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「荘子(内編)」を読んで

 

 荘子―名を周という。荘周の思想は老子と一緒にされて老荘と呼ばれる。しかし僕が抱いていた隠遁者の術としての無為自然などという気軽なイメージは彼の思想には当てはまらない。或いは清らかな芸術的境地だろうという推測もはずれた。荘周の思想は完全な個人主義である。これは西洋的な個人主義ではなく、大いなる悟達をめざす、極めて精神性の高いものである。僕は一体こんなことを考えた人間がいたのかと彼の思想に驚嘆し、引きつけられた。

 彼は世俗的価値観を全く否定する。そして、数千里の翼を持ち数万里の彼方を飛翔する鵬の如く、何ものにもとらわれぬ無何有の郷に精神を解き放つ。あらゆる権力、道徳、名誉に全く動じないその不屈さはどうだ。

 こうした彼の解脱、超越は戦国の世を背景に生まれる。彼は戦国の世に生きる人間の姿を見、かつ真の人間の生き方を問うたに違いない。そうした彼の目に映る人間は、いわば故郷を失った弱々しい「奴隷」でしかなかった。或いは世間の目にとらわれ、或いは狭い視野から人間の偉大をわめき散らす。そこには惑溺と倨傲があまりに支配的であった。彼は、人間が生きるとはもっと健康で自由なものであるべきだと思うのである。知性を超えた、いや知性の極致としての無心の生こそ人間の生ではないのか。

 人間の悩みと憂いは、価値的偏見に始まる。富と貧、大と小、美と醜。人間はこうした相対の意識におびえすぎている。しかしそれは人間が築き上げた認識の慣習であって、本来はそのものがあるだけである。そのものの世界―自然の境地に悠々と生きることが彼の超越である。今まで時に流され、人に流されてきた僕は、この時初めて「自分独自の生」を考えた。荘周は、僕が今までいかに世間の目に動かされてきたか、自分だけの精神を持っていなかったかを教えてくれた。「物に乗じて心を遊ばしむ」と言い切る彼の悟達には程遠く、何も持たない自分を、僕はひしひしと感じた。僕がそれまでうすらぼんやりと考えていた「生」とは自己に忠実に生きることであった。が、今、僕はそれがむなしい言葉だけのものであることを知った。広々としてすべてを包み込むような精神、生とはそんなものでなければならない。僕はそのためにまず、人との比較による我、人の目に映る我を捨て去ろう。そんなことを考えた。


 荘周は皮肉や逆説的ユーモアの天才である。彼はほんとにすさまじく強烈な反骨精神の持ち主である。だから彼は気に入らないもの―偽善やえらぶりに対して嘲笑と軽蔑をいとわない。儒教の形式主義に対し、孔子やその一派を登場させて荘周の思想を賛美させたり、古の聖天子尭・舜を彼の言う真人の前にひざまずかせたりする。彼は先輩の老子でさえも、まだあやふやだと言って攻撃する。或いは何でも「解釈」しなくては納得できない学者的態度に皮肉な話を残している。それが「朝三暮四」の話である。実在そのものにこうじゃない、ああならよいと分別して喜ぶ、本質よりも捉え方を論じるその愚かさを、彼は猿にたとえたのである。全く痛快である。


 荘周という人間は一体どんな生涯を送ったのか。だが彼の生涯は研究家の探究にもかかわらず、ほとんど謎だという。「若いころ漆畑の番人だったとか、楚王の招聘を断って悠々自適に暮らしたなどと言われるが、全て疑問が多く、その経歴は明らかでない。」とあった。

 彼がもし本当に隠遁的な生活をしていたならば、それをとやかく言うつもりはないが、彼がこの書の中でしばしばそれを勧めるのは僕には残念なことだ。彼の言う無心の生はやはり社会の中で練られていくべきだと思う。彼の思想は消して逃避でも保身でもないと信じるから。むしろ僕としては、彼が時おり消極的な保身術のようなことを言うのは、あまりに巨大化した文明への警告ととりたい。機構の一端でしかないような自分を持たない人間より、むしろ自己の生活を持ちたいと彼は言っているのではないか。

 彼が隠遁的に暮らしたとすれば、それはまた彼がこよなく自然と自由を愛したからである。それは、親友恵施との問答によく出ている。

 恵施―この間まいておいた大瓢の実がようやく成ったよ。全くその大きいのには驚いた。何に使おうかと考えて飲み物入れにしたけれど、重たくて持ち上がらない。引き裂いてひしゃくにしたが底が平らで水がこぼれてしまう。役に立たぬから捨ててしまったよ。君の説もこれと同じで、大きいには大きいが現実の役には立たぬのではないか。

 荘周―君は世俗的有用、社会的有用しか考えないからそんなことを言うんだ。君はなぜその大瓢を浮き袋にして大河か湖に浮かび、心ゆくまで大自然の中で逍遥しないのか。だから君はまだまだとらわれた人間だと言うんだ…。


 僕は荘周のこの自由な心、奔放な精神に全く感じ入ってしまった。彼は人間の生を見つめる哲学者であり、皮肉たっぷりの大ユーモリストであり、とらわれなき自由人だったのである。

(一九七三年八月)

 

荘子(紀元前三七〇年?〜紀元前三〇〇年?)

中国戦国時代中期の思想家。孟子と同時代人とも言われる。老子と並び称される代表的道家。かなりの文化的素養を持ちつつも、当時の政治・社会状況に飽き足らず、市井の哲人に終始したと考えられている。その思想は、後世の文学、宗教に多大な影響を及ぼした。

〈参考にした書籍〉

福永光司訳注「荘子(内篇)」(朝日新聞社:中国古典選F)
 荘子の思想と実存主義や禅との関わりを深く追求した解釈が視野広く、興味深い。福永氏自身の戦時中の切実な経験を告白した「あとがき」も忘れがたい。