次の文章へ進む
U.音楽へ戻る
「古典派からのメッセージ2001年〜2002年編」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

私の音楽鑑賞メモ(二〇〇一年〜二〇〇二年)

 

メタモルフォーゼン

 きょう秋葉原で仕入れたCDの中では、リヒャルト・シュトラウス作曲「メタモルフォーゼン」という弦楽のための曲が良かった。これは、第二次世界大戦末期、連合軍によって音楽の都ドレスデンやウィーン国立歌劇場が破壊されたのを知ったシュトラウスが、ドイツ文化崩壊を悼んで作った曲で、八十歳を超えた老大家の嘆きやうめきが、ある種の深い慰めや慈悲の心と共に伝わって来る。

平成一三(二〇〇一)年一月二七日

 

妙なるバロック

 最近、フランス・バロック音楽の大家、ラモーの歌劇「イポリトとアリシ」(クリスティ盤)を聴き直してみましたが、その劇的でカラフルなのに改めて感心しました。ある意味でワンパターンのナポリ派やヘンデルの歌劇よりも変化に富んでいて楽しめます。それから新しく出たテレマンのコラール・カンタータ集(マックス盤)も良かった。コラールを上手く使った作曲家はバッハだけではないのです。バロック音楽も掘り起こせばまだまだ色々な発見がありそうです。

平成一三(二〇〇一)年四月一四日

 

ブラームスは初期より後期

 初期から中期にかけてのブラームスには、ベートーヴェンを意識するあまり、肩に力が入り、全身が力みかえったような音楽が多い。例えば、第一交響曲、ピアノ協奏曲第一番、三曲のピアノ四重奏曲、ピアノソナタたち、そして、一般には傑作と称されるピアノ五重奏曲…。僕にはそれらが、人の神経を逆なでする、大袈裟で芝居染みた音楽に聞こえることが多く、好きになれない。

 そうした音楽と比べて、後期、晩年の音楽は、力みが取れ、ブラームス独特のリリシズムや孤独の美しさが表に出てくる。例えば、第四交響曲、クラリネットの入った五重奏曲やソナタ、ピアノ独奏のためのさまざまな小曲集…。僕はそれらの音楽をこよなく愛している。そこには安らかな諦念と魂の慰めがある。

平成一三(二〇〇一)年九月二七日

 

繊細なバス

 エグモンドのバスとインマゼールのフォルテピアノの組み合わせでフォレの歌曲集のCDが出ている。エグモンドのバスは、「繊細なバス」という矛盾した形容詞がぴったりと当てはまる美しさである。インマゼールのフォレ当時のピアノによる柔らかな伴奏もこのバスに溶け合っている。

平成一三(二〇〇一)年一一月一四日

 

武満徹の駄作と傑作

 僕は、武満徹の音楽の情調は決して嫌いではない。ドビュッシーと共通し、かつ、日本的「間」を使った音楽語法は僕の感性の琴線に響く。しかし、武満の代表作と言われる「ノヴェンバー・ステップス」における琴と尺八については、あまりに貧しい楽器の使い方だと感じる。楽器として充分鳴らすことをせず、擦り切れたような、或いは断片的な音ばかり楽器から出させている。西洋人には「神秘的な響き」か何かに聞こえるのかもしれないが、我々日本人の耳はごまかせない。あれはまるで、「ヒュードロドロ」の安物怪談映画の効果音である。琴や尺八はもっと豊かで多様な表現力を持った楽器である。そうした楽器の本来持つ性能、個性を生かしていないこの曲は、決して日本的美学と西洋のオーケストラの幸福な融合などと言える代物ではない。むしろ駄作である。若い人や音楽入門者に、この曲で武満を鑑賞させてはいけない。武満では、「弦楽のためのレクイエム」とか、「オーケストラのためのヴィジョンズ」とかいった作品の方がはるかによくできている。

平成一四(二〇〇二)年一月一六日

 

「世界のソニー」のせこい商法

 ソニー・クラシカルというソニー直系のクラシックCD・レーベルの販売手法に文句を言いたい。というのは、同レーベルは、輸入盤を売り出す前に国内盤を売り出し、しかも輸入盤の日本販売を二、三ヶ月も後らすのである。具体的には、ラルキブデッリの演奏するメンデルスゾーンの弦楽五重奏曲集、同じグループによるドヴォルザークの弦楽五重奏曲集を買おうとした時、いずれも同じ経験をさせられた。輸入盤と国内盤は、単に、日本語の解説があるかどうかだけの違いである。日本語解説など要らないから少しでも安い方がいいという、小生のようなクラシックCD愛好家は日本にたくさん居る。日本の消費者は数百円高い国内盤を買え、というやり方は一体何なのか。新譜を心待ちするCD愛好家にとって、三ヶ月も輸入CDの販売を待たされるというのはどれほどはらわたが煮え繰り返る気持ちがするか、ソニー・クラシカルの首脳はわかるのか。こんな商法は他のクラシック・レーベルはしていない。むしろ普通は輸入盤の方を先に売り出す。ソニー・クラシカルだけがその逆をやって、日本の消費者だけに高い国内盤CDを押し付けようとする。こんなせこい商法を続けるなら、「世界のソニー」の名を返上せよ、と言いたい。

平成一四(二〇〇二)年一月二八日

 

余勢を駆って吉松隆へ

 ナクソスの「日本の管弦楽」にあった吉松隆氏の「朱鷺に寄せる哀歌」が素晴らしかったので、シャンドスから出ている吉松作品の最新CDを買った。これも良かった。特に「交響曲第四番」は、映画音楽や通俗音楽とすれすれの、メロディのきれいな曲だ。現代作曲家の音楽というと、小難しい調性の無い音楽と思われるがちだが、吉松氏はメロディラインのきれいな曲も書いていおり、これが夢や憧れやリリシズムに満ちた素晴らしいものなのだ。

平成一四(二〇〇二)年二月一〇日

 

ベートーヴェンの意図

 今週、ブロムシュテット指揮のゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会に行きました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と第七交響曲のプログラム。弦がとても柔らかく、さすがにドイツの名門オケだと感心しましたが、ベートーヴェンをこうした巨大な編成で演奏することの限界も感じました。対位法的な書法や管と弦の対話など、ベートーヴェンは細部にいろいろと工夫をこらしているのですが、こういう巨大編成で演奏すると、そうした部分が濁って聞こえ、せっかくの作曲家の意図が消し飛んでしまうのです。ベートーヴェンの音楽は、その時代実際に行われていたように、低弦楽器が各二から三人程度の規模のオーケストラで演奏すべきだとつくづく感じた次第です。

 このゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートにつきあってくれた、クラシック音楽大好きなトロンボーン吹きの美少女、Jさんに心から感謝します。

平成一四(二〇〇二)年三月二日

 

ブラームスのドイツ・レクイエム

 今日、さる人の招待を受けて、城北オラトリオ合唱団の歌うブラームスのドイツ・レクイエムを聞きに行った。この曲を生で聞くのは初めてだったが、見事に構築された合唱曲で感動した。演奏もひたむきで素晴らしかった。アマチュア合唱団にとってこんなにやり甲斐のある曲もあるまい。ただし、やはり一九世紀後半に作られた曲なので、ブラームスの自己主張のようなものを感じ、純粋な宗教音楽から受ける感興とはやや異質の感興だったような気もする。

平成一四(二〇〇二)年五月一九日