自称なのである。
ドラゴンマガジン創刊時(あるいは、スニーカー独立)で富士見ないし角川が「ヤングアダルト」を自称し、当時の若手ファンがすぐさまその言葉を取り入れ、ファンジン、コンベンションのパネルなどでファンダム全体に広まっていった、というのはさほど無理が無いシナリオだと思う。問題は、証拠だ。ドラゴンマガジンは名古屋に創刊時期のが取ってあるはずだから良いとして、88年当時のスニーカーのちらしなんてどうやって手に入れればいいんだろう。

12月16日
ダン&ドゾワ編『幻想の犬たち』(扶桑社ミステリー)読了。すばらしい。友としての犬という面が若干弱いという憾みはあるが、ともかく出てくる犬たちがいずれも犬であるという一点において魅力的なので細いかいことはどうでも良くなる。冷静な筆致で描かれる狂騒が楽しいマンディス「ニューヨーク、犬残酷物語」、犬の美しさで群を抜くウィルヘルム「銀の犬」なども素晴らしかったが、やはりこれ1作となれば、エリスン「少年と犬」。中学生でもあるまいに、「少年と犬」も無いだろうという気もするが、やはりこのラストのカッコよさには抵抗できない。犬は良いね、うん。

名大掲示板で14日の記述について野呂(17)から突っ込みが入った。確かに、誤解を招く表現(と、一部こちらの事実誤認)があったとので、若干修正。論が甘いという結論自体は修正するつもりはない。

15日の記述について、森さんの日記で事実関係の訂正があった。なるほど、そういう話でしたか。この数日の間に思ったより大きくパラフレーズしてしまっていたらしい。ご迷惑をおかけしました。>関係諸氏
早速、事実に即して修正しようかとも思ったが、森さんの日記の意味が分からなくなってはいけないので、敢えて修正はしない事にする。
そうか、もっと面白い状況の発言だったように思っていたが、違うのか……。

ヤングアダルト調査進行中。浅井慶太さん(7)、鵜飼さん(7)、岸岡さん(6)ご協力ありがとうございます。先輩諸氏の情報を総合すると、やはりドラゴンマガジン創刊の前後が一つの鍵らしい。ドラゴンマガジンがヤングアダルトを自称していたかどうかは大きな要素となりそうだ。また、89年時点ではすでに会員の間では日常的な語彙となっていたようでもある。このあたりもう少し詰めていくべきところだろう。

12月17日
「YAの起源」問題の方は、油断をしていたら有里さんに見つかってしまったようだ。一見毎日調査をしているようだが、実は文献調査をほとんどしていないんで、確定情報は増えてません。年末〜年明けまではこの調子の予定なんで、期待しないで気長に眺めていただきたいところである。
あ、集英社方面の情報及びNifty関係の情報ありがとうございます。参考になります。

冒頭で、不用意に「YAの起源」などという標語を使ってはいるが、実は、僕が調べているのは実体としてのヤングアダルトの起源では無い。あくまで「ヤングアダルト」という語が、「スニーカー/ファンタジア的作品群」に使われはじめたのはいつか、というかなり限定された問題だ。『妖精作戦』だ、いや『ARIEL』だ、という議論を期待された方には申し訳ないが、そういうことなのでよろしく。

12月18日
お買い物♪お買い物♪
まずは神保町に出て、書泉で"CHARIOT LORDS"(CRASH OF ARMS GAMES)を購入。紀元前の中東史を扱った"Britannia"(Avalon Hill)スタイルのマルチ。"Britannia"に比べると細かいルールが多そうなのが気になるところか。いや、面倒なんで細部は読んでないんですが。

続いて、<文学の冒険>コンプリート計画の一環として、ジョン・アーヴィング『ウォーター・メソッドマン』を購入……、しようと思って、新刊本屋を何件か廻ったが見つからず。あんなにどこにでもあったのにいつのまにか無くなっていたのか?とりあえず、緊急購入物件に格上げし見つかったら手に入れる事にする。

仕方が無いので、ブックパワーワンダー、カスミ書房などでSF雑誌を数冊購入。結果、収集中の雑誌の欠けは以下のようになった。 みなさま、ご協力お待ちしています。

ついでに勢いで、"UNIVERSE"を数冊と、スラデック2冊、<ジャンプ・ドア>などを買ってみる。『中継ステーション』に1500円がついてしまう最近の青背の値段は実にファンタスティックだ。

