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映画「曾根崎心中」

 

 能や文楽といった伝統芸術にひそかに関心を持つ若者は、世間で考えるよりずっと多いと思う。ただ日常生活の中では、ラジオをひねれば歌謡曲かジャズ、ロックか所謂クラシックしか流れていないし、テレビではスポーツ番組かくだらぬドラマしかやっていないので、彼らもついそんなものばかり楽しむようになる。それにテレビで能や文楽を見ようとすると、あのNHK教育テレビをかけなければいけない。ラジオでもあのNHK以外にはまず日本の伝統音楽を流す局は無い。「NHK的ユーモア」という言葉があるほど、「皆様のNHK」には、やりきれない生真面目さがある。若者が伝統芸術を食わず嫌いになるのは、ここにも大きな原因があると思う。

 どんな古典でもそうだが、良き入門書、好奇心をはぐくむ解説書が非常に大事だ。残念ながら、現代日本には、若い人を能や文楽の世界にいざなう適当な案内人を見出すことは難しい。「一流大学」の学生さえ、ミーハー的好奇心しか持たず、毎日が学園祭のような学生生活を過ごすことで皆との一体感をかろうじて保っているような体たらくだが、それでも真の知性ある若者はいる。彼らの美的関心に応えられるような古典の入門書は現れないものだろうか。

 振り返ってみると、我々の世代は、古典芸術の良さがわかるような学校教育を受けていない。近松門左衛門の作品名をいくつ暗記したところで古典からの感動など味わえるはずもない。そもそも教師自身が能や文楽に感動した経験があるのか? それ程現代日本の文化の断絶状況は厳しい。一方、伝統芸術の側でも、古典に新しい生命を吹き込む努力が足りないような気がする。

 しかしそんなに悲観したものでもなさそうだ。古典芸術にとってこれほど悪条件が揃っているにも拘らず、宇崎竜童氏のような才子は「曾根崎心中」の古典性と現代性を見抜き、これをロックアルバムに仕立て上げた。上原まりさんのような若いアーチストが行なった「ジアン・ジアン」での平家琵琶の連続演奏会には、青・壮・老各層が引きもきらず集まって話題になった。我々から一番遠いと思われた「雅楽」の演奏家、芝すけやす氏は、雅楽がいかに面白いかを積極的に語ってくれるようになった。


 岩波ホールに映画化された「曾根崎心中」がやって来るというので、僕は矢も楯もたまらず飛んで行った。なんのことは無い、僕自身が「能や文楽といった伝統芸術にひそかに関心を持つ若者」だったのである。学生時代から、日本の伝統芸術を身近なものにしたいという思いは、何か焦りにも似た感覚で続いていた。NHKを通じて「教養」として受け入れるのではなく、もっと生々しく自分の心に焼き付く形で伝統芸術を知りたかった。能や文楽はそんなよそよそしいものではなく、小説や映画以上に僕らの心に深い襞を刻み付けるはずだ。しかし、どうしたらそうした古典の中心部へ直接迫ることができるのか、わからなかった。

 今回の栗崎碧監督の映画「曾根崎心中」は、文楽の劇場中継を記録映画として残したものではない。文楽人形を劇場から飛翔させ、人形を俳優として自然の風物を背景にロケを行なうという画期的なものである。僕は岩波ホールで予告のポスターを見た時、文楽へのアクセスはこれだ、と直感した。同じ直感を持った人が多かったのだろう、この日の岩波ホールは若い人でいっぱいだった。NHKの文楽劇場中継は見なくても、エキプ・ド・シネマの催し物とあれば、こんなにも隠れた「伝統芸術愛好家」が集まるのだ。

 文楽には伝統の様式、技法が厳として存在する。その様式を壊さずに現代的でダイナミックな映像の中へ人形を解き放つという困難な試みは、この作品では完全に成功している。カメラ担当は宮川一夫氏、人形遣いは吉田玉男、吉田蓑助両氏ほか、浄瑠璃は竹本織大夫氏といった各界超一流の人々が、栗崎碧監督の非凡な才能と情熱のもとに、見事に共同作業を成し遂げている。


 映画のポイントについては、本日のパンフレットにある淀川長治さんの名解説を引用させていただいた方が良い。

「この映画の八十七分間に、ついに人形遣いも三味線も太夫も顔を見せなかった。さらに生玉神社前は実景、曾根崎遊郭前はキャメラが奥行きとらえた縦構図、道行きの移動キャメラに現れるは本物の川の流れを見せた川堤。すべてのこの冒険の文楽映画を、何の違和感持たせずやりおおせた。

…いよいよ、お初、徳兵衛が天満屋からまろび出るところからが道行きとなるのだが、ここで語られる太夫の『此の世の名残り、夜も名残り……』が、織大夫と呂大夫の二人語りとなって、道行きはあたかもオペラのクライマックスの感を盛り上げ酔わせてゆく。そして近松門左衛門の何たる美文名句…。ラストシーンでは、人形遣いの黒衣は闇の中に溶け込み、お初と徳兵衛の人形だけが、まさに生きた二人の人間となって樹々の間を縫い、星影映る水の面に影を落としながら、永劫の宇宙の彼方へ旅して行く。…」

 僕は、人形が人間以上に人間的であることに驚嘆した。特にお初の表情の変化は素晴らしい。生玉神社で徳兵衛を見た時の初々しさ、事態が深刻になってゆくにつれて表れる陰りと悲嘆、死を覚悟した時の凛々しさ、道行きでの微妙な心の変化と最期の際の安らかな表情…。僕は途中からずっと涙が止まらず困った。


 この作品は、近松が愛の極限を描いたものだ。近松の視座については、パンフレットに竹本織大夫氏が「近松の女たち」と題して書いておられる。

「近松は、最初の世話物浄瑠璃である『曾根崎心中』以来、多くの心中物を書いていますが、その大部分の女が、お初や小春のような遊女です。それも大阪の北や南の新地の下級女郎です。彼女たちは、不幸な境遇の中でふと見出した真実の恋、偽りの世の中でしっかりと掴んだ誠の愛を、命に代えても守り抜こうとします。自分を人間として愛し、女として恋してくれた男と、喜んで一緒に死のうとするのです。それが、自分たちの愛の証であり、恋の勝利なのだという自負と誇りすらあります。ですから、純情でか弱かった彼女たちは、だんだん健気になり、たくましくなり、最後にはむしろ男をリードしながら、しっかりとした足取りで死への道行きを歩んで行きます。

…近松は、いつの場合にも、幸薄い星の下に生まれながら、精一杯生きようとする女たちを、暖かいいたわりの目で眺めているように思えます。…」

(一九八三年七月一五日)

 

近松門左衛門(一六五三年〜一七二四年)

人形浄瑠璃の台本作家。浄瑠璃を芸術にまで高めた、元禄文化を代表する人物の一人。戯曲の数は百編以上にのぼるが、歴史に題材を求めた時代物(「国姓爺合戦」が代表作)と、市井の事件を描いた世話物(「曾根崎心中」「冥土の飛脚」などが代表作)とに分けられる。