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湯川秀樹氏と荘子

 

 荘子を愛した僕は、いろんな人の荘子評を読んでみた。多くの人は荘子を奇人扱いしていた。或る人は観念の遊戯だと言い、或る人は異常心理だと言い、或る人は卑屈なニヒリズムだと言った。大方、女性にしろ書物にしろ、自分が好きで熱を入れている対象をけなされるのは腹が立つものである。こんな安評論家のやつらに荘子の良さがわかってたまるか、と大いに憤った。

 しかし僕は次第に自信を失っていった。みんながこんなに悪く言う書物を喜んで読んでいる自分は、よほど観念の遊戯しか知らない、異常心理の卑屈な人間なのだろうか、と。

 ところがそんな時、思わぬ味方が現れた。それが湯川秀樹さんの「本の中の世界」という随筆で、これは湯川さんが読んだ本の中から選んでその感想などを書いたものだが、ドストエフスキーやら永井荷風やら古今東西の文豪を押しのけて荘子が最初に出ていたのである。しかも湯川さんは荘子は青春の書であるとさえ言われた。

 確かに正統思想である儒学に対して、これほど突っ張って反抗している思想家もめずらしい。その徹底した反骨精神は青春の名にふさわしい。「かどが取れた」とか「人間が丸くなった」とかいう言葉が、単に人生や世界に対する鋭敏な感性や問題意識を失ったことをとり繕った言葉にすぎないならば、僕も生涯丸くはならず、突っ張っていたいと思う。

 また、湯川さんが中間子のことを考えている時に、荘子の「渾沌七竅に死す」の説話を夢で見たのが刺激になったと書かれている。偉大な物理学者の頭脳を刺激するようなイマジネーションの力が荘子には存在する。

 例えば、冒頭の、巨大な魚が巨大な鵬と化して、はるか地球を見下ろして飛翔する場面などは、現代の特撮映画も顔負けの壮大なイメージを我々の頭に思い描かせる。また斉物論篇で描かれる、風が千変万化して響き渡る様も実にリアルである。彼は正統思想に自分の思想を対峙させる時、わざと外見が醜悪な架空の人物を登場させて彼自身の思想を語らせるが、それらの人物たちがまたなんと生き生きしていることか。さらに、夢と現実の混交から万物の相対性を説く「荘周夢に胡蝶となる」の説話のファンタジックなこと!

 こんなイマジネーション豊かな思想家は、中国でもほかの世界でもめったに見当たらないと思う。彼は湯川さんのような独創的な物理学者の発想の源にさえなっているのだ。

(一九七三年一一月)

 

湯川秀樹(一九〇七年〜一九八一年)

理論物理学者。中間子理論を提唱し、学問としての素粒子物理学を誕生させる。その功績で一九四九(昭和二四)年、日本人として初めてノーベル賞を受賞した。アインシュタインらと共に、反核兵器運動にも取り組んだ。

〈参考にした文献〉

湯川秀樹「本の中の世界」(岩波新書)