早稲田に出てからも数軒古本屋を廻ったが、気合が足りなかった所為か、収穫は無し。高田馬場のCD屋で山本正之『女神の自由』(サスクハナレコード)を購入後、芳林堂で、あさりよしとお『地球防衛少女イコちゃん』1、2(JETS COMICS)はじめ、マンガばかり7冊買って今日は打ち止め。うむ、買い物を堪能した事である。

買い物を堪能した後はユタ。参加者は、大森望、小浜徹也、雑破業、志村弘之、林、福井健太、みなとみらい子、三村美衣、柳下毅一郎(アイウエオ順、敬称略)。話題は、主にZEROCONの話。書くのを憚られるような事や、書くのが躊躇われる事や、書くとまずそうな事や、書くわけにはいかない事など、色々聞いたような気もするが、僕は部外者なので何も聞いていない。

もちろん「YAの起源」問題でも協力して頂いた。が、89年にはSFファンダム内(より正確には、SFセミナー/京フェス系グループ)ではかなり一般的な言葉になっていたことしか確認できず。まあ、そんなものだろう。一応、大森さんのテキスト原稿(80年代末以降の全原稿をテキストデータとして持ち歩いているらしい)では89年まで溯れることも確認できたが、結局89年。ああ、88年秋に一体何があったんだろう。
その他にも幾つか情報は得たのだが、決定的な証拠がない状況は相変らず。スニーカーのチラシは違うかもしれないという補助情報は得たが、「無い」ということを断言されたわけではないので確定情報とは言い難い。とりあえず、当面の課題は88年の「野生時代」のチェックかな?

12月19日
あさりよしとお『地球防衛少女イコちゃん』1、2(JETS COMICS)読了。そういう時代もあった。

貞本義行『新世紀エヴァンゲリオン』5(カドカワコミックスA)読了。そういう時代もあった。

王欣太『蒼天航路』18(JETS COMICS)読了。そういう時代……違うな。連載で読んでいたときには唐突に感じた曹植編だが、まとめて読むと意外と良い。陳琳の使い方など、さすがはこのマンガだ。また、郭嘉の書き方に不満のあった北伐編も、ギョウ(業邑)でのエピソードがあるだけでいきなり違和感が無くなる。まだまだ、しばらくは楽しめそうだ。しかし、曹丕と曹操の区別がつかないのだけは、なんとかならんのか。

山田章博『おぼろ探偵帖』(JETS COMICS)読了。山田章博の良い面が全開となった好著。「いかにも。俺は化物の先遣、夜雀だよ」という表紙のフレーズからして妖しげな魅力に溢れている。『紅色魔術探偵団』よりも魅力的かも。

山本正之『女神の自由』(サスクハナレコード)も聞く。ああ、なんだか。金のかけ方が半端でイマイチ。「天の浮舟」の壮麗さを求めるつもりはないが、これならいっそのことギター1本の方が聞きでがあったような。うーむ。

12月20日
昨日、自由契約となっていた小宮山悟の入団が決まり、来期横浜ベイスターズの布陣がほぼ固まった。選手枠はまだ一つ空いているので、何らかの補強がありえないわけではないが、予算的にもほぼいっぱいの状況である。
さて、この布陣で来期優勝を視野に入れる事が出来るだろうか。年も越さないうちからでは、予想も何もあった物ではないが、かなり苦しい事は否めない。昨年の投手陣、今年の打撃陣の活躍は明らかに出来過ぎなので、来期にそれを望むのは無理って物だろう。常識的に考えれば、チーム防御率4点そこそこ、チーム打率.275というあたりが横浜の実力だ。これでは、きちんとした作戦・戦術が無ければ優勝争いもおぼつかない。ましてや、来期は読売が本気で全力をだしてくるのだ。普通の展開なら、読売が85勝前後でぶっちぎりの優勝を決めるという落ちに終るだろう。可能性があるとするならば、生え抜きのモチベーション低下による読売のもたつきと、江藤憎しの大合唱による読売包囲網の結成が同時に起きる場合くらいか。それらによって、優勝ラインが70勝台半ばまで落ちてくれば、中日、横浜(ひょっとしたらヤクルト)にも勝機はある。75勝なら、川村17勝、隆15勝、三浦12勝、野村・小宮山それぞれ10勝、福盛・小桧山・五十嵐・島田・横山・矢野合計11勝で到達できるわけで、それほど荒唐無稽な数字でもない。問題は、今期燃え尽きた可能性のある野手陣が、昨年程度の活躍を見せてくれるかどうかだ。

無理だろうなあ……。

